枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

聞くは一時の恥・・・

2013年01月31日 | Weblog

 岩崎京子さんの著作は、昔話が多くあり、紙芝居も含まれている。あまりにたくさんあり過ぎて、一体何を読んだものか記憶が曖昧であった。地元の図書館に、リクエストしていた、県立図書館の本が届いた。とのメールをもらって行く。

 ふと悪戯心が沸き、職員に尋ねてみたら、陸上選手と間違えられた。図書館に居るからといって、あらゆる事を知っている訳ではない。という事に気づく。先日も、『花』が、滝廉太郎の作曲と話してみたが、誰ですか?と返事をされた。

 遠藤周作と遠藤実の職種の違い。三浦綾子と曽野綾子の其々の作品は。作品と作者の関連など、知らぬ人が多いのも事実。だがそれらを知っていたからと言って、特に得にはならない。心が豊かにはなっても、お腹が満腹にはならないから。

 そうかなぁ。神は、人類の全てに、考えるという事を授けてくれた。知恵があれば、勇気も湧くだろう。努力も我慢もできる。力で支配しようとするから、躓くのだ。自業自得だ。オリンピックも、国体も押並べて、勝つことに意義があるようにしか云わない。

 子どもが小学校の頃、スポーツ少年団に入団させることが条件であった。入らない子は苛められる。だがそこでは、ユニホームを買う強制や、監督の暴力は日常茶飯事であった。事実関係をよく調べて投書しなかったので、激しい攻撃に曝された。

 都会なら、転校もできるが、田舎ではそうもいかない。子供同士というよりも、親の見得の延長で、口は聞かない、睨みつける、自分達のやっていることの正当性を、大声で喚き立てる。人間が小さい。結局は選手にしないという脅かしがあった。

 監督や、指導者のパワハラ・セクハラが、ここにきて一気に噴出したが、何処にもあり、常態化しているのも事実。金メダルを取ったから、偉くてコーチができる。違うなぁ・・・自分一人でメダルを手にしたのではない。そこのとこの勘違い平衡棒。

 スポーツ嫌いの偏見で好い。何処の世界でも、苛めはあるし、やっかみもある。生きていくためには嘘も必要。だが違うのは神さまに許しが乞えるかどうかだ。人間の心に受けた傷は、どんなに深くても見えないからだ。それがわからなければ・・・。

 梔子は、昨年虫に食べられ、花が咲きませんでした。南天は、赤い実をヒヨドリに食べられました。農薬がかかっていないから、美味しいのかぁ。

 

 

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待てば海路の日和あり

2013年01月30日 | Weblog

 待つことは、とても辛抱が必要だけれども、耐えるだけではなく、その間に準備を整えておくことも大切。それも言い触らすのではなく、人知れずに行うこと。堤防は、蟻の這出る隙間から、決壊する。自分との闘いでもある。自分の他には絶対に云わぬことも大切。

 事が成就すればこそ、失敗したら元も子もない。堅実に、着実に、加えて淡々たる姿勢を貫くことも大切だ。人が人を手に斯ける、ということには何も無い。弁護士が優位に運ぼうと、裁判で無罪になろうとも、人間を殺めた事実は消えません。一切れのパンを取っても罪です。

 事件が起きてから、根拠がないだの、事実と違うだの言っても、覆水盆に返らずです。どんな切れ物の弁護士も、元は人間です。人が人を裁くには、証拠だけあればいいのではありません。例え裁判に勝っても、神からの呪縛からは逃れられません。罪は罪です。

 殺されてよい人間も、殺されなければならない人もいません。歪んだ、屈折した心が生み出す悪に摑まって、苦しむのは自分です。その苦しみに耐えられる、心があればいいでしょう。私にはありません。従って、どんなに憎いと想っても、手を下すことはできません。

 古来の時代や、そこに生きてきた人々等は、神の意向を天に聴き、祈り、供物を捧げ、己の行いを問い続けてきた。自然とは偉大な神である。人間を支配するのではなく、共存して生かしてくれるものだ。或いは人間の行いに対して、手酷く判定もする。

 人が人を裁くことは難しい。また、人の上に立つことも難儀なことだ。万民の願いを聞き届け、政策をする事は皆無。容易く約束事も同じであろう。国民を愚弄してはいけない。騙したつもりでない分、説明をはっきりしないとね。嘘つきだなぁ・・・。

