枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

コスモスの揺れる・・・

2014年09月30日 | Weblog

 勤務先に向っていたら、道沿いにコスモスが揺れている。最近は、色が多様化してきたが、本来の白や桃、紅色が好ましい。花の色には、何かの目的があり、蝶々や蜂が飛ぶ。でも。、昆虫には、一体どんな色に見えるのだろうか。皆目見当つかないが・・・。

 金木犀の甘い香りが、風に乗って運ばれて来る。我が家には、銀木犀しかない。匂いは少しやさしい。それでも夜陰に乗じて、鼻腔を擽る。枇杷葉の花芽も近い。

 柊の白い花も、小さな外見を反し、香りは強い。植物の持つ匂いは、何かに向って発する、フェロモンだが、自然界では其々に繋がっている。人間の身勝手さとは大違いだ。今年の夕顔は、苗が育たなくて、咲いたのは一輪だけであった。気温が低いと駄目か。

 彼岸までの朝夕の涼しさも、此のところは蒸し暑い。冷房を点けるまでもないが、眠くてしょうがない。普段は、1杯で済む珈琲も、2杯飲む。自宅と併せれば4杯だ。咽喉が渇くのは、少々異常だろう。加えて鼻水も出る。用心に越したことはない。嗽・手洗い。

 来月の勤務予定を考えねば、とスケジュールを捲る。落語があり、クラシックのコンサートがある。チャイコフスキーなので行きたいが、介護フェスタと重なる。チケットが確保できたら、行くとしている。落語は、桂文我師匠なので聴きに行こう。骨休めも必要だ。

 庭の一角を、煉瓦で囲い、菜園にする段取りだ。消費税が上がる一方では、自作しないとやりくりできない。土が流れるので、煉瓦で囲うことにした。白菜やキャベツを植える。枇杷葉の苗で周りを囲むのもいいかな。麦や蕎麦もあって、根槐菌を増やしていく。

 初夏の枇杷葉。この時分までは、陽が降り注いでいた。爽やかな気候に感謝していた。本場の夏は、雨の連続だった。

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突然の訪問者

2014年09月29日 | Weblog

 上天気ではあるが、乾燥している。何時もの如く、洗濯し布団を干す。久々に掃除機を出し、あちこち動かせての掃除をする。片付いて、ほっとしたものの、パソコン周辺が眼につく。意を決して、直ぐには必要無い物を机から下ろすことにした。

 埃を拭って、代わりにDVDを一まとめにして、上に置いた。書籍も、本来の場所に入れる。今は、その本を読みたい気分ではないので、また改めて読み返そう。飾っていた写真も仕舞っておく。孫達の手紙類や、リエさんからのは箱に詰めた。

 と、玄関のチャイムが鳴る。友人が立っていた。何と、山女を袋一杯持って来てくれる。野菜も少し分けてくれ、珈琲を飲んで帰る。リエさんには送っているから、Aさんに電話する。まだ今年のは買っていないそうだ。明日、持って行くことにする。

 常備品は手元に置き、そう広くない部屋では、立てば手が届くようにした。孫等の写真は、お気に入りにして、後は額縁に入れた。しーちゃんからもらった、星の葉書はDVDの上に立てかけた。そこに注文していた棚が来、その下に入れ込む。

 CDのクラシックだけは、直ぐ出せる前に置いた。車中で観賞するので、仕舞いこむと不便である。全体にすっきりしたので止める。これで奥の方まで、雑巾が届いて拭ける。実に、細々とした物が散らばっていた。大事な物の埃を拭った。休憩。

 珈琲を淹れる。人生はワンチャンスではなく、にゃんとでもなるものと宇宙を観る。この美しい宇宙を穢す者には、自然からの警告を出されるだろう。私利私欲の者ばかりではないが、原発を再稼動したら、驚異的な破壊で、元には戻らない。

 初夏の庭に、咲き始めた薔薇。枝がしな垂れるくらい、たくさんの蕾がついている。挿し木でついたのを感謝。

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いつものパターン

2014年09月28日 | Weblog

 連休を終え、勤務に励む。体がしゃきっとします。図書館に寄る用事があって、速攻で帰宅。モエと現代農業が届いていた。県立図書館のもあるから、早めに返却だ。介護フェスタの準備もあり、休日は予定が詰っている。然し、本も読みたい。ぜいたくだなぁ。

