Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

消えゆく命と育ちゆく命

2021年01月31日 | 家庭

初孫のお宮参りが無事済みました。
本当は先週の週末の予定だったのですが、義母の急逝で延期したのでした。

長男は無信心無宗教。
それは私も同じだし、日本人にはそういう人が多いと思うのですが、長男は殊更そういった風習をバカにしていた節があり、我家にいる頃も初詣などろくに行きませんでした。
更に写真を撮ったり撮られたりすることも、とっても嫌がっていた。
で、お宮参りなどもあまり期待していなかったのですが…

子どもができたら、まあ日々カメラでよく撮っていること。
その写真や動画をせっせとアップしてくれるので、我々も日々その恩恵に預かっています。
そしてお宮参りも、つつがなく行われたのでした。
コロナ禍で、神主さん以下マスクしながらの簡素なものではありましたが。
(写真を撮る瞬間だけマスクを外しました)



息子夫婦から、子どもの写真をアップすることを禁止されてしまったので、しかたなくお抱え婆やの写真を。
婆やは辻が花の着物を着ました。
義母には赤ちゃんの写真や動画を送ってとても喜んでくれていたのですが、実物を会わせられなかったことがつくづく残念です。
消えゆく命と、育ちゆく命と。
こうして命は引き継がれていくのでしょうね。



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ものすごくうるさくて、あり得ないほど狭い

2021年01月29日 | 社会

諸般の事情があって、20年ぶりくらいにMRI検査を受けました。
今は静かなMRIも出てきたと聞いたことがありますが、私が今回受けたのはとーってもうるさいものでした。
閉所恐怖症ではないので、あの狭い所に閉じ込められるのは平気なのですが、ガンガン、ゴンゴン、ブー、キーンと響き渡るあの音は凄まじいものです。
耳栓を渡されましたが、焼け石に水という感じでした。
10年ほど前に「ものすごくうるさくてありえないほど近い」(Extremely Loud & Incredibly Close)というタイトルのアメリカ映画があり、それは10歳の自閉症の男の子の心の声を表していたのですが、MRI検査ってまさにそんな感じです。

検査を受ける前に渡された注意文を読むと、ヒートテックの衣服、アイシャドウ、マスカラ、口紅、そしてジェルネイルも駄目だというのです。
なんで?と恨めしく思いながら、綺麗なジェルネイルを落としましたとも。
ジェルネイルを落とすのは、特殊な溶液に浸してサンドしてと、1時間以上かかるのです。
日頃着ているヒートテックの下着も諦めました。



実際には、検査を受ける時は手術着のようなものに着替えたので、ヒートテックを着て行っても構わなかった訳ですが。
直前に慌てたのは、足の爪にもジェルネイルをしていたことを忘れていたこと。
検査技師さんに平謝りすると、MRIの機器に入る前に厚いバスタオルで足先を包んでくれました。
お陰で無事検査を済ませることができましたが、理由を聞くと、ヒートテックや化粧、ジェルネイルは熱を持ってしまい、火傷することがあるのだそうです。

検査を受けるのに、お洒落どころじゃない。
ジェルネイルなんて手間がかかることをして遊んでいた私は(最近はサロンではなく自分でしていた訳ですが)、幸せだったのだなあとつくづく思いました。


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あまりにも突然の

2021年01月27日 | 家庭

22日金曜日、夫の母が急逝したという電話を受け取って、新幹線に飛び乗りました。
享年86歳、心臓麻痺でした。

義母は陽気で明るい人でした。
心臓の働きが多少弱ってきたとはいえ他に内臓疾患はなく、とても元気でした。
亡くなる前の晩に電話で話し、先月にも一緒に食事をしたばかりでした。
実母の手伝いに毎月帰省していた私は、一人暮らしをしている義母の家にもよく寄っていたのです。
ここのところはコロナを気にしながら、迷いながらでしたが。



5年前には一緒にアメリカに行きました。
正確に言えば、ヒューストンに単身赴任していた義弟宅を訪ねた義母を、夫と私が観光がてら迎えに行ったのでした。
NASAの施設やロケットを、八十過ぎの義母は私などよりずっと熱心に観て廻っていました。
ヒューストン空港はあまりにも広いので予め車椅子を申し込み、それに乗ると出国手続きなど最優先にして貰えました。
ラウンジでも丁寧なもてなしを受けて、こんなに元気なのにと気恥ずかしそうだった義母の顔を思い出します。
私の息子たちも、どれだけ義母に可愛がってもらったか分からない。
女性としていつも前向きの姿勢を尊敬していました。



