枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

薄日差す・若潮

2021年11月30日 | Weblog
 旧歴の神無月も二十六日で、霜月と替わっていく。枇杷葉の苗を植えたり、花芽を採ったりの季節になって移ろう様には日本の暮らしで佳かったと思うよ。旧暦で過ごしていると、その移り変わりが実に鮮やかで華やぐ出遭いにうれしくなる。1級河川があるので下流から上流に向かうと、その山や道端の景色は見事な様。

 観光地に出かけなくても充分な命の育みに気づける、晩春・初夏にあった栴檀も、今は枯葉になり花の面影もない。合歓の花にもスピードを出して突っ切れば、至る場所にあるのも分らずで。薄ばかりが風に揺れているが、枯草の中では昆虫が静かに居て出番をじっと待っている。生き物営みには春夏秋冬は欠かせない。

 朝ブログでの訪問をしながら、書き込みを仕掛けて止めることが増えた。何だかなぁ…こういうのが詰らなく思えてしまう。フォローして貰っていても気分が添わないのは無理しないでおこう、慣れってある意味怖い。こちらが思ってもいない閲覧者も居るだろうから、誹謗中傷が起きるしで鬱陶しいのだが心は自由よ。

 仕事を辞めて何がしたかったか?枇杷葉での活用・普及である。それをブログでできればとの想いからだけで、必要とすれば差し上げればいいだけ。枇杷葉に想いを入れ込んでいるから、間違った使い方はしてほしくないし注意を促してきた。それを聴いて下さっての方は、順調に身体の変化が出ているのはうれしいね。

 今朝、ズボンがずり下がるばかりなので袈躓いた。あれれ…足が縮んだ?否ちゃうわ、ウエストが!痩せてるよ!!60㎝を切ったらあのスカートがズボンも穿ける。でかした枇杷葉茶!!!継続と根気ですな。冬にはスカートは寒いので出かけられませんが、所謂・年寄りの冷や水なので。枇杷湯での塩も効果やったぜベイビー。

 枇杷葉茶には、美白作用もあるので肌に紙魚も雀斑もなく身体には一点の曇りもありません。加えて肌は艶やかで滑るよう、ちゃんと服は着てます。冬に寒くて震えたりであった日々が懐かしいものの、懐炉装着でもポカポカと温かい。他力本願ではなく、自力で身体があったかい。あ・すばるも居心地良さそうで後に。

 昨日は更新後、トイレ掃除を決行した。雑巾に枇杷湯を数滴落としてドアの取っ手や壁も、丁寧に素早く拭きましたよ。鉢物を置いているのを移動させ、窓や床下も綺麗にして終わり。漂白剤の臭いが厭なので、床に一吹きだけ完了。兎に角枇杷葉の力を借り、アロマセラピー効果を多大に取り込み空間を磨き上げ快適。

 
 
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枇杷葉に蜜蜂が飛来

2021年11月29日 | Weblog
 今朝、明るい陽射しに目覚める。昨夜、前川喜平さんの書籍を読んでいたのもあるが寒いので横着を決め込んでいた。すばるを腕に乗せているのもあるが、要は優柔不断そのもの。暖房の湿気が流れ出すことって何だ?詰まっているのかとも思うが調べようもなく、溢れ返る排水を天日で乾かすしかない。東芝の製品だよ。

 トマトが何時までも花を咲かせるのもと、今朝は苗に声かけをして外した。何時ものようにお酢に浸けて置き、すばるの玩具にならぬようにした。その後スマホを手に庭を徘徊していたら、花芽に蜜蜂が集団で押しかけている。わあぁ!今年も遣って来たんだねぇ。西洋蜜蜂にも見えるが生態には詳しくなくて成行任せに。

 起きた時点から掃除とはいかず、小椋佳さんのCDをかける。その状態でブログの訪問をしていたら、お見通しと云うのか心を鷲掴みにされた。やっぱり気づいていらしたんだと心が揺れる。頑張れとも・元気を出せともでなく、こういう言葉もあるんだ…。うん。自分で立ち上がってみせるよきっと…時間はかかるけれど。