 老後の予定を聴かれて、在宅での居住ができれば、と話す。以前にも書いたことだが、静かな環境で、書籍が読めること。時にはパソコンも操作したい。病院にはかからない。薬の投与はしない。手元に資金があるとして、自然環境での農作業に勤しみたい。

 自給自足とまでいかなくても、せめて四季折々の野菜が作れ、収穫できる場があればとも思う。気のあった者同士が、共同で暮せる住居に、気兼ねなく住んで働くことができれば、どんなにいいだろう。然し、理想だけかもしれないけれど、望みはあるかも・・・

 蝉の声も、朝の少しの時間で、聴こえなくなる。秋の装いに転じているんだと、少ししんみりと感じる。然し、今年は暑さが引いたかと思うのに再び、手のひらを返す。ジキル博士とハイド氏の心境に至る。人間は、努力することを惜しまない、と心に刻んでおく。

 消費税を、何が何でも10%に上げると息巻く。今更、何を言うのか。商品の質を落とし、内容を底上げして、庶民の生活を圧迫しているではないか?節約もし、倹約も重ねているのに、暮らしは少しも良くならない。人間ではない扱いに、恐怖を覚えてしまう。

 自然を壊し、原発を再稼動すれば、地震も、津波も起きる。加えて、火山の活動も活発になるんだ。地球と言う惑星は、太陽系に存在する唯一の、生命体の星なのに、破壊してどうする?放射線は眼に視えないんだ。何度悲劇を繰り返したら、気が済む?

 長崎茂木に、袋をかけた。30個程しかない。味は、何時もと変わらなかったが、リエさんにも、誰にも送れなかった。

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あけび(通草・山女)

2014年09月27日 | Weblog

 閲覧数1,547・・・えらいこっちゃ。午前中は、洗濯と布団干しで、午後から青空市に出かけると。あらら・・・、通草がある。皮が割れていないので、友人のくれたのと併せて箱に入れ、リエさんに送る。時間指定にしたけど、明日には着きますから、漬けておいて。

 あけびは、咽喉の痰が絡んだのを和らげる。花粉症にも効果があるのは、そこのところが繋がっているから、と思っている。鼻や咽喉のアレルギー原だろう。花芽茶も効果があるが、この時期に、何処かで見かけたら購入され、保存は焼酎に漬け込んでおくこと。

 ところで、あけびって何年くらい経てば、実が生るのだろう。花は、五月雨の季節だ。子どもの頃には、枯れたのを取って鼻に乗せ、天狗だと遊んでいたが、何処にでも生えていたものだ。それを祖母は、針金か竹串かに刺していた記憶がある。薬効までは・・・。

 リエさんの説明では、花粉症にも効果があるらしい。Aさんは、咽喉のイガイガを取っている。すこぶる調子がいいそうで、痰が絡まなくなったらしい。たくさん保存しているので、送ってあげたいが着払いで佳かったら連絡を。でも、見つけてするのが安上がりです。

 辞書には、春に花が咲き、実は食用とある。此処での春は、新暦のことなので、ややこしい。旧暦の方がわかり易い。ちょうど笹百合の咲く頃まで花が見える。甘い蕩けるような匂いだ。枇杷葉の花とも似ているが、鼻腔を刺激する。小さな花で、見落としている。

 青空市への往復途上に、今年も桜の花が開花していた。本来は、12月くらいに咲くのだが、このところ暖かいので、一気に開花したようだ。寒がりではないが、暑いのは平気だが、半袖でちょうど好い。先日の冷え込みとは異なる。体調に気をつけ、風邪に注意。

 そろそろ9月も終わる。何だか、月日の速さに戸惑う。温暖化してきたとは言え、未だ季節感は残っている。そろそろ栗が出始めた。大根も楽しみ。どちらかというと、辛味がたまらない。大根下ろしっておいしいよね。桑の木と月桂樹を剪定する。お茶にするかな。

 何処から、付いて来たのか、持って帰ったのから、種が零れたのか、知らない間に生えてきていた。春の花だ。

 

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彼岸明け

2014年09月26日 | Weblog

 閲覧数1,882にびっくり。栗も熟れる頃で、タイミング絶好。いやいや、そういった数字よりも、枇杷葉の効果を実感してほしい。午前中、市内まで出かけていた。たった数ケ月で、街は激変する。人の心など、日々変化である。然しながら、国のトップは厄介だ。