 旧暦の霜月になってから、ようやく花芽が咲き始めた。日差しの中で咲いている。

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十七夜・・・

2013年01月29日 | Weblog

 帰宅しようと勤務先を出る。宇宙は、曇っており、星の瞬きも観えない。駐車場まで5分程を歩くが、木星さえも影に隠れている。街灯が明るく見える。いつもは暗闇の中で眺める方がよく、明るいのは好かないのだが。昨夜はオリオン・シリウス・プロキオンに見惚れた。

 冬の野菜の定番は、白菜に大根であろうか。そろそろ蕗の薹も見つけられる。今日日のスーパーには、何でも並んでいるから買うのか、甚だ疑問に思える、胡瓜に茄子。そういった材料で料理をしても不味いことには無頓着。売るから買うのか、買うから作るのか。

 日本の台所、食卓事情は著しく変化して、最近には味噌も買うばかり。だが、美味しくない。手間は確かに大変かも知れぬが、1年分を作っておくと、いざという時には困らない。市販品が美味しい、という感覚についていけない。まあ、価格・材料・手順にも依るが。

 水戸黄門でやっていたが、味噌は3年物が一番美味しい。と話していた。糀の旨みと、大豆の味が混ざり合って、風味が増すからだ。塩加減は好みでよいが、防腐剤を入れるくらいなら、増やしたのが好い。分量ややり方を換えればいいのだ。大甕に作っていたのが懐かしい。

 勤務先で、そういった昔の話をしていたら、普段は話さないような人が、頷いたり、相槌を打ったりする。エピソード記憶と言うが、実に細かい部分を覚えている。可と言って、戦争の悲惨さを話すのではない。そういうこともあったね。と、回想して笑顔になっていく。

 年を重ねればそれだけ、体も頭も思うようには動かない。だが、心は自由にできる。自分をもって生きていくことができるのだ。皆、思いおもいのことをしながら時間を楽しんでほしい。と、その表情を見ながら思い遣る。何よりも教えてもらうことの大切さを感じた。

 帰宅して、夕ご飯を戴き、PCの前に座る。ストーブを点けている。体に毛布を巻きつけているが寒い。風邪を引かぬようにしよう。と、嗽・手洗いをしている。梅ジュースも飲む。枇杷葉茶も飲んでいる。枇杷葉ローションも新しく詰め替えた。節分が近い。

 駐車場の左側。庭との境に植えている。鉢物や地植にしているが、日当たりがいいので、青々とした茂り方である。

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月に雪が降り頻る・・・

2013年01月28日 | Weblog

 作夜半の宇宙は、雪が頻りと降っていて、それは美しい眺めであった。積もるであろう、湿った牡丹雪である。深となった気配が、やはり雪を降らせていた。試験当日でなくよかった。とほっと胸を撫で下ろした。昨日は、雪花の舞う天気ではあったが、積もる程ではなかった。

 感謝の気持ちで、宇宙に祈る。ありがたいことである。自分の仕事に、その内容に自信が持てれば、動揺することも少なくなるのだろう。だが、人間であるが故に、悩み迷うこともある。自分のこれからの生き様を、問い続けてはいきたいものだとも思う。

 試験問題が格別に難しい、とは思えなかった。当たり前の人間の姿があり、人間としてはどうすればいいかを、問われていたのも共感できた。短いにせよ、長い文にしろ、書かれていることを読み取るには、本をたくさん読んでいてよかったとも。

 今、平岩弓枝の『西遊記』を読み返している。孫悟空のいじらしさ、その心に泣いたり笑ったりしている。物語故、天竺に行くことは叶わぬが、苦難の道を進んでいく三蔵法師とその主従に声援を送っている。同時に、物語とはいえ、空想の世界が広がっていく。

 聖徳太子の密使も、面白かった。試験中なのに、読まずにはいられない。却って、気になって眠れないくなる。本の世界は楽しくてならない。挿絵を含んでの、読み応えには心が躍る。新潮文庫での『ああ・無情』も注文した。名作だから読むのではない。

 映画や、テレビとは違う、活字の世界だから好きなのだ。そして、あのフランス革命の歴史にも興味が湧く。植民地を増やし、栄耀栄華を堪能していた貴族社会に、国民は立ち上がった。いつも世にも貧しい労働者がいたのだ。自由・平等・平和。

 南天。難を転じる。野鳥が来て、南天の赤い実を啄ばみ、現在は葉だけです。青い葉の物と、赤い葉のとあります。

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試験終了!

