枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然現象・長月・大潮

2023年10月31日 | Weblog
 毎夜、宙を観ていると僅かな異変に気付くことがある。怪我や事故もだが、命を終える事象にも出遭うもの。それを告げて信じられぬ者には、言葉を掛けない。態度が鼻で笑うという行為になり聞き入れないからで、受け入れての覚悟がないのも明白。一般的なことだと自負してい、強制しない心でもいるわ。

 テレビを一切観ないし、あるが儘に与えて貰える歓びとしてなら訓えて貰える。自らの力に目覚め、甘んじて逝くことを覚悟しなければ視えても来ない。今を大切に、生きてのことには辛さも苦しさも伴うもの。それを汚れたように想え厭だとして言葉を発してしまうと、周期を得て還る。言葉に魂籠る意味。

 今朝、腰の調子に気づくことがあり枇杷葉を貼る。疑心暗鬼で居るよりは、先ずは枇杷葉と心得てなのも援けて貰える有難さ。危険を察知するセンサーが、体内に組み込まれているのか?避けるようにと指示を受ける。自らを納得し、旧暦の清貧の暮らしと努めよう。禍を転じて福と為すの諺も、感謝に與る。

 白昼夢という現象なのかは不明だが、瞳の向こうに視えてくる鮮明な映像と真実である確かだ。それを冷ややかに眺める我も居て、当事者に告げる気は毛頭ないのも疑いが多大過ぎるから。意思の疎通は元より、疑念の塊が判るのも離れていく要因なのよ。願うより、祈りと感謝に尽きると気づけない哀れさ。
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物事の定義にも・大潮

2023年10月30日 | Weblog
 人間は、生身の肉体に魂を宿した生物。産まれたら死んで逝くのは明らかだが、その年月や状態も各々異なる。短いか長くも、決まっていて変えられぬ。中国の噺に、南斗は生を司る神で北斗は死を司るとされる南斗六星。子どもの運気が十九歳と知り、二人の仙人をご馳走でもてなし南斗仙人に九十歳にして貰えたと云う。

 自らの生き方に於いて、他人の真似やら同じようにと願えば代わりの物を出さねばならない。それに気づいて清貧の暮らしをしていれば、鬼の撹乱も起きないとも。誰かのようには無理が生じるのは必須、その埋め合わせは願う内容への代償で返って来る。未来を暗示する現象に、愛する者は逝かせたくないのも心情に納得。

 生者と死者の数は、決まっているのもあり運気の代えを求められる。個人的に、エンジェルナンバーや弥勒の数字に遭遇するのは、宇宙からの啓告。従って、代えていくには多大なエネルギーを要するのも確かだ。宇宙からの声が聴こえてにも、有り得ないと云われる向きもあろうか。疑いの心である限り、意思の疎通は否。

 すばるの居場所に、林檎箱や梨の容れ物と点在している。出窓には、霜に合ったら枯れる植物を置いたのでPCの部屋に移動させ机と床へ。飼い主の就寝部屋に、朝早くから陽が射す為設置している。時々寒さに抱っこと右手で胸を叩いて懇願し、膝に上がるのはおねだりする時。今朝もご飯を喰わせろと、満腹まで下りず。

 昨夜の月を眺めると晴れ渡ってのことに、早朝は結露があり冷え込んだ。今は20℃だが13℃に重ね着、庭の徘徊時には温かくなり1時間程度を作業に没頭していた。枇杷苗が未だ10本程度あり、成長過程のも十数本。枇杷葉の苞が綻んだら、剪定を強に刈り込まなければ翌年の作業が思いやられる。何事も、程々が宜しい。
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長月・望・大潮

2023年10月29日 | Weblog
 秋の天気は移り気だと云うが、雷雨に見舞われることや雹が降ることも珍しくない。冬支度の前に、天気が続くと霜降辺りには晴天の霹靂が間々ある。暦を見ていれば自然現象の一つなのだが、備えがないと被害は甚大。二十四節気や七十二候、或いは雑記の訪れを知っておきたく思えるのは齢よりの冷や水か。

 今朝も庭の徘徊時に、枇杷葉の枯れた葉や虫食いを落として周る。気温は過ごし易く19℃とありがたいし、先日の雷雨で枇杷苗定植となり青々とした葉に眼を向けた。日々の繰り返される日常をあれもこれもと願わず、与えられたことに感謝であれば運気は好転し覇気も満ちるとも。出会いは別れと云うが哀切。

