枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

田園・・・

2013年07月31日 | Weblog

 朝方、蒸し蒸ししていたのが、雨になった。出掛けには辛うじて小止みなった。勤務中は、天気に回復したが蒸せる。帰宅した途端に、雷を伴う雨になる。何処かに落ちたかなぁ。どえりゃあ音がした。蚊帳はないが寝そべる。

 水遣りをしようと思っていたから、とても助かった。ありがたいこと。農薬をしないので、田のウンカが葉の裏側で雨宿り。枇杷葉にもたくさんぶら下っている。尤も、農薬を買うお金もない訳だから、自然に任せているしかない。

 フェンスに絡まって咲く、朝顔の力強さに眼を瞠る。大豆も発芽して育っている。麦が手に入れば、蒔いておこう。蕎麦や稗、粟も、花や実を愉しみたい。仮に収穫したところで量は知れているから、手作業でやってみるかな。

 奇しくも蕎麦の日らしい。2月8日なら、わかるがはて?その他にも、京都愛宕神社千日参り、箱根湖水際、宇佐喧嘩祭りに大阪住吉祭り、とある。旧暦では水無月の24日となっている。真夏の日に相応しい、お祭りであろうか。

 暑気祓いに、枇杷葉茶は無論だが、ドクダミ茶も飲用している。体の変化が著しい。先ず、毒素がはっきり現われる。次いで、痒みが薄くなる。全く、消えてしまうのではないが、痒みが半減するのにほっとする。辛抱にも限度。

 ドクダミ茶は、動脈硬化を予防、とあるが、利尿作用もある。内臓の負担を和らげ、機能を回復させる。枇杷葉の持つ効力との相乗効果もあり、冷えを抑える働きもある。数年、頭痛が軽減したのも頷ける。葉もいいが根槐も。

 枇杷葉茶の覿面効果に、美白がある。然し、これは根気力や持続力を伴う。同時に、無農薬でしたい。枇杷葉には、元々自然治癒能力を援ける働きがある。何等かの原因でできた、滲みやソバカスは、薄く目立たなくなる。

 年齢的なことは誤魔化せないが、肌の肌理の細かさや艶は取り戻せる。但し、食生活が自然食であることや、無農薬の物が好ましい。手当たり次第に何でも、という訳にはいかない。毒を食べ続けていては、無理というものだ。

 花の終わった、クリスマスローズ。冬の寒さには強いが、夏の暑さには弱い。枇杷葉の葉影に置いている。

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病気の原因・・・

2013年07月30日 | Weblog

 頭寒足熱。これは、冬だけではありません。夏にも同じように当て嵌まる。他家の事情に入り込む気はないが、寒いほど冷房を点けるのは体に好くない。夏分は、汗をしっかりかき、老廃物を出す。熱を体外に出すことで、新陳代謝を奨め、健康を保つのだ。

 先日のNHKでもしていたが、足腰を冷やすのが一番好くない。病気の元を、自分から作っているようなもの。こちらは、電気代をできれば払いたくない。料金を低く抑えたいとの思いで、冷暖房は設置していない。ありがたいことに、枇杷葉を活用させてもらう。

 女性に多くあるようにも報じていたが、目の霞み、耳鳴り、頭痛、足の痺れ、腰痛、肩凝り、膝の痛み等に加え、吐き気や目眩、疲れが取れない等に、困惑し、枇杷葉茶を飲み始めた。あれから10年が経つのか。お蔭なことに、自然治癒能力が作動している。

 継続は力成り。とも云うが、諦めず、焦らず、自分の体が、自然に免疫や抗体を作り出せるよう、根気佳く付き合った。試行錯誤を繰り返しての今日がある。事実、紆余屈折の日々で、枇杷葉を悪しざまに散々言われた。人援けはしたが、金儲けはさっぱり。

 その中で、枇杷葉の苗を上げ、効能もちゃんと伝えていた人が、あろうことか駐車場をするのに邪魔と、伐って捨てた。以来付き合わない。まあ、事情もあろう。伐ったことではなく、断りを言ったのかどうか。邪魔にするのは哀しい。それだけの縁であったらしい。

