親子介護日記

入院している精神障害の弟とレビー小体型認知症、パーキンソン病の主人を介護しています。

婆ちゃんが歩んだ人生(家族編)

2012年05月20日 | 介護日記
こんばんはで御座ります  マントで~す 



昭和41年 敬老の日・体育の日・建国記念日が新たに祝日





父の酒乱は相変わらず続いております

飲まない時は本当に仏様みたいな父なんですが 飲んだら鬼ですよ



昭和43年 三億円強奪事件


昭和45年 大阪で万国博覧会




この年 私は中学校を卒業しまして会社の内定が決まっていましたが

理由があって就職をしないで アルバイトなどを遣っていました

嫌な記憶は何ぼ考えても思い出されません



昭和47年 沖縄 本土返還  横井庄一28年ぶりにグアム島より帰還



やっと念願の家を購入することが出来て

狭いながらも楽しい我が家であればいいけど

これから家族にとって最悪の出来事が始まるのです


仕事が終ると酒を飲んで愚痴愚痴文句を言っちゃ叫んでいる父。。

私も逃げる事をしなくなり 成るべく相手にしないようにしていました

もう誰も相手にしないし近隣の人も成れて相手にしないから

その日は珍しく2階で熟睡していた父なのです



だけど・・

夜中にトイレへ行こうとして階段を降りようとしていた父・・


すると・・ 

ドンドンド~ンドスンと階段から転げるような音がして

2階から下を見ると父が横たわっていて動かない・・

急いで降りてゆき動かない父の身体を兄達が持ち上げて

隣の部屋へ寝かし身体の状態を聞いてみたのです


そうしたら 『首から下の感覚が無い!』と言うので

救急車を呼んで父は救急病院へ搬送されて行きました

病院で精密検査をした結果

右上半身麻痺・右下半身麻痺が起こっていたのです

ここは救急病院だから長くは居られないので

リハビリ専門病院へ転送することを考え

自宅からバスで1時間かかる病院の診察を受診して入院する許可がおりたのです

この当時の病院は今みたいに完全看護でなく

父の様に手間がかかる患者には付き添いが必要なのです

父の付き添いを如何しようか?

家族と話し合い 兄達は仕事があり婆ちゃんも仕事をしていたし

私しか居ないく でもまだ17歳の娘ですよ!  

付き添いなんかねぇ~  遣る事にしました


6人部屋の男ばかりの病室に女が一人。。

回りは病人だから怖い事はないけど反対に可愛がられましたね

しかし・・文句を言っていたのは父であります

思うように動けない右上・下半身だから 

マッサージや手足の運動をすると痛いもんで 私を怒鳴るの・・

私も最後には腹を立てて 婆ちゃんに愚痴を溢していました


それで毎日毎日諦めずに手足の運動したのが ほんと良かったのか?

徐々に手足の感覚が戻って来て動き出したのです

主治医も『娘さんが毎日リハビリしてくれたお陰だね! 感謝しないと!』と言ってくださり

先生のその言葉で父は一生 私に恩を感じていたのでしょうね

動き出したら早く私も付き添いを離れ 入院して8ヵ月後に父は退院しました



でもね!

父は生命保険が嫌いで入っていなく 入院費用はまあまあ多かったと思います・・

家族が頑張って来たから乗り越えられたと思う。。


そして一番嬉しかったのは酒のせいで障害になった父が

その後 酒を飲まなくなり飲んだら『今度は死ぬよ・・』と脅かしましたの



昭和49年 小野田寛郎少佐 リバング島から帰還

昭和50年 山陽新幹線開通




それから私は製造工場で働き 

そこで知り合った同僚と結婚して昭和50年に娘を出産しました

20歳だったから もう少し遊びたかったなぁ~


結婚して親元から離れた私はその後の婆ちゃんの生活が余り分らないので

これからは年月を飛び越えて 実家へ行った時の様子を書いてゆきま~す






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