Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「犬を殺せば賞金」

2023年01月30日 | 社会
(2015年インドで震えていた仔犬)

アフガン・ハウンドを取り上げた日記に、ブロ友さんがこんな記事を見つけたとコメント下さいました。
NewsWeek先月号の”「犬を殺せば賞金」「公園散歩は犯罪」イスラム教で嫌われる犬たちに変化の時が”という記事。


それによると、パレスチナ自治区ヘブロンでは、市長が「犬を殺せば賞金を与える」と言い、犬が殺されたり虐待されたりする様子を収めた写真や動画がSNSで広く共有されたのだそうです。
イスラム教において犬は不浄で不吉な動物とされ、一般に忌み嫌われてきたからと。

(2014年ミュンヘン)

その根拠というのが、預言者ムハンマドが「狩猟や放牧に使われる犬を除き、全ての犬を殺すように命じた」とか「犬を飼う者は、農耕や放牧のための犬を除き、日々の善行から一部を差し引かれる」などといった犬についての伝承(ハディース)が数多くあるからだというのです。


(2015年インド)

インドネシアでは、モスクに犬を連れて土足で入った女性が冒瀆罪で起訴されたり、イランの首都テヘランでは、警察が公園での犬の散歩は犯罪になると発表したりと、もう訳が分からないイスラム圏の犬蔑視。
この記事の最後に、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)は「犬に優しい国」へと変貌を遂げており、サウジやドバイにドッグカフェがオープンしたりしたという記述がありましたが…
逆に言えば、それ以外のイスラム圏の国ではまだまだ犬は虐げられているのですね。


(2015年ギリシヤ)

色々な国を旅して犬を見てきました。
路上にウンチ箱まで設置してあるドイツやイギリス(地域によるようですが)、自由にその辺でゴロゴロしているギリシヤ。
痩せこけてゴミ捨て場を漁っていたインドの犬(人間の乞食が漁りつくした後で食べられるものなんて残ってないのに)は悲しかった。
それでも、イスラム圏の犬よりは幸せなようにように思います。


(2016年ニューヨークの犬連れホームレス)

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あたしを見くびらないで!「挑発する少女小説」

2023年01月29日 | 


19世紀後半から20世紀前半に書かれた人気少女小説9編を、21世紀の大人の視点から読み解こうとするもの。

著者に言わせると
シンデレラ物語を脱構築する『小公女』
異性愛至上主義に抵抗する『若草物語』
出稼ぎ少女に希望を与える『ハイジ』
生存をかけた就活小説だった『赤毛のアン』
社会変革への意思を秘めた『あしながおじさん』
肉体労働を通じて少女が少年を救う『秘密の花園』
父母の抑圧をラストで破る『大草原の小さな家』シリーズ
正攻法の冒険小説だった『ふたりのロッテ』
世界一強い女の子の孤独を描いた『長くつ下のピッピ』
ということになるらしい。

上の9編は、どれも子供の頃、夢中になって読みました。
例えば「赤毛のアン」のアンは、決して天然のお転婆少女なのではなく、小さい頃からみなしごとしての苦労によって、生きるためには何が必要で誰を味方にすべきかを敏感に察知し、その上での就活によって健康的で文化的な生活を営むための環境を自ら勝ち取った、したたかな策略家なのだと。
そこまで分析しなくても、どんな逆境にあってもへこたれず、明るく逞しく想像力によって人生を切り開いていったアンの能力を、子供なりに自然に納得していた気がします。
”少女小説は読者を挑発しているのです。子どもだからって、女だからって、あたしを見くびらないで!"
という著者の言葉が面白い。
そしてモンゴメリーの略歴紹介で、”36歳で長老派教会の牧師と結婚、二人の息子の出産後も旺盛な作家活動を続けるが、私生活では鬱病に悩み、2008年、死因は服毒死であったことが発表された”というくだりに驚きました。

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高貴な犬か不浄の畜生か

2023年01月27日 | 社会

街で見かけたワンコ、アフガン・ハウンド。
Wikiによれば、アフガニスタンを生まれ故郷とし、現在確認されている犬種の中で最も古い犬なのですって。
威厳のあるスタイルから、世界の富裕層から絶大な人気を誇る犬種なのだと。
でも以前読んだ「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」によれば、アフガンでは犬は不浄のものとされ、忌み嫌われ、著者が出会った犬(アフガン・マスティフ)も耳を切り落とされ、歯を叩き砕かれていた。
その犬を引取り、共に歩いたスコッチランド人の著者はそれだけで石を投げられたり、宿泊を断られたりするのです。
この優雅な姿と、その本に出てくる哀れな犬の姿が、どうにも結びつきません。

 
(Wikiより)

