クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2009年GWの旅(その7)~津山線全駅下車達成~

2009-05-28 19:30:51 | 姫新線&岡山地区
2926Dに乗車して4分後の12時1分、玉柏駅にて早くも途中下車。



明治31年12月築の木造駅舎が健在ですが、平成10年3月にコンパクト化されています。無人化されており、窓口ブースもありません。(但し、自動券売機あり)


調査を始めて間もなく、自転車に乗った爺ちゃんがワンカップを浴びながら駅舎に遊びに来たので、たまらず周辺散策開始。



1つ津山方の踏切から見た駅構内。交換可能駅で対面式ホームを有し、両者は構内踏切で結ばれています。周辺は、田園風景が広がっています。


12時22分発の950D(キハ120 335+キハ120 355)に乗車して玉柏を後にしました。㈱カバヤの工場を見て、12時37分に野々口駅に到着。ようやく桃太郎祭寿司にて昼食タイム。



昼食終了後、ようやく調査タイム。平成10年頃改築の木造駅舎ですが、駅員も居なければ窓口もありません。(乗車証明書発行機あり)


野々口駅での滞在時間は30分で、そのうち昼食に15分費やして残り時間は15分。駅前通を往復して終わりでしたが、周辺は山間の閑静な住宅街です。某女性演歌歌手のコンサートのポスターがあったし。



時間が近付き駅構内に入ります。申し遅れましたが、この駅も交換可能駅で対面式ホームを有しています。駅名板周辺のツツジがちょうど満開でした。乗客が多数集まり、13時7分発の2927D(キハ47 1038+キハ47 44)に乗車して、津山線全駅下車達成の地へ。



13時14分に牧山駅に到着。もともと信号場として設置された駅で、対面式ホームの交換可能駅となっており、両者は屋根無しの跨線橋で結ばれています。



牧山駅は、駅員の配置も無ければ駅舎というものが無く、両ホームとも待合所となっています。脇に乗車駅証明書発行機あり。入口に駅名を示すものが無く、外からでは分からないですね。これにて津山線全駅下車達成



35分の滞在時間を利用して、沈下橋を渡って旭川の雄大な流れを体感してきました。これは岡山方の光景。


 津山方には小舟が停泊してます。



 
橋の向こうは長閑な田園風景が広がっていました。「桃源郷」は言い過ぎでしょうか。



再び橋を渡って牧山駅に戻ります。あ、言い忘れましたが、これは歩行者専用橋です。増水した時には絶対に渡らないで下さい。


急速に倦怠感に襲われましたが、13時49分発の953D(キハ120 329+キハ120 334)にて岡山に戻りました。


続きはこちら


参考サイト  さいきの駅舎訪問
コメント (2)
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2009年GWの旅(その6)

2009-05-25 19:27:50 | 姫新線&岡山地区
先日は突発的に「8連いなほ」の模様をレポートしましたが、ここからは岡山旅行の続きをお伝えします。



改札を抜けて駅舎に出ました。多少リフォームされていますが、明治42年1月築の木造駅舎が健在です。駅舎脇の藤の花がいいですね。みどりの窓口も設けられており、営業時間は7:10~18:35(休憩7回)です。



福渡での滞在時間は25分ですが、古くからの商店街を抜けて、旭川の畔まで行ってきました。「平成の大合併」により、このあたり(旧建部町)も岡山市に編入されています。しかも、岡山市が政令指定都市になった関係で、岡山駅と同じ北区に属しています。どうせ政令指定都市になるのなら、もう少し区割りを考えた方が良かったのではないか。



時間が近付き、駅構内に入ります。申し遅れましたが、福渡駅は、津山線内の駅で唯一、2面3線の構内を有し、改札内にはトイレが2箇所もあります。


10時23分発の快速3935D(キハ47 1004+キハ47 19)にて金川駅に南下します。いい感じの乗車率で、結婚式で岡山へ行くという女性と相席させてもらいました。それにしても、建部~金川間は快速で9分ほど要します。



