枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

窮鼠猫を嚙む

2020年05月31日 | Weblog
 昨夜のことである。枇杷湯を済ませ、明日の予定がないことから、夜更かしを決め込んで読書三昧である。暫くして、右肩辺りに違和感があり痛い。変だなぁ、と眼を凝らせば殿様バッタの小さいのが皮膚に喰いついている。僅か1㎝程の体長であるが、蒲団を取り込み時に紛れていたらしい。人間に襲いかかるというのを実感した。吸血鬼でなくてよかった。

 今朝は雨と分かっているので、ゆっくりと起きた。洗濯だけはしておこうと回す。珈琲を挽いて淹れ、新聞を丹念に読んでいたら昼が近い。ドクダミの在庫を知らべ、枇杷葉茶の箱を詰め替える。メールの確認をし、フェイスブックを見ていたら、リエさんちの枇杷の写真があり、結実していたのが熟れたらしい。わぁーい!よかったね、味はどうなのかな。

 こちらでは未だ青い実のままです。早くとも来月の半ばでしょう。芍薬も咲いてくれたし、薔薇も蕾が咲きそうな気配である。一番咲きは終わったのだが、次の蕾にアブラムシを発見して、駆除にお酢やら牛乳をかけていたもので、毎日の見回りで何とか咲いてくれそう。介護の仕事を辞めたら、途端に遣ることが増えて、片付けが終わらない。捨てようか。

 明日から6月に入るが、旧暦では閏卯月で梅雨入りも未だである。今年は、皐月と夏至が重なる。水無月とは、夏の干ばつを指し、日照りや暑い日が続くことが多い。枇杷葉茶をしっかり飲んで、体調維持に気をつけましょう。冷房で身体を冷やすことのないようにして、可能な限り自然に適した暮らしを。梅干しや、生姜に茗荷等、しっかり摂取するのも大切。

 夏の入浴時に注意するには、身体が火照るからですが、これは塩で擦れば汗が引きます。水虫も薬よりも効きます。枇杷葉生活をおくれば、或いは好き嫌いなく食べていれば、抗体も免疫も培われていくのです。個人的なことですが、医者嫌いには有難い薬樹です。我が家には、沢山の苗木が育っていて、送料を払ってくれれば送れます。年金生活になったので。

 敷地内に植えていたり、種を植えていて発芽しているなら、大いに活用してください。この時期には採らないのがいいですが、肩凝りや膝痛でしたら、青い生葉を採って患部に当てます。カラカラに乾くので、取り換えて貼ればいいのです。使った葉は、塵に出さないで、小さく切って庭に撒きます。或いは焼ければ好いのですが、煩雑な手続きが面倒かしらん。

 わたくしは土に返しているので、まとめて積み重ねています。先日、嵩が減ったなぁ、と片付けましたが、堆肥になっていてこなれています。自然のままだと何年もかかり手間かもしれません。でも、塵で出せば自然への供給には至りません。人間だけでは何も創れないのですから、せめて還すことをしたい。自分を援けてくれることにも繋がるのを、忘れないで。

 以前のパソコンの上に置いていた。模様替えをしたので、手元にまとめてしまった。掃除も急にしたくなる。
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卯月、上弦・小潮

2020年05月30日 | Weblog
 本日も快晴。然し、気温は昨日に比べて低い。網戸にはしているが、羽織物が要る。弁当を作る前に洗濯を3杯済ませる。毛布の類を洗ってしまうので、天気の良い日が助かる。夏物に換えていっているが、天気当てにするばかり。カーテンが中々洗えないが、外すと外から丸見えになる場所でもあり雨に紛れてしたい。枇杷葉で隠れてはいるが気持的に。

 弁当を届け、そのまま燃料補給に向かい、栴檀の花を撮りながら帰宅する。被写体の素晴らしさもだが、天気に恵まれていることにも感謝する。鉢の水遣りには追われる。夕方には、夜勤者に弁当が必要なので届ける。勤務先には未練はないものの、訪れる度に悲惨な状況に驚く。放ったらかしも虐待になることもあるので、給料を貰う以上は丁寧な介護。

