クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2010年冬・山陰の旅(余興篇)

2011-02-28 22:55:18 | 首都圏地区

先日は失礼しました。山陰の旅に戻りましょう。


2日目の模様はこちら


サンライズ瀬戸のBソロで一夜を明かし、2010年12月20日(月)の朝となりました。接続列車遅れの関係で岡山駅を13分遅れで発車しましたが、余裕のあるダイヤ設定なので、定刻7時8分に東京駅9番線に到着。終着放送の録音に成功。



ラッシュアワーをかわすため、速攻で京浜東北線630B(E233系106編成)に乗り継いで赤羽駅へ。1時間ほど滞在して駅前のかつやで朝食。


「青春18」に日付印を入れた後、5,6番線の発車メロディーを其々録音し、8時47分発の快速アーバン(3921M=211系A27編成+C6編成)に乗車。結構混雑していたので、東京からの旅行帰りの女の子と相席。鴻巣までは順調でしたが、熊谷に着くと止まってしまいました。この先の踏切で車が立ち往生したため。


25分ほど抑止を食らった後、ようやく籠原へ。それでも前5両(A27編成)を切り離し、終点・高崎には28分遅れの10時43分に到着。当初は上越線内の改築駅を巡る予定でしたが、吾妻線に変更します。



速攻で10時49分発の531M(115系T1032編成)に乗車。群馬総社を出ると右手に赤城山を望みます。正に、「一村一山 上越線」です。


 
3分遅れの11時36分に小野上駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線+引込線2本の構内です。背後には砕石場が広がっており、ホキが多数停泊しています。



駅舎内部の様子。ちょっとした待合ベンチに券売機。以前の駅舎には駅員が居たようです(近年に無人化)。



それでは駅舎撮影。平成19年3月改築のお洒落な駅舎です。トイレは右手にあります。背景には急峻な山が迫ります。


少し早いですが、徒歩3分の所にある「どざん子」にて、ラーメンと餃子で昼食。店はあまりキレイとはいえませんでしたが。それにしても、この日の群馬県はポカポカ陽気でした。



昼食終了後、交差点を渡って吾妻川を眺めてきました。エメラルドグリーンの水を湛えています。遥か上流でダム建設が進められようとしているかと思えば、何とも複雑な気分です。



2度目の歯磨きすると、もう時間となりました。屋根の無い跨線橋を上り、12時24分発の532M(115系T1022編成)に乗車。交換列車遅れの関係で、3分遅れで発車。



渋川からは、上越線735M(115系T1041編成)~同1741M(115系S6編成+S11編成)~信越本線447M(115系N2編成+L12編成)と乗り継いで新津に帰還しました。後閑までは晴れでしたが、新清水トンネルを越えると曇ってきて積雪も出てきました。ただ、スキー出来るほどではなかったが。17時15分に新津駅に到着。


以上で「2010年冬・山陰の旅」は終わります。今回の旅は、境線の全駅を踏破したり、ゲゲゲの鬼太郎の聖地を巡ったりと、誠に収穫の多いものとなりました。今年度一杯で退役となるA300-600Rの搭乗も果たしました。しかしながら、木次線は極めて衝撃的なローカル線でした。今年中にまた乗りたいな。


2010年冬・山陰の旅   おわり


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8連いなほ(2011年2月)

2011-02-27 00:23:32 | 新潟の鉄道

 ここで1つ、「いなほ」関連の話題をします。
 2011年2月にも「8連いなほ」が走りました。15日~16日、22日~23日、25日~26日に実施され、いずれも「いなほ9号」で酒田に行き、翌日の「いなほ4号」で帰る行路でした。新潟大学の2次試験も関係しましたが、詳しい要因は謎です。尚、対象編成は、盆と正月に引き続いてR22編成でした。私の知る限りでは、2月13日の「北越9号」で運用を終えた後、MM’3086ユニットが組まれたようです。
 それでは、2月26日の「いなほ4号」の模様を御覧下さい。いずれも新発田駅で撮影しました。



