Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「ボストンストロング ダメな僕だから英雄になれた」

2018年11月29日 | 映画


2013年のボストンマラソン爆弾テロ事件に巻き込まれ、両脚を失くした男性の実話の映画化。

ジェフ・ボーマン(ジェイク・ギレンホール)はコストコに勤める、ごく普通の27歳の青年。
たまには仕事をさぼったり、恋人エリンと何度も別れてはくっついたりとだらしない面もある。
そんな彼がある日突然、爆弾事件に巻き込まれ、両脚を失ってしまう。
しかも事件直前に不審者を目撃していたことから、その証言によって犯人が逮捕され、
ジェフは周りから英雄と見られることになる。
「足を失ってもテロに屈しない男」として世間に知られるようになる。



でも自分がそんな強い男でないことは、彼自身が誰よりも知っている。
本当はみんなが思ってるような人間じゃないのに、ここまで期待されたら
オレはどうすりゃいいんだ?という彼の苦悩。
そして彼の周りの家族というのが、よく言えばおおらか、悪く言えばガサツ。
母親に至っては、悩み苦しむ息子の心情に寄り添うというよりは、
ヒーローの母として世間に注目されることに喜んでいるようにすら見える。
しかし彼は足を失くした自分の姿に耐えられず、過酷なリハビリに挫けそうになり、
堪らず自暴自棄になったり、恋人に当たり散らしたりする。



難病ものの実話系の映画を散々観て来ましたが
主人公があまりにも立派すぎて、正直私とは別人種!と思うことも多かったのです。
その点、このジェフには容易に共感することができました。
只でさえ自己評価が低い男が、テロで突然両脚を失くして
「なんでオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだ?」という思いを
どうやって乗り越えて行ったのか…?



邦題の「ボストン ストロング」(原題は「Stronger」)とは、テロ事件後にツイッターで普及した、
ボストン市民を勇気付けていたスローガンで「ボストンよ、強くあれ」というような意味らしい。
映画の中のアイスホッケーやレッドソックスの試合のシーンでは
ボストン市民の何千人もがエキストラとして出演し、市を挙げて撮影に協力したのだそうです。
ボストン、昔訪れましたが、旧市街と新市街が入り混じる、美しい街でした。
爆弾テロは不幸な事件でしたが、それを乗り越えようとする市民たち、
散々悩み苦しみながら生き抜こうとするジェフの姿から、勇気を貰える作品です。

公式HP http://bostonstrong.jp/

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あっという間の…

2018年11月26日 | 社会


イタリアの高級ブランド「ドルチェ&ガッバーナ(D&G)」が作った中国向け広告動画が
中国をバカにしていると大炎上し、上海での大規模なショーも中止になったのだそうです。
チャン・ツィイーなど有名人がショーへの不参加を表明しただけでなく、
次々と不買運動を開始、それはあっという間に中国全土に広まったのだそうです。

それを受けて、D&Gの創始者デザイナーが謝罪の動画を発表。
早かったですね。
同社がその動画を発表したのが今月18日、ショーが中止になったのが21日、謝罪したのが23日。
まさに、あっという間に広がるネットの威力。

その動画自体は、中国人モデルが不器用に箸でピザやパスタで食べるというもので
それほど酷い物とも私には見えなかったのですが
そこに同社のデザイナーが発したという、中国を侮蔑する言葉が追い打ちをかけたらしい。

それにしても。
もしこれが、日本人向けに作られた動画であったとしたら?
大人しい日本人は、こんなにも素早く怒りを発し、D&Gを追い詰めることができるのかしらと
ちょっと考えてしまったのでした。
中国ほどの経済力を持たない日本が怒ったところで、それほどの影響力を
持たないのかもしれませんが…

ドルチェ&ガッバーナ、中国で炎上
https://www.asahi.com/articles/ASLCQ3WJXLCQUHBI00D.html?iref=pc_extlink