 仕事をしていた時には時間で動いて何時も追われていたのが、何とか自分で好きなように出来る反面ぐうたらにもなってしまう。昼間には洗濯やら庭の徘徊、お弁当の日にはお昼に間に合わせる段取りでいく。Aさんは退院されたが近くの病院まで治療に通われるので、暫くは枇杷葉での手当は遠慮することに。時々訪問を。

 一日が暇でもないが気忙しいと云うのでもない日常、そうだ今日はトイレの掃除をしておこう。何時も簡単にはしているが、年末だしなぁ。鉢物も沢山並べているから埃もしているしで、更新したら遣らなくちゃ。風呂場は枇杷湯で汚れてないし、4日が新月だからその時で好い。玄関や窓は毎日結露を拭いているしで綺麗。

 台所に贈って貰った蘭の華を置いていたが、何だか華やぎが欲しくてPCの部屋に移動する。寒いと駄目なことに気づいた。蘭の華にも色々あるそうで、その中の一つにわたくしを例えて下さった贈り主に感謝。こんなにきれいでもなく、心も違うのにと華を見つめていたがそれに似合うように努めていくことを教えられる。

 最近フォロー数が増えてしまって、訪問やらコメント・間に合っていません。時々手が・指が当たって消えてしまったりするのもあって、何だかなぁと呟くばかりです。修復の手立てを知らなくて???ばかりなのです。出来ないことを始めても仕方がないので、枇杷葉でのことだけで好いかなとも思っている今日この頃。
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親鸞聖人忌・神無月

2021年11月28日 | Weblog
 落ち込んでいる時に、元気を出せって言われるのって厭だなぁ。それができるくらいなら、その状態を回避できているし衝撃の度合いも感じないもの。自分を取り戻していく時間も膨大に要するので、簡単にはいかない。だからといって焦る必要もなくゆっくりとしかできないが、それがわたくしであるのも確かなこと。

 書き込みをしてくれての方、書けないけれど黙って支えてくれての人もある。でも正直な気持ち、これ程までに心配させていたと驚きを隠せない。どんなことにも自分自身での解決をして、誰かに頼ることもなく生きてきた。仮面を付け、まるで違う役者を演じてもいた。辛いとも哀しいのだとも感じぬ儘に愚かしく。

 相手の考えていることが判り、未来が視え聴こえる。もしかしたらあの方にも、微力ながら備わっているのだと思うことも屡々だった。心の結びつきは隠せないし拒めないこともあり、それらを枇杷葉で生かせればいいのだと信じても居た。誰かが幸せになって、歓びもうれしさも感じてくれればとの想いだけだったが。

 ここ数日、小椋佳さんのCDを最初から何度も聴いている。詩に籠められた言霊に妙に納得しつつ、その時の状況が鮮やかに浮かぶ。捉われるのか・惹かれるのかは定かでなく、心が安らぐのであればいいもの。書籍の題名に眼がいくのも、そういった感情の起伏に他ならない。直感を感情を信じる、それがわたくしだ。

 神さまは、願いはきいてはくれぬが与えてくれる。この世に自分の物はなく、その人に遭った贈り物をして下さるのだ。思い通りになるのではなく自然へと導き、己の過分を気づかせる。月に星に替わって言葉で伝えてくる。写真を観て、或いは人形に絵に魂を奪われる。誰しもに同じでなく異なりながら啓告を発する。

 狂っているのでも、変わっているとかでなくその人の個性なのです。それを認められない世界です。同じ考えであり右を向かねば排斥されます、それでも信じることを曲げねば死を覚悟するだけです。わたくしにはそういった方を見捨てることも、置き去りにも出来ません。どうか誰もが等しく救われますようにと祈る。

