Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「路上のX」「ねこのおうち」

2019年06月29日 | 


「路上のX」桐野夏生
両親が突然失踪し、何不自由なく育ってきた女子高生真由は、叔父宅に預けられることになる。
しかし露骨に嫌がられ、居場所がなくなった彼女は、渋谷のラーメン店でバイトし、
ネットカフェやカラオケで夜を過ごすことに。
お金に困る彼女に次々に声をかけるのは、JKビジネスで儲けようとする大人たち。
貧困、援交、性的虐待、ネグレクト、レイプ、中絶。
本来なら社会が守ってあげるべき歳の女の子が、何の後ろ盾もなく、
心と身体から血を流しながら生きていく姿に、エールを送りたくなります。
しかし六畳間をカーテンで4つに仕切った”シェアハウス”なんてのが存在するとは知りませんでした。




「ねこのおうち」柳美里
生まれたばかりの子猫を靴箱に入れて公園に捨てる女。
その子猫を拾ってニーコと名付け、親身の世話をして育てるお婆さん。
でもそのお婆さんは認知症になり、ニーコのことを忘れてしまった。
ニーコはまた公園に戻り、6匹の子猫を産んで懸命に育てるが、毒入り団子を食べてしまい…

その子猫たちを拾って育てた人々の様々な人生が混じり合う。
いじめに遭っている小学生、子供の時に両親に捨てられた青年、
妻を病気で失った男性、公園の野良猫たちを放っておけない町内会会長。
悲しい描写も多いが、これが現実なのだとも思います。
猫好き、ペット好きには号泣ものの作品。
何より、昔「命」シリーズを始め、プライバシーをさらけ出してヒリヒリするような私小説を書いていた柳美里が、
こうした優しい小説を書いたことに驚きました。


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「新いけばな主義」

2019年06月26日 | お出かけ
東京湾の埋立地、城南島という所に初めて行って来ました。
四角いコンテナが無数に積み上げられていたり、巨大な倉庫が何処までも建ち並ぶ地域。
低空を飛ぶ旅客機がいきなり現れて、羽田空港が近いことを実感。
そんな中にあるアート空間「ART FACTORY城南島」に於いて
流派を超えて集ったいけばな作家20名のインスタレーション。


「集い」大塚理司氏


「LOCUS」工藤亜美氏

今年は、作品の中に入ることができるという体感型の作品もありました。
触って壊したりしないように、ちょっとドキドキしながら作品の中に潜入。
写真では分かりませんが、小枝がキラキラして光の中に踊っています。


「生命のゆらぎ」伊藤庭花氏


「滴り」千羽理芳氏

会場に行くには、大森駅からバスに乗ります。
循環型のバス、行きも帰りも太田市場の中をぐるりと廻ります。
この市場が、果てしなく広い。
「太田市場正門前」に始まって「太田市場事務塔前」など停留所が4カ所位あったような。
ここは、青果部・水産物部・花き部の3部門を有する総合市場なのだそうです。
都民の胃袋を潤す、こんな大きな市場があることも知りませんでした。


ワンコも大人しく芸術鑑賞。

「新いけばな主義」 https://tinyurl.com/yxmxpy54
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「ガラスの城の約束」

2019年06月24日 | 映画

衝撃的な自身の半生を綴り、全米ベストセラーとなったジャネット・ウォールの自叙伝を、
『ルーム』でアカデミー賞受賞のブリー・ラーソンと『ショート・ターム』の
監督・脚本を務めたデスティン・ダニエル・クレットンのコンビで映画化。

「ニューヨーク・マガジン」で活躍する人気コラムニストのジャネットは、
恋人との婚約も決まり、高級アパートメントに住んでセレブな生活を送っていたが、
ある日、マンハッタンの路上でゴミ箱を漁る、ホームレスの両親に遭遇する。



いやもう、とんでもない両親です。
父親レックス(ウディ・ハレルソン)は元空軍のエンジニアだったが
定職につかず、酒に溺れ、税金も払わず、ボロボロの空き家を見つけては勝手に住みつく。
母親のローズマリー(ナオミ・ワッツ)は売れない絵を描き続け、子供達のことはほったらかし。
4人の子供達は学校にも行かせて貰えず、食べる物にも事欠き、激しい夫婦喧嘩に怯え、
両親は頼れないから、自立して早くこの家を出ようと結束する。
その中でもしっかり者だった、次女ジャネットの目を通して描かれた物語です。

父親レックスはしかし、破天荒で滅茶苦茶ではあるが、子供達のことを愛してはいた。
だから小さな頃は絶対であり、神のようであった親が、成長と共に、
何処かおかしい、世の中の親とは違うと、子供達が気が付いていくその過程が悲しい。
過酷で極貧の生活を強いられ、あまりにも理不尽な親との縁を一度は切ったものの、
その絆と愛情を捨て切ることができないジャネットの苦悩。



