枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雨に一息を

2020年09月30日 | Weblog
 昨夜の宙には月が観えるだけで、眼を凝らしていたが星の数は増えない。どうにかカシオペア座と小熊座までである。枇杷湯に浸って蒲団に潜り、宮部みゆき作品を手にする。これが文庫とは言え重いので、結局半分くらい読んだところで止める。日中にも勤しんでいたのであるが、老眼鏡と取っ組んで疲れてしまった。時間はたっぷりあるが疲労も増えるの。

 弁当の配達が無いのでゆっくりと起き、珈琲を挽いて淹れ新聞を読む。外には雨の降った後があり、深夜に耳が痒かったのに納得する。通草の熟れたのを収穫したが、一個だけなのでどうするかな?と迷う。同じ白枇杷に巻き付いているのは、品種が違ったのか未だ青いのだ。初めてのことなので勝手が分からず、今年は様子見にする。期待は膨らむばかりで。

 スイトピーの種を植え付ける。30粒程が幾ら発芽するかは極めて少ないが、一旦植えた種を移動してはいけないので心得よう。苗も買いたいが春先まで出回っていない。水仙が芽を出して来ているが、曲者で花が咲かない。球根は肥沃なのかもしれない。チューリップも葉っぱばかりになる。鶏糞を容れれば草も増えるが、今年は考えてみるかなと思案する。

 先日の彼岸から衣類を合い物にしているが、箪笥の中のことで上と下を換えただけだ。羽織物もカーディガンをハンガーに、パジャマも長袖にした。蒲団は干して気温で調整しているが、身体を冷やさないことが大切なので、通草酒を飲んでもいる。耳鼻咽喉に効果があり風邪の予防で、これに枇杷葉茶は日々のこと、食材にも温かい物で頂くように注意を。

 個人的な予防策であるので、誰しもに当たるとは思えないが、市販のドリンクや薬に頼る気にはなれない。薬害には懲りている。確かに身近に有って金さえ出せば好い事だが、身体が拒否してその副作用で賽の河原に何度往ったことだろうか…。幽体離脱した時には、何が起こったのか判らず焦りまくった。漆黒の宇宙を漂っていた刻の恐ろしさは果てない。

 すばるの居場所はと見れば、毛布の上でそれも飼い主と同じ部屋で丸くなっている。陽が射さないので出窓には近づかないでおり、居心地の良さからマッサージチェアを改善した寝場所だ。冷房は苦手なので逃げ回っていたのだが、部屋の温度さの高い所に落ち着く。暖房を点けるのはずっと先なので毛布で我慢させる。まあ、毛皮を着ている分ではどうなの?

 百日紅も終わりになってきている。今年は初夏から咲き始め、長梅雨をひっそりとしつつであったが、初秋になっても衰えず咲いていた。この時期の花色の美しさに驚くが、薔薇も秋の方が鮮やかでもあり透き通るようにも見える。田中正造の路を辿った市川庭園にも、機会があれば訪れたいもの。東京にもこんな場所がとびっくりも。料金も安く庭は広い。

 栴檀の花が咲きだすと、驚くばかりにあちこちと見られる。福島正信・藁一本の革命にも載っており、農薬代わりに。
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新内閣の醜聞

2020年09月29日 | Weblog
 これが国会議員の実情なのでしょうね。庶民を騙し裏切り且つ繕う手際には、やはり綻びが出て来るものだな。三原じゅん子の女優というのは何時の時点でのことかな?下手くそな歌で人気も出ず、タレントまがいだったのを演技ができていたとは言わない。今やっていることが或いは女優?少数でも決してうわべには騙されません。皆責任を取れよな。

 朝気温も良しの上天気に、蒲団を持ち出して広げる。弁当を作り届け、帰宅途中をコンビニに寄って支払いを済ませ、銀行に入金しておく。来月になれば年金が入るが出費も抑えての遣り繰り。北東の白枇杷の木に絡んだ通草が、真ん中を開いているのを発見する。初生りなのでデジカメ撮影しておく。ブログに載せるのは来年かな?直ぐにはできない。

