独り居の充実ライフを求めて!

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残念!恩師逝く “最後のお年賀状”

2005年12月08日 13時09分06秒 | 恩師・同窓会関係

      
       平戸 眞氏(元千葉大学教授、教育学部美術科、彫刻家)
       12月5日午前0時20分、肺気腫のため千葉市内の病院で死去、75歳。新聞の「お悔やみ」欄に  致しました。
先生との思い出に先ず、毎年、塔を彫刻された大切なお年賀状を懐かしく拝見させて頂きました。
最後に頂きましたお言葉  はがきの表面に少し震えた文字で 「お元気ですか?あまり喋れませんがおでかけください」
添えて戴きましたが残念ながらお伺いすることができませんでした。
先生には花園中学校2年生担任としてご指導をいただきました。   
彫刻会の先陣に立ってたくさんのご指導をされていらっしゃる恩師のお姿に尊敬申し上げておりました。    
先生の「作品がだんだん小さくなるよ」のお言葉に展覧会の折々にも一抹の寂しさを覚えておりました。 
お通夜の会場には沢山の作品とお元気な頃の制作中の先生のお姿がありました。
当時の教頭先生(90歳余)を初め懐かしい恩師の先生方5名、連絡がとれました同級生 男女10名の友人達とお別れを致しました。
90歳を過ぎて尚、益々お元気な当時の教頭先生から「君たちの友情の絆は素晴らしい!平戸さんが喜んでいるよ」
のお言葉にお伺いできなかった後悔の気持ちが少し和らぎ、
先生との最後のお別れをいたしました。 合掌

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最後のいてふ会

2005年12月08日 12時53分07秒 | 恩師・同窓会関係

この会は千葉大学教育学部美術科出身者の皆さんの彫刻を中心とした作品展と聞いておりますが毎年8月下旬の暑~い一日、先生の招待状を無駄にすることなく
毎年千葉県立美術館に足を運び、その後の暑気払いに友情の絆を深めておりましたが先生の作品を拝見する最後の展覧会となりました。

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錦秋の鎌倉を行く 

2005年12月04日 01時33分19秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                高徳院 鎌倉大仏(国宝) (自慢?の一枚です)
       千葉実年大学校 歴史倶楽部  平成17年11月度 定例会

  実施日 第1回 11月27日(日)  参加者 38名
      第2回 11月30日(水)  参加者 44名
私は2回目に参加しましたが両日共に天候に恵まれ、顧問の先生が準備して下さいました15頁にわたる貴重な資料を事前にいただき又、当日の丁寧な説明に新たな発見に感激したり、驚いたり、
中でも大仏裏手の 観月堂 は新たな発見でした。
「鎌倉に大仏あり」と何回も訪ねておりましたのに大きな大仏様に隠れて(?)今まで知るよしもありませんでしたが参加者の殆どの皆さんも 観月堂 については興味深く聞き入っていたように
思いました。
顧問の先生を初め、役員の皆様のおかげで楽しく充実した一日を過ごすことが出来ましたので写真で辿ってみました。

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江ノ電沿線の散策

2005年12月04日 01時18分27秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

江ノ電極楽寺駅
   ↓
先ず 極楽寺 参拝
鎌倉唯一の真言律宗寺。
境内に、開山の忍性が寺域の施薬院や治療院や療養院で使用した薬鉢と茶臼、八重一重を1本の木が咲き分けるという山桜、奥の院に忍性を祀る安山岩製3.55mの五輪塔がある。
この塔は各部の均整が巧みにとられ安定感に富んだ屈指の名作といわれるが、灌仏会の日(4月8日)以外は公開されない。
極楽寺山門    
     薬鉢と茶臼    
          忍性のお墓  

転法輪殿(法仏殿)に安置される本尊の木造釈迦如来像(鎌倉時代)は、世に清涼寺式釈迦像といわれますと特別に開放していただきご住職の奥様に説明をいただいた。
成就院 
 

真言宗。普明山法立寺成就院。
三代執権北条泰時が弘法大師修行地跡に建立。


門前の石段から見える由比ヶ浜の眺めが素晴らしい!
    
