枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

二百十日・三隣亡、文月

2021年08月31日 | Weblog
 今年も既に8月までは終わり、新しいカレンダーの広告にびっくりする。旧暦では文月なので慌てる気持ちは少ないが、気づいたら店頭からは消える。日捲りだけは注文しておこう。気忙しさに袈躓かぬようにしなくてはと、用心には他人のこと処ではない。箒にも重量オーバーで乗車拒否されるのに困る。

 わたくしのブログに訪問して下さる方の中には、枇杷葉に対して半信半疑の方も居よう。或いは知識では多くのことをご存じなので、今更と鼻で笑う人もだろう。また、専門的なことを書くべきでないとの見解をされる方も、奨められることへの憎しみさえ持つこともあろう。ブログの世界も虐めを感じる。

 日本・世界中の何処にでもある枇杷葉。聖書の中にも、お釈迦さまの仏典にも記述ッがある。行基や西行は、諸国を歩いて誰でもが信心すれば西方浄土に逝けると説いた。親鸞や日蓮は奇跡を起こしてまで説法をした。奇跡というのは、神や仏の為せる所業なのだろうか?否、人間の心が写しだす真実です。

 わたくしは新興宗教家でも、霊力でのお告げをする者でもありません。説明が難しいのですが、判る・解る・視えるだけなので。その中でも稀に同じような波動を出していたり、接近して来ることがあって交わると気苞を贈れます。その後、その意味を理解されてだと接触してになり、言葉に代わるのかな。

 癌告知されても摘出する必要はなく、枇杷葉を信じれば生きられますし治ります。多くを望み求めるから、手術を行い治療を余儀なくされ薬を投与して命を落とす。盲導犬や介助犬は、人間の為に生まれて使命を終えた後どうなるのだろう。余生を引き取って貰えればいいけども、何処にやられるのだろう?

 四季の移り変わりを感じないで不平不満を言い続け、体調不良になれば文句の塊になる。それは自分でしたことへの結果です。自然への祈りと感謝があれば、そんなことにはなりませんわ。反省をするのは誰でもですが、気づいたら其処からが出発なのです。今までの遣り方を改めて心機一転を心がける。

 わたくしは枇杷葉での援けを求める方を突き放しはしません。からかい半分であったり、企みがあれば必ず己に還るの。それは事実で命さえも奪ってしまいます。生かされる命もあれば消してしまうことも亦可能なのです。つまりはそれらは自然であり、森羅万象の為せる仕組みに他なりません。不思議。

 年金暮らしであるから質素堅実、清貧の日々ですが病に倒れることもなく過せることは有難い。枇杷葉での援けには、身体の健康は無論のこと認知機能も衰えずで感謝です。医者要らずとも謂れ、援けて貰えることの何と多さでしょう。何も望まねば与えて貰える、それが判ったことはうれしい気づき。

 
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文月、下弦・小潮

2021年08月30日 | Weblog
 昨夜半、晴れた宇宙に木星も土星も輝きカシオペア座・大熊座も小熊座も観えた。天の川には、白鳥が飛び牽牛星も淑女星の二人を確認できた。一旦入って再度外に出れば、月が煌々と照らす。アビーに届けと白枇杷から祈る。コロナワクチンの影響が出易い人と、そうでない方とがあり自然治癒力を信じるばかり。

 今朝は枇杷葉の生葉を腰に当てている。冷房を点けると寒いので羽織物だが、機械の状態も温度差だけで捗々しくない。設定温度は28℃で、腹巻もしているのに冷える。風向きは上向きを更に天上近くにしている。外のバケツに湿気が瞬く間に満杯になり、鉢に移しているが多いのに驚く。日本の気温の特徴でも有。

 アマゾンのプライム会員への誘導方法に怒る。会員になる心算もないのに徴収されているではないか!直後に解約しているので、会員ではないとの表示で進まない。それなのに請求するとは納得し難い。仕事を辞めているから暇を持て余して?冗談ではありません!!テレビさえ観ないのに観賞する気はさらさらで。

