枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

春霞、大潮・朔

2014年03月31日 | Weblog

 いい天気だ。枇杷温灸をしてもらったので、体が軽い。布団を干し、洗濯機を回して着替える。塩を換える日なので、半紙や南天を出したり、取ったりする。家の周りに塩を置き、北からぐるりっと歩く。ちょっと留守をしていたが、庭は花盛りである。

 水仙、アネモネ、李、海棠も咲き始めている。椿は、五分咲きで、ヒアシンスが満開になっている。枇杷葉の中心には、新芽が見える。先日の雨で開花したのだろう。布団や乾いた分を終い、Aさん家に水をもらうのに出かけ、預った土産を手渡す。

 リエさんからは、手児奈饅頭と手拭。しーちゃんからは浅草寺のお菓子。煎餅がお好きなご主人に、老舗の手焼き煎餅を。備前焼のお猪口が気に入った、しーちゃんの母上。清酒を入れたら模様が浮き上がった。と眼を輝かせて居られました。

 いやいや、お気に召したなら喜ばしいこと。わたくしは、そういうのはさっぱりわかりません。何処がどういいのやら。器にしても、手にした方が歓ぶに超したことはないもの。でも、そういった物の良さは、普段使いにしてこそだそう。毎晩、呑んでね。

 そうそう、しーちゃんちに泊めてもらった時、植えてある木がぐらぐらしていたのに、辛抱してね、頑張ってね。と声をかけたら、ちゃんと頷いたんだよ。消え入りそうな感じだった。どういった植物にも、心はあるんです。大切に思って遣らないと枯れる。

 北極星は、無窮の針、と言うのだが、心を空にしたら、その位置がわかるよ。しーちゃんが素っ頓狂な声を出し、どうしてわかるの?眼を丸くした。さあ直感、感性かな。わからないことの方が不思議。空気の澱みが流れ、それがあの木に行ってる。

 リエさんからのお土産を、孫等を呼んで渡す。ふなっしの饅頭や小物、浅草の髪飾り。勤務先には雷おこし。そらまちのティッシュもあげよう。個人的には買って来なかったが、隅田川の桜が堪能できた話を土産にしよう。リエさん、饅頭が美味しい。

 サンタさんの枇杷葉。昨年から花芽が咲き、実が一つ生った。今年、花芽茶に採り、様子を見ているが、さて。

 

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花・・・・

2014年03月30日 | Weblog

 小石川療養所は、御宿かわせみに出て来るので、行ってみたい想いが強かった。これまでは時間的な余裕がなくて、目的を済ませば夜になり、自力ではおろか、迷子になって帰れない、という有様。今回は、リエさんに頼み込んで、やっと行って来た。

 東大大学院理学系研究科付属植物園、という長ったらしい名称。中に入ってみると、どでかい。此処の桜は、樹齢何百年らしく、風格があって圧倒された。柴田記念館に寄り、薬園を見て周った。楠の大木にエネルギーをもらう。椿が満開であった。

 小一時間経ち、見るみる桜が開花していく。お弁当を広げている人も居て、のんびりした風景。気温は上昇している。コートを脱ぎ歩く。休憩をした後、そこから菊坂に移動する。樋口一葉の暮らしていた、井戸があるという場所に、迷いつつ辿り着く。

 一瞬、着物を着た小さな子どもや、長屋のおかみさんの姿を具間見る。たけくらべやにごりえの情景が映し出される。リエさんの丁寧な案内に感謝。すっかりぶらタモリの気分を満喫。その後、お茶の水に向かい昼食。備前焼の器で食事。外には雀が。

 そこからリエさんとは別行動。電車に乗せてくれ、しーちゃんの待つ、立川へ。リエさんは、仕事が入っていたようで、この夜はしーちゃんちに泊めてもらう。土方歳三縁の寺社に詣で、新撰組のグッズを買った。此処の桜も、気温の上昇に咲き出した。

 しーちゃんの母上さまは、やりくり上手で、素材を生かした料理の天才。然も、美味しいとくる。テーブルに並べられた品の多さ、味の旨さについ箸が。丹精籠めた料理に舌鼓です。茹で餃子にもびっくり。物凄い量にも驚きです。お腹一杯に動けない。