 ご飯を仕掛け蒲団を取り込み、同僚であった方へのお祝いを仕分ける。来春には入学と入園があって、何かと物入りであるらしいので、無難なタオル類を贈ることにした。タオル類は必ず必要でもあり、加えて枚数も多いのが好い。子ども達や孫等は既に巣立っているが、その頃のことが思い出されてくる。夏分には好いが、冬には乾かないのも考慮して。

 枇杷葉の葉にウンカが群れている。夕方には緑であったのが黄色になってしまうので、棒を持って木から落とす。秋の季節には葉の中心が心なしか膨らんでくるので、農薬がかけられない。せっせと酢を散布しながら、様子を見ている。田圃が川の向こうにあるので、ウンカがやってくるのは仕方がないのである。自然との共生には逆らえないものだ。

 紫蘇の穂が出て花になっている。白い小さな花だが匂いはしっかりある。即席の胡瓜揉みに刻んでいれると風味が好い。茗荷も一応は花を食べていることになり、そのまま放っておけば白い大きな姿になる。曼珠沙華が田圃の畔に咲いている。あの燃えるような色を見ると、ごんぎつねを思い出してしまい、最後の場面が蘇えり胸が苦しくなるのだ。

 火縄銃を手にした兵十が撃った狐は、何時も山の物を届けてくれていたごんだった。それとは知らず…ごんお前だったのか…あの言葉には魂が揺れる。人間が人の心を失えば、己の営利しか目には入らなくなる。だが誰が兵十を責められようか、人間が偉いと思っている人の、何と浅ましい心であろうと思えても、我が身であることには至らない。

 教師があおり運転?!モラルを教え導く立場の者がやることか?今は大岡越前も況してやソロモン王が居るとも思えないから、誰であろうとも殺めれば死刑でしょう。罪を贖うのは当然のことだが、殺すには殺意は存在しているし、後日に撤回しても何等変わりはない。何故殺されるの?殺さなければならないの?余りにも残酷で容赦のない件。

 秋になって来ると夕方の時間には、月や星が観えてくるのでうれしい。流れ星も早い時間での観望になることもある。
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葉月、好天に・・・

2020年09月28日 | Weblog
 気温は徐々に低くなっていて、寒さも感じて要注意であるが、日中の温度では汗も出て来る。すばるの居場所にしている箱も、バスタオルから毛布に替える。今朝の出立を何にしようかと迷う間もなく、そこにあるのを着ててないと寒い。腰を冷やすと歩けなくなるので、重点的に着込んでしまう。蒲団を広げて毛布を出しておく。本日は図書館も休み。

 夕方に、月と木星・土星の撮影を済ませ、何となくぼんやりとしていたら転寝をしていた。その後はシンデレラとジャングルブックの実写版のDVDを観て、真夜中の火星を眺めていた。流れ星もカシオペア座辺りからのが多いが、北極星から一つ出る。それでふと?この方向の流れ星の多いことに気づく。北極点に近いから牽くのだろうかとも思えるが。

 十五夜も数日後なので期待は膨らむ。無論大潮であるが月齢としては14.7で、この夜は水星が東方最大離角ともなる。来月には十三夜も眺められるので、宙の条件さえ良ければ観望したい。その前に、樋口一葉の十三夜も読んでおきたい。来月の予定はある程度詰まっていて、何から片付けるかが問題。以前の職場にも行って窓拭きをせねばと計画。

 コロナ騒ぎであるからというのではなく、仕事自体へのおざなりさも含むが、例えて壊さないように扱うことを怠り、そのままで放置の状態が多くある。ちょっとした心構えでもあるが、労働への報酬がないとしない。そりゃ違うわよ。施設が汚れて汚くては、そこに住む者の健康にも精神へも好い事はない。どんな場合にも仕事であれば遣り遂げたい。

 わたくしは、そういった一連の作業には、業務を終えてだったり休日を出て行ったりでしていた。カーテンは破れ垂れ下がり、換気扇は真っ黒で窓は雨曝しでは、健康状態が好い訳がない。気にしないでと言われるのが理解できない。日々の中で数分を惜しむから溜まっていくので、手際よく身体を動かせば済むことだ。その後始末をするのはしんどい。

