独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

平成12年度 慰霊巡拝レイテ班の皆様へ

2008年07月30日 16時29分25秒 | レイテ班の旅

            
                      お元気の富山県の旅にて松木様  
         訃 報 神奈川県 松木 巌様 享年72歳 平成20年7月2日 永眠
          太寧院瑞巌寫道居士 様のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌
猛暑の折に、皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
先日、愛知県の旅にご一緒させていただきましてから早くも2ヶ月になろうとしております。
その折の懇親会に於いて村松団長、千葉県の熊川様のご冥福をお祈り申し上げ、体調を崩されて不参加の松木様の一日も早いご快復を皆様でお祈りしたばかりでございました。
その事に未熟なブログではございましたが、少しでもご様子をお伝え致したく、未完成のままの愛知県の旅、思い出の新潟・富山・昨年の福井の旅も一緒にお届け致しました。
その折のお礼のお手紙は6月26日付の消印がありますいつもと変わらない達筆な文字でした。
その一文から
旅のレポート有り難うございました。
懐かしい思いで繰り返し拝読させていただいております。
村松さん、熊川さんが亡くなられたことは同年配として淋しいかぎりです。
特に村松さんとは死の数日前に電話で話したばかりでした。残念。
今年の写真展もやっと終わりました。東京、横浜、鎌倉、藤沢、そして地元二宮ととても忙しかったです。
出展した作品は約100点です。懐も体力も疲れました。しばらくの間、充電しようかと思っております。
しかし今は次の作品作りの構想をひそかにねっております。
         中  略
今は両手の血管は点滴でつぶれてしまいました。
そのうちに必ず良くなる サ!
次回は出席して皆様方と酒を飲みながら、楽しい歓談をしたいと思っております。
日々頑張っておりますのでその時は又、よろしくお願いいたします。
お礼と近況まで。
以上のお手紙の中に そのうちに必ず良くなる サ! のお言葉にどんなにかご無念でした事でしょうと存じました。
そして、素敵なも同封していただきました。

           
       
「安養院のお守り同封致します。
 安養院は北条家ゆかりの地に建てられてお寺です。寺名は政子の法名。
 つつじの美しい寺です。黒沢明もここに眠っております。
 一寸変わった形をしたお守りですが、鈴の音がとてもさわやかなのでお楽しみ下さい。」

と頂きましたので御礼のお手紙に「必ず良くなる サ!のお言葉に嬉しく拝見させていただきました。」とお届け致しましたが、残念ながら読んでは頂けなかったようです。
    
弔問報告
     日  時  7月29日 (火) 
     弔問先  神奈川県中郡二宮町のご自宅
     弔問者  神奈川県の女性2名及び千葉県の私の3名でお伺いしました。
神奈川のお二方と横浜駅で待ち合わせ、千葉から約1時間20分を要し、東海道線に乗り換えて二宮駅下車、片道所要時間約2時間半、ご自宅は、広い敷地に沢山の樹木が管理
され、門の所のお大きな椎の木は町の保存林の札が掛かっておりますだけにとても形も良く大きな立派な椎の木でした。

旅行でお会いしました折りには管理の大変さをお話されておりましたが、さぞかし除草作業が大変でしょうと存じました。
立派なお屋敷の近くには竹林有りで、筍堀りのお話にも頷けました。
そして奥様が 「医者嫌い」 で困りました事もお話下さいましたが、何よりもレイテ班の旅行を楽しみに回復に務めておりましたので皆様にくれぐれも宜しくお伝え下さいとの
事でございました。

あまりにも突然のご逝去に、とても信じられないお気持ちとおっしゃっておられましたが、お二人のお嬢様に5人のお孫様に囲まれ、特に5人目のお孫様のお宮参りを済ませた
ばかりと伺いました。

お父様の戦死は5歳の頃と伺いました。
  を趣味にご活躍されましたことから、戒名にも「寫道」の文字が刻まれて生前を偲んでおられました。
あまりにも早すぎるご逝去に心からのお悔やみを申し上げまして弔問の報告とさせていただきます。
暑さ厳しき折に皆様どうぞご自愛下さいませ。