「いなほ4号」は、3分遅れの8時31分に2番線に到着。元旦の8号と同様に、スッキリとした姿で。8連とは知らない自由席の客は、慌てて新潟方に移動しました。



同後追い。昨晩の雪が残っている他は、全く前回と同じですね。このR22編成は新潟に到着した後、早々に新潟車両センターに入庫しました。


 この冬の「8連いなほ」はこれで終了です。尚、8連のR22編成は、3月9日~12日の集約臨まで運行予定です。その後、元に戻ると思います。この日の運用の後、すぐにMM’3086ユニットが抜かれて元に戻りました(2011年2月28日補足 当日の「いなほ12号」で確認)。3月12日のダイヤ改正で、「雷鳥」が完全廃止され、九州地区から485系が撤退します。青森の「白鳥」と共に485系の最後の牙城として、「北越」「いなほ」は一段と注目を集めることでしょう。


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2010年冬・山陰の旅(その12)

2011-02-26 00:04:20 | 山陰線


今回の旅行の白眉である水木しげる記念館に入ります。障害者手帳を持っていたので、300円で入ることが出来ました(一般料金は700円)。


前半部分は撮影禁止なのでUPしません。ですが、水木しげるの仕事場や妖怪が40体もある洞窟もあって大変興味深かったです。



妖怪庭園の様子。至る所に妖怪が棲んでいる日本庭園です。京極夏彦氏がプロデュースしました。ここからは撮影OKです。



2Fに上がると、水木しげるの「妖怪道五十三次」が展示されていました。



別のスペースには、村井夫妻の座る昭和30年代の茶の間が再現されていました。



最後の間は「いこいの広場」。著名人のサインが多数あり、有志の作による妖怪作品が3体展示されていました。



水木しげる記念館を見終えた後、再び水木しげるロードを歩きます。帰りもブロンズ像を記録しながら。


 大正川に架かる橋の袂に鬼太郎。



千代むすびを購入した後、水木しげる顕彰碑へ。彼の左腕がないのは、太平洋戦争によるものなのです。なまけ者になりなさい??


出発までもう少し時間があるので、駅前の海鮮丼屋で少し早い夕食。漬け丼を食べましたが、めちゃ美味かったです。具はマグロとぶりだと思われます。



境港駅前の村井夫妻でゲゲゲ観光を締め括ります。フラッシュ撮影もありますが、17時に近付くとさすがに暗くなってきました。



17時5分を過ぎると、ようやく改札が開かれました。まずは妖怪駅名標。境港駅は「鬼太郎駅」です。妖怪駅名の大トリというべきか、起点というべきか。



申し遅れましたが、境港駅の構内は、頭端式の1面2線です。17時20分発の1654K(キハ126-14+キハ126-1014)に乗車し、いよいよ帰路に就きました。



18時6分に米子駅(ねずみ男駅)0番乗り場に到着。お茶PETを購入した後、18時24分発の伯備線830M(115系G05編成)に乗車して鳥取県に別れを告げました。東山公園を出ると、1人で第九コンサート。上菅を出ると、金鳳で打ち上げ。



新見での乗り換え時間には、Xmasイルミネーションを鑑賞。本当に華やかですが、駅前には人気がありません。その後、20時52分発の864M(213系C09編成)に乗車して岡山に出た後、サンライズ瀬戸(285系I1編成+I5編成)で一夜を明かしました。今回はBソロに入ったので、携帯の充電が出来ました。


3日目の模様はこちら

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2010年冬・山陰の旅(その11)

2011-02-23 23:24:23 | 山陰線

境線1647Kは、15時11分に馬場崎町駅に到着。



まずは構内から。片面ホーム1面のみで、これまた境線最狭のホームです。



次に駅名標。馬場崎町駅は「キジムナー駅」です。キジムナーは沖縄地方の妖怪で、遠野におけるざしきわらしと同様に居なくなると家が没落するといわれています。



県道42号のガード下に下りました。入口には券売機と自販機があります。境港駅には学生時代に1回下車したことがあるので、これにより境線全駅下車達成



調査終了後、水木しげるロードを目指して歩きます。出発して5分、「山陰鉄道発祥之地」の碑を発見。山陰地方に初めて鉄道が開通したのは明治35年11月1日のことで、ここ境港から米子を経て御来屋に至る区間でした。60周年に当たる昭和37年11月1日に、この碑は建立されました。現在ではもっと延伸されていますが、開業当時はここに「境駅」がありました。