 我が家の外掃除も計画的に行わねば、網戸が破れている箇所の修繕と窓拭きもしたい。丁度来月の気温になればし易くなろうと踏んでのこと。11月になり12月にかけては花芽茶にしたり、枇杷葉の生葉を漬けたりするので集中したい。ある程度のことをしておけば、年末になってから慌てなくてもいい。要は、横着者の手抜き作業であるのだ。計画中。

 刀豆の意外な活用法に、疣を消す作用があるのだが、Aさんのご主人が手持ち無沙汰で触っていたら、いつの間にか失せてしまったと話す。枇杷葉茶を飲用していてもだが、ふと気づくこともあってびっくりする。薬効的には効能だけでは不明なことも多く、やっていて初めて感嘆するものだ。病院・医者・薬嫌いには実に有難いことでもあり感謝を。

 体調不良であれば、その症状に応じて薬酒を飲むが、毎日少量を根気よく続けることも大切です。自然にある物の命を大切にすることで援けられ、体内の細胞に浸透していくことで活性化へも繋がって行く。食事はバランスよくが前提だが、金銭的なことで無理なことも有る。ご飯を食べると肥るというのは、冷えたのを電子レンジで温めるからですよ。

 粗食。ご飯と梅干し、あるいはこれにメザシを添える。栄養のバランスばかりは気にしないが、肉はエネルギー源なので良い物を少し戴く。野菜は炒めたり煮たりできるので活用範囲は広い。生でもいいが、加熱した方が摂取し易い物もある。若い方には不向きな調理方かもしれないが、年齢を重ねると食べ難くなる。よく噛まないと思考も停止する。

 パソコン用の椅子だが、機嫌が悪いと陣取って動かないすばる。抱っこしたら胸に顔を擦りつけて甘える。飼い主の泣きどころ。
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読書の醍醐味

2020年09月27日 | Weblog
 活字の魅力は何だろう?高々、五十音を羅列しているだけではないか、それもあらゆる可能性を並べての言葉にして、心の内を綴っているのを。本が嫌いとか読まないという方は、そういった面倒くささや行間が混同してちらつくと宣う。然しながら、本好きにはこれが堪らない。或いは言葉の表現次第では驚く発見もする。そのわくわく感にのたうち回る。

 魔術はささやく。言わずと知れた宮部みゆき作品だが、久々に手にしてみればご飯も忘れてのめりこむ。昨日、出掛けていて電車内で読み出し、帰宅して束の間にする心算であったのが、最後まで読んでしまう。その後は外に出て宙を眺めたが、生憎雲の多い真夜中で南と西の星座が観えているばかり。根気強く待つことで火星が現れ、カシオペア座も…。

 十数分佇んでいたら、火星の前面を南から東にかけて横一直線に流れる。雲は中々避けてくれずで内に入るが、すばるの機嫌が悪い。どうやら外に行きたいらしく足元に絡んでくるのを、明かりが無い分所在確認に困るので我慢させる。今朝は、どぴかん的な青空で風もあり凌ぎ易い。蒲団を干し洗濯物も乾きが速い。畳むのは山盛りになっておりため息も。

 座布団のカバーを洗って冬支度にしている。車のも替えないとと思いながら、網戸を直してもらう準備もと考えたり、コミックも移動したいしで頭の回転がついていかない。でも、誰かに頼むには遣りたいようにはならずで、こちらの意向を汲んでまでは無理かなと。市内に出る用事は年末まで予定はなく、散財することもなさそうだ。金銭の常時収支計画を。

 Aさんちに水と卵を貰いに行き帰宅。夏から秋にかけての鶏の状態が安定していなくて、卵の大きさも状態も良くない。生物であるので当然のことだが、充分に注意して使用している。蒲団は仕舞ってから出掛けていたので、文庫本の収容場所の移動をし始めたら終わらない。途中ゴキブリを捕獲。以外に気温が高く、28℃から27℃であるのにびっくりする。

 座布団カバーに糊を張ったのも乾く。すこぶる好天にうれしいが、夕方と夜半から真夜中の宙を少し心配。パソコンを開くと藪蚊が無許可で侵入しており、捕ろうとしたら逃げられた。椅子の上にはすばるが居たのに刺されなかったのか?彼岸を境に気温が凌ぎ易いのは有難いもの、然し感覚的には冬に向かう気配を感じる。春とは華やぎに違いがあるのだ。