 画面表示の方法も、あの手この手で変えているのか不明なのをレジへと誘い会員登録させるのは卑怯だ。その都度¥500で、年会費なら安いと唄うが要らない。全く以って不愉快極まりない。何処のネット購読も同じなのか?こちらはDVDが買えれば好いだけなの。遣ってられないというか、解約の無駄手間に立腹す。

 夏休みが終わる。コロナ禍でどうなることかと案じていたが、正常に始業式らしい。まあ田舎なので、空き教室はたっぷりあるのだ。全校で50人も居ません。然し、空気感染なのを承知で行動しないとあっという間でも。ワクチンを打っていても効き目は?何が良いのか違うのか混乱を増すばかりで蔓延止まらずに。

 体調維持を保つのも並み大抵ではありませんから、どんなに注意していても罹患する時にはします。まるで宇宙戦争を思わせるが、これは宇宙からの侵略かは不明。何しろ感染源が空気とあっては、まるで掴み処がない。最後には、自然治癒力が身体に及ぼしての生き残りとなるのかもしれない。それってどうなの。

 諸田玲子さんのちょぼを読んでいる。前田利家の側室であったというが、昔の女性の立場や生き方の違いに惹き込まれた。権力に甘んじずに耐えるというより、心根を芯と持っていることは己を強くするものか。信心がないと気持ちに添えないものがあるわと、何度も読み返す。戦国時代の終わりに生きていたんだ。
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ああ・星が観えない

2021年08月29日 | Weblog
 昨夜も雨こそ降っては無かったが雲の広がる宇宙で、星は愚か月さえも観えない運の尽き。あの宇宙に翔けて往きたいのを、どんなにか焦がれても遇わせてくれないという理不尽さだ。気持ちがささくれ立ってしまい、余りのやるせなさに読書に沈没。子どもの頃には、無医村で学校には書籍すらなかった。

 近所に教師の年下の男の子が居て、文字の歓びに目覚めたが田舎は子ども心を平気で傷つける。貧しい農家では本どころか、雑誌の類も買っては貰えず山を田畑を駆け回っていた。貧乏は恥ずかしく、貧しいことは罪悪感が常にあった。今はそういったしがらみはどうでもいい気が、自然の力を知れば佳。

 宇宙を眺める愉しみは誰に文句も言われない筈が、藪蚊に襲撃されるし腹が空く。昼間に全身で遊んでいるから、口くなると瞼が下りて来る。五右衛門風呂にも一人では木の板が浮いてくるので入れない上に、熱ければ井戸水を酌み足し温くなれば追い焚きをしなければならない。母の小言は毎度のことに。

 夕餉の段取り良く素早く済ませることで、労力を押さえ無駄を省くのも知恵と工夫。母は何時でも最期で、冬になると祖母は毎日ではなかった記憶も鮮明に。それでも貰い湯に行くことを思えば、内湯があることは贅沢なことだった。あの頃には隙間風は絶えずであったが、当たり前との気持ちも残るもの。

 不思議な夢を視た。祖母が独り暮らしをしていて、緊急事態が発生して集まっている処に胸騒ぎがして行く。母のお盆に乗せた湯呑がひっくり返りそうになり、妹の勝ち誇った顔が覗く。遺産の問題?小賢しい者には、相手を思いやる心根が欠けている。そういうことに疎いから、誰が知らせたと内緒の声。

 祖母に逢いたいだけのわたくしと、生きている間に配分を多くしようと考える。実際には祖母はわたくしの目の前で亡くなり、既に50年以上が経つ。何故だろう?祖母や母が呼んだのか、毎朝のお茶湯に悦んでくれてのことだろうか。不信心であることを憐れんでくれたか、不徳の致すところでもあるなぁ。

 人間年齢を悪戯に重ねていると、ふと我に返った時に焦燥感を持つことも多くある。だが過ぎた時は戻らないし、その刻には還れない。募った想い・激情や恋慕は一体何処で彷徨っているのだろう、居場所を探して旅を続けるしかないのか。終着時点へと歯車は停まらず、軋んで回転も怪しい気配ばかりで。

