枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

残り梅雨・・・

2012年06月30日 | Weblog

 梅雨が明けるのは、この雨が上がってだろう。しとしとしとしと、朝から雨は降る。濡れそぼるのも外に出てみないとわからないほどの霧雨。♪雨が降ります、雨が降る・・・紅緒のかっこも緒が切れた。ケンケン小雉も冷たかろ・・・。千代紙折りましょ、たたみましょ。

 祖母は、雨の日には家に居た。縄を綯ったり、筵を織ったり、機を動かせていたりした。そんな中でも、千代紙での姉様人形を作ってくれた記憶は、今も鮮明に思い出せる。秋祭りの屋台で、裸人形を買っていたのに、着物を縫ってくれた。

 端切れを鋏で裁ち、針を動かせて、あっという間に縫い上げた。安房直子さんの童話に、金の針を持つねずみが出てくるが、祖母の指は、まるで魔法がかかったように動いた。その晩はうれしくて、枕元に並べて眠った。障子紙の切れ端をクレヨンで塗り、布団にした。

 祖母は、どんな時も、何かをしていた。竹を割り、削って籤をつくり、虫篭を作ったり、籠を編んだりした。竹槍は蝮退治にと、田の畦に差していた。その材料の竹は、寒中に伐り、軒下で乾かせて使っていた。祖母の手にかかると、どんな物にも命が宿った。

 祖母は寡黙な人であった。祖父の顔は知らないから、早くに亡くしていた。写真が1枚きりの祖父よりも、祖母の傍に居れば楽しく、不思議な光景に出遭えた。雲の様に天気を話してくれたり、土を掘り起こしながら、微生物のことを語った。

 自然から学んだという祖母は、知らないことは無く、何かわからないと言っては聴かれていた。祖母の話していたことが、今やっとわかるが、実証することもできない。唯一、記録に留めておくくらいだ。母にも聴いておきたいことがあった。そのことが悔やまれる。

 我が家の桑の実。赤い実では食べられません。これが紫になれば熟れる。毎日新聞に載っていた。果実も桑は店頭には出ない。孫が口を染めて食べた。氷砂糖と焼酎で、ジュースにした。

 

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宇宙を観る

2012年06月29日 | Weblog

 一昨夜は、月が朧にかかっていた。上弦の月である。梅雨も明けようとしている。布団干しと洗濯を終え、銀行に行く。キャッシュカードの暗証番号は、記憶違いで使えない。いや3回までを2回で止めている。カード類を統一すればいいのだが、それはそれで怖い。

 知人が近くで店を出しているので、ちょっと寄る。立ち話で帰宅。夕方には、研究発表があるので出掛ける。それまでにしておくことがあり、一旦帰った。途中、図書館に寄るが、月末の館内整頓とかで、終っている様子。カレンダーを見ていなかったよ。

 腰痛に蒟蒻を温めて当て眠る。肩凝りには枇杷葉は変わらずであったが、腰は患部が黒くなった。痛みが残っているのが出たらしい。体は正直である。枇杷葉も蒟蒻も、結果が驚くほど出る。不思議だなぁ、と今更ながら納得。

 西側の庭が気になり、ひょいと覗くと、大粒のブルーベリーが生っている。予定外の収穫だ。桑の実は、殆んどが熟して落ちた。粗方は収穫して、ジュースにした。ジャム瓶に移し変える。我が家の庭は、緑が多いので、網戸にしているだけで涼しい。

 今年の枇杷の実は、我が家だけのを食す。数は少なかったが、甘さも粒も先ず先ず。特に白枇杷が、思いの他たくさん生って、袋をあけてびっくりした。長崎茂木赤枇杷は、青い実の状態では可なり付いていた。袋かけの時に傷めたものか。

 今年は、花芽をそのままにしよう。やはり自然のままがいい。剪定だけに留めよう。季節の天候条件もあるし、タイミングが合わないこともあろう。自分の力ではなく、自然が貸してくれたもの。やり方に慣れ過ぎるのはよくない。

 枇杷葉に養生している蛙。実に気持ちよさそうでしょう?

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再稼動否決!?