 もう少し時間が掛かりそうですが、充電を終えたら元のわたくしにかえります。与えて貰っている命を惜しみなくつかいましょう。それは同時にわたくしを援けて貰うことに繋がるので、心して生きましょう。あおい・青い・碧い色の中に浸かって、自分を癒してきましたから。皆さまの愛情に感謝して、ありがとうを。

 
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時雨れて・・・下弦・小潮

2021年11月27日 | Weblog
 天気なのに時雨れているのはこの季節の特徴だろう、ちょっとぐれそうなわたくし。今充電中なので、何も考えつかないというのも大きい。ネガティブだのポジティブなのもどっちでもいい、わたくしが想えないことにはいかない。愛は惜しむのでも奪うことでは無論なく、天から注がれているのを受け取れるだけなの。

 とある国の片隅に小さいけれども、愛の溢れる家庭がありました。夫婦の間にはそれは愛らしい娘が居ました。その姿に誰もが愛しさを抱き、大切に育てられていましたが母親はふと不安に駆られ呪文を呟きました。その代償には命を差し出さねばなりませんでした。後に残った父親は、娘可愛さに子連れ再婚しました。

 再婚相手は綺麗な人ではありましたが、欲と野望を隠していて娘の持つ美しさが癪に障ります。邪念が夫を殺してしまい、使用人の解雇で娘を働かせての贅沢三昧。娘は自分に掛かっている呪文も知らなければ気づかずの儘ですが、日々の暮らしで精一杯。両親の残してくれた家を守り、自然からの命に感謝する倹しさ。

 ある日、お城の王子様というか世継ぎが狩りの途中にこの家を訪れました。継母娘が二人着飾って迎えお喋りに賑やかです。王子と言えども其処は美人に弱いので、楽しい一時が過ぎました。帰り際に堆、城で舞踏会を開催するから是非お越しをと誘う。娘はその場に居ましたが薄汚れた格好では王子は気づかずのまま。

 その夜、城での舞踏会に二人の娘が出かけた後精霊が現れて、母親の掛けていた呪文を解きます。まったくなんてこったい放って於いたら何時までも…南瓜を馬車に、鼠を白馬に、ガチョウを御者に、蜥蜴を従者に変えます。そうして最後に娘を舞踏会に行ける恰好へと代えて城に向かわせます。真夜中までとの約束。

 で・娘は舞踏会で王子さまと遇えて結ばれたと思いますか?そこんとこ違うんですね。舞踏会では王子さまとは踊りましたが、精霊の約束を守って帰宅しました。ガラスの靴は履いていなかったので、残すこともなく。継母と連れ子が居なくなったので、元の暮らしを取り戻して輝く美しさを自慢することもなく暮らした。

 王子さま?散々ですよ。求婚したものですから、二人の娘と一緒にはなりましたが上手くいく筈がありません。相手の姿や格好で選んだことは失敗だったと思うものの、今更どうにもならずで成り行き任せ。自分の国の片隅だけ、光に包まれているのが何とも不思議なのにも気づかず。それが国を守ってくれているとも。

 お話には、ハッピーエンドは有得ません。という新解釈のシンデレラ。王子が見つけた時には、灰の中に埋もれていたバージョン、あ・シンデレラもあります。性格が捻じれているって?ふふんそれがどうしたって云うの。今日のわたくしはぐれているんですよ。でも、偶にはこういう展開も愉しめるって判って微笑むの。

 
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神無月、小つち・小潮

2021年11月26日 | Weblog
 昨日・今日とお弁当を届ける日であったので、取敢えずは作って出かけなければ。ブログの訪問はそれまでに済ませて、無意識に珈琲を淹れて新聞に眼を通した。先週の中程から体調に異変が起きていたのは感じており、それを防ぐと云うか守るので精一杯だった。それがある拍子で切れた!停めようとしたが止まらずで。