10時36分に金川駅に到着。交換可能駅で対面式ホームを有しており、両者は跨線橋で結ばれています。



平成17年2月改築のコンクリート駅舎です。駅舎の向かいが 置き場となっており最も撮り難い駅舎とされていますが、この時は奇跡的にも立ち位置が空いており、のようにスッキリ収められました。みどりの窓口があり、営業時間は7:15~18:30(休み8回)です。



少ない時間ながらも周辺散策。線路に沿って北に進むと、見事なあやめ&ツツジの組み合わせ。もう少し歩いたところにあるグランマートで甘酒2本を購入した後、11時3分発の951D(キハ47 1038+キハ47 44)にて金川を後にしました。



牧山駅で交換した快速列車の遅延の関係で、3分遅れの11時36分に備前原駅に到着。ホーム1面のみの無人駅です。



スロープを下りて駅舎撮影。昭和48年10月築の待合所があるだけで駅舎はありません。隣接するトイレが大正8年10月築なので、昔は木造駅舎が建っていたに違いありません。



周辺は、半田山の麓の閑静な住宅街です。アパートも多いことから、岡山大生(自宅外)のねぐらにもなっていると思われます。アニモ ミュージアム(有森裕子資料館)の最寄り駅となっていますが、滞在時間が短くて場所が分からないため断念。



11時57分発の2926D(キハ47 44+キハ47 1038)にて1駅折り返しました。数少ない福渡ゆきなので、余裕で座れました。


つづく
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2009年上半期の8連いなほ(追加報告)

2009-05-23 22:35:54 | 新潟の鉄道
 2009年4月30日の記事で「GWにて上半期の8連いなほ」が終了とお伝えしましたが、5月の第4週にも設定されました。日時は20日~21日と23日~24日で、いずれも「いなほ9号」~「いなほ4号」の運用です。対象編成は、GW明けに全般検査を終えたばかりのR21編成でした。では、5月23日の「いなほ9号」(新潟駅)の模様をお伝えします。



「いなほ9号」となったR21編成(3086ユニット付き)は、17時12分頃に6番線に入線しました。最初は黒でしたが、しばらくして所定のLEDが点灯しました。奥には信越本線1352Mの後編成となったN24編成が見えますが、この列車は16時49分には5番線に入線しています。



今度は前から。前編成となったS10編成と並んでいます。1352Mの発車は17時21分頃なので、それまでこの並びが見られました。



S10編成+N24編成が発車し、ようやく編成全体を収めるチャンスが巡ってきました。出場して1ヶ月も経っていないので、スカートが鮮やかな青色です。外板もきれい



信越本線2238Dに乗り込む者、白新線661Mを待つ者の波をかぎ分け、急ぎ足で最後尾へ。7番線には白新線942Mが到着しています。



編成全体が見れたのはほんの束の間で、17時24分過ぎにはもう白新線661M(E127系V11編成+V10編成)が白山方から入線してきました。



E127系との並びはほんの1,2分だけで、定刻17時26分に新潟駅を発車しました。


この「8連いなほ」の運転は『鉄道ダイヤ情報6月号』を読んで初めて知りましたが、多分、修学旅行輸送の関連ではないかと思います。花火大会関連輸送にてお盆の「8連いなほ」の編成が決定されると思いますが、油断は禁物ですね。
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2009年GWの旅(その5)

2009-05-21 21:58:46 | 姫新線&岡山地区
2009年5月4日の朝となりました。6:50に起床。岡山県内はです。7:10頃に朝食をとれたので、部屋で少しくつろいでも余裕でした。