2013年01月27日 | Weblog

 今朝は、5時起きである。炊飯器もまだ炊けていない。むろん、新聞も来ていない。起き抜けは暖かかったが、次第に寒さが深とする。ストーブに点火する。枇杷葉茶を沸かしていたら、炊飯器のスイッチが切れた。少し蒸らしてお結びを作る。

 朝食を戴き、歯磨きをしてよう。と思った時、新聞が届いた。然し、6:23である。読みかけたら止まらなくなるから、取るのを止める。家を出たのは7時前。雪が降っていたら、息子が送ってくれるが、幸いに大霜である。何とか駅まで行き着いた。

 職場の仲間と試験会場まで行く。試験場も一緒だった。問題は、引っ掛けがあり、釣り糸が絡まった。直感で回答していたら、時間が余った。それが間違いだった。見直しをして不安になった。書き直したら、最初のが正解とわかる。(休憩時間)

 午後からのは、回答がきちんと書けたか、チェック見直しをしただけで、時間はあるが退出した。職場の仲間も出て来て、帰路に着いた。いやぁ、疲れたよ。もの凄い人です。5000人は居たように思う。6×10列が、15組あり、他の会場もあったよう。

 さて。結果は3月の末だそう。解答はネットで見れるそうです。何にせよ、原稿も書けるし、本も読めるし、肩の荷が下りた。年度末でもあるし、無理をしないようにしたいもの。上司のくれたタオルと、湯島天神のお守りと鉛筆を、持って行ったんだけど。

 帰宅して、飲む珈琲の美味しさは格別。サンタさん、ありがとうです。枇杷葉の花芽茶も、用意ができているんだけども、そういう訳で待っていてください。近日中には送れます。風邪を引かないようにしてきたが、疲れがどっと押し寄せる。

 咲いてきた、長崎茂木・赤枇杷葉。剪定をしたから、今年は結実はどうだろう。

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心中・・・

2013年01月26日 | Weblog

 一夜明けた陽射しを、大石内蔵助は如何なる想いで見たことだろう。主君のあだ討ちは出来はしたが、赤穂・浅野家の再興が残っている。自分一人の処罰なら、即刻打ち首も覚悟の上。46人の慈悲を願わねばならず、晴れ上がった空とは異なり、思案していたことか。

 元禄の時代。忠臣を貫くには、様々な障害があった。況してや、人の心の行方など、命令して動かせるものではない。生きることは、食べること。浪人になれば凌げない。1人・2人と次第に離れていく中で、その思い足るや意かばかりであったろう。

 中村勘三郎の、大石内蔵助は、ある意味適役であり、見事な演じ方でもあった。昼行灯、と陰口を叩かれる、何処といって捉えどころのない、それでいて財政面にはきっちりしており、赤穂藩・浅野家のことは、人知れず考えていたのであろう。

 赤穂藩は、塩の売買で財政を築いていたが、それには満潮・干潮に加えて、月の満ち欠けが重要なことも知っていた。あだ討ちを決行するのも、表門と裏門とに分かれて討ち入ったのは、潮の流れも変わる事がわかっていたのではないか。

 吉良上野介は、頭脳明晰ではあったが、潮の流れや満干潮には疎く、月には風流を思うのみではなかったのだろうか。然るに、日にちがずれていたら、あだ討ちは叶わず、浅野家の再興はない。一瞬の一致が、生命を分けたものだ。

 旧暦の暦に依れば、山眠り浅し春遠く、とあるのも、気象士の予報より確実に当る。自然を知ることは、牽いては己を諌め、相手の気持ちを汲み、自分の持っている力を、神に問うことである。それ故に、自然治癒能力は生かしてくれる。

 神とは、宇宙のこと。森羅万象の存在だ。信仰の自由でもあり、束縛されない自由でもある。だがそれには、責任がついてくる。昨年までは、わからないまでに夢中でやってきたが、少し休みつつ、エネルギーの補充をしよう。と想っている。

 春になったら、浅草に行きたい。リエさんの、父上さまのご実家があった場所。何より、隅田川の桜を愛でたい思いもある。滝廉太郎の曲に心が逸る。中断している原稿にも手直しをしたいし、父母が亡くなった今は、書き止めていたい。

 煌く木星。現時点では、午後8時頃が最適。(和名)昴・プレアデス星団、ヒアデス星団のある、おうし座の近くで光っていますよ。

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試験勉強・・・

2013年01月25日 | Weblog

 記憶しようと思うが、頭の固さに入らない。無論オムロン覚えれない。っていうか、覚える先からはみ出してしまう。さっき覚えた筈が・・・、あれれなんだっけ。朝からそれらの繰り返し。どっと疲れた。なまじ、小説を読むのとは違うのね。がっくりである。

 寒いからとストーブを点けたのも間違い。睡魔が襲う。珈琲を飲んでも眠くなるばかり。これはいかん。と中断して、此処を開けた。緊張感が乏しいのかもしれない。何分、出不精につき、我が家に居るのが一番である。インフルエンザになっても困るのだ。

