枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

大型連休・・・

2019年05月31日 | Weblog

 旅はきちんと目的があれば楽しいし、心も踊るが、他人のに便乗すると、その反動も大きい。それでも行く先々で、枇杷葉にパワーをもらえたり、自然の中で過せたことには感謝しよう。ドクダミを摘もうとして、雨に濡れているので止める。スペードの女王と呼んでいるこの薬草は、肌荒れにも効果が。

 痒みを抑えてくれるのは言うまでもないが、体内の毒素を押し出してくれる。時期は花の咲く頃がいい。また、寒中の根を掘り、乾燥させるには臓器の改善に役立つ。何にせよ、身体は借り物であり、年齢と共に痛み壊れる。そういったことは止めようがないが、せめて延ばすことは可能でもあるように。

 宿泊する宿に向かう途中、山の中に栴檀を見つけた。小さなことだが、誰も気づいていないが、何となくうれしくなる。最近は、花弁が五弁だったりするのもあるようで、奇形が出ているようだ。消臭効果もあるので、トイレに活けておくといい。昔は沈丁花やドクダミは、不浄の場所に植えられた花木。

 友人が来て、枇杷葉を見ていて毛虫発見す。小さいのを見落としていたから、悠に10cmは越えている。あちこちの新芽が齧られ無残な様に、葉毎取っていく。揚羽蝶が飛んでいる。モノトーンの美しい姿に見惚れる。緑や、橙に青のも見たことがある。蝶道は決まった時間・道を通過するらしい。卵は?

 明日は、孫の中学生活最後の体育祭だ。天気はどうか?予行演習はしていたようで、日曜日になるかな。昨今は、何事も速く遣り過ぎで、心構えも乏しい。時代の変化でもあろうが、殺戮を平気で行うのも、親になる自覚は元より、育って行く過程が欠けているようにも思える。対話もスマホとは淋しい。

 簡単で便利な事や物には、弊害が付くということを知らない。一昔前には、自分で考えて実行するには、と悩むことも多かったが、達成の充実感は計り知れない。苦労したり、待って行うことや、我慢したり、相手の考えを尊重したり、試行錯誤の時間が消えた。調べても、肝心な部分は欠落させてしまう。

 花芽が咲き出すと、そこら中が香りに包まれる。やさしくてたおやかで、それでいて清々しい。

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旅の顛末

2019年05月30日 | Weblog

 気晴らしに行ったのだが、電車の運賃と、車内で過す時間の長さに閉口した。兎に角交通手段がなく、タクシーか特急でしか移動できない。これだと東京に行く運賃を、悠に越す。持ち合わせに、イコカカードにしているのが使えない。不便極まりなく在来線で安く行けないとは。

 高知から松山城に行き、同伴の彼女達は天守閣に上がって来る。その間、こちらはのんびりと待っていることにした。目的は、城巡りなので色々と遣っているようだ。到着したのが昼過ぎだったので、帰路は夕方になり、地元に着いたのは午後の7時を回っていた。帰宅は9時に。

 四国地は、田植えの終えた田や、野菜を栽培している畑もあるが、やたらと枇杷が眼に付いた。山間を走る電車の商品車窓から、たわわに熟れた枇杷の実が、至る場所にあるが、むき出しの状態が多い。袋が掛っているのは少なく、自然に任せている。松山城でも枇杷葉を発見す。

 帰宅して、玄関を入った途端に、すばるが甘えて来る。然し、半分は不安を訴え、餌が無かったことに抗議する。おかわりを2回する。家の中は閉め切っていたが、気温が高くなかったようで、その点は安心した。天気に恵まれた二日間であり、凌ぎ易かったのも有難いことである。

 土産物は、荷物になるので買わない。伊予かんソフトは、すっきりして美味しかった。枇杷のソフトクリームもあるんだが、時期が外れていたかな?まあ、何事もなく無事に往復できたことは、喜ばしいことである。と思っていたのだが、改札口で目眩がしてこけた。足がもつれた。

 帰宅して直ぐに、枇杷葉のエキスを浸して当てている。当分、休みにしているので治そう。日曜日には、沢田研二さんのチケットを買いに行かねば。そうこうしている内に、卯月も皐月になっていく。

 毎年、枇杷葉の種を植えて、苗を増やしている。誰かに上げるのもあるが、実が生るようにして。

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遠出に・・・

2019年05月29日 | Weblog

 昨日は、悲惨で無残な理不尽極まるニュースに、戦慄を覚えた。余りにも痛ましく、出る言葉もない。犯人は自殺したそうだが、死にたけりゃ、独りで勝手にしてくれ。何故に、子どもを巻き添えに、何等落ち度のない者迄殺戮するのか?どんなに考えても理解できない。あの夢は現実だった。

