枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

この娘うります

2021年04月30日 | Weblog
 熱烈なファンなら直ぐに解るタイトル。そう!作者は言わずと知れた萩尾望都さん。わたくしが持っているのは作品集で昭和52年刷り。勿論11人いる も一連の作品集であり価格が¥480なのです。この後、文庫版も出てそれも持っているが。本屋にパートで出たのできっと在庫分をまとめて買った記憶がある。週刊誌も買ってた。

 光瀬龍氏の原作 百億の昼と千億の夜と はあの阿修羅王に魅せられて奈良までを何往復したことか。雪の舞う興福寺が観たいばかりに出かけたり、初夏の奈良を歩いたり万葉の小路を辿ったりもした。入江泰吉記念館までを大仏殿から散策したりと、阿修羅王に遇いたくて通ったものだ。御薪能にも魅了されての日々が懐かしい。

 この娘うりますは、15歳の誕生日に起きたハプニングから少女は恋する娘に変身していく。でもからっとしてまるでミュージカルのような展開で、恋の駆け引きはあるけれども嫌味がない。心理描写も巧みである上に、所謂じめじめ感がないのもうれしいの。キャベツ畑の相続人も大好き、三月うさぎが集団でも抱腹絶倒なのです。

 他の作品にも良いのは沢山あるのですが、どちらかというと初期の作品集が堪らない。危ない丘の家もSF要素が満載だが、どこかユーモアもあるのが良い。どの作品にも巧みな心の動きが底にあるので、読む物を惹きつけて離さない。顔の表情も眼の黒白部分の塗り方や眉の描き方で微妙に違う。こどもの表情と大人の差が明か。

 11月のギンナジウムは、内容こそ違えソロモンの偽証の初っ端とも重なる。漫画にせよ小説であろうとも、読者の心を捉えて離さないテクニックは必要なのだと知る。加えて、日本語の正しい使い方に惚れてしまう。今日日のくど過ぎるいただきますには胸が閊えるが、テンポの速さと爽やかさに感服してしまう物語。読後感は様々。

 今朝は晴れているが地面が湿っているので洗濯だけを干し、弁当を作って届けAさんちに水を分けて貰いに寄る。検査入院されていたのだが連休で一時帰宅となっていた。枇杷葉エキスの補充と手当の要請で明日の約束をする。入院中の様子を聴いていたら、何やら同じような体験をしていたようで驚く。現世に無事生還されたよう。

 帰宅して枇杷葉の生葉を何十枚も採り、エキスを100均の容器に詰めておく。生葉を採っていて枇杷葉の青い実が幾つか見えたので残りの袋を掛けた。天気や光の加減で見落としていたようだ。それにしても千粒はあるようで、熟れたら持って来ますと約束した。種は焼酎に漬けて置き、擂って食べているようであるがどうかな?

 明日のAさんの準備が出来たので、昼食にしたがPM2時を回っていた。でもなぁ、しんどい部位を訴えてこられるのを放ってもおけないの。自分がその立場であればと思うと、わたくしに出来ることであればと施行したい。方法として枇杷葉ではあるが、渾身の気持ちがあれば援けてくれるもの。身近に居るからだが相当な覚悟も。
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庭の乾きも・・・

2021年04月29日 | Weblog
 天気であれば水遣りも欠かせないが、天水の有難さはどうだろう。地球を潤おす役割にも、自然の摂理の大切さは否応もない。木々の新しい葉を繁らせて、落ちている種を発芽させ育んでいく。人間のように好みではなくあらゆる凡ての命に注ぎ、誕生を寿ぐ素晴らしさに感謝するばかり。月の満ち欠けにも大きく拘りを促せる。

 昨日、珈琲を取りに来た友人が、枇杷葉に袋が掛かっているのを見て仰天していた。幾つあるか言ってみてと謎かけをしたら、300位かな?と答えてくる。冗談に、手伝いに来てくれないから脚立から落ちそうになったと数字を云えばぽかんとなる。昨年には手伝うって聞いた気がするが、すっかり忘れてか社交辞令だったのか。