線路から離れて住宅地を抜け、千代むすびの交差点を左折すれば、「水木しげるロード」。みなとさかい交流館が見えれば、そろそろ境港駅です。



15時32分に境港駅に到着。平成7年3月に、灯台をイメージした駅舎に改築されています。



駅前には「しげる先生勉強中」のモニュメント。「ゲゲゲの女房」でもこのシーンが登場しましたね。



ついでに駅舎に入ります。境線唯一の有人駅で、窓口営業時間は7:10~18:15です。



ホームに入れないので、再び「水木しげるロード」を歩きます。駅を出て数分、「鬼太郎の塔」を発見。



道路を挟んだ向かいには蔵元・千代むすび。後日、本醸造を飲みましたが、これまで経験した中でベスト10に入るくらい飲みやすい日本酒でした。



最初の交差点の角には妖怪広場。河童の泉であり、水木しげるの漫画・「河童の三平」の主人公である三平や幼少時の鬼太郎の小便小僧など9体のブロンズ像が置かれ、4箇所から霧が噴出す仕掛けがあるそうです。



沿道の至る所にはブロンズ像が並んでいます。これは「ろくろくび」。



「ろくろくび」の近くにある妖怪神社。御神体は黒御影石と樹齢300年のケヤキが組み合わされており、鳥居は一反木綿をデザインしているそうです。この時間でも観光客が多く混雑していたので、撮影だけして素通り。


「水木しげるロード」を更に突き進み、スタンプを集めつつブロンズ像を楽しみます。








 魔女の花子



サラリーマン山田。このあたりからアーケードに入ります。





アーケードを進んでいくと、水木しげる記念館。折角なので、入りましょう。


つづく

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2010年冬・山陰の旅(その10)

2011-02-21 22:37:25 | 山陰線

昨日は失礼致しました。そろそろ、境線駅巡りに戻りましょう。


13時33分に中浜駅に到着。



それでは周辺散策。線路の西側は畑地です。相変わらず葱畑が多いです。



再び踏切を渡り、東側の住宅地へ。みかんが庭木として栽培されており、改めて山陰地方が温暖なんだなと認識しました。尚、付近には龍泉寺があります。


入線音を録音し、14時1分発の1645K(キハ47 2019+キハ40 2115)に乗車して3駅進みます。尚、境線で山陰標準タイプの入線音が流れる駅は、確認した限りでは、中浜駅の他には米子空港駅だけです。



14時8分に上道駅に到着。片面ホーム1面のみの構内で、ホームは広めです。この日確認した妖怪列車は「ねずみ男車両」と「ネコ娘車両」でした。その他には「鬼太郎車両」と「目玉おやじ車両」が在籍していますが、この日はお休みだったようです。それとも、山陰線で運用??



まずは駅名標を撮影。上道駅は「一反木綿駅」です。



駅全体像を。吹きさらしの待合所に長い木製ベンチがあるだけで、入口には乗車駅証明書発行機があります。ホームは割と長めです。



それでは周辺散策。畑を抜けると、境港市民体育館と文化ホールがあります。



美保関半島の山々が間近に迫り、日本海が近いことを実感します。最果ての雰囲気は言い過ぎでしょうか。


駅の東側に高校があるので、駅に戻るとベンチは部活帰りの高校生で一杯。14時25分発の1648K(キハ40 2115+キハ47 2019)に乗車し、1639K車内で出会った女性2人組と再会しました。境港をたっぷり堪能されたようで、ゲゲゲグッズをしこたま携えられてました。



14時30分に高松町駅に到着。片面ホーム1面のみの構内ですが、駅裏が杉林で暗いです。



駅名標を撮影。高松町駅は「すねこすり駅」です。境線最狭のホームなので、これがせいぜいです。



それでは駅全体像を。米子方に吹きさらしの待合ブースが設けられているだけで、駅舎はありません。階段を下りたところに乗車駅証明書発行機があります。



調査終了後、踏切を渡って駅裏にある高松宮神社へ。ここで境線全駅下車達成を誓ってきました。



西に進みと、美保関半島の山々を望む畑地に出ました。白菜とかキャベツとか栽培されていますが、果たして大雪の前に収穫したのだろうか。



再び踏切を渡って幹線道路を横断し、閑静な住宅地を東に進みます。夢みなと公園へは徒歩20分くらい(約2.5km)です。


ある程度進んだところで駅に戻り、15時3分発の1647K(キハ47 2094+キハ40 2004)に乗車して境線全駅下車達成の地へ。さすがにこの時間だと観光に出る客が少なくなり、やっとボックス独占を果たしました。