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『軽雪』五十周年と土屋正夫先生の一周忌の集い

2008年07月27日 13時20分06秒 | 短歌

              
歌人 土屋正夫先生 は平成19年7月26日入院中の病院にて 92歳 のお誕生日のお祝いをされた翌日、平成19年7月27日 ご逝去されました。 合掌
この度、先生をお偲びして遠方から先輩の皆様がお集まりされました。
お仲間に加えていただき、亡き土屋正夫先生の大切な思い出話を拝聴する事が出来ましたこと大変幸せなひとときでございました。
又、一周忌に寄せて出版されました 遺歌集 『陶印』 に先生のご日常の最後までを拝読できますことを嬉しく思います。
出版までの経緯を鶴岡美代子先生のお言葉から一部転載してご紹介させていただきます。
「編集を終えて」
本書は土屋正夫先生の第十九歌集である。
作品は平成16年から平成19年7月までの作品で、485首である。
これで歌集に収録した歌集は11,276首『榛原』に収めなかった 『軽雪』以前の歌」 を合わせると11,640首である。
           中   略
7月26日、先生の92歳のお誕生日に伺った。
           中   略
私が原稿用紙をお顔の前に差し出し、ボールペンをお渡しすると、横線を一本お書きになった。
横線といっても弧にカーブした。書き易いように紙を捲って次のページを出すと再び同じ 弧線を引いた。 次のページもそうであった。
明らかに同じ事をわたしに伝えたいのだと知れた。しかし、予断を許さないご状態だったので、ご家族のお邪魔をしてもいけないので、その字の意味が分からないまま辞した。
それは、わたしへの先生からの最後の宿題となった。
ご葬儀が終った数日後、その意味が分かった。歌集である。
先生は五月のご入院中に 「おれも歌集を出そうとおもっている。」 とおっしゃっていたからだ。
横線は 「本」 の字の横棒 だが、手に力が入らないので直線にならず弧線となってしまったのだと判断した。
           中   略
題名の 『陶印』 は作品に拠った。
作品の陶印は土屋正夫先生のご尊父の遺品である。この陶印のように、本歌集が皆様の心に永く留めおかれますように祈りを込めて題名とした。
           後   略
以上、一部ご紹介をさせていただきました。
入会間もない私は、鶴岡先生を通して土屋先生のご活躍をお伺いしておりましたが昨年、少し早めの先生の92歳のお誕生日お祝いの会  (2007.4.11にUP) に初めてお目にかかる事ができました。
その折の先生の嬉しそうなご様子を迷  マンが担当させていただきましたことも佳き思い出になりました。
昨年のお食事会に思いして詠みました歌です。

   再びは念願叶はぬ食事会カメラマン役もただ一度にて
   ひとたびを共に語りし先生のお姿永遠にブログに収む

土屋先生をお偲びして

   先生が親しく語る巻頭言もはや学べぬと寂しさつのる
   検索をすれば訃報記事多くしてわが師の偉大さつくづく知るも          
   つつしみて仰ぐ御影の召さるるは大島紬まこと似合ふも        

「軽雪五十周年記念誌上短歌大会」

この行事に35名の方が一首ずつ投稿いたしました。
9月発行の 『軽雪』 誌上で入賞者が発表されます。 
         

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日本遺族通信 7月の九段短歌

2008年07月24日 23時16分12秒 | 日本遺族通信

      
              平成20年7月靖国神社社頭に掲示されました遺書
               
 (中 略) 清もやっと念願かなって愈々出征する事になりました。けれど、何も心配なく、清は益々元気で行きます。
南方へ、此の事だけは隣の人にも親類の人にも言ってはなりません。此れが最後の手紙になるかもしれません。
  (中 略) 御父様、御母様 ・・・(家族全員の名前)等の御健康と御幸福を御祈りして
筆を置きます。
御父さま
御母さま 
上記遺書の一部を転記させて頂きました。 合掌
時代とは言え、何て悲しいことでしょう。
お国の為に 「男子の本懐」 と喜んで散っていったと言う事実、戦争を知らない皆様、どのようにお思いでございましょうか。
とても信じられないことと存じますが、私達遺族は命ある限り心が癒えることはありません。
昨今の悲しい出来事に何故、もっと命を大切に、しっかり生きて欲しい  と強く願っております者です。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたのでご紹介させていただきます。
 
     海底の夫よ出でませ子と嫁が温州沖の空をゆきます        横手市  女性 
     父眠る戦地の岡に「ふるさと」を唱へばどこかに聴きてをるらむ  青森県  女性
     満州の骨なき拓土の悲惨をば孫に話しつつ墓石洗ふ           長野県  男性  
     天高く迦陵頻伽の往き交ひてうつつなく見つ夕光の中          青森市  男性
     「出征は男子の本懐」 と記したる父戦地より未だ還らず       南相馬市  男性
     さりがたき思ひ残して帰り来ぬ君死なしめし日本といふ故国    出雲市  女性
     ふる里のこの駅を発ち国のため散華の兄よ春が来ました         篠山市  男性
     閑かなる戦死の父の墓にきて咲き盛る桜の風に散る見つ        うきは市  男性
     還らざる兄の面影顕たせつつ忠魂碑にさくら咲くなり          京都市  男性
     空襲に怯えし五才の今に知る「明日への遺言」遺せし人を     名古屋市  女性 
     いつまでも消えぬ面影恋ふ兄よ私も老いて八十路すぎゆく      香芝市  女性