コロナ禍のこの御時世、葬儀は家族葬で。
そうはいっても大きな斎場は、義母が好きだったピンク系の綺麗な花に包まれていました(供花の名前をぼかした写真を出してみました)。
紅型染めが趣味だった義母が作った、銀鼠色の色留袖を着せて送り出しました。
長患いをするよりは、余程幸せな逝き方であったのかもしれない。
それでもあまりにも突然でした。
お義母さん、今まで本当にありがとうございました。


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「パリの調香師 しあわせの香りを探して」

2021年01月21日 | 映画

挫折した我儘な天才調香師と人生どん詰まりの運転手とが、交流を通して再生していく姿を描いたヒューマンドラマ。
アンヌ(エマニュエル・ドゥヴォス)はあらゆる物の匂いを嗅ぎ分けることができる調香師であるが、コミュニケーション能力に著しく欠けて人と親しくすることができず、いつも孤独。
おまけにストレスからか、嗅覚を失くすという悲劇に見舞われる。
ギヨーム(グレゴリー・モンテル)は、離婚して仕事も親権も取り上げられそうな崖っぷち運転手。
悪党ではないが、こずるいことをして世の中を渡ってきたことが冒頭で示される。
こすい男でも、10歳の一人娘のことは愛している。
娘と暮らしたいばかりに、アンヌの我儘に耐えてお抱え運転手を勤める。



調香師という職業が世の中にあるということすら知りませんでした。
アンヌは、ギョームが吸っていたタバコの銘柄、その葉の原産地まで当ててしまうのです。
しかし敏感過ぎる嗅覚を持っているが故に、一流ホテルのシーツの洗剤の匂いに耐えられず、何処に行くにもマイシーツを持参して換えなければならない。
不便なものです。
しかも年中笑ったら損!という顔をしており、人に対する礼儀もまるでなっていない。

その我儘女に手を焼いて時々切れそうになりながら相手を務めるギョームも、いい加減ずうずうしい男なので、まあ武士は相身互いといったところか。
腹を立てながらもアンヌのお陰で収入は安定し、思わぬ才能も発揮することになる。
この二人が安易に恋愛関係にならないところにも、味わいがありました。



パリの香水業界が舞台で、エルメスやディオールが協力、監修している作品ということで、そうした世界を垣間見ることができました。
香りというものは不思議なもので、人によってその好き嫌いがはっきり分かれることがあります。
アンヌはかつて「ジャドール」(シャーリーズ・セロンのCMで有名になったディオールの香水)を生み出した天才という設定でしたが、私はその香りはどうにも好きになれませんでした。
あの有名なシャネルの5番も、私には下品としか思えませんでした。
といって香水が嫌いという訳ではなくて大好き、ディオールだったらディオリッシモ、シャネルだったら19番の優しい香りが好きです。
今はブルガリ、ジョー・マローン、エルメスなどのグリーン系の爽やかな香りが好きです。
ちなみに最近の歌で有名になった「ドルチェ&ガッバーナ」の香水は、甘すぎて嫌いです。

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ベルナール・ビュフェ回顧展

2021年01月20日 | お出かけ

今週いっぱいのベルナール・ビュフェ回顧展にようやく行って来ました。
1928年パリに生まれたビュフェは実業家の父親とは不仲、心の支えだった母を17歳の時に亡くし、孤独に絵を描き続けたのだそうです。


19歳の時に描いた「キリストの十字架降下」は、なんとも寒々しい不気味な絵。


「水浴者」。
コートダジュールの海を描いたというこの絵、登場人物は痩せこけたハゲ、全裸の男たち。
青い空も青い海もなく、夏の熱量も海遊びの楽しさも皆無の、なんともシニカルな灰色の絵。


「小さなミミズク」。
あまりにも暗い絵が続いた中で、動物シリーズの絵を観るとホッとします。
ギョロリとした大きな目、フワフワした胸の羽毛のミミズク。


「夜会服のアナベル」。
ようやく美しいもの、歓びの感情が溢れた絵を観られたような思い。
ビュフェはアナベルと出会い結婚したことで、画風が変わったようです。
魅力的なアナベルのこの絵は、その直後のパリコレのモードにまで影響を与えたのですって。