 太陽に干しておいてくれた布団の温もりに、朝までぐっすり。朝食もたっぷり戴いて、モノレールに乗ったら、何と富士山が見えた。そこから久が原のはり灸さんに、案内してくれるしーちゃん。治療している間、近くにあるお寺に行っていたそう。ごめんね。

 はり灸さんでの治療は、親切・丁寧そのもの。枇杷温灸なので、体が温まってくる。はり灸さんお薦めの食事処で昼食をご馳走になり、近くの桜を案内して頂く。奥さまや、子どもさんにもお会いでき、お手製のクッキーをもらって感激。素朴な味わいです。

 久が原から、隅田川の桜祭りに。滝廉太郎の歌の、あの情景がどうしても見たくて、リエさんに無理を頼み込む。とても幸運だったのは、桜が八分咲になっていたこと。錦織り成す長堤に暮るれば昇る朧月の場面の再現。月は、無月に近づいていたが。

 その後は、浅草に向かい、気温の上昇に辟易しながらも、土産物を買ったり、金鍔や煎餅を食べつつお参りをする。物凄い人出。やっと抜け出して、スカイツリーに上がり展望。立ち眩みが起きそうだった。ふなっしーを見つける!!本物は居なかった。

 しーちゃんと別れて、リエさんちに。明日は天気が崩れる、という深夜。土砂降りの雨音に目覚める。ゆっくり起きて着替える。朝食を戴き、ご主人に特性の珈琲を淹れてもらう。贅沢な一時。春雨の中を近所の散策。桜が咲き競う風情にうっとりである。

 東京駅まで送ってもらう。迷子にならないように、新幹線の案内板を確認してくれるリエさん。色々、ご面倒をおかけしました。ご主人は、荷物を雨の中、自転車に乗せて駅まで行ってくれた。ご自分は、雨に濡れるのも厭わず。感謝感激、雨霰でした。

 金星。宵の明星とも呼ばれる。冬の宇宙に、燦然と輝く光度は、マイナスがつき、一際明るい輝きを放つ。

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有給休暇・・・

2014年03月27日 | Weblog

 有給も、使わなければ失われる。時効があるのだ。然し、目的もないのに、使うのも中々踏み切れない。まあ、貧乏性なので、色々考えてしまう。それが実は、後悔することになり、更なる鬱屈を招く結果になる。自分の性格なので、生涯付き合うが。

 これを書いた後、上京していたので、更新が滞っていた。行きの車中は、上天気であったのが、東京に近づくにつれ、雲行きが怪しくなる。リエさんと待ち合わせができず焦る。携帯があるので便利。両国、国技館に向う。大江戸博物館に上がり堪能。

 ぶらタモリの気分です。結構な賑わいで、外国の方が多かった。リエさんの説明がわかり易いので、とても楽しい。土産物屋で、キューピーを見つけて買う。剣玉とメンコもあった。入館前には咲き始めだった桜が、出て来ると八分咲になっていた。

 両国国技館の方にも寄ってみた。期間中でないので、人影はない。そこから回向院まで歩く。なんとここに、塩地蔵なるものが奉ってあった。塩は、殺菌や止血になる。拝んでおく。鼠小僧を祀ってあり、金持ちにはならなくても、分相応にを祈った。

 初日なので、疲れてるでしょとリエさんちに。大江戸博物館の中で、ゆっくり観て回ったから、夕方になっていた。リエさんちでは、ロイが(来たの)、と出迎えてくれる。kazu君も居て、歓迎の挨拶をしてくれ、バイトに出て行く。お邪魔しますと上がる。

 リエさんの心尽くしを戴き、おしゃべりをしつつ夜が更け、お風呂を使わせてもらって、ぐっすり眠る。至れり尽くせり深津絵里です。リエさんちのは、花芽茶なので香りがいい。普通のお茶も美味しい。小さめの湯たんぽ持参。湯を入れてもらい足元に。

 我が家に来てもらっても、たいしたおもてなしはできないのだが、リエさんの気配りは素晴しい。さり気ないところが、凄いなぁって思う。なんか、自分ちのようにくつろいでしまった。ぐっすりと眠れて、朝目覚めた。さて、小石川植物園に出かけよう。

