独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

♪ お姑さまご出演 ♪

2011年04月30日 07時29分31秒 | 我が家・親族


                
  
                     カント・プリマヴェーラ女声合唱団   指揮 田中由美子先生

 
           素敵な四重奏の歌声                 カント・プリマヴェーラ混声合唱団

 
        お姑様 「城ヶ島の雨」 を熱唱               「愛の喜びは」 を熱唱
3時間余に及ぶコンサートは、プロとしてご活躍のピアニスト、オペラ歌手をゲストにお迎えして開催されました。
又、現役の音大生、OLをしながら練習に励んでいらっしゃる方、定年を迎えてから趣味として美声を発揮されていらっしゃる素敵な男性、家庭の主婦として地域のコーラス
発足以来半世紀におよび歌い続け、毎年 友情出演  をされるお姑さまたちの美しい歌声に、耳を傾け楽しいひと時を過ごさせていただきました。

お姑さまは喜寿を迎えながらも、ソプラノの歌声は健在でした。 
ご多忙の折にもかかわらずお出でいただきました私の友人の皆様にも  のお心遣いを頂き恐縮に存じました。 
近能様から早速  をいただきました。
 「本日はコンサートにお招きいただき有難うございました。
  お嬢さんのお姑様のソプラノをお聴きしてお世辞抜きで、さすが本物と感心しました。
  ピアノ伴奏を全く気にすることなく聴き惚れました。
  さすが賛助歌手だけありました。
  自分の娘と見間違える髪型の新井さまに久し振りにお目にかかり楽しいひと時を過ごす事が出来て幸いでした。
  有難うございました。」
と過分なお言葉を頂き恐縮に存じますが、お姑さんがどんなにかお喜びになられます事と早速お届けしたく存じます。
近能さま有難うございました。

レッスンだけでもかなりの時間を要して居りますことに  は何時もお手製です。
この度は、久し振りに黒のドレスでしたが、デザインも素敵にとてもお似合いでした。
淡いブルーのビーズの大きめのネックレスと指輪が照明に映え、もしかして娘の作品?と思っておりましたら、皆様から 素敵!と言われましたと娘に告げて下さいました。
日常の健康管理に努めながら、レッスンに努力をされるお姿に娘共々大きな  を贈っておりますところです。

残念!長女のお姑様 令和2年1月11日(土)86歳が逝去されました。合掌

長い間応援をしていただきました多くの皆様に心から御礼を申し上げます。有り難うございました。

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慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-3)

2011年04月29日 07時57分19秒 | 洋上慰霊

3月11日 (金) 「東日本大地震発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に艦内放送により知る事となりました。
夕刻頃より船も大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。
海上では、    全て不可。
被災地の皆様には連絡方法などに特別の配慮があったようですが 
私たちは  から聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが被災地とされる皆様にただただお祈り申し上げておりました。

  
                       次々にボードにはられた記事の一部より
3月12日 (土)     9回目 マリアナ沖方面洋上慰霊祭
3月13日 (日)  10回目 マリアナ沖方面洋上慰霊祭
3月14日 (月)  11回目 小笠原諸島近海洋上慰霊
 
                          小笠原諸島と思いますが 
3月15日 (火)  12回目 伊豆諸島近海洋上慰霊祭
             13回目 合同慰霊祭を行いました。
以上大切な慰霊祭の日程を綴らせていただきました。
12日間の毎日のスケジュールは
06:00~       健康チェック  各県世話人 (千葉県は私) が行う  に始まり、
06:30~06:50  ラジオ体操 (第1及び第2) 気持ちの良い潮風の中で身体をほぐして一日のスタート開始
慰霊祭終了後は毎日楽しい 「歌の広場」  に参加して ~ あの歌、この歌、思い出の歌を唄いました。

                      
        歌のお姉さんと楽しい 「歌の広場」                最後の歌は 「螢の光」を合唱
運動不足解消のために毎日 「ストレッチ体操」 昼間は「サンデッキ」で行い、お休み前は 「ラウンジ」 でインストラクターのお姉さんによります楽しいご指導を頂きました。
 