 月が満月になり、次第に欠けていく様は農事を行う上で重要なことが多いからだ。日本の伝統やしきたりも、各地に因って異なるものの収穫を祈り邪気を祓う風習が根本だ。10月は作物の出来不出来が大きくて、農事に携わるには覚悟も必要と宙を観上げる。個人の考え方は自由だが、作る心意気で差が出るわ。

 天気不安定に時雨るが、枇杷苗はすくすくと育ちゆくのがうれしい。土も草や枯れ枝・葉を積み上げており、程よく堆肥に換っていく。ミミズが媒体してくれるにも自然の叡智を授かってと、話し語らう一時が有難い。天・宇宙からの恩恵は、欲張れば大事な物が流れ落ちて必要でないもので溢れ事態急変する。 
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枇杷葉の繋がり・大潮

2023年10月28日 | Weblog
 今年の枇杷苗は、自然発芽が50本からになり行く先を案じていた。フェンスの囲いにしようと、地植えやプランター栽培へと移す。先程訪問者があり、地元の方と知れて苗が貰えないかと話すのに数本を渡す。以前から、気になっていたとのことで葡萄農家さんでもある。今年の袋掛けに、驚いたと真剣な様子だ。

 一度に沢山も困るだろうと、少な目にしたが上手く着いてと大潮の満月までを云う。近所の方なのと、農事を知ってなのも話し易く納得してくれた。運気の上昇もみられたので、枇杷葉の種類や育て方に効能を伝授しておく。人嫌いでもあるので覇気や波動が合わないと、即お帰りをして貰うが感じなかったのも。

 水も、井戸水があるようで枇杷葉茶も煎じてだろう。採取の時期も伝えて、剪定する時には分けてあげる心心算にした。無農薬での栽培なので、安心・安全を強調しておいたが来させてとの申し出に落ち着く。枇杷苗や茶葉も苗木店にあるし店頭販売だが、農薬は避けられない。現状を見ての判断なので得心です。

 自然を敬い畏怖し、感謝と祈りの日々を送れることへの有難さ。この外には何もなく、弥勒菩薩の指す浄土へ逝けることも歓ばしい。今朝の気温の低さに、セーターを着ているが20℃に上着を脱いだ。枇杷葉茶のお陰で、足元は冷えが少なく就寝時もぐっすりと眠れ目覚めも快適。あるが侭にと祈れば感謝に尽き。

 旧暦の暮らしには暦は欠かせず、月との関係も大きく潮の満干潮は外せない。そういう何気ない事象を無視ていると、異変には気づかないで大慌てに陥るのを不平不満で言い募る。命あるものは、人間だけではありません。成り立つ事象に関心を持ち、解いていけることには件のパズルよりも難しさが伴うのです。
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十三夜・長月・中潮・三隣亡

2023年10月27日 | Weblog
 朝には快晴であった空が、昼近くになり雲に覆われ始めた。図書館に返却本を持って行き、古書の市へと向かう。さて、今年の収穫と回っていたら阿川弘之・七十の手習いとうちのにゃんこは世界一を。記念品の来年のカレンダーも貰え、有難く帰宅。庭の徘徊を終え、更新中だが雲行き怪しくなり雷鳴轟き渡る。
 
 予感的中で、布団を早めに仕舞っていて安堵の思い。昨夜、入浴に行きかけて急停止した為肩を打つ。風呂だという安心感ゆえに、パスポート?を申請してないからか。今朝には、枇杷葉の湿布を施しているので痛みもなく動きも良い。治療方法は各々異なるが、年金暮らしでは医者に罹れない現状もあるのです。

 郵便局で支払いをしようとしたら、手数料を請求され思わず問い返すが通帳からなら要らないと言う。仕方なく、隣のコンビニに行き済ませる事態。年寄りにやさしい社会とは程遠く、何処が便利で簡単なのかが分かりません。現金を持ち歩かなくても、その裏の情報漏れが気になるのはわたくしだけかしらん??

 まるで通りゃんせの歌のようで、背筋が凍る。行きはよいよいだが、実態を知らせずの無理矢理には次々と綻びが生じて再生利かずに等しく暗雲たる想い。観葉植物は既に室内へ避難させているが、他の青々とした植物をどうしよう。出窓は既に置き場がなく、パソコンの部屋にはすばるの危険極まりなくは明確。

 旧暦での冬の季節になったら、枇杷葉の生葉を採って焼酎に漬ける予定でいる。寒中に行うのが最適なのだが、いざと云う時に常備していないと困る。花粉症・風邪の予防に腰痛や火傷と、活用用途は広く多い。肋骨の痛みもだが、3ヶ月罹る症状に早めの治りである。稀に拒否反応の方もおいでのようでもある。
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快晴に水遣り

