独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

東京下町門前仲町・清澄白河ぶらり17,000歩の旅

2006年05月25日 23時42分22秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

           千葉実年大学校 歴史倶楽部 5月度定例会   笑顔のN会長さん (写真 旗を持つ人)
             平成18年5月12日(金) 42名参加 (ちょっと寒い )
             平成18年5月14日(日) 41名参加 (予報がはずれて  不要)  

顧問の先生がご準備くださいました分厚い資料と丁寧な説明をいただきながら身近な場所にありながら初めての新しい発見に下町情緒が残る街「門前仲町」及び豊かな四季を身近に感じる街
「清澄白河」を訪ねる旅に参加をいたしました。
門前仲町 は富岡八幡宮の別当永代寺の門前町として起こり発展、名前も昔は深川永代寺門前仲町と呼ばれていたそうです。
清澄(きよすみ) はこの一帯を開拓した人に 清住弥兵衛 という人がいて、そこから清住町という名前を経て清澄町となりました。
白河は、この地の霊巌寺を菩提寺とする松平定信が東北の白河藩主であったことに由来すると伺いました。
 (ご紹介の写真の一部はHPからお借りしましたので申し添えさせていただきます。)

       「行   程」 
集合場所及び日時 東京メトロ門前仲町駅   5月14日(日) 10:00
       
富岡八幡宮  永代寺  深川不動尊  
   
                八幡橋  冬木弁天堂 
       
採荼庵跡(さいとあんあと)  芭蕉の門人であり、知る人ぞ知るの仲でもあった杉山(鯉屋)杉風 の別邸で、芭蕉もこの庵を訪れもし、元禄2年(1689年)
「奥の細道」の旅はここから出で、隅田川を船で遡り千住の宿から始まったと言われているそうです。

               ↓
深川江戸資料記念館  
江東区立の資料館に入って先ず、驚くのは屋根の上に寝ころんだ大き真っ黒な猫が声を発して迎えてくれたことです。

これも昔の風情の一こまです。
総合展示室には江戸後期の頃の深川佐賀町の街並みが実物大に再現され、土蔵造りの大店八百屋・船宿・水茶屋・船着場などがあり、これらの内部の畳、建具や生活用具などが、当時使われていた
ものと殆ど同じ状態に再現されています。

        
 成等寺   霊巌寺    干鰯場跡 

        
(昼 食) 深川めし 割烹「みやこ」    
かつて深川では江戸前のアサリがふんだんに獲れ、漁師達はそのアサリの身をネギや油揚げと一緒に味噌でサッと煮て炊きたての丼飯にかけて食べた。
これが市中に普及し、酒で味付けしたり、大根を加えたりして家庭の味に育てていったと言われています。

今の多くは、炊き込みご飯で、本来の「ぶっかけ飯」ではない。
「みやこ」の調理方法は、昆布だしに塩、醤油、酒、味醂を加えて、アサリ・ネギ・油揚げを2~3分煮て、煮汁でご飯を炊き、具を混ぜてワッパに盛りつけると言う。
JR千葉駅東口「どん亭」での深川飯は 「ぶっかけ飯」(460円)の紹介あり。 
お近くの方は一度懐かしさを味わってみては如何でしょうか。
       ↓
芭蕉記念館
    記念館前の句碑   

芭蕉(写真 芭蕉像)の業績を記念するため新大橋清洲橋 (写真) が望める隅田川のほとりに昭和56年に建てられました。

記念館までの路沿いには沢山の 句(写真)が紹介されていました。 

コメント (8)
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門前仲町の旅 その 2

2006年05月25日 23時11分19秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

芭蕉庵史跡展望庭園   芭蕉稲荷   正木稲荷 
       
万年橋  寛永年間(1630年)に初めて架けられました。
この橋から富士山の眺めは素晴らしかったので 広重(江戸百景)・北斎(富嶽三十六景)に描かれています。
現在の橋は昭和5年に架けられました。
      
清澄庭園 
明治中期の造園。江戸後期から久世大和守の下屋敷から三菱岩崎家別邸。
広大な池を囲んで、大小島々の配置の景観が美しく、都内随一といわれる名石奇石に恵まれた四季を通じて眺望の良い庭園の一部をご紹介します。
中の島への周遊路   松島と雪見灯篭    磯渡り   大磯渡り 

       
本誓寺    法乗院(深川えんま堂)      門前仲町 16:00 解 散
自宅をスタートしてから、万歩計は17,000歩を刻んでおりました。
今まで途中下車する事もなく都心への通過点として見過ごしておりましたが、この度の参加によって貴重な多くの事柄に触れた感激の一日を過ごすことが出来ました。
役員の皆様「素敵な散策の旅」を有り難うございました。       