 試験会場に持って行く、受験票と筆記用具の準備。免許証とお守り。ハンカチ・ちり紙。指出しの手袋。当日には、水筒と弁当が要る。弁当、といっても食事に行くのではないから。お結びには、天神様を入れて行こう。折角、湯島天神に参拝に行ったのだもの。

 学問は、学ぶことであるが、介護の専門用語には辟易。科学的な要素もある。普通にしていることを、難しい言葉で、更に難解にしている。医学用語も多い。これだけの分量を覚えて、今後の仕事に生かせるのかも疑問が出る。自信の無さが退いてしまう。

 それでも自分で決めたことと、一生懸命ではあるが。当たり前のことが、極自然にできればいいとは思う。だが、仕事ではそれだけでは成り立たないことも。受容、という言葉には、自分の心理も現われる。心を添えることも、不自然ではならない。

 勤務先に大勢いる先輩に、追いつきたい一心で受験を志した。年齢を重ねると、これまでの生き方が壁になる。笑顔で励ましてくれ、一緒に頑張りましょう。と言ってくれる。何だか足手纏いの感が、ないこともないが、そんな人に少しでも近づきたい。

 枇杷葉の花芽を、箱に入れて部屋に置いていたら、底がじんわりと濡れていた。生きているんだね。光合成をしている。二酸化炭素を吸って、酸素を提供してくれる。あまり長く置いていると、香りがしなくなる。試験が終わったら、リエさん送るね。

 サンタさんの分も、ちゃんとあるから、心配しないでね。先渡しで、珈琲を戴いているから、肩身が狭いのね。色々お気を使わせてしまって、ごめんなさい。本当に毎朝、美味しい珈琲が飲めるのは、サンタさんのお蔭ですね。ありがとう!

 初冬の陽射しを浴びて、枝にたくさんの苞が見える。この後、除々に茶色の苞が膨らみ、白い花弁が開く。旧暦・今夜半、赤穂浪士の討ち入りである。

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寒中の仕事には・・・

2013年01月24日 | Weblog

 寒い、等と言うてはおれませぬ。試験勉強もさる殊ながら、掘りにはいいというので、ドクダミを採る。某新聞のコラム欄で、根槐が佳い。という記事を見てからは、せっせと掘ることに。昨年はAさんがお得意の電気屋さんに、殆んど差し上げた。

 今年は、自分の分が心許なく、リエさんや他へも送ってあげたい。冷たい・寒いとは言えません。これが寒中の時期なのです。況してや、私にできることは、こういった自然からの贈り物しかないのです。ありがたいことに宇宙からの恵みです。

 今朝、携帯にメールを発見する。先日の本のお礼です。うふふ・・・と思わずほくそ笑む。よろこんでくれるとは想っていたが、あげてよかった。上司のお嬢さんですが、何と妹(2歳)と、弟お二人のお姉さんになったのです。とてもよく気のつくお子さんです。

 がんこちゃんは、知らない子がいないほど人気がある。その作者と画家の二人からのサイン入りの本を、どうしてもプレゼントしたかった。約束したんだよね。〇〇ちゃんのうれしそうな顔が浮かんできて、東京で買ったのよ。いや、本は重たいから。

 上京する時には、肩の痛みが半端でなく、ショルダーバックさえ乗せられない。1泊するので、ボストンバックと、本を入れただけで、右手で持つのが精一杯。もう少し、入れて行きたかったのだが、背に腹は変えられぬ。泣く泣く諦めたぞくぞく村。

 未だ興奮冷めやらず。試験勉強への切り替えができていません。浜さんに、ちょっとばかりくどいでしょう。との助言をもらう。いやっ~功徳があるかと・・・。枇杷の温灸で肩の痛みが軽減し、なぜか便秘も治ったよう。上げるのも辛かった腕が、回りだしたのよ。

 年齢的なこともあって、これからは無理はできない。とも想っていた時だから、半ば諦め、半ば体調維持に根気佳く付き合うか。と考えてもいたのだ。旧暦の日捲りの助言に援けられた。末廣堂さんは、自然治癒能力への助けがよかった。と謙虚。

 サンタさんの枇杷葉です。花芽が見えますか?今日見たら、1枝の先が少し咲きかけていました。昨日今日、思いなしか暖かです。

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青空市で・・・

2013年01月23日 | Weblog

 上京の折のお礼に、何かないかと行ってみたら、胡桃があった。銀杏と牛蒡も買う。卵は割れるので止める。リエさんが来てくれた時のために、楽しみは残しておこう。末廣堂さんには、小さなお嬢ちゃまがおいでなので、胡桃を入れた。

