枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

秋の空に・・・

2015年08月31日 | Weblog

 今年の秋は、風の強い季節になりそう。火気厳禁である。火山の活発化と、原発再稼動への連鎖が案じられる。最悪の事態が起きそうな予感に、背筋が寒くなる。自然を相手にしての暮らしは、今昔共に切り離しては考えられない。それに気づこう。

 物語の不思議には、月の満ち欠けや、潮の満干潮が無関係ではない。魔力の強くなる日には必ず、月が大きいものだ。人間の神経の働きにも、少なからず影響がある。そういったことを知識として学んでいると、話の展開に依って面白さに差が出る。

 時代物を書くのは、その時代への生存が出来ていない不都合に、読み手の関心を誘う訳だから、刻限の具体性や、季節の風向きにも注意が要る。実に何でもないことのようだが、人間の心理には、大いなる影響が含まれている。嘘を書けばばれる。

 江戸川乱歩の、幽霊塔。中学生の時に、読んだ記憶もあるが、宮崎駿の解説に惹かれて借りた。図書館のお兄さん、どれでもいいですか?に、これでないと借りません。と突っぱねた。いや面白い。生き生きと人物が、物語の中を動く。成程、感心する。

 書籍は、ジャンルを問わず、どんな本も、興味を持てば図書館に予約をかける。従って、折角借りた本でも、内容如何に依っては、つまらない文字の羅列になってしまう。まあ欲かもしれないが、こんな本を出版するとはと、がっかりもして気を削がれる。

 まあ、書籍としての価値よりも、売れることが先決だからであろう。然も、昨今には初版の部数も限られ、あっと言う間に絶版になる。古書の類も、めっきり減ったもの。実情は甚だ厳しいのも分るが、どうしてか必要な本が、本屋で買えなくなった。淋しい。

 勤務先の若手が、肩の痛みに難儀をしているのを聴き、枇杷葉の生葉と、エキスを持って行った。肩への負担は、日増しに増える。蒟蒻を温めて乗せ、軽減してきたのが有り難い。膀胱炎も為りをひそめた。体を思いの外冷やしているのに気づいた。

 春の午後、眠たそうにしているように見え、シャッターを押した。何とも愛らしい姿に、温かさを感じる。

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文月、望・大潮

2015年08月30日 | Weblog

 満月。来月のこの夜は、中秋の名月、と言いたいところだが、十六夜で満月となる。旧暦を用いるには、多々なる要因があって、満願成就となる。事故に遭うのも、退きこまれるのも、月との深い関係が成り立つものだ。かぐや姫が分り易い。

 信じる趣旨は異なろうとも、天に戴く神は宇宙で、森羅万象の元は同じである。福島正信さんが著作で記していたが、この摂理を理解するには學が必要。実に難解な数式やら、理論に頭が痛くなった。云わんとされることは、何となく解かる。

 交通事故の人身事故が起きる率に、満月が深く関係しているらしい。その記述を読んで、思い当ることがある。西洋では、キリスト教の関係で、13という数字を嫌うが、東洋、殊に日本では仏滅や友引を忌む。これらは大雑把な印象なだけ。

 暦の中には、更に細かい事柄があり、大安でも決して侮れない日も存在する。テレビが普及して、芸能界のタレントの噂話が姦しいこと頻り。他人の生活を干渉すること自体が可笑しい。自分の暮らしとは無関係のことに、ぎゃあぎゃあ騒ぐ。

 マツコデラックスも言っていたが、3ヶ月も経てば過去である。人の噂も何とかで、それよりも早く忘れるものだ。いえ、忘れないと生きてはいけない。忘れないでいようとしても、認知症が忘れさせる。過去の思い等、屁の突っ張りにもならない。

 日捲りは、既に8月30日。元旦からしても、旧暦でも半年は過ぎた。光陰矢の如し。アインシュタインの相対生理論で実証された、光は何処に居ても、何よりも早く、等しく到達することにも匹敵。個々の人間の感傷は儚い。然し、戦争は駄目。