 今朝は、5時起きで支度して出発する。珈琲を挽いて淹れ、魔法瓶に詰める。着替えは最小限にして、寒くても過せ、暑ければ脱げる格好にしておく。今朝は、冷え込んで寒いので、天気になるのは分っているが、こういう時の服装に困る。新しく買った服は半袖であり、夏衣装では寒いのだ。

 案の定、車内は冷房がガンガンに利いていて、冷凍室に居るような感じだ。風邪を引くではないか。身体が冷え切ってしまう。徳島までの長いことと言ったら、半端な時間ではなく、信号待ちに特急待ちが多過ぎる。山間を縫って行くのだが、橙の小さな実が目立つのは枇杷だ。旨そうだなぁ。

 大塚国際美術館は、駅に荷物を預けておいて、タクシーに乗り込んだ。これ程の不便とは思わず、勢いに任せて乗ったが、一向に着く気配がない。料金はどんどん上がり、三人で割る心算なのでいいが、一人だと絶対に乗らない。せめて予約制にでもして、マイクロバスを出してくれないか?

 何でも、昨年の紅白で紹介されたらしい。テレビは全く観ないので、そういったことには疎く関心も低い。館内に展示されてある作品の殆どは、見覚えのある物ばかりで、作者の名前を当てるのが面白かった。東京駅で、リエさんと見たシャガール、素敵でしたね。沢田研二さんのトキオ発想。

 樹木希林さんが、ご自分でも好きな、と言われるオフェーリアの格好。知らない人も多かった。ナポレオンの戴冠式、受胎告知、笛を吹く少年、ギリシャ神話、全体に聖書の場面が多かった。クリスチャンではないので、それらが理解できないままの、勝手な印象と鑑賞。睡蓮の池も沢田研二。

 宿に着いて、お腹がペコペコなことに気づく。その後、お風呂に入って、酎ハイで乾杯し、二人のマッサージを遣って、身動きもせず眠った。夜中に何度も足が吊り、こむら返りが起きた。枇杷湯に浸かれば、身体が温もっていいのだが、出先では仕方がない。何事にも我慢しなくっちゃです。

 我が家の庭では、いつの間にか発芽する。そこに花が咲いてから、種が零れていたことに。

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雨にも負けず・・・

2019年05月28日 | Weblog

 夜半に雨音がし始めて、何と言うこともなくほっとする。昨日は、水遣りをしたものの、空ばかり気になってしまい、花の萎れない内にと遣ったが、晴天続きだとあっという間に鉢物は元気がなくなってしまう。バケツに汲み置いたのを、柄杓でかけるがおっつかない。自然の為せる技でもある。

 枇杷葉の実も、次第に膨らんで来てはいるが、適度な水量も必要で、天気との釣り合いにも微妙な差が出てくる。我が家のは、全体的に果汁も甘みもあって美味しいが、粒の大きさに変化がある。袋を外さなければ分からないが、萎んでしまうのや、甘みの足らないのも混ざる。その年の出来だ。

 クリスマスローズも、咲き終わったのが種を落としている。自然発芽するので、気づけば苗が出ている。何年かはそのままにして、移植できる大きさになったら、別の鉢に移す。そうして花が付いたり、枯れてしまうのもあり、庭の見回りは欠かせない。水遣りも大切なことで、それも愉しいが。

 サムソンとデリラ、ジキル博士とハイド氏、眠りの森の美女。休みの日を堪能した。治療も昨日はなく、のんびりと出来たが観ていると眠くなってしまい、転寝をしていた。途中が抜けても、凡その物語は分るのだが、疲れが溜まっていることに愕然とし、年齢を再確認するばかりでしんどいな。

 勤務に行ったものの、雨が降ったり止んだりで、何か気分がのらない。然し、仕事であるし、出勤した以上は働かねば、と何とか業務をこなす。夕暮れが遅くなった分が、一日の過ぎる時間は同じなのにゆっくりだ。でも時間は狂うこともなく過ぎる。喪失感も同時に味わって虚しい。帰宅して安堵。

 雨も降って庭の鉢物が、一息ついている。人間とは勝手な者で、自分の都合に合わせた天気を望む。雨が降れば読書に、天気になれば、ドクダミ茶作りとしていれば、過ごし方も変わって来る。多くを望んでも、手に入るのはその中の僅かだ。満足をしないで、無い物強請りをすれば報いを受けるよ。