 今朝のブログで、その結果・顛末が判って茫然自失。決まっていることへの変更には物凄いエネルギーを、一瞬にして放出してしまう。力には限りがあるとも知っていたのに、逃れ先の方が被害に遭うとは思えずで。超常現象かは不明だが・写真も証拠も全くないから、無防備にならずにいなければと苦い想いを呑み込む。

 勤務していた時に、謂れのない感情をぶつけられてきたことがあった。この人の勘違いは半端なくて、拘わりたくないのに捻じ曲げても言い寄る。勘弁してくれ、と内心思いながらも自分は障がい者なのでと押し通す。我儘な自己中なだけで、可能な限り無視してやり過ごしていた。その後役場に匿名で告げ口されたのよ。

 わたくしは無実だし、そのようなことを云われる筋もないから呆れ果ててしまった。何がその人の癪に障るのかが理解不能なのだ。苛めているって言うけど、何をどんなふうにの説明はなく自分の主義主張を延々と…。珈琲が飲みたけりゃ、自分で淹れればいいしお弁当が食べたけりゃ作れば?何でわたしなのかが不明。

 職員同士でのお八つにしても、自分では一切買わず上げることもなく貰いたいだけで。そりゃないわ!お互いの物を交換してなら分かるが、こんな境遇だからと叫ぶ。否・それは違うよ、仲良くしないって自分じゃない?そういった全てを相手のせいにして、自分は障がいのある可哀想な者だと言い張る。ついていけんわ…

 心が何度折れそうに、否折れてしまって辛くて哀しくて堪らなかった。でも逃げないでどうにか立っていたんだよ、わたくしが正しい行いなら神さまは視ていて下さると。結果は無残でしたね、父親に癌が見つかって僅か3ヶ月で亡くなり母親は姉娘夫婦とのいざこざが絶えずで仕事を辞めた。あくまでも他人が悪いとで。

 わたくしも意図せずに誰かを傷つけているかも知れないが、誰かを悪し様には云わない。どんな言葉であっても、哀しみに胸が弾けそうでも堪えていく。そう思われることは不本意でしかないが、成ってしまったことは元には戻らない。自分に正直に逝きたいばかりに、感情に従った結果なのも甘んじなければと静かに佇。

 〇さん、泣いてお終い・泣けばいいのよ。素直になればとも言って貰って感謝です。丁度小椋佳さんの泣かせてを聴いていて、何だか元気が出ました。その一言が欲しかったのかも知れません。子どもの時から親に甘えるのが苦手でしたし、自分の姿が厭で仕方ありませんでした。萩尾望都さんのイグアナの娘で開眼した。

 姉と慕う方からも、実の有るメールが入っていて感謝に堪えません。ブロ友さんとは思えないような親身の言葉に癒されました。でも正直、こんなに心配をかけていたとは。ゆりさんにも申し訳なさで一杯ですが、深く詮索しないのも有難かった。真直ぐに糸を張っていたら、切れた瞬間は想像以上の衝撃に震えてしまった。

 

 
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光溢れて・・・

2021年11月25日 | Weblog
 約束の日が近くなって、何度も天からの光が溢れて来る。わたくし自身の持っている物は何もないから、いつ何時訪れようとも構わない。車を走行中に其処に円盤を見つけた。デジカメもスマホも持ち歩かないから、撮影はしていないが明らかな静止状態でふっと消えた。その後には突然の囁きと白龍の出現が。

 自宅に近づくにつれて、その上にとぐろを巻く姿を光が包み込んで消し去る。暫くはその方向を呆けたように見つめていた。生きていくことの辛さも想えて、還りたくて堪らない衝動に駆られる。結界の中に逃げ込めることは簡単だが、この先何が起きるのか不明。まるで夢遊病の瘧のように夢の中で殺人も。 

 きっと、神経が参ってしまっているんだ。いい人にも悪いことにも生れないまま、向かうべき場所へと進んで往く。それにやっと気づいて判ったことの、何と虚しい想いだろう。仮面をつけて演じるのは止め、本来のわたくしに還ろう。舞台女優はジ・エンドで、何の感情も無く指示にだけ従う生き物へ変身。