 今年の、イグ・ノーベル賞にも、日本人が入選した。と言う記事に、研究しようとすれば、如何なる物でも、その対象になる可能性があることも知った。枇杷葉の効力も、研究のし甲斐があるが、熱い視線には注意が必要だ。熱処理に弱いから、冷やかに見守る。

 然し、クール過ぎてもいけない。その時どきの、運のかけ方や裁量で、症状は変化を見せる。或いは、感情のコントロール次第で、変幻自在に広がり続ける。その数値やパワーには、無制限の物質が含まれ、前世・現世・来世を、自由に翔け廻る。メビウスの輪。

 物語は、何処から始まって、何処に往き付くかは、誰も知らないが、終りのない展開へと延びる。正直に生きるだけがいいのか、チャンスに便乗する方法がいいのかは、自分で決めていかねばならない。だが、如何なる理由があろうとも、人を殺める権利はない。

 生まれ落ちた時点で、親や環境の影響で、育っていく過程は異なるが、親の育て方次第で、子どもの成長は変化を遂げる。幼い頃には尚、何があっても慈しみ、事の善悪を教えたいものだ。雀百まで踊り忘れず、と言うが、教わったことは永遠に忘れないもの。

 然し、三歳までの年齢で決定する。親の認定証は発行していないが、恐ろしく不気味で、責任は重大だ。常に、正しい判断ができるとは限らない。愛する物への危害の濃度で、心理状態は変わる。理性でどんなに押さえ込んでも、制御できない事態も起こる。

 枇杷葉に、そういった感情の制御力があると仮定して、研究していけば、ノーベル賞も夢ではない。問題は、学歴の証明書。大学に通ったことがない者には、そのチャンスさえ無い。時間を戻せるならば、そこまでに還りたい。人類の幸福のため、やり遂げる。

 今年の、結実した長崎茂木。不作の年であった。過去最悪の実りの悪さに、半ば呆然とした。原因は蜜蜂か?

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真夜中のシンフォニー

2014年09月25日 | Weblog

 室内のあちこちで、夜中から演奏会が始まる。ご存知、クリケット楽団。毎年のことなので、あまり驚かなくなったが、餌も遣ってないのに、根気の好いこと。かと思えば、燕尾服の観劇者が空中を飛ぶ。先日にはブローチにもなっていて、キンチョールを噴く。

 何でも有りの我が家でもある。無いのは裏金と貯え。一生懸命に働いて、得る収入は少ないのも現状。然し、手抜きをしたくない。ちょっとした工夫をして、掃除に励みつつ、業務を行う。確かに、段取りが素早くできなくなってきた。協力なくして不可能である。

 遅出勤務を久々にするが、流れが掴めずと惑う。夜勤者が気を利かせてくれ、定時に終了。帰宅して、夕ご飯を戴き、肩の荷が下りる。珈琲を飲み、体の緊張を解す。介護の仕事に向き合う気持ちにも依るが、愉しんでの仕事するには、相性が悪いようだ。

 ナイチンゲールのようにもいかず、自分の生きる姿勢でしか、取り組めない。その人との関わりに、生甲斐を見つけ、安心して暮せるのがいいか?その人らしさを残した正直さで、生きてもらうのがいいのかは誰にもわからない。答があるとは限らないからだ。

 自分のことに置き換えれば、自宅での暮らしが一番だが、考え方にも差があるように、自ずと幸福感をわからないと、生活に支障をきたす。歳を重ねれば、体は傷む。それが当たり前であり当然のこと。それを直ぐに医者に行かねば、と大騒ぎするのが厭だ。

 できれば、医者になど係らず、そういう自然さを受け入れて、この世と別れたい。でもそれは、来世に繋がり、次に進んでいくことにもなる。前世になることと亦、現世にも往かれる。新しい生命体に生まれ変われば、これ等のことが繰り返されていく。エンドレス。

 玄関横のスズランが、白い蕾を覗かせた。日本鈴蘭は、寒い場所でないと、生息が難しいので、ドイツスズランにした。

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長月、朔・大潮

2014年09月24日 | Weblog

 これまで、このブログの閲覧者が増えても、千人を超えることは無かった。何と1,054人が閲覧だ。数字が問題なのか、年数かは疑問だが。ブログを日本語で、日記と言うが、毎日のことを書いていく作業にも、内容が伴わないことも多い。