1997年にパーキンソン病を発症。
体力が衰え死を予測したビュフェは、「死」シリーズの絵を完成させた後、
「絵画は私の命です。これを取り上げられてしまったら生きていけないでしょう」と言い残して1999年に自ら命を絶ったのだそうです。


私がこのシニカルな具象画を描き続けたビュフェに珍しく親近感を持ったのは、中学に入った頃にサガンのシリーズを読んだからです。
「悲しみよこんにちは」「ブラームスはお好き」など、思春期の入り口に立った少女には、なんともお洒落で憧れの世界であり、その表紙を飾ったのがビュフェの絵だったのですね。
ビュフェはサガンと親交を持っていたのだそうです。



文化村に行く度によく寄るカフェ・ドゥ・マゴ、普段ならお昼は少々待たなければ入れない位なのに、気の毒なほどにガラガラでした。
あまりに客がいないせいか、窓際の席には大きなベアが。
ロビー・ラウンジでビュフェ展とのコラボメニュー「海老とアスパラのクロックマダム」を頂きました。

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分かりやすいヤツ

2021年01月19日 | 家庭

年明けにヘルニアになったタロウは2週間コルセット生活を続け、随分元気になりました。
今日獣医さんに診て頂き、大分良くなったが、あと半月コルセットを付けたまま、なるべくピョンピョンさせないように、暴れさせないようにと言われました。


これがまた難しい。
元気になってくれたのはありがたいが、最近ではコルセットをつけたまま、ソファや、椅子に座った私の膝に飛び乗ったり飛び降りたりするようになってしまったのです。
膝に飛び乗る時には、すかさず私が手を添えてやることはできるが、膝から隙を見て飛び降りてしまう、これを阻止するのはとても難しい。


まあそれも贅沢な不満だとは思います。
ケージに24時間閉じ込めていじけてしまった時には、本当に心配しました。
何しろ普段は皿まで食べる勢いのタロウが、食欲を失くしてしまったのですから。
犬というヤツは、本当に分かりやすい。



友人宅のモネちゃんというダックスは、目の病気になって治療中なのだそうです。
エリザベスカラーをつけられたら、壁に頭をつけて固まってしまったと。
この姿のまま、動かないのだそうです。
可哀そうだけど…
いじらしいのだけど…
笑ってしまう。


ことほど左様に、犬というヤツは分かりやすい生き物なのです。

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「美しき愚かものたちのタブロー」

2021年01月18日 | 

日本に美術館を創りたい、その夢ひとつに生涯を懸けた不世出の実業家・松方幸次郎。
戦後フランスに没収されたその松方コレクションを守り、交渉し、取り戻した、
時の宰相・吉田茂、孤独な飛行機乗り・日置釭三郎、美術史研究科・田代雄一。
国立西洋美術館誕生にかけた4人の男たちの物語。

なんといっても、松方幸次郎という人物のスケールが凄い。
父親は元薩摩藩士、その後日田県知事を経て、内閣総理大臣になる。
1886年その息子として生まれた幸次郎は、イエール大学大学院を出て川崎造船所の後継者となる。
才覚と国際的感覚で軍艦造船会社にまで発展させ、財政界の巨頭となり、日本における本格的な西洋美術館の創設を目指して、私財を投げ打って欧州で数千点の有名絵画・彫刻を買い集める。
しかし世界大不況で川崎造船所は破綻し、彼のコレクションは売り立てられて国内外に散逸、第二次世界大戦末期にはフランス政府に敵国人財産として没収される。
彼は失意のうちに亡くなるが、前述の男たちの努力によって、完全ではないもののなんとか取り戻し、それを基に1959年国立西洋美術館ができあがったという話です。
4人の男たちのうち田代だけが架空の人物であるが、これは西洋美術史家の草分け、矢代幸雄をモデルにしているらしい。

その矢沢氏が
「松方さんのパリ市場における威力は大したもので、これはその大規模な買い方にもよったが、また松方さんの風貌、態度、人柄、どこから見ても、パリの本場所に出して、誰れにも引けを取らぬ世界の大實業家として通り、それがためあれほどの尊敬を博したのであろう、と私は思った。」
と言っています。(『藝術のパトロン』1958年)



松方幸次郎、どんな顔の人だったのだろうと思ってネットで検索。
なんて端正な顔、なんておちゃめな表情!
そしてロンドンで松方が一目ぼれしたという造船所の絵を描いた、フランク・ブラングィンによる肖像画がこちら。



