枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

反抗期につき・・・

2011年08月29日 | Weblog

 孫の姉の方が、妹のしていることにちょっかいを出す。それで妹が頷けばいいのだが、不平を言う。すると姉は、屁理屈を並べて、何があっても譲らない。そこで小競り合いが起きるのだ。妹は、できないことをどうしたらいいかわからない。姉は、わかっているのである。

 こちらから見れば、たわいのないことだが、本人らにとっては、縄張り争いへ発展しかねない。しかし言っていることは、大人の縮小版だから、メディアの影響の大きさに仰天する。暫し仲裁も忘れて聴いてしまう。感心すること仕切りだ。半分苦笑いになってしまう。

 父の納骨が今週にあるのだが、何やら不遜な空気の動きが感じられる。厭な雲行きだ。三途の川を渡ったものの、行先が定まらないのだろうか。母とは遭っているようなのだが、落ち着き先が決まらないのだろうか。父の生きてきた人生を邂逅する時、胸が痛んでしまう。

 父に、充分なことはできなかったかもしれないが、傍に居てくれたら、せめて怒鳴り上げたりはしなかったのに。贅沢はさせてあげられなかったけれど、心をこめてあげられたのに。その申し出を聞き入れなかった兄を、妹を、呆れ果てての思いでしかない。

 毎朝、テーブルに置いている湯飲みに、お茶を供える。母にしていたのが、父も加わった。銀河にもやっている。お位牌も、お膳もないけれど、心で感じることはできる。毎朝に手を合わせてあげられる幸せを思うよ。

 何かを戴く時に、父や母に食べさせたく、湯気の立っている内は置いておく。果物が好きだった母には、最初に供えてからいただく。匂いや香りを感じてもらう。時々、指先が見えることがある。お墓にも持って行く。今日あるは、母や祖母のお蔭。ご先祖のお蔭です。

 今年の、鈴生りの枇杷葉の実。母の処にも持って行った。とてもうれしそうにしていた。

 

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不機嫌な洗濯物・・・

2011年08月28日 | Weblog

 昨日は、勤務先での介護フェスタがあって、疲労困憊であった。帰宅して、ポストに珈琲が届いていた。リエさんからのプレゼント。サンタさんからの発送です。う~ん・・・とってもいい香り。サンタさんから、インスタント珈琲と、ドリップ珈琲が、おまけでついていた。うれしい♥

 介護の仕事には、もちろん資格を問われる内容もあるが、日常的な生活の支援が多いのも確かです。毎日の、朝昼夕の食事の用意、日々の洗濯物や掃除などは、得て不得手はあっても、資格を有するものではない。年季というか、コツというか、手際というのか。

 洗濯物で例えれば、洗い終わったまま干すか、皺を伸ばしてぴしっと干すかの違い。要は、乾いた時のたたむ手間が惜しい。見た目もすっきりなら、時間もアイロンも省けるのだ。この、どうでもいいような手間をしないと、不機嫌な洗濯物に遭遇する。

 或いは、怒り心頭の洗濯物によって、未知との遭遇や、ブラックホールへの流れに、巻き込まれる可能性もあるかもしれない。釦が消える。裾が解れる。ちり紙が絡まる。そういった洗濯物の逆襲を受ける。しかし腹を立てれば更に、雨や雷を呼び寄せる。

 日曜日の昼の献立は、皆で作ることがある。自分たちで作った物はおかわりが出る。野菜カレーには、人参や玉葱、じゃが芋の他に、かぼちゃと茄子を加え、隠し味にお醤油を入れて作った。前回失敗しただけに、お醤油は虎醤油で決める。

 午後の時間は、お腹が一杯になってうとうと、のんびりとまどろんでいる。極上の時間が過ぎていく。夕ご飯まで、まったりと手足を伸ばしていました。人間、腹一杯になると、イライラ解消である。笑顔が見えて一安心です。

 金魚、キンギョ・・・、ピンクの金魚草です。

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意思があるということ・・・

2011年08月27日 | Weblog

 生命体での、個人的な意思が存在するという事は、何であろうか。朝がくれば目覚める。お腹が空けば食事を摂る。衣類が汚れれば着替える。或いは清潔感を保つ。破れ、綻びを繕う。排泄をする。体を動かせて働く。姿形での差はあるが、生きるための手段を考える。

 あらゆる生命体において、個々の差はあるには違いないが、生きるための、或いは生活のパターンを本能的に覚えていく。人間は、生まれたばかりでは何もできないが、年齢と共に意思を複雑に操って、楽な方法や、快適な生活へと試行錯誤を続けてきた。

 人間は、育った環境や、構成される家族、地域の関わり方によって、様々な考え方を共有したり、反発したり、性格の違う者が、何等かの衝突や、折れ方をしながら、暮らし向きを支えてきた。だがそこには、独りでの生活ではなく、不特定多数の入り組んだものがある。

