親子介護日記

入院している精神障害の弟とレビー小体型認知症、パーキンソン病の主人を介護しています。

婆ちゃんが歩んだ人生!

2012年05月18日 | 介護日記
おはよう御座います  マントで~す 



昨日に更新した記事タイトルがブログ村の方で

間違って投稿してしまい申し訳ございません

公開しない方にしていたつもりなのに私気が付きませんでした

タイトルの『父ちゃんおめでとう!』とは

16日が父ちゃん69歳の誕生日だったのです

それを書こうと思っていたのに婆ちゃんの記事に変更してしまいました

父ちゃんの事を書くような出来事はそんなにありませんので

ただ・・毎日 家庭を守って頂き『ありがとう!』の感謝の言葉です





さて・・何を書いていこうか毎日考えている私

現在の記憶が薄れて行く婆ちゃん

だったら過去の記憶でしたら一部鮮明に覚えているので

婆ちゃんの人生を聞いて書き留めることにしました





婆ちゃんが生まれたのは大正14年○月○日 

愛媛県愛南町(旧南宇和郡)で次女として産声をあげました


大正時代といえば 大正12年9月に関東大震災が突発していて

婆ちゃんが生まれた その2年後には大正天皇が崩御し

昭和元年12月に昭和と改元したのです





その後 前方の景色は海・後ろは段々畑という環境で

婆ちゃんはスクスク育ったのでしょうね!

尋常小学校に入学し 女学校を卒業した婆ちゃん

働く為に岡山の紡績工場で働いたり 缶詰工場で働いたりしていました


昭和16年12月に太平洋戦争・大東亜戦争が開戦され


昭和18年4月連合艦隊司令長官 山本五十六がブーゲンビル島上空で戦死・・


多分その頃に父と結婚する為に愛媛へ戻ったのでしょう?

父も同じ村で生まれ育っているので どんな男性かは知っていたそうです

その頃 婆ちゃんには想いを寄せた人が居ましたが病弱な方だったので

両親から反対されたみたいです

父の家は網元であり 姉妹ばかりの中ひとり息子で育ったもんだから

我がままやし口が煩い人だったみたい・・

そんな人と何故 結婚したのか? 私には理解出来ません

しかし昔の人は一度も合ったことのない人や

写真だけの人などと結婚したと聞いています

婆ちゃんも両親の言う事には逆らえなかったのでしょうね



それから結婚して義父・義母そして父の姉妹との生活が始まりました

ただ婆ちゃんに嫌な記憶を聞くのも酷なので それ以上の話しは聞けなかったです

でも義母は優しい人だったけど 義父は口が煩かったと・・(似た者の親子)





そして昭和20年8月15日 日本無条件降伏のラジオを聞いた婆ちゃん

愛媛上空をB21の飛行機が通る度に防空壕へ非難していたから

戦争が終って喜んだかはその当時に生きて経験した人の気持を聞かないと分りません?

婆ちゃんは如何だったんだろうね


そして戦争が終った後 長男が産まれ次男(後に病気で死去)も生まれ

昭和25年三男・27年に四男 そのあと私が生まれます

生めよ増やせよの時代だったから大家族の家庭が多かったそうです

現在みたいに豊かじゃない時代を生きて来た婆ちゃん生活が大変だったろうね・・


そして・・

これからが婆ちゃんの波乱万丈の人生が始まってくるのです


この続きはまた

 




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