枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

麦を蒔く

2013年11月30日 | Weblog

 林檎の周りと、枇杷葉の側に蒔き、フェンスの外にも行って、草を取るのが先決と遣っていたら、抜いた根に付いていた土が眼に入った。夏の朝顔と、大豆の枯れたのも取る。麦が生えて来たら多少は、土崩れ防止になるかと。野鳥の餌になる可能性もあるが。

 洗濯物も、布団も、小春日和に誘われて干す。じっとしていると眠くなる。廊下の拭き掃除もするが、枇杷葉が気になって見回る。黄色になった葉を落とし、斑点の出たのも外す。薄茶色の苞は硬いままだ。例年の時期には咲いてもいたが、どうしたものだろう。

 昨夜は、虫歯治療の麻酔が切れた時点から、腕が痺れるようになったが、疲れていたこともあり眠った。咽喉の痛みを感じ、檸檬の砂糖漬けエキスと、にごり酒を少々口に入れて、眠ったのがよかったのか安眠できた。今朝は体調が好い。酒も使い方次第か。

 白蟻の工事の見積を出してもらうのに、建築屋に来てもらう。床下に潜って写真を撮ってもらうが、白蟻のいた形跡はないとのこと。へぇえ・・・。役場に行ってくれてから工事にかかるので、私の休みの日と、建築屋の都合を日程調整。折り合いがつき頼む。

 今年中になんとかできそうな気配に安堵する。同じ住居が十数軒あって、住まう者にも、使い方にも依るのか、白蟻がいないことに不思議さを感じる。それとも枇杷葉の影響であろうか?まあ、これだけ所狭しと植えていれば、白蟻も安住できないのだろうか。

 このところ、飛び石連休が続き、年末の掃除も兼ねて、掃除機をかける。ストーブを出すに当り悩む。新しいのを買うか、これまでのを使うか。粗大ゴミ行きになるが、捨て難い思い。ファンヒーターや電気ストーブは、煮炊きができない。便利さが違うのよね。

 できることなら、七輪が欲しいのだが、諸般の事情で無理だろう。ちょっとしたことには重宝するが、さて危険が伴う。狭い台所では使えない。生き難い世の中になったこと、諦めてはいけないのか、江戸時代に行くべきかなぁ。本気で悩む今日この頃である。

 昨夜、というか明け方、子猫が4匹我が家に来た夢を見る。白と黒の混ざった猫だった。でもなぁ、4匹は考えるよ。黒猫の雌がいないか。と、探しているから見せたものか。銀河のことを思い出してしまう。以前にはあった重さも、今はなく軽いが気配はある。

 今年、たった1粒生った梅の実。春先に突風で花が飛び散り、諦めていただけに、緑の宝石を見つけて心が温かくなった。

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歯の治療・・・

2013年11月29日 | Weblog

 医者は、何処も嫌いである。然し、歯医者と目医者は別で、定期的に行かねばならない。その歯科を伸ばし、延ばしにしていた結果、悲惨な状況が起きた。歯が欠ける、抜けるという最悪の事態。止む無く治療に通う羽目に。口を大きく開けている心算です。

 左の肩凝りも、腕や足の痺れも、ひょっとして虫歯から来ているのか?っていうか、神経を触るから痛い。鍼灸がいいんだが、ちょっと遠い。往診にしても無理がある。リンパ腺に触ると、ぴりぴりする。明日は、お灸をしてみよう。麻酔が効き過ぎるのも困るよ。

 麦をもらって帰ったので、明日は植えておこう。もの凄くたくさんあるよ。物好きに付き合ってくださって、ありがとうございます。大豆もそうだが、鍬で土を耕し蒔いておこう。少しでも土があれば耕し百姓はできるのです。何処がいいかは、麦が教えてくれるだろう。

 今朝は、銀河のお茶湯をしようと、入れ物を触ったら、氷が張っていた。寒いではないか。大霜になっとります。然し、早出でストーブを点ける時間も無い。体に着込んで出かけた。簡易懐炉はしっかり付けているので、震える程ではないが。車中も寒かったです。