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アニメとお能

2018年11月25日 | 劇、オペラ、コンサート
宝生流辰巳満次郎氏の十回記念公演「安宅」を観て来ました。



その前に、近くの東京ドームホテルのラウンジで義妹とお茶を。
何か催しがあったようで、アニメ・キャラのコスチュームの人がいっぱい。
そういう人たちに囲まれると、普通の恰好をしている自分が浮き上がるような気さえします。
彼らを眺めながら、イチゴタルトとお茶でお喋り。



そして宝生能楽堂に、岐阜から忙しい叔母も駆けつけて。
「安宅」というのは、弁慶と義経が安宅の関を通ろうとする、
つまり「勧進帳」の話なのですね。
これはあまりにも有名な話だし、歌舞伎でも観たことがある。
しかもその直前に「能物語り」として、榎木孝明氏が琵琶の調べに乗せて
ストーリーを語ってくれたので、非常に分かりやすい。
あの緊迫感を能楽でどう表現するのだろう?と興味津々でした。

私が日頃観ているオペラやバレエや演劇と違って、能の舞台には装置が何もない。
”能楽の場合は何もない空間がそのまま小宇宙になります。
非常に前衛的な思考ですが、見る側が自由に想像することができるのです。
つまり引き算をすることによって、観る側の意識に足し算が行われる”
とは、パンフレットにある満次郎氏の言葉。

その何もない空間に、11人のいかつい山伏(霊山の修行僧)が立ち並ぶ。
弁慶(満次郎氏)が空の勧進帳を読み上げるところ、
強力(荷物運びの下人)に扮した義経が見破られそうになって
山伏たちが詰め寄って足を大仰に踏み鳴らし、
囃子方(はやしかた)の演奏や地謡(じうたい)がそれを盛り上げる所は
只々壮観でした。



一行が無事に関所を通り抜けて終わりかと思いきや、
そこからまた、弁慶の長い長い舞が始まる。
能楽師の叔母によると、「延年の舞」といって有名な舞なのだそうです。
そしてそれは、この舞台の中で重要な部分なのだと。
ここあまりにも長すぎるじゃん、もうちょっと端折っちゃえばいいのにと思った私は
やはりお能のことなんて何も分かっちゃいなかったのね。

大通り1本挟んで、賑やかなコミケの世界と、幽玄な能舞台。
東京はつくづく面白い。

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満月とクラッシック・カー

2018年11月24日 | お出かけ


「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ
平安時代の貴族、藤原道長が見た満月は、寛仁2(1018)年10月16日。
昨夜は、その丁度一千後の満月だったのだそうです。
新暦でいうと、今年は11月23日がその日に当たるのですって。



昨日の夕方、私も見ました。
薄暗闇の空に、ぽっかりと大きな満月を。
夜になると、雲に隠れてしまいましたが。
千年前と同じ月って凄いことですよねえ。
戦争や動乱や世の中の移り変わり、人の生き様のすべてを、月は黙って見下ろしているのか。



昨日は汐留のイタリア街で「Coppa di Tokyo」が開催されました。
クラッシックカーが集まって実際に走るというものです。
例によって車オタクの友人たちに誘われたのですが
せっかくの名車揃いなのに、犬と芸能人撮りに来たのかって怒られそうです。



この世をば…道長が詠んだ満月、1千年後の今宵も夜空に
https://www.asahi.com/articles/ASLCR0H01LCQUEHF00F.html

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びよよ~ん猫の「ピエール・ボナール展」

2018年11月22日 | お出かけ
19世紀末フランスで活躍したピエール・ボナールの回顧展。
オルセー美術館所蔵の作品を中心に、130点超が集められた六本木の国立新美術館に
行って来ました。



日本美術に大きな影響を受け、「日本かぶれのナビ」と呼ばれたボナールですが、
日本ではまだそこまで知名度が高くないように思います。
私などろくに知らなかったのですが、ポスターのこの、なんとも言えない暖かい雰囲気と
白い猫の姿に惹かれました。