 わたくしのブログを訪問の方で、日々お邪魔に上がり写真を観させて貰っている。其処には言葉よりも胸に迫る魂が籠っていて、器具や腕もあるだろうが被写体への慈しみが感じられる。綺麗に美しくというのよりも、一つの命として捉えているのか?そういう被写体に遭遇してしまうと、惹きこまれて動けなくなってしまうが。

 まあ、個人の感想で皆にでもないので単なる好みでもある。最近、大勢の訪問者にたじたじとなりながらも、やはり丁寧に読んでボタンを押したい。文章の長短はあったり、書かれていることの意味が理解し難かったりもする。それでも皆さん個々の思いで記載されているのを無視もできない。それはわたくしのでも言えること。

 雨が降っているのと弁当配達がないので、今朝は二度寝を決め込んでAM8:30分に目覚める。その後図書館で借りている萩尾望都さんの大学での講義集を開いた。作品はどれも好きだが、初期の11人いるやスター・レッドは格別。光瀬龍氏の百億の昼と千億の夜、にもあの阿修羅王に魅せられた。原作は哲学的要素が濃くある。

 わたくしの場合に関しては、ジャンルの幅は広いと思うのだが作者への拘りが強い。作品の内容にも左右されるが、自分の体験が少なからずで其処に触れてくるので迷い込む。ラビリンス・迷宮・螺旋階段と出口を探しに彷徨う。従ってトンネルを貫ければ雪国にはならず、霧の帳をあてもなく歩き走り停まらずに進むばかりだ。

 人生ってのは、そういうところがあるんだろうなぁ。親も兄妹も子ども等でさえも居ない独りなのだと思え、現世でも来世でもなく前世の経緯を悔いても始まらぬことか。今を生きることが、何に通じているかや何が起きるかも不明でも逝くしかない。それが神の指示であり、命への賛歌と使命に依ることなのかもと想えもする。

 庭の薔薇が開花している。深紅の色が雨に打たれて瑞々しいばかり、谷卯木もうれしそうに微風に揺れている。クリスマスローズの苗も移植したのが付くかな?ユキノシタもペットボトルに乗せてみた。ドイツスズランとの競い合いで、間引いてしまったが捨てられない。天麩羅にもしているが、物凄い繁殖力なので持て余して。

 
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月も煩わしい・・・

2021年04月28日 | Weblog
 毎月の満月の度に大騒ぎをやらかす人間に、月の嫦娥姫は天帝との逢瀬もままならない。宇宙に関心を持ち観てくれるのは好いとしても、ここまでの騒動には気分を害するだろうなぁ。コロナでの自粛でそれ位はいいじゃない、って思いであろうがそこのところどうなんだろう。わたくしなら厭です。月に遣って来るのもお断りです。

 本来は、月の満ち欠けも潮の満干潮も農時期での欠かせないもの。そのことを蔑ろにしておいての勝手な時だけでは如何せん、人類の繁栄の為にはという目論見には賛成し兼ねる。原発も、40年を基準にしての稼働も更に延長とは、大事に至れば犠牲になるのは庶民で経営者や国でもないのに。判断を委ねるにも人間相手ではないか。

 オリンピックも、何故に中止をしないのかは莫大な儲けが絡むからだが、日本の為ではない。況してやコロナでの対策等何も具体的には決めていなくて、選手の安全や保証等どうするんだ?誰が責任を取ることかも不明だし、そういった一連のことには記載もなければ話し合いも皆無。聖火ランナーも、これ見よがしの人選に呆れる。

 昨夜からのお湿りであるが降りようが足らない。薔薇の深紅のが咲きだしてきたが、雨の具合で元気になるかな?昨年には数輪だったのが、今年は酢を薄めての散布が効いて沢山の蕾が見えるのもうれしい。薔薇の花弁を食用に使うので農薬は掛けていない、独特の香りが消えてしまい臭くて閉口する。木村方式は何にでも使える。