 ブログ訪問をやっと済ませての更新だが、嫌な気配も感じる。何か不穏な動きもあるようで、心は千々に乱れていく。人間の心理状態の不可思議さは誰にも止められず触れないもので、見守ることでしかなく固唾をのむ。天を星が動いて逝く、数多の星があれども存在数は決まっているので、増えれば減る。
 
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時空を超え翔ける・・・

2021年08月28日 | Weblog
 古典落語。時そば・粗忽長屋・芝浜・大工調べ・大山詣り・お見立て・長屋の花見・饅頭こわい・幾代餅・天狗裁き・火焔太鼓…。仁鶴さんの得意とする初天神、談志さんは芝浜だった。語り口は個性があるので、好みの噺家は特にはない。幾代餅の噺は、人情物でお見立てや明けがらすとも異なりほろり。

 落語にもコロナが出始めてから一切寄らずで、市内も中心部だから行けない。自宅待機が厭でもなく籠ってなのも、出不精には有難い。但し図書館の休館は困る、徒歩で行ける場所に在りながら書籍が選べずで、重圧を感じて堪らないのだ。神さまは、コロナを蔓延させ人類の滅亡を決断したのかもしれない。

 今朝は庭のお酢の入れ替えをした。穀物酢でも何でも良いのだが、枇杷葉の根元に瓶に容れて置いておくのだ。特に期間はなく適当にしているが、虫の棲み処が変わったように思える。百日紅の葉が黄色になったのは、灼熱→長雨→晩夏と初秋の差だ。枇杷葉の生葉の上に大量に落ちてもいて気の毒なのも有。

 枇杷葉茶飲用の効果。胃腸の爛れを癒し回復させるので排泄も良い。咽頭の絡みを徐々に取り去り痰も少なくなる。皮膚の状態が好ましくなりどす黒さが消え肌白。これは血管の掃除でくすみが無くなり浄化作用が働く為。枇杷湯とリンパ腺マッサージで頭髪が補われていく。何れにも再生作用が活動するの。

 先月の電気料金が昨年に比べて半分以下だったのは、長雨で寒かったのも原因。年金だけの暮らしでは冷房を点けると、明日の予定が消える。我慢に辛抱しての暮らしだが、それも限度があるのだよ。国会議員が1ヶ月、何もしないで居眠りして貰う金額にも満たない。相談するのは良からぬことだけを内緒で。

 税金を納めないと言うのではなく、無茶苦茶な取り立て屋みたいに持って行かないでくれ。年金を隔月で受け取っての倹しい日々をしてみればいい。国民の為に援助の手を切り離して、自分達の懐具合ばかりを気にする。何かね虚しい。それは差別でなく区別と言うか?心頭滅却すれば火もまた涼しとも違う。

 ああ・如何。何だか世迷い事になってしまった。ザ・タイガースのハーイ・ロンドン観るか。沢田研二さんのコンサートの再開は何時なんだろう?DVDやCDで我慢しながら堪えてますが。ジュリーは生で観るのが最高。体型的には医者に公演を止められているそう。機能不全になるから少しは心配でもあるな。

 明日は日曜日だ。8月が夏休みも過ぎて往く、暑いと言う感覚も長雨が祟ったから身体が辛いのだろう。枇杷葉茶を飲用して、お化粧にエキス塗布であれば汗は流れても剥げない。汗の臭いもしなければ眩暈やふらつきもとんとない。怪我も直ぐに手当が可能で、医者に罹る手間も無いのは至極尤もに有難いよ。
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機能が理解できん・・・

2021年08月27日 | Weblog
 何かねあちこちのブログの、一番下の箇所にあったのが新しくなってるの。わたくしのにもあるんだけど、其処はいいねが押せる設定を換えてないから。ところがTwitterだのFacebookへのボタンになっていて、さて?こういうのはどうしたらいいんだろう??遣りかけてみたけど、分かんないんで訪問だけにした。