2012年06月28日 | Weblog

 福島の原発事故を見切り発車して、大飯原発、伊方原発も再稼動の兆し。だが、機械の不具合が既に起きている。にも拘らず、稼動スイッチを入れようとする。狂っているとしか思えない。広島や長崎の原爆も、見えない放射能への対策ではない。

 内部被爆の恐ろしさを、政府は認めようとしない。保障の誠意は微塵も無い。消費税の増税で、集まった税金は、福祉関係に使うというが、5%の税金さえ納められない企業があると言う。果たして8%が払えるのか?国民等、庶民の低所得者には、死ねと云うに等しい。

 働く意欲は愚か、生きる気力さえ失せる。生活保護者が急増するのは、目に見えている。それなのに原発を再稼動させて、益々意欲を削ぐのだ。自殺者の急増、無差別殺人の横行。けれども他人であれば、痛みは伴わない。

 地震が起き、津波が襲いくれば、何処に居たって同じ。運気が多少は異なるかもしれないが、何れも悲惨さは変わらない。だから原発を稼動させてはいけないのだ。人間には、どうということもない周波数が、地殻に下りて到達すれば、事態は逼迫する。

 国会議員は、給料なしで働き、肩書きや学歴がなくても、暮らしを安全に、安心して保てるように全力を尽くす人を選びたい。間違っても、競馬のサイトを覗いたり、野次や居眠りをする輩は論外。私利私欲に走る者も遠慮したい。

 鉈豆が、蔓を伸ばしてグングン育っている。明日は肥をしておこう。大蒜、玉葱は肥沃なのです。夏の栽培物に欠かせないのは、水もです。苗は枯れるし、実が硬くなる。自然栽培にも、人間が少しだけ手を加えることも必要です。

 撫子。最近の撫子は、可憐さがない。原種は、川原の或いは、草の中に楚々と咲いていた。またそれがとても愛おしかった。

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手当ては早めに

2012年06月27日 | Weblog

 体の痛みが小さい内に、施行するのがいい。患部が腫れてきたり、痺れや激痛が起きてくると危ない。早期発見、早期治療がいい。自然治癒能力による施行は、案外見落としてしまいそうだが、自分の体の変調は、自分にしかわからない。

 枇杷葉茶を飲み始める前には、顔の反面が爛れ、皮膚はジクジクして、二目と見られない顔であった。体が腐る前兆かも、と不安であった。原因は、精神的なもの、とわかっていた。ストレスを何処にも持っていけない。その重圧に押し潰されそうだった。

 ドクダミが効く。と知って飲み始める。ただれて汁が出ていた、顔の皮膚がグジグジしなくなった。その次に痒みが消えた。顔の火照りも無くなる。眼前が明るくなった。神経を病むとは、こういうことかと、心が冷えた。

 顔の皮膚は除々に再生され、眠って起きると変化した。人の視線を避けて下ばかり向いていた。少しづつ顔が上がり、太陽を仰ぎ見ることができた。半年係ったが、元の皮膚よりも艶やかな感じがした。その後、倦怠感を覚え、枇杷葉茶に変えて今日に至っている。

 枇杷葉茶も、最初は葉を煎じていた。知人に枇杷葉を分けてもらった。12月の時期だったので、花がたくさん咲いていた。とてもいい香りがした。花芽茶に興味を惹かれて、リエさんに送ってみたら、好評であった。実家の枇杷葉を、旧暦の師走に伐り、収穫した。

 枇杷葉の花は、10月くらいから葉の中心が膨らんで、やがてそれが茶色の苞になる。しだいに大きくなって、小豆大になると、それらが無数に集まって、柊が咲き終わる頃から、なんとも云えぬ香りを漂わすのだ。その芳香には癒される。

 花芽茶は、この時の花を採って、直ぐにお茶パックに詰め、冷凍庫に保存する。昨年、タッパーに入れておいたら、腐ってしまった。枇杷葉が、光合成で生きる植物だと、すっかり忘れていた。サンタさんに送った分は大丈夫かな?

 枇杷葉茶を飲み続けると、体脂肪が正常になる。実年齢より20歳は若返る。最低でも、5歳はいく。いくら表面だけ誤魔化しても、体の内面を綺麗にし、精神的に再生しないと、ダメージは治らない。健康食品を買うのもいいが、枇杷葉茶なら一挙両得。

 金環日食中の、我が家の庭の、枇杷葉の様子。陽射しの加減が、とても微妙でしょう?