チケットにも白い猫の絵が。
びよよ~んと思いきり伸びています。
猫って確かにこんな格好するのですよね。
実際にボナールは、猫1匹と犬4匹を飼っていたのだそうで
今回の展覧会のあちこちに、犬や猫が描かれた絵が。



私がことに好きなのは、こちら。
「アンドレ・ボナール嬢の肖像、画家の妹」
紅いスカートの綺麗なお嬢さん、犬は黄色いレトリバーとジャック・ラッセルか。
実際に犬を連れている時にこんな格好をしていたら
裾を犬に踏みつけられて、大変なことになりそうですが…



これは「化粧室 あるいは バラ色の化粧室」。
妻マルトを描いたというこの絵は、マルトの薔薇色の肌と薔薇模様の壁紙、
ふんわりした雰囲気の室内装飾が完璧に調和しています。
満ち足りた、幸せな日常の一コマが伺えるようです。



ボナールの絵は大きなものが多くて、例えばこの「大きな庭」は
幅が2mをゆうに超えています。
みずみずしい緑が目に鮮やかですが、あまり近くで見ると輪郭がぼやけてしまう。
ポスターの「いざ、視神経の冒険へ」はそういう意味なのかと思いました。


「ピエール・ボナール展」 http://bonnard2018.exhn.jp/

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エジプト旅行⑬値切り交渉

2018年11月21日 | エジプト旅行2018
しつこいチップねだりや、十倍にも吹っかけてくる物売りたち。
そういった連中に旅行中、ずっと辟易していたことも事実ですが
こうして思い返すと、それをもっと上手に楽しめばよかったとも。


(モハメド・アリ・モスク)

カイロのレストランで昼食を取った後、道路が封鎖されたとかでまったく動けなくなりました。
世界のVIPがその日カイロに来たのだそう(しかし誰が来たのかは最後まで分からなかった)。
とにかく道路が全く動かないので、バスを出すことができない。
そのレストランがまた、中心部から離れたナイル川に浮かぶ船の中だったので
その辺を歩くこともできない。



仕方なく、船のデッキに出てみんなでお茶しながらお喋りしていたのですが
ふと、ネットができないか聞いてみようと。
エジプトに来て以来、空港でもクルーズ船の中でもネットはまったく繋がらず、
ほぼあきらめていたのですが。
(カイロのホテルでは繋がったが、ロビーだけでした)

船のスタッフが3~4人集まっていたところで、WiFi使える?と聞いてみたら
Sure!10dollars!と。
じゃあいいや、せっかくエジプトのことを世界に発信しようと思ったのに
(No thanks! Just I wanna post about Egypt to the world!)と言うと
ニコニコして、じゃあいいよ!無料でいいよ!
(then, You can use Free WiFi!)と。

10ドルもサービスしちゃっていいのかいな?
或いは元々、値段なんてなかったのかしらん?
恐ろしいことにこうしたことは、クルーズ船の中や、カイロの一流ホテルの中でも
普通に行われたのでした。
値切ればどんどん安くなる、値切らなければそのままの価格。


(右後ろの時計台が、オベリスクと交換でフランスから贈られたもの。M氏によるとすぐに壊れたそう)

3泊4日したナイル川のクルーズ船の中には、プロのカメラマンが待ち構えていて
乗客の写真を撮りまくる。
それを壁に張り出して、気に入ればどうぞと。
世界中の観光地でよくあることです。
記念になるからと、夫はそれを定価の20ドルで購入したのですが
我々のツアーの中にそれを7ドルで買った強者がいたと、後で知りました。
負けた…


(クルーズ船内のパーティで)

