クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

陸羽東線全駅下車への道・第2回(その7)

2009-10-31 15:20:50 | 東北本線&烏山線

これまでの模様はこちら


2009年8月30日(日)。古川駅を出発した後、陸前谷地、北浦の両駅に足を記し、8時58分に小牛田駅に到着。9時13分発の東北本線1538M(701系F2-508編成+F2-506編成)に乗り継いで仙台方面へ。


 
9時21分に鹿島台駅に到着。前回訪問時は塗装工事中で足場が組まれていたので、今回はそのリベンジということで。



「仙台・宮城ディスティネーションキャンペーン」から1年近くが経過し、緑屋根と白壁の綺麗な姿になりました。とはいえ、明治25年3月開業時からの木造駅舎が未だに健在で、内装も東北本線全駅下車達成時と何ら変わっておらず安心しました。



駅舎撮影後、駅前の県道をひたすら南下。とある民家の軒先に向日葵とコスモスが同時に咲いているのを見つけました。ようやく夏が来たと思ったらもう初秋ですか。今年の夏は余りにも短かったね。



駅舎に戻って少し休んだ後、今度は北へ。5分くらい歩くと、鎌田三之助像。1909年に鹿島台村長となり、質素倹約を旨として自ら手本となって鹿島台地域の礎を築きました。破れた帽子を被り古びた上着につぎはぎのズボン、脚絆にわらじばき。いつしか村民たちから親しみを込めて「わらじ村長」と呼ばれるようになりました。



この銅像の隣には、威厳ある鹿島台小学校の校門。水防の苦労を後世に伝えようとして、鎌田自身が昭和5年に建てたものです。勿論、教育遺産ではなく、現役の校門として使用されています。


ギリギリまで鹿島台散策を楽しんだ後、10時9分発の526M(701系F4-16編成+F2-19編成)に乗車して仙台へ。



仙台からは「快速シティーラビット2号」(E721系P17編成+P2編成)に乗車。白石~福島間で昼食タイム。


福島にて2138Mに乗り換え。「701系F2-22編成+F2-23編成+F2-104編成」の6連で、可也混雑してました。13時8分に郡山駅に到着。この列車は、後ろ4両を切り離し2両編成で黒磯へ向かいました。東京方面に向かってなくてよかった。



発メロを2本録音し、13時45分発の磐越西線3235Mに乗車。719系H16編成のみの2連で、猪苗代までは立ち客多数の混雑。途中の駅や信号場にて、あかべぇ編成の「あいづ」や583系「あいづライナー」と行き違い。撮りたかったな~。14時55分に会津若松駅に到着。



発メロを2本録音し、15時25分発の「SLばんえつ物語」で新津へ。津川駅の変貌振りは既述の通りということで。


18時35分に新津駅に帰還。カメラのキタムラで写真をつくる余裕が出来ました。予め不在者投票を済ませてるので良しとしよう。翌日からは6連続勤務だ~。


陸羽東線全駅下車への道・第2回   おわり


参考サイト  さいきの駅舎訪問

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陸羽東線全駅下車への道・第2回(その6)

2009-10-28 19:51:19 | 南東北地区
2009年8月30日(日)の朝となりました。衆議院議員選挙の投票日です。6時50分に起床。本日は、陸羽東線内の数駅を巡り、東北本線、磐越西線経由で新津に帰るだけです。



窓からふと外を見ると、そこは古川駅の構内。御覧の皆様はお分かりだと思いますが、東北新幹線の駅の1つで、在来線は1面2線です。


どうも眠気が取れませんが、お握りとパンの朝食をとって7時50分頃にチェックアウト。「青春18」に日付印を入れ、8時5分発の1726D(キハ110-242+キハ110-244)で出発。