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フィリピン慰霊巡拝レイテ班 富山県の旅

2006年05月21日 23時28分18秒 | レイテ班の旅

                 平成18年5月10日(水)~11日(木)小
            くすりの広貫堂及び立山博物館見学と立山・黒部アルペンルートの旅

平成12年(2000年)フィリピン慰霊友好親善事業訪問団、全国125名の内、セブ島、レイテ島慰霊巡拝16名の遺児達は 「慰霊巡拝レイテ班」 として
年1回の旅行を楽しみ、友情の絆を深め
ております。
18年度は富山県の竹腰さんが初めてお一人での幹事役にご苦労を察しながらも富山のご案内を頂けますことに皆さんが一番楽しみにしておりました再会でした。
 富山駅 (写真)   集合 12時  
それは竹腰さんが長年ガイドのプロとしてお仕事をされ、定年後も会社から懇願され現役のガイドさんのご案内をいただけることでした。 
 
立山の雄々しく、美しさゆえに、神の山として崇めてきたことから多くの歌が詠まれ名ガイドさんからたくさんの歌のご披露がありました。
しかし、なかなか が間に合わず、歌と懇親会の折りの素晴らしいご挨拶のお言葉を届けていただきましたので歌で綴る旅日記をご覧いただければ幸いに存じます。
 
先ず、 くすりの廣貫堂見学    参加者15名の皆さん
皆さん良くご存知の 葛根湯   は廣貫堂がつくったこだわりの逸品と説明あり。
 
立山あるぺん村(小休憩)→ 立山博物館見学  立山信仰の拠点、
芦峅寺(あしくらじ)にあり、立山曼陀羅や自然・歴史・文化が楽しみながら体験できます。
信仰の立山を巨大スライドで紹介していただきました。
市内観光後 → 立山国際ホテルへ  三角形の形をしたおしゃれなホテル
自宅を6時にスタートしてから丁度12時間後の午後6時懇親会開始。   
一年ぶりの再会に美味しい郷土料理に舌鼓をうちお話に花が咲き2時間半の予定もあっという間に。 
この時、幹事さんから一言ご挨拶とのお話に皆が耳を傾けた瞬間、昼間のお疲れもみせずに、詩吟歴10年 準師範をお持ちの素敵なご挨拶が始まりました。

           相撲甚句調 別 れ 唄    
       
       観光旅行も今日(こんにち)限りに ヨー
       ハァ ーーー
       会長さんや幹事さん       
       フィリピン慰霊訪問団の皆様 ヨー       
       いろいろ御世話になりました アー       
        お名残惜しいは候えど       
       明日はお別れせにゃならぬ ー      
       お別れしましたその後は      
       お家繁盛街繁盛       
       流行(はやり)風邪などかからぬ ヨー
       かげからお祈りい たします
        至らぬ私であったれど
        これより我が家へ帰りまして
       今度会うまで勉強して
        又のご縁があったなら
        再びお会いをいたしましょう       
        靖国に眠る英霊の皆様と      
        遺児の皆様に栄えあれ       
        どうかひとえに ヨーホホイ       
        ハァ ーーー       
        願います ヨー

       一本〆で参ります      
       ヨーイ ポン 
 
皆さんが惜しみない大きな   を贈りました。
 
 
2日目  5月11日(木)いよいよ竹腰さんの名ガイドさんの説明によります「雪の大谷」へ
 
立山黒部アルペンルートは、北アルプス立山連峰を貫き、富山市と長野県信濃大町を結ぶ山岳観光ルートとして昭和46年に全線が開通したそうです。
おもなみどころとして
 ●標高2,000mに広がる弥陀ヶ原大高原。
 ●標高2,450mの室堂
 ●3,000m級の山々が連なる立山連峰。
 ●黒部ダム
などがあげられる。
立山は、古くから信仰の山として数々の伝説が伝えられていると説明あり。
 昭和天皇のお歌
   御製の歌碑  は昭和33年の「とやま国体」のためご来県を記念して建てられました。  
     立山の空にそびゆる大しさに(雄々しさに)並えとぞ思う御代の姿も
   皇太子様の頃、軍隊の慰問に来県され小矢部から東方にそびえる立山を詠まれました。
越中国司であった 大伴家持 が立山を讃える歌を数首詠んでおります。
   たち山にふりおける雪を常夏にみれどもあかず神からならし
   平野から遙かに、万年雪をいただいた立山連峰を望み、その姿の神々しさに打たれ、
   よろず代のかたらい草といまだ見ぬ人にも告げむ
桂台は、観光バスによる立山黒部アルペンルートの入り口です。
この辺りは山の残雪と桜の調和美も美しいところです。
桜を詠んだ代表的な歌として知られているのは 
   世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
この歌は 在原業平の歌 ですが奈良朝のお花見の華やかさが伺われます
親鸞聖人の歌 に
   明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐のふかぬものかわ
   今日の事は、出来るなら今日のうちにかたづけましょうと言う戒めの言葉。
本居宣長の歌
   敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花
   ヤマザクラは日本に自生する11種のサクラの代表種。
   ソメイヨシノが普及する江戸末期以前は花見の対象とされました。
句 碑
   この時期は雪の下に陰を潜めて見えませんがご紹介をさせていただきます。
   尚、句碑及び称名滝は観光協会提供の写真を使用させていただきました。
   ●アルペンルート滝見台句碑 
     滝を落とし全山木の葉をおとしおわり
この句碑は、 荻原井泉水 (連山句の大家) が昭和37年に、弥陀ヶ原を訪れた時の句で、紅葉のあとの静かな山の風景を詠んでいます。
   ●称名滝飛竜橋畔歌碑 
     初雪の高根を裂きてみ空よりもみぢの中に落つる大滝
川合玉堂 (昭和11年の歌) 作品には日本人の心の奥に潜む細やかな情感が巧みに表現されており、
多くの人々に深い共感と安らぎを与えています。
昭和15年には文化勲章を受賞しております。