 自然・宇宙・神は一体。太陽に、月に、風に、雨に、星々に感謝する。祖先を敬い祈りを捧げる。死して尚魂は宿る。己の行いは自分に還るもの。自然の中に措かれていることを恐れ、畏怖の念を心に持つことも必要。自分を失わないことは、孤立することもある。

 朝から愚つついた天気に、洗濯物が乾かない。流石に3日目ともなれば、止む無し。乾燥機を設置して行く。夕方やっと青空が見えた。帰宅して、窓を開ける。枇杷葉の新芽がグンと伸びた。サンタ枇杷葉も、りささん枇杷葉も1周り育っている。秋が愉しみだ。

 個人的には、勉強は嫌いだ。でも、知らないことを学ぶことは愉しい。わからないことが解明されるのも面白い。理数系に弱いのも、理解できなかったから。じっくり考えていると、何時も置いていかれた。いろんな分野の人と噺ができるのは、心が豊かになる。

 今夏の枇杷。たくさんの青い実が見える。肥料も何にもしない。摘果というか、花芽茶にしたくて採った。熟れた実は、放っておくと皺皺になる。

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雨降って・・・

2013年07月29日 | Weblog

 瓶当番につき、早朝より出かける。近くの公民館が集配場所。プラスチックも集める。各々当番が出て、指定のナイロン袋に入れたり、瓶の色や壊れ等を仕分ける。毎回、腹が立つ行為を見かける。事前に持って来て、箱の中に入れているが、禁止行為にあたる。

 一升瓶を平気で出す。汚れた瓶を入れている。缶を持ち込んでいる。当日に決まっているんだから、守ってしなければ意味がない。誰も見ていなければやっていいのか?思慮分別に欠ける行為に唖然とする。皆、個々の想いがあり、仕事にも行かねばならない。

 帰宅して、隣に集配番のノートを置き、朝食を摂る。のんびりと新聞を読む。雲っていた空が、俄かに泣き出したのは、一息入れようとPCの前に座った時。父の祥月命日。何だか、昨日のお礼を云われているようである。お父さん、桃が美味しかった?よかったねぇ。

 父は、生前甘党で、滅法酒には弱かった。息子がよく似ている。甘い物に目が無い。こちらは甘辛両党だが、酒は飲まなかった。枇杷酒や梅酒は別で、薬と思って戴く。夏の暑気祓いと、疲労回復に用いるのみ。だるさも吹っ飛ぶが、暑さを感じない。妙薬である。

 この何日か、就寝時には肌寒く、窓を閉めている。扇風機はむろんの事、点けないし、団扇も使わない。枇杷湯で体が温まり、蒟蒻を腰に当て、枇杷葉の生葉を載せるのが効いている。暑い時だからこそ、内臓への負担を減らしたい。本来体は冷やさないのが基本。

 知人のMさんに、来月と再来月の朔日を伝える。ついでに夏には豆を、冬には麦を植えてはどうか、と言う。枇杷苗の周りに植えるのだが、土が軟らかくなり、微生物が増えることも話す。人間の魂との関連もあるように、この頃には想える。環境的なことも多いか。

 農薬を遣り続けていくことは、見かけは綺麗な品物になる。然し、実際には反対で、どす黒い邪気に覆われ、人体を蝕んでいく。見えない物が視えるのは、決していいことばかりではないが、食欲が失せてしまう。枇杷葉の持つ力とも思えるが、名もなき毒である。

 人間の怨霊くらいは未だしも、直ぐ傍にありながらも、誰も気づかないことに背筋が寒くなる。真夏の怪談とは、真実はそうなのかも。階段のように段々とあるが故に、見え難いのかもしれない。三次元の世界であるから、見え方も当たり前なのかも知れず。

 人類は、神への領域に土足で踏み込んではならないのだ。叩けよ、されば開かれん。とも云うが、開かずの間は、語るべからず。如何なることがあろうとも、話しては為らない。その代償には命が代わる。それくらい凄まじい結果を、覚悟しなければできない。