8時6分発の944D(キハ47 19+キハ47 1004)で津山線駅巡りを再開します。昨日は23時半に床に入り、何時もより1時間余計寝ましたが、かなり眠いです



8時55分に今回の旅の最大の目玉・建部駅に到着しました。交換可能駅で対面式ホームを有します。



3年ほど前に修復されたようですが、明治33年築の駅舎が現役です。嘉例川駅が原型をとどめた木造駅舎として知名度が全国区ですが、こちらの方は1年「先輩」です。基礎は花崗岩、沓石は浅星霜を経て足下まで光ります。切妻屋根こそセメント瓦葺ですが、外部の腰壁は堅羽目板張で、壁は白漆喰塗です。



建部駅の駅舎は、平成18年3月3日に国指定 登録有形文化財・第33-103号に指定されて解体を免れています。尚、当駅は、委託ながらも駅員が配置されています。




駅舎入口からホームを望む。明治ないし大正時代へタイムスリップしたような錯覚を覚えます。また、手書きの駅名板も最高の雰囲気を醸し出しています


建部駅も嘉例川駅もこれほど素晴しい木造駅舎が保存されていますが、その要因として、私は何れも駅裏に山が迫っている立地条件で且つ、管理する人が居ることにあると思うのです。信越本線の矢代田駅や北陸本線の高月駅のように駅裏にも宅地化が進展していれば、今頃は解体されて橋上化になっているでしょう。



国宝級駅舎への想いを胸に、ようやく周辺散策に出かけます。歩くこと十数分、旭川の雄大な流れを渡りました。国道側は広い河川敷です。



なかよし交差点で折り返し、再び旭川を渡ります。往路では気づかなかった、見事なまでの藤の花に出会いました



橋の付近の八幡神社で津山線全駅下車達成を誓い、再び建部駅に入ります。列車に乗る前に、重要文化財の駅舎をホーム側から俯瞰します。なかなか面白い形状でしょう。



9時53分発の946Dで福渡駅へ。わずか5分の乗車でしたが、キハ40 2133の単行で可也混雑していました。他の列車は大抵2両なのに、なぜ946Dだけ単行なのでしょうか?午前中の岡山→津山の需要がそれだけ小さいからでしょうか。朝ラッシュ時に岡山方面へ集中的に輸送する運用が組まれているとはいえ、何とか2連にならないのでしょうか、JR西日本岡山支社さん。


つづく
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2009年GWの旅(その4)

2009-05-18 22:11:59 | 姫新線&岡山地区


駅を出て3分くらいで誕生寺川を渡り、満開のツツジ並木の続く堤防を散策します。いかにも日本の山里といった光景の中、ちょうど津山線の快速列車が通過して最高の絵になりました。



駅に戻って、今度は自転車置き場の脇の白ツツジ。田植えが終わった直後の水田と絡まり、これまたいい絵になりました。左側は工場です。


決して綺麗とはいえない水洗トイレで本日最初の歯磨きした後、16時34分発の954D(キハ47 18+キハ47 1036)にて1駅折り返しました。



16時40分に弓削駅に到着。交換可能駅で対面式ホームを有し、両者は跨線橋で結ばれています。



改札を抜けて駅舎に出ました。リニューアルこそされていますが、明治31年12月の開業時からの木造駅舎が今尚現役です。委託ながらも駅員が配置されています。



今度は、トイレを含めた駅全体です。このあたりには河童伝説があるようで、駅前広場には河童のキャラクターがいくつも見られます。


駅から北方向に数分歩き、マルナカにて本日の夕食の買出し。その後、17時7分発の959D(キハ120 341+キハ120 338)にて岡山方面へ下りました。部活帰りの高校生を含めて可也高い乗車率で、管理栄養士を目指すと思われる女子大生と相席させてもらいました。そろそろ疲れが出た頃で、独特の走行音で眠気が襲ってきました



撮影可能と判断し、18時9分に法界院駅に途中下車。交換可能駅で、1面2線の構内を有し、学生の利用が多いためかホームは可也広めです。



跨線橋を渡って駅舎に出ました。財産票では「明治41年8月」となってますが、以前よりはコンパクト化されています。2001年2月に初めて下車しましたが工事中だったので、その頃に規模を縮小したのかもしれません。窓口営業時間は、7:10~18:30(休憩7回)です。撮影条件は、「1/45sec  F8.0」。