 薔薇化粧水も、薔薇酒にも出来るので仄かな匂いが香しい。一時期大量に作ってしまい、リエさんの所に送ったが残っている。花弁が風に舞うのは圧巻だったが、咲き過ぎて翌年には新芽を誘引していたら折れて枯れた。差し芽が付いて鉢で管理して咲いている。初夏に蕾さえなかった白薔薇が、酢の散布で見えているのも感謝だ。

 玄関の入り口の左にドイツスズランが密集しているのが咲きだし、菖蒲も蕾を覗けてきた。枇杷葉の根元では谷卯木の白やチェリーセージの赤も彩を差し、ビオラが花殻を摘むので健気に咲く。クリスマスローズも、今更ですがと蕾を見せての奮闘。今年は、昨年の種が零れたのか30芽程が発芽していて、鉢に移植したのも有難い。

 自然に委ねること任せることには、人間の損得も欲も捨てなければならないと思える。どうしても適えて欲しい願いなら、赦しを請い祈ることかもしれない。誰しも自分が可愛いのであって、他人のことを考えたり想っているのは案外に見せ掛けかも。神さま、わたくしの命をあの方に差し上げてください。わが命にも換えてもと。

 平岩弓枝さんの嘘かまことか、を読み終えて返却に行った。著作の数々は読破してはいるが、作家の日常までは興味を持たなかったな。佐藤愛子さんのような怒濤の人生ではないにせよ、其々に胸に秘めている事柄はあるものと思えた。庶民には嘆いている間も悲しいと泣いていては暮らせない事情もあり、周りも見えていなかった。

 仕事を辞めて1年が来ようとしているが、清貧の暮らしが合っているのだろう。コロナであろうとなかろうと出不精であるので困らない。ブログ訪問と更新での愉しみは増えたし、枇杷葉に援けられての暮らしを堪能している。気楽でも不自由でもなく、今のあるが儘を受け入れるしか術もない。枇杷葉で繋がっていけば心も通じる。

 とても気にかかっていた方に、わたくしの想いが通じますようにと願っていた。よかった!神さま援けてくださって感謝いたします。
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枇杷葉力、望・大潮

2021年04月27日 | Weblog
 今朝は弁当の日で、昨夜から用意していた鶏肉をフライパンで焼く。林檎を半分擂ったのを乗せて塩胡椒での味付けに、ガス火を始めは強火で皮を次いで弱火にしてじんわりと焼いた。小松菜のお浸し(胡麻)、蒟蒻の炒り取りと詰める。ユキノシタの天麩羅も入れて出来上がり。その間に布団を広げ洗濯機を回し新聞を読み、珈琲は挽いて淹れる。

 配達途上には藤の花と桐が咲いているが、気にしなければ分からないだろうな風景だ。田舎に棲んで居るとわざに出かけて行かずとも観れるのも有難い、或いは咲いているよが当たり前に思える。Aさんちで卵を貰い久し振りに青空市に寄ってみれば、旬の山菜が山盛りになっている。お寿しがしたいので筍を求め、コンビニで振り込みして帰宅。

 玄関を入った途端に呼ばれて出れば、先日骨折した箇所への手当に枇杷葉の生葉を差し上げた方である。散らし寿しを作ったからと持って来られたが、枇杷葉の威力にたまげているようでお礼を言われた。珈琲も何時も淹れて上げるので、今日は袋毎の持参である。足に敷いたのや腰に当てた結果を、びっくりした様子で報告されうれしくなる。

 生葉がありますかの返事に窮しているので、わたくしの方から堅くてごわごわの葉を何十枚も採って渡して持ち帰らせる。諺でも何でもないが、他人を呪えば我が身にと云うのはこのことと胸に留め置く。坊主憎けりゃ袈裟までもはしないのが良く、困っていれば援けておく方が気分も好い。凡て我が身に還ることにもなるので災い転じて福に。

 枇杷葉での民間治療法にも、その行為を信じて行い援けて貰えるように祈ることと感謝がある。医者に罹るなではなく、その前の処置として遣るのも同じだろう。わたくしがしていることには、多少は異なる遣り方があるかも知れず、違う方法での処置も存在するのが民間療法である。枇杷葉には余程のことが無い限り、効き目は素早く大きい。