 昨年の秋に蒔いた麦が、発芽した。冬中、せっせと麦踏みをした。孫も来る度に踏んでいた。

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環境整備・・・

2014年03月26日 | Weblog

 自然を壊して、人間の都合にいいようにすることが、果たして環境整備だろうか。便利さや見た目の整いはあるかもしれない。何だか、却って不便を感じるのと、今までの景色が消えて、自分を見失ったようにも思える。余りにも変化が激しくて、ついていかれない。

 田舎でも、毎日のことがいえないのに、街や都会は尚更だろう。まあ尤も、明治の前は江戸時代。今や、テレビでしか観ることはできないが、戦があった。戦争の恐怖には、体験した者でしかわからない想いがある。然し、あたら命を粗末にすることには断じて反対。

 戦争兵器になり得る、核のゴミは要らない。原発を再稼動も許さない。活断層が其処にあろうがなかろうが、日本は地震国。危険との背中合わせには違いない。福島第一原発の恐ろしさを忘れ、終息できない状況で、放射線は垂れ流しにする。国民を愚弄するな。

 消費税を上げても、国の財産は豊かにならない。居眠りするか、罵声を飛ばすかの国会議員は要らない。年間の報酬だって、莫迦にならない。それも国民の血税じゃない。選ばれた代表なら、それなりの仕事をしなくちゃ。人間のエゴを剥き出しにしている感がある。

 雨の確率が多いが、暖かな気温に、体は緩んでくる。こういった時期に、風邪を引きやすいのも確か。充分な嗽と手洗いをして、体調を崩さないように。枇杷葉茶を飲み続けて、風邪とは縁が無くなりつつある。それでも用心は怠らない。安心の慣れは禁物である。

 DVDナルニアを観る。ルーシーが愛らしい。ピーターは勇敢で凛々しい。映像と書籍は違うが、これはまあ許せる。魔法の力は、アスランを信じることで叶う。大人になれば、そういった力を忘れてしまう。スーザンは恋をして大人になっていく。時は超えられない。

 風は山河より、第三巻に入る。家康が誕生して、3歳である。実際の物語だから、歴史上に出て来る人名を覚えるのも難儀をする。年代を思い出しながら読んでいく。気がつけば午前二時三時・・・。寝不足にもなている。でもなぁ、面白くなってきて、止められない。

 年の瀬を迎えた枇杷葉。苞がたくさん付いている。花が少しづつ咲いてきて、とてもいい匂いがしている。

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去り往く日々と・・・

2014年03月25日 | Weblog

 あっと言う間に、小学校も終了式です。春休みに突入し、進学や進級が待たれる。孫も、新学期からは中学生。あの小さかった、愛らしかった児が、と感慨深い。滅多に泣きもせずおとなしく、尻込みする孫であった。6年間で肝心なことは言え出した。

 多摩川の桜が、早くも咲き始めた。という情報がある。おおっ、正しく桜だ。こちらの桜は、未だ硬い蕾だ。可なり北寄りにもなるせいで、開花は来月になってからだ。昨日とは打って変わって、曇り空で雨も時雨れた。日中気温は、23度になっていた。

 帰宅途上の宇宙も、家に帰っての夕空も、霞がかかったどんよりさ。色でいえば、灰色の上に清らかな蒼と、萌えいずる緑があり、下には軟らかな薄桃色がたゆたう。灰色も、白が今にも弾けようとしている。一日毎に、闇から光へと転じていくようだ。

 水温む、ともいうが、山から里に、野に確実に春が訪れている。タンポポがあちこちに咲き出し、仏の座やイヌフグリが道端の面を覆う。でも、気づかれずに咲いている。いえいえ、気づこうともしないで歩き去る。もっと自然に関心を持ち、話題を広げたい。

 介護の仕事、というのは、高齢者への介添えですが、尊厳を持ってあたることが肝要です。そこには、人間としての知識の多さに加え、どのような話題にも通じることができ、色んな話をしてもらうことです。安心と信頼とが必要ですが、十人十色ですね。