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蒟蒻の用途

2012年06月26日 | Weblog

 蒟蒻である。おでんに入れると、味が浸みて美味い。辛し和えもいい。すき焼きには、糸蒟が似合う。卯の花和えも絡まる。角蒟をステーキにするのもいい。きんぴらもいける。未だ様々な用途があろうが、捻挫や腰痛の湿布に使える。

 枇杷葉がなくても、蒟蒻だけで、体内の毒素が出る。足の裏に、腰や肩に、温めた蒟蒻を置き、じんわりと程好い温かさに、血行を促し、冷え切った体が癒される。高齢者の膝の痛みにも、続ける事によって改善がみられる。

 介護の仕事には、腰痛が付きもの。けれども、そういった理由は、自分の健康管理ができていないこと。何をするにも、負担は多い。だからこそ理由にならない。斯く云う私も、前勤の仕事で腰を痛め、亀のように起き上がれなかった。

 眠ろうとしても痛みに寝られず、起きるにも足が萎えて立ち上がれない。酷く惨めな思いで、天上を見ていた。枇杷葉の焼酎漬けが頭に浮かんだが、動けない。夕方、嫁さんが偶然寄ってくれるまで、身動きはできなかった。

 枇杷葉の焼酎漬けを貼り付けた途端、力が入り、躄ってトイレに行った。腰の痛みは徐々に取れて、何十回も枇杷葉を取り替えた。次の日には立てた。痛みは消えて、足の痺れが多少は残る。歩けなければ、息子達の負担になる。

 但々、その思いが治させた。枇杷葉の焼酎漬けは、必要な人に分けてあげればいい。と、作って置いた物で、まさか自分に使おうとは。それ以来、腰痛で苦しむ人に教えているが、本人のやる気と、枇杷葉の薬効とを、信じなければ効果がないのは、云うまでもない。

 歩けなくなってからでは遅い。大袈裟かもしれないが、痺れや痛みを感じた時点で、枇杷葉温圧療法を試して。膝の痛みにも効果は大きく、腫れていた筈の箇所がなくなる。人間の体は、冷やさないこと。冷え過ぎると機能は低下するだけだ。

 枇杷葉生活は、天からの恵みを生かし、人間の持つ自然治癒能力を促し、血液の循環をよくして、体の細胞を活性化させる。その際に、癌細胞を体内に閉じ込めてしまう。信じられないことを遣って退ける。

 知人に、膵臓癌の方がいた。一目視て背中に黒い塊がわかった。2ℓにたっぷり入れた枇杷葉の種。それの用途を話して渡す。一日に3粒を食し、必ず続けることを約束した。高い治療費も払い手術もした。然し、亡くなられた。

 個人的なことに及ぶので、繊細は控えるが、手術しても再発があるので、3年は予断ができない。枇杷葉の種を食べ、枇杷酒を戴き、体を冷やさないことを守って。枇杷風呂もお薦めです。冷え性の方は、温泉に行くよりもいいですよ。

 菖蒲の葉と枇杷葉。この枇杷葉の軸と葉先を切って、焼酎に漬けます。湿布にする場合は、手拭に包んで患部に当てます。

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接続不能・・・

2012年06月25日 | Weblog

 木曜日の、ブログを転送し終えた時点から、ネットへの接続が不能になる。あっちゃぁ!然も、金曜日の休みには、散らし寿しを作っていたためと、孫の迎えが重なって、ocnへの連絡ができなかった。翌日は土曜で、日曜と続く。最悪である。

 祝島への枇杷の注文はしたものの、返事が受け取れない。リエさんにメールをしたいが、送れない。仕方なく電話をかけるが、こちらも繋がらない。事態は悪循環を辿る。昨日、やっと話しができてほっとする。緊急事態の予測がつかないのも納得。

 科学が進化し、発達するのはいいが、何か起きた時には、対応し切れない事実もある。原発は一番危険で、誰がどうやっても、終息することはない。再稼動はない。政府にそういった権限があることもおかしい。選ぶのは国民である筈。

 宮本輝氏の『三十光年の星たち』を、再度読み返している。新聞連載で読んだのだが、もう一度読みたくなった。一因には、原発の再稼動への動きがあったからだ。初めの章の中に、主人公に云う言葉があるのだが、ひどく興味を惹かれた。

 それは、物語の中であるから。小説ではないか。という思いもあるかもしれない。けれども私には深い想いの言葉に受け取れたのだ。然し、そういった希な人物が、日本中に、はたまた世界に、何人もいる訳ではない。

 棚ぼた式はあり得ない。どんなに努力をしていても、報われないことの方が多い。或いは、要領のいい奴が、自分のことのように涼しい顔をしていることも。上司にはわからないようにさぼり、辻褄を合わせてくれる味方を持っている。