             15日最終日夜の 「ストレッチ体操」                   会場案内板
最終日3月15日は夕刻より 「懇親会」 及び 「解団式」 を行いました。
 
      12日間涙を共にしました千葉県慰霊団                    解 団 式
            

被災地の皆様方には私たちには想像も出来ない程のご心配でお疲れもありました事と思いますが、参加された皆様全員が亡き父へ最高の供養が出来ました事に感謝の心に
笑顔でグラスを傾けることが出来ました。
今年は戦後66年を迎え、戦後も遠くなりました。
しかし、事実は事実として悲惨な過ちを繰り返すことが無き事を祈り、御世話になりました皆様に心から御礼を申し上げ、大切な記録とさせていただきます。
お訪ねいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。
多くのご英霊の皆様も喜んでおりますことと存じます。有難うございました。

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慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-2)

2011年04月28日 07時47分18秒 | 洋上慰霊

12日間の慰霊の旅の最初は、枕崎沖、大和沈没地点を経由して冷たい雨の降る中行われました。
慰霊祭の進行は故郷から持参したお供物などが供えられた祭壇にむかい、拝礼 「君が代」を 斉唱しました。
日本遺族会代表、関係遺族代表が父への「追悼の辞」 を読み上げ、関係遺族全員が献花を行い、最後は参列者全員で 「海ゆかば」他2曲を捧げました。
慰霊祭終了後は、関係遺族及び参列者全員がデッキに移動して船の汽笛とともに白菊、父達の好物を海へ手向けて戦没者の冥福をお祈り致しました。
3月 6日 (日)       1回目 東シナ海洋上慰霊祭  
3月 7日 (月) 後   2回目 沖縄北方洋上慰霊祭 ~ 沖縄 ・ 那覇入港 ~ 上陸後 
                    各県の慰霊碑参拝 (気温 が非常に) ~ 深夜出港
3月 8日 (火)       3回目 沖縄南方洋上慰霊祭
3月 9日 (水)     4回目 バシー海峡洋上慰霊祭
                5回目 ルソン沖洋上慰霊祭
3月10日 (木)            6回目 マニラ湾付近洋上慰霊祭~フィリピン ・ マニラ入港~上陸後、マニラ周辺で小学校、病院などを訪問して友好親善を行いました。                 
 
                                        マニラ港に入港して                     
  
                 小学校を訪問して文房具 ・ Tシャツ ・ 帽子などを 
 
    校長先生(緑の洋服)を囲んで千葉県慰霊団                マニラ港にて乗船を前に
 
                                  上陸中に訪問できなかった病院関係者他の皆様をお招きして 
 
       暮れゆくマニラ港に心を遺して出航             美しいはずのマニラ湾の夕日です
3月11日 (金)     7回目 ルソン島南方 (シブヤン海) 洋上慰霊祭 (午前)
             8回目 サマール島北方洋上慰霊祭         (午後)
私は11日 (金) 午後、日本時間2時からは私を含む20名の遺児の慰霊祭を執り行って頂くことになっておりました。
個人情報関係から、参加者名簿には、住所、電話番号、艦名などは記載されず、艦名は慰霊祭当日の朝礼時に公表されました。
父が乗艦しておりました「鳥海」は960名全員が戦死とされておりますので、どなたにお会いできますかと名簿に目を移しますとただお一人長崎県から参加の男性の船名欄に
「鳥海」 と記入されておりました。
すぐにお会いしてみたい  と思いながらも班長としての仕事が先行しております所へ笑顔の紳士が訪ねて下さいました。
「私は 「鳥海」 艦長の息子 田中 暁 と申します」と名刺を頂きました。
瞬間、父に出会えたかのように感激、喜び、幸せに 胸がいっぱいでどのようにご挨拶を申し上げましたか記憶にありません程に溢れる涙を止めることができませんでした。
勿論、慰霊祭に同席させて頂き千葉県代表して父への 「追悼のことば」 を奉読させて頂きましたことに、父への最後の大切な供養が出来ました幸せに感謝を申し上げました。