 その中で気をつけているのは、自分にされて嫌な事をしない。当たり前のことを、自然に行うことです。でも、無意識にしていることがあって、後悔することが多い。他人のことは見えるが、己のことはわからないものだ。だからこそ、角度を変えて学ぶのだ。

 昨年の白枇杷の収穫。赤枇杷よりも、味は濃厚で、皮の色は薄黄色。我が家のは、売り物でないので、小粒です。

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彼岸明け、小潮・下弦

2014年03月24日 | Weblog

 風が緩くなって、寒さを感じなくなった。ありがたいこと、このまま暖かくなれば、桜の開花は早いだろう。心が浮き立つような想いだが、油断大敵で、風邪にご用心。初夏を感じる頃までは、朝夕の花冷えに気をつけよう。今年、期待して植えたフリージア、大半が霜にやられた。

 地植にすると、引越しに困ると、鉢にしたのだが、いつの間にか数が増えた。枇杷葉も、隙間を空けていたのが、月日と共に大きくなった。鉢も根が張って、地植と変わらない。狭い庭ではあるが、小さな宇宙でもある。ムスカリの球根を掘ったら、花が咲かなくなった。分離した。

 PCの調子がイマイチになる。二台目を買わなければならないが、資金繰りがつかない。当面の生活にも支障を来たすのに、それどころではない。ブログの更新ができなくなるが、我慢するしかない。長い間、いろんなことを書いてきたが、潮時かもしれない。DV専用にするか?

 今年の目標は、100冊の読書目標だから、PCの前に座ることを思えば、時間はたっぷりできるというもの。テレビは嫌いなので観ない。従って、余暇は創作か、読書。エコな生活を心がけるなら、管理社会を断たなければ。携帯も止めるかな。その分、書籍代につぎ込める。

 仕事に行かなくなったら、隠遁暮らしを送るだろう。今後は、手紙か葉書にしてみるか。メールは早いが、味気ない。先日は、文字化けして困った。手間なようでも、昔の手段がいいのだ。幸いに切手はたくさん買ってあるの。記念切手ばかりだが、この際、使うのもいいだろう。

 枇杷葉茶を飲むようになって、風邪かな?という症状はあるにはあるが、熱が高かったり、寝込むことはない。体のだるさは精神的なもので、人間関係になる。相手の心が読めることが却って拙いことも起きる。後悔先に立たず。最近は諦めてもいる。成るようになるものか。

 昨年の十三夜。暖かな夜であった。旧暦でも寒さをあまり感じない、十三夜。お関の心情には程遠い。

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墓掃除・墓参り

2014年03月23日 | Weblog

 昼前に出発して、古里をおとなう。三連休で日曜日というに、人影は見られない。人声も聴こえない。小川の水がちょろちょろと流れていく。墓に着いて掃除をしていたら、間近に鶯の声。よく来てくれたね。と父母の声のように思える。掃除を済ませ、花筒を換え、華を挿す。

 しきびが高くて届かず、息子に下げてもらう。墓の近くに植えていて正解だ。藪の孟宗が、先月の雪で倒れていた。筍は掘りに来るが、その途中は訪れもしない。落葉を掃き寄せ、水を換え、手作りの散し寿しを供える。息子は、笹の落ちている坂を、丁寧に掃いていた。

 嫁も孫等も黙々と掃除を手伝い、こざっぱりとしてくれた。父母の墓の前に手を合わせ、皆が元気で居ることを報告。ご先祖さまにも、散し寿しをお裾分けし、帰りに向う。途中の坂にあった三つ葉を5株ほどもらう。昼食の清まし汁に入れるのだ。白梅が満開になっていた。

 帰宅して、息子の家族と昼食を戴き、孫に卒業祝を渡し、記念写真を撮る。6年間、無事に過ごせたことはありがたい。何があっても可笑しくない世の中だ。中学生の3年間は、もっと速い。更なるスピードが加わるだろう。月日の経つのは、実際速い。年を重ねる筈である。

 片付を終え、ほっとしつつ読書に没頭する。図書館が開いていることを思い出し、風は山河より・第三巻を借りに行く。近所の子が、親とサッカーをしている。何処かに出かけることばかりを考えるが、休日こそ読書に勤しみたいもの。体を休める日でしょ?違うのかなぁ。