 子どもの玩具にできるだろうか?殻を割る時、上手くすれば元の形になるかな?などと考えながら宅急便で送る。リエさんのへの荷には、枇杷葉茶も入れた。けいこさんとお会いするとか。ちょうどいいように、昨年の寒中葉があったのよ。

 リエさん。大根がとても美味しそうだったから、でかいのを送ったよ。膾がいいようにも、ふろ吹き大根がいいかな。桃の箱があったので、入れられるだけ詰めた。銀杏もたくさんあったので。価格のシールを剥したかったけど、袋が破れるので止めた。

 今朝は、何となくずるけて、起きたのは10過ぎ。青空市には午後から出かけ、一旦帰宅して荷を作って出直す。Aさんの所で卵と水をもらい、その後図書館に行き、岩崎京子さんの著作を何点か探して読む。『たなばた』がよかった。

 勤務先の、今回一緒に受験する人に、湯島天神の鉛筆を手渡す。同じなら受かりたいもの。出来不出来は努力の如何だが、運もあろう。土壇場で、何が起きるかわからない。試験には弱いのだ。今まで受かったのは、運転免許くらいか。

 ブログを開けたら、浜さんの書き込みがあった。ちょっと寄り道をしてお邪魔する。思わず、笑みが出る。当日のわたくしは、きたやまようこさん、武田美穂さんを探していました。なにせ『わかもと』の本には、大御所様との対談記が。

 畏れ多くも、サインをしてもらい、舞い上がっておりました。がんこちゃんの作者、画家さんのコンビは、この先いつお目にかかれるか。会場で締めの挨拶をされている、鬼の大将・ののがみさんの台詞も耳に入らず、見惚れていたのです。

 そんなこんなで、さとうさとるさんこそ、お出でではなかったが、今回の上京には、湯島天神への参拝と、念願の枇杷温・鍼灸体験と、ロイに逢うことと、リエさん家に泊めてもらうことが目的であったのだ。どうも動機不純であるのだ。

 寒中の仕事に、ドクダミ掘りがあるのも大切なこと。暦を見ると、何事にも差し障りなし。玄関の左側のを掘ってみた。明日もう少し掘っておこう。洗って乾燥したら、僅かになるのだが、寒中の根槐は、甘いのと臭みが少ない。

 鉈豆。秋口に見たら、この大きさになっていた。早く採り過ぎたのか、寒さにやられたのか、今日見たら腐っていた。

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暖かな日に・・・

2013年01月22日 | Weblog

 穏やかで、暖かな一日でした。夕刻の東天の宇宙に、木星と月が上がっていて、一際明るい輝きを放っている。大気が澄んでいるのもいい。寒いと言わずに、防寒具を着て、外に出てみませんか?自然を知ることは、運気が上がっていいのですよ。

 木星は、-2.6等星の輝き。然も、昴の近くです。プレアデス星団・ヒアデス星団が観え、星座はおうし座です。双眼鏡や望遠鏡があれば、木星の縞もくっきりです。この時間が一番頃合いです。小惑星ベスタもあります。携帯で撮影できます。

 こういった自然は、見逃す手はありません。観望料を払うのでもなく、何処かに行かなければ観えぬのでもない。わざわざすることではないのが、自然です。人類はその大切なことを忘れ、経費のかかることばかり優先する。

 食べる物も、旬の物を程ほどに戴き、感謝して暮すことをしていれば、何かが起きたとしても、差し障りは少ないのに。テレビのグルメ番組は、いい加減なもの。殆んどが温室物ばかり。旧暦の暮らしはささやかなものです。

 素材を生かした料理が一番。白菜、葱、大根、人参。ほうれん草も、甘くて美味しいのだ。リエさん家に泊めてもらうのに、銀杏を持って行ったが、¥200ぽっきり。それをすごく喜んでくれて、電子レンジで割って食べてくれた。

 明日、青空市から野菜を送ろうか?牛蒡もね、こっちのは軟くて美味しいんだよ。枇杷葉の花芽と野菜のセットにしよう。我が家のはまだ咲かないが、リエさんとこは、白いクリスマスローズが咲いていた。清楚な姿と雪があっていた。

 浜さんが、前置きが長い。とのたまうのだが、時々は覗いてくれているらしい。なにせ、自分のブログの更新をさぼりまくり、あちこちに出張しまくっている、浜さんである。一体、何がそんなにお忙しいのだろうか?

 12月になって、咲き始めた花芽。寒さが頭上で停まっているので、ぽつぽつしか咲かない。

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