クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

湖西線全駅下車の旅(その10)

2011-10-30 13:37:46 | 北陸線

蓬莱駅は出口が1箇所しかない駅でした。14時59分発の1829M(223系V10編成)に乗車して和邇駅へ。



15時2分に和邇駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。この駅からは終点までエレベーターが設置されています。



階段を下りて改札を出ました。2台の自動改札の右側に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00です。トイレは改札内の左側にあります。駅舎内に待合ベンチが確か無かったような気がします。



まずは西口に出ました。開業当時からの高架駅です。駅前は狭い道路で出口がありません。出口は南と東の2箇所です。



地銀などの並ぶ通りを100mほど歩いて左折すると、文化施設とグラウンドのある一帯に出ました。このうち最も南にある洒落た洋館風の建物が大津市立和邇図書館です。



図書館と90度相対して大津市立和邇体育館があり、更に90度相対して同文化ホールとなっています。旧和邇町は文教施設を効率的に配置しましたね。暑い日だったので、付近の自販機でチェリオの500mlペットのサイダーを100円で購入しました。



西口の調査を終え、東口に出ました。こちらにはロータリーが形成され、タクシープールもみられます。



駅前の様子。道路を挟んでワニアルタ(平和堂)があり、100円ショップも入居しています。和邇駅は何かと使える駅ではないでしょうか。


永原駅から始まった湖西線駅巡りも、いよいよ都会の様相を呈してきました。15時30分発の2849M(113系L15編成+L8編成)に乗車して次なる駅へ。



15時33分に小野駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。



階段を上がり、改札を出ました。4台の自動改札の脇に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00です。



左側に進むとトイレがあり、奥には公民館が併設されています。ここが小野駅唯一の待合スペースといったところ。



それでは駅舎撮影。昭和63年11月19日築(12月8日開業)の細長い駅舎です。久々に地上駅を見て、何だかほっとしました。



駅前にあるのは「ローズプラザ小野」。明光義塾などが入居しており、大人から子供まで利用者が多いのではなかろうか。


それでは周辺を歩きましょう。


つづく


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湖西線全駅下車の旅(その9)

2011-10-28 00:06:32 | 北陸線

13時56分に志賀駅に到着。



西口の探索を終え、東口に出ました。駅前はすぐ道路で、スッキリとは撮影出来ません。周辺は住宅地でアパートが多いです。



徒歩2分で琵琶湖の絶景が広がってきました。沖合には養殖筏が見られます。近くでは、犬を水浴びさせている家族が居ましたが、気持ち良さそうですね。一日に琵琶湖を何回も眺めた旅は、過去にも未来にもそうないでしょう。



そろそろ出発の時間となり、ホームに上がりました。折角なので、2836Mで運用されていた113系L12編成を撮影。JR西日本は現在、国鉄型車両に対して単色化政策を進めており、この113系は琵琶湖の湖水をイメージした緑色になっています。過去の記事に登場した西日本色の113系も、現在はこの塗色になっているのではないか。


14時25分発の2843M(221系K1編成+K8編成)に乗車して次なる駅へ。



14時28分に蓬莱駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内で、ホームは広いです。



階段を下りて改札を出ました。駅員が配置されていますが、改札業務(精算)のみで乗車券の販売を行なっておりません。乗車券については、手前にある券売機で求めること。2台の自動改札の左側はトイレです。



それでは駅舎撮影。開業当時からの高架駅で、バリアフリー設備がありません。出入口は西側1箇所のみで、扉はありません。



駅舎に張り付いて、湖西線開通記念碑があります。開通日時は昭和49年7月20日ですが、保存状態が大変良いですね。尚、湖西線の中で開通記念碑があるのは、ここ蓬莱駅だけです。



駅前ロータリーの中央には「蓬莱浜」のモニュメント。その蓬莱浜とは、南東方にある水泳場のことです。



駅前を調査した後、小女郎峠を経て蓬莱山に至るハイキングコースを歩きます。国道を渡るといきなり急坂に。集落の向こうには、標高1174mの蓬莱山が聳え立っています。私は小屋戸川を渡ったところで引き返しましたが、登山される方はくれぐれも遭難することないように。