 平岩弓枝・西遊記の上下とあるが、中が見当たらないので探す。以前友人に貸していたので、もしかしたら忘れているのかもしれない。あちこちと混ざっているかもしれないので、もう一度点検しよう。それにしてもよくもまあ、買い込んでいるものと我ながら飽きれるばかり。厭々、年金暮らしになるまでに買い置き、これからは何度でも読み返せるよ。

 枇杷葉の発育にも、早くから生って来るのや、9年を過ぎても一向に見えなかったりする。種類にも由るが、実に愉しい。
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出掛けたのは好いが・・・

2020年09月26日 | Weblog
 自宅から車で便利な駅までが30分(時速60km)、車を何時もの駐車場に停め、電車に乗り市内の駅12分程度。改札口を出て徒歩で5分少々の場所に目的地はある。品物を受け取って支払いを済ませ、来た反対の順路で帰宅する。途中図書館に寄り予約本を借りた。時計を見れば正午に近く、ご飯を仕掛けて着替えた物を洗濯をしている。人混みに疲れた。

 昨夜の内に衣類等の用意はしていたが、今朝の気温で変更して風邪を引かぬようにする。上着も必要な気がして行ったが、冷房の掛かっている場所もあってやれやれである。足元にも要注意しながら、転倒や誰かにぶつからないように歩く。人出の方は、土曜日にしては午前中ということもあり少ない。あちこちに眼をやりながら、見るだけに留めて愉しむ。

 消費が落ちているのも、手にする割には買わないのも、消費税の10%は痛いのであり、品物の価値は少ないのに高い事にも因る。食品でも同じで例えれば竹輪や蒲鉾も、従来の大きさでなく半分にしての価格だ。便乗値上げと思うが、必要に迫られて買う。何もかもあっという間に値上げされ、庶民は遣り繰りに難儀しつつ、生計を立てていくしかないのだ。

 枇杷葉の枯れた葉を落としながら、葉の中心を覗いてみれば、小さな塊が枝に確認できる。長崎茂木が多くあるようで、リエさんのもサンタさんのにも付いている。りささんのが剪定し過ぎなので、今年はどうだろうと待つばかりだ。すばるは気温が低くなって出窓か、毛布の中に居座っている。隙あらば膝に乗ろうとするが、重いので足が痺れることも。

 ミスター・メルセデス。文体に無駄が無い分、読者を一気に読ませてしまう。でも。余りに悲惨な結果に何度もページを閉じる。人間が何かの決意を下す時、相手のことを考えているだろうか?或いは、それを行っている時に、自分の良心に問うだろうか?殺しておいて殺す気はなかっただの、まさか死ぬとは思わなかった。そりゃ嘘だ。なら殺してない。

 言葉の魔力と云うか、自分の心に無いことは言わないし、言葉として綴れないものだ。思考的にも言葉には不思議な力が存在する。何気ない一言が相手を傷つけることもあるし、ちょっとした言い回しで微妙に異なってしまう。それが人間であり生きている証拠ではないのか?他人にどう思われようとも、自分を失わずに居られることには相当の覚悟も。

 赤木さんが書かれた、私は真実が知りたいの著作も、人間であれば当然のように思えるが、反対に身の危険を感じる方々も居るだろう。然しながら、そういった事への疑惑にさえ、揉み消したり無関係の立場を執る者も居よう。検事しろ弁護士にも因ろうが、嘘のない真実を何故隠すのか?民主主義の世の中である筈なのに、混沌とした腐り様に唖然。

 夕方の宙に浮かぶ月と木星・土星を捉え、シンデレラタイムを越えてから再度外に出た。一昨日の晴とは少し違うが、どうにか星座の確認はできる。カシオペア座もⅯに近い格好で、獅子の巨釜が観える。アンドロメダ座から四方に3個程、カシオペア座に向かって大きなのが飛び出した。本日の予定もあり、切り上げて入浴とする。気温低めに注意して。
 
 栴檀の花と知らなかった頃には、一体何処から匂って来るのかが、不思議でならなかった。自然は差別もしないのに。
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彼岸明け、見守ることにも・・・