 春に孫等と出かけた、清水寺。肌寒い一日であったが、桜が満開できれいだった。川端康成の古都を思う。

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接続拒否のPC

2013年07月28日 | Weblog

 接続不可能になり、更新ができなかった昨日。午前中、桃の受け取りに行き、墓参りの華を買い、嫁と孫等と1時間ばかり一緒であった。その後、勤務先に桃を届け、雲行きの怪しくなった空を気にしながら、転寝をしていた。

 突然、激しい雨音が聴こえたかと思うと、バケツをひっくり返したような勢いの雨である。延々と4時頃まで降り続き、青空が見え出したのがわかって、フェンスの草取りに出た。朝顔と豆は置いておき、草を抜き、箒で掃くと夕暮れ。

 洗濯機を回し、汗を流しての行水。着替えて、新聞を片付け、蕎麦を茹でて手繰る。明日は、早朝からの草刈である。そろそろブログの更新をしよう。と机の前に座る。デスクの電源が切れている。機嫌が悪く、接続不可能となる。

 そう言えば、電子レンジの電源も切れていた。電話は異変は見当たらず、ちゃんと繋がっている。PCも、特にどうということはないのに、機嫌がすこぶる悪い。時々あるんだが、今日がそうらしいと、ため息をつきつつ諦めた。

 今朝は7時前に起き、顔を洗い身支度をして、草刈に参加。昨日の分を差し引いても余る協力をする。粗方終わった時点で引っ込む。若い時とは疲労が違う。息子が来る予定なのを待っていたが、矢張り草刈で長引いている。

 嫁からの連絡で、済みそうにないからと、車を運転して来てくれた。荷物を積み込んで古里に行く。家も墓までの道も荒れ放題。何とか山道を上がり、鎌や熊手で片付けていく。嫁の働きは甲斐甲斐しく、あっという間に奇麗になる。

 ご先祖の華を換え、父母にお供え物をして、ほっとした。父の三回忌であるのに、この有様である。二人で来られただけでもよかった。下の家の小母さんが畑に出ていた。兄や妹には、死者への想いはないらしい。ご先祖様なのに。

 昼を少々回っていたが、嫁は送り届けると、帰って行った。孫等は、藪蚊に刺されるので、連れて来ないように言ったのだ。留守番ができることも、大きくなった証拠。息子も嫁も来なければ、一人で行くしかなかったところだ。

 鉢植えの枇杷苗。種類によっては、木丈が伸びるのも、横に広がるのもある。これは3年目になる。

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集中豪雨

2013年07月26日 | Weblog

 中国大陸からの寒気団の影響で、雷雨が起きている。そのせいか夕方から凪ぐ筈が、風が通って涼しい。カーテンが煽られる。勤務先での冷えが堪えるので、帰宅するとほっとしている。汗をしている日には、行水でさっぱりとする。今夕には、雨がぱらついていた。

 日曜日には、草刈がある。父の三回忌でもあり、墓掃除と供養もある。雨で怯む訳にはいかない。どのみち汗で濡れるのだから、予定は変えられない。翌日は瓶当番だ。普段は、利用しない地域の資源活用も、当番となれば持って行く。高齢者が増え、迷惑至極。

 高齢者は、当番は厭だが、そういった物は出す。こちらは、何処ででも持って行けるから利用しない。仕事を休んでの当番である。仕方なく、序でだから持って行き出す。識別しつつ、見ていると、ラベルを剥し、瓶の中をきれいに洗い、きちんと出す人と、全く反対の人。

 集配者の立場もあるが、基本的なマナーの欠如している人が多い。若かろうが、高齢者であるとかは関係なく、人間性の問題もあるようだ。決められた時間内に持って来、出して行く人はまだよい。闇に紛れて来たり、集配後に持ち込む人も。従って、当番は無意味。

 農薬もそうだが、資源の活用ができなければ、買わないことだ。余程のことがない限り、自動販売機は使わないでいる。出かける際には、マイボトルに枇杷葉茶を。缶の珈琲は飲まない。後口が悪くて、やたらと咽喉が渇く。出かける前にたくさん飲む。帰宅しても同じ。