 沖縄から基地の撤退。辺野古移設反対。福島の二の舞を起こす、原発再稼動反対。戦争法案反対!これは、永久に存在させてはならない。オリンピックに多額の金を使うなら、その前に、国民の意思を知り耳を傾けよう。独断のごり押危険。

 春まだ浅い日の夜半。大気が澄んでいると、月の光も冴える。宮沢賢治の、月夜のでんしんばしらを思う。

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薮入り・大潮

2015年08月29日 | Weblog

 薮入りは、年に二回であったから、その間は、ただ働きも同然に、朝早くから暗くなるまで身体を動かせていた。雇い主の良心的な所では、小遣いをくれたり、衣類のお下がりを貰えたりしていたらしいが、大半は贅沢など思いつかない時代。

 さてさて、比べるべきことでもないが、生きていくことのなんと面倒な時代だろう。内田康夫の連載が、突然終了して、連載小説が変った。病気と有らば致し方ないが、自分の身体を省みない生活が、年齢と共に現実になったような気が・・・

 青空市までの距離に、家の前の畑であったり、道路脇や河川の際である所に、意外と多く育っているが、放置されたままだ。それでも、畑に植えているのは、少なくとも入用な所以であろうかと、愛車を運転しながら、眺めている枇杷葉である。

 来月になると、孫等の体育祭や、運動会があり、是非にと言うのでもないが、そこは観に行ってやりたく休日にしている。昨今の事情には、初夏に早々と済ませる学校もあり、良いか悪いかではなく、気忙しい想いがする。来月でも速く思うが。

 秋の取入れが始まる前に済ませ、手伝いも兼ねて数日の休みがあった。尤も、田に出て行くことが条件であるが、子ども頃にはどっちがよかったか。昭和30年代は、貧しい暮らしが当たり前のことで、近未来への期待だけが、やたらと膨らむ。

 何よりも、戦争が終わったこと、安心して電気が点けられることは、子ども心にも明るかった。貧しいのは一向に変りはない。働けど働けど・・・、今は真実、活字の読める環境に感謝するばかり。ありがたいことだ。それと暮し難いのは別だが。

 平岩弓枝さんの、妖怪を読み直しながら、どの時代にも改革を起こそうとし、或いは遣ってきた人物の居たことに感銘を受ける。今の世は、自身を撤してまで、流れに逆流していく政治家は居ない。気骨のある人物も皆無。政治は金が掛る。

 春分の日の月と金星。宇宙を観上げるのは、自由だし金もかからない。時間に追われているのが哀れ。

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旧ぼん・大潮

2015年08月28日 | Weblog

 先日の旧暦の七夕には、久々の雨で、銀河鉄道は停車しなかった。親しい人に、変化の無かった証だ。とても不思議なことだが、思いかけなく不幸に遭うと、夜目にもくっきりと、光の筋を牽いて走っていくのが観える。昨日は、宮沢賢治の生誕日であった。

 北陸を訪ねてみたいとは思うが、初夏の陽射しの中に浮かぶ、りんごの花が見たいのだ。樫山文枝さんのおはなはんは強烈だった。りんごの花は、我が家でも毎年咲くが、祖母の夢を叶えてやりたい。戦死した息子の許で、りんごの花に囲まれているか。

 サンタさんに注文していた、珈琲が届く。今回は、粉と豆にしたが、休日に豆を挽いて淹れるのは至福の時だ。勤務先でも、これは自分の役割だと、お客様には淹れて出す。多少は、気分も異なるが、魔法の言葉を唱えておく。同僚にも、つい淹れてしまう。

 尤も、職場では無農薬の珈琲ではないが、価格的には高めのを買っている。インスタントは苦くて飲めない。これも、無農薬のがあるのだが、やはり旨さが違う。秋も深まっていく。あのタイトルのコミックを思い出ながら、淹れてみるのも愉しい。時間を我等に。