つづく


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489系はくたか 長岡折り返し

2011-02-20 20:07:12 | 新潟の鉄道
 境線駅巡りの途中ですが、ここで「はくたか」関連の話題をお伝えします。
 本日(2011年2月20日)は、上越線内で雪の影響によりEF64形電気機関車がパンタグラフ損傷により立ち往生し、長岡~越後湯沢間で長時間にわたり運転を見合わせました。よって、「はくたか」は3号から14号まで長岡発着へと変更されました。その上、「はくたか7号」には489系H01編成が登板し、これまたビッグサプライズとなりました。波動用にたった1編成だけ在籍している489系が長岡に来るいうことで、新潟で「いなほ」を見ていた私は、急遽信越本線436Mにて出撃と相成りました。
 では、長岡での「489系はくたか」の記録を御覧下さい。



12時24分に長岡駅に到着すると、「はくたか7号」は既に到着し、3番線に停車していました。「臨時」ではなくて絵入りです 私にとって何年ぶりかの「489系はくたか」でした。尚、折り返しとなる「はくたか10号」は、13時5分の発車予定です。



4号車の方向表示幕。皮肉にも、「はくたか 越後湯沢」となっていました。サロ489形も本当にレアになりましたね。


 クハ489-501。連結器が剥き出し。



クハ489-1。連結器カバーが赤です。キノコ形クーラーといい、今時なかなか見ることが出来ないレア物が盛りだくさんです。



最後に、4番線に停車中の115系L5編成との並び。その後、折り返しの439Mで新潟に戻りました。


 この「489系はくたか」金沢に到着した後、「はくたか21号」として折り返していきました。「はくたか」や「サンダーバード」等が489系で運用されるのは、車両不足などで止むを得ない時であり、狙っていたからといって見れるものではありません。681・683系とは速度種別が異なるので、乗客にとっては本来の新幹線に乗り継げない等の影響が生じます。しかし、本当に頭を痛めているのは、JR西日本金沢支社の車両運用担当者でしょう。いや、もっと頭が痛いのは北越急行さんです。
 最後に、情報を下さった皆様のおかげで、「489系はくたか」を取材することが出来ました。ありがとうございました。


コメント (3)
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2010年冬・山陰の旅(その9)

2011-02-18 00:03:15 | 山陰線


米子空港駅では1時間の滞在。連絡通路を歩き、米子鬼太郎空港を訪問。土産物を買った後、展望デッキ(無料!)にて玄米ブランで昼食。天気がよくてラッキーでした。



その目的というのはJA8394。この頃新潟空港に飛来しなくなったA320で、ANA816便としての折り返しです。全日空のA320の退役も徐々に進んでいるので、記録はお早めに。



12時43分にプッシュバックしたので、離陸を待つことなく撤収することに。米子鬼太郎空港は、大山が間近に見えるスポットでした。



何とか駅に戻り、12時58分発の1643K(キハ40 2094+キハ47 2004)に乗車しました。あ、言い忘れましたけど、この駅の手前で大きくカーブしているのは、米子空港の滑走路が2500mに延長されたためです。



13時6分に余子駅に到着。片面ホーム1面のみの構内ですが、ホームは広いです。



まずは、駅名標を撮影。余子駅は「こなきじじい駅」です。



それでは駅舎撮影。昭和53年3月30日築の、和田浜駅と同系のコンクリート駅舎です。



続いて駅舎内部の様子。入口に券売機があり、左手に木製ベンチが張り巡らされた待合室があります。



折角なので、道路を挟んだ向かいにある餘子神社を訪問し、旅の安全を祈願してきました。尚、境港総合技術高校までは850mです。


駅に戻ると、待合室は部活帰りの高校生で一杯。13時28分発の1646K(キハ47 2004+キハ40 2094)で2駅返しました。



13時33分に中浜駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。米子空港の滑走路延長工事に伴い大篠津駅が棒線化されました(6月に廃止)。その代わり、当駅は平成20年3月15日より交換可能駅となっています。