 高齢なって気づくのか、そのまま歳を重ねてしまったのかは、本人以外にはわからない。だが、独りになってしまった場合、一緒に生活してくれる者が傍にいなかったら、そのまま生活できる人と、施設に入らざる人とがある。どちらも、自分での選択肢がない場合だが。

 自分が命を終えようとしている時に、静かに逝こうとする人と、その存在を誰かに認めさせたく、最期で悪あがきをする人の差が出る。でも、各々の生き方の違いであって、間違っているのでも、正しいのでもない。当たり前の姿だと思う。それが人間だといえよう。

 誰しも、死ぬのは怖いのだ。生と死を何度も繰り返していながら、記憶にないから怖い。輪廻転生を重ねながら、宇宙の拡張は続いているというのに。自分を悟ることは、その意思に強いものがあってのこと。我を見失わないことか。その域への到達は倫理を超える。

 白枇杷の全景です。木丈は、やっと1.5mになった。年数は、10年目になるか?今年、初めて花芽がつき、実がなったのだ。3個でしたが、甘味も強く美味しかった。

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不安定な状況・・・

2011年08月25日 | Weblog

 ここ2週間ばかり、気圧が落ち着かず、雲っていることが多い。空気に湿気が含まれていて、べたつくのだ。それでも真夏の暑さからは、解放されているし、贅沢を言えばきりがない。ほっとしているのは、冷房があまり活用されていないこと。凌ぎやすいのがいいのです。

 自宅では、網戸を全開にすると寒い。半開きか閉めてしまう。自然のクーラーがあるので、とても涼しいのに加え、風が通ると風邪を引くくらいだ。今も、カーテンが揺れている。まあ、家に居ると軽装になるので、涼しいのは当たり前か。ノースリーブと短パンです。

 庭での作業には、枇杷葉エキスを塗るので、虫刺されは平気だが、この格好でそこいらを歩き回る元気がないです。本来は、車庫の上を覆う木香バラがあったのですが、毛虫が凄いので伐った。枇杷葉もひょろひょろになった。今後の対策を考えよう。

 来年は、瓢箪か糸瓜に変更するかな。瓢箪は、お酒が入れられる。糸瓜は体が洗える。プランターに思いっきり植えよう。朝顔と夕顔は、毎年植えている・・・というか芽を出す。色々自然交配をしている。代わり映えしないから、種を買った方がいいかな?

 枇杷葉も、東側のに、ツマグロヒョウモン若年齢虫の毛虫が、おぞましいくらいにいた。木丈もかなりになり、手が届かなくなったので、10cmくらいはあった幹を伐った。青い硬い葉は、焼酎につけ、枝を杖にしたり、玄関の花瓶に挿しました。

 最近、気づいたこと。枇杷葉の種を、焼酎に漬けているのが、品種や生った場所によって、味と硬さが違う。ということがわかった。なぜだろう?ひょっとして、時期もあるのかな。我が家のは、無農薬です。粒は小さいのが特長。瓶に詰めていますが、微妙に匂いが違います。

 これは、りささんの枇杷葉です。これの根元に、小さなわき芽が出ています。同じ鉢の中に、挿し芽をした薔薇があります。

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祥月命日・・・

2011年08月24日 | Weblog

 Sさんの墓参りを続けて、何年になるだろうか。彼女の悲報を知らなくて、元気な姿で逢えるものと信じ、その日を楽しみに待っていた。電話した時には娘さんが、入院中なのを教えてくれたが、病気などに縁のなかったSさんだから、直ぐにも退院できるように思えていた。末期癌などとは、思えるはずがない。

 数年前のある日、仕事に行った先で、開店前の掃除をし始めると、白い衣類を身につけた、美しい人が何処からともなく現われ、やさしい微笑を湛えて、植木鉢の傍に佇む。その植木鉢は、ジャックと豆の木、といい、枯れかけていた。明日には捨てるという社長に、きっと生き返らせるから。と、精魂込めて水遣りを続けていたのだ。

 植物にも、心が通じるのだろう。と、素直に思い、それは精霊かもと考えていた。何しろ、私以外には見えないのだ。どんなに説明しても、却って気味悪がられた。ジャックと豆の木は、葉を全部落とし、やがて新芽をのぞかせた。その後は、蕾をつけ、雅も云えぬ芳香を放つ、純白の花を咲かせた。

 奇跡だった。花に、植物に、というよりは、命ある物には、必ず心が通じていく。ということを実践したような結果になった。むろん、それ以外の植物にも語りかけ、命の不思議さを感謝していた。ジャックと豆の木は、花を咲かせるのは、非常に珍しいということであった。それが、どういう訳か、私が居る間に3度も咲いた。