 帰宅して、何やら庭の様子が可笑しいのに気づく。先日来の雨量で、枇杷葉がすっくりと伸びたようだ。名前をつけて愛おしんでいるが、何か彷彿とさせるオーラも感じる。ここは秘密のパワースポットなのを、誰も知らないものね。あっ、リエさんは知ってるわ。

 りささん枇杷葉の成長を、日々愉しみにしているが、花芽がつかないのが不思議だ。サンタ枇杷葉は、毎年花芽が見える。結実も増えている。きっと仕事も順調にいき、多忙を極めていくことだろう。でも、そういった生甲斐があるのはいいことだよ。運気上昇。

 店頭で買って来たパンジーの苗。緑が多いので、インパクトの強いアクセントになる。真紅の薔薇もいいよ。

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白枇杷発芽す。

2015年08月27日 | Weblog

 今年、白枇杷の種を植えておいた。先日来の台風の影響か、昨日、庭に出て発見す。適度の湿りがなければ発芽しない。夏が短かった分、雨も多かったのだが、丁度いい具合に、全部の種から芽が出た。これが大きくなって、実が生るのは10年後。

 その時に、元気で居られるか、どうかは疑問だが、病院にも行かず、薬の世話にはなりたくない。清貧の暮らしをして、はり灸さんへの治療は行きたい。然し、体がついていけなくなったら、おいで願えるものか。そうなったら、枇杷葉温圧療法だけだわ。

 朝夕がめっきり涼しくなり、日中も少し汗ばむ程度である。休暇中は、殆んどが自宅なので、これは凌ぎ易いのを通り超している。薔薇の蕾が、あちこちに見える。四季咲きではないが、今年の異常気温に蕾をつけた?薔薇酒が意外と旨い。肌も調子良。

 リエさんや児童書の著名な方に、黄桃を送ってもらった。白桃も美味しいのだが、これはこれで楽しみが深い。缶詰とは違う品種で、食用の物だ。粒は小さいが、味はしっかりしており、白桃より日持ちはする。桃も作れないことはないが、土地が無い。

 歯科での治療、奥歯への被せが終わる。こればっかりは自分での治療ができない。近未来には、虫歯自体が出来ないように、口腔への処置が行われる可能性を期待。でも、機械に任せるよりも、人間の温かみの方がいいには違いない。どっちにする。

 手荒れの酷さが激しくなる季節。洗剤を使うと皹割れる。休日には、塩を擂り込んでおく。涙が出るほどの痛さだが、暫くすると治る。然し、勤務を復活させるとの繰り返しだ。寒さが厳しくなると、皹から血が滲む。何事が起きたか、血だらけになるのだ。

 クリスマスローズの、ローズ色。最初は、白色とこの色しかなかった。物凄い種類があることを知った。

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オリンピック中止!

2015年08月26日 | Weblog

 何だってこれ程の巨額な予算を充ててまで、建設する必要があるんだろう。その前に、福島への除染や、復興が先ではないか。そういうことへの使途なら、全力を挙げて取り組めばいい。国民の血税を使って遣るなら、もう少しましな金額にしよう。

 安保法案もそうだが、次期選挙での再選も決まっているとか。国民、特に庶民を嘗めている。莫迦にし切っているではないか。腹の立つのも通り越し、瘧が起きたようだ。墳怒と言おうか、怒り心頭に発すと表現すればいいのか。民主主義は何処。

 これまで、国会議員を信じて投票し、国政を任せてきたが、自分達で思う様、好き勝手を遣らせるためではない。生活が立ち行かない者や、貧富の差を更に広げることでもない。贅沢することがいけないのではないが、才覚があれば何をしても可?