そして我家のタロウ。
以前はこのマットをベッドの横に敷いて、ベッドの飛び乗り、飛び降り用に使っていたのですが、今はソファの前に敷いています。
いいんだよタロウ、できないことが増えるのは仕方ないんだから…



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9歳の少年の夢「エンドロールのつづき」

2023年01月26日 | 映画

インド中西部グジャラート州の田舎で暮らす9歳の少年サマイは、学校に通いながら駅でチャイを売っている。父はカースト上位のバラモン出身で以前は裕福な牛飼いであったが、兄弟に騙し取られて没落した身の上。しかし気位は高く、映画を低俗なものとバカにしてるが、敬愛するカーリー神の映画は特別だと、ある日家族を連れて行く。サマイはすっかり映画に魅せられてしまい、学校どころではない。



サマイの住む貧しい家に驚きます。
電気もガスも水道も来ていない、無論風呂もトイレもない、壊れかけた掘っ立て小屋。
そこでしかし美しいサマイの母親は、土間の地面に様々な食材を並べて、竈で実に美味しそうな料理を作る。
その料理の美味しさに惹かれて、写映技師のファザルは、お弁当と引き換えにこっそりサマイを写映室に入れるのです。
普段は汚れた服で駅のホームに立ち、列車の乗客に父親が作ったチャイを売り続けるサマイ。
一体いつの時代の話?と思って観ていると、2010年の今、という言葉が出てきて驚きます。
確かに数年前に行ったインドでは、路上に裸足の乞食がわんさかいて、IT大国なんて何処の話?という感じでした。



インドでは今もカーストが絶対であるようなのに、サマイの父親は上位カースト出身であっても貧しい暮らしを余儀なくされ、地域でも軽視される存在である、そのことにもビックリ。
自分のような負け犬になって欲しくないと息子に立身出世を望み、サマイが映画館に入り浸っているのを見つけると問答無用に体罰を与えていた頑固な父親が、最後にどうやって彼を応援する気になったのか?
 
これはパン・ナリン監督の実話を基にした、自伝的作品であるそうです。
サマイと友人たちが何度もフィルムを盗み出すことも、監督の少年期の実話なのだとか。
映像の中には、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」やデヴィッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」など、数々の名作のオマージュが込められています。
監督・脚本・美術すべてパン・ナリン、世界5つの映画祭で観客賞を受賞。
歌も踊りもお祭りもない、全能の神も悪魔も出て来ない、ほんわかしたインド映画です。

公式HP 

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「ベルリンは晴れているか」

2023年01月24日 | 


1945年7月、ナチス・ドイツが戦争に敗れ、米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、17歳のドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅出つ。

本文が始まる前に、1945年の敗戦後のドイツの地図が出て来ます。
米ソ英仏4ヵ国の占領地域に色分けされたドイツを目の当たりにして、少々愕然とします。
戦後の荒廃した混乱期に、戦前戦中の少女アウグスステの成長の物語が挟まれる多重構成で、話は進みます。
戦後の地獄のような廃墟、ベルリンを襲う連合国の爆撃機、逃げ惑う市民、虐殺され、”移住”させられる異民族。

共産党員だった両親を殺され、自分を凌辱したソ連兵を銃殺し、息を潜めて生きて来た少女アウグステ、
容貌がユダヤ人そっくりで、ユダヤ人を貶めた笑いで生きて来たアーリア人俳優のカフカ、
ロマとユダヤ人の混血で、断種手術を施された浮浪児ヴァルター、
アーリア人の金持ちの家に生まれながらゲイで、”懲罰矯正キャンプ”に押し込められ、家を出た浮浪児ハンス。
様々な思惑から行動を共にすることになった4人をつけ狙う、ソ連のNKVD(内務人民委員部)大尉のドブリギン。

ユダヤ人の目から書いた戦中戦後のドイツの様子を書いた本は多少読んできましたが、
ドイツ人の目からのそれは初めてでした。
”ドイツ帝国内に存在するものには、なんでもかんでも党の鉤十字がついているーそれは本も例外ではない。どれも帝国文学院に合格した党のお墨付きで、ドイツ民族を讃える内容か、ユダヤ人や共産主義者を批判する話ばかりが本棚に並ぶ。シンデレラと王子は愛ではなく純血同士だから再び会えて幸せになれる、という結末の童話に変更された。例えば、戦争は怖くて悲惨だとか、自由な人生を自分の意思で進盲だとか、国境なく平等に人を愛そうだとか、そういった内容の本はすべて書店や図書館から撤去され、広場で燃やされた”
そんなのは始まりに過ぎなく、アウグステの隣家のダウン症の少女はある日突然連れて行かれ、後日死亡通知が届く。
アウグステの父親も連行されて殺され、母親は連行される直前に、拷問による自白を恐れて青酸カリを飲んで自害する。
戦前のドイツに展開する異民族へのいじめ、強制連行、凌辱、殺戮、近隣住民による密告、騙し合い、奪い合い。
それらは無論、戦禍が激しくなるにしたがって、更に凄惨を極めるのです。