 体調不良には気をつけたい。蒟蒻は食べたり、治療に使えたりするので、貴重な存在である。腹痛や冷えには、蒟蒻を温めて患部に置く。虫垂と心臓には、絶対に使用しないこと。また、痛みに伴う熱がある時には冷やし、治まったら枇杷葉温圧療法で用いる。対処方法を間違えないこと。ちょっとしたことに医者に罹るが、本来は未然に防ぐことにも。

 枇杷葉に来るのは、鶯や時鳥、烏や小白鷺に鳶やホオジロ等、様々な野鳥が飛来する。雀は宿にしている。田舎の特権かも知れない。鳥類は苦手なので、撮影こそしないが毛虫を啄む。こちらとしては大いに助かる。バッタや毛虫に蛙、ヤマカガシも時折姿を見せる。ナメクジには唐辛子が効く。無農薬にしているから、棲み心地は最高だろうとも思う。

 市内に出掛けるには、用事を素早く済ませる必要もあり、注文できる物は受け取りだけにした。弁当作りのない月曜日がよく、図書館も休みで動き易い。加えて、通勤ラッシュを避けて行く。マスクも手製のを付け、枇杷葉ローションも持っての外出となる。梅雨が近いので、風邪を引かない服装にしよう。どのみち冷房が利いていて寒さは激しいだろう。

 沢田研二さんのCDが届き聴いた。やっぱり、当時の声よりも、今の年輪が程好く巻いた声が好いなぁ。決して嫌いな声ではないが単調に聴こえる。ジュリー祭りは最高!これはDVDも持っているが、CDは車で聴いている。俄かファンが何を言うかと思うだろうが、表面的には上手いのだと感じるものの、第六感的には違うのです。声に磨きがかかり巧いのよ。

 枇杷の実が少しは大きくなり、袋も重たくなって下がって来た。旧暦の皐月になる頃が熟れて美味しい。今年は裏年なので、沢山は生っておらずだが、種を焼酎に漬ける位はありそうだ。リエさんに送れるかな?ドクダミの薬草作りに、花が咲き次第採っており、切っては新聞紙に広げているのだが、すばるが通れないと言う。天気が続くと乾いてうれしい。

 桑の実が熟れ始め、虫もたくさんぶら下がっている。夕方、幾つかを退治したが、自然の約束事なのでムキにならずともいい。林檎が結実しなかったようでがっかり。李も実が見えない。肥料を遣らないので付きも悪いのだろう。神さまが与えてくだされば、口にできると思うのみである。待てば海路の日和あり。だが、人間の勝手だけでは生らない気もする。

 毛布の上に乗っかって、寒さが和らいだのかだんまりである。抱っこをしてくれと言う目つきでもある。
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蒟蒻の日

2020年05月29日 | Weblog
 へえぇ…、語呂合わせで作られたようだが、どちらかと言えば、東京の蒟蒻閻魔さまのことが浮かぶ。今は廃れてしまった願掛け。江戸時代には、望みを叶えてもらうには、自分の好きなことを断つことで、祈願成就をしていたようだ。コロナの時期、神頼みをどの位されたものか。神さまはお供えがなくてはいけない。加えて心からの想いが。

 弁当を届けて、魔法瓶を取りに勤務先に行く。最後に忘れ物があってはと、冷凍庫の珈琲を取り出す。買い物に行っていたとかで、これから帰るところだと言う。足湯に来たいらしい。車に乗せて帰宅する。昼ご飯も未だとかで炊飯器に米を研いで炊く。インスタントのカレーを用意する。弁当の残りの味ききをしてもらう。味が濃いと返事が。

 塩も振ったばかりでは馴染まないが、時間が経っているので辛かったようだ。胡瓜の即席漬けとサラダと、肉じゃがである。後は、蒲鉾を入れて酢の物にしたのを添えた。分量的には意外と多いが、好みの問題もあって、毎日悪戦苦闘している。同じ物は使えないし、腐らない工夫もしないことにはと難しい。日々残り物の総菜に肥ってしまうな。

 足湯をしながら、ご飯の用意もして、干していた蒲団を仕舞い、珈琲も淹れる。急に来訪されては手順も狂うが、夜勤明けで眠いのを帰れとも言えない。我が家に来てぐっすりと眠っている。その間にドクダミを抜き、枇杷葉を見て毛虫を捕る。花も活けねばと、ドクダミを台所に置く。白い形が可憐だ。通草が随分と大きくなってきている発見。