沿道ではジャガイモの花が満開でした。これは、2011年6月4日の旅行記です。



折角なので、高架をくぐって琵琶湖の方へ。国道より上では土石流危険地帯だった小屋戸川は、下流にくると穏やかな流れに。琵琶湖に出るまでもう少し掛かりそうですが、そろそろ時間なのでこの辺で引き返しました。これから列車に乗ると思われる女の子とすれ違ったし。


つづく


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湖西線全駅下車の旅(その8)

2011-10-25 00:01:42 | 北陸線

お待たせしました。湖西線駅巡りを再開します。


前回はこちら



湖西線2837Mは、13時19分に比良駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。



コンコースに下りて改札を出ました。2台の自動改札の横に切符売り場があり、営業時間は7:30~17:00です。トイレは改札内の奥深くにあります。



西口に出ました。高架下を利用した駅舎で、改札前は吹き抜けとなっています。古いタイプの高架駅で、バリアフリー設備がありません。



駅前の様子。比良山系に抱かれた、一面の水田地帯となっています。カントリーエレベーターが雰囲気を出しています。



東口に出ました。駅前からは、びわこ成蹊スポーツ大学へのアクセスバスが出ています。



東へ4分ほど歩き、湖畔にある鳥居に到着。珍しい風景ですが、そこはキャンプ場と化していました。



少し南方に歩き、エメラルドグリーンの琵琶湖をしばし眺めました。正に絶景です。光の具合もいいですね。しばらくすると、比良駅に佇んでいた犬もやってきました。



その後、湖畔の鳥居に対応する天満宮御旅所を訪問し、旅の安全を祈願してきました。


駅に戻り、13時53分発の1827M(117系S3編成)に乗車して次なる駅に向かいました。



13時56分に志賀駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内で、ホームは広いです。



階段を下りて改札を出ました。2台の自動改札の左側には切符売り場があり、営業時間は7:15~18:25です。その右側にはトイレがあります。古いタイプの高架駅で、バリアフリー設備はありません。



西口に出ました。三方にドアがあり、先ほどの駅とはまるで雰囲気が異なります。駅前には志賀商工会議所と商店があり、駅舎前はカーパークとなっています。



それでは周辺散策。こちらも比良山系に抱かれた水田地帯ですが、アパートが建ち、郵便局もあります。


折角なので、東口にも出ましょう。


つづく


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SLばんえつ物語運転再開(その2)

2011-10-23 00:04:09 | 新潟の鉄道

 新潟地区のSLの話題をもう1つ。
 10月14日に磐越西線が復旧し、15日には新潟~会津若松間をSL列車が駆け抜け、22日には「SLばんえつ物語」が運転再開しました。これより、15日の「SL鉄道の日記念号」と、22日の「SLばんえつ物語号」についてお伝えします。



まずは、10月15日の「SL鉄道の日記念号」から。いつもと同じように、8時26分に新潟に向けて回送されました。エスコートしたのはEF81 141。間違ってISO1600で撮ってしまい、このような粗い記録写真になってしまいました。