 小椋佳さんのつづれおり、此処に歌われているどの曲も好きなんだ。めまい・の詞で、鏡に残ったあなたの後ろ姿 青い青い海がみえる。この場所を探していたら偶然にも、〇〇さんのブログで見つけた。コピーを了解下さったので保管して、時折取り出しては眺めている。言葉よりも何よりも宝石よりも…。

 

 

 

 

 



 

 
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言霊の行方・・・

2021年11月24日 | Weblog
 天気ではあるものの風は冷たく気温も低く、外に出るには羽織物が要る。クリスマスローズの新芽の陰で蕾が覗く、スイトピーは先日の雨で蔓を伸ばして支柱に絡んでいる。勿忘草も生えてきており、庭中を埋め尽くす枇杷葉も花の開花になってきた。季節は廻り時間は待たないが、他人の心はうつろい易い。

 人間の命の儚さも人其々での気持ちが伴い、心の支えになっていた方の居なくなるのは例えようもない。立停まってはくれぬし、連れて行っても貰えないのは承知してだが心は波立つ。手塚治虫氏の火の鳥に描かれているが、永遠の命を与えられても自分だけが残る。その想像外の空虚な気持ちにたえられぬ。

 昨日・小椋佳さんのCDを引っ張り出して聴きながら、気持ちが満たされていくのも感じる。派手さはないけど、嫌味もなく耳に入ってなのが心地よいのだ。星を観るのも、花を愛でるのも其処にある命と向き合えるからだ。自分とは何で何処に向かうのかさえも分からずにいた、15の自分に伝えたくもある。

 ブログも更新の度に、書きたいことが多過ぎて纏まらなくて悩むこともある。公開する以上は文章の拙さは納得できないから、何度も書き直す。誰に見て貰いたいではないので、その日の思いを綴るが相手に依っては感じ方も異なるので弾き出される。まあ無理ないわな、枇杷葉だけの内容なので理解し難く。

 ブロ友さんの中には、そういった感情を知っていて下さる方もおいでで、最初にフォローしてくださって居る。大勢の方に閲覧して貰うのが筋かも知れないが、アピールはしない。訪問して下されば出かけるが、内容的に馴染めない方も。機械に疎いので機能的なことは遠慮しており、性格も悪いのだと自覚。

 それがわたくしであり、他の誰でもないのだが誤解を受けることが多いのよ。便利で快適な環境には落とし穴が待ち受けてて、PCくらいはと悔し紛れに遣り始めて今では後悔頻りなのです。師匠も最近はどうしているやら、さっぱり音沙汰無し。水野英子氏の書籍だけは返して!今は手に入らないプレミアム品。

 午前中、役場に書類を持って行き銀行に入金してAさんちに行く。退院されて帰っておいでのようで一安心し、水を分けて貰っての途中図書館に寄り返却。藤原仲麻呂をやっと読み終えたのだが、次に光明皇后を予約した。奈良時代の人物でも、枇杷葉に関係な書籍に偏る。奈良にも足を運びたいが人出が…。

 

 
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働くことは命に・・・三隣亡・中潮

2021年11月23日 | Weblog
 命がある限り皆働いていて、その命を終えれば閉じていくんだわ。誰かからお金を貰うことだけが値するのではなく、等しく平等でなければと。普通という言葉もだが、障がいだと言い張る人には閉口する。何かが出来なかったりすれば、そういった言葉で言い訳にしているけど何か違和感が抜けない想いに捉われる。

 灰谷健次郎さんの作品、未完の天の瞳も含んで全巻持っているが中でも兎の眼と太陽の子は衝撃だった。読まれた方の多くが余りの凄まじさに絶句し、気持ちの持って行きようもなかったことと察している。沖縄が戦地になっての有様に、涙が止まらなかった。今・わたくしたちはその命の上に平和を築き満喫してだ。