エンドロールで登場人物たちの実際の写真や動画が出て来て
こんな滅茶苦茶な話が本当に実話だったのだと実感して驚きましたが
もっと驚いたのは、原作者の経歴を映画鑑賞の後で知った時。
原作者ジャネット・ウォールズは、バーナード・カレッジを出ているのです。
ニューヨークにあって、私ですらその名を知っている名門女子大。
ラドクリフやスミスと並んで、セブン・シスターズ(東部の名門女子大学7校)に入っています。
あの、水道もガスも電気も通っていないボロボロの廃屋に住み、
トイレはバケツ一つという暮らしをしていた女の子がバーナード・カレッジとは!
無論アメリカは奨学金制度が整っているからチャンスはあるでしょうが
それにしても凄い!(映画では大学の名前は出てこなかった)。
映画の中では小学校にも行かせて貰えなかったジャネットが、どうやってそこに到達できたのかが省かれていたのは残念ですが…

子供は親を選べない。
ここまで極端でなくても、親に疑問を持ったことがある子供は少なくないと思います。
人気コラムニストが華麗なセレブのイメージをかなぐり捨て、過酷な子ども時代の思い出を赤裸々に描いたということで原作は評判となり、
2006年にアメリカ図書館協会のアレックス賞を受賞。
これは是非、原作も読んでみたいものです。
原題は「The Glass Castle」。


「ガラスの城の約束」 http://www.phantom-film.com/garasunoshiro
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夜中の珍事

2019年06月23日 | 家庭

タロウを飼い始めた時、長年犬を飼っている友人から
一緒に寝ることだけはやめた方がいいよ、と忠告を受けました。
それが当たり前になるとペットホテルに預けられなくなるし、
主従関係を重んじる犬が自分が偉いと勘違いするから、などがその理由でした。

なるほどと思って、我家では一緒に寝るのは週末だけにしました。
実際問題クィーンサイズのベッドであっても、大人二人と犬一匹はやや窮屈だし。
普段はタロウ、夜遅くなると、一足先にベッドに入る夫と一緒に寝ています。
後から行った私が、タロウ、ハウス!と言うと
ブフッと言い、歯を剥き出してガウガウと抵抗します。
結局はベッドから降り、リビングに置いてあるハウスまで歩くのですが、
ガウガウと怒りながら、散々時間をかけてようやくという感じ。
あんまり嫌がるので、タロウにこれを命じるのは結構、苦痛です。



ところが今週、私が休む12時頃になると、タロウ、自分からハウスに入っている。
気がつくと、タロウがちんまりとハウスにいるのです。
ええ!?
タロウにとってハウスに入るということは、懲罰の一種に他ならない。
何か悪いこと(ティッシュを食べたりとか、あんまり吠え立てたりとか)をすると
ハウス!と命じられるのだから。
誰にも命令されないのに自分で入るなんて。

今週、これが5日間続いています。
どうしちゃったんだろう?と夫。
私が岐阜に帰って4日間いなかったのがショックだったのか?
しかし毎月、同じ位帰省しているのに、こんなこと初めて。
11歳にして突然、こんな風に変わることがあるのか。
いつまで続くのかまだ分かりませんが…


友人が描いてくれたタロウの絵。

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チラ見せのアヤメ

2019年06月20日 | お出かけ

先日、岐阜で叔母の受賞記念パーティが行われました。
重要無形文化財保持者である叔母が、岐阜県芸術文化顕彰というものを3月に頂いて
それをお祝いする宴でした。



最初に叔母による「羽衣」が上演されたのですが、何しろ始まったばかりで
広い会場はシーンとしており、とっても前に進み出て写真を撮る雰囲気じゃない。
遠くから撮った、こんなボケ写真しかないことが残念です。
受付を手伝った後は、末席でご馳走を堪能しておりました。





私は叔母が昔好きだったという、紗合わせの着物を借りて着ました。
紗というのは透けたような薄物の生地で、今回のはクリーム色の生地が
二重になっていて、下の生地の柄を楽しむ仕様になっています。
下にはこんなに派手なアヤメ柄があるのですが、その上にもう一枚被せてボケさせてしまう。