 
 
    田中艦長様のご子息様と父の好物を斎場に供えて        「追悼のことば」 を奉読中に大地震発生を後に知る
 
拙い 「追悼のことば」 ですが記録に納めたく存じます。

 謹んで追悼のことばを申し上げます。
 (前略)
 今ここに日本遺族会様を初め、関係各位多くの皆様のご尽力を頂き、長年の念願が叶い「洋上慰霊」に参加をさせて頂きました事に千葉県14名の皆様と共に心から感謝を
 申し上げます。

 初めに海底に眠る多くのご英霊の皆様に哀悼の誠を捧げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 お父さん私の声が聞こえますか。お側に参りました。
 お父さんは 「親孝行をしたい」 と海軍に志願したそうですね。
 しかし、戸籍には 「昭和19年10月27日午前10時45分比島方面に於いて戦死」と記されております。
 「鳥海」 乗艦960名の皆様と運命を共にされたお父さんはどんなにか無念だった事でしょう。
 お父さん今朝、感激の出会いを頂きました。
 「鳥海」 田中艦長様のご子息様にお言葉を頂き、今ここに同席させていただいております。
 娘が喜んでおりますと艦長様にご挨拶をしてくださいね。
 (中略)
 お父さんの記憶は全くありませんが、遺された写真、私の名前の文字が遺る沢山の軍事郵便に励まされ、勇気づけられて参りました。
 (中略)
 過去には何事も無かったかのように沢山の趣味を楽しみ、幸せなおばあちゃんになることが出来ました。
 この幸せは、ここ遠く異郷の地に眠りますご英霊の皆様のご加護のおかげと感謝を申し上げ、追悼の歌を捧げたく存じます。
   
          海底に今なほ眠るみ霊らにわが生の限り祈り捧げむ

 
 ただ今は、厳粛なる慰霊祭に参列をさせて頂き、心ゆくまで父を偲ぶことが出来ました。

 改めて関係各位の皆様に心から御礼を申し上げまして 「追悼のことば」 と致します。
 「鳥海」 田中艦長様をはじめご英霊の皆様、どうぞ安らかにお眠り下さい。 合掌
 ご参列を頂きました皆様有難うございました。
 最後に何時までも恋しいお父さんさようなら。
   2011年3月11日                       サマール島北方洋上慰霊祭にて

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2011年 (平成23年)慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-1)

2011年04月27日 07時31分45秒 | 洋上慰霊

                     日  程 2011年(平成23年)3月5日(土) ~ 16日(水)(11泊12日)
                   参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)

        戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施して後、平成23年は20周年を迎えました。
               これを記念して初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県代表として参加の機会を頂きました。
                3月5日神戸港に集合して 「ふじ丸」 に乗船、「結団式」 を行い、正午に出航しました。
     各地域で延べ13回の慰霊祭を行い、途中上陸したフィリピンでは友好親善の一環として小学校や病院を訪問して学用品や車イスを寄贈致しました。
      3月11日 「東日本大地震発生」 時は 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が行われております時と終了後に艦内放送で知ることとなりました。
      艦内放送が頻繁にされるも、海上ではテレビ、電話すべてが不可、被災地の皆様は、不安を隠しきれずに掲示物を真剣に見入っておりました。
     3月15日には最後の 「伊豆諸島近海洋上慰霊祭」 を行い、夕刻からは解団式及び懇親会を行い3月16日午前8時無事神戸港に帰港しました。
         しかし、宮城県を初め、同乗された遺児の自宅が、家族が、被災されました事の情報に、新たな悲しみの慰霊の旅になりました。
            下船しても東北の皆様は新幹線も動かずに帰宅もできず、近くのホテルに宿をとりましたことを伺っております。
                 東北地方の遺児の皆様には慰めの言葉も在りませんほどに被災された皆様に心が痛みました。

            未曾有の大災害の事態に、この度の貴重な経験を綴ります事に少し時間を頂いて居りましたが、日本遺族会を初め、
                 多くの関係各位の皆様のご尽力に感謝を申し上げ私の大切な記録とさせていただきます。