2023年10月26日 | Weblog
 今朝も晴れて、草木への水遣りが怠れない。洗濯物や布団は乾きも良く、ふかふかの状態になる為日常的。夜間には、宙が観たいのだが曇りなのも如何ともし難い。まあ自然現象には抗えずなのも、それなりの想いで過ごす。リエさんの主要目的に付き合うが、大いなる得た事柄と未知なる世界への歓喜を捉えて止まず。

 昨日は、足湯に娘さんが来る予定を立てており鮨を注文していた。一年に一度の贅沢であるが、旨かったのは言うまでもなく。自分での酢飯は、柔らかいとも知り今後の課題にしよう。ブロ友さんの中に、お弁当を作り掲載しての方がいて参考になるのも有難い。わざに買いにまで行かず、ある物の工夫には持って来い。

 ハンセン病の施設は、全国に点在しているが沖縄の壮絶且つ悲惨には言葉を失う。それを話すリエさん、背筋が凍りつき悪寒がしたと言う。エンジェルナンバーの示す役目への誘いには、一人ひとりが其々に異なる意味を持つ。わたくしには、霊魂を身体に取り込み浄化させる使命とも知る。白龍や鳳凰の羽搏きを視せて。

 その現象は、見たいと思うのではなく視える。他の人が幾ら天空を見あげても、瞳に写らず意味もない。長い間の懸念も融け、悲嘆の想いで過ごしていた事例も清らかに解き放たれた。この日の為に生かされても知り得、近づいて逝けるのを歓ぶ。繰り返される369の数字、彷徨い続けた日々への終止符が打てる日が迫る。

 リエさんからのお土産に、手児奈餅を所望していたら和菓子屋・ちもとを戴く。枇杷葉茶も毎日煎じて持参、珈琲の用意もでき歓んで貰えた。方向音痴も、最近は携帯のナビで行けるのに吃驚。リエさんの所まで行くのは未定だが、この時期がお互いに良さそうと話した。息子さんの婚礼に?さて何時のことだろう愉しみ。 
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書籍の愉しみ

2023年10月25日 | Weblog
 田舎の僻地であるが故に、読み物は無いに等しかった子どもの時代。兄の買って貰う小学館の付録付き雑誌は、楽しみで何度も繰り返して読んでいた。昼間には手伝い等あり、然も兄の管理なので貸してくれないから風呂焚きをしながらである。蝙蝠の飛び交う時間に陽は落ち、焚火の明りしかない状況だった。

 浜田廣介の泣いた赤鬼に、悪いことをしたりや裏切りの代償を知った。祖母のお伽噺に耳を傾けたのは、かぐや姫や鉢かつぎ・一寸法師・桃太郎・金太郎等心は踊る思いで聴いた。中学生の時に図書室で中学時代掲載・子守りロボット、衝撃を受けた。以来アシモフ系に、手塚治虫は無論だがSFにのめり込んだ。

 海外の作品群は何れもSFで、未来科学の面白さや進歩著しい物語に魅了された。学校時代の理科や物理・化学にはとんとついていけなかったが、理屈を超えた愉しさも。創作の初めは、岩崎書店への熱烈な手紙がきっかけで、当時の編集者からの往信。まさかの福島賞で、選考委員の光瀬龍師に選評を貰え狂喜。

 地元の同人誌にも参加していたが、手ぬるい内容に辞めた。新聞紙上での選評も、テレビに出たりもしたが違和感が強くそれだけでは暮らせない現状。今は拙ブログでの投稿にしているのは、時間の調整に気持ちが添うから有難い。雨余屈折の時間も大切だと、この年齢になってしみじみと感じるのは悠久の刻。

 人生には、あらゆる次元の織り成す光と闇がありそれらが心身へ影響する。雨が降る日も、風の吹くことや雪に嵐と起きる。その中での自分のありようを、見つめられる時に初めて己を知るのだと漸くに悟次第。他人と比べるのも、羨み嘆くにも多々あろうが命を粗末にはしたくない。それが判り、逝けるのだわ。
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霜降・長月・長潮

2023年10月24日 | Weblog
 二十四節気 霜降 陰気深くなり、露は霜と化して、草木の葉は黄変する意味で、霜降と云う。毎年、十月二十二日頃である。今夏の灼熱の暑さに時候の移ろい少なくも、眺めて観れば変わる自然の景色。午前中、燃料補給とAさん地にお水を分けて貰いに寄る。沿道の草木も、薄が風に揺れ桜もちらほらと観えた。