 若い人や使い慣れている人には平気の平左でも、こちらは新規の取り扱いには不慣れです。訪問履歴は残るのでしょうが、すみませんそれ以上は最早達磨です。地域のPC教室に行けば教えてくれるらしいが、コロナで不安があって無理。認知症状は、新しいことへの適応に欠けるがそろそろ覚悟をしなきゃいかん。

 昔からの遣り方なら(WindowsXP)資格はあるんだが、既に20年弱経過では難しい。加えて専門の技術での仕事を続けてないから、新しいことへの理解に乏しい。とてもではないが明朗迅速には往かぬな、ため息も連続なら吐いておるが埒が明かない。それとも訪問を嫌っての対策かもと、少なからずお冠です。

 止めるかなぁ…ブログの更新も。最近はフォロー数が無茶苦茶に増えて、じっくり読んで書き込みが出来なくなった。一日に数回更新する方も居たりで、息継ぎも怪し。折角の訪問や書き込みにも返事が滞る始末にもなり、何だか本末転倒の雲行きなのです。あ・今朝は抜けるような青空が次第に雲に覆われて。

 それにしても何と大勢の方がおいで下さるんだろう。この数字はどうした?と不安になるくらい増えてます。だいじょうぶかなぁわたし・・・、皆さんの誰もかも枇杷葉を信じているのではないと知っていますが、記載している文章を丁寧に読んで下さる方も。いい加減なことも書けずで、心に暗雲が沸き上がる。

 昨夜は、真夜中近かったので月は東に昇って煌々とした姿でした。思わずアビーの処にもこの光が射していると、枇杷葉を仰いで祈る。枇杷葉が巧く作用して効いているようで、少しばかり安心しています。枇杷葉の匂いを嫌がらずなので、毛並みも回復したようだ。何よりですね、とてもうれしい報告に感謝。

 人間が人間同士を助ける為に作った命かも知れませんが、役目を終えたらお終いでしょうか?違うでしょう。あ・今突然思い出した!!以前にこうなることの画像を視ている。そうか、神さまが引寄せて遇わせてくれたのね。わたくしのしなければならない使命なのだ。何という邂逅だろうか、有難いことですね。
 
 追記 アビーから返事が来て、読んだ途端に鳥肌が立ちました。アビーにも月の光を浴びさせたいとの祈りが届き、むくっと顔を上げた姿が視えた。月の光に包まれたんだって!!
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想いを酌む・・・

2021年08月26日 | Weblog
 澤田瞳子さんの星落ちて なお を読んだので図書館に出向く。現代農業を返しそびれていたのも持参し、魔女の覚醒から続く長編物を借りる。これがね、難解な部分もあるんだが面白い。読み進んでいく毎に、展開の突飛なさやどんでん返しにわくわくする。今までで最高なファンタジーだと想っている。

 アビーの体調が気になっていたの、メールが届いて少しばかり安心しました。安否確認の二週間は途方もなく長く、その間の可能なことはひたすらに祈ること。我が家からの枇杷葉なのも、往くことは出来なくてもオーラは通じるからうれしい。書かれている内容に、心が温かくなり感謝するばかりである。

 ブログは表面上だけのことだから、誰がどうなっても関心は薄いのが当然だろう。でもね自分の病を書くこともなく、或いは毅然とされている方の心の在りようが分ることも。愚痴を言えたり慰めの言葉で元気になるなら、容易い同情でしかない。それが必要な方もおいでだろうが、心は塞いでいくばかり。

 ディズニーとしてのピノキオは、ゼペット爺さんが星に願うことから始まり木の人形なのに命を与えて貰える。でも其処には試練が待っており、並み大抵で人間にはなれない。シンデレラもアラジンも、嘘の世界では生かされない。真実の勇気とやさしさ、それに気づける生き物でいたいと祈り感謝しよう。

 昨夜はPM8時には雲はあるものの晴れ間で、木星も土星も観えた。暫く佇んでいる間に小さい線香花火の流れ星も飛んだ。真夜中には再び雲が広がっていて、月も朧に霞んでいた。夕方に咲き出す夕顔は、月の光に浮き上がる妖しさもある。それとも今夜は夏の名残の舞踏会だろうか?ワルツが何処からか。