 ささやかにであるが、細々と暮している庶民を、嘲笑うような政策ではないか。おぼっちゃまの遣ることだから、相当な無理がある。然し、じいやは叱らない。大きな成りをしていても、何時までもお坊ちゃまで通す。だが、日本国の危うさを誰が救う。

 アメリカに依存ししてきた結果が、戦争への加担を強め、表現こそ違うようにして、争わせようとする。再稼動をして、核のゴミ処理もままならぬのに次々に許可を出す。我国に温泉が湧くのは、火山国所以だろう。危険も同等にあり、覚悟も必要だ。

 政策の破綻を知っていながら、このままでいい筈がない。映画ではないのだから、結末が決まっている訳でもない。国民の一人、ひとりが勇気を守って声を上げ、或いは行動に移していくこが大切だ。選挙時に莫大な金の掛からないことも望むが。

 沖縄からの基地の撤退。原発の停止。原発炉が、築30年以上も経てば、老朽化も当たり前である。それを強引に再稼動して、その責任は誰が、どのように取るのか?きっと事故が起きれば一様に、言い逃れを繰り返す。罪のなすりあいだろうな。

 原発の事故が起きない保障など、存在しないし、安全も安心にも信用が無い。唯、企業の責任者の儲けだけだ。社員の安全を守るにも必要だが、人類の破滅を速めてはならない。そういうことが真実、わかっているのだろうか?疑問が消えない。

 行事の本・秋。内容が充実していて楽しいね。ロイがあちこちに居て、悪戯してるのが愛嬌。月見団子は、餅米を臼で挽いて、祖母が作ってくれました。他所の家では、砂糖を入れるのに、貧しかった我が家では塩味でした。でも、ご馳走でしたね。

 春の足音を聴くと、庭のあちこちで花が咲き出す。秋に植えておいた球根類、店頭で買って来た苗に、心が弾む。

 

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台風の到来

2015年08月25日 | Weblog

 今年は、風の吹き荒れる年らしく、蜂の巣がそれを教えている。低木の中に隠れこむように、巣を掛けている。成程と、感心する出来栄えである。これからの時期には、蜂の防御本能が働き、山に無闇に行けば襲い掛かってくる。君子危うきに近寄らず。

 友人が、来訪する予定であったが、急遽中止にする連絡がくる。その後は、雨も小止みに、風も衰えてきた。電話すると、行くとの返事で、午後になって直ぐやって来た。珈琲を飲み、雑談してして一時を過ごす。通草が、あちこちに青く生っているとのこと。

 介護の仕事には、腰痛は当たり前だが、その時に肩も痛めてしまった。毎日の繰り返しで悪化させ、激痛が走ることも。勤務先の病院受診しても、リハビリの上手い療法士に遭遇するとは限らない。況してや、毎度となると尚更だ。はり灸さんが近ければ。

 枇杷葉温圧療法で、蒟蒻を温めて施行している。使わなければ、痛みもなく、痺れもないが、そうも言っておれないのだ。若いのが動かない上に、要領が悪いので、見ていられない。然し一人では負担が重い。重圧にぺしゃんこ。仕事を辞めるしかないか。

 台所は散らすばかりで、手順も悪い。片付けながら、手際よく動かないと、洗い物は増える一方である。加えて、そこら中は水浸しにする。勘弁してくれよ、と言いたくもなる。頭の中で、段取りを考えながらやらないと、家事は何時まで経っても終わらない。

 友人が、先日の来訪時に、自宅の玄関で滑って転び、顔面を擦り剥いていたのが、枇杷葉エキスで治ってきている。コットンに浸した花芽酒を差し出したら、見ている端から治っている。枇杷葉エキスの驚くべき威力だ。病院に行かなくても、治療痕も残らず。

 化粧品の節約に重宝する、枇杷葉エキスも、葉・花芽・種と使い分ける。葉は擦り傷・切り傷、捻挫に、打ち身、出物・腫れ物、結膜炎、中耳炎等に効く。花芽や種は、化粧品になる。この材料は決して直ぐには捨てない。何度でも焼酎を入れれば良い。