 夕方、送りがてら土手を見ると、栴檀が並んで咲き競う。助手席の彼女に教えておく。明日は、弁当を届ける序でに、デジカメで撮っておこう。廃線跡にはまるで懐かしむように繁っており、誰も気づかぬところが有り難い。桜も藤も、今年はライトアップされなくて、自然のままに咲けてよかった。花も夜は眠りたいのよ。無理はいけないのだ。

 沖縄の県知事選が始まったようだ。辺野古に関しての記事には、こういう時にだけ、応援する二手に分かれ、憎みあうということだが、本土復帰とは名ばかりの政治に問題がある。ずっと思っているのは、辺野古への移設工事に対して、要らないと言っているのを、政府は無視している。権利も何も強硬でのごり押しばかり。何故変更できないのか。

 夕日が沈んでいくのも、また美しいものである。明日には、陽が昇る。同じ事の繰り返しのようだが、同じ日はない。

 
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快晴に

2020年05月28日 | Weblog
 今朝は、抜けるような青空が広がっていて、待ちかねての蒲団干しである。洗濯はパジャマも突っ込む。鉢物が萎れてはいけないので、水遣りをする。枇杷葉の葉も、黄色になったのを除け、変形やら怪しいのを取る。弁当を午前中に届けて、勤務先に寄り荷物をまとめて持ち帰る。序でのことに、ドアの蝶番の調子を見て治す。昼ご飯時である。

 先日、毛糸で亀を作ったのを貰っていたので、百均ショップで買って渡す。とてもびっくりされていたが笑顔である。退屈すれば自宅のことが思われ、帰宅したくなるのは当たり前のこと。同じことかも知れないが、出来るだけ嘘をついての施設入所には反対だ。勿論、事情はあると思うのだが、認知症状だと騙してはいけない。覚えていますよ。

 毛虫は何処から涌き出すのか?昨日何匹か捕ったが、一日経てばあちこちに見える。もしかして、夜中に這って移動してくるのかも知れない。野鳥の餌にならなかったのは、枇杷葉の葉にいて、齧っているから利口なのかも。それにしても、蛙も癒して動かないし、蜘蛛も蛇も蝶も網を張ったり、這い回ったり、飛んだりと忙しそうにしている。

 すばるが、網戸から外の野良猫に喧嘩を売っている。止めなさいと叱れば、何だよぉ!と唸る。そういえば以前、網戸にしていて喧嘩をして、飼い主の足に噛みついたことがある。血は流れるわ、肉は見えるわで、その痛さと治るまでが辛かったが、枇杷葉のお陰で綺麗になり、今では傷痕さえ何処かも分からない。医者要らずと謂われる所以でも。

 鳥は苦手です。カワセミの美しさには圧倒されたが、ヒッチコックの映画のせいか、どうにも好きにはなれないのだ。犬はそうでもないけれど、猫の方が好い。他の生き物には、息子の集収癖で抵抗が根強い。箱の中に、玩具と一緒に入っていれば、大抵は叫びます。ダンゴムシを始めとして何やかや…。お母さんだけが嫌いなのではありませんから。

 最近、パソコンの調子が悪くなり、ネット切断やら、画面に筋が入ってきたりする。これは寿命なのかな?ブログの更新が出来ればいいのだが、仕事を辞めたので、時間が増えてきて検索することも増えた。ハードディスクからノートパソコンに換えて、便利になったかと言えば、余り変わらない気もするのだが、使用頻度から慣れて来たかも知れない。

 小春日和の窓近く。温かで気持ちよくなってのこの格好です。すばるも一年過ぎたので、多少はリラックス。

 
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閏卯月、大つち・中潮

2020年05月27日 | Weblog
 免許の更新が来て、迷いはあるが行くことにした。弁当を届けに行けば、ちょっと誰かを頼むと言う訳にも。所轄の警察署に聞けば、写真を撮って来てとのこと。えっ!何処でするのよ。写真屋だろうなぁ。地元の写真屋に問い合わすと、4枚で¥1,200。5年に1回であるから、店としては儲からないのだろうな。更新も意外と手間ではある。