新潟駅に到着すると、機関車脇で万代太鼓のおもてなし。



9時43分に新潟駅を発車し、10時4分頃に新津駅に到着しました。



1番線に行ってみると、新潟観光大使が「SL鉄道の日記念号」のプラカードを掲げていました。



最も記録すべきは、当然ながら機関車。動輪をイメージした特製HMが用意されていました。デフレーターについては、通常のものに戻っていました。



「SL鉄道の日記念号」は、展望車を含む7両全部が自由席。折角なので、新津から咲花まで乗ってきました。


「SL鉄道の日記念号」は、16日も新潟を会津若松の間を往復運転しました。磐越西線がようやく本来の姿に戻った印象です。



続いて、10月22日のSLばんえつ物語号です。先週と同じく、EF81 141がエスコート。



定刻8時26分に発車しました。煙が先週よりもショボショボですが、今回はきれいに収まりました。



新潟駅で機関車を撮影。例によって、記念撮影される方が大勢。紅葉の中のSLをイメージしたHMが装着されました。



SLばんえつ物語号は全車指定席です。1号車には団体さんも乗り込んでいたようです。



尚、この日は485系K1編成による「越後謙信SAKE祭号」も運転されました。無愛想にも、HMは「臨時」でした。



この「越後謙信SAKE祭号」で新津に戻り、SLばんえつ物語号を撮影。汽笛を鳴らして入ってきました。1番線からSLばんえつ物語の歌が聞こえました。



1番線に行ってみると、「祝 「SLばんえつ物語」号運転再開」の横断幕が掲げられていました。



新津駅でも機関車を撮影。デフレーターは通常のものです。汽笛を豪快に鳴らし、定刻10時14分に会津若松に向けて発車しました。


新津発車時の乗車率をざっと見たところ、空きボックスが目立つなど乗車率は芳しくありませんでした。磐越西線の運転再開については、まだまだ周知不足の感があります。福島県会津地方の風評被害も深刻ですが、旅行会社などに向けてもっと大々的にPRすべきです。


次は、湖西線の駅巡りをお伝えします。


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SLばんえつ物語運転再開(その1)

2011-10-20 22:29:09 | 新潟の鉄道

 ここで、新潟地区のSLの話題をお伝えします。
 2011年7月28日~30日の新潟・福島豪雨により磐越西線の馬下~津川間は甚大な被害を受け、当然ながら「SLばんえつ物語号」も運休でした。懸命な復旧作業の甲斐あって、10月14日の14時には同区間が運転を再開し、15・16日には「SL鉄道の日記念号」が新潟~会津若松を駆け抜けました。10月22日からは「SLばんえつ物語号」が運転開始します。
 復旧までの間C57 180がずっとお休みだったかというと、そうではありません。SL列車を運転して欲しいという声があり、お盆からは区間を変えながら毎週のように運転されました。これから、JR東日本新潟支社の苦肉の策(?!)で生まれたSL列車達を御覧下さい。



最初に生まれたのは「SL夏休み体験号」です。2011年8月13日撮影。HMはなく、SL本来の姿を撮影できました。走行区間は新潟~馬下~新津で、9時43分に出発し、12時15分に運用を終えるというものでした。



終点の馬下には転車台がないため、はじめからDE10が連結されました。馬下~新津間はDE10形の牽引でした。



「SL夏休み体験号」は展望車を含めて5両編成で、全車自由席でした。展望車イベントは無いものの、売店は営業していました。



8月20・21日、27・28日は特製HM付きで運転されました。2011年8月27日撮影。ちなみに、馬下駅は「ランプ小屋のある駅」と案内されていました。



その次週となった9月3・4日と10・11日には「SL初秋体験号」が運転されました。2011年9月4日撮影。HMはありません。



2011年9月10日。新潟駅の跨線橋から編成全体を撮影。「SL夏休み体験号」と同一区間、同一編成でした。折角なので、新津まで乗車しました。


9月17、18日には「SL村上屏風まつり号」が運転されました。詳細はこちらを御覧下さい。



9月24、25日は「SLご当地グルメ号」が運転されました。新発田市で開催された「ご当地グルメグランプリ」にタイアップして運転されました。途中、豊栄、新発田、月岡と停車し、新津まで運転されました。門鉄デフでしたが、HMはありません。



DE10 1680が後補機。新発田駅には転車台がないため、新発田~新津間はそのDE10が牽引しました。


10月1,2日は「信越線全通125周年号」、8,9日は「SL秋風体験号」が運転されましたが、都合によりレポートできませんでした。「SL秋風体験号」は、「SL夏休み体験号」、「SL初秋体験号」と同ルート、同時刻で運転されました。


「SL鉄道の日記念号」、「SLばんえつ物語号」については後日お伝えします。


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湖西線全駅下車の旅(その7)