古川駅西口。周辺は飲食店などが多数。仙台まで東北道経由の高速バスが多数出ています。鉄道よりリーズナブル且つ便利で、利用率は上々です。



8時9分に陸前谷地駅に到着。片面ホーム1面の無人駅です。



駅舎(ていうか待合室)。地面より少し高いところにあります。駅前はビニルハウスや果樹園が多いですが、周辺は一面のササニシキ。



開駅記念碑。昭和35年の開業以来、現在に至るまで風雨にさらされ解読しずらくなっています。一度、特掃が必要ですね。



僅かな時間を利用して駅裏に出ると、下り列車がやってきました。平日のこの時間帯は古川へ通う高校生の通学ラッシュで、この5725Dもキハ110の4連です。



8時25分発の5722Dで次なる駅へ。朝ラッシュ輸送の折り返しで、「キハ40 572+キハ40 573+キハ48 552+キハ48 1544」の長大編成です。



8時28分に北浦駅に到着。交換可能駅で、島式ホームの1面2線です。尚、駅裏は休耕田です。



構内踏切を渡って駅舎に出ました。昭和58年11月22日築の簡易駅舎で無人駅です(自動券売機あり)。トイレは右側にあります。



駅前の公民館は改装中でしたが、投票所の1つとなっており車の出入りが引っ切り無し。



公民館は西側でしたが、東側には石造りの農業用倉庫。恵庭市で見たものと同タイプのものがここでも見られたのでです。


再訪したい駅があるので、8時52分発の1728D(キハ112-221+キハ111-221)に乗車して小牛田に向かいました。


続きはこちら
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陸羽東線全駅下車への道・第2回(その5)

2009-10-25 18:32:08 | 南東北地区
堺田にて封人の家や分水嶺公園を観光した後、16時29分発の733D(キハ111-217+キハ112-217)に乗車します。



16時35分に赤倉温泉駅に到着。行き違い設備が撤去されて棒線駅となりました。



駅名標。「リゾートみのり」が停車するとのことで、このように写真付になっています。



「子育て応援温泉 赤倉温泉」の暖簾をくぐって駅舎に出ました。やや不安定な形状の駅舎。大きな待合スペース(畳)がありますが、駅員は配置されておりません。トイレは右側。


この駅は開業時には「富沢」を名乗っていましたが、昭和23年11月には「羽前赤倉」となり、平成9年3月22日には「赤倉温泉」に改称されています。



駅前の様子。個人商店が立ち並んでいます。「赤倉温泉」の案内板が出ていますが、温泉街までは2.3km離れています。道も工事中なのですぐに引き返し、酒屋で初孫カップを買っただけ。



わずか20分の滞在で、16時55分発の730D(キハ112-218+キハ111-218)に乗車。


 17時15分に鳴子温泉駅に到着。



改札をくぐり駅舎へ。平成3年末改築の鉄筋2階建てで、KIOSKやレンタカー扱所付などが入っています。窓口営業時間は6:20~19:20です。



半円形状の「喜観舎」。開業当初はコンサートが行なわれたそうですが、硫黄泉の硫黄分で機器がダメになったそうで、現在では待合所に。廊下には鳴子の名産(こけしなど)が並んでいます。



鳴子温泉に途中下車したら、当然温泉に入ります。でもその前に、温泉神社に行ってきます。


 
石段を登りつめ本殿に近付くと「こけし歌碑」。字体が独特で解読しずらいです。



ほどなく本殿。旅の安全を誓ってきました。右の絵馬は合格祈願がほとんど。


 
祈願したら元の所に戻ります。気付かなかったけど、入口の所に『鳴子温泉小唄』の歌碑がありました。



今度こそ「滝乃湯」でこの日2度目の入浴。入浴料は100円。休憩所もなければシャワーもなく、まるで江戸時代の公衆浴場さながらです


温泉街の蕎麦屋で夕食をとり、足湯を2箇所ハシゴ。夕食時間待ちの温泉宿の宿泊客も居て、鳴子温泉に定着してきた感じです。その後、19時3分発の1746D(キハ110-239+キハ110-245)に乗車。


19時48分に古川駅に到着。この日は東横イン古川駅新幹線口で一泊します。


つづく


参考文献  種村直樹『駅の旅 その1』
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陸羽東線全駅下車への道・第2回(その4)

2009-10-22 22:31:17 | 南東北地区
「しんとろの湯」で肌がすべすべになった後、728Dと1738Dを乗り継いで14時11分に川渡温泉駅に降り立ちました。



駅舎の中へ。外壁を取り囲むようにベンチが取り付けられており、左側(西側)にはトイレがあります。駅員は配置されておらず、そのスペースすらありません。写真は時刻表ですが、「リゾートみのり」を含めて上下16本ずつ停車します。鳴子温泉以西と比べて全然多いです。