 そういったことから、退屈な文章になっていたり、自己満足の記録が残ってもいる。辛うじて、枇杷葉のことを書くことで、救われていることがあり、自然からの警告を発している。小さなことにも眼を向け、気になることを綴りたいもの。感謝。

 枇杷葉の効力には、未だ未知の効果も含まれる。人間のDNA次第で、効果の大小もあるだろうし、年齢的なことも関わる。そこに感情が入れば尚、複雑になる。治療に当る者が、助けたい一心ですれば、驚く効力が発揮されることも可。

 その時々の立場や、精神的な影響で、微妙に変化することもあり得る。まさに、信じる想いが治すことも、或いは相乗効果もあるだろう。だがそれらが、どういった作用で、どのように効果をもたらすのかははっきりしない。人の心は不自由。

 人間は、生身の体で、生まれた瞬間から、死へと向う。それがどのような経路を辿るかは、不透明であり謎だ。誰一人として、人生を変えることはできないし、逆戻りも。もし、何処かに時間の裂け目があり往けても、果たして帰還可能か?

 人間の理想と、欲望とが混沌し混ざり合う。そこに理性が存在しなかったら、人類は天に上って行っただろう。神が存在しようが、しまいが、人類は傲慢になり、その勢いを止めない。原発を再稼動して、電気料金を下げよう等罠に値する。

 友人が、通草を大量に持って来てくれた。半分は皮だけになっているが、まだ実が開いてないのもある。焼酎に漬けておいて、リエさんに送ろう。我が家には、昨年のや一昨年もたくさんあって、充分に足りている。着払いでよければどうぞ。

 種をはさげて3ヶ月目に発芽する。その後、少しづつ大きくなり、移植すれば大きくなる。地植がいいか、鉢植えかは自由。

 

 

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秋分の日・大潮

2014年09月23日 | Weblog

 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。日中の暖かさが、急変する朝夕であり、体調が崩れる要因を含んでいる。嗽、手洗いの遂行をしよう。個人的には年中している。

 今年の彼岸花の鮮やかさが、太陽の光に浮かぶ。田の畦に群れて、殊の他眼を射る。自然との暮らしの中に居ると、当たり前の情景が、物足らない世代もある。季節を知り、風や雲の動きを観て、作物の出来を確認することも、今はもう忘れらてきつつあるのだ。

 桑の木に、大粒の実が熟れていた。大人の親指大である。口に含むと甘さが広がった。ちょっと得した気分だ。枇杷葉のお蔭を忘れてはならない。Aさん家に寄って、卵を持ち帰る。小腹が空いていたところを、パンを焼いてくれました。自家製のジャムを挟んで。

 帰宅すると、ポストに名刺が入っていた。誰なんだ?名前は書いてあるが、要件も記載されず不可解。何の目的で来たのか、書いておかねば、失礼極まりない。名前と電話番号だけが印刷してあるが、かけろってか?こういう輩は、二度と来ないでほしいものだ。

 疲れがピークになってきている。明日は、休みになったが、友人があけびを持って来ると言う。安眠妨害だが、リエさんに送るのに必要不可欠。今年は、ちょっと早くない?ジャム瓶をもらって帰ってきててよかった。いずれにしても、腐らないように保管しておこう。

 台風が発生して、雨が降る予定であるのに、一向に気配がない。両極端な今年の天気に、人間は振り回され、有難みに欠ける。人工的な物には、意外と執着しもするが、価格に操られているよう。人間は生身の体だ。サイボーグでもロボットでもない。壊れるんだ。

 初夏の月には、日没直後に上がってくることが。まるで、水浴びをしていたような、雰囲気の漂う月。

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寝不足・・・、大潮

2014年09月22日 | Weblog

 読書ならぬ、DVDになってしまう。一応、テレビで観ていた分をと始めたが、あまりの面白さに填まる。もしかして、こういった非日常的なことが、アメリカでは平然と起こっているのか?と胸に黒い霧が広がっていく。これは、脚本であり、実際とは違うのだが。