 仕事を始めると、寒いなどと言うておる場合ではなく、相手の様子を見ながら、するべきことは成さねばならないのも事実。慌てず、ゆったりゆっくりと拘ることがモットー。小心者故、常にばたばたして、仲間に小言をもらう。一日があっと言う間に過ぎてしまう。

 アイソン彗星は、太陽面を通過した時、捕まって爆発した可能性があるとか。しかたありませんね。これも自然の為さりよう。若田さんが宇宙船から撮影した、アイソン彗星が新聞に載っていました。ベネット彗星や、ウエスト彗星の見事さは比較になりません。

 百武彗星は、北の夕空に雄大な姿を見せ、巨大な全様に魂げたものです。へール・ポップ彗星は、天文台まで追っかけをした。子ども頃に観た彗星と、大人になってからでは、多少は印象は違うが、眺めとしての壮大さは変わらない。大自然のスクリューン。

 リエさん枇杷葉。今年、おめもじしたリエさん。枇杷葉も、名前をつけたらそっくりになる。一緒に写真も撮った。

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自然に生きる

2013年11月28日 | Weblog

 日々、寒くなっていますが、これは自然でもあり、当たり前のこと。冬に寒くなかったら、何時寒いのだろう。冷房をつける夏であるか。人工的な寒さは、病気の元を作るし、禍を呼ぶ。自然に生きることは容易く、また難しい。生き難さでもある。

 高齢者になると、冬の肌はかさつく。潤いが少なくなっているのだから、自然なことでもある。枇杷湯に入っていると、潤いは保たれ滑らかだ。蓬であってもスギナ、柚や蜜柑でも同じ。個人差や体質があるため、必ず試してから使用すること。

 人工的な物と言えば、サプリメントがある。様々なエキスを固めていることで、普段は補えない養分を足す。ところが不必要なものまで摂取し、却ってならなくてもいい病気の要素を取り込む。そのことに気づかない体が出来上がる。手遅れ。

 質素に暮らすことは、何という贅沢であろうか。衣食足りて・・・と言うが、自然の恵みを忘れて、無駄ばかりである。素材を生かすことをしないで、簡単で便利な方法ばかりを求める。食の安全どころか、偽装されていても優越感が先走る。

 野球は好きではないが、野茂投手は凄い。その野茂投手が、殿堂入りされる報道に、思わず拍手。彼の直向きさや、地道な行動があったればこそ、松井だって米国に行けた。国民栄誉賞は、彼に先ず贈ってほしかった。大切なことって何?

 嫁に先日の、認知症のビデオを撮ってもらっていたので、観に出かけた。ちょっと脇が騒々しかったが、天寿を全うされて、逝かれたとのこと。当たり前と言えばそのままである。病院にしてもまた、自宅にしても、現在は様々に利点が多いよ。

 認知症と言うが、これは人間であることを受け入れること。人間であるが故に、老いると皆、行動も思考も衰えていくのだ。況してや、仕事を生きがいにしてきた半生は、個々に違っていよう。通り一遍のマニュアルには、細やかさは欠ける。

 先日、入浴介助をした時、穏やかに声をかけ、その人の時間に合わせてみたら、何時ものように湯船に入り、出てくれた。その人の残されたものに寄り添うと、難なく可能になるもの。これは私の持つ特殊能力に他ならない。自然の力でもある。

 今夏の桑の実。枝を伐ったので、昨年より半減した。秋になり、忘れたように実がついて熟し、口に含むと自然の恵みを堪能できた。

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麦、届く・三の酉

2013年11月27日 | Weblog

 知人に頼んでおいた麦が届いた。時期的には遅いかもしれないが、植えてみよう。林檎の周りにやってみようか。元々、水捌けの悪い田であったところだ。家が所狭しと建っている。麦の力を借りれるか、色々研究してみよう。天地に心を澄ましたい。

 朝の内は、天気であったが、いつの間にか雨になっており、雨脚が止まない。Aさん家に水を戴きに行き、帰宅すると宅配が来ていた。いつもの人とは違うので、勝手がわからなかったらしい。高齢でもあり、足の痛みに退社されたらしい。残念である。