アウグステにかけられた殺人疑惑、そのサスペンスも面白いが、私には詳細に書き込まれた社会背景の方が面白かった。
終章の、カフカがアウグステに送った手紙の一説。
”君はあの(ソ連の)赤軍の「ウラー!」って雄叫びを聞いたことがあるか?あれは凄いぞ、俺は市街戦の直前にあれを聞いたんだが、地鳴りみたいな声でさ。懲罰の話を聞いて、赤軍の奴らがどうしてあんなに死を覚悟してまで敵に突進してくるのか、なんとなく理解できた気がしたよ。逃亡は即処刑、敵を前に降参したら、問答無用で懲罰が待っているんだ”
「赤軍」を今の「ロシア軍」に置き換えても、そのまま通用するのでは?

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ミニの女王、マリー・クワント展

2023年01月22日 | お出かけ

デイジーの花のマーク(蕎麦ボーロにも見える)で知られる、イギリスを代表するファッションブランドのマリー・クワント。
その創設者であるマリー・クワントの軌跡をたどる、文化村での回顧展です。



1930年にウエールズ人の両親の元に生まれ、55年にロンドン、チェルシー地区に夫と共に店を開く。
58年頃からスカート丈を短くして『ミニスカート』として売り出したところ、大ヒットする。
ミニという名前は、クワント自身が大好きな英国車『Mini』から採用したのだそうです。
60年代に入ってからとびきり丈の短いホットパンツを考案し、それも世界中で流行する。



これらは撮影可であった展示物。
今見ても、古臭さを感じないところが凄い。
男性の為ではなく、女性自身の為に考案されたファッションは、当時どんなに熱狂的に迎え入れられたことかと思います。
実際のところ、顔が小さく手足が長い欧米の女性と違う体型の日本女性がミニスカートを履いても、似合う人ばかりではなかったのではないかとも思いますが…
ま、ファッションなんて自己満足の世界なんだし。


我家のマリー・クワント(数年前の写真)。



文化村のロビー・ラウンジでランチ。
ローストビーフと海老とスモークサーモンとチーズの彩りサラダ、釜揚げシラスとからすみとチーズサンドを友人とシェア。
しょっぱいサーモンの味は分かりましたが、ローストビーフやチーズの味はよく分からず。
気長に行きましょう。

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半分回復お祝いランチ

2023年01月20日 | グルメ

田園都市線沿線在住の私は都心に出る時、渋谷を通過することが多いのですが、地下鉄利用なのでJR渋谷駅のホームに出ることはあまりないのです。
今年になって再開発された山手線のホームに、初めて降り立ちました。
広い!
山手線の上下線が同じホーム化され、こんなに広くなっている。




しかし渋谷という街には、ヘンな奴がこんなにいっぱいいます(見出し画像)。
退屈することがないとも言えますが…


コロナ感染による私の味覚嗅覚障害は、ここに来て半分ほど回復したような気がします。
塩味も、濃い味、スパイスが効いたような味であれば、少し分かるようになってきました。
微妙な旨味の味わいはまだまだですが…
それでも、全然分からないよりはどんなにいいか。



六本木ヒルズけやき坂のラ・ブリアンツァで、半分回復お祝いランチ。
上から2番目がこちらのスペシャリテのトリュフのグラタン。
トリュフの匂いと味が以前ほどではないにしろ、少し分かったのに感動しました。
写真にはありませんが、こちらのコーヒーは濃いエスプレッソであるせいか、その味も分かって大喜び。

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「ペルシャン・レッスン」

2023年01月19日 | 映画

第二次大戦中ナチスに捕まったユダヤ人青年ジルは、自分はペルシャ人だと嘘をついて処刑を免れる。
ナチス将校のコッホ大尉は、終戦後に兄のいるテヘランで料理店を開くのが夢であり、ペルシア語を教えてくれる人間を探していた。
ジルは仕事の後に毎日コッホにペルシア語を教えることになるが、実はペルシア語をまったく知らないのだった。

まったく知らない言語をどうやって教えるというのか。
一日10語、ジルはでたらめな単語をコッホに教える。
言葉を作り出すことはそれほど大変ではないようだが、それをどうやって覚えておくというのか。
コッホは教えられた単語を紙に書き取るが、ジルは紙もペンも与えられていない。
嘘がバレればその場で殺される。
いつバレるのか、終始ハラハラドキドキで緊迫感が張り詰める。
実際に何度かバレかけて、ジルはその度に半殺しの目に遭っているのです。