 父は、平日は勤めをし、休みの日には野良に出て行った。留守番が居るのと、手が足りるからだ。遊んでなどいようものなら、夕飯を抜かれた。風呂水を汲み、草を抜いて、種を蒔き、牛の餌を遣るのも大切だった。母は炊事・家事に忙しくして、日が暮れるまで外に居た。

 何処の家庭でも似たり寄ったりで、家の中で遊んでいる児など居なかった。高学年になると尚、手伝いは増える。洗濯機も、掃除機もなかったから。我慢をするというよりも、金銭的なゆとりも、それらを使うことにも、思いは至らなかった。昭和は、実際遠くなったものだ。

 時は移り変わるが、何時如何なる場合にも、原発の稼動は許されない。贅沢はしないよう、夜は眠るために、電気は消そう。団欒を楽しみ、心の交わりを行い、書籍に親しもう。躾は家庭で行い、善悪の判断をできるよう、社会の仕組みを知ろう。羹に懲りて膾を吹く。

 庭中に、小さな苗木まで入れると、唯に60本を越える。今年、花芽の付いているのは、種類が不明だが、長崎茂木ではない。葉色が薄い。

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休みの日には・・・

2014年03月22日 | Weblog

 久々の上天気の休日に、布団を干す。洗濯も広げる。雲が多いが時雨はないようで、ほっとする。咽喉が痛いので、外出は控える。明日は、父母とご先祖の墓参りに行く。息子の家族が同伴するという。母の好きな散らし寿しをして行こう。

 台所の洗剤、これが曲者である。できる限りは自前の洗剤を使うが、その度に持って歩くのも、取りに行くのも面倒、と使ったら最後だ。どういう訳か、皮膚が捲れ、皹が割れてしまった。水が浸みる。痛いのを我慢していたが、血が出てきた。

 じっと指を見ていたが、埒が開かない。決心して、塩を摩り込む。荒療法には違いない、飛び上がるほど沁みる。風は山河より、第二巻目に入り、やっと面白みが出てきた。反面、家系図が浮かび上がらなくて、結構手間取る。愉しみでもある。

 ナルニア国物語、DVDの4巻目が出ない。ネットで調べてみたら、全7巻ある。岩波少年文庫だ。散々迷った挙句に注文する。いくら諸費税が上がる前とはいえ、ハードカバーはきつい。これは図書館で借りよう。買いたいのは山々だが。

 然し、元手がない。例えば、マイヤ・プリセッカヤが主演の白鳥の湖、全幕。パバロッテイ主演トーランドット。マリア・カラス出演のフィガロの結婚等、好みが激しいので、どれでもいいという訳にはいかぬ。宝くじが当ったら、絶対に買う。一億円。

 宝くじ、というのも、お金が当って、その後の人生が上手くいけばいいが、命を狙われたり、お零れに与る知らぬ者が現れたりは遠慮したい。パソコンを買い換えたいのもある。ウインドウ8にしたいが、中々資金が集まらない。中古でいいんだが。

 枇杷葉の葉でじっとしている蛙。とても気持ちがよさそう。見ている方まで、瞼が下りてきそうだ。

 

 

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キリマンジャロにも雪は降る

2014年03月21日 | Weblog

 ジャングル大帝で、月光石を探してレオ達一行の前に、現われるおふくろさん。マンモスだが物知りでもある。キリマンジャロに、雪が降ると、おふくろさんは下りて来る。アフリカの山でありながら、雪が降るとは。行ったことがないから、確かめようがないが・・・。

 青い星の上には、多種多様な生命が存在する。人間にとってではなく、地球にとっての掛替えのない命だ。人類が良かれと思ってやることは殆んど、地球への反逆だろう。資源を掘りつくし、環境を破壊して、放射能汚染を広げていく。誰も罪を認めず愚か者。

 暮らしが、快適になればなるほど、心は殺伐としていく。視て見ぬ振りをし、自分の楽ができたりすることしか考えない。他人に干渉されることを嫌い、脚を掬うことをやり、公私混同させ、人を殺めることは平気だ。自分よりも、弱い相手にしか向かわない卑怯者。

 確かに、金はないよりあったのがいい。然し、なければないで暮らしができる。隣の芝生は青いのだ。自分の容量にあった生活を送りたい。消費税が10%になったら、物々交換にするか。紙幣の価値もないようなもの。出かけず、買わず自給自足にするかな?