 今朝は、早出ではなかったので、新聞も読み、ゆっくり珈琲も飲めて出かけた。然し、交通安全週間のこと、スピードは出せない。途中想定外もあって、5分前に着く。油断していた。仕事はきちんとしてます。介護フェスタが近いので、あちこちの掃除がしたい。

 帰宅したら、リエさんからゆうメールが届いていた。超多忙の様子に、健康が心配だが、枇杷葉茶で乗り切って!これからは、風邪を引かないように、予防線を張ることです。嗽と手洗いの施行を行う。自分の体は自分で管理する。咳には、通草だよ。あけび。

 子どもには、大根を采の目に切り、蜂蜜に漬ける。数日でエキスが出るので、大根は引き上げる。スプーンで飲むと好い。或いは塩を焼いて、曝しに包み、喉に当てる。枇杷葉の生葉を、咽喉に当ててもいい。何れにせよ、自分にあった無理のないやり方でする。

 今朝、桑の木に実が生っていた。秋の空に、数粒の実が見える。鶏頭と唐辛子の赤が鮮やかに色を添える。白いバラがすっくりと立つ。午後8時を過ぎると羽織物が要る。半袖のセーターを着た。めっきり涼しく日中の気温差が激しい。扁桃腺が腫れませんように。

 枇杷葉の葉の中心に、たくさんの苞が見える。ずいぶんと大きくなった。枇杷葉は何処にでも生えるし、花芽もできるが、関東以北では、結実が難しい。寒さに弱いので、枯れてしまう。そういう地方では、花芽を採ってお茶にすれば好い。風味がよく、美味しいよ。

 玄関の横、向って左に残った都忘れ。白と桃と薄紫があったが、今は薄紫だけ。ユキノシタに押されたか?

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墓掃除・墓参り、秋の運動会

2014年09月21日 | Weblog

 今朝、5時に起きました。巻き寿しを作るので、昨夜遅かったのにも拘らず、否応なしです。孫との約束もあるので、奮闘した次第。よく走り、踊り、協力して、1点差で優勝ならず。孫だけではありません。皆が、一生懸命でも、苦手な子はいますから。

 雨が降るかとも思っていたが、予想に反して晴天。風もなく穏やかな一日で、午後からの時間が空いたので、観覧に来ていた娘夫婦共に、墓掃除に行く。長雨で樫の樹が腐って倒れ、墓の途中を塞いでいる。祖母が夢枕に、何回か起つのである。

 知恵は三人ですが、力は五人いれば何とかなる。鋸で挽き、力を合わせて除けた。祖母にちゃんとしたからね、と報告して墓を後にする。気がかりが消えたのでほっとする。その帰り道、古里の景色を満喫していたら、田んぼに鹿が!逃げない。

 奈良公園の鹿ではない。田舎のどこにでもある景色の中に、鹿がいて草を食んでいる。車が通過しても、素知らぬ素振りである。未知との遭遇ではないが、白昼の田んぼにいるのを見たのは初めてだ。交通事故が増える筈だと、妙に納得した。

 乾燥状態なので、庭の水遣りをする。小腹も減ったので、朝の巻き寿しを摘む。ヤングスーパーマンを観ながら頬張る。記憶の思い違いで、何だか奇妙な気分になる。カサンドラ、と言う名前には、未来を視るという意味もある?時間を超えられる。

 疲れが襲うが、ブログの更新にかかる。我が家の片付けも、少しづつやっていこう。衣類の片付けに、中々かかれない。こんなのでいいのか?直ぐに年末が来る。介護フェスタも近い。ぞろぞろとスケジュールが詰っている。箸置を作らなくっちゃ。

 完璧に、消費税は12%になっている。中味を減らし、個数や大きさを変えているのだ。姑息な手を使われている。買わず、稼がず、のんびりと暮せたら、どんなにいいだろう。庭の一角を畑にしよう、と蕎麦を植えた。煉瓦で囲み耕そうと計画中。

 運動会に来ていた子どもが、咳ばかりするので、大根を切って、蜂蜜に漬けておくといい。と話すが、病院に行っている、と応える。まあ、咳止めの効果があり、体にやさしいのだが、無理強いはいけないので止めた。病院に行く前の手当てだから。

 白いフジーリアが咲く。ドクダミの勢いが増す傍らで、毎年花を咲かせてくれる。白い色が清楚そのもの。

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