 木通が、熟れて来ていてその殆どを採った。自宅の壁の側に絡ませてのが熟れていて、色つきが違うのに気づいた。もしかしたら?白かもしれないと、2個をAさんに持って行く。皮が茶色にならない為、見落とす処だった。今年は、50個近く生り我が家での消費は5個程度に満足。リエさんも歓んで食べてくれた。

 昨日の旧閑谷学校までは、自宅から近いこともあり現地での有意義な時間にリエさん感激で。研修施設も新しく、わが子達は来ているが何十年ぶりだろう。当時の建物は資料館になり、丁寧に見て回るリエさんに付き合うが論語は既に忘却の彼方。天皇家との縁も深く、昭和・平成・令和のお写真が掲載されている。

 この日の気温は秋日和で、北を背に真っ青な空が講堂を押し出すかのように映える。南には雲が浮いているものの、そこから動かず一昨日に続く不可思議な事態とも。昼を少し回って駐車場を出て帰宅し昼食はピザ風にパンを作り、サラダを添えた。土産には白枇杷の苗と、木通を持つリエさんを最寄り駅まで送る。

 すばるが鳴きながら出現し、飼い主だけなのを確認し甘えるのもおかしい。一切姿を見せずであり、愛想なし。お土産まで貰っているのに、薄情過ぎる。日溜りに寛ぎながら、毛繕いをしているのに初対面者は懐かない性格と知る。足湯の娘さんへも最近、姿を見せるというへんこつなのは飼い主に似た処が大きい。

 夜間は、砂の器を観ながら転寝していた。その後、午前1時過ぎに外に出れば満天の星。流れ星も観えて暫し佇み、就寝した。
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鳳凰舞い、白龍とぐろを巻く宙

2023年10月23日 | Weblog
 リエさんが最寄りの駅に着いたとの連絡、少し待たせての到着で出発。行き先まで40分のナビで進み、迷子になりそうだったが辿り着いた真上の宙に巨大な鳳凰が観えた。館内をゆっくり見学し外の納骨堂に向かう為、持参の弁当を手にのんびりと坂道を上がる。瀬戸内海の海がこんなに穏やかであるとは新発見。

 ベンチがあったのに弁当を広げ、リエさんと海を眺めながら話は弾み気持ちの高まりを抑えられない。小1時間程度、早起きして作った自作の弁当を食べて貰い駐車場へと。次の場所までの移動に歩いて行きかけたが、距離があると車に戻る。隔離の酷さとも感じる島内での遠さに、胸が締め付けられる想いにも。

 リエさんは、この地を訪れる日を祈願していたそうで言葉の端々に想いが籠る。帰路に向いて、再度宙を観れば鳳凰の舞いに釘付けとなる。青く澄んだ宙に乱舞する数の多さにも圧倒され、寿いでくれてを感じた。前回の時には、想像だにしなかった異変だが魂の浄化をしていることに気づかされたことも大きく。

 今までとは明らかに異なる事象であり、禍々しさは一切なく清らかさを身体が感じていた。ハンセン病への様々な偏見と差別に、此処に生きての悲嘆な想いはなく感謝の念さえ受けた。その瞬間に自らを恥じ、生かされてのことを詫びる気持ちが生じた。何という愚かしさで今までを生きていたのか、赦しを乞う。

 オリオン座流星群極大。Pm10時台には数個で、その後は曇りと2時間程度室内に居り玄関を出て見たら30個確認。輻射点がオリオン座だがあちこちから飛び出すのを、リエさんと声を弾ませて観る。我が家に宿泊してのイベントも、自然からの最大級贈り物。エチオピア王家の位置と、木星の輝きも充分堪能。
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オリオン座流星群極大・上弦・小潮・長月

2023年10月22日 | Weblog
 今朝も快晴であり、今晩への期待に祈る思い。気温は9℃と低く、今年初の結露ができているのを拭く。昨日土産にと持参の木通は、初めて口にした方もいたようで歓んで貰えた。秋日和の暖かで穏やかな季節を堪能でき、時の経つのも忘れた。その中に、懐かしい顔に出会え言葉を交わせば県内と知れた。

 今朝は、お弁当を作り砂の器の島まで行く。リエさんとは最寄りの駅まで来て貰って、そこから現地へと向かう。最近は携帯でナビが可能とか、我が家からは距離もあり心許ないが安全運転で。お弁当を二人分用意、容器に詰める。枇杷葉茶と珈琲も持ち、出かけよう。訪問が出来ないのは心残り、帰宅後。
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