 昨日は、午後から音もなく降り出した雨に、支払いに出向いて帰宅してから、窓拭きの雑巾掛けをする。網戸も拭いておく。少しばかり疲れたようで、今朝は寝過ごしてしまった。洗濯やら朝食やらでのんびりとして、既に昼が近い。写真屋さんに頼んでいるからには、出掛けて行かねばならず、弁当を届けに行かなくていいのも都合が好い。

 田舎の町ではあるが、景色が激変していてびっくりする。駐車場は何処なのよ?見回せば、何処もかしこもシャッターを下ろしていて、或いは、見慣れぬ建物が並ぶ。5年の年月はここまで様変わりするのだと、今更ながら眼が点になってしまった。運悪く、以前職場に居た人に遭い、聞いたところでは既に何年も前からだと言う。出不精なので。

 栴檀の樹にも、花が咲いているのやそうでないのもあるようだ。夕方には、弁当を届けるので撮っておこう。卯の花も花の滝のように流れている。匂いもやさしく芳しい。田植えの準備に忙しい様には、感謝の念に堪えない。お百姓さんが居るから、わたくしたちは飢えなくていい。その国内での生産をさせずには、生きてはいけないと思う。

 戦闘機は要らない。軍事費も縮小すればいいこと。福島への後押しも何も、オリンピックに消えていく。来年、開催できるかどうかも決まらない時点で、早急な判断は怪しい限りだ。コロナへの支援も何も、今現在困窮している人への援助が先だ。嘘に嘘を重ねていれば、可なりの厚塗りになっていようと思える。それが剥げていけば大音響。

 沖縄の辺野古移設にも、皆もっと声を上げよう。基地が出来れば、其処に棲む生物だけでなく、人間にも多大な影響が著しい。著名人が言うからではなく、一人ひとりの庶民が、自分達の立場に置き換えてみれば、一目瞭然ではないか。沖縄の土地は、アメリカの物でも政府の思い通りになる場所でもない。コロナでの自粛で分かりませんか。

 深紅の薔薇は、観る者を魅了する。純白の薔薇も、薄ピンクの色にも美しさが花開く。花の語らいも聞こえる。
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蛙の声も

2020年05月26日 | Weblog
 今朝は曇っているので幸いと、窓拭きをしながらドクダミを抜く。序でにと枇杷葉の葉を見ていたら、変形やら枯れたのが眼に付き除ける。気づけば昼が近い。おおっ、枇杷葉茶をかけたままだったことに至り、焜炉を見れば火は止まっていた。中味が焦げ付く寸前であった。最近のガス焜炉は、非常事態で止まる仕組みらしい。再度水を注いで沸かした。

 ドクダミも、花の咲いているのを主にして採る。枇杷葉の葉は、縮れたようなのや、齧られてしまったのを除くのだが、これが意外と沢山あり、加えて手作業でもあるので、時間を忘れての詰めようとなる。窓も、外側の埃だけを払い、午後から雑巾で拭こう。勤務先のを先に済ませているので、我が家のは慌てずともと、却ってゆっくりとなっているが。

 カーテンは浸け置きでないと、汚れが綺麗に落ちない。朝一でしたく思いながら、遅々として進まない。これも天気次第である。すばるが慣れてきたこともあって、網戸にしていても出て行かない。冷房を点けなくても好いのが助かる。すばるも寒いのは厭らしく毛布に丸くなっている。時折網戸に近寄るが、そこから外の空気を吸って、景色を眺めている。

 鶯の囀りが賑やかに聴こえる。そろそろ子育ての準備かな?夏の頃には雛が孵る。あの美しい声もまた、雄が雌の気を惹くためらしい。自然界の摂理は変わらず廻る。コロナでの解禁に驚く。余りにも速過ぎないか。防ぐ方が先決。倒産する企業に配慮してならいいが、どうもそうとも言えない企みに思える。退職金が数千萬とは信じらない破格の金額である。

 薔薇の蕾にアブラムシがまぶれていた。手で取りお酢をかけておく。牛乳もあるのだが、直ぐに無かったためである。栴檀の花が山に見えるが、そこだけ雲が漂っているようにも。樗と書けば意味も通じよう。匂いが仄かに流れて来るが、気付かぬ者も多いもの。以前より、何の樹か気づかなかったが、宮城谷昌光氏の、新三河物語でそれと知った。今が満開だ。