続いて駅名標を撮影。中浜駅は「牛鬼駅」です。牛鬼といえば、宇和島地方の祭りに登場しますけどね。ま、境線には北海道や東北地方の妖怪が登場しているし。



スロープを下り、駅入口に出ました。入口に券売機と自販機があるだけで、駅舎はありません。下りホームへは更に構内踏切を渡る形となります。



50mほど米子方に歩くと、待合所兼水洗トイレがあります。ここで2度目の歯磨きしました。


それでは周辺を歩きましょう。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問


 

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2010年冬・山陰の旅(その8)

2011-02-16 00:03:27 | 山陰線

それでは駅舎撮影。階段を下りて駅前広場に出ると、乗車駅証明書発行機があり、そして可愛らしい待合室があります。ホーム上にも待合スペースがあるので、案外列車を待つには申し分ないロケーションです。


大篠津町駅はもともと御崎口駅でした。米子空港の滑走路延長工事に伴いルートが大きく迂回されたことで、平成20年6月に大篠津駅が廃止されました。「大篠津」の名が消えることを残念がった地元民の声により、同時期に「御崎口駅」は現在の駅名に改称されています。



駅前には体育館があり、それに隣接して「いなかフードセンター」があります。



踏切を渡ると、ひたすら和田浜駅に向かって幹線道路を南下します。序盤は葱畑が続きます。



中盤に差し掛かる頃、生コンの工場が現れてきます。和田浜工業団地の北端に入ったようです。



歩道が切れると、踏切を渡って葱畑の中の農道に逃れます。皮肉にも、これから和田浜工業団地の核心に入るところでした。



11時29分に和田浜駅に到着。大篠津町駅を出て25分後でした。駅前は古い住宅地です。



それでは駅舎撮影。昭和53年3月30日築のコンクリート駅舎です。境線には駅舎のある駅の割合が低いので、この駅舎にも感謝しなければです。



駅舎内部の様子。通路には券売機があり、左手には広い待合室があります。開業当初から無人駅だったようです。少し早く着いたので、Tully's coffeeでブレイク。



続いて駅名標を撮影。和田浜駅は「つちころび駅」です。



上り列車を利用して構内を撮影。片面ホーム1面のみの構内ですが、ホームは広いです。



最後に駅裏の様子を。葱畑の向こうには工場群が広がっています。


11時52分発の1641K(キハ47 2019+キハ40 2115)に乗車して米子空港駅へ。これまで以上に混雑しており座れませんでした。



11時58分に米子空港駅に到着。片面ホーム1面のみの構内ですが、ホームは狭いです。



次に駅名標を。米子空港駅は「べとべとさん駅」です。以前は廃止された大篠津駅が名乗っていました。この駅名標自体、大篠津駅で使用されていたに違いありません。



駅舎に入ります。広い待合室に水洗トイレ。木材がふんだんに使用されています。ただ、券売機などの類はないようです。



それでは駅舎撮影。米子空港駅は、大篠津駅を800m移転して開業する形で平成20年6月15日に開業されていますが、この待合室は平成21年4月に設置されています。


折角なので、米子鬼太郎空港に行きますか。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問
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2010年冬・山陰の旅(その7)

2011-02-13 12:50:28 | 山陰線

昨日は失礼致しました。それでは、境線駅巡りに戻りましょう。


国道9号沿いのローソンで用を足し、9時35分発の1637K(キハ47 2019+キハ40 2115)に乗車して富士見町駅を後にします。この列車からは観光客で賑わってきました。



9時44分に河崎口駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



駅名標を撮影。河崎口駅は「傘化け駅」です。背景は住宅地と畑です。



踏切を渡って交通安全地蔵尊のところから駅舎撮影。昭和51年10月15日築の木造の待合所のみの無人駅です。待合所の中には券売機もあります。



再び駅に戻ることなく、弓ヶ浜駅まで歩きます。校地の脇を通過した後は、ひたすら線路沿いの小道を進みます。葱畑が多いです。



踏切を渡り少し大きい道路に出ると、住宅や工場などが並ぶ一帯になり、少し賑やかになりました。今日の山陰地方は何ていい天気なんでしょう。この年末年始に大雪に見舞われたことが嘘みたいです。



夜見駐在所の交差点を左折して住宅地に入り、更に右折して葱畑の中を進みます。米川という人工河川がつくられたおかげで、この弓ヶ浜は不毛の大地から農地へと変貌し、現在に至っています。