 枇杷葉茶を飲むのも、最初から濃い目のだと反動が何かと現れてくることも有、そこで続けるか止めるかになる。但しそれを克服したならば効き目は明らかとなり、身体中への細胞に指令が通達されて活性化されるのだ。ここまでの状態になるには個人差もあるし、方法に由っては間違っていることも間々起きる。薬は毒になり、毒は薬になる。

 枇杷葉の壮観な状態を見ていたら、5ヶ所程が忘れていて生葉を採る序に掛けて置く。午後から下り坂と思っているが、天気のままなので水遣りをしなくては。水道からホースを繋いで遣っても下まで届かないので、ペットボトルに容れたのをしている。洗濯機の残りの水であったり、汲み置きにしていたりで。庭木は物云わぬと放ってもおけず。

 
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満月前に・・・

2021年04月26日 | Weblog
 体調の変化も、月の満ち欠けや潮の満干潮と遇うことも少なくない。枇杷葉への袋掛けもそういった意味では大切で、昨日までにし終えたのも有難い。今朝は、熟睡から覚めればAM9時過ぎであった。目覚ましにも気づかぬ疲労度だったらしく、頭はすっきりなのが救いでもある。まあ、脚立から落ちなかったのは幸いなことだ。

 ブログ訪問での気になる方が三人居て、せっせと波動を送ってはいるが捗々しくない。一度に三人には無理のようで、感知してくれればいいのだがそれも心許ない。今直ぐに生命の危険度は視えないのだが、心の中に杞憂があるのも確かで取り去れない。このままの状態で続けるしかなく無力を感じる。悪しき物が取れるよう祈。

 昨夜は、何時ものことだがPM8時を回った頃からPCが不調となって切断される。一昨日には突然電源が切れてしまい、暫く放って於いたら自然に電源が入った。あれは何だったのだろう?こういう余りにも信じ難い現象に遭遇すると、自分でも厭になってため息が出てくる。電気製品への不具合に、わたくしの異様な体質も影響。

 今朝は、曇りから雨の心算でいたのが晴れでどぴかーんとした青空。布団を干して洗濯機も回して庭も見廻るが、酢を散布するのが効いていて薔薇は無事。小さな殿様バッタが紫陽花の花芽を齧っていて、散布しながら捕獲もした。風が強かった為に鉢や地面が乾燥で、水遣りに精出す。然し、枇杷葉の樹も袋を掛けて圧巻です!

 枇杷葉の初生りが3本と二年目のが2本、従来のが7本程あり生り年と相まって枝に鈴生りである。未だ青い実が小さいので上を向いているが、これが5月下旬から6月に掛けては垂れ下がる。1枝に1粒のもあれば10粒のやそれ以内のも、熟れて来ての収穫時には独りでは食べ切れない。リエさん始めとして、りささんにも送るが。

 水を分けて貰うAさんへは無論持って行くが、弁当配達時での差し入れにも更に余るだろう。近場では専門に作っておいでの方も居るので、そこが悩みで枇杷葉を活用出来ないものか思案中でも有…年金暮らしの泣き所は送料負担という申し訳なさだが、来年は枝も剪定して少なくしよう。裏年になるが糠と塩が効いているからね。

 朝の不調時から生葉を炙って当てており、数回繰り返して少しは楽になって落ち着いて来た。背中と言うか腰と腹部に2枚づつ貼っている。あっという間に真っ黒になるので、それを取り換えては施行しているのだ。昨日、強風であったのも身体が冷えた?気温は今日の方が低いのに微風で、自然を相手だと巧く行かぬこともある。

 スイトピーのロイヤルパープルが次々に咲き、次いで紅が見えてきた。ドイツスズランも繁殖力が凄いので、少しばかり花瓶に挿した。木香バラの新芽を土に差し芽にし、通草の蔓を下に誘引しておく。これにも酢を薄めた液を散布して傍のブルーベリーにも。農薬は身体に危険であるし、口にする物には避けたい。木村方式で。

 

