親子介護日記

入院している精神障害の弟とレビー小体型認知症、パーキンソン病の主人を介護しています。

介護の原点

2013年02月12日 | 介護日記
ブログに訪問ありがとう御座います



関西に住んで7年前に亡くなった父を

婆ちゃんが介護して30年余り・・


最初介護を始めた当時は

うら若き乙女の17歳の私

高校生の歳だけど その頃の私は中学校を卒業し働いていたが

別け合って家事手伝いをしていました


亡き父は53歳で建築工事の仕事をしていました

婆ちゃんと結婚する前からお酒が大好きで

その日も仕事から帰宅し

近隣の酒屋でお酒を飲んで我が家に帰ると

玄関前で愚痴愚痴文句を云っていた父なの

家族も相手をすると大変なので無視し放っておき

近隣の人も毎度の事なので相手もしないですよ

文句タラタラ云っていた父も喋り疲れたのか?

二階に上がって眠り始めました


ところが夜の何時だったのでしょうかね・・

階下の方でドスンと大きな音がして

階段の下を見ると父が転落していたのです

トイレへ往こうとして足を踏み外したのです・・

救急車を呼ぼうか迷っていましたが

父は酒を飲んでいるので朝まで様子を看る事にしました!

早朝に目覚めた父は“身体の自由が利かない!”と訴えたから

急いで救急車を呼び救急病院へ搬送されました


救急病院で診察した結果・・

頚椎の4番目か5番目の骨が少しずれて神経を圧迫したのです

頚椎にコルセットをはめた父は

ベットで寝たっきりの状態になったのです・・

主治医も半身不随になるから

リハビリ専門病院へ移った方が良いと云われ

たまたま婆ちゃん(母)が住んでいた近くに

リハビリ専門病院があったので

紹介状とレントゲンを持参して見て貰ったら

早急に入院が決まり救急病院から移動したのです


だけど・・

40年前のその頃の病院は今みたいに完全看護じゃなく

付き添いが必要だったのです

付き添いの人を頼むか? 家族が付き添うかでしたね!

父は保険嫌いで保険に入っていなく

病院の支払や生活の為に母や兄三人が働き

父の看病(介護)は私が付き添うことになりました


いやいや。。

17歳のセブンティーンが男性の病室で寝泊りするのですよ

まぁ~! 相手は患者なので何も問題が無いけど・・ね

パジャマに着替える時は

リネン室みたいな所で着替えていましたの!

右半身麻痺した父の身体を清拭しながらマッサージし

手足の運動を毎日遣っていた私に

父は痛みに耐えられず怒り散らすこともありました

しかし・・

このリハビリをする事で

動かない神経が少しづつ戻り始めたのです

整形外科の部長先生もビックリして

“娘さんに感謝しないといけませんね!”と父に云っていました


それからの父は身体が動き始め

頑張って機能回復訓練のリハビリを遣ったから

入院して8ヵ月後には杖をついて

歩行出来る状態まで回復したのです

父の看病から離れた私は付き添い家政婦所の許可を得て

別の患者さんの付き添いをしていました

その後退院した父を母が介護をしたのです

私も19歳で結婚して

たまに実家へ父の様子を見に行く程度になりました!


そして53歳から亡くなる85歳までの父は

徐々に身体が衰えて来て車椅子になり

最後は電動車椅子で

外を散歩したり医院へ行ったりしていました

その間の婆ちゃんは父の介護と家事をこなし

亡くなったあと張り詰めていた気持ちが無くなったのか?

婆ちゃんの身体も弱ってゆき

軽度の脳梗塞を発症して認知症になったのです


人生の半分ぐらいを文句も云わずに父の介護を遣った母


私の介護の原点は10代の頃・・

本当は父の介護を手伝いたかったけど

岡山と関西だったから

婆ちゃん任せになって 

ほんと申し訳ないと想いましたね

だから今は父の分以上に

婆ちゃんの介護をしているのです





                      訪問ありがとうございます



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