 今朝は郵便局に予約していた切手を取りに行く用事もあり、ブロ友さんへの枇杷葉の手配も。洗濯と新聞は外せないので手早く片付けた。すばるに用事で出掛けることを伝えると、目線で分ったと言う。帰宅すれば、早かったとの顔であるが人混みは避けて行動。そうだ、図書館が明日から休館らしいのよ。

 Aさんの検査入院も連絡方法が乏しい、家族にお尋ねしても電話が不便らしい。院内の電話の場所までを車椅子で移動し、そこから硬貨を投入してとなると面倒で。今月末を待つしかない。心臓も腎臓も年齢的なダメージが大きいから、今更延命をするのは否。コロナ禍での逼迫も人命軽視には無念としか。

 ブロ友さんの中には、枇杷葉の手当を施行しておいでで体調維持に努めてだ。冷房は不快感を取り去るが、身体を冷やすのは避けられない。シャワーは極力控え、湯舟に浸らなくても好いから足元だけは温めよう。リンパ腺マッサージが大切なのも、全身をするのは無論だが、足首や腰への負担を軽くする。

 

 
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雨は降らぬが・・・

2021年08月25日 | Weblog
 今朝は、青空も覗く天気で風もあり初秋の気配です。通草の蔓があっという間に伸び放題で、下に引っ張ったり巻き付けておいたりの作業だ。蒸せますな、暑いという程でもないが湿気が多いのだわ。鉢物も移動先で落ち着いているが、百日紅が陽射しに息も絶え絶えとなっているのに酢を散布。薔薇にも紫陽花にも。

 先日、顔の右側に発疹ができた。手当をしているとこういう状態になるが、完治までに約1週間罹る。塩と枇杷葉のエキス塗布だけだが、浮き上がってくる角質を丁寧に擦り落とす。塩で揉むのも人差し指だけで行い、無理をしないこと。本日、元の艶やかな肌に還る。これが表面に出ないで体内に潜れば細胞死滅に。

 枇杷葉の効能には多々あるが、処方を間違ったり誤ると危ないので注意を。自然の命は多く種に含まれていて、土に蒔けば発芽します。人体に取り込んでいくのは解明不可なこともあり、躊躇するのは当然のことです。野菜は何れも皮との境が一番栄養素も高く、身体のために良い箇所を捨てていますがご存じかな。

 市販品のどれもが濃度は異なれども農薬が掛かっています。政府がアメリカからの輸入を推奨して買うからですが、自国では危険なので使用禁止。微量とか少しだけなので、と体裁を言うが塵も積もれば…。福島の汚染水を海に流すのも、浄化しているから安心・安全と宣うが大臣飲んで見せて下さいませんかね?

 放出される海に棲む生き物は堪ったものじゃない。でも言えません。抗議の言葉の代わりに地震と津波をお見舞いします。台風も、竜巻も加えましょう。自然災害ではありません!明らかな人災で人類がしなければ防げることばかりです。人民の幸せを願うこともなく、自分達のエゴで地球をぶっ壊しているのだ。

 韮の蕾を数本摘んで花瓶に挿す。ベゴニアも挿し芽にしようと入れているが、鉢の心配もしなくちゃね。星落ちて なおも数ページになった。書籍もあればそれなりの時間を要するが、無ければ我が家の本棚には落ちそうな位並んでいる。主に児童書が多くあり、次いで好きな作家の著作と続く。これ以上は無理。

 枇杷葉で手当をされるなら、今の時期が良いの。枇杷葉茶に枇杷湯、生葉を当てるのも好いですね。夏の暑さに疲れ切った身体は、芯から温めましょう。文月になり旧盆を迎え送ったら、海中には潜りませんし冷たい物は戴かないの。季節のサイクルが及ぼす影響で、細胞への充電が不足して来ますから充分注意。
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愉しみは図書館に

2021年08月24日 | Weblog
 何処にも行けないのは分かる。辛抱もしているが、図書館だけには出向きたい。美術館や映画館にも我慢して日々である、観たくてそれでも中止にするには自分だけで済まないからだ。コロナでの蔓延を止めるには、一切行き来を断つことで出掛けないこと。商品は見て買いたいが店を信用しての宅配作業にし命を繋ぐ。

 野菜が雨続きで値上がりしている。病院は逼迫して救急搬送の当てがない。自宅で早産して死産て惨いわ。健常者であることがどれ程のものだろう?偉そうな態度にも言葉も、そっくりそのまま返してやろうじゃない。地球上に棲む物は命を与えられた生き物で、優劣つけ難いものなのだ。自分だけが優れているのかな?