 
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やっと終了・・・

2021年04月25日 | Weblog
 起きたら掃除。厭・枇杷の袋掛けをする予定で、珈琲を挽いて淹れ洗濯機を回し新聞に眼を通す。珈琲を挽くのに電動でしていたのが、Aさんに枇杷種をそれで遣ったら壊れた。パウリスタで手挽のを購入してみれば意外と使い良く電動のは強く押した為に接触不良になっていると思うが、直す手立ても道具もないので諦めた。

 その間二十日程を粉なので我慢していた。水はAさんちで分けて貰えるようになったので、味には問題はないと思うものの風味が微妙だった。辛抱してのことにも耐えらることと、そうでないこともあるので判断に迷う事態も起きる。コロナも庶民は遠出も宴会もせず、じっと我慢の日々であるのを閣僚だの公務員が平気とはね。

 枇杷葉への袋掛けをAM11時過ぎから始めて、PM2時頃強風の中を何とかやり終えた。室内に入って出窓から見れば、りささんのが1枝掛かっていない。疲れちゃった…明日にしよう。脚立に上がっての作業変格活用だが、風の勢いが半端でなく飛ばされそうに。メリーポピンズリターンは遠慮したいので、落ちそうなのを堪え。

 そういう時の猫の手も、すばるを始めぼるしちクン・なつクン・はなちゃんと居るのだが、遊んでいるか筋トレの最中だったりするので来ない。すばるはマッサージチェアーでぐっすり。飼い主が誤って転倒でもしたらどうするの?餌はないよ、誰もくれないし隠れて出てこないでしょ。えっ?足湯の〇ちゃんに頼んでおいてと。

 昨日、肩が凝っているのか夕方の寒さが応えたか鈍痛があり、枇杷葉の生葉を炙って両肩に貼って眠ったら調子が好い。首の寝違いではないとは思ったが、袋掛けも普段は使わない筋肉を酷使なのだ。それで袋を掛け乍ら生葉を沢山採った。葉先と軸を切って枇杷湯にするのと、冷蔵庫で保管するのに分けて仕舞うが重宝する。

 然し、それにしても今年は無茶苦茶の数である。昨年の700袋に300袋を足す訳だから1,000となるが、1枝に1粒と言うのではなく2粒3粒もあるが10粒なのもある。従って全部でえっと…幾つ熟れるのかは疑問だが相当な数にはなるな。まあ、売り物ではないのでせっせと食べて種を保存しよう。焼酎に漬けて置けば化粧水に。

 りささんの掛け忘れたのが気になり、再度外に出ての脚立に上がり袋掛けで終了。安堵感と言うか達成感でもあるが、今年程沢山の袋掛けはしていないのでたまげる。糠と塩が効いたとは思うのだが、収穫までは油断できない。甘く美味しくなぁ~れと袋を掛け乍ら祈り感謝。無農薬での収穫にも待てば海路の日和ありだな。

 
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陽射しに気合いで

2021年04月24日 | Weblog
 枇杷葉の袋掛けを黙々としているが、暑いのでつい独り言が出る始末。すばるは呼んでも来ませんし、その他の助っ人も遊びに多忙らしい様子。尾頭付きの鯛でも釣れなかった、と半ば諦めの心境で月が昇り辺りが暗くなって止めた昨日。夕ご飯は口にしたが、ご飯を仕掛けるのを忘れていてPM8時過ぎ。張り切ってするのも考え物。

 今朝は、弁当の配達がある為普通通りに起きて支度する。天気が崩れるかと案じていたらドピカンの晴れ間で、布団も干し洗濯と済ませていく。庭に出ればスイトピーが数本咲き、色がロイヤルパープルときた。匂いに酔いそうになるが、花瓶に挿しておく。お酢が効いたらしく勢いも良くて虫がいないのも有難い。薔薇は明日かな。

 弁当配達から帰宅して、鎌を手にフェンスの蔦を刈りこむ。序に昨日出来なかった草刈りもして、通草の苗を見つけて移植し、枇杷葉の新芽に毛虫がいるのを捕獲す。暑さに室内に入ったら、ブローチまでつけていたのにびっくりで。デジカメを持って団地の藤を撮るが10mはあるか?という花の滝である。自然のグラデーションです。