田代が松方に、どうしてそこまで絵に夢中になるのだ?と聞かれて答えた言葉。
「僕は裕福でもなく、家族に恵まれているわけでもなく、ただ…ただひたむきに、タブローが好きで、関りをもちたい、少しでも近づきたいと、その思いひとつでここまでやって来ました。…まあ、いってみれば僕は、タブローのことばっかり考えて夢中になっている、どうしようもない愚かものです。」
タブローとは絵画のことなのです。

2年前にその国立西洋美術館で、60周年記念として松方コレクション展が開催されたのでした。
その時にこの本を読んでいたら、何をさておいてもすっ飛んで行ったでしょうに。
しかも今はコロナ禍、しかも西洋美術館は22年春まで施設整備のため休館。
なんと…

美しき愚かものたちのタブロー」 
松方コレクション展  
原田マハ・インタビュー 


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お手盛りと小皿

2021年01月16日 | 家庭料理

東京の新規感染者は今日も1809人、全国で7013人と高水準。
緊急事態宣言が出ても、人出はそれほど減ったようには見えない。
後手後手の政府への不信、菅首相への不満は高まるばかり。

最近の菅首相の記者会見を見て、腹が立たなかった人はいないのじゃないのかな?
お手盛り記者会見だということはみんな分かっているのでしょうけれど、望月記者の記事を読んで、その内幕がよく分かりました。
”これまで6回あった首相会見で北海道新聞、東京新聞、日本テレビ、ジャパンタイムズの4社は一度も指されていません。ウチ(東京新聞)のように事前に質問を投げることを拒否している社や、厳しい質問をする記者がいる社は避けられているのでしょう”



昨夜の我家の食卓。
息子たちがいなくなってから、こんな感じの質素な食事が増えてきました。
夫は毎晩飲むので、簡単な小皿料理を並べることが多い。
メインは牛肉とレンコンの炒め煮。
ご飯は納豆と味噌汁で。
右上の白菜の漬物は、浅漬けの素と柚子の皮、赤唐辛子を入れて揉み、30分ほど寝かしただけの手抜き漬けですが、結構美味しい。


今夜は上の写真、洋風にブイヤベース。
これなら小皿料理は要らないかと思ったら、何かつつくのないの?とやっぱり。
チーズやオリーブの実、ナッツなどを小皿に出しました。


菅首相はなぜ国民から支持されなくなったのか 望月衣塑子記者が感じた記者会見での「決定的なミス」


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「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画」

2021年01月14日 | 映画

アジアで初めて火星に探査機を到達させたインドの実話を基に映画化。
2010年、インドの宇宙事業の命運をかけたロケット打ち上げが失敗に終わったシーンから、話は始まります。
責任者の天才科学者ラケーシュは、火星探査プロジェクトという閑職に移動させられる。
誰もが実現不可能だと考えていた火星探査に集められたメンバーの多くは経験の浅い女性たち、それに気弱な童貞男、定年間近のヨボヨボ男など、二軍の寄せ集めであった。
当人たちもできっこないと、初めはモチベーションも低くバラバラのチームだったが、主婦の顔も持つ女性科学者の節約アイデアなどを活かし、チームは結束し、奮闘します。
そして2013年、彼らのアイデアと涙と努力が詰まった火星探査機の打ち上げ予定日、想定外のことが起きてしまう…



二軍チームの顔ぶれが面白い。
ラケーシュの片腕タラは、頑固な夫やイスラム教に改宗しようとする息子を持つ肝っ玉母さん。
科学者のくせに占いに惑わされる、彼女が欲しいばかりの童貞男。
それと対照的に、男を踏み台にしてNASAへの転身を目論む孤児出身の美女。
ようやく妊娠できて宇宙計画より赤ん坊が大事と、産休を申し入れる若妻。
夫から離婚されたイスラム教の女性、この人は宗教のせいで部屋も中々借りられない。
夫の浮気が原因で離婚したのなら家を貰えばよかったのにと家政婦のような人に言われ、夫のお情けで家に住まわせてもらっているかわいそうな女って言われるのは嫌、と。
彼らの背景に現代インドの複雑な社会事情が透けて見えて、非常に面白いのです。