 小雨が降ったり止んだり。すばるは夏蒲団の上に丸くなって眠る。腹も好く、相手をしない飼い主に飽きたもので、在宅になってからは気儘な行動に知らぬ顔で過ごす。最初は鳴くこともしなかった陰猫だが、この頃では餌だけは煩い。4年は経ったか?すばるの餌と、トイレの砂だけは切らさないでいる。自分のことよりも優先しての暮しである。責任もある。

 烏の種類が、嘴の状態で2種類に分かれるのは知っていたが、嘴細と嘴太の実物は、地元では嘴細ばかりので、上京した時でないと嘴太は見かけない。先日、志村けんのカラスの勝手でしょう、を観ていて、これは都会に多くいるのかと思った。それに気づいているのかは定かではないが、どうして嘴が細かったり、太かったりするのだろうか?餌の関係なのかな。

 寒くなって来たので、綿毛布をふかふかの毛布にしてよ、と機嫌が悪い。猫は寒がりなのを忘れていた。

 
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季節は往くもの

2020年05月25日 | Weblog
 一年は過ぎて来るが、再びと同じことは無い。季節の移ろいにも、昨年と一緒ということも無ければ、全く違うと言うことでもない。自分の存在を何処に置くかでも異なる。個人的には、コロナであるからと言うことでなく、普通の暮しをしているだけだ。自分のことをとやかく言われるのも厭で、兄妹や子ども等にも言われる筋はない。

 他人を当てにしないことも、生きていく上では大事なことだ。肝心な事は、非力であっても頼らない事に通じる。スマホに替えれば、と言われても大金である。況してや諸経費を誰が払うのか?自分である。高額な金額であるなら契約しないのが得策。隔離されているのではなく、人付き合いが厭なだけであり、自分の思うようにしたい。

 今迄、散々に騙されもし、嘘を吐かれてきたことにも疲れた。そうでない人とだけ付き合えばいいのであって、我慢して迄することでもない。出費も少ない。自分で納得してのことなら、大抵のことは我慢できるものだ。他人を羨まず、清貧の暮しで好い。これが幸せでなくて何であろう?逢いたい人は既に亡く、そこに向かうだけでも。

 天気に蒲団を干す。昨日は、出掛けることでしていなかった。洗濯はある程度溜まるので、水量を加減してする。ここを訪れてくれる方がいても、時折覗きには行くが読むだけである。あちこちアクセスするとパソコンの調子が狂う。体質かも知れないが、遠出は禁物である。リエさんからの情報には、大いに納得できることも。観てます。

 そろそろ火星が際立つ。反対に金星が観えなくなる。月は、変わらず廻って来るが、最近は夕方になったら雲が厚くなり閉ざされる。宇宙の事情にも由ろうが、人類が管理する問題ではない。天は人間の創ったものではない。其処に棲むあらゆる生命への育みである。時を超えて、命を変えていく。新人類は特殊能力を持ってくるのか疑問。 

 勤務中も、そうでなくっても、月曜日はのんびりと出来る。図書館が休みであり、出掛けることも無く過ごせるからだ。そういったことに弁当が加わったものの、休みにして身体を休める。然し庭の見守りは手抜きできない。油断大敵とも言うが、毛虫の成長が著しい。芍薬の咲いて終わったのを摘んだら、蕾が大きくなって開花してきた。

 沢田研二さんのDVDが高額になったので、買うのを諦めている。俄かファンでもあり、完売となっても仕方ない。心は何時でも翔けて往けるので、拘りは無い。それでも、コロナの関係でコンサートが全て中止になったのは淋しい。地元での開催がなく、リエさんと東京公演に行くのを心待ちにしていた。当分は上京の機会も怪しくなった。

 首輪がきつくなってきたようで、ネットで新しいのを買ったが、今度は大き過ぎて抜けることもある。
 

 
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異変の前兆

2020年05月24日 | Weblog
 変な空模様でもあり、夢見も然して良くないので、心には不安が増していく。検事関係での記事にも、賭けは違法であると言いながらも、金額の差異では問題にもならないと言う認識である。そうなのか?違うでしょう!行為のことや自分の置かれている立場や、この状況下でのことを、庶民は問うているのですよ。支持率が下がるとかも厭きれる。