 丁寧な態度と言葉で、融通の利く対応をしてくれた。常に頭が低く、ありがたい配達だった。一抹の淋しさを感じる。どうかお元気で、養生されてください。枇杷葉茶をしっかり飲んでください。お体お大事に。出会いがあれば、自然と別れもあるもの。

 時間は止まってはくれない。その人の感じ方で、遅くなったり、速さを増したりはするが、過ぎていくのは確かだ。何もしないでいることも、或いは無我夢中であっても、同じ時間が経過する。去るものは追わずとも云うが、時間に関しては負け惜しみ。

 孫の成長を間近に見て、月日の速さに驚く。零した水も元には還らないが、後悔も先に立たないもの。今、この一瞬を生きることに、精一杯の努力を惜しまないこと、日々学べることのありがたさを感謝すること。天地の恵みに祈ること。ありがたい。

 そろそろ枇杷葉の花芽が綻ぶか。花弁の2つ3つは咲いているものの、例年より遅い感じがする。今年は、異常気象であったからか。紫陽花が依然として咲いているのも、どうだろうか。何だか花にも酷な感じがしてしまう。南天の実が赤く熟した。

 今冬は、厳しい寒さになるという予報だが、大気が澄めば星が煌きを増す。夜空を眺めるのは飽きないが、風邪を引かぬよう注意だ。アイソン彗星も、太陽面通過が近い。肉眼での観望が愉しみである。生きていれば亦、楽しからずやであろうか。

 明日は、読書三昧にしよう。久々に予定が入っていない。孫の迎えもない。三国志も、中盤に差し掛かったところ。曹操と孫権、劉備の性格にちょっと躊躇う。個人的には曹操に肩持ち。まあ、聖人君子はいないことにも魂げるが、新発見が多いこと。

 花苗店で買った、千日紅。百日草と千日紅は、夏の定番でもある。昔は、何処の家の庭にもあり、可憐な花を咲かせたもの。

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生まれ変わるには

2013年11月26日 | Weblog

 枇杷葉を知っても、直ぐに必要ではなかった。体がけだるく、何をするのにもたいぎで、少し動くのもしんどかったのを覚えている。そういった辛さは、誰にもわからず、訴えることもできない。親に心配かけまいとしてもいた。心理的に不安定な状態がいけない。

 祖母の植えていた枇杷葉があって、母は、それを持って来てくれた。自分で運転できないので乗せてもらってだ。気力が萎えるというか、やる気が起きないと言う有様で、自分を持て余していたのもこの頃。自分の時間がとれない苛立ち、子どもは幼かった。

 本が読めないことも一因で、免許もなかったから鬱積が溜まる。子どもが学校で借りてきた本が楽しみで、夢中になって読んだ。当時は、お母さんの勉強室、という番組と、テキストがあり、多いに活用していた。投稿して採用されたことも幸いした。脱出できた。

 地元の新聞への投稿も、図書券欲しさにやっていた。偶然から上京して、某作家にお会いしたことが、それからの人生を変えた。当時は、中堅の作家であったが、今や人気作家になられている。かれこれ30年のお付き合いになる。娘さんとは枇杷葉が縁。

 あの不思議な夢に導かれて、枇杷葉を教えてもらい、白龍と出遭ったことは、考え方を変えた。自然を知ることに依って、当たり前のことが、人工的に歪められていることも、人間が豊かな生活を欲し、快適な暮らしを求めた結果だ。愚かしいことではある。

 人間が、どんなに偉くても、自分の寿命を決められはしない。それを延命措置を施したからと言って、数日或いは数ヶ月、数年生きられたとして、得るものは何だろう。命を継ぎ足すことは不可能である。どんなにお金を積んでも、尽きるものは助からない。

 枇杷葉も、生かす方法にも依るが、絶対ではない。枇杷葉との拘りも、同じものではなく、その要因で異なる。委ねるとも云う。神の御心のままに祈ることだけ。その無心さが、或いは援けてもらえることになるか、希望に繋がるかは、誰にもわからないこと。

 地球の過去も、現在も、未来もまた、思考的には違っても、滅亡への未知を辿って行く。それがわからないから、未来であり、絶望か希望かは、個々に異なる。明るい未来で無いから、人類は進むのだ。いや、行ってみなければ、何もわからないことでもある。