 また、不思議なことに、宇宙には光が棚引き、天空の御仏が映し出された。そのあまりの眩さに車を停めた。異変は何度も起きた。胸騒ぎがするものの、Sさんとは思える筈もなく、心当たりは全くなかった。年末、急かされるように足を向けた先には、娘さんと母上さまがいて、Sさんが亡くなったことを静かに語られた。

 以後、月命日にはお参りしている。墓前に花を供えたり、或いはお菓子や果物を。そうして気になるところを掃除して手を合わせる。Sさんの命を助けられなかったことは、慙愧に堪えないものがある。以来、枇杷葉で救われる命であれば。と、その効果を広めているのだ。信じようが、信じまいが、私の使命だと決めている。

 息子達が、母の日に買って来てくれた苗です。井原西鶴でいこうと話し、トマト、ピーマン、唐辛子、オクラの苗をもらいました。プランター仕立てですが、けっこう生っていますよ。枇杷葉のエキスをかけてやりました。

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秋の雨に・・・

2011年08月23日 | Weblog

 夜の庭を眺めつつ、雨音を聴いていたら、どうやら転寝をしていたらしい。気づけば、日付が変わっていた。朝、布団干しを断念する。ゆっくり新聞を読み、洗濯も済ませて、いざ読書!と歓び勇んでいたら来客があった。だっからぁ。連絡して来てって。かといって追い払う訳にもいかないでしょ?いつも思うんだけど、家に居るのが暇だからではないのよ。

 それでも、手土産まで持参しているのを、帰ってちょうだい。とは言い難い。こちらも、土産物を持たせて帰ってもらったが、私にとっては、貴重な時間を邪魔されたくないのだ。勤務以外では、付き合いを遠慮しているのも、そういった理由がある。趣味が全く違うのです。私に気遣いをされるのも、相手にするのにも疲れてしまう。

 図書館で本を読むのもいいが、できれば借りてきて、読みたく思う。本屋に勤めていた頃は、新刊は見逃さなかったし、ハードカバーで買ってもいた。しかし今はお金が続かない。買うのは文庫で、それも年間限定で買う。或いは、今までに買っていた本を、引っ張り出して読み直すかだ。まあ、記憶も斑になるので、それなりにいい。

 すっかり、秋の気配になった。夜空も、天気であれば、今夜辺りは、満天の星で覆われる。天の川の領域に、狭しと輝く数多の星。射手座にある南斗六星の、赤く輝く干潟星雲M8と、赤と青に重なる三裂星雲M20の散光星団が観える。M22は、オメガ星雲もある。ωに観えるのが特長で、別名白鳥星雲とも呼ばれる。

 球状星団M22も気流のちらつきのない晩には観える。できれば、天文台に行って倍率の良い望遠鏡で観るのもよい。また、白鳥座には、北アメリカ星雲がある。デネブやアルビレオ。棒状星雲の圧倒的な輝きも目にすることができる。そろそろ、銀河鉄道が発車するようだ。父と母も乗車するのか、あの列に佇んでいる。

 夏枯草。なんとも可憐な花姿。きらん草もだが、薬草には、青や紫、白色が多い。その薬効由縁だろう。

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流される・・・

2011年08月21日 | Weblog

 朝、凄まじい物音に、跳ね起きる。家が流されるかと思った。いや、流れているのかと。びっくりした。弁当を作りつつ、雨であることに気づく。車庫に当たる雨粒が、勢い礫のような音をさせている。まるでバケツをひっくり返したような、瞬間雨量である。

 仕事に行くのに、川を越えねば成らぬ。然も、川に沿って道が続く。どうしたものかと案じてみたが、時間は迫ってくる。仕方がない出かけよう。荒巻く波にびくつきながら、運転をしたが、日曜日のせいか、殆ど前後左右も、対向車も見えない。私道みたいである。

 勤務先の駐車場に着いたら、雨が小止みになった。よかった!流されなかった。車だからかもしれない。あ・個人的には、官公さま。ご尊敬いたしておりますです。途中、井堰があって、白龍が飛沫を立てて躍っていた。いや、中々雄壮であった。

 明日から三連休です。お盆の時には、休みを代わってもらい、今回が本命の三連休です。さあ!本が読めるぞ。と思いきや、明日は孫たちが来る。特別にすることはないが、天気なら剪定をしよう。片付けもある。

 しかし、涼しいのを通り越して寒い。そろそろ浴衣を止めるか。それとも布団を出すかな。毛布を洗ったのに、翌日から天気が崩れて、ちっとも乾かない。リエさんが、父へのお供えに送ってくれた鉢物は元気です。そろそろ外に出そうかな。

 枇杷葉の青い実が。少し大きくなってきたので、袋をかけるかな?実の表皮についているのは、霜にやられた痕です。味には変わりありません。枇杷酒は、種を焼酎に漬けるのですが、2年以上冷暗所で管理していると、種が甘くなります