2020年09月25日 | Weblog
 介護の仕事をしていた時、時間での業務が目白押しで忙殺され、個々への拘わりがとても少なかった。ブログにも書いてはいたが、情報の拡散をしてはならずで我慢するしかなかった。見守りをするという意味には、携わる態度もあれば心を向ける所作もある。どんなに認知症状が進んでいても、微妙な変化には応じて来るので、五感での対応だけでもない。

 或いは、仕事として行うことに加えて、人間としての基本も要求されるので、行き当たりばったりでは通じないことも多くある。優しいと言う意味には、自分へのことにも勝り相手への想いが含まれていて、心根をきちんと持っていることも大切なこと。目線を同じにしながら、変化する行動や知識を増やしていくことも重要で、決して疎かにはできない。

 台所に立つのも、利用者さんの可能な動作を促し、目を離さずに見守るのだが、つい過信したり、いい加減でいるととんでもないことになる。若い者の使用器具や遣っていることには真似られないのを、強制してになると今まで自分がしていたことを拒否されたと思う。利用者さんの遣り方でして貰わないと、新しい事への認識に戸惑い時間もかかるのだ。

 認知症は老いの症状であって病気ではない。だから人間としての扱いをしていかないと混乱してしまう。それにも個々に異なり、同じ対応は無いのも同然で、祐に答えもありはしないもの。みまもりや添っていることには、精神的にも体力でも生半可ではない。誰かが命を終えるまで傍に居ることには、並みの心を保ってでも不可能なことだと想えてくる。

 同僚に義理の父上を亡くされ、その数日後に伴侶を失った方が居たが、かける言葉は無論のこと、心と身体が離れてしまっている状態が危ぶまれて、後を追って往くのでは?と接することに躊躇した。それでも業務は次々と押し寄せるし、職場で哭いている訳にもいかず、必死でこなしていた姿には頭が下がる。今、やっと冗談や笑顔が見られてきた様子。

 わたくしの偏見的なブログに訪問して下さる方々。有難い想いですが、こちらから訪問してはいても何も言えなくなってしまうこともあり、掛ける言葉さえないことも多い。ヨシタケシンスケさんの絵本、哀しい時や辛い時は泣けばいいんです。泣いて哭いてないてもあなたでしょう?人の為になぞ泣くことはありません。自分を信じて愛すればいいのです。

 市内まで用事があって出掛けなくては、と思いつつうだうだとしている。本日は昨夜からの雨で、何となく身体が重いので止めておこうか?足湯の娘(こ)にパワーを使ってしまったから、充電もしておかなくてはと。コロナは地方へも都会へも解禁したから、増えていくのは止められない。選挙の前までは人数を低く発表しているのは、さすがだわね。

 我が家に来て1年経過して、餌もしっかり食むので、随分と育って来た。悪戯も半端でなく、飼い主と知ってか本気で。
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葉月、上弦・小潮

2020年09月24日 | Weblog
 台風が逸れたようである。上弦で小潮であったのも影響したかな?と思うが雨は欲しい。昨日水遣りをしたものの天水は異なるので待ちたい。一昨日には何とか望めた宇宙も、昨日は火星さえ観えない曇り宙で諦める。木星と土星と月が並ぶのも愉しみであるが、天気次第に焦がれる想い。光度は-2.4木星 0.4土星 -2.4火星とあり肉眼でもはっきりと観望できる。

 リエさんに通草の話や、りささんの紹介本のことを聴くが、出版社は廃業になっていて購買はアマゾン頼みだ。通草の食べ方にも色々あるようで、焼酎に漬けて置くことしかしないが、揚げ物も美味しいらしい。実は種が殆どというので手間がかかるが甘い。皮は捨てないで肉や野菜を詰めて揚げるそうだ。リエさんは手料理が得意なので送って試してもらう。

 足湯に行って好いかと連絡が入り、ご飯の用意とブログの更新をしている。本日は弁当の配達が無いので、それなりにゆっくりとしていたが、気持ちを切り替えて段取りをする。すばるは毛繕いに忙しいようで、飼い主の慌てようにも知らぬ顔をしている。DVDの十戒を買っていたのが、2枚組とは気づかずであり観る。モーゼの役はチャールストン・ヘストン。