 新聞の投稿欄に、先日温泉に出かけたら胸の傷がみっともなく恥ずかしいと罵られた文があった。えっ?温泉ていう所は、病後の癒しを受けるんだよ。健康である者が行く場所じゃない。今朝の投稿には、そういった痕を隠す用具があるらしい。でも可笑しいわよ、元は自然の中にあったのを人間が奪って使っているの。

 湯治療養と昔からある温泉です。生き物はその症状に合わせて療養するのです。人間だけが優待されることでもなく、況してや健康な者が暴言を吐く処でもない。何も温泉に出向かなくても、枇杷湯に浸りなさい。傷痕が気になります?エキスを塗布しましょう。言いたい奴にはいわせておいて、笑顔で振り向きましょうね。

 ブログを掲載するのに無料が好いかと選んだが、この処気味が悪くてしょうがない。鼻の頭に溜った汚れを取るとかの画像が消せない。何でこんなのを貼り付けているのか?広告主は良いことをしている気分かも知れないが、吐き気はするし胸クソ悪い。ああいう汚れは枇杷葉で直ぐに取れるので、余計に腹立たしいのだ。

 自然からの恩恵を感謝していれば、自分の容姿だけで判断することはない。痩せていようが肥っていても、それは現時点での己を戒めているのだと思う。痩せている原因はストレスに因るとも限らずで、肥っていても同じことが言える。体質もあれば食事形態も、或いは摂取量や時間も大いに無関係ではなく一概に言えない。

 言葉には魂も宿っているから、言霊とも云うのだが魔力も秘めていることは確かだ。わたくしは文字で記する時にも、直接口から話す時も己に還ることを想うのだ。今までに経験したことだけの感だが、枇杷葉を送らせて貰って難を逃れた他人が居る。反対に書かれた意味を取り違えてしまい今後が怪しい方も。証拠?ない。
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文月、処暑・大潮

2021年08月23日 | Weblog
 二十四節気 処暑 旺盛な太陽も次第に衰え、暑熱も引くと言う意で処暑と云う。天地清く爽やかとなる。毎年八月二十三日頃である。いや涼しいのですが、蒸せるのは止まずで外に出ての作業は汗びっしょりです。小一時間程の片付けと残っている鉢の移動に、息が上がってしまう。藪蚊は対策で飛んではいるが。

 昨夜は台風の影響を被って、PM7時には雨になり2時間後には曇だった。自然の成り行きには否応なくで、明日に架けよう。夕方に何時も足湯に来る娘さんからの連絡、葡萄を買ったから持って行くとのこと。図書館で落ち合って受け取り、明日は夜勤だから直ぐに帰った。此処の葡萄は定評があり甘くて美味しい。

 昨日体調不良であったが、梅の丸薬を飲んだら効果覿面になる。これは梅雨時の青い梅を丁寧に煮詰めて作り、小さく丸めたり晒しで濾して置く。辰巳芳子さんがテレビでされていた、命のスープだ。水戸黄門でも、御宿かわせみにもあり解毒作用が大きい。小さな瓶で高価な物だが、自分で作れば手間だけで済む。

 図書館で借りた本は返さねばならぬが、雨で堪能できるし有意義な時間が持てる。ちょぼを予約していたのが届いた。今も昔も、己の置かれた立場を知って知恵を働かせるのも生きる術だ。嘆いていたり、文句を言っていても先には進まない。状況を打破するには、自分の持てる力を最大限にしてみることじゃない。