 健次郎さんに逢いたくて遭いたくて、講演会があると知って出かけ持参した著作にサインして貰い握手をお願いした。あの温かくて大きくてやさしく包みこむ手を忘れない。人には科せられた使命があるが、自ずとそれに気づける存在でありたい。誰の為でもなく、神の御心に忠実になるのは試練は大きく苦しいもの。

 太陽の子は、NHKで放送された。母親役は中村玉緒さんで、父親役は伊川比佐志さんだった。主役の少女の名前が出て来ない。戦争をするのは何のため?政権争いもトップの確執が起こすもの、何故話し合わないの。小さな子でさえ分かっていることを、利権争いからおっぱじめる。殺されるのは無関係な国民でしょ。

 わたくしには戦争を止める手立ても持ち合わせていませんが、誰かが幸せで居てくれたり笑顔に成ってくれるのを惜しみません。枇杷葉で歓んで貰えれば好いだけです。その他には何も必要としません。願っても望んでも適わぬことは避け、あるが儘のわたくしで居られるのはうれしいことです。皆のやさしさを感謝。

 人欄に、第49回毎日農業記録賞一般部門最高賞に田島穣さんが受賞されていた。栃木県鹿沼市とある。有機農業推進アドバイザーという肩書もだが、自分の信念を通して行くには40年間を要した。物事の何でもが最初から上手くとは限らず、コツコツと努力との歩みであるのも確かだ。山も険しいからこそ登るので。

 枇杷葉を育てていながらも、わたくしこそが命を与えて貰い自然からのエネルギーを纏える。旧暦での暮らしで、月の満ち欠けや星の運行に潮の満干潮に教えられることは大きい。但し、記録や統計ではなく直感が殆どなので。nasuさんの書き込みに、もっと凄いことが起きるとの予言は1111111111となってしまう。

 以前にも書いていると思うのだが、それが分るだけに名指しでは云えないこともある。何気なしに伝えると却って相手を慌てさせるし、此奴は何なんだになる。視えなくてもいい・聴こえなくても・解らなくてもいいんだ、そう想う反面泪が溢れるのは何故だろう。あの場所に還りたいのよ、本来の居場所へと翔ける。

 

 
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備忘録、小雪・中潮

2021年11月22日 | Weblog
 二十四節気 小雪 寒気つのり、雨凍って雪となる意味で、小雪と云う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。昨夜からの雨であるが、簡易書留で届いている書類を役場まで持参。何分のお役所仕事に怯む気持を前向きに、車の洗車も兼て出かけた。人員整理で職員半減状態。

 毎日の中で、更新の際に書き忘れていることに気づく。あれもこれもと考えているからか、それとも無意識に指先がキーを打っているのか。3日程前には韮の最後を収穫し、お粥に・雑炊にして戴いた。南天の実も野鳥が狙うのか、全くないのも残っているのも確認しておく。気温の変化は小さく有難いもの。

 この雨で、移植した枇杷苗がついてくれるとと遠くの空に想いを馳せる。本屋さんが今年一杯で閉めると言いつつ貰ったカレンダー、平面ではあるが距離も感じるなぁ。日本地図・地理は苦手だったが眺めてみると配置が良く分かる。此処ねぇ、チロちゃんが居たんだ。藤井旭さんの居られた天文観測所です。

 東日本大震災で建物の復旧が難しく閉鎖、その著作は手元にある。星の写真は、誰でも撮れるが観る者の心を捉えることは少ない。同じ風景を写していても、視えないものの存在を感じるのは決して同じではないことに気づく。何がどう異なるのかは不明だが、声が聴こえたり視えるのも説明できないのよ。

 枇杷葉の苞が次第に開花して綻び、白い花弁を見せているのが陽射しに揺らぐ。風が吹くと微妙に香ってくるのもやさしくうれしいね。蜜柑の花が咲くのは晩春辺りだが、今は実を結んで色つき収穫。林檎の花も初夏に、今は出荷され店先に並んでいる。自然の季節はサイクルが決まっていて有難いことです。