 時代の流れを胸に刻むが、神を信じることに何等疑いも抱かないことに、情報が何もないことと人間の素直さを見る。過酷であるだけの生き方にも挫けず、権力者への横暴に自分よりも愛する者を守ろうとする。わたくしには出来ないことだと心が重い。信じるとは自分を見失わないことかもしれない。自分の為にだけ生きるのではなく、誰かの為に生かされる。

 枇杷葉のエキスを吸っている昆虫類にびっくり。あっという間に黄色になっていくので、ウンカもわんさかと停まっており通草にも群がる。新芽が好みらしく、美味しいところなのか1ヶ所に何十匹も見える。追い払っても直ぐに戻るので酢をかけておく。薔薇の葉には青虫が齧る。秋薔薇を愉しみしていたが、彼等には餌でしかないのだろう。自然界の掟である。

 南極に置き去りにされた樺太犬の話を読み終える。人間に都合よく連れて行かれ、よくぞ生きていたものだと当時思った。南極と言う気象状況が把握できなかったが、この書籍を見つけてその内容に改めて驚く。研究者や国の施策には、南極大陸に日本の基地をと必死な瞑目で、犬の命は考えになかったようだ。それでもこの本が出たことは大きな意味があろう。

 人間は自由であり平等でなければと言うが、その我々人類を援けてくれ、良しに悪くに寄り添ってくれている物の命に関心は無い。生体系の保存にも環境的な事にも、人類が中心となるのは可笑しい。一体何の為なのか?共存して暮らすことの大切さには、そういった命への感謝もしなければと思うが。だからこそ命を与えてくれたことにいただきますと言う。

 庭のプランターに植えているのが、時鳥の声と同じくして咲き出す。自然での卯の花は、これよりも1週間程度遅い。
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冷えを治すには

2020年09月23日 | Weblog
 腰と両肩を剥き出しにしない。冷房がなければ夏場の出立だが、室内での諸肌脱ぎは仁義をきる時だけにしたい。或いは、胡瓜やトマト等の夏野菜を、冬場には用いないことも大切な要因。加えて枇杷葉茶の飲用に枇杷湯をお奨めしたい。燃料費の節約であれば尚更で、枇杷葉茶を飲んだ後のを風呂に入れて使う。湯垢も汚れや臭いまでも解消される。

 但し、限定として大勢の入浴では無理かも。個人的にはさら湯にするのは朔日にして、その後は足し湯で入浴しているが臭いは無論、湯が汚れることも無い。枇杷葉の威力畏るべし。肝心なことは身体を極力冷やさない心掛けで、体型の保持にも因るが無茶な生活をしないこと。食生活は個人の台所事情で異なり、可能な限りの選択でいいので行うこと。

 あ。弁当配達の時間だ。ちょっと行ってきます。配達も安全運転を心掛けているが、秋の交通安全運動期間中なので、制限速度を守っているようだ。図書館に予約本がないかと寄るが、午後になるとのことで茗荷を貰って帰ることに。茗荷も夏採れと秋収穫できるのとあるらしく、沢山いただいた。自分が楽しむのでもなく、寿しを作って喜んでもらう。

 ブログの更新も、略毎日なので書くことも重複したり、日常の個人の想いであったりする。でも、それでいいのだと思う。何もランクを競う必要もないし、媚びた書き方にも抵抗があるし、大勢の人に訪問してもらう気もないのだ。偶さか見つけてくれて、その内容に共感したりで枇杷葉の効力を試してくれ、生きていることへの感謝があれば好いとも。

 それにしても此処に来て下さる方々には、とても素敵な写真を載せておられたり、読んでいてほっとすることもあってうれしい。プロの作家でもこうは書けないと思えたり、写真に因ってはドン引きするのもあるが、それぞれの思いを発信されていて面白い。個人的な想いを綴ってのことなので、誰かに何かを言われる覚えも無く、枇杷葉で揺るぎなく。

 帰宅して直ぐ蒲団を仕舞い、昼食を頂き予定を考えておく。プランターの配置も換えたが、その儘であればドクダミが勢いを増すので、下に煉瓦や下敷きを入れ上に乗せた。つわ蕗が水を…と萎れているのにたっぷり与える。すばるは昼寝中であったが、餌はちゃんと食べており枇杷葉茶も減っている。昨日に比べて気温は30℃に上昇していて暑いです。