 最初は、2年漬け込んでおき、使う時に小分けしたり、少し薄めておくと、たっぷりの容量で安心できる。顔や肘・膝・踵の角質を剥がす。枇杷湯に入れば更に効果が上がる。これに塩を揉み込むと、皮膚の艶やかさが増す。化粧代も浮き家計を援ける。

 枇杷葉ローションに、ドクダミや柚のエキスも良く、ニキビには鉈豆エキスがいい。民間療法の好いところではあるが、近くに薬草に詳しい人の居ることが望ましい。見た目は気難しい小母さんかも知れない。人付き合いが苦手な者かも。魔女ではない。

 春の彼岸。死んだことがないので、彼岸浄土がどんな処か皆無。死に掛けたことや、幽体離脱はあるが・・・。

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黄桃

2015年08月24日 | Weblog

 リエさんとやっと連絡が取れ、心配が杞憂であったことにほっとする。フリーになっても、仕事はあるので、打ち合わせやらで出られなかったそう。しーちゃんの個展があったとか。時間が許せるなら行けたのに残念。この頃、勤務状態が厳しいのよ。

 体調不良には、様々な原因がある。定期検査では、何処も異常はなく、健康そのものだ。むろんのこと、枇杷葉茶や、ドクダミ茶、通草、鉈豆、杏に薔薇。これだけを組み合わせて、常備しつつ使っている。問題は仕事状態である。心因性のものかな。

 元が医者嫌いで、信用性も少ないのに、病院受診などとんでもない。唯一、漢方を処方してくれるDrには、信頼感が深いが、さて心因性のこととなると、分野が違う。医はニ術とも言うが、顔色や眼の輝き、声音の高低と話す内容で、何が原因かが看れれば、殆んどの病気は治るのだ。薬は気休めになってもいい。慣れてしまうことが怖ろしい。

 安易に、薬に頼らない生活を送り、何でも良く噛んで戴く。軟らかい物や簡単で便利な市販品でなく、自然のままがいいのだ。皆が、其々に畑や田で作っていた頃には、苦労も多かったが、味は格別であった。農薬のかかってない食べ物、旬の物を。

 原発も要らない!戦争への邁進は赦さない。国民と正面切って話し合う、国家議員が何人居るかは知らないが、沖縄の辺野古に基地を造らせない。アメリカの横暴を許さない。日本は、戦争には負けたが、アメリカに屈したのではない。白洲次郎。

 近隣諸国に侵略をし、残虐行為をしてきた事実は変えられないが、常に詫びる心を持ち、歴史を正しく知ることをしよう。どんなに隠そうとしても、された方は決して忘れない。戦争に突っ走って、あたら命を犠牲にしたことも事実。戦争は見境ない。

 民主主義は死に、悪が闊歩する世界に向って往くのか?自由と平等と平和は、何を間違えて、国を成り立たせようとしているのか?それにさえ気づかず、暴走とも思わず、国民のこしかたを考えず、憲法を歪め、無意味な改憲をするのは止めよ。

 きらん草が、いつの間にか生えていた。自然の成り立ちに少しばかり触れたようで、思わず足を止めた。

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文月、上弦・処暑

2015年08月23日 | Weblog

 処暑。旺盛な太陽も、しだいに衰え、暑熱も退くという意で、処暑と言い、天地清く、爽やかとなる。毎年、八月二十三日頃であると記されている。日中は未だ暑いのだが、夕方になれば、汗も引く。今年、扇風機は、2日しか点けなかった。一日は、洗濯物に。

 雨も、結構の雨量であり、水遣りも然程ではなかった。水道代も、電気代も然したることではなかったが、西瓜と瓜の出来が悪かった。してみると、夏は暑くなければ、作物への影響が大きいということだ。人間の勝手には、何事も往かないということだ。納得す。