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急な冷えこみに・・・

2011年08月20日 | Weblog

 朝に夕立があった。日中は、割合と蒸せたが、夕刻になって急に冷え込んだ。寒い!慌てて網戸を閉める。大気が不安定になっており、自然のバランスが崩れている。北海道では、原発の再稼動を決めたらしいが、福島での事故で、終息の見通しが皆無というのに。事故が起きない可能性はないというのに。地球は、誰の物でもないのですよ。

 勤務を終えて外に出たら、夜気がすっぽり体を包んだ。涼しい!アスファルトも、夕立で熱気が消えている。宇宙に星が観えないのは残念だ。車の冷房を切る。帰宅するとひんやりとした冷気が忍び寄る。風邪を引かないようにしよう。今夏中、扇風機をつけたのは、5日ばかり。その内の2日は、娘や息子が、伴侶や家族で来たもの。

 況してや、時間にすれば、3時間ほどの滞在である。休みには、網戸にしていて、どんなに暑くてもつけないが、じっとしていても、汗が流れる午後の数時間をつけた。節電にはならないかもしれないが、自分の健康のためにはなった。今夏、目眩もしなければ気分は爽快である。枇杷葉茶のおかげです。種の焼酎漬けも食べてみたが、調子がいい。

 食事の贅沢をした訳ではない。質素な暮らしに徹した。その中でも、お粥の作り方にびっくりした。このやり方だと、冷めてからでも充分美味しい。肉は、血液を汚す。野菜中心で、枇杷葉茶を飲んだ。もちろん勤務先にも持って行く。冷たいものではなく、魔法瓶で温かいのがいい。自然の摂理に適った、ありのままがいい。

 咲き乱れるドクダミの花。生の葉は、歯痛止めになる。乾燥すればお茶で飲める。枇杷葉同様、体内の毒素を出す。焼酎で漬ければ、虫刺されなどにも効く。

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白枇杷生る

2011年08月19日 | Weblog

 待ちに待った白枇杷に、花が咲き実が生った。奇跡としかいいようがない。たった1枝だったが、花芽を見つけた時には、びっくりしてしまった。あまりの感動に、夢か幻かとまじまじと見つめてしまった。ほんとうに、花芽がついているのか目を凝らした。

 次には、花芽が咲いているかを確かめ、寒冷紗で囲み、毎日確認しながら、実が生るのを待った。3つ生った。六月下旬、収穫した。枇杷の実の色は薄く熟れ、味は濃厚だった。母に食べさせてあげれなかったのが残念ではある。供えてあげる。

 白枇杷とは思わないでいたが、葉に斑点ができたり、中々育たなくて、首を傾げるばかりだった。南側に置いていたのを、北東に移した。そこに植えていた枇杷葉と相性があったのか、葉が繁り始め、やっと今年、花芽がついた。

 昨年、母が逝ったことと、何か関係があるようにも思いながら、ゆっくりと戴いた。異常気象がもたらした幸運かもしれない。或いは、希望へつながるよう、母が残してくれたのだろうか。謎の多い白枇杷だが、初生りを心待ちにしていただけに、とてもうれしかった。

 寒冷紗を取り除き、袋をかけられた白枇杷の実。

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振り向けば、銀河

2011年08月18日 | Weblog

 何気ない心の隙間に、ふと銀河の気配を感じる。廊下のひんやりとした板の間に、寝転ぶ銀河を視る。網戸の影に隙を伺う銀河。帰宅を待ち焦がれ、窓で蹲る銀河。後になり前に回り、纏いつく銀河がいる。

 そのどれもが、生きていた頃そのままに姿を見せる。だが、抱き寄せようとすれば、その姿を通り抜けて虚空を彷徨う。でも確かにいる。出窓に跳びあがり、駆け下り、炬燵に潜る。足をぶらぶらさせると、待っていたとばかりに玉を取る。

 時々、外に出て行って、帰れなくなる銀河。家はわかるし、見えているのに、その途中が怖いのだ。娘の姿を見つけると、速を出して玄関に飛び込んできた。そのまま押入れに入り込み、暫くは出てこなかった。

 その度に、お風呂に入れられ、賑やかに啼いていた銀河。蚤とダニをくっつけて、何度もシャンプーしたっけ。布団に潜ってきて、仰向けになって寝ていた。横にも器用に向いていた。枇杷葉茶を飲むようになって、臭いが消えて困っていた。

 庭の片隅に、今は眠る銀河。漆黒の闇を思わす毛並みで、艶やかな黒が魅力的だった。17年間、一緒に居てくれてありがとう。人間で言えば、百歳くらいだったのかな?寿命だったし、天命でもあったよ。家に来てくれてありがとう、銀河。

 近くにある薔薇園にて。まるで白雪姫のような薔薇でした。

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