女性陣は皆、宇宙工学を語る科学者でありながら、いざロケットの打ち上げの日には豪華なサリーを身に纏い、髪に花を飾って宇宙センターに現れるところも面白い。
NASAだったらTシャツやポロシャツ、せいぜい白衣を着るくらいでしょうに。
それにしても女性陣が皆、眩いばかりの美女揃い。
確かにインド人は彫りが深い顔立ちの人が多いけれど、インドの街角にはそうでない人もいっぱいいたのにと思って観ていたら
エンドロールで、実際の登場人物の顔写真が出てきて、ああやっぱり、とw
まあ、映画ですものね。
「パッドマン 5億人の女性を救った男」のメンバーが再結集して作ったというこの映画、手練手管のあざとさもやや見えましたが、期待を裏切らない面白さでした。


公式HP 

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「国宝」吉田修一著

2021年01月12日 | 

任侠一家に生まれた少年が歌舞伎界に入り、稀代の女形として芸に生き抜き、歌舞伎の頂点を極めるまでを描いた小説。
人間国宝となった歌舞伎役者の壮大な一代記が、講談風の独特な語り口で綴られます。

喜久雄は長崎の極道の親分の子として生まれ、父親を殺された後、自身も暴力事件で地元を追われ、縁あって大阪の歌舞伎役者、二代目花井半次郎の家に引き取られる。
そこの同い年の一人息子・俊介と友情を育みながら、厳しい芸の稽古に耐える日々。
ある日半次郎が交通事故で舞台に立てなくなり、自身の代役として選んだのは、息子の俊介ではなく、喜久雄であった。

俊介はそれを聞いて思わず、喜久雄に「このコソ泥!」と殴り掛かるのですが
「まあ、しゃーないわ。これが誰か他の奴の評価やったら、『アホか。どこに目ついとんねん!』て文句の一つも言うんやけど、『実の息子より部屋子の方が芸が上手い』言うのがあの天下の二代目花井半次郎なら、もう諦めるしかないわ」と潔く受け入れる。
しかしその後すぐ家出をしてしまい、十年以上行方不明となるのです。

喜久雄がいよいよ三代目半次郎を襲名することになり、俊介の母親幸子が喜久雄に言う。
「もう我慢してたら、うちの方が潰れそうやから、なんでもかんでも正直に言わせてもらうけどな。この腹立ちの原因をな、突き詰めてみれば、ぜーんぶアンタや。アンタがうちに来いさえなんだら、何もかもまっすぐに進んどったに違いないねん」
「アンタ、辞退してえな」
「それくらいの恩を返して貰うくらいのことはしたで。なあ、俊ぼんのためや。アンタも俊ぼんが憎いわけやないんやろ?アンタにはまだ色んなものが待ってるかもしれんやないの。でも俊ぼんには…」
そこまで言われて喜久雄が、もうそんなに苦しまんでいいですわ、辞退しますというと、
幸子は「もう腹くくるわ。うちは意地汚い役者の女房で、母親で、お師匠はんや。こうなったら、もうどんな泥水でも飲んだるわ」
といって、喜久雄の襲名を受け入れ、その世話役一切を引き受けるのです。

その後、病気に倒れた二代目半次郎は、苦しい息をしながら
「どんなに悔しい思いをしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん。おまえはおまえの芸でいつか仇とったるんや。」
と喜久雄に言う。
しかし、いよいよ息を引き取るときに口にしたのは
「俊ぼーん、俊ぼーーん!」
という、実の息子の名前だったのでした。

喜久雄も俊介もその後、幾度もの裏切りや病気や策謀に遭い、十年以上も地方でドサ廻りをしたり、スキャンダルで国中から叩かれたり、両脚を失ったりと凄まじい人生を送ります。
喜久雄だけをとっても、そこに幼馴染の徳次や不良の弁天、愛人の芸子、その娘、底意地の悪い駿河屋鶴若、妻の彰子、その父親千五郎など一癖も二癖もある登場人物が複雑に絡んでくるのですが、私にとっては、息子を思いながら家のために喜久雄を受け入れたこの俊介の母親幸子の独白のシーン、父親の今わの際のシーンが、もっとも印象的でした。

この作品の取材のために著者は黒子として舞台を務め、全国を廻って200演目を観たのだそうです。
この人の芥川賞受賞作「パークライフ」は私にはピンとこなかったのですが
「怒り」「悪人」は夢中で読みました。
こんな作品を書いていたとは。
これを読んだら、歌舞伎を観たくて堪らなくなります。
今月歌舞伎座に行く筈であったのに、コロナで断念。
残念無念。

国宝」 

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