 桃も、葡萄も、暑さと日照時間とが、有意義に作用してこないと、旨さも落ちる。見掛けは変らないと思うのが、口に入れた瞬間、甘味の度合いが分る。専門家は、一目見て解かるのか?天気に始まり、その時の自然状況で変化が起きる。不思議な摂理だなぁ。

 日曜日の勤務は、昼食を作ることにある。カレーにする理由には、余り好き嫌いがないためである。介助の段取りがあるため、下拵えを済ませ、弱火にしてタイマーをセットした。具材が煮えて軟らかくなった頃、市販のルーを入れる。お鍋が殆んど空になった。

 施設の中だけで過ごすのだから、動く範囲は決まっている。テレビが点いているので、内容に関係なく、ぼんやりと見ている。日曜日は、のど自慢が定番だが、恒例の24時間テレビをやっており、終わると切り替えていた。ふなっしーが出演していた。本人か?

 過労で倒れた、と噂で耳にしていたが、元気になられたらしい。ドクダミ茶や、枇杷葉茶を飲んで、血液の流れを良くしていないと、脳の血管が切れて、命がなくなるよ。一命を取り止めても、後遺症が残ってしまう。認知症への加速は防げれないよ。注意して。

 ドクダミ茶も、採る時期があるから、何時でもいいという訳ではない。然し、花の咲く季節であれば、また寒中でのことであれば佳い。根槐を引き抜いて洗い、乾燥させる。洗うという行為は、下手をすれば黴を生やす。梅雨、洗わず切って干し、煎じる時に洗う。

 春分に咲いた水仙。昨年、青空市で求めた物。黄色い色が、太陽の子どものように光を撒き散らす。

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不調につき・・・

2015年08月22日 | Weblog

 時々、コントロール不調になる。昨日も、一旦は繋がったネットへの復旧が遅れ、研修もあったことから、途中で出かけたためだが、何としても更新できなかった。湿気で不快指数が増え、読書に切り替えた。内田康夫の、華の下にて。

 晩鐘も同時読み。本屋に注文の本を買いに行く。がんこちゃんのシリーズで、おばあちゃんのねがいごと。年齢を重ねると、子ども頃に還りたくなるもの。貧乏で、不満ばかりの毎日であったが、自然の中で過ごせた。故郷は変ったね。

 空の抜けるような青だ。洗濯物の乾くことに安堵する。帰宅して、取り込み庭の繁った露草を抜く。露草は、自然環境の目安と言うので、そのままにしているが増え過ぎだ。藪蚊に刺されながら片付ける。洗濯機を回しながら一息つく。

 今朝は、早出だったので新聞を読めなかった。珈琲を淹れて、ゆっくりと読む。リエさんから梨が届いているが、ネット接続できず、連絡できなかった。見事なふなっしーですね。ありがとう!お気を使わせてしまいました。千葉県発祥地。

 そう言えば、赤蜻蛉が見えない。農薬の関係かな?ここ数年の激減に、自然破壊を想う。我が家には枇杷葉を屋敷中植えているため、蝉の孵化が夏中見られた。朝、葉裏に殻が残っているし、枝に止まって鳴いていた。蝉時雨だ。

 便利さと豊かさとが、子どもの発育に大きな影響を与えている。青い鳥は何処にいる?探す必要もなくなった。ソロモンの偽証を読み終えて、今も昔も、然したる変化はなく、個人の考え方次第で、生き方の差が出るのかもと感じ入る。

 作家が100人居れば、読者も100通りの感想があり、考え方にも相違が生じる。心の襞に触れてくる箇所が異なる。あらゆる全てのことに、色んな思考があるから面白い。ブラックホールに惹きこまれることも起きる。この世は光と闇だ。

 早十数年咲き続けている。毎年、秋口から水を遣り始め、発芽する。年末に蕾が見え、咲き出すのは立春。

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