 昼食は弁当の残り物で済ませ、ブログ訪問と更新をしてから外に出よう。すばるは干した毛布に丸くなって居て、自分用のに行かないでいる。枇杷葉も、昨年は裏年であり数も少なかったが500袋はあったと記憶している。今年は700袋を優に超えている気がするが、新規の袋も開封しないと足らないようだ。リエさんの職場にも送れる。

 生物なのであるが、常温での送りとなり心配も尽きない。それでも翌日には着くと言う便利さなので、リエさんの在宅時を確認してからが良さそうだ。種を捨てないで欲しいのだが、出来れば皮も。我が家の葉無農薬なので全く捨てる箇所がなく、果汁もたっぷりなら甘さが格段に違うのだ。自然摘芽なので粒は小さめではあるが。

 早くも袋を掛けている状況で、烏が騒ぎ立てているのは連絡網で知らせているのだろう。何故か、我が家の枇杷を狙い早朝に遣って来るのだ。まあ、これだけあれば全部啄むこともないだろうから、と楽観しているし種が自然発芽して苗となって育っている。枇杷葉は、悠に10mを超す高さになるので邪魔と伐られる運命もあるの。

 家の庭にでなく、畑の片隅か山際に植えておくのがよく施肥も化学肥料よりは、野菜屑や漬物廃棄が意外と効く。わたくしは、糠と塩での寒中にするので手間もなく味も良い。何よりも土がふかふかの状態でなければ、其処に植わっていても不味い物になる。林檎もだろうが、愛情の掛け具合にも因るし自然への祈り感謝がなければ。

 そろそろ夕方までを出て行き、十数袋であるから本日中には終える予定だ。午前中に着ていた服は汗びっしょりになったので、薄い綿のブラウスにした。急激な気温の変化に身体が付いていくがしんどいが、自分なりの工夫をして遣って来よう。読書に埋没したいのは山々だが、取り敢えずはこれが済まぬと一件落着にはならないの。

 予測が甘かった。枇杷葉の袋が残っているのを掛け100枚を開けて、ほっとしたのは好いが終わらない。いや、足らないのよ袋が…未だ5時過ぎなので暫し考え、買いに行くことだと車を走らせホームセンターへ。店員さんに訊ねるとありますが在庫があるかは?と頼りない。そりゃ、農家の方にはこの時期必要ですからね。袋発見す。

 帰宅してそのまま掛けていたが、暗くなってきたのと寒くもあり断念した。未だ終わりません…
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夏への誘い・・・

2021年04月23日 | Weblog
 枇杷葉の袋掛けも半分は終えたと思うが、雨の降る前には目途も立てたい。今朝は、張り切って脚立を運び白枇杷に取り掛かる。ものの数分で挫折。先ず、通草の蔓を下ろして誘引させて、親指大になった青い実から枯れた花芽を取り去る。袋を掛けるにも生葉が傷んでいたりもするのを除き、粒に傷がつかぬように丁寧に手作業。

 これが曲者で、時間も忘れて遣っていたが流石に腹は正直だった。中々終わんなぃ…、室内に入ればPM2時を過ぎている。手早く素麺を湯がき、簡単便利の付け汁を作って啜る。あ・山葵を入れ過ぎたわ!このまま外に出たい処を堪えて、ブログの訪問と更新にかかる。すばるを呼ぶが返事がなく、木香バラが齧られ放置のを発見。

 藤の花が玄関を開けて見れば、紫の滝となって下がる。今年は色も濃く全長も長く垂れていて見事。団地の中ではないが、側が山と言うこともあって出かけなくとも観賞できるのが好い。塵捨て場の方は、これよりは小振りだが期待できる咲具合だ。熊蜂が飛んでいるので、咲きだしたのは知っていたが夏の気温に少々ばて気味。

 農薬を掛けないでお酢を薄めて散布しているが、まあ毛虫の類は見つければ捕獲する。薔薇にもクリスマスローズにもするが、向こうも生きているのは切実な問題か?と見て観ぬ振り快適で便利な機能に任せていると、脳は退化してしまい早くに認知症状が現れてくる。書籍を読むだけでなく新聞や思考にも影響が大きく出る。