2011-10-18 00:07:36 | 北陸線

北小松駅は見所の多い駅でした。12時26分発の3147M(223系W15編成+V45編成)に乗車しました。



12時29分に近江舞子駅に到着。普通列車の約半数が折り返す駅で、2面4線の構内を有します。



階段を下り、改札を出ました。自動改札の左側には窓口があり、営業時間は6:30~21:20です。トイレは改札の内側にあります。駅舎内は待合ベンチがあるだけで他には何もありません。



それでは駅舎撮影。これは西口ですが、円状のロータリーがあり中心部は花壇になっています。近江塩津方にはP&R。



駅前の様子。住宅地になっており、少し離れたところに市街地があります。


再び駅に戻り、こんどは東口に出ました。駅前は狭く撮影不可能なので、お洒落な住宅地の遊歩道を進みました。



歩き始めて3分、琵琶湖の畔にやってきました。ちょうど万葉集の歌碑がありました。「さざ浪の 比良山風の 海吹けば 釣する海人の 袖反る見ゆ」。



適当な岩を探し、松林の見える場所で一休み。琵琶湖を眺めながら、件のファミマで購入したお握りで昼食タイム。



佇んでいると、ちょうどウォータースライダーが通過していきました。気持ちよさそうですね。



向かいには、琵琶湖レイクオーツカホテル。この周辺はペンションやホテルが多く、景勝地というよりむしろリゾート地です。



琵琶湖周航の歌が流れる音響装置もありました。折角なので、加藤登紀子の歌う「琵琶湖周航の歌」をフルコーラスで聴きました。録音はしなかったものの、この旅で最も印象に残った音風景でした。



それにしても、近江舞子の琵琶湖も絶景でした。付近には北浜水泳場もあります。大分暑くなってきたので、何だか泳ぎたくなってきました。


それでも13時19分発の2837M(113系C5編成)に乗車し、次なる駅に向かいました。


続きはこちら


次は、新潟地区のSLの話題をお送りします。


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湖西線全駅下車の旅(その6)

2011-10-16 00:18:39 | 北陸線

10時48分に近江高島駅に到着。



高島総合病院の工事現場を抜け、大溝城址に到着。織田信長の甥である織田信澄が天正6年に築城し、明地光秀の居城でもありました。「大溝城とお初」の解説があることから、タイムリーな訪問となりました。



その天守台跡。相当天守の低い城だったのでしょう。乙女ヶ池を巧みに利用した水城で、「鴻湖城」ともよばれました。江戸時代の一国一城令でも廃城にならず明治維新まで続いたのだから立派です。



更に進むと、乙女ヶ池に出ました。湖西線の車窓から見えるけど、インパクトのある内湖です。行楽日和で、ハイキング客が大勢居ました。



外来種回収生簀。全国各地の湖沼で、外来種は生態系に深刻な問題を引き起こしています。



更に進むと、歌碑がありました。「大船香取海下 何有人物不念有」の万葉集の短歌です。ちょうど新快速電車が通過していきました。


乙女ヶ池は細長く、2つ目の橋まで行ったところでTIME UP。11時39分発の1823M(113系L15編成+L8編成)で後にしました。



11時44分に北小松駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内で、ホームは広いです。



階段を下りて改札を出ました。簡易ICOCA改札があります。その左手には窓口があり、営業時間は8:15~17:05です。右手はトイレで、改札をくぐって利用する形です。



それでは駅舎撮影。3階建ての高架駅ですが、出入口は1箇所しかありません。滋賀県の市町村合併は誠にドラスティックなもので、正午前なのにもう大津市ラウンドに入ってしまいました。



折角なので、周辺散策。5分ほど南下すると、樹下神社に到着。ここで、湖西線全駅下車達成を誓ってきました。



その鳥居と常夜燈。道路が狭いくせに交通量が極めて多いので、撮影は困難を極めました。



再び駅に戻り、高架をくぐって4分ほどで嶌頭山 徳勝寺に到着。浄土真宗本願寺派の寺院です。枝垂桜が見事で、シーズンともなれば写真家などが多く来そうです。



その手前にある薬師堂では、ちょうどカラーが満開でした。これは2011年6月4日の旅行記です。



もう少し上がると臨済宗の寺院である種徳禅寺がありますが、そろそろ時間なのでこの辺で引き返しました。北小松駅は、案外見所が多いですね。


つづく


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湖西線全駅下車の旅(その5)