出てくるナチス親衛隊がまあ、見事にイヤな奴ばかり。
収容所のユダヤ人たちを気晴らしに痛めつける、焼けた鉄板に手を押し付ける、半殺しにする、殺してしまう。
食うや食わずで重労働につくユダヤ人の前でパーティをする、不倫をする、密告し合う。

でたらめのペルシア語レッスンは何度か挫折しながらも続き、コッホは1500語もの単語を覚えたと誇らし気に語ります。
そしてジルとコッホが、架空のペルシア語でたどたどしく語り合うシーンさえあるのです。
ジルがどうやって膨大な単語を頭の中に刻み付けていたか、その謎が最後に明かされます。
ああそうだったのかと、ここは涙なしでは見られません。



実際の出来事からインスピレーションを受けた作品というクレジットが、最初に出ます。
「Erfindung einer Sprache(言語の発明)」という短編小説に基づいて作られたのだとか。
今までどれだけの数の戦争映画、ナチスの映画を観てきたか分かりません。
どれだけ残酷であっても、人類が二度とこんな蛮行を繰り返さない為の教訓として観て来たつもりであったのに、今世界で起きていることを思うと、なんともつらい。
この作品の監督はウクライナ出身のバディム・パールマン、2020年にロシア・ドイツ・ベラルーシ合作で作られたというのも、皮肉としか言いようがありません。

公式HP 

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代理母の迷い「燕は戻ってこない」

2023年01月17日 | 


「OUT」から25年、女性たちの困窮と憤怒を捉えつづける桐野夏生による、予言的ディストピアというキャッチコピーに惹かれて読んでみました。

29歳のリキは北海道の寒村の出身。故郷での介護職を辞めて上京したものの、学歴も美貌もコネもない彼女は非正規の職しか得られない。派遣で病院事務の仕事をするが、食べるのがようやく。高額の報酬に釣られて、代理母になる決意をするが…

冒頭、貧困女子の生活の様子が生々しく書かれています。
昼食は前日に割引セールで買ったコンビニのおにぎり、衣服やアクセサリーを買うなんて夢のまた夢、スタバのコーヒーを飲む余裕もない。
そんな生活に嫌気がさして、リキは元有名バレエダンサーの草桶の子供の代理母になる契約を交わす。
草桶は自分の遺伝子を持った子供を切望するが、妻は不妊治療をしても妊娠できない。
1千万という高額報酬で、リキは草桶の精子を人工授精して妊娠するのです。

しかしこの登場人物たちの、誰も好きになることができない。
リキは貧困生活を嘆きながらそれを打破する努力をする訳でもなし、金がないくせに男を買ったり、代理母の契約をしながらも、産むかどうするかずっと迷っている。
挙句の果ては、草桶の人工授精をした同時期に他の二人の男とセックスしたりする。
草桶はまた金持ちであるせいか上から目線もいいところで、その言動にいらっとさせられる。
草桶の妻も夫に振り回されながらずっと迷っているし、親友の変人りり子がまた無責任に引っ掻き回してくる。
誰にも感情移入できないところで、貧困、妊娠、出産、不妊、代理母といった現実が突きつけられる。

優柔不断でずっと迷い続けていたリキが最後に下した決断には、あり得ないと驚かされるものの、よくやった!と拍手をしたくもなります。
全てに自信がなく主体性がまるでなかった彼女が、初めてキッパリと大きな決断をしたのですから。
その先の不安は拭えないものの、母は強しと言うべきなのでしょうか。
しかし残念ながら、「OUT」ほどのインパクトはありませんでした。

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どんより曇り空の朝

2023年01月14日 | 社会

発症日から3週間弱、もう随分元気になりました。
が、まだ時にだるさを感じるし、疲れやすいような気がする。
私は咳は当初からそれほど酷くなかったのですが、忘れた頃に今でも時々出る。
味覚については、通常の3〜4割といったところか。
出汁の味が少しは分かるようになりましたが、例えばカツオ出汁と昆布出汁の違いがよく分からない。
匂いに至っては、黴取りハイターに鼻を近づけても、ほんの僅かにしか感じません。
私が好きな香水も、分厚いバスタオルでぐるぐる包んだ上から嗅いでいるような感じ。
ごく軽症、しかもとっくに治った筈なのにこんな後遺症が残るところが、コロナのいやらしさか。


が、老母はどんどん弱っていくし、明日は義母の三回忌。
今日から岐阜に帰省します。


チビ姫2歳2ヶ月とタロウ。
ピッタリの額がなかったので、とりあえず。

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