 長崎茂木枇杷。10年目になるが、隔年毎でたくさん生る。自然に任せていると、天と地の恵みがわかる。

 

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雨の一日

2013年11月25日 | Weblog

 今朝の暖かさは、寒がりの者には、思わず笑顔になる気温だった。入浴当番にはありがたい、というより助かるのだ。然し、雨のため洗濯物は乾かない。除湿機を点けようか迷うが、外に干して軒に引っ込めた。帰宅したら、嫁が室内に取り込んでくれていた。

 年末・年始の予定は定かではないが、勤務表が出ないので、止む無く決めてしまう。お正月が来たからと言って、あまりめでたくもない。年を重ねるだけではないか。特に望みも希望も無い。一攫千金は有り得ない。大金の入った鞄を拾ったら、隠匿しよう。

 一億円が五千万であろうと、他人の金は自分の物ではない。くれるには、それなりの理由があるのだ。正直に話せばいいことを、何故隠すのか。オリンピックが、まともに日本に決まったのではないことは、子どもにもわかる種明かし。浮かれているからこける。

 今年の冬は寒い?って、長期予報だが当たるの?そういう予報自体が、うそ寒い。自然に逆らうことはしない。あるがままの暮らしをして、なすがままにきゅうりぱぱといこう。今年の目標は、介護福祉士に合格することだった。さて、次の目標が決まらない・・・。

 年末が近づくと、大慌てで掃除をするが、これは普段から遣っていないと、その付けが大きい。汚れを後回しにすればするほど、掃除をするのが厭になる。汚れはその都度拭き取る。汚さないのが一番いいが、大勢での生活ではそうもいかない。心がけ次第。

 我が家のトイレ掃除の基本は、トイレットペーパーで、埃や汚れを拭う。その後はトイレに捨てるのが、手っ取り早い。1ヶ月に1度は、床のハイター拭きをする。風呂場は、枇杷湯にしているお蔭で黴ない。天上もタイルも汚れがなくなった。謎と言えば不思議だ。

 枇杷葉温圧療法は、蒟蒻と枇杷葉の生葉を使うので、誰にでもできるし、手軽に行える。患部を揉んだり、無理な方法で行わない。体は温めるのがよく、冷やすと機能が低下するのだ。できるだけ考えないで、じっとしていることがよい。眠るのも方法でもある。

 某新聞の連載に、興味を惹く台詞があった。それは、私が念じていることと同じなので、とても驚いた。枇杷葉を活用する相手に依って、効き方に差があるのだ。その人の枇杷葉への、反応するエネルギーに左右される。私は、枇杷葉の力を借りているだけ。

 以前にも書いたが、助かる命、援けられる命、助からない命がある。それは、私の云うことを信じてくれることにも依るが、そのことに依って生きようと思わないでは、命は尽きる。我が家の枇杷葉には、神秘的なものがある。それを援けるのが、使命でもある。

 さて、これは何の花でしょう?白い花が好きで、植えたものの名前を忘れる始末。卯都木の仲間か?

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年の瀬がやって来る・・・

2013年11月24日 | Weblog

 既に、1週間とない。12月である。寒くなったとは言え、小春日和の日が多く、衣類をきちんと着ているので、寒いよりも暖かい。旬の野菜物にとっては災難。傷みが早いし、発育もいい。この時期には落葉や、木の幹についている虫が、何ということか歩き回っている。

 蛙は、木の葉の中に隠れていた。体の色は変化し、保護色になっている。我が家は、野鳥が飛来するので、忽ち見つかってしまうからだろう。百舌鳥のはやにえだ。自然に生きるという事は、命と向き合うことでもある。小さなものにも、知恵が働いていることを知る。

 洗濯物を、盥で手洗いしていた頃には、洟紙は手ぬぐいであったり、手洟をかんでいた。子どもに至っては服の袖で拭く。そういった時代には、洗濯機はなく、汚れの段階に応じて、軽い物から洗っていた。石鹸は固形で、ちびるのでたくさんつけない。真っ白は無理。