 もったいない、という気持ちもあるが、市販品は信用しない。自分で収穫して、自ずと淹れたお茶でないと、安心して飲めない。高いお金を払うのだ。納得しての支出にしたいもの。日々の食事をきちんと摂り、三度の食事に感謝して暮したい。自然からの贈り物だ。

 陽射しを浴びて育つ枇杷苗。鉢植え、地植など5本ばかり。5年目になる。真南に位置し、すくすくと育つ。

 

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怪談

2013年07月25日 | Weblog

 夏になると思い出すのが、耳なし芳一。平家の怨霊に取り付かれ、住職の気転によって助かるが、耳だけに経文を書き忘れた。空中に浮かぶ二つの耳。それを捥がれた芳一は、声も出せず痛さに耐え、一命を取留める。その夜は、厠に一人では行けなかった。

 祖母を起こし、一緒に行ってもらう。懐中電灯を手にした祖母は、足元をしっかり照らす。蝮が這っているかもしれなかった。そっちの方も怖かった。朝は暗い内に起き、牛の草刈に行くのだ。日中は、暑い中を田に出るのに眠くない訳がない。寡黙な祖母に甘えていた。

 庭の真ん中で懐中電灯を消し、宇宙を仰いだ。天の川の流れに、大きな三角形が乗っていた。白鳥座、鷲座、琴座の輝き、蠍座の赤い色が、眼を射るようで、怖さも眠さも忘れて観た。流れ星が飛んだ。藪蚊を追い払って蚊帳に潜り込んだ。起きると祖母の姿はない。

 布団は畳んで、蚊帳の隅に寄せてある。ラジオ体操の始まる前に、大きな背負い籠を背に、生草を刈って来、牛の世話をしていた。くろは祖母の云うことしか利かない。魚の骨を咽喉に引っ掛けた時だけ、近寄る者になぞ、用はなかったのだ。大きな舌で舐められた。

 祖母に逢いたいな。と思う。散々ぱら我儘をし、祖母がしてくれることを当たり前に思っていた。亡くなって早、40数年が経つのだ。供養することと、墓掃除は欠かさない。母の三回忌も済み、父の三回忌が近づくが、祖母や父母には、お盆とて帰れる家もない。

 帰宅して、水遣りを済ます。洗濯機を回しながら、行水をする。小ざっぱりして、夕食を摂る。水遣りは打ち水になるから、風が涼しい。枇杷葉にたっぷりとかけてある。クリスマスローズも暑いのが苦手。バケツの水も撒く。綿の花が咲きそう。薔薇は次々に咲く。

 今年の枇杷葉の実。青い小さな実だが、後1ヶ月も経てば、熟れて色づく。無農薬の枇杷葉の実は、腐らないで萎む。

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学ぶということ・・・

2013年07月24日 | Weblog

 たくさんのテキストにびっくり。勿論、価格も莫迦にならない。何冊か、読んでおきたく思うタイトルがある。然し、専門書は高い。尤も使わなければ、意味が無い物であるから、興味のある内容にしたのがいいか。それに加えて、一度には買えない。

 何処かの奇特な人が、間違ってでもいいから、ポストに入れてくれぬか。とも思う。然し、現実は厳しい。今日日、銀行を襲っても、現金は痴れた物。何億もは置かないらしい。端金で捕まるくらいなら止めたのがいい。塀の中は手強いらしいそうだ。

 朝方、雨が降ったようだ。それでも、日中の天気には、ぐったりもしよう。と水遣りをする。農薬をしないので、蛙がのんびりと止まっている。百日紅の白色が、清らかに咲き続ける。昨年より、ぐんと大きくなった。紫色も伸びて来た。夏を感じる花だ。

 ランタナが、未だ咲かない。水遣りはしているが、来月になってか。パンジーの種を買わなきゃ。久々に挑戦するかな。昨夏まで順調であったシクラメンの苗が、プライダルベールが植え付いた時点で、失せてしまった。う~ん、難しい。何事も経験か。