 わたくしの書いてある内容をきちんと読んでの方には、花が咲くのも結実する時期も知ってだと思う。果実はホワイトリカー35℃に漬けるのは、エキスを使うためで飲酒ではない。薬用にするには氷砂糖は容れず、健康への為には別に溶かして使うのが好い。一緒に容れたら虫が涌き、飲めたものではない。

 わたくしは冷暗所での保管なのと、化粧水にも用いますから氷砂糖は別にします。大量に飲めば良いというものではなく、薬酒での用途ですので。風邪や扁桃腺、結膜炎・肌荒れに細胞の活性化を促すので重宝します。ここ数年、医者に罹ったこともなくて頼りになります。但し知ったかぶりでの過信厳禁。

 犬も猫も、自然での環境を考慮しての暮らしでないと災害時には生きられない。そうならないことを想定しておけば、避難するのも対応できる。飼う責任と云うのは、結果そういうことだと個人的には思う。事情があって外には出せないが、最低限命を継続させるのは無論のことだろう。飼い主より待遇良し。

 
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天気は曇りに・大潮

2021年11月21日 | Weblog
 今朝は晴天とは言い難いが、雨には夕方以降の感じもする。新聞の日曜版が見当たらないが、今日だけないのか?12月になれば後半には元旦過ぎまでが休刊だが早過ぎない。ネットでの契約をしたら早く記事が読めるとあり、何時までならアマゾンの金券プレゼントとあったが未だに届かず。然も新聞で事足りる。

 トマトがねぇ…次々と花が咲いて実が生っている。赤くはならないのだが、何だか勿体ないかとお酢に漬けている。お弁当にはどうやって入れるかな?と思案中です。寒くなってくるとおでんや鍋物が温かくて良いが、一人分には多くて残ってしまうので雑炊となる。おでんは鍋を出入れして何とか片付けている。

 暖房の湿気が地面を濡らすのを、ペットボトルに先を突っ込んで溜め花木に与えている。1000㏄が、何時しか注がれて節約・倹約にもなる。勿体ないの気持ちで居れば、物事は好い方に向かうのかもと愉しい。人間の命には限りがあり、其々に時間も異なるが終えていくのは同じなのだ。遇うは別れの始まりなの。

 死に際に、自分の一生を歓べる気持ちでありたい。わたくしのしていることは些細なことには違いないが、相手への悦びになれば好いこと。こちらの想いが伝わり通じれば、感謝だけで事足りる。それが出来る自分であり、自然への祈りで過ごせて生きれば佳い。頑張ることも無理せず、唯それだけの存在がいい。

 今年の気温の急激な変化に、身体が付いていけたのには少なからず枇杷葉のお陰である。それに数人へ枇杷を送らせて貰えたことは、決まっていたことでも。それらの持つ意味にも謎が多いが、巧く感応して波動が起きたことも大きい。科学的に物理的に数字や計算で以って可能でも、未知の部分は多く影に潜む。

 昨日は急に腕が上がらなくなり、痛みも伴うので枇杷葉の生葉を両肩に貼ったら夕方には軽くなった。寒さに身体も動きが鈍くなる時期、夕方の散歩は夜行襷でお出掛けを。足元も怪しくなる時間帯は、避けるのが賢明。歩くのが良いからと出かけて事故では、真色に合わない。自分都合でなく自然での対応です。

 終活ではないが、プラスチックの容器を生かそうとハンカチで外側から包み込んだ。馬場のぼる・11匹のねこの紙があったので畳んで敷いた。味付け海苔の入物とは思えん。牛乳は遠慮したいので夏分だけの購入だが、箱を小さく短冊にして箸置きを作る。焼酎の空箱も活用できそうと溜めているが何にするかな。

 

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