   ●称名滝滝見台園地 
     青雲にわく滝青き霧へ落とつ
水原秋桜子 (俳人・医学博士)昭和32年の作品。 
晩年はプロ野球を熱心に観戦するようになり、ナイターを詠んだ句も残しています。
 
滝見台は落差日本一(350m)の 称名滝   が見えるところです。
 
鍬崎山の埋蔵金(黄金伝説)
 立山連峰からはなれて平野寄りに2,090mの角錐形の山、その昔、富山城主佐々成政が富山城落城を覚悟し、幾百万両もの軍用金を七×七=49の壺に入れて、ひそかに鍬崎山に埋めたと伝えられています。
  朝日さす夕日輝く鍬崎に七つ結び七つ結び黄金一杯光輝く
 
天狗平 標高2,350m 加賀の白山が見えたら
  消えはつる時しなければ越路なる白山の名は雪にぞありける
1,200年前 泰澄大師の歌    
竹腰さんの  ガイドによる歌を披露しながらの素晴らしい説明に初めて見る小雨降る
「雪の大谷」 でしたが感激もひとしおでした。 
   

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初めて見る「雪の壁」に感激!

2006年05月20日 23時45分53秒 | レイテ班の旅

「雪の大谷」を散策して
降る中、風紋・氷河氷 等の説明を受けながら、標高 2,390m、気温 9度、積雪18mの「雪の壁」  を見上げました。(写真は立山積雪研究会提供からいただききました)
今年は豪雪により「白い壁」は最高19mあったそうですが今は1mとけて18mになったそうです。
もう1枚 「雪の壁越しに望む奥大日岳」  を拝借させていただきました。
立山有料道路の終点の 「室堂」 
目の前に雄山、浄土山、別山の立山三山がそびえる室堂平は立山黒部アルペンルート観光の中心地であり、立山登山の基点として多くの人々でいつも賑わっています。
おもなみどころ 「みくりが池」 北アルプスで最も美しいといわれる山上湖で周囲412mですが今は見渡す限り白一面の景色です。 
日本最高所の温泉がある「みくりが池温泉」の標識  
 
日本最古の山小屋がある 「室堂山荘」の標識   
次回は是非宿泊してみたいところです。

「雪の大谷」「室堂」に名残惜しくも「時間です」のお声に重い腰を上げ、室堂 ~ 立山トンネルトローリバス(10分) → 大観峰 ~ 立山ロープウェイ(7分) → 黒部平 ~ 黒部ケーブルカー(5分) → 黒部湖へ。
折角撮った「黒部ダム」(写真)  の文字がはっきりしませんが
  
この間の素敵な遊覧も残念ながら霧と雪の白一色の自然観察の旅でした。
幸いにも遅い昼食頃には小もあがり、大自然の中になだらかな美しいアーチを描く黒部ダムをゆっくり見学する事が出来ました。
その建設は世紀の大事業として語り継がれ、中でも破砕帯との格闘は石原裕次郎の映画 「黒部の太陽」 に描かれたことでも有名です。

毎年6/26~10/15までの期間中、水煙をあげながらもの凄い勢いで水が放出され、この迫力ある放水に、観光に訪れた誰もが感動を覚え、言葉を失う程と伺いましたが、説明のエメラルドグリーンの湖水も見ることが出来なく次回のお楽しみになりました。

最後の見学も終え 関電トンネルトローリバス乗車 → 扇沢 ~ (タクシー) → 信濃大町駅にて 解 散。

お互いに涙した6年前の慰霊の旅に想いをいたします時、今このように健康に恵まれ、笑顔の再会ができます幸せと友情の絆を大切にしたいと思います。
幹事役と名ガイド役の一人二役を努められました富山県の 竹腰様 2日間、本当に有り難うございました。
そしてお疲れさまでした。
来年、福井県での再会をお約束して名残は尽きぬ楽しい旅でした。   

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