 白枇杷の種が発芽して、これが大きくなるのが愉しみでもある。然し、後継者はいないのだ。

 

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卯月、下弦・小潮

2019年05月27日 | Weblog

 曇り空である。朝の中は晴れていたのが、昼前に差し掛かると曇りはじめ、薄日の天気なった。Aさんちに水を分けてもらいに行き、卵を買って帰宅する。すばるのトイレを換えたら、本日の予定終了。眠りの森の美女のDVDをかける。ヌレエフ版。舞台は、森下洋子さんしか知らない。

 塵出しを忘れていたので、袋が一杯になるまで入れる。毎日とかでないので、ある程度集まってから出す。夏場には、小さめの袋で出せば、臭いも籠らずコバエも湧かないのだが、ついつい面倒くさくて溜める。人暮しだからでもないが、倹約節約でやれば、少しでは出せないのもある。

 昨夜は、クレオパトラを観ながら、転寝をしていて、気づいたら丑三つ時であった。勤務先では祟りからか、何かと予期せぬことが起きているが、そういうのを今更のように言わないで。それって以前から話していたのを、信じて来なかっただけでしょう。莫迦みたいじゃないのと想う。

 誰が言ったの、気味が悪いの、怖がるだの。殊更強調することでもないのを、大げさに言い募るが、視えているこちらとしては、ちゃんと話していたのだから、莫迦にした態度であるのだが、そのことが判っていなかったのも可笑しい。わたくしに害をなそうとすれば、その見返りを受。

 それだからこそ、我が家の枇杷葉には、不可思議なパワーが宿っているし、信頼してくれれば、治療も効くのだ。何故かは知らぬが、宇宙との繋がりが強く働くのだ。然し、信じなかったり、自分都合で解釈しようものなら、その報いを受ける。森羅万象に操られる天空の不可思議さだ。

 ドクダミを抜いたり、枇杷葉の葉を見て回っていたら、髪に毛虫が落ちていたらしいが、不思議と刺されなかった。農薬を撒かないという気持ちが伝わるのか?野鳥も餌になるので、せっせと啄んでいる。葉を齧られるのは仕方ない。何もかもを人間が取ってしまうのは間違っているよ。

 網戸にしているので、外は気になるが、どうにも出られない。余り鳴かない仔なのか待っている。

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卯月・八せん終り、三隣亡・小潮

2019年05月26日 | Weblog

 朝起きる時、身体のだるさを感じる。散し寿しを作る予定なので、何とか起きるが、身体が動かなく思える。それでも、何とか作り上げてほっとする。本日の具は、茗荷と隠元、生姜を摺り下ろして混ぜ、後は何時ものパターンで。洗濯は、昨夜の内に済ませていた。どうにか間に合って一安心。

 ネットの接続が、またもや切れだす。セキュリティ対策がなんたらと表示されるが、操作に支障があるのか、途中で止まるばかりだ。若向きの、加えて慣れた人向きになっており、考えながらしている。従って、さっぱり前に進まない。高齢者向けに、簡単で解り易い方法はないものなのか・・・

 新暦の5月も既に月末である。田植えの済んだ田と、これからの田が見える。その向こうに民家が並び、山裾に栴檀の木が立つ。薄紫の一片の雲のようで、これが白檀や伽羅の仲間かと佇み見入る。我が家の庭では芍薬が満開に、クリスマスローズが名残を咲いている。釣鐘草もそろそろかな?

 枇杷葉の袋も膨らみを見せ、果実が育っているのを伺わせる。来月の中旬過ぎには熟れてくる。今年は、生り年なのに、リエさんのが少ない。サンタさんのは、例年通り見える。暁子さんのとりささんのは何とかあるか。毎年、長崎茂木は鈴生りとなる。白枇杷が枝も折れそうに生っている。豊作。

 勤務に出掛け、清掃当番であったので、手早く済ませる。日曜日には献立を作るので、施設の方と一緒に行うが、自分がこういう時には、何もしたくない気持ちに。何が悲しくて、食事の支度など出来よう。今まで散々してきたことを、此処に来て迄したくない。加えて、写真を写そうなど厭である。

 深川丼。大成功であった。ちょっと味見をしてもらったが、太鼓判を押してもらい安堵。然し、内心ではあれでよかったの?という想いも覗いてくるが、美味しいと言うのだからいいことにする。年齢を重ねてくれば解かることも多く、咄嗟の判断にも因ろう。若い時には、失敗ばかりで作るのが悩み。