 愛車も、仕事を辞めたら乗らない。徒歩、歩きである。免許証を持っていなかった、元の生活に戻るだけだ。健康にもいいようで、自然が解っていいだろう。長屋の暮らしも、捨てたものではない筈。年金だけの生活は立ち行かない。金持ちのやることは不明。

 送迎会があったが、場所が焼肉店なので止める。あの臭いがいけない。充満するのにも閉口する。会席料理や、精進料理がいい。握り鮨は特にいい。自分の食べた分は払うが、呑まない分まではなぁ。従って外食は好まないのだ。お結びを持って行きたい。

 お粥もいい。好みの塩味は最高だ。シンプルながら、美味しさは負けない。素材の良さで勝負するところもいい。庶民的な、家庭的な味つけが好ましい。以前、焼き鳥を単純に、雀だと思っていた。鶏と聴いてびっくりした。今晩の献立は、蒟蒻の田楽にしよう。

 二十四節気・春分。太陽黄経0度、昼と夜を等分に分かつ日とあって、春分と云われる。この日は春の彼岸の中日とされ、毎年三月二十一日頃である。早朝には快晴であった。春雨の音もなく降る様に、洗濯物はずぶぬれ。出したり仕舞ったり忙しかった。

 西側の、洗濯干し場にある枇杷葉。昨年も花芽は付いたが、結実しなかった。さて、今年はどうだろうか。

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春雨じゃ・・・

2014年03月20日 | Weblog

 寒い日で、暖房をつけているのが温もらない。セーターを着ている分にはいいが、最近の衣類は見かけ倒しで、重ね着でも寒い。着膨ればかりだ。消費税が上がっても、衣類には困らない。繕って着ているからだ。品質も良くなく、自分の物は買えない。

 枇杷葉のお蔭で、色々と倹約も節約もしているが、裸足では歩けず、勤務は普段着。従って、仕事着は必要なので、洗っては着ている。一番に困るのが、ズボンのファスナーで、これが壊れては、自分では直せない。冬は、長めの丈で隠せるが、さぁて。

 少し痩せるか、とも考えないではないが、ありのままの状態が一番だろう。ウエストはスカートが入るようになればいい。ちょっときつい。気の緩みが問題で、今後は塩で揉もう。ゴムのズボンは楽だが、ウエストには禁物。今後は、何事も引締めていかねば。

 路地の菜の花が咲き出した。一面菜の花・・・蜜蜂が飛び、花の匂いで息苦しい春色に染まる。でも其処に行くまでの、冬の厳しさがあってこそ。雀が姦しやかに囀り踊る。サンバ、サンバ、お祭りサンバ。気分は未だ暗いが、陽射しは日増しに明るくなる。

 宝くじが当ればいいが、その前に買わなくちゃ、ならないのだ。何処をどうやったら、切詰めていけるのかが、当面の問題だ。既に、千人の修行に入ってはいるが、今後百年が怪しい。人間の寿命も、精々が百歳限度。不老不死の薬など、存在しないのだ。

 明るい未来はないけれど、一日を精一杯生きていくことができればいい。健康であるためには、薬を頼らないこと。サプリメントを信用しない。そんなに簡単に手に入る物には、体を維持する力はない。自然治癒能力には、時間が膨大にかかり、手間もいる。

 自分らしさを維持できれば佳く、日々の暮らしを大切に、一日を感謝して過ごしたい。自然からの恩恵を受け、生かされていることに想いを馳せ、エネルギーを戴く。何よりも、書籍が読めることに、至福の時を知る。本は、独りで学べ、たくさんの活字を知る。

 夕顔。秋になっても、忘れた頃に咲いていた。白い儚げな大輪の花には、幽玄の世界に誘う怪しさもある。

 

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