 然し尚、神さまも居ず、自分のしていることが、無価値とは限らない。信じることも大切だし、不言実行を心がけるのも大切なこと。だが、これには相当の辛抱が必要だし、心の病になる可能性もある。挫けそうになった時の友人も要る。

 幸いなことに、リエさん始め、心の通う友人は居て、さり気無い話題で察知してくれたり、ネットでの書き込みで安らぐこともある。何よりも、本の読めるありがたさには、慰めが多い。自分でも本が好きでよかった。と、感謝できる。

 ネットが通じなくて、偶々、新聞蘭に松本清張の名を見つけ、テレビを観たが、どうも設定が似使わなくて困った。あの時には、小野寺昭と佐久間良子が演じていた。まあ配役の演技力を云うのではない。放映が済んだ直ぐ後に、次回作を見たからだ。

 ちょっとした違和感を覚えた。先程の女優の余韻が、観たばかりで残っているのに、元気で溌剌とした顔が映っている。富士山の樹海に消えたのに・・・。嫌々、作品が違うのだから、それでいい。と、思えれない自分に戸惑った次第。

 沢村一樹は好きなので、念のため。サラリーマンNEO、次作はしないのか?ぶらタモリも終わったし、つまらない番組が増える一方にがっかり。テレビを付けっ放しにするな。会話も何も、あったものではない。老若男女、テレビ漬け。

 庭に置いてある鉢。ふと見れば、苗が育っている。時々遣る、枇杷葉茶がいいのかな?

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夏至・短夜

2012年06月21日 | Weblog

 日中、激しく叩きつけるような雨音。止んだかと思い外を見ると、顔に雨粒がかかる。再び雨。一日中降ったり、止んだりの日。お天気ならぬ、雨の夏至でした。台風が、熱帯低気圧になったために、各地で豪雨が心配されている。蜂の巣の掛け方に、妙に納得。

 三日月が観られないのが残念。明日天気にな~れ。ちょっと体調を崩しそうになっていた。無意識にドクダミを煎じて飲む。我が家に常備しているのは、根槐の乾燥。効きました。毒下しです。すっきりして、清々しい気分です。

 桑の実が熟れ、ニュートンの法則で落下している。野鳥が啄ばむのはいいが、それでも食べきれずである。籠を持って行き採る。落ちる方が多い。熟し過ぎているためだが、ここ数日、雨であり、仕事でもあったので、そのままになっていた。

 帰宅時間も遅かった。然し、自然は忘れることも、間違うこともしない。きちんと季節を知っているのに驚く。但し、旧暦でのことで、新暦では季節感がない。人間の体内時計は、旧暦で回っているのだが、意外と気に留めない。無知ほど怖いものはないことを知る。

 大飯原発を再稼動させるため、その準備に入っての不手際が発覚。ところが、たいしたことではないだの、緊急事態ではないからだのうそぶく。だから、原発は安心・安全はない!と反対しているのではないか!安全と言った先から、これだもの。

 一番の問題は、燃料のゴミを、再利用するにしても、そのまま処理するにしても、経費がかかり過ぎるのだ。誰が、そのお金を払うのか?増税する前に、もう一度考えてみる、見直しの箇所があるでしょう。結局民主党も、基は自民党が分かれたものだ。

 党の名前だけ変えて、中味は何にも変わっちゃいない。白を黒と言い、朱に交われば赤くなる。日本人の悪い癖。肩書きが物を言い、札束に弱いのも特徴。農地を取り上げ、小額の保障で誤魔化し、二股をかけ、手の込んだ口説きをする。

 我が家の枇杷葉。背伸びをして、下から見上げた。袋かけした枇杷の実が見える。

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枇杷の実熟れる

2012年06月20日 | Weblog

 お天気にはちょっと足らないが、雨は止んでいる。洗濯物を何杯もし、塩を変える。旧暦の皐月です。午後から友人と笹百合を見に行く。駐車場は下側に停め、徒歩で行くのだが、友人の爬虫類、昆虫類嫌いに声を失う。あのね、自然の中には居てるよ。

 笹百合が数本、淋しそうに咲いている。群生とは程遠い。資料館まで行く。蝮の焼酎漬けが置いてある。蛇の殻も展示していた。揚羽蝶の色が、くすんできていた。我が家に飛んで来るのは、眼も覚めるような色合い。黒に緑やオレンジの縞が入っている。美しい姿だ。

 我が家でお茶にする。サンタさんからの紅茶を淹れる。友人が観葉植物と、鉈豆の苗が要る。というので、シャベルで掘る。5株をナイロン袋に入れ、持って帰らせる。友人曰く、種を植えた筈らしいが、生えてこない、おかしいとぼやく。