初訪問当時の佇まいの駅前通りを北上し、ローソンにてサラダを購入した後、岡山大学へ向けて進めます。出てすぐの所に岡北中学校があり、ちょうど遠征試合を終えて帰るところでした。



岡山県青年会館の交差点を左折し、アパートの並ぶ通りを暫くやりすごすと、岡山大学津島キャンパス
GWで学生達の多くが帰省したり自宅に居たりする中、サークル活動をする輩も居ました。大学を去って4年目になった私にとっては、どことなく懐かしさを感じます。


あたりがすっかり暗くなり、法界院始発の18時46分発の2989D(キハ47 3001+キハ47 64)にて岡山駅へ。「桃太郎」の入線メロを録音した後、東横イン岡山駅西口広場にチャックインしました。


つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問

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2009年GWの旅(その3)

2009-05-16 16:26:01 | 姫新線&岡山地区

待合所に戻って一休みした後、今度は西側へ歩きます。すると、木材販売店が並ぶ一帯があり、㈱津山木材の経営するボウリング場まであります。美作地域は、付近の山々から産出される杉に「美作杉」というブランドが付与されており、木材加工所が多いですね。


木の匂いを味わって駅に戻り、14時26分発の955Dに乗車。946D、948Dで運用された気動車も一堂に会しており、津山線最長編成というべき4連(キハ40 2133+キハ40 2134+キハ47 1038+キハ47 44)です。しかし、わずか10分の乗車で亀甲駅に到着しました。



亀の形を模した駅舎で有名な駅です。平成7年8月竣工だそうです。目の部分に時計が付けられています。委託ながらも、この旅で訪問した最初の有人駅です。沖縄料理店「山原」が併設されているので、誕生寺の次の訪問駅にしてもよかったかな。



津山線の上り最後の交換可能駅で、対面式ホームを有しており、両者は跨線橋で結ばれています。駅舎だけではなく飾り物も亀尽くしで、本物のも飼っているようです。



駅舎の北半分は広い待合所になっており、木がふんだんに使われています。そこで目にしたのはこのポスターです。2008年に津山線が中国鉄道として全線開通して110周年を迎えています。



滞在時間が53分あることから周辺散策します。駅前道路を真っ直ぐ行くと、美咲町役場にぶち当たります。



古くからの町並みを酒屋の所まで南下した後、駅前に戻ってそのまま北上すると、亀を意識した建造物が目に入りました。これはコミュニティーセンターとトイレのようです。



付近に「亀甲岩」があるようですが、見つけられずに終わりました。このキハ120系2連(952D)と交換した957D(キハ48 5+キハ48 6)に乗車して亀尽くしの町を後にしました。



15時47分に神目駅に到着。もともと交換設備がありましたが、現在は撤去されて棒線駅となっています。津山線最狭のホームです。



出入り口の側戸からして、駅名表示が無ければどこかの民家と間違えそうな佇まいです。平成10年3月築の和風駅舎です。しかし、無人化されており、窓口はシャッターが下りています。駅舎は高台にあり、急な階段か南側に伸びているスロープで出入りする形になります。


滞在時間が47分あることから、まずは誕生寺川を目指して周辺散策にします。


つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問
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2009年GWの旅(その2)

2009-05-13 23:14:12 | 姫新線&岡山地区

滞在時間を目一杯使って誕生寺を訪問し、男子高校生と共に、11時35分発の948D(キハ47 44+キハ47 1038)に乗車して津山方面へ向かいます。



11時51分に佐良山駅に到着。片面ホームと待合所(昭和43年3月築)の無人駅です。列車が去った後、岡山駅で購入した魚々三昧で昼食タイム。



敷地から1歩踏み出すと、八重桜の絨毯 言葉にならぬほど美しいです。尚、左手の建物はトイレ(昭和58年3月築)です。



佐良山での滞在時間は60分。例によって周辺散策します。駅前道路沿いには純日本的な集落が形成されていましたが…。


踏切を越えてR53上に出ると様相は一変し、都会的な光景に変化してローソンもありました。付近にはうどん屋もあったので、分かってさえいればわざわざ高額な寿司を買わなくて済んだのに。尚、津山方に行くと、右派系とおぼしき企業があり、その中に海軍資料館があります。