いよいよ駅舎撮影。昭和58年11月12日築のコンクリート築の駅舎です。写っていませんが、右側には温泉旅館が何軒も載っています。



36分の滞在時間を利用して周辺散策。駅前には小ぢんまりとした土産物屋が1軒ありますが、周囲は御覧のような住宅地。川渡温泉は駅から西へ2kmくらいの所にあり、での訪問客は送迎バスを利用するのが一般的です。


14時47分発の1733D(キハ110-237+キハ110-243)で川渡温泉を後にします。2分くらい遅れていましたが、鳴子温泉駅で731D(キハ111-218+キハ112-218)に乗り継いで県境の駅を目指します。



15時15分に堺田駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっています。



使われなくなったホームには「分水嶺」の標識。標高は338mです。



いよいよ駅舎。昭和58年11月12日築のコンクリートの待合室で、駅員は居ません。



続いて時刻表。上下9本ずつで、同一方向で空白時間が3時間になることも。74分の滞在時間を利用して周辺を観光してきます。



坂を上ってR47まで出、右折して間もなく、「封人の家」に到着。昭和44年12月に復元された旧有部家住宅でもあり、入館料は250円です。芭蕉と曽良が大雨で3日間滞在した所で、館内には姫神の音楽が延々と流れていました。裏手の方に芭蕉の有名な「蚤風 馬の尿する 枕もと」という句碑がありましたが、撮り忘れました



一通り見た後、分水嶺公園へ下ります。その途中に蓮園を通過しました。いわば「天上の楽園」というべきか。



東屋で少し休憩し、分水嶺公園に到着。このようなモニュメントが立っており、最上町が整備した公園だなと感じました。


 これが肝心の分水嶺。



公園を見終わった後、再び列車に乗るべく「山峡の道」の掲示を見て駅に下ります。


つづく
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陸羽東線全駅下車への道・第2回(その3)

2009-10-19 20:51:20 | 南東北地区
立小路駅から最上駅まで歩いた後、12時ちょうど発の726Dに乗車して峠越え。



12時21分に中山平温泉駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっています。



続いて駅名標。紅葉の名所である鳴子峡は、この駅から1.5kmの所にあります。陸羽東線一の絶景ポイントとしても有名です。



いよいよ駅舎。昭和58年9月22日築の、コンクリート製の簡易駅舎で無人駅です。瀬見温泉駅もそうですが、平成20年9月に「仙台・宮城DC」に伴って和風に改装されました。かつて線路があったところに建てられています。



かつて貨物用側線だった所にC58 356が保存されており、「新緑の鳴子峡へ」の横断幕が掲出されています。しかし、塗装が剥げまくっており、あまり状態は良くありませんね。



待合室には、テーブルと椅子が数セット設けられています。これは掲示板ですが、左右の絵画の間には「しんとろの湯」のことがいっぱい。これはもう、行くしかありません。(始めから予定してたけど)



駅から10分強歩くと、間欠泉の湧き出る所に辿り着きました。「しんとろの湯」はその向かいです。


逆光のため撮影は見合わせましたが、目的の共同浴場に入ります。入浴料は400円。タオルがサービスでないのが仕方ないところですが、「うなぎの湯」といわれているらしくて入ると肌がスベスベに。体が火照った所で、全駅下車へのプランニングを再構築など。



駅に戻ってくると、待合室はおば様方で一杯。ということで、桜の木の下で休憩。因みに、この桜の木は陸羽東線中山平駅開業記念樹だそうで、既に風格が出ています。


マイクロバスから降りてきた1人の若者と共に、13時51分発の728D(キハ112-218+キハ111-218)に乗車しました。



13時57分に鳴子温泉駅に到着。ここで1738D(右の列車=キハ112-219+キハ111-219)に乗り換え。先に紹介しますが、鳴子温泉駅は始発終着列車が多く、2面3線の構内を有しています。



14時11分に川渡温泉駅に到着。交換可能駅で、島式ホームの1面2線の構内です。外れには保線用車両が止まっています。



続いて駅名板です。川渡温泉近くの江合川の風景だろうけど、4月中旬~下旬頃だろうか、美しいですね。


それでは、構内踏切を渡って駅舎に入りましょう。


つづく
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陸羽東線全駅下車への道・第2回(その2)