        「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路                      お世話になりました 「ふじ丸」

  
           船内ホールにて結団式を行う                            船上の洋上慰霊祭斎場
   

 
              参列者による 国歌斉唱                      バシー海峡にて洋上慰霊祭の遺児の皆様

 
                       慰霊祭終了後、汽笛と共に白菊と父の好物を捧げる遺児の皆様 

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日本遺族通信 平成23年4月15日号 遺書と九段短歌

2011年04月22日 07時08分13秒 | 日本遺族通信


                     平成23年4月 靖国神社社頭に掲示された遺書
                 静岡県出身 陸軍中尉 森脇 誠次郎 様 (23歳)
                   昭和20年4月12日 沖縄島方面にて戦死 合掌
この度はお若いお方がご両親に宛てた最後の 「生還もとより期せず」 をご紹介させていただき、心からのご冥福をお祈り申し上げます。
(前略) 生れしより憧れ候、大空に行くの光栄、之に過ぐるもの無く、浜松の空に育まれし幸福無上のものに御座候。
(中略) 生還もとより期せず。
仮令(たとい)、身は南海の涯に散るとも、七度生れて寇敵(こうてき)を討たん決意に燃え居り候。
幼児より御世話に相成り候人々に、よろしく御伝被下度、願上候。
兄の如く思ふ先輩と共に、此の栄ある攻撃に臨むを、此の上無き喜と存じ居り候。
勇みて出撃仕り候。                                      謹言
                                               誠次郎
ご覚悟の遺書に時代、國の為とは言えあまりにも悲しすぎます。
今、日本では未曾有の被害に見舞われ多くの尊い命が奪われました。
私は戦争遺児として言葉に言い尽くせない多くの経験から100名余の震災遺児の皆さんに心が痛みます。
何とか逞しく生きて欲しいと願うばかりです。
今号にも戦争遺児、遺族から鎮魂の歌が寄せられております。
お目を通して頂けましたら幸に存じます。

  国難に殉せし父の待つ黄泉路銃後守りて母旅立ちぬ       宇和島市 遺児女性
  案ずるな家を頼むの文字見ては浮き出てほしい父の姿よ      甲州市 遺児女性
  師走十九日幾年ぶりの雪晴れや慈悲のごと夫の六十七回忌     横手市  妻
  海戦に沈みし父らの海染めてソロモン海に沈む太陽      富士吉田市 遺児男性
  打ちつけて吹雪く朝にシベリアで果てたる父への思ひは募る    大阪市 遺児女性
  母逝きぬ鴨居に見据える父の遺影軍服のまま六十余年       出雲市 遺児女性
  お社頭の掲示の言の葉胸をつく国に捧げし生命たふとし         江南市 遺児女性
  還らざる夫をなほ待つ六十六年ある筈もなき奇跡恃みて       諫早市 妻
  砲声の身にしみつきて生き残る威銃を聞くふる里の秋        篠山市 遺児男性
  北風にはためく国旗の清清しスーパーに掲ぐる「建国記念日」   名古屋市 遺族
  戦死せし兄の公報に亡き父母を吾も戦場未だ思ひし         京都市 遺族
  まなうらに顕ちくる父は我に生きる力を加護を与へくれます     千葉市 私

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友人の庭のお花のご紹介

2011年04月19日 07時10分24秒 | 友人の庭のお花のご紹介

4月2回めの  を頂きましたのでごらん頂けましたら嬉しゅうございます。
 黒文字・・・枝を折ると清清しい香りがするこの木は、爪楊枝の材料で知られます。
        雌雄異株で、この美しい花は雄木で実を付けません。雌木の実は秋に
        闇を照らす灯油の原料となつたそうです。
 尉翁鳥・・・毎年3月から4月にかけ庭に来る渡り鳥の 尉翁鳥 (じょうびたき) です。
        この写真は雄鳥で頭は灰色、顔からのどは黒色、胸以下は赤褐色です。
        翼に白班があるのが特徴です。
        雌鳥は全体が茶色で翼に白班があります。餌は主に草、木の実を好みます。


          うぐいすかぐら                  黒 文 字

           二 輪 草                  雪割りいちげ

          破 れ 傘               尉翁鳥 (じょうびたき)

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未歩ちゃん (3歳7ヶ月) 会社へ出勤?