 他人さまの行為を素直に受けることも、或いは拒絶することも選べるが判断を間違うこともある。誰かではないが、今でしょ!時間が経てば状況も変わるし、それと共に事態が悪化することもある。何が本質なのかを・真実かを見極める直観を信じたいもの。枇杷葉は、単なる援けではあるが好転への導きにもなる。

 枇杷湯に浸っていると、角質が剥がれるのは無論だが他にも変化が起きる。あの厄介な魚の目が取れる。塩での摩擦も外せないが、消えてしまい驚く。体調の芳しくない病後等には薄紙を剥がす微々たるものだが、根気と粘りで治してしまう。細胞の欠けた場所を補いながら、増殖していくのだから驚愕に値するの。

 今朝のこと、すばるが布団の上から動かないのを話しかけてみた。お利口だねぇ、布団上げるよと言ったら分かったと目線を送って来た。それで気づいた爪きりがある。手も足も騒がず落ち着いてさせた。最近は逃げもせずで捕まえてすることもない、何故なんだろう?やはり意志の疎通で左右されるものかと感心。

 すばる・猫という感覚ではなく、生き物として対等であれば向こうも判るのだと納得した。そりゃそうだよな、どんなに可愛くても猫だと思うのと明らかに違うもの。昨夜も何処に居たのか、布団を敷いて呼んだら直ぐに来た。待っていたんだねぇ・・・喉を鳴らして纏わりついて来たよ。命のある共同体と実感す。
 
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望・大潮、草を毟る気持ち・・・

2021年08月22日 | Weblog
 ブログで書かれている草への想いに、ずっと違和感を抱いてきていたが今朝の新聞で心が和む。毎日新聞の一面に、裏千家前家元・千玄室さんへの記事に抱懐した。何故草をむしっているのか?即答できないか、無駄だからや邪魔であると答えるだろう。そこに何時も想うのは、雑草という植物はなく命が宿ること。

 植物も、動物も或いは微生物であっても命は同じだ。然も、あらゆる場面で人間を援け生かしてくれるではないか。二酸化炭素を酸素に、命を差し出して食卓にと出て来る。それらを何等無意味にしたり、役立たずと言い訳して邪魔扱いをする人間は何が可能なの?自分では何も作れず生み出せない生物でしかない。

 花を店頭で買い育てて綺麗に観繕うが、勢力を広げ始めると困ると切る。其処で生きれることを選択して安堵からのことに、都合勝手で引き抜くことも。何という愚かしさであろう、季節で植え替えられる景観は歓迎するが終われば捨てる。花の使命であるといえばそれまで、命を摘んでいるのは傲慢さに思えるが。

 今朝も剪定をしながら、話しかけていったが言葉を選ぶことも大切と知った。牧野富太郎博士が植物への情熱を終生かけた命の賛歌、或いはファーブルの渾身の想いに多少は触れることができたであろうか。茶時は高校生時代に修身授業で受けたが、奥の深さには気づいてなかった。人間の生き様にも感慨深いもの。

 戦争は起こしても行ってもいけないのだと、誰憚ることなく言いたいもの。機械化の進む先進国での役割はなんだろう?武器を造って密輸入で渡すことなのか、それとも死を覚悟して止める気持ちなのか。何かね、手塚治虫氏作品を読み直して震えが起きたよ。ビッグXを知っていますか?科学の悪用は人類に還る。

 コロナが蔓延しているのも、地球が人類を滅亡させようとしているのかも知れない。自然への抵抗は果てしないし、老若男女の区別も無い。どんなに足掻いても、命のあるもの凡て自然に任せるしかないのかも。生きるという選択肢は、己で決めることではなく森羅万象の領域でもあるのだ。気づくのが遅かったわ。

 生きることは難しいことではなく、当たり前の恩恵に感謝すること。人間は日々沢山の命を分けて貰っているのだから、地球を弱らせたり困らせることをしてはいけないのだ。今あることを満足して、祈りと感謝で過ごせる歓びに感謝したい。今日という日に万感の想いで過ごそう。明日が来るとは限らないことも。
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