     手作りの庭の花ばな供花として夫を悼まむ今日月命日        常滑市  女性
私の歌は今年初めて未掲載ですが、6ヶ月間私のみ継続掲載頂きましたことに感謝しております。      
      

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友人の庭のお花のご紹介

2008年07月22日 21時27分38秒 | 友人の庭のお花のご紹介

梅雨明け宣言もされ、先程 で今日は 大暑 と報じておりましただけに厳しいでございました。
皆様にはお変わりもなくお過ごしの御事と拝察申し上げております。
猛暑の折り、友人から7月2回目の涼しげなお花の  を頂きましたので早速ご紹介させていただきます。
 「猛暑の中、涼を誘う草花をのせました。      
 珍花の 「白花あざみ」 と 「草あじさい」 は暑さに負けずに美しく咲き続けます。
 今年の山桃 (2008.7.4 UP) の収穫は 800ヶ、52kgで、山桃酒と砂糖漬にしました。」 と頂きました。
先日 (7/4UP) の山桃の見事さが印象的でしたが、沢山収穫されましたのお知らせにとても羨ましく拝見させていただきました。

                 
           あざみ (白)                   花 忍
                   
           草あじさい                    もたけさし

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未歩ちゃんのお盆参り

2008年07月21日 09時20分20秒 | 未歩ちゃん

                
               11ヶ月を目前に卒寿のおばあちゃまに抱かれて
 
お盆が近づきました頃、何かと多忙にお墓掃除もままならず、息子の車のライトでお掃除をと話し合っておりました所、留守  に、「この暑いのにお出掛けですか。
忙しいでしょう
から丁寧にお墓掃除をして、お花も沢山供えましたからね。」
卒寿のおばあちゃまの声に  御礼の  も声だかに感謝を伝えました。

結婚後、50年近くも温かく見守っていただいておりますお方のことは 2008年4月3日 に書かせていただきましたが、この度、未歩ちゃんと墓参にお伺い致しました。
事前に訪問日をお知らせすることになっておりますので、それはそれは言葉にならないほどの歓待を受けます。
未歩の成長を一番喜んで下さるお方でもありますので未歩の関係ブログをプリントし前回お邪魔しました折の写真を添えて持参しますが「生きる励み」と喜んでくださいます。
手作り料理を何品もお土産にいただき、母亡き後、お里帰り以上の幸せに感謝の訪問でした。

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友人の庭のお花のご紹介

2008年07月04日 11時22分49秒 | 友人の庭のお花のご紹介

7月一回目のお花の  を頂きましたが、沢山の山桃の実が何よりも羨ましい 早速ご紹介させていただきます。
 「今回は、7月1日暦半夏生の時期に緑の葉を白に変える湿生の多年草 半夏生 が蕾をつけ梅雨の庭を明るくします。      
  七段花 は紫陽花で、中心の両性化が退化し、装飾花のみが美しく残ります。」といただきましたので、ご覧頂ければ幸いに存じます。


             夏 椿                         山 桃
                   
            半夏生                      蛍 袋

          七段花 (青)                    七段花 (白)

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秀作展にお伺いいたしました

2008年07月03日 20時06分49秒 | 書道

      

        
      市川 蘭華先生 (師匠)          土肥 紅繪先生 (高校の先輩) 
     
      佐藤 慶子先生 (高校の先輩)          平戸美和子先生 (恩師)

この秀作展は大作ばかりですので会場の都合上、毎年交代で出品されていらっしゃいます事を伺いましたが、先生の作品の大きさにビックリ!致しました。
畳2畳半ほどはありましたでしょうか、どのような筆でお書きになられましたかお稽古時にご指導をいただく事を楽しみにしております。 
ただ、先生の作品が読めましたことはとても嬉しく思いました。
   六月や峯に雲置くあらし山  芭蕉の句
又、他の作品部門に於いても恩師を初め、先輩の皆様の素晴らしいご活躍に心から  を贈り、会場を後に致しました。
会期は、7月6日 (日) 迄ですのでお近くのお方はご覧頂きたくご紹介させていただきました。

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水夏希さんが後輩にエール

2008年07月03日 11時06分46秒 | 恩師・同窓会関係

久し振りに母校の「松籟会会報」を読む機会に恵まれました。
記事中に 宝塚トップスター雪組 主演 男役 水夏希さん (高校43回卒) が 母校の 平成19年度 芸術鑑賞会に「私の原点」と題して講演を行い、後輩にエールを
贈りました記事に 致しました。