一汗かいた後、12時51分発の953D(キハ120 341+キハ120 338)で2駅引き返しました。



13時ちょうどに小原駅に到着。佐良山駅と同じタイプの棒線駅で、無人駅です。線路の向こうには葡萄畑が広がっており、品種は岡山県の特産品ともいえるピオーネです。



階段を下りて地上へ。佐良山とは異なり駅名を示すものがありません。尚、待合所は昭和31年9月築、トイレは昭和58年3月築です。


駅前には潰れかかった商店がありR53に面しますが、周辺は田園地帯です。19分の滞在の後、950D(キハ120 355+キハ120 337)にて津山の1つ前の駅へ。



13時33分に津山口駅に到着。かつては中国鉄道の津山駅で、2面3線以上の構内だったと思われますが、現在はこのように棒線駅となっています。左の新興住宅地は、かつての鉄道施設の跡だったに違いありません。



列車が去った後に駅舎撮影。待合所は昭和49年3月築ですが、背景以外は先ほどの2駅と同タイプの無人駅です。



先ほどの待合所を少し下がった位置で。満開のツツジの木を挟んで、推定20台程度停められるP&Rが形成されています。というのはウソで、駅西方にある団地の住民用の駐車スペースです。


滞在時間が53分あることから、古くからの住宅街が広がる駅前道路を東の方向に進みます。5、6分歩くと姫新線の踏切を越え、しばらくするとR53にぶち当たり、ちょうど1年前の姫新線駅巡りを思い起こさせる光景が広がってきました。吉井川を越えれば、あの時の院庄駅へのルート上の交差点にぶち当たりますが、さすがに引き返しました。


つづく

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2009年GWの旅(その1)

2009-05-10 19:01:06 | 姫新線&岡山地区

 「土休日 ETC車 高速料金1000円制」がスタートして最初の大型連休となった2009年5月初頭。高速道路を利用して、遠方にドライブされた方も多かったのではないでしょうか。私はというと、5月2日の夜から6日にかけて、鉄道で岡山方面に行ってきました。複数のカテゴリーを跨ぎますが、これから岡山の旅の模様を全14回(予定)にわたって紹介します。



極めて気分のすぐれない状態で、新津23時10分発の「急行きたぐに」(583系B6編成)で出発。今回は、B寝台下段を選択したので着替えも楽でした。矢張りと言うべきか、この日の予約率は寝台・グリーン車とも100%でした。



新大阪到着後、7時発の「こだま735号」(100系K53編成)に乗り継いで岡山へ。指定は×でしたが、自由席は喫煙車に乗ったせいかがらがら。前回乗車時とは異なり、新大阪発車時にちゃんと「いい日旅立ち」が流れました。



8時8分に岡山駅に到着。折角なので、21~24番乗り場の発車ベルをそれぞれ録音し、「のぞみ6号」(500系W1編成)を見てきました。500系は他系列に比べてキャパシティーが小さく、「500系のぞみ」は1日2往復に過ぎず、近いうちに消滅する運命にあります。記録はお早めに。2010年2月28日限りでの運転終了が決まっています(2009.11.17追記)。


「こだま737号」(500系V2編成)をも記録し、9時11分発の津山線946Dに乗車してようやく駅巡り開始。キハ40 2134の単行で、墓参りに行くと思われる親子連れの横に座らせてもらいました。