 胡瓜三昧である。ありがたいですな、新鮮さが美味しい。自分で作れないのが残念だが、無農薬と信じよう。じゃが芋の芽を出させない方法に、放射線を使うそうだ。人間が、人体に於ける数値には及ばない、とは云うものの、信じられない遣り方。

 人間が、自然からしっぺ返しを受けているのは、当然の結果。これから先にも、更なる報いを受けるだろう。原発に、安心も安全も、保証はなく、ずさんな管理体制が剥き出しになっていくだけ。何れ、地球は滅びるのだから、放っておいてもいいのだが。

 我が家の山椒。店先で、¥100で求めて来た。今年は、たくさんの葉を使わせてもらった。色目も鮮やか。

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大暑・大潮・望

2013年07月23日 | Weblog

 休みの日に、出かけてみようと言う気持ちには、図書館くらいである。青空市にも野菜がなければ行くが、たまたまもらい物があるので止める。後は、畳の部屋でごろごろする。泣き童子を読んで、暫し考える。こういう噺は、江戸時代でなくてもありそう。

 某新聞の連載小説が終わり、新しい読み物が始まる。ちょっと、苦言を呈すれば、先の衆議院選挙との、自民党の卑怯な遣り方に腹が立つ。なぜなら選挙が終わった途端に報じる、福島第一原発の汚染水、海に流失である。国民を・庶民を騙す手口。

 自民党の遣り方に、怒りすら覚える。圧勝したから何をしてもいいのか?否である。驕るな、と云っても所詮、我々の思いなど何処吹く風で押し通す。傍若無人もいいところ。腑がない民主党にも呆れる。内輪揉めの時ではない。山本太郎さん、よくやったね。

 イタリアに永住している友人は、落選した人の方を応援していたのか、ちょっと覗いてびっくりする。知らなかった・・・ネットの繋がりをあまり使わないからだが、行動で頑張っている若い世代もあるんだ。遅蒔きながら、応援しよう。原発の稼動は、地球の破滅。

 或いは、憲法を改憲して、国民を戦争に行かせるようになったら、首相は自分から家族を犠牲にするのだろうか。泣き童子の中に、あの世に足を踏み込んで、この世に帰りたくば命を差し出せの件に、母親は迷わず、己の命を差し出す。その思いは今も同じだ。

 自民党も、公明党も卑怯であろう。団結力で勝てるのだから、先ずは原発を失くす事だ。自然エネルギーを使い、或いは小規模の電力、家庭での余った電力の買取など、国民を納得させる手立てを講じてからではないか。元々、自民党の蒔いた種ではないか。

 民主党も、元は自民党からの分裂だ。勢力が弱くなったからと云って、責任を取るだの、離党するだの、処分するだのは可笑しい。政治に対する真摯さがなく、人間としての資質に欠けていよう。裏で何をしているか、知れたものではない。莫迦にしている!

 新聞に眼を通し、読書しつつ、畳の上で寝転んでいたら、さわさわと涼やかに風が通る。枇杷葉が、恰も心得ているように風を送る。あまりのタイミングの好さに顔が綻ぶ。思わず笑顔でお礼を述べる。扇風機の風よりも涼やかでありがたい。わかるんだなぁ。

 木村秋則さんが口癖のように言われる、心には、きっとりんごも枇杷葉も同じなんだ。当たり前ではなく、自然に感謝することが、どんなに人間を援けてくれるか。枇杷葉の生葉をもらい、風を送ってもらい、実が熟れて戴くことの、何と素晴しいことだろう。

 白枇杷にも花芽がつき、今年で3回目の収穫になる。ほんとうにたくさんの実を分けてもらった。ありがとう!