 それは夜盗虫に食べられたんだよ。放っていては芽が出ないだけど。細々と注意時点を言い、今日中に植えておくよう話す。枇杷の実が、ブルーベリーが熟れてきた。白枇杷には、何と9つ子が生っていた。赤枇杷は、袋を掛けた割には、数が少ない。

 携帯で写真を撮る。一粒、口に含む。甘い!瑞々しい。リエさんにもりささにも、今年は送れないなぁ。花芽を仕舞っていたのが、気づくのに遅れ、腐ってしまった。これは最初から、冷凍庫が正解ですな。サンタさんに送っておいてよかった。

 洗濯していた毛布やシーツが乾く。洗濯三昧の一日だった。水遣りはしなくてもいい。のんびりできた休みで、鬼の同人誌も届き、佐藤さとるさんの『龍のたまご』に読み入る。不思議な話だが、根拠が無いものでも。と思ってしまう。

 松田聖子ではありません。今年買った種から咲いた。紫もです。たくさん咲いて、種がぶら下っています。傘を立てかけている下に、銀河が眠る。

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台風通過・・・

2012年06月19日 | Weblog

 帰宅して、ふと見あげた空に、虹が懸かっていた。二重橋だ。輪郭は、外側の方が薄い。けれども久々に見る虹、それも二重のである。未だ小止みになったとはいえ、雨が降っている。ものの十数分後にはうす闇に包まれ、消えていった。

 地震が来るか。それとも原発の事故が起きるか。不吉な予感に慄く。再稼動はいけない。止めなければ終息の付かない事態になる。もんじゅの案件の、不利な条件を隠匿しているのも許せないこと。原発との共存はない。核の廃絶をしよう!

 『枕草子』の作者、清少納言。中宮に雪の降る様を問われ窓際に行き、簾を掲げた。という逸話があるが、香炉峰に降る雪を、簾を掲げて見ていた風流人は?となると中々浮かばないらしい。高校の古典で習ったよ。

 解説 中国江西省北端にある廬山の一峰。山の形が香炉に似ているところから、その名を呼ばれる。風流人の白居易が、簡素な住まいにて、降り積もった雪を、寝転んで眺めている。簾を掲げて見ているのである。

 人間、興味のないことには、記憶がないんだなぁ。でも、義務教育にしても、受験で高校、大学と行っても、専門分野に限ったりで、知識の僅かしか知らないことが多い。地球という、この惑星を取り巻く銀河系も、解明できないことの、何と多いことだろう。

 雨の恵みに感謝して、鉈豆の生育を眺めていた。うっきゃぁ!キリギリスと殿様バッタ。小さな点はナメクジ。青紫蘇にも、唐辛子にもいる。ちょっと憂鬱になりながら、梅雨時期にしか活躍できないのだ。それでもって、お腹も空くであろうが、捕まえる。

 リエさんが、亡父に贈ってくれた苗物。たくさんの白い花だったが、残ったのは4ポット。出窓の置いているのだが、すくすく育っています。

 

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星に願いを・・・

2012年06月18日 | Weblog

 ピノキオがいなくなって、ゼペットじいさんは祈ります。流れ星に願いを託して。ピノキオは良い子です。そう信じて揺るがない。女神さまは、ゼペットじいさんのやさしい心に免じて、ピノキオを許し人間の子どもとして帰してくれる。

 流れ星に、願いをかけるなら。地球上から、核の廃絶を。原発の廃止を祈ろう。核の平和利用など、あり得ぬ事。どんなにうまく言い繕っても安心・安全という保障はない。だからこそ、願わずにはいられない。人類の愚かさを請うために。

 台風が近づいている。昆虫の蜂が、巣を作っている場所で、台風が多いか、どの位の勢力かがわかる。或いは、洪水の規模も知れる。だが原発の威力には見えない恐怖が加わる。事故は起きてからでは遅いのに。人間に決めることができようか?

 何かが、明らかに違うことがわかっていながら、何のために、原発を再稼動させ、危険な状態へと誘うのだろう。原発は、あらゆる可能性をゼロにし、生き物を絶えさせ、体内被曝をさせ、死の淵に追いやる。残酷極まりない。

 地球は、それ自体だけでは、生命の誕生はなく、太陽や月、或いはまた、地球外からの生命体によって、もたらされている。その、命の源を絶つことは、考えるだに恐ろしい。

 

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