2011年04月15日 12時44分14秒 | 未歩ちゃん

       
            「わたしはげんきがありませ~ん」
平成23年4月13日 (水) 未歩ママからの  
「題」 未歩はまだ熱がさがりません。
    月曜日から発熱、まだ7℃ちょっとありますので、今日も会社へ連れてきました。
    余震が頻繁にあるので、自転車用に購入したヘルメットをかぶせています。
    元気が有りませんが、大好きな  に触れるようになりました。
    マウスの持ち方が様に成ってきました。
    明日からは保育園に行かれると思っています。

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平成23年度千葉県護国神社春季大祭

2011年04月10日 16時31分16秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

             春季大祭 2011年 4 月10日 (日)  10時開式


             護国神社境内                     本殿を臨む

 
                  千葉県内から約1000名の参列者の皆様

 
         式典に臨む遺族の皆様                     拝殿の桜
 に恵まれました4月10日 (日)10時開式に遠くは千葉県南端の南房総市 を初め、都心に近い 流山市 から大型バス、自家用で千葉県内から1000名程の
遺族関係者が参列されました。

この度は森田知事のお姿が無く残念に存じましたが、熊谷千葉市長が昨年に続いてご参列を頂き、とても有難く存じました。
戦後も遠くなり戦後生まれの国民が多くなっております現在ですが、私達は悲惨な戦争を語り継ぐべく大切な行事に鎮魂の誠を捧げてまいりたく考えております。合掌

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楽しいウォーキングと千葉公園のお花見

2011年04月06日 20時28分06秒 | 恩師・同窓会関係

       
                          区役所で頂いた資料の一部より
               日  時  4月6日 (水)  JR千葉駅集合 10時
千葉駅北口 ⇒ 生涯学習センター ⇒ 護国神社参拝  ⇒ 忠霊塔参拝  ⇒ 蓮華亭   ⇒ 千葉公園内の戦跡  に思いをしながら  を愛でる ⇒ 京銀プラザ内ピストロ 12時食事会場へ     

    
           千葉県護国神社                     千葉県忠霊塔
千葉公園は、面積21㌶、戦後昭和21年6月に戦災復興計画で公園造成が決まり、かつては鉄道第一連隊演習所跡を中心とした一帯で、樹木のまったくない台地と沼地に、
昭和23年から建設が始まり、昭和40年に完成をしました。

南門を入るとハス池があります。
有名な2000年前の大賀ハスが、7月の上旬から半ばには淡紅色に開花して、大賀ハスの鑑賞会が開かれます。
                

    大賀ハス資料展示の「蓮華亭」と開花時の大賀ハス       鉄道第一連隊演習用トンネルのコンクリートドーム
広いボート池は綿打池と呼ばれています。弁天町というこのあたりの町名は、綿打池の池畔にまつられた弁財天の名をとったものとされています。


           綿打池ボート場 その1                  綿打池ボート場  その2

 
           満開の垂れ桜を撮影する人                  散策をする人
 
           遠くに蓮華亭を望む                     八分咲き  の桜 
   
           公園入り口の案内板                参加者のお仲間 (他男性1名は食事から合流)

被災地の皆様がご苦労をされる中にも  の花は日に日に美しさを増して参りました。

久々にに恵まれました一日、美しい   に元気を頂きましょう、と急遽5日前のお誘いでしたが14名中11名のお仲間の皆様は  の再会を致しました。
お仲間の中にはサークル活動を欠席された方も有りに、私の予定に合わせた日程に申し訳なく思いましたが、区役所に出向いて資料等を整えました事に結果は大いに盛り上がり
生ある今の幸せに感謝をし、健康管理に努めましょうと、次回のお約束をして散会しました。