2009-10-15 22:57:49 | 南東北地区
新潟からは、夜行の「Weライナー」を利用して仙台入りし、「ホリデーパス」を購入し、6時10分発の仙山線の1番列車に乗車。2つの途中下車を挟んで、8時25分に羽前千歳駅に到着。19分後の奥羽本線1427M(719系Y1編成)に乗り換えて新庄へ。ロングシートに座り、終始睡眠不足を補う形に


9時47分に新庄駅に到着。10時ちょうど発の4734D(キハ110-243+キハ110-237)に乗り継いで陸羽東線の駅巡りを再開します。(←これのために夜行の「Weライナー」を使ったのさ)


 10時39分に立小路駅に到着。



まずは駅全体の様子。片面ホームと待合室(トイレ付き)の無人駅です。



今回は待合室内部をお見せします。何人も座れるようにベンチが設けられ、公衆電話も付いています。古めかしい看板もスパイスを利かせています。



駅にあった名所の看板。徒歩10分の所に才の神(塞の神)があるそうです。



最後に駅裏の様子。小牛田方に向けて撮影しましたが、水田の向こうに寺院があります。



ダイヤの都合上、最上駅まで駅間徒歩を敢行。ルート上の殆どがR47でしたが、沿線は山の麓の水田地帯です。


セブンイレブンで食料を調達し、踏切を渡って市街地を通れば、最上駅に到着。所要時間は49分でした。駅舎を撮影した後、昼食タイム。



最上町の中心駅で、昭和57年12月改築の向町公民館と一体となった駅です。公民館との併設駅第1号です。平成11年12月を以って「羽前向町」から現駅名に改称されています。委託ながらも駅員が配置されており、窓口営業時間は6:20(土休日は7:40)~17:00です。館内には、9月6日の最上祭りのポスターが貼られていました。



駅裏の看板には、最上町出身のオリンピックの出場者やインカレの優勝者が誇らしげに掲げられています。



時間が近付いてきたので、構内踏切を渡ってホームに上がります。すると、新庄行きの「リゾートみのり」が先に到着。最上駅は、陸羽東線の西半分(新庄~鳴子温泉)の唯一の交換可能駅で、必ずといっていいほど交換シーンが展開されます。



そして、12時ちょうど発の726D(キハ112-216+キハ111-216)がやってきて、私は中山平温泉駅へと向かいました。


つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問
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陸羽東線全駅下車への道・第2回(その1)

2009-10-13 22:39:02 | 南東北地区
お待たせしました。これより、8月29日(土)~30日(日)の乗り継ぎ旅行をお伝えします。28日夕方に「Weライナー」の指定を取り、「青春18」の最後の1回分と「小さな旅・ホリデーパス」を利用する形となりました。


2009年8月28日(金)。家を22時34分頃に出て少しヤバ目でしたが、何とか新津駅に到着し、22時51分発の信越本線463M(115系N24編成)に乗車。新潟駅で「ムーンライトえちご」を見た後、23時45分発の「Weライナー」(宮城200か11-54)で車中泊。昨年乗ったときは全く寝付けませんでしたが、今回は、菊水純米酒を飲んだ後に眠りに入りました。

気がついたら広瀬通で、5時15分に仙台駅東口に到着。降り立ったらでした。速攻で駅舎内に入り、ホリデーパスを買った後に朝マック。


自動改札をくぐり、6時10分発の仙山線821M(719系H25編成+H22編成)に乗車。コーヒーを飲み足したものの、始発放送を聴くと速攻で爆睡




眠い目をこすりながら、6時42分に陸前白沢駅に途中下車。交換可能駅で対面式ホームを有し、両者は構内踏切で結ばれています。



1番線に出て駅舎に出ました。平成11年3月22日築の、北白川駅と同様の簡易駅舎をもつ無人駅です。中には自動券売機があった気がします。トイレはありません。


私の他にもう1人下車した人が居ましたが、とりあえず周辺を巡ってきます。駅前通を1分ほど歩くとR48。山の麓の駅ですが、周辺は住宅でびっしりです。下車して10分経った頃から雨が強くなり、たまらず駅に戻りました。