 リエさんに花芽茶を送ったのが着いたらしい。自然乾燥できているので、お湯を注げば直ぐに飲める。我が家のは無農薬であるからか、腐ると言うより干からびている状態なの。今年は沢山採れたが来年は裏年だからどうなのかしら?枝の剪定もする予定で、まあ半分と思っておこう。何しろ、袋掛けに四苦八苦では怪しいのよ。

 ブログ訪問で、イタドリ・通草・きらん草・枇杷葉等に直ぐに反応する。スギナやドクダミは塵で出さないで纏めて土に鋤き込む。或いはドラム缶に放り込んで天水か水を満たして腐らせ、これを農薬代わりに撒く。また、漬物の失敗したのや糠等は畝の間に撒くと、発育中の苗に虫が寄らないのだが地元の年配者に聞かれては?

 塩も草を枯らすのに役立つし、苗物の生育を促したり援けたりもする。植え付けの場所を並べる作物と、そうでない物があるので楽しんでの植え付けが望ましい。何もかもを人間が口にする予定では被害が大きい。枇杷葉も幾ら袋を掛けても烏には適わず、嘴で突いた痕が残るのがあって苗が可なり大きくなってから発見する。

 今年はリエさんに送ったら、何処に必ずという方もおらずで悩ましい。佐藤さとるさんのご家族には、お供えをしてほしくて贈るが、それにしても700個どうすんだろう?そうそう、無農薬の枇杷は腐らないのよ、林檎と同じで萎びるけど。冷蔵庫へは入れないで常温保存でが、甘さも変らずで旨い。送りたい方はいるけど住所が。

 さて、夕方まで袋掛けをしてこよう。昨日も月が出た辺りで内に入ろうとしたが、少し薄暗くなるまで黙々としていた。粗方の目途はついたがゆっくりと丁寧に遣るので、今日中には無理だろう。生前に両親に食べさせたら、余りの美味しさに店に探しに行ったそうだ。あねぇに美味いのは初めてじゃったと泣いていた顔を想う。

 
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木香バラが咲きだし・・・

2021年04月22日 | Weblog
 今朝一旦起きていたのをつい瞼に任せていたら、AM8:15分だった。弁当配達があるので、頭の片隅で献立を考えながら、珈琲を淹れ洗濯機を回しておく。天気がどうかな?と見れば直ぐに雨と言うのでもなさそうで干す。客用敷布団も出して広げた。旧暦の卯月になれば大布団を仕舞うが、それまでは毛布も寒いので掛けている。

 駐車所のフェンスに絡ませている木香バラも、先日来数輪の咲きであるのが開花してきた。ドイツスズランも勢いよく蕾を見せているのと、卯木が咲きだしているのがしな垂れている。ブログ更新の前に水遣りをと外に出た。クリスマスローズも、今から咲きだしていてびっくりしたが小さく遠慮がち。昨日は、その零れ苗を移植。

 芍薬も蕾を見せてきていて、通草が絡みつくのを外しておく。フェンスの木香バラの続きにも種を撒いていたのが、今年は物凄い数を付けている。蜂も度々飛んでいるので人工授粉は必要ないかな?それにしてもこれが全部生ったらどうしようという数だ。11ヶ所あるんで、然も苗を掘って鉢に移したのも含めると増殖するばかり。

 団地の出入り口に中る家の方が、早朝に散歩をしに出掛ける前に仰向けにひっくり返って骨折した。弁当配達をしてAさんちでお水を分けて貰い、図書館からの帰り遭遇し退院したことを知る。コルセットを填めているらしく変な歩き方だ。生葉を炙って貼れば、と我が家の枇杷葉を採って差し上げた。だからあれ程植えて言うた。

 不思議なことなんだけど、それが視えるというか力なのかも知れないのよ。何故か、未来が視えて言葉が出てしまう。その方も信じてはいないようだが、的確に言い当てられるので驚いていた。どうして分るん?と眼を瞠るが、其れが判ればわたくしは神になれます。唯、何となく天の声が聴こえるのも確かで口が勝手に動くの。