 スプレーバラの緑。枯れたかと思えば、新芽が出てきて咲く。小さなバラだけに愉しみ。

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気温上昇に・・・

2019年05月25日 | Weblog

 早出勤務で、業務をこなしていくが、昼前からどんどん気温は上昇続ける。事務所より、冷房を点けよ、との連絡が入る。これだけ室温が高くなると、頭も舞う一方で、気力も定家氏ていくばかり。勤務を終えて帰宅すれば、かなり暑さが籠っている。台所の窓と、換気扇を回していたが暑い。

 洗濯物を取り込みながら、自宅では冷房は未だ要らないが、衣類の調整が必要で、箪笥を引き出して着替える。ノースリーブが沢山あるので、悩みつつ黒にする。水遣りをしておこうと外に出れば涼しい。枇杷葉が繁っているので、爽やかな気分である。で、部屋に入ればクラクラする湿度に。

 寝室とパソコンの部屋は、引き戸なので、先日レースの仕切を下げており開ける。すばるも、多少は機嫌を直して足元に。日中の気温の高さには、自動で作動しないので、点けて行くしかない。然し、今月一杯は我慢できないかと思うのだが、留守番をすることを思えば、可哀相でもあるのだ。

 明日は、深川丼を作る。リエさんと一緒に食べた味が忘れられなくて、加えて日曜日の献立にも合いそうで、やってみることにした。出汁がたっぷりがいいかな?浅蜊は今が旬だが、これは砂を抜くので時間が掛かる。従って、栄養科に頼むことした。自分の弁当は、茗荷と蕗の散し寿しにする。

 これからの時期には、茗荷は欠かせない。青紫蘇と赤紫蘇、茗荷を甘酢に漬けて散らすのも旨い。夏の時期には、さっぱりであっさりの物がいい。手巻き寿しも、そこにある材料で作るが、食欲のない季節には美味しい。無論、自分も口にはするが、歓んでくれるのもうれしい。江戸前鮨は最高。

 なんだかんだと、他人さまのために作るのも、時には疲れることがある。通り一片の御世辞には付き合い切れない。自分の心の葛藤にも問題があり、厭な時には止めるのだが、リエさんの所にお邪魔すると、kazu君もご主人も、手際よく作ってくれ、申し訳ない想いになる。贅沢な居心地感謝。

 夕日は、何故にもの悲しいのだろう。美しくあり、胸の中を絞めつけてくる。烏の声、お寺の鐘の音も。

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とげぬき地蔵

2019年05月24日 | Weblog

 お地蔵さんも色んなことを、なさっておいでです。道端の何処にでも居て、願い事が頼み易くできるよう、或いは子ども等を見守っている。はなのき村の盗人たちにも、牛の手綱を牽いて、親方を改心させたのが、お地蔵さまだった。新見南吉の作品で、一番好きな、且つ印象深い。

 今朝も、晴天に恵まれて、爽やかなる日になるが、陽射しの中に居ると汗ばむ。車の掃除もしなければと、やっていたが暑い。着替えて出かけようとしたが、蒲団を干している。丁度昼にもなって、休憩をすることにした。冷房は未だ入れていないが、そろそろかな?とも思ってる。

 芍薬も大輪の花を咲かせて、今年は1本に複数の花が付いて、華やかではあるが重たそう。ところで、芍薬は肥沃な花だったか?何本か植えているのが、蕾も付けない。それとも土の状態かは不明。毎年、咲くのが変化するので、どうしたものかと悩む。思いように由れば自然なのだ。

 水遣りも、天気が続けば毎日で、蒲団や洗濯物を仕舞ってから行う。ばけつに汲んでいて、柄杓で遣ってもいるが、天水には追い付かない。洗濯機を二層式にしたら、水道代が少なくなった。その分流しっ放しには注意が必要で、身体を動かせるのもいいことか。ぼんやりできないの。

 美容院に行かなくなって久しい。嫁が遣ってくれていたが、最近は自分でする。前髪を切るだけなので、それだけに行くのが煩わしい。要は、高い料金を払ってまで、トラブルを起こしたくないのだ。シャンプーを止めたのもあるが、あれが痒さの原因で、皮膚が炎症を起こしてしまう。

 パックスナチュロンのボディソープと、塩で擦れば痒みが止まった。毎朝、髪は束ねて巻き付ける。仕事にも、自宅でも同じ髪型だ。皮膚に当たると痒くて困った。夏は特に、首筋を出しているのが涼しい。拘りはないので、このままが落ち着く。予約していても、その時間が惜しい。