星月の井
星月の井。鎌倉十井の1.往時、この辺りは老樹鬱蒼と茂り、昼なお暗く星月ヶ谷と呼ばれ、この井戸も星月夜の井戸といわれたが、井戸には昼間でも星影が映っていたという伝説や、
上の虚空蔵堂に纏わる伝説を生じた。
明治初期まで、コップ一杯1,2銭で旅人に売ったという。
海辺の町である鎌倉は潮混じりの湧き水が多く、質の良い湧き水は貴重であったそうです。   

御霊神社  鎌倉権五郎が祀られている


(昼食)蕎麦処 以志橋 “鎌倉丼セット”
     
長谷寺 
海光山慈照院長谷寺。
観音堂に安置される本尊十一面観音立像は、木造の仏像としては日本最大とされる。
境内の庭園の紅葉が素晴らしい! 
境内の眺望散策路  
少しばかり石段を登りますと眼下に由比ヶ浜を見下ろす事が出来ました。
時季には紫陽花が咲き誇るそうです    
 光則寺
 
行時山光則寺。日蓮宗。もと妙本寺末。
開山 日朗、開基 宿谷光則。宿谷光則は北条時頼に仕えて寺社職を勤めており、日蓮の龍の口の法難の際、日蓮の高弟日朗を預かり自邸の土牢にこれを幽閉した。
しかし監視役の光則は次第に日蓮宗に傾倒してゆき、ついには帰依して自邸を改築して光則寺を創建し、預かりの日朗を開山に迎えるに到った。
境内奥の山腹に、今もその時の土牢が残る。
       
この土牢には、佐渡に流される前の一時期日蓮も閉じ込められていたと言われている。
このお寺は、四季折々に咲く花の寺としても名高く、鎌倉花の寺は、東の瑞泉寺、西の光則寺と言われるそうです。
高徳院鎌倉大仏(国宝)
鎌倉大仏は、建久6(1195)年、源頼朝が東大寺の再建供養に出向き、奈良大仏に対して鎌倉大仏の建立を思い立ったが、それを実現出来ないままこの世を去り、
侍女の稲多野局がその意志を継いで尽力し、僧淨光が諸国を勧進、寛元元(1243)年に完成したと言われる。
観月堂 
 
大仏裏手の観月堂は、かって朝鮮に君臨した李王朝の月宮殿を移築したものとされ、中世の建築資料として貴重な世界的に珍しい建物であり堂内の
聖観音像は徳川秀忠の所蔵であったといい、鎌倉33所観音霊場の第23番札所本尊でもある。
与謝野晶子の歌碑

観月堂の脇には歌人・与謝野晶子が大仏の魅力を詠んだ素敵な文字の歌碑がありました。
  かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼(しゃかむに)は美男におわす夏木立かな
鎌倉文学館
 鎌倉は寺社が多く、参禅のため宿院する文学者が絶えなく、雑誌「文学界」の指導者であった星野天知の笹目荘があったことから、多くの文学者が出入りし、
更に明治22年に横須賀線が開通したこともあって文士の居住、滞在、来遊が急激に増加した。このようなことから鎌倉は文学に関わりの深い町とされたそうです。
  
館内にはこれら鎌倉文士たちの著書や原稿、愛用品などが展示されている。
常設展示室では鎌倉文士全体の説明に始まって明治大正文学と文学者、古典文学と鎌倉、昭和文学と文学者の4つの常設展示がされている。
    ↓
江ノ電由比ヶ浜駅
    ↓
JR 鎌倉駅 16時 解散 
参加者44名の皆さんが顧問の先生の熱心な説明と役員の皆さんに感謝を申し上げながら、鳩サ ブレーをお土産に購入し、錦秋の鎌倉を後にしました。
因みに本日の
  通常歩行の歩数 13,894 歩
   しっかり歩数  3,198 歩 でした。

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