 最近の洗剤は、液体が出回り、柔軟剤にはどぎつい臭いがある。洗濯機も、全自動で済む。ボタンで選択し、スイッチを押せば触らない。これが実は問題で、汚物が混ざっていたり、ティッシュが入っていても、警告してくれず、そのまま脱水にかかる。便利さの汚点。

 何が便利なのか、首を傾げたくなる結末に、言葉も無い。これこそ、二度手間。時間の無駄使いで、水も人手ももの凄くかかる。ティッシュが洗濯槽を回ると、洗濯した後が大変なのだ。泣きっ面に蜂という例え。洗濯機を回した者が、責任を取らないのにも困惑する。

 冬場には特に、静電気が発生するので、最近の衣類には無茶苦茶にくっ付く。昔の手洗いならこんなことにはならない。どっちが便利かわからない。洗濯するのも、脱水も電気でやってくれるのがいいが、この手間を考えると憂鬱になる。さぎょうへんかくかつよう。

 腰の筋を痛めて久しい。ちょっと無理な体勢をとると、引きつる。研修で、梃の原理での移乗を教えてもらい、利用している。動けなくなるようには陥らない。足も痺れないし、歩行も無事である。まあ、半分以上は年齢があろう。決して無理をせず、遣らなければ。

 長崎茂木。どっちから見ても、枝々にびっしりと生っている。リエさん、サンタさん、りささんに送る。美味しいと好評です。

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勤労感謝の日・神農祭

2013年11月23日 | Weblog

 穏やかで、暖かく、一寸動けば汗ばむ。小春日和の一日であった。庭の剪定をし、枇杷葉の生葉を採り、蒟蒻での枇杷葉温圧療法を施行する。洗濯物も、布団も干し、ぽかぽかの陽気であることか。日溜りで、三国志を読む。居眠りがついてしまう。

 薔薇、球根類、枇杷葉に、先日作っておいた、自家製の薬を撒布する。柊の花が匂う。白く小さな可憐さとは似合わない程、その匂いは華やかで、風に乗っては漂ってくる。我が家にはないが季節の便りだ。柊が咲き終わったら、枇杷葉の花が咲く。

 気の早い枇杷葉が、薄茶色の苞を破って花を咲かせている。長崎茂木、淡路田中、白枇杷等あるが、未だ硬い蕾だ。庭にある枇杷葉も、長崎茂木と白枇杷が10年以上、後はそれ以下だ。今年の苞の状態をみると、昨年の五分の一に落ちている。

 幸いなことに、ちゃんと苞がついているので、何となくほっとする。他所のは、全くないのだ。勤務先の駐車場側の家のも、何も無かった。摘果をしなくては、花芽茶が飲めないのだが、サンタ枇杷葉が15枝あって、鈴生りになっている。片手大です。

 東側の長崎茂木は、1枝もない。鉢仕立ての品種不明のに、1枝ついていて、白枇杷は5枝くらいか。然しである、結実するかは自然任せなので、無論のこと気温や諸々の状況で、出来が異なる。こういった天地の成すことには、踏み込めないもの。

 休日にすることは、天気が良ければ、必ず布団干し、次いで洗濯物に終始する。掃除は、結露を拭き取るので、雑巾数枚が必要である。色々と便利な物が出ているが、最終的な判断で雑巾に決めた。体を動かすので、適度なダイエットも兼ねる。

 青空市に出かける心算が、読書で取止めとする。ご飯を炊いてお結びにしよう。お腹がくちくなれば不平は出ない。もったいないことである。卵焼きも、厚焼きにしよう。ありがたい。食べられること自体、幸せなこと。蒟蒻を温めよう。腰に貼るのだ。

 栴檀。見つけてしまうと、山々の至る所にある。田舎なので、大木になっても平気なのだ。家の周りや、敷地には植えない。

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小雪・旧えびす講

2013年11月22日 | Weblog

 何という事はないが、酷く疲れた日であった。立ち眩みを起こしそうな状況に、然し、手を拱いている訳にもいかず、黙々と業務をこなす。気づけば、珈琲も飲めなかった。まあ色んな日もある、と思うのだが、疲労困憊が正直な気持ちだ。疲れにチョコを食べれば、鼻血が出た。