10時16分に誕生寺駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっています。



和風建築の駅舎です。駅員は配置されていませんが、乗車券は向かいの河島商店で購入できます。



滞在時間を79分確保したので、1km歩いて誕生寺を訪問しました。法然上人の出生寺ということで「誕生寺」と名づけられています。



家の宗教は浄土宗ではないですが、本堂に来たら取りあえずお参り。御影堂ともいい、元禄8年(1695年)の再建だそうです。



左手に行くと、どこかの民家のような奥の院(浄土院)。六角堂の向こうには山々が広がっており遊歩道もありますが、現在は倒木の危険があるとのことで立入禁止。



再び本堂前を通過した後、法然の産湯の井戸へ。現在は飲用不可となっています。



更に奥に行き、笛吹川歌碑公園へ。今日は憲法記念日ということで、この先の民家では家族連れが遊んでいる長閑な光景が広がりました。



次の駅を訪問する前に娑婆塔を訪問。GWの花はやっぱりツツジですね。


つづく

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2009年春の青春18・最後の1回(その5)

2009-05-07 19:37:04 | 首都圏地区

桐生駅での9分停車を経て、460Mは16時14分に岩宿駅に到着。



改札を出て駅舎撮影を果たし、両毛線全駅下車達成。昭和10年築の木造駅舎が健在で、委託ながらも駅員が配置されています。窓口営業時間は6:00~20:00です。



陸橋を渡り駅裏へ。付近には群馬県青果市場がありますが、ロータリーは工事中で大きな電気屋さんがあります。桐生競艇のアクセス駅だったんですね。



構内写真を求めて前橋方の陸橋を渡りました。千鳥配置ながらも2面3線の構内を有します。


旧石器時代の遺跡として社会科の教科書に登場する岩宿遺跡へのアクセス駅ですが、駅からは可也離れている上、列車の運行に影響を及ぼすほどの強風が吹き荒れて黄砂が目に入りまくるので、探索は最小限にとどめて駅舎に戻りました。


両毛線全駅下車は達成したとはいえ、未撮影の駅があと1駅あります。待合ベンチで腹ごしらえし、16時53分発の462M(107系R17編成+R18編成)にて岩宿を後にしました。尚、風規制の影響で下り列車が10分程度遅れており、我が462Mを5分ほど遅れて発車しました。尚、伊勢崎駅は高架化工事中ですが、あの洋館駅舎は何とか残っていました。



17時20分に前橋大島駅に到着。窓口などの駅機能は上階に集約されています。学生時代に訪問したことがありますが、当時は日没を過ぎており満足な写真が撮れなかったので、今回のプランに組み入れました。ちなみに、これは西口です。



両毛線で最も新しい駅(1999年3月12日開業)ということで、ホームは対面式です。



こんどは東口に出てきました。付近に家具会館があり、この橋上駅舎もそれにあやかって木目調になっています。



東口駅前の様子。木工関係に限らず複数の業種の工場が立ち並ぶ一帯です。


両毛線全駅完撮を果たし、17時44分発の464M(115系T1147編成)にて取りあえず高崎へ向かいます。何度も書きますが、折からの風規制の影響で前橋大島発で7分遅れ、更に前橋~新前橋間の利根川橋梁で徐行運転した関係で、高崎に着いたのは11分遅れの18時14分でした。


電光掲示板を見て、18時33分発の上越線747M(115系T1144編成)が間もなく入線とわかり、鶏めし弁当を調達した後に定石通りに在来線で帰ることにしました。この747Mは定刻に高崎駅を発車しましたが、新前橋駅にて両毛線からの接続をとり、更に渋川~敷島間の利根川鉄橋で減速運転し、14分遅れの19時51分に水上駅1番線に到着。2番線で長岡行きの8751M(越後中里から1751M)である115系N29編成が接続をとってくれており、最終便(1753M)に乗らずに済みました。


終点・長岡には定刻通りの21時49分に到着し、53分発の信越本線463Mに乗り継いで新津に帰還しました。115系N20編成+S12編成の5連でしたが、S12編成のトイレが故障で使用不可でした。


おわり

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