2011-10-13 00:14:31 | 北陸線

10時7分に安曇川駅に到着。



東口に出ました。新幹線のような立派な高架の下にすっぽりと覆われ、駅舎は目立ちません。ロータリーが形成され、タクシーが多数止まっています。



そのロータリーの真ん中には、中江藤樹(1608~1648)の銅像。江戸初期の陽明学者で、亡くなる半年前には「藤樹書院」という私塾を開設しています。その教えは平等思想が特徴で武士だけではなく商人にも浸透し、「近江聖人」とよばれました。



駅前の様子。写真には平和堂が写っていますが、テナントを含めて国道沿いに移転してしまい閉店しています。大型店は往々にして「焼畑商法」に陥りがちです。幹線道路沿いが益々栄えて駅周辺が寂れてしまうケースが実に多く、日本の都市づくりは問題だらけです。



西口に出ました。駅前にはちょっとした公園があります。



西口にも銅像があります。戦前の衆議院議員だった安原仁兵衛像です。



ついでに、ロータリーのサツキもしてみました。6月初頭の季節感が出ています。



駅前の様子。周辺は住宅地でJAもあり、割かし静かです。ファミマにて昼食を調達しました。


安曇川駅は、東西入口の其々に異なる銅像がある珍しい駅でした。10時44分発の1821M(117系S6編成)に乗車して次なる駅に向かいました。



10時48分に近江高島駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内で、ホームは広いです。



ホームから見たロータリーの様子。ガリバー像が聳え立っています。ディベロッパーの意向と思われます。それにしてもインパクト大です。



階段を下りて改札を出ました。改札の右側には窓口があり、営業時間は7:10~18:25です。右側には観光案内所があります。トイレは改札の奥にあります。尚、駅業務については関連会社に委託されています。



改札正面にある扉から通路に出、西口に出ました。こちら側には駅名標はありません。



駅前の様子。「ガリバータウン」というニュータウンですが、比良山系に抱かれた長閑な田園地帯という趣で入居はまばらです。



東口に出ました。こちらは駅名標があり、入口もあります。どうやら正面口のようです。近江高島駅は3階建てです。


折角なので、大溝城跡に行きますか。


つづく


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湖西線全駅下車の旅(その4)

2011-10-10 10:45:17 | 北陸線

近江今津駅周辺を1時間ほど散策し、9時11分発の3223M(223系W19編成+V2編成)に乗車。



9時15分に新旭駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内で、ホームは広いです。



下りホームからロータリーを俯瞰。ちょうどサツキが満開の時期で、ピンク色に染まっていました。



階段を下りて自由通路に出ました。改札の右側には窓口があり、営業時間は7:25~19:40です。左側はトイレです。



その向かいには特産品コーナーがあり、地酒や高島の帆布鞄などが展示されていました。



まずは西口に出ました。昭和49年7月20日の開業当時の姿をとどめる高架駅です。ロータリーの真ん中にあり街路樹が多く、すっきりとは撮影できません。



噴水越しに駅舎を。モニュメントの台座のサツキが初夏の季節感を出していました。旧自治体のシンボルマークだろうか。



折角なので、西口ロータリー北方にある「地場産しんあさひ」へ。左側の展示コーナーでは、高島の帆布鞄が販売されていました。勿論、土産にしませんでしたが。



その線路脇では、時計台のある記念碑が建っていました。



再び改札前を通り東口へ。こちらの方がスッキリ撮影できます。



その駅前ロータリーには「旭日昇天 躍躍の郷」のオブジェ。山田良定氏の作で、七川祭(駒練り)と竹馬祭を表現しているそうです。さぞかし勇壮な祭りでしょう。



琵琶湖に向かって100mほど歩くと、湖西中の向かいに高島市役所があります。高島市の中心駅は、近江今津でもなく、マキノでもなく、安曇川でもなく、ここ新旭だったのですね。市町村合併って一体何だったかとつくづく考えさせられます。