 明日は、ゆっくりしたいのだが、白蟻の工事の見積を取りに来る。午前中、それも早い時間と言う。おちおち眠っていられないではないか。洗濯機の下らしく、床を剥がねばならない。役場が修理するのでほっとした。家に上がっての工事となるので、同級生に頼むことにした。

 お歳暮の季節。もらってうれしい物は、無いに等しい。果物等は一人では食べ切れず、結果的には腐らす羽目に。靴下は、絹の素材が暖かい。パンストやタイツは綿がいい。何れも寒がりなため。然し、これ以上を増やすと、箪笥に入り切らない。従って、受け取り難いのだ。

 マフラーも、大判のスカーフもたくさんある。一度にできないから、充分な枚数だ。体型が変わらないから、衣類もそのまま着られる。綻びは繕う。安物は直ぐに草臥れるが、値段がよかったので耐久力もいい。長持ちがする。消費税が上がるので、極力我慢することが賢いのよ。

 流行は追うのではなく、自分流を創っていくのだ。況してや、この歳になると、センス&ワンダーである。自分なりの工夫がなくては、年代物は着られない。加えて、他人に流されない。それらを維持していくためには、背筋をすっと伸ばしていることも大切。生きざまに通じる。

 枇杷葉のお蔭で、これ等の条件を保持している。何はともあれ、健康であることもあり難い。働ける場所があり、暮していけることも感謝に堪えない。贅沢さえ言わなければ、最高の幸せである。枇杷葉がもたらせてくれる運気と、天地の恵みを味方にしていきたいこの頃。

 駐車場の位置から、庭を望む。袋のかかった長崎茂木、サンタ枇杷葉。様々な枇杷葉と、その苗が植わっているのが見える。

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偽装・・・

2013年11月21日 | Weblog

 今更、食材が偽装されていた、と騒ぐことだろうか?人間の心理を巧みに衝いた嘘は、大昔からあったことだ。騙される方も、知っていながら黙っていたり、賄賂で儲かるのだから、沈黙を守るのだ。お互いが利益を生じていたりする。美味しく食べたらいいではないか。

 何しろ、メディアが煽るのだ。あちこちでの矢鱈と多い料理番組、不味い店に駆けつける。行列を成せば腹も減るから、美味しくも感じる。そういった心理に附け込んだ商法なのだ。それの何処が悪いのか。金に任せて出かけて行けば美味しくもなる。自尊心も満足する。

 同時に、味覚の問題もある。例え同じ物を食べても、同じ食感ではない。当たり前のことだろう。事実、微妙な味の違いなど、簡単にわかる者が何人居ることか。テレビでしていることを鵜呑みにしたり、信じる方が間違っている。あれはやらせだ。視聴率を上げるため。

 その程度の偽装をしていたからといって、今更咎めてみても始まらない。お腹が痛くなったとかいうのであったり、体調を崩してしまったりすれば別。間々、死なない程度に加減をしてある。店の経営は、儲けがなくては成り立たない。如何に安く仕入れて、高く売るかだ。

 品物の価値を知っていて、心を込めた扱いをすれば、どんな物でも高くなる。と言うか、値が付けられない。我が家の枇杷葉など、神がかりしている物。そういった物を発送しても、受け取った方が、どうするかでも価値は異なってくる。だから金銭はもらわないことだ。

 天と地の恵みを、感謝して受け取ることができる、その幸せを恥じない自分でいたい。言葉にも嘘偽りのない想いで話したい。人を欺くことは、己を貶めること。人を愛することは、自分をも好きになれることだ。自分の他は信じないのも、騙されない方法でもあるのだ。

 山茶花が満開になり、白い花弁を散らし始めた。其処に雀が来る。毎朝、遣って来ては、愛車に糞を落とす。雀のお宿の、婆さんの気持ちがわかる。いや、鋏で舌を切ろう等、とてもできるものではないよ。相手の方が、羽もあり、すばしこい。毎朝、掃除をしている。

 ゼラニュームの赤い花。冬越しに、そろそろ中に入れねば、と思うが。思案中でもある。さて、どうするかなぁ・・・

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