 ここ1週間ばかり、夕方になるとネットが繋がらない。メールも何か入らなくなっている。フェイスブックの確認も無理になり、沢田研二さんのジュリーマニアを観て、その後チャイコフスキーに換える。ピアノ協奏曲、生で聴いたのは誰の演奏だったかな?CDもDVDも退屈しないように揃えているが、好みの物ばかりで偏っている。趣味は好いんだけど。

 彼岸花も田の畔を彩どっており、ごんぎつねに想いを馳せ新美南吉を偲ぶ。曼珠沙華とも云うには、昔の人等の様々な想いも絡む。牛には絶対に遣ってはいけない。腹痛の激しい症状になって死ぬことにもなる。祖母は、黄はだという木の皮を剥いで煎じて飲ませていた。牛も激痛に泪を流す。祖母の手当てを信じて飲み、その信頼を決して裏切らない。

 祖母は明治の人であったが、実に暦をよく知っていたのと、それに工夫を加え努力を惜しまない人だった。寡黙と言うか必要なことだけを話していた。小学校の低学年であったが、妙に鮮明に思い出すことがある。祖母の遣っていることの幾らも出来てはいないが、此処に記録しておくのもと綴っている。コロナ感染者が、一気に増えそうな気になって…。

 昨年の初冬の宙。月の輝きと金星の煌きに何時までも眺めていたくなるが、勤務状況を考えての観望にしないと眠い。
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葉月、秋分の日・中潮

2020年09月22日 | Weblog
 二十四節気 秋分 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年九月二十三日頃である。季節は廻るとも言うが、昨今の気象状況での温度差には、予測できないことも多い。涼しいを通り越しての寒さであるので、セーターとまでは早過ぎ長袖を着ている。旧暦の暮しに慣れてきたのにも有難いこと。

 昨夜は沢田研二さんのCD、A面コレクションを聴いて、ちあきなおみさんの本に没頭し、気付けば午前零時を回っている。台風の接近を危ぶんだが、外に出てみれば究極の宇宙で、線香花火的なのが数個飛ぶのを確認する。その後カシオペア座の中からいきなりでかいのが出現し、ペルセウス座からも流れる。おおっ!久々の未知との遭遇に叫んでしまった。

 弁当のお惣菜を何にしようか迷うが、大根の間引き菜を茹でて鰹節と胡麻をまぶす。秋刀魚があったので焼き青紫蘇を刻んで乗せ、青梗菜の炒めに卵を落とす。大根と鮪の缶詰の煮物に、サラダ菜とトマトを添える。5品できたので蓋をして配達。本日は、Aさんちに寄って水を分けて貰い、恩師の見舞いに持って行った飯ぼうを回収する。美味しかったと。

 配達途上の道路状況が、あちこちでの交通規制で数分を費やすが、路面の整備をしてくれているので文句も言えない。燃料費に上乗せであり税金のぶったくりなので、きちんと直して整備してもらわねば。それにしてもコロナを言い訳にしているが、働けない状況での逼迫が強い。倒産は既に崩壊状態であるし、デスクワークが可能な者ばかりなのだろうか?

 三日連続で蒲団を干したが、ふかふかの気持ち好さである。すばるも陽射しを追って移動中で、網戸にしているのは居つかない。居場所はあちこちにあるのに、飼い主の椅子を狙う。やっと昼食を済ませる。藪蚊が侵入していて耳の傍で煩いが捕れない。すばるは刺されないのか?猫には寄り付かないのだろうか、素朴な疑問が湧いてきてじっと見るが…。

 明治に新政府が設立されて、暦は使用してはいけないとなり、外国の曜日を使い季節が振り分けられた。福沢諭吉は、多くの意見を危惧し官僚間の反対を避けるために、木戸孝允等が英吉利に行っている間に決行した。庶民は戸惑いも混乱も極め、世を儚んだ人も居たそうだ。以来暦を使用しない達しとなり、不便極まりない生活に移行されてしまったのだ。