       
                    後輩に  で迎えられる 水夏希さん(会報より)

「松籟会会報より」ご紹介
生徒の大きな  の中、 ジーンズにワイシャツ、 ネクタイ、 ジャケット姿で颯爽と現れた宝塚トップスター 水夏希さんは本校の芸術鑑賞会において 「私の原点」 と題する
講演を行った。
新入生歓迎会の部活動紹介でミュージカル部(母校)に心を奪われたのが、今の世界に入るきっかけだったという。
      中  略
宝塚での生活は予習復習を毎日続け、今日出来なかった事が明日出来るように「苦しい」 を「楽しい」に、と努力し気付いたら自分がトップを走っていた。
好きな事なら惜しみなく労力を費やすべき。今しかできないことに果敢に取り組んで! と後輩にエールを贈られました。
後輩の注文に気安く応じ、帽子の素敵なかぶり方や美しい歩き方などを披露。水夏希さんの周りは華やかなオーラに包まれていました。とご紹介されておりました。

「松籟会会長様のお言葉」     
我が母校はいろいろな分野の第一線で活躍された方、また、現在活躍されている同窓生が大勢いらっしゃいます。
在校生にとっては目標となり、同窓生にとりましては誇りに思うところです。
     中   略 
水夏希さんが母校で学んだことが「私の原点」であると言い切り、りんとした姿はさすがに当代のトップスターの風格でした。
ご当人の才能・努力は元よりあっての事ですが、今日のご自分の原点が 「我が母校」にあるとお話されたことは、同窓生の一人としてとても嬉しく幸せに思いました。
と語られておりました。

宝塚ファンとして後輩の素晴らしい活躍を知ることもなく楽しんでおりましたことをとても申し訳なく思い、水夏希さんの益々のご活躍を心からお祈り申し上げてご紹介させて
いただきました。  
     

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講師は100歳 わが恩師 竹下定蔵先生

2008年07月02日 13時05分05秒 | 恩師・同窓会関係

          
              2008年5月上梓              竹下定蔵先生2007年ある日の講義にて(著書より)
母校からの懐かしいお便りに、来年には100歳を迎えられます竹下定蔵先生が益々お元気にご活躍のお姿に触れる事が出来ました。
卒業生の希望から始まったと伺います「歴史講座」も30余年になりますことに感無量の思いが致しました。
先生はこの度 著書「われ 生涯一教師」100年の志 を上梓されました。 
多くの卒業生の中には、ご存じないお方もおありかと存じますので、ご紹介させていただきます。

「松籟会会報」 のご案内より      
高校で、竹下定蔵先生に習ってから社会が好きになった、と言うお方は多いのでは。
あの講義を「もう一度聞きたい」と言う卒業生の希望から始まった講座が、30年を超えて続いています。
現代の出来事も絡めながら、歴史を無味乾燥な記録ではなく「人の営み」として、解りやすく語ってくださるのが竹下流。
生徒の最年長は80代。先生も来年は100歳を迎えられます。
いつまでもお元気で続けていただきたいものです。
先生は5月に 著書「われ生涯一教師」を上梓 されました。と紹介されておりました。

「あとがき」 前松籟会会長 松井様      
竹下定蔵先生と声に出し、お呼びするだけで、あの貧しくはあったが、明るい元気な頃が目に浮かぶ。
次々に襲って来た学び舎での苦難の日々(空襲で焼失など)は、語り尽くせぬが、どんな苦境にあっても乗り越えられる自信を持つことができました。
教室だけでなく校外での活動や、旅での学びの中で、竹下先生はいつも一緒で飄々として生徒と共に学んでくださった。
「先生とはかくあることよ」と、いつも心に思っていた。

年月は過ぎ、松波公民館での講義に、一心に耳を傾け先生の歴史の時間に身を置くと、単なる昔語りでなく、現在の次々に起こる事件を、
歴史上の事柄につなぎ広く解説してくださり、ご自分の希望と、どう対処したらよいかを話題とされ、学生の頃に帰ることが出来た。

その学びの日時を何とかしっかりと記録し、多くの人々に知らしめることが出来たらどんなに素晴らしいかと、望外の願いをもって先輩がた諸姉に語らい、先生にお願いし
無理を通していただき、この本は出来たのである。

   中  略
同窓会役員諸姉のご協力をいただいて多数の方々にお声かけが出来たことは重なる喜びとして、心より感謝するものである。と結ばれておりました。   

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