「紗がかかったような」という言葉がある通りです。
歩く時にチラリと見えるのがお洒落であるらしい。
日本の伝統衣装はつくづく粋ですね。





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「猫を抱いて象と泳ぐ」

2019年06月19日 | 
物語は、主人公が幼い時に好きだったデパートの屋上のシーンから始まります。
そこには、かつて孤独な象のインディラがいた。
インディラは小象の間だけそこにいて、その後動物園に引き取られる筈であったが
気が付いたら大きくなりすぎて屋上から降りられなくなり、37年の生涯を終えたのだった。
少年はインディラの形見というべき、錆びた重い鉄の足輪を飽きることなく眺め、
37年間屋上から降りられなかった哀れな象に思いを馳せる。
生まれた時から唇に奇形があって内向的だった少年にとって、
死んでしまったインディラ、空想上の少女ミイラだけが友達だったのです。


インディラの悲劇、そして太り過ぎて住んでいた廃バスから出られなくなってしまったチェスの師匠。
少年はそれらから「大きくなること、それは悲劇である」という警句を胸に刻み、
11歳で身体の成長を止めてしまう。
そしてひたすら、師匠に教えて貰ったチェスを指す。
いつしか彼は「リトル・アリョーヒン」と呼ばれるチェスの名人となり、
「自動チェス人形」の中にこっそり入って、奇跡のように美しい棋譜を生み出す。


なんとも静謐な、悲しい物語です。
リアリティなんてものは存在しない。
唇に脛毛があり、11歳で成長を止めた男の子、家と家の間に挟まったままの少女、
廃バスで暮らす、身動きできない程に太ってしまったチェスの師匠。
大体いつ頃の話なのか、何処の国の話なのかも分からない。
それでも読むほどにその世界に引き込まれ、そんなことがまるで問題ではなくなってしまう。
そして、少年の数奇な運命を夢中で辿って行くことになります。


孤独な少年には、数少ないけれど彼のことを本当に思ってくれる人がいた。
いなくなってしまったけれども、かつてその人と過ごした幸福な時の思い出、
そうしたものを彼は胸の小箱にしまい込み、何度も開けてそっと慈しみながら
静かにチェスの腕を磨いていくのです。
寡黙で小さな少年がこれ以上傷つくことがないようにと、祈るような気持ちで読んでいくと…
少年がその短い生涯をあっけなく終えてしまった時には、思わず落涙。
でも少年は誰を恨むこともなく、少年の魂はきっと救済されたのだろうと。
そう思うことで、世俗の垢にまみれた自分でさえもが、ほんの少し救われたような優しい気分になれます。


奇妙な題名の意味が、読み終わると悲しく納得できます。
チェスのルールを知らなくても読めますが、知っていたらもっと面白かっただろうなあ。
著者が描く、静かで悲しい世界に、いつまでも浸っていたくなります。

「猫を抱いて象と泳ぐ」 https://tinyurl.com/y2dlhuly
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スマホを拾っただけなのに

2019年06月13日 | 社会

こんなお手紙が届きました。

先日、小雨交じりの日に慌ててタロウの散歩をしていると
住宅街の道の真ん中にスマホを発見。
iPhoneの新型のようでしたが、ロックされているので持ち主の番号も分からない。
雨が降り出すのと競争のように、交番に届けたのでした。
そうしたら今日、丁寧なお手紙と商品券が。
知らん顔していたって誰にも分からないのに。


海外でスマホを盗られそうになったこと、あります。
なんといっても私は欧州で2度、財布を掏られているのですから。
パリとマドリード、お蔭で現地の警察の杜撰さも体験させて頂きました。
以前、東京のカフェで、誰もいないテーブルにスマホを置いて席取りしてあったのを見た時には驚きました。
日本っていい国だなあとつくづく思います。




モネの池、東京版。
睡蓮が咲き出す頃だと思ったら、やっぱり。

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「クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅」

2019年06月12日 | 映画

ムンバイの貧困地域で生まれ育った青年アジャ(ダヌーシュ)は、母の遺灰と
パスポートと100ユーロの偽札だけを持って、一度も会ったことのない父を探しにパリを訪れる。
憧れの家具店に行き、宿代を浮かせようと店内のクローゼットに隠れて眠ったところ、
クローゼットごとロンドンに発送されてしまう。
次々と予想外の出来事に巻き込まれ、スペイン、イタリア、リビアを巡ることになる。


予告編を観た時から楽しみにしていました。
クローゼットから始まる旅なんてナルニア国物語を彷彿とさせ、
しかもインドからヨーロッパ、世界を廻るなんて、実に私好みの話ではありませんか。



しかし…
ファンタジーかと思いきや、移民局や刑務所などが出て来て、いきなりリアル。
リアルかと思いきや、話の整合性がまるで伴わない。
夢が溢れるお伽話に貧困、格差、難民といった社会問題を無理に詰め込んで
話が散漫になっている感じが否めません。
予告編のテンポの良さに比べて、本編は妙に間延びしてもいるのもちょっと残念。