 緊急事態宣言下であろうが、遣ってはいけないことである。然も、良識のある者が、平気で行うことではない。店が閉まっているから自宅で。ということでもない。生活できるかどうかの瀬戸際に、金額が少なければいいんだ、という認識からして可笑しい。こんな者が定年延長されたり、政治の違法行為にも眼を瞑り、いい加減さで判決するのも。

 首相の座に居られる訳がないのを、何処を間違えば居座るのか?究極やばく呆れ返る。似た物夫婦とは世間一般のことで、トップのすることではない。長期政権だからでもない。これまでで最悪の方でもある。無能な奴程居座ると言うのも、結局は金の魅力に勝てないだけだ。こちらは元が無いので気楽でもあり、コロナでも平気な暮らしでもある。

 マスクも自分で作れる。手縫いなので綺麗ではないが、ちゃんと使えるのだから好い。高い物を買うよりは、数分で出来るのだから安いもの。労力を惜しんではいけないし、出来ないのではなく遣ってみることが大切。小学校も中学校も行っていて、高校や大学にも通っているのでしょう。何もかもを機械や科学に頼り過ぎるから、出来なくなってる。

 タオルの大きさであれば3枚。ハンカチはそのまま縫えばいい。大きめのなら半分にして縫う。ゴムの付け方も縫い付けたり、通すようにしたりと出来る。ミシンで縫わないとマスクでもない。文句を言う前に、先ずはやってみよう。慣れれば上手く出来る物です。こうしてみると、物持ちも結構役立つ。溜め込むのも好いこともあるとほくそ笑むこの頃。

 さて。本日は昼食を食べたら、勤務先に行って掃除をしようと計画している。冷房もこれから使う頻度が増えるので、汚れを取っておきたい。施設の消費も莫迦にならないので、小まめに掃除をするのは当然のこと。口は動いても手や身体が動かない。皆、自分可愛さに横着を決め込む。こんな施節で生活させられる高齢者が気の毒。実態を皆知らないから。

 我が家のフィルターは綺麗にしているが、窓拭きが終わっていない。出来れば曇りか雨の日が好いので、伸ばしているが。外回りも気になっている。まあ、急ぐことでもなし、カーテン洗いと一緒にしよう。一度にすれば疲れるし、後のすることも無くなる。弁当も作らねばならず、ブログの更新や、ドクダミ茶作りもある。従って多忙な日々を送っている。

 買った苗は枯れ、挿し芽をしたのがこれだが、それも枯れてしまった。何年も大輪の花を咲かせてくれた。

 
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閏卯月、朔・大潮

2020年05月23日 | Weblog
 おおっ!晴天である。マッサージチェアの敷物を、夏向きに模様替えした。洗濯を何杯もして干し蒲団を広げる。昨日は足湯の後で、慰労会をしたので、夜更けての送りとなった。食べ物はふんだんにあり、フルーツもたんまりと支度した。唐揚げもたくさん作り食べ切れないで残る。本日は、せっせと片付けており、お腹も満腹だ。如何!また肥る。

 通草の勢いが凄くて、あちこちに蔓を伸ばし這わす。剪定した木も枯れているので、場所替えをしておかねばならない。枇杷葉に巻き付いてもおり、簡単には忍び込めない庭に転じている。薔薇も蕾を付けて咲いているのを、丁寧に摘んで焼酎に漬ける。仄かな匂いが漂う。猫の糞があるのを発見する。裏の家に野良猫を飼っているようだが無責任だ。

 我が家では、外に出ないようにしており、況してやトイレに関しては清潔にしている。枇杷葉茶を飲ませているので臭いは一切しない。飼うのは勝手だが、責任を持ってもらいたい。躾のできない状態では、安易に家には入れないことも大切だ。単なる可愛さだけでなく、病気にもなるのでコロナには気をつけたい。一度居つけば出ては行かないもの。

 蒲団を仕舞ったら直ぐに来て、気持ちの好さに眠っているすばる。その恰好が猫でなく、小さな男の仔に思える。飼い主の言う言葉もちゃんと理解して、駄目と叱ればしょんぼりする。爪研ぎはそこでしない!買ってある所ではしないで、眠るのに使っている。構って欲しい時には、そこから足に飛び掛かる。隠れていて急に出ては驚かす。やんちゃ坊主。