 きらん草が、あちこちに移って繁殖している。実家から来たのか、風で飛んできたのか謎。

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栴檀満開となる

2019年05月23日 | Weblog

 青空市までの距離に、山に畑に、山裾や民家の裏にと、気づかなければそれまでの景色だが、見ようと思えば探せる。タイガースを聴きながら車を走らせ、窓の外に眼をやれば、淡い紫の房を下げて、まるでそこに小さな雲が乗っかっているようだ。栴檀の違う呼び名を、木編に雲と書く。

 朝は、一旦起きたが、カーテンを開けておいて、もう一度蒲団に潜り込んだ。本日の予定を立てて、どうするかうだうだしていた。靴下を履いていなかったので、足が冷たくなり、とても眠れなかったからだが、出窓の拭き掃除と、鉢物を外に出すことに決める。天気がいいので捗るが暑い。

 洗濯物を干し、蒲団を広げておく。青空市にも行っておきたいし、すばるの餌やトイレの砂が無くなってきたので、買っておこうと出掛けた。帰宅してみたら、枇杷の実が露わになっている。先日の突風で飛んだようで、親指大になっているのに掛ける。カーネーション、赤の中に桃色が。

 出窓の掃除の序でに、半乾きのドクダミを箱に入れたり、溜まった新聞を片付け、段ボールも畳む。窓も相当な汚れである。枇杷葉茶を雑巾に浸して拭く。掃除機を掛けたいが、昼じきが未だだったので、素麺を茹がく。ちょっと硬めにしておき、麺汁は、出汁と醤油、酢と梅肉山葵を絞。

 その後、蒲団を仕舞って、ジュリーマニアを観ながら、更新をしている。沢田研二さんのコンサートに行く、と言うと殆どの者が呆れるが何故だよ?個人的には、年齢を重ねて来た、現在の姿の方が好感が持てる。それに、歌が巧けりゃ、聴いていて飽きないからいいのだ。今回は二人で。

 昔のジュリーになら、DVDをかければ何時でも遭える訳で、其処に自分をとばせられる。こういう時には、特技ともなる体質を歓んでいる。そろそろ休憩もしたことだし、水遣りと部屋の掃除をするか。網戸にしておけば、ジュリーの歌も聴こえる。爽やかな季節になればすることも増す。

 枇杷葉の枝、あちこちに苞が見えだすと、心も踊ってくる。あの匂いに心を動かされ癒されて。

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薔薇の咲く

2019年05月22日 | Weblog

 昨年買った苗が、新芽を出してきて、蕾を付けたかと思う間に、紫の花が咲いた。ガラスの仮面も、最終章になり、マヤと真澄の今後にハラハラするが、土壇場で止まっている。作者以外は知らないのか、或いは展開のパターンも想像外。今朝は、野良猫がほっつき回り、すばるの様子も落ち着かない。

 枇杷葉の新芽がしな垂れているので、可笑しいなと見ていれば、烏や大きな野鳥が、餌を啄みに来ている。そのため重みで折れてしまう。他所よりは毛虫の数は数段に少ないが、気づけば捕獲する。自然界の掟では、こういった循環が当たり前の姿であろう。農薬を散布すると、こうはならないのも現状。

 朝の気温は低めで、ストーブこそ点けていないが、羽織物が要る。然し、世間的には冷房を入れており、体調維持に難儀する。くしゃみが止まらないのに困るばかり。身体は冷やしてはならないのを、人工的に温度調節するのも、と個人的には思う。然し、我が家も昨年から設置で、猫の為とはいえども。

 介護の業務には、基本的な遣り方と、個々の想いが重なるのも否めず、自分本位の考えで突っ走ることも多い。風呂の順番も排泄の誘導も、時間で行うか、態度を見て決めるかでも異なる。加えてその日の気温や、体調にも左右される。年齢的な配慮から言えば後者になるが、誰しもが同じとは限らずだ。

 今月の末に、大塚国際美術館に行くのだが、職場の若い者二人と計画が成り立ち、決行することになった。部署が其々に違い、つるんでの仲間ではないので、意外と外れかな?とも思えたのが成功して、愉しみにしているとのこと。こちらとしては、連れて行ってもらえるのが、何よりも有難いが。感謝。

 流行の服はなく、以前に買っているのを、巧くアレンジで着たいものと、羽織物やアクセントを考え中だ。建物が広い上に6階建てとかで、各階にゴッホのひまわりが飾ってあるらしい。ゴッホは、いせひでこさんの絵で知っており、学生時代のクラブは、美術部に属していた。遠くに行かなくてたすかる。

 ゆっくりと綻んできた花芽。種が発芽して3年目に移植し、そこから数年で苞がついていく。

 

 

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