T字路を左折すると、弓ヶ浜駅に到着しました。河崎口駅をからの所要時間は38分でした。



それでは駅舎撮影。大正6年7月31日築の木造駅舎が健在ですが、近年になって無人化されて半分化されたに違いありません。結論から先に申し上げますが、境線の木造駅舎は当駅だけです。



次に、内部の様子。狭いながらも待合ベンチが張り巡らされており、券売機もあります。また、左手にはトイレがあり、ようやくこの日最初の歯磨きを果たします。



ホームに出て駅名標を撮影。弓ヶ浜駅は「あずきあらい駅」です。十分な立ちスペースがあるので撮りやすかったです。



構内踏切を渡り、2番乗り場に出ました。弓ヶ浜駅は境線では数少ない交換可能駅の1つで、対面式ホームの2面2線の構内です。この「ねずみ男列車」と交換した1639K(キハ40 2094+キハ47 2004)に乗車して境港方面に進みます。可也混雑していたので、女性2人組の脇に座らせてもらいました。きっとゲゲゲ観光してくるでしょう。



10時55分に大篠津町駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



駅名標を撮影。大篠津町駅は「砂かけばばあ駅」です。ホームが非常に狭いのでこれが限界です。


それでは駅舎撮影といきますか。


つづく

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越後線白山駅 改築

2011-02-12 19:29:00 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

 境線の駅巡りの途中ですが、ここで白山駅の駅舎改築レポートをお伝えします。2010年11月7日に「越後線白山駅 橋上化」という表題でUPしましたが、表題からして重大な欠陥があったということで、本日改めてUP致します。この場を借りて、御覧の皆様にはご迷惑をおかけしましたことを心からお詫びいたします。

 白山駅は、新潟から越後線に乗ると最初に停まる駅で、もともとは越後線の終着駅でした。付近には高校を3つ抱えており、その上大学・短大や理容美容専門学校もあり、学生の利用が多い駅です。また、駅裏にはがんセンターを抱えています。
 平成20年秋から新潟駅の高架化に先立って白山駅付近で工事が進められており、それに伴って白山駅は半地下駅化されることになり、がんセンターと自由通路で結ばれることになります。その上、構内は、島式の1面2線から2面3線へと拡張されます。全体完成は平成25年3月の予定です。
 
 それでは、白山駅の変貌の様子をお伝えします。



 
 まずは、9月23日の白山駅構内。下り列車の停止位置が駅舎の目の前にありました。改札へは地下道をくぐる形となっていました。


 
 次に駅舎。コンクリートの平屋建ての駅舎です。ある程度の広さの待合室がありますが、利用客の割にはちょっと手狭かな。


 
 駅舎から50mほど西にある医院の近くでは、跨線橋の工事が進められていました。白山駅で大きな変化が起きようとしています。


 
 例の跨線橋をがんセンター側から。大分出来てきましたね。


 
 再び列車に乗る前に改札前を。地下道の脇では何か工事が進んでいますね。


 10月30日からは白山駅での停止位置が変更となり、いよいよ改築工事が本格化しました。


 
 9月23日時点で工事中だった跨線橋はこの日に共用を開始し、下り口の付近が下り列車の停止位置となりました。停止位置が60mほど西に行った形となり、仮ホームも設けられました。(11月3日)


 
 跨線橋を下りた後、改札までは長い回廊を歩く形となりました。利用客にとっては不便ですが、新駅舎完成までの辛抱です。(11月3日)

 
  
 

 
 
 ようやく改札前に出ました。左の地下道は閉鎖されました。トイレは利用できます。(上が11月3日、下が2月12日)


 
 旧ホームは、一旦一部分だけ取り壊されました。駅機能部分の工事でしょうね。(2月12日)

 
  新ホームの新潟方先端部分。(2月12日) 

 
 
 最後に、案内図と時刻表。自由通路が地下道となり、それに直結してみどりの窓口や待合室などもつくられます。完成すれば、旧駅舎や仮跨線橋は撤去されます。どこかの私鉄駅に見られるような2面3線の構内になるようです。(2月12日)


 レポートは以上です。平成25年春には、常磐線の十王駅を都会っぽくした姿になるのでしょうか。

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