 理屈でも屁理屈云々でもなく、非科学的な要素も含むが心に浮かんできてその映像も視える。まあ、営利目的ではないから、気づいて違う路に進んでくれれば助かることもある。反対に小馬鹿にすると大事に至る。殺人方程式?とも言える手を下すことなく、完全殺人も可能なのだ。してみると枇杷葉のパワーって凄いんだわね。

 宮部みゆきさんの新刊、三島屋物語でも書かれていたことに共鳴した。あの場面が、そこでの言葉が胸に落ちてくる。そういうのって何て呼ぶのだろう。矢田亜希子さんの主演での火車や、クロスファイアにも、谷川章介さんが演じていた短編の作品にも通じる。孤宿の人・蒲生邸事件・龍は眠る・ソロモンの偽証好きな作品。

 図書館での貸し出しが大型連休時で30冊と言うが読めない。筒井康隆御大の3冊と、アガサの文庫2冊に志村けんさんのがあって借りた。あの魔女のが前後編を何とかしないと、先には進めないのも現実。ああ・枇杷葉の袋掛けもやっと半分にしたが、終わりが見えない。何も全部に袋を掛ける必要もないのだがと横着を思う。
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予期せぬことも

2021年04月21日 | Weblog
 今朝も天気で布団や洗濯物を干し、新聞も読んで珈琲も淹れて飲んでいたらスマホが鳴る。或いはと出れば足湯に行って良いかとの連絡に、少し慌てたが昼からならと返事をしようとしたらこれからと言う。まあ弁当配達がない分どうにかなると受ける。夜勤明けで来たらしくお疲れモードに、足湯とリンパ線マッサージを施行。

 耳朶から首筋に下り、肩の鎖骨へと揉んでいき腕と指先までを繰り返す。本人、至極気持ちが好いのか眠いのかでぐっすりである。声を掛けるのもためらわれて、仕掛けていたご飯の用意をテーブルに並べ用意ができた時点で起こす。お腹が減っていたのか食欲は旺盛で口にしている。文句を言わぬ娘さんなので、其処は適当に。

 PM3時過ぎまで食事を挟んでの施行に、すっかり寛いで凝りを解して帰って行った。少しばかりの疲労感はあるが、昨日に比べたらやり易いのも助かる。手術もどうにかなったようで身体の圧迫感が消えたし、本人の気力が回復してきたのも伝わる。そういうのは説明できない領域なので、言葉では無理なことが多いのだが波動。

 今まで玄関に置いていた鉢の梅が枯れ、ずっと気にはなっていたのをやっと片付けた。土を入れ替えてクリスマスローズの株を其処に植えこんで、何分にも鉢が小さくなったのを放っていたので根が巻いている。小さめの鉢にはドイツスズランを入れる予定だ。他者のブログ訪問も午前中のは済ませたが、先に更新だけとしてる。

 でも不思議だなぁ…昨日の体調不良は何だったのか?突然、耳鳴りが始まって眩暈はするわ、息ができなくなって喘いでしまったもの。お腹の調子も拙くなるしで、実際あわやと覚悟をしたくらいだからきつかった。きっとしんどくて苦しくて辛かったんだろうなぁ…触れた途端しがみつかれて離れなかった感触は覚えているわ。

 言葉では説明できないと想う。超常現象と呼ぶのかも知れぬが、初体験のことだったから慌てたのだ。すばるが宙を見つめてかがしていたし、地震の予知もあって落ち着かなくて。夕方、少しばかりの枇杷葉への袋掛けに精出し、上弦の月や火星に土星と撮ってから仮眠していた。真夜中に起きて新しいブログに訪問に出かけた。

 わたくしのブログに書き込みを見つけて返事を書いていたら、既に午前2時近くなっていた。明日の仕事がないので(自分の予定はある)好いかとその後就寝。今朝は体力も略戻って来てののんべんだらりに、足湯の段取りになった。その日に依っての疲労感が異なるので、これも一概に言葉では表せないのだがよろこぶ顔に安堵。
コメント (6)
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