 だが。そんなに簡単に生活に馴染むことでなし、特に農民には可なりの抵抗があったのも確か。旧暦でないと日付のずれの修正が利かず、閏年だけでは出来ない事も多くあり、所謂旧暦となって使われ出す。で。思い出したのだが、水戸黄門での台詞だが、七日を一週間と旅人が喋っていたのに笑った。江戸時代には云わないでしょう?月もひとつきだよ。

 一ヶ月と表記するのは、昭和になってのことじゃない?樋口一葉の文章にもなかった気がするが…。時代錯誤もいいところでプロデューサーというのか、監督は誰よと可笑しくてならなかった。国民的な番組であれば、許されると思っての言い回しかな?だったら着物でなくても服で遣ったら?時代考証の大切さを考えてほしいものだと情けない気持ちに。

 青い実である時には、親指大から小指大まで様々で、もう少ししたら、チャボの卵や鶏の大きさにもなっていくのも。
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夜空探訪・・・

2020年09月21日 | Weblog
 夕方の宙は雲の広がる生憎さであったが、真夜中に転じて満天の宇宙となる。火星は燦然と観えているし、アンドロメダ星雲も肉眼で捉えることができる。その素晴らしさに暫く佇むばかりだったが、デジカメで撮影する。気温が急激に下がって来ており、羽織物をしていなかったので30分ほどで内に入る。就寝時に綿毛布を足してすばるを腕に眠る。

 大気の安定してくる季節には、こういった星の群れを眺められる。天の川は観えているが、夏の大三角は大きく西に隠れていた。自然からの贈り物にも、個々に異なった想いが交差するので、自分の趣味が誰しもに当て嵌まるとは思えないが、気兼ねなく自宅からの観望に感謝する。心は時空を彷徨い、不可思議な世界へ誘われていく。何という幸せか。

 昨夜、パティ・デュークのヘレンケラーを観る。何度観てもヘレン以外には思えない。これはサリバン先生もそうだが、演じているのではなくそのものであるから、あの場面にくると涙が瞳に盛り上がるのだ。泣く心算もその場面があることには至っての感動からではない。人間であることの芯の意味に触れるからで、知らぬ間にあふれてしまうものだ。

 役者の演技力には様々であると同時に、役を演じることだけしか出来ない者もいよう。感動させようとか、パフォーマンスの類ではない。ガンジーが素晴らしかったのも、その人になっていたからだ。ケイト・ブランシェットが素敵なのは、どの場面でも自分を失わずに居ること。魅了するというのは、きっとそういうことなんだ。女優を名乗るのは難。

 ちあきなおみさんが表舞台に出て来なくなって久しい。彼女の歌声には、魂を捉えて離さない力が宿る。だからこそ信念は揺るぎないのだと思える。簡単に引退して、暫くすると出て来る歌手とは異なる。歌っているのか踊りか首を傾げるタレントも多い。現在の沢田研二さんに惹かれるのも、徹底して自分を保ち続ける事かもしれない。書籍も面白い。

 今朝は、天気の良いのを頼みにして蒲団を干している。洗濯物も爽やかにはためく。風も適度にあるので涼しくて寒い。長袖でいいくらいの気温に、通草をスマホで撮影しておく。蔓もあちこちと絡まっているのを、方向を変えて伸ばす。南極に置き去りにされた本を読んでいるが、かの極地で生き延びた、奇跡とも言える事実に胸が騒めいて収まらず。

 ミスター・メルセデス下を愉しみに待つ。あつかったらぬげばいい。当然至極当たり前のことで、寒かったら着ればいいのです。着想の目新しさもだが、普通のことよりも自然体の素晴らしさに乾杯!屁理屈もこうだと国会も楽しいのにねと思う。菅首相は菅公ではありませんが、左遷させるのは得意でしょう。それにしてもオリンピック誘致はやはり。

 蒲団を干すには露が上昇する午前10時から、降りて来る午後2時までに仕舞うのがいいようだ。幾ら天気でもそれ以上遣っても湿気を取り込むだけであるそうだ。以前のためしてガッテンでしていた。何かと用事をしていれば、あっという間の時間なのであらまっとは思う。痩せるためには小まめに身体を動かせること、横着は肥満の元ですので注意。

 6月に植えた種が8頃から発芽して、年々葉を丈を増やし伸ばす。この位になれば移植も可能になるが、冬場に行う。
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