 

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きまぐれ、まぐれ

2013年07月22日 | Weblog

 気温上昇。暑さに閉口しつつ、無意識に体は動く。確かに、勤務は激務かもしれぬが、自分で選んだ仕事である。精一杯の努力を怠る訳にはいかない。況してや、先輩の丁寧な対応を目の当たりにすると、見習うべきことが多い。物言わずしての指導。

 そろそろ、桃の時期でもある。殊の外、愉しみにしてくれている方がおり、そこだけはどうしても送りたいのだ。昨夜から連絡をしているが、中々通じない。夕方、やっと応答あり、要件を伝えてお願いする。産地直送は味が違う。天気により、きまぐれです。

 夕立で、水遣りはしなくてもいい。ほっとしながら、警報が出ていることに仰天する。昨今は、道路がアスファルトになって、水が捌けない。土が吸収して、地下に吸い込まれて行くのではなく、逃げ場がなくなり、押し戻されて溢れる。被害が甚大でびっくり。

 今夜は涼しい。枇杷葉のお蔭で、扇風機も点けることはなく過ごしている。衣類での調節をしているので、汗は出るが我慢できるのだ。ドクダミ茶との繁用で、先ず体調もいい。夏は暑いのだ。しっかり水分を摂り、汗をかき、体を冷やし過ぎないようにしよう。

 冷たい物の摂り過ぎには、却って体調を崩し、倦怠感をもたらす。枇杷葉茶を飲用するまでは、膀胱炎を始め、体がだるくて、やる気がなく、気分が晴れることがなかった。イライラとすることも多く、原因不明の症状が出ていた。仕方なく病院に受診であった。

 薬による副作用もあるのか、些細なことでも気になり、神経を張り詰めていた。これは、本当に良くない。悪循環が更に悪化して、なす術がない。気力も体力も欠けていく。枇杷葉に遇えたことは、真実が視えたことかもしれない。自然からのエネルギーは大きい。

 月日の経つのは早い。加えて、続けていくことの難しさも感じる。自分の体を厭い、嘆いてばかり時には見えなかったものが視え、言葉ではない未知との遭遇がもたらせる体験にも、受け入れられる心ができた。輪廻転生・森羅万象。自然の摂理の偉大さも。

 春の宵には、不思議が隠れる。あちこちに小鬼が潜んでいて、ちょいとした悪戯を仕掛ける。気づかぬ者と気づく者。

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行水・・・

2013年07月21日 | Weblog

 帰宅すると、直ぐに水遣りをする。汗びっしょりになる。風呂場に行って、行水をする。汗疹で痒いのが少し治まる。着替えて、洗濯機を回し、洗濯物を取り入れる。その後やっと飲み物を口に御する。草木は物を云わぬのだろうか。いえいえ、ちゃんと声が聴こえるよ。

 水を遣っていると、うれしそうな想いが伝わってくる。枇杷葉の葉擦れの音が、さやさやと聴こえる。クリスマスローズは、暑さに弱いから、瀕死の状態で喘ぐ。朝、出かけるのを見送って、帰って来るのを待っている。勤務をおざなりにはできないし、枇杷葉も気にかかる。

 夏休みに、ラジオ体操に行き、午前10までは家に居て、暑い中を外に出られる。盥に水を張っておき、如雨露に水を入れ、逆さに吊るす。その繰り返しをして、裏の井戸端で遊んでいた。夕方になってあちこち痒い。知らぬ間に、藪蚊に刺されていた。特に背中とお尻。

 敵もよく知っている。こちらの見えない箇所に攻撃を仕掛けている。翌日は、蚊取り線香で防備したが、あまり効果はなかった。行水は断念し、川に泳ぎに行く。カワニナや田螺、沢蟹がうようよいた。蛇も川淵で悠々と泳いでいた。即刻丘に上がった。甲羅干しに徹した。

 世の中が、便利になり、快適にはなっていくが、冒険することも、自分で困難なことに向かう勇気も、何処かに消えてしまった。今は、大人が、専門家が作っておいた施設で、それなりのことをしている。危険なことに対処する実践力が乏しい。恵まれ過ぎているんだね。

 鉈豆の花がついている。赤色だ。たくさんの種から、発芽したのは数本で、夜盗虫にやられた。肥料も農薬もしないからだが、自然の恵みを感謝しよう。焼酎に漬けたのはたくさんあるので、収穫したら寿しをしよう。かき揚げもいいかな。鮮やかな緑が映える色です。

 枇杷葉の実です。まだ青い小さな物ですが、袋をかけることにする。100枚が終わっても、掛け終らない。追加を買いに行く。たくさん生ったよ。

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