一体どういう人が書いた話なのだろうと思ったら
国境警備隊の警部補であったフランス人ロマン・プエルトラスのベストセラー小説
「IKEAのタンスに閉じこめられたサドゥーの奇想天外な旅」が原作なのだそうです。
そうと知ると、ロンドンの移民局、バルセロナ空港の入国管理、トリポリの難民キャンプの
様子が妙に生々しいのも頷けます。
原題は「The Extraordinary Journey of the Fakir」、
fakir はイスラム教の修行者を意味するらしい。



インド映画にしては歌と踊りがないと思って観ていたら
ロンドンのお堅い入国管理官がいきなり歌って踊り出して驚きました。
ある意味ご都合主義の冒険談ではありますが、パリやローマの美しい街並みを舞台に
陽気なインド式映画を楽しむことができるとも言えます。
どう見てもIKEAであるパリの家具店を、フランス風の名前に変えたのは少々謎でした。


映画『クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅』公式サイト
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「印象派への旅ーバレル・コレクション」

2019年06月10日 | お出かけ

船舶の売買で財を成し、英国の海港都市グラスゴーで「海運王」と呼ばれたウィリアム・バレル。
彼は古今東西におよぶ様々なジャンルの芸術作品を集め、
1944年、数千点にものぼるそのコレクションをグラスゴー市に寄贈したのだそうです。
その際の条件が二つ。
一つは、当時深刻だった大気汚染の影響が少ない郊外に作品を展示すること。
もう一つは、英国外には貸し出さないこと。
ところが今回、本国の美術館が改修工事で閉館しているため、
初めて海外への貸し出しが可能になったのだそうです。
エドガー・ドガの「リハーサル」をはじめ、出品作80点のうち76点が日本初公開なのですと。



私が惹かれたのは、まずエドゥアール・マネの「シャンパングラスのバラ」。
クリーム色と薄紫の大輪の薔薇、透き通ったシャンパングラスが
薄暗い美術館の光線の加減か、キラキラと輝いて見えました。


上のポスターに入っているドガの「リハーサル」。
明るく広い稽古場、白いチュチュや黄色やピンクのリボンを身に着け、
髪を結いあげて軽やかにアラベスクのポーズを取る踊り子たち。
バレエ公演を観る時の、ときめきや興奮やざわめきが伝わってくるようです。


(この絵は撮影可でした)

ウジェーヌ・ブーダンの「ドーヴィル、波止場」。
爽やかな青い空、穏やかな海に凛々しく白い帆を立てた帆船。
思ったよりも小さな絵でしたが、「海運王」と呼ばれたバレルの夢と誇りが
その白い帆いっぱいに詰められているような。


それにしても「印象派への旅ー海運王の夢」というタイトル、
上手くつけたものだと思います。
絵に疎い私ですら、一緒に旅してみたくなるような、その夢をちょっと
覗いてみたくなるような、そんな気分にさせるからです。



ランチは文化村のドゥ・マゴで。


「印象派への旅ー海運王の夢」 https://burrell.jp/
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「1973年のカップ焼きそば」

2019年06月09日 | 
 

太宰治、三島由紀夫、夏目漱石、ドストエフスキーといった文豪から、星野源、小沢健二ら芸能人まで
100人以上の文体で、カップ焼きそばの作り方を綴った「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」。
よくまあ、こんなアホなことを考えついたものだというのが読後の率直な感想。
個人的には村上春樹版が一番好きだったので、それをご紹介します。


”「1973年のカップ焼きそば」

きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。

勝手に液体ソースとかやくを取り出せばいいし、容器にお湯を入れて5分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるにかかわらず。

読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。
同居人の退屈な話に耳を傾けたっていい。それも悪くない選択だ。
結局のところ、5分間待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

ただ、一つだけ確実に言えることがある。

完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。”


これは「1973年のピンボール」だけではなく、「風の歌を聴け」の
パロディでもあります。
物凄く久しぶりに、この2冊を読み直してみました。
新人賞を取った「風の歌を聴け」を私は大学の図書館のその文芸誌上で読み、
感動した覚えがあったのですが…




今読んでみると、随分と気負った作品です。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」は
この作品の冒頭の文章です。
「今、僕は語ろうと思う。もちろん問題は何一つ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。(中略)
弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。
つけ加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまく行けばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。」


そして「僕」の前に、鼠、J、左手の指が4本しかない女の子が現れて、ものうい夏が過ぎてゆく。
今、世界的に有名になってしまった著者がデビュー作のこの部分を読んだらなんて思うのだろう?
思わず赤面するのか、あるいは、ほらやっぱりね、とニンマリするのかしらん。


「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」https://tinyurl.com/yxgkhjan
「風の歌を聴け」 https://tinyurl.com/y478ktzj
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