 には 歩数 10800歩、歩いた距離 5.3km、消費カロリー 185Kcal  と表示されました。

4月7日 (木) 川崎市から参加した男性の  より
昨夕20時前に予定通り帰宅、新宿駅からは久し振りの通勤ラッシュにもまれたためか、ほろ酔い気分が吹っ飛び、自宅で改めて飲み直しながら花見の余韻を楽しんだ次第。
久し振りの初春の千葉市を楽しみました。
話にでました次の企画を楽しみにしています。 と嬉しく拝見させていただきました。

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友人の庭のお花のご紹介

2011年04月04日 21時56分50秒 | 友人の庭のお花のご紹介

             9日ぶり救助の2人退院し順調回復 (読売新聞より)
大地震から9日ぶりに救出されたお祖母さまとお孫様のその後は如何かしら?と思っておりましたところ4日の朝刊に朗報の記事が掲載されました。
まだまだ大変な日々ですが、「奇跡はあると実感し、ほっとしている」 とお父様の喜びの会見に を贈らせて頂きました。

この度、お久しぶりに友人の庭のお花の  をいただきました。

「椿6種を掲載いたしました。
 例年ですと 「炉開き」 から始まって 「金魚葉」 が最後になるのですが、この時期20種余りが 同時期に咲き終わりそうです。
 次回は庭に来る渡り鳥の「じょうびたき」を紹介します。」 と頂きましたのでご覧いただけましたら嬉しゅうございます。


           椿 (対馬藪)                  椿 (一休)


          椿 (金魚葉)                   椿 (紺侘助)


           椿 (窓の雪)                 椿 (高津百合咲)

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金澤の山ちゃんだより ~ 46 ~

2011年04月02日 21時04分44秒 | 金澤の山ちゃんだより

                    能登半島内浦 中居湾 (穴水)

 
  穴水湾 (ぼら待ちやぐら 地福院の釣鐘)      穴水湾 (ぼら待ちやぐら 椿の花) 

 
     
穴水湾 (かき養殖場の船)         穴水湾 (海面に映る船)    

(ボラ待ちやぐら 写真説明)
ボラは警戒心が非常に強いため、漁師はこの櫓の上から海底に張ったフクロ網の上を通るのを待ち、網を通るとすぐさま引き上げる。
この猟方は江戸時代に始まり、かつては湾内に多数の櫓を見ることができたが、1970年代から急速に減少し、現在は観光用に残されているのみで
1996年を最後にこの漁は行われていない。

終戦の年には、瀬戸内海の潜航訓練が 「海軍潜水学校七尾分校」 になったこともある。
近年では 「カキ養殖」 が盛んに行われ、多くの人から食感の人気を得て、来訪者も多い。

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未歩ちゃん3歳7ヶ月 「ゆりぐみ」 へ進級

2011年04月01日 13時37分01秒 | 未歩ちゃん

         

平成23年4月1日 (金) 未歩ママからの 
「題」 未歩は進級しました。 
 みったんは、4月から 「ちゅうりっぷ組」 → 「ゆり組み」に進級しました。 
 担任は男性の先生と女性の優しい先生お二人です。
 新しいお仲間は3歳、4歳、5歳のお兄さん、お姉さんたちと一緒のクラスです。
 園長先生がお話し下さいました 「縦割り保育」 の意味が解りました。
 お教室は1階の真ん中ですので宜敷お願い致します。       
 新学期を迎えた朝は、大泣きの合唱です。 
 先生方はおんぶに抱っこに大変です。
 未歩の入園時に思いをして、成長の喜びに感激の朝でした。
 先生「未歩ちゃん、お姉さんになったわね~頼むわよ~」と言われていました。
 昨日の連絡帳には「好き嫌いが無く何でも食べてくれますので助かります。」といただきほっとしています。
 今朝から、主食は持参ですので、可愛いお弁当箱を用意しました。
 ちゅうりっぷ組でお世話になりました先生方に感謝を申し上げながら、新しい先生方を困らせることがないように祈るばかりです。

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