軒下でひたすら雨をしのぎ、7時17分発の2833M(E721系P2編成+P17編成+P26編成)に乗車。



7時26分に終点・作並駅に到着。構内は2面3線で、1番線と2,3番線は構内踏切で結ばれています。作並温泉の玄関口で上屋が和風です。



駅舎に出ました。平成20年3月26日にリニューアルオープンした和風駅舎です。窓口があるにはありますが、観光案内所というだけで営業時間が9:15~16:30に過ぎず、この時間は無人駅でした。利用客の殆どが予め出発駅で切符を購入してしまうので、売り上げが見込めないこの駅は無人駅になってしまうのでしょう。しかし、3km離れた温泉街からは次々とマイクロバスが到着します…。



作並駅は、温泉の玄関口というだけでなく、「交流電化発祥の地」です。昭和29年9月に作並機関区が設けられ、1年半にわたり交流電化の試験が実施されました。



作並駅滞在は思った以上に慌しく、7時52分発の823M(E721系P8編成+P30編成)でお別れです。別れ際こそは歓迎のこけしと絡めて。

仙山トンネルを抜けると、天気はからへ。どうも不安定な空模様です。



8時25分に羽前千歳駅に到着。ここで仙山線から奥羽本線(山形線)に乗り換え。島式ホームの1面2線ですが、左右で軌間が異なり両路線とも交換できません。この駅は跨線橋と待合室のみの無人駅で、駅舎というものがありません。


つづく
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2009年新津車両製作所公開&にいつ鉄道まつり

2009-10-11 20:05:46 | 新潟の鉄道
 昨日のことになりますが、今年も新津車両製作所の公開が行なわれました。昨年と同じく、トラバーサー体験乗車、ミニ電車乗車、吹奏楽の演奏、電車ができる過程の公開、車体のクレーン移動の公開、台車の展示などが行なわれました。



今回も公開された東京ディズニーリゾート・ドリームクルーザー。今年はハロウィン仕様でした。(昨年もそうだったっけ)



工場の外に目を転じてみると、保線用台車が展示されていました。今年は、他の車両の展示はないようです。



このイベントの目玉は、矢張り新車の体験乗車。今年は、E231系171編成がフル編成でしようされました。



というわけで、私も体験乗車してきました。車窓からは、線路点検車の体験乗車が繰り広げられました。


171編成までは完成していることが明らかなので、残る未落成編成は16編成以下です。京浜東北線のE233系については、新津車両製作所は59%しか受け持っていないので、このペースで製造が進んでいけば、あと4ヶ月以内には京浜東北線はE233系に統一される見込みです。青帯の209系はいよいよカウントダウンに入ってきました。



今年は、「SLにいつ鉄道まつり号」が運行されました。会津若松を8時58分に発車し、新津には13時5分に到着しました。HM無しでしたが、しっかり門デフ仕様!



新津駅前広場に転じてみると、新津小唄の演奏など大々的にイベントが実施されていました。写真はその1つ、HMの公開です。その他のブースでは、様々な特産品が販売されました。新津バーガーは、越後もちぶたのしゃぶしゃぶが入っており美味でした。



駅舎内部に転ずれば、歴代のSLばんえつ物語号のHMが展示されました。


 今年は、「新潟ディスティネーションキャンペーン」が実施中ということも有って、新津での鉄道イベントは例年とは一味違います。後日紹介する予定ですが、改札内でも米の展示もありました。今秋の新潟は、ひときわ熱いぞ。
 次回からは、「陸羽東線全駅下車への道・第2回」を公開する予定です。
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陸羽東線全駅下車への道・第1回(その4)

2009-10-09 21:23:35 | 南東北地区

16時31分に瀬見温泉駅に到着。もともと島式ホームの1面2線でしたが、交換設備が撤去されて山側のホームには柵が張り巡らされています。



駅名標。「リゾートみのり」も停車し、景色のいい温泉地です。



構内踏切を渡って駅舎に出ました。昭和58年11月22日築のコンクリート駅舎で、平成20年9月に和風に改装されています。観光パンフレットが所狭しと並べられていますが、無人駅です。



許された時間で周辺散策してきます。駅から温泉へつながる道には、名所や旅館名を掲げた灯篭がずらり。木の根元には向日葵が咲いており、夏らしさを感じます。



6分ほど歩いて義経弁慶の硯石に到着。北の方が出産した亀若丸を命名した際、弁慶が近くの岩を利用して墨を擦ってたといわれています。確かに硯に使えそうな形ですね。小国川と緑豊かな山々との組み合わせがいいですね。