3kmほど向こうに風車村がありますが、10時1分発の1819M(113系L12編成)に乗車して次なる駅に向かいました。



10時7分に安曇川駅4番乗り場に到着。2面4線の構内です。この列車は後続の「サンダーバード」に抜かれました。



改札を抜けました。簡易ICOCA改札の右脇に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:30~22:00です。トイレは改札内にあります。


それでは、駅舎を撮りましょうか。


つづく


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湖西線全駅下車の旅(その3)

2011-10-05 22:55:21 | 北陸線

先日は失礼しました。湖西線駅巡りに戻りましょう。


前回はこちら


近江中庄駅7時52分発の4842Mに乗車して近江今津駅へ。通学時間帯にも拘わらず521系E3編成のみなので、女子高生の隣に座らせてもらいました。



7時57分に近江今津駅3番乗り場に到着。ここで折り返す列車も多く、2面4線の構内です。



間もなくして、4番乗り場に「サンダーバード4号」が入線。接続となる普通列車は2番乗り場からの発車で、117系6連です。



改札を出ました。改札の左側は「みどりの窓口」で、営業時間は5:30~22:00です。改札の右側は広い待合室です。トイレは改札内にあり、階段に向かって右側です。一方、自由通路挟むと観光案内所と売店があります。琵琶湖産の魚介類が販売されていたので、土産にしてもよかったかな。



まずは西口に出ました。開業時からの姿の高架駅です。小浜方面へのJRバスが発着します。



駅前の様子。周辺は住宅地ですが、いきなりSanyo Plazaというパチンコ屋があります。



再び自由通路を通り、東口に出ました。こちらの方がすっきり撮影出来ます。



駅前ロータリーのモニュメント。琵琶湖の恵みを表現したものだろうか。台座にあるサツキが6月初頭の季節感を漂わせていました。



滞在時間が1時間余りあるので、琵琶湖に向かって出発。付近には警察署があります。



東口から3分、琵琶湖周航の歌記念館に到着。無料で入れるそうですが、時間が時間なだけに開館前。



道路沿いには句碑がいくつもありました。間もなくして観光船乗り場に到着。チケットを買うと竹生島に行けると思うとワクワクしてきました。



観光船乗り場から北国街道を少し進むと、桟橋跡に到着。柳の木がいい雰囲気を醸し出しています。



ほどなくして、住吉神社に到着。湖上安全の神が祀られていますが、湖西線全駅下車達成を誓ってきました。



ここは九里半街道起点です。今日のJRバスのルートにもなっています。近江今津は、江戸時代から京と若狭を結ぶ物流の拠点だったのですね。これより、しばし九里半街道を辿ります。付近には、真言宗大谷派の寺院である善積山 法慶寺があります。



今津地区の九里半街道は、「ヴォーリズ通り」といいます。信号を渡って、ヴォーリズ建築をしばし巡ります。これは、もともと大正12年に建てられた百三十三銀行(旧滋賀銀行)でした。現在は、ヴォーリズの生涯などの資料が紹介されている「ヴォーリズ記念館」です。是非見たいところですが、営業時間は10時から。



この近くには日本基督教団今津教会。昭和9年の建築で、現在は幼稚園として使用されています。



最後に紹介するのは、旧今津郵便局。昭和11年の建築で、昭和53年まで使用されていました。和洋折衷式と呼ばれる建築で、入口の屋根や配置などにヴォーリズ独自の創意が見られ、周辺の町並みに溶け込んだ親しみのある姿を今に伝えています。老朽化のため解体話が持ち上がっているのは残念です。


その他にも、今津にはヴォーリズ建築はいくつかありますが、そろそろ時間なのでガードをくぐって駅に戻りました。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)は、もともとはキリスト教を広める目的で滋賀県入りしていますが、大正から昭和にかけての滋賀県の名建築には彼の名は外せません。



では、西口に出ると、駅前には「ローラン名小路」という商店街がありました。


資料館には入れませんでしたが、琵琶湖からヴォーリズ建築まで誠に収穫の多かった近江今津滞在でした。


つづく


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