 今朝は、塩換えをして玄関や駐車場を清める。朔日には必ずしており、それに合わせて掃除もするので、けじめがつけ易い。水もAさんちで分けて貰う。容器はペットボトルだが、使うのは別にして保管する。珈琲を淹れるのも、ご飯を炊くのも、枇杷葉茶をするのも同じだが容器は区別している。洗い物や洗濯の濯ぎは水道水を使用する。味が違う。

 自宅に居る時には網戸にしている。すばるが出て行くのではなく、野良猫が近づかないように気をつけるが、可能な限り冷房は避けている。体調不良になりたくはなし、衣類も涼やかな格好だ。これから暑さも湿気も本格化するだろう。枇杷葉茶で乗切る。で、ドクダミを、花が咲いたのから摘んでは茎を切り、新聞紙に並べて乾かしているこの頃です。

 朝日が昇るのも好いが、沈む夕日も美しいものです。鉄柱が景観を壊しているが、まあ愛嬌でもある。
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花も匂う

2020年05月22日 | Weblog
 青に良し匂うが如く今盛り也。季節の廻りに感謝しての日々である。卯の花の匂いが、何処からともなく漂う。この時期には、田拵えの準備で生垣の物は刈られる。子どもの頃の思い出には、祖母に必ず野苺だけは刈らないでと、頼みこんでおく。あの頃の景色は鮮明で、鈴生りの真っ赤に熟れたのを口に入れると、例えようもなく甘かった。

 だが今では、その状態は皆無であり、何もかも刈られてしまう。手刈りでなく草刈り機なので、作業もあっという間に終わる。自然からの恩恵を、という気持ちの欠片も無い。添加物や防腐剤の入った食品だらけで、これでは病気に罹らぬ方が可笑しい。加えて、身体の異変を知らせるシグナルにも気づき難い。枇杷葉やつわ蕗の活用も低い。

 ニキビへの対応には、枇杷葉茶が覿面である。紙魚や雀斑は勿論のことだが、出来物や腫物を押し出してくれる上に、傷が残らないように治してくれる。体質的にはニキビの出ない方だが、肌が艶々なのも枇杷葉茶のお陰だ。自然の力を借りての治癒には抗えない。そういえば頭に出来ていた腫物も何時しか消えている。信じることも大切だ。

 枇杷葉が、無痛扇とも医者要らずとも呼ばれる所以だ。ここ数年はドクダミや刀豆に通草が加わっており、塩での揉みに更に効果の持続がある。枇杷湯に浸かって、塩で身体中を擦るのだが、夏場には汗をかき難く、冬には冷え難くする。踵も綺麗だし、汗がさらりとして気持ちが好い。以前には、汗が噴き出てきて困ったものだが有難いね。

 本日は足湯に来訪で、色々話も聴いたりするが、勤務先の混乱状態は半端でないようだ。先ず、献立が作れない。業務が滞る。台所は水浸しで、居室は埃だらけとなっている。これで居心地が好い訳はなく、個室とは名ばかりであろう。個人的には入居はしたくない。自分の家なら、汚れ放題でも我慢できるが、職員の心得違いが多くみられる。

 わたくしはそういった雑事を一手に引き受け、細かい処に配慮していた。何も使っていないようにするのとは違う。手際よくすれば可能なことを、横着からか動かないでいる。入浴やトイレだけが介護の業務ではない。人間としての想いが大切なのだ。わたくしの気使いが通じていると、久々に顔を見せても覚えていてくれ、笑顔で迎えてくれた。

 認知症状と言えども、人間であることを根本で理解していないと、心が通じるどころか捻じれるもの。相性の関係もあるだろうが、自分のしなければならないことをきちんとすることも大切。何時も同じ気持ちで接し、変わらぬ心を持ち続ける。どんな困難にも心を砕いて声をかければ、相手に分かってもらえる。介護の仕事は辞めたが行いは同じ。

 地球を一周するのも大変なことだろう。毎日決まった時間に通ることを厭わない。人間の生死の根源にも。
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