温泉街までもうちょっとですが、なにせ滞在時間が26分しかないので駅に戻ります。日帰り入浴施設が無いながらも他にも名所があるので、津谷駅訪問をやめて「新庄~南新庄」の駅間徒歩するなど、もう一工夫すれば良かったかな。この次は、絶対に観光(入浴)しようと。



後ろ髪を引かれつつも、16時57分発の733D(キハ111-213+キハ112-213)に乗車し、今回の陸羽東線の駅巡りは終了。


17時18分に新庄駅に到着。例によって急行食堂に入り、天国ラーメンで夕食にします。テレビでは高校野球がやっていました。今年は日本文理が準優勝という快挙を成し遂げましたが、高校野球をほとんど観てないです。



駅に戻ると、701系5000番台と400系の並び!右側のL4編成は今年の9月に廃車されました。第1回に登場したL3編成が廃車となれば、400系は形式消滅です。


18時26分発の167D(キハ111-219+キハ112-219)に乗車して黄昏の陸羽西線を走破。余目からの羽越本線230Dは「キハ47 1512+キハ40 584+キハ47 1511+キハ47 514」の4連で勿体無いくらいでした。


鶴岡で途中下車してだだちゃ豆アイスで休憩した後、834D(キハ47 1516+キハ40 560+キハ40 582)で村上へ。乗客の大半は東京方面に向かう「18きっぱー」。村上からは952M(115系N1編成+N19編成)で新潟へ。女性車掌が乗務し、始発終着放送を録音。



新潟から新津までは、敢えて「ムーンライトえちご」を利用(勿論、指定券をもって)。485系K1編成で予約率は100%。急病人騒ぎで7分遅れの23時42分に新潟駅を発車し、新津駅に帰還したのは23時55分でした。


陸羽東線全駅下車への道・第1回  おわり


参考サイト  弱冷。
        さいきの駅舎訪問
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陸羽東線全駅下車への道・第1回(その3)

2009-10-06 22:37:16 | 南東北地区

踏切を渡って一山越え、再び小国川沿いに出ました。お盆なので太公望の姿も。鮎釣りが解禁ではないのにいいのかな?


集落に入って二叉路を直進すると、もう長沢駅にゴールイン。東長沢駅から歩いてわずか41分でした。



昭和58年11月22日築の駅舎で無人駅です。汲み取り式ながらもトイレが併設し、待合室や公衆電話もあります。「長沢」という地名は、「長沢監物祐種」という楯主の名に由来するそうです。



駅前の日本庭園。「停車場や 知るも知らぬも春の顔」という句碑も立っています。



「リゾートみのり」の通過に合わせて構内を撮影。少し分かりにくいですが、交換設備が撤去されて片面ホーム1面のみとなっています。全駅下車達成の時は是非乗りたいです。


駅前の民家では宴会がたけなわで、春日部ナンバー(だったっけ)の車が止まっていました。ほどなく撤収し、Uターンしたようです。東北道があの渋滞ですから、何時に帰られたのでしょうか?



なおも時間があるので、坂道を下りてみました。長沢駅は山の上にあるんですね。



懲りずにまた小国川を渡ります。上流側に向けて撮影しましたが、下流で砂防ダムがあるせいか流れが緩やかに見えます。下流の河川敷では盆踊りの準備が進んでいました。


15時49分発の731D(キハ110-237+キハ110-243)に乗車し、ようやく長沢の缶詰から解放されました。


 
15時56分に南新庄駅に到着。降りたのは私1人だけだったような。



昭和35年12月築の待合所のみの無人駅です。水洗トイレが近くにあります。駅前は国道13号で、住宅が立ち並んでいます。駅裏は防風林。



南新庄駅は、陸羽東線と奥羽本線(山形新幹線)が併走する区間にあり、片面ホームは陸羽東線のみです。Uターン期間に当たるこの日は「つばさ90号」が運転され、偶然にもポケモン新幹線が充当されました。



南新庄駅で見つけた標識を1つ。要するに、併走していますが全く違う路線ですということ。軌間も違うし。


16時14分発の730D(キハ110-243+キハ110-237)に乗車し、この日最後の下車駅へと向かいました。


つづく
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