我家の夫は基本、値切交渉を嫌がるので、そうしたことが殆どできなかったのが至極残念。

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エジプト旅行⑫子どもたちの姿

2018年11月17日 | エジプト旅行2018
岐阜に向かって帰省中。
新幹線の中から投稿してみます。

エジプトの子どもたちは人懐っこい。
町を歩いているとニコニコと声をかけてきたり、
バスに乗っていると、こんな風に手を振ってくれたりします。



ローカルガイドのM氏によると
カイロのような都会では小中学校は義務教育であるが、地方に行くとまるでそうではないそうです。
確かに地方では、お土産品を売っている子どもの姿をよく見かけました。
遺跡の周りで絵葉書を持って、観光客に「ワンダラー!」と叫んだりしている。
極め付きは、メンフィスで寄った「カーペット・スクール」。

スクールといっても、そこでは子どもたちが絨毯を造っているのです。
こまかい模様を織り込むのに、小さな子どもの手が丁度よいのですと。
そうして丹念に織り込まれた手作りの絨毯が、結構な値段で売られていました。



日本だったら遊んだり勉強したり、習い事で忙しい年頃の子どもたちが
一日絨毯を織って、それを観光客が買い求める。
そこに我々を連れて行くという旅行会社の神経も理解できず、
少々複雑な気分でした。



無論、私たちが行っても行かなくても、彼らの日常は変わらないでしょう。
観光客を案内できるほどの清潔で整った工場で働く彼らは
普通にあるであろう、もっと劣悪な場所で働く子どもたちよりも、幸せなのかもしれない。
そうは思っても、なんとも…
私を見上げた、小さな少女の黒目勝ちの瞳が忘れられません。

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「ボヘミアン・ラプソディ」

2018年11月16日 | 映画


私はクィーンの特別熱心なフアンという訳ではないのです。
それでも十代の頃、ラジオから流れる彼らの曲に夢中で聴き入りましたし、
今も彼らの曲のいくつもが、脳内に沁みついてしまっている。
洋楽に多少なりとも興味があれば、そういう人が多いのではと思います。
そのボーカリスト、フレディの壮絶な半生とクイーンの軌跡を描いた物語。
インド系移民という複雑な出自と容姿にコンプレックスを抱く男が、
ファルーク・バルサラという名前をフレディ・マーキュリーに変え、
個性的な仲間たちと共に、己の流儀を貫き通して世界的バンドへと飛躍していく。



表題になっている「ボヘミアン・ラプソディ」。
この曲を最初に聴いた時の衝撃は忘れられません。
十代の頃、今のように歌詞をネットで簡単に調べることもできず、自分で訳してみようとして
訳の分からない内容に挫折してしまったような憶えが。
ガリレオだの、scaramouch(イタリア喜劇に出てくる道化師)だの、
Beelzebub(聖書に出てくる魔王ベルゼブブ)だのBismillah(回教徒の誓言“神かけて!”)
なんて出てくるので、無理もないと思うのですが。

”Mama,just killed a man.
put a gun against his head,pulled my trigger,now he's dead.
Mama,life had just begun.But,now I've gone and thrown it all away. ”
”ママ、たった今僕は人を殺してしまった。
銃口をヤツの頭に向け引金を引いてしまったんだ。
ヤツは死んでしまった!僕の人生は始まったばかりなのにやっちまった。”
(ボヘミアン・ラプソディから)



映画では、この曲が生まれた経緯なども出てきます。
次から次に作詞作曲を手掛け、奇想天外なアレンジを生み出し、そしてあのボーカル、
才能に溢れるフレディ。
しかしその天才のエゴは増幅し、ゲイである自分に気づき、妻とも別れ、
バンド仲間ともケンカを繰り返し離散、孤独に追い詰められていく。
そして当時では死の病、エイズに罹患する。



しかし、あのフレディ役は…?
実話ものの映画を随分観て来ましたが、本人より不細工な役者というケースは初めてでした。
鑑賞中、どうにもその違和感が拭えなかったのですが
ロジャー、ブライアン、ジョンの3人が見事にそっくり!
そしてグループの仲たがい、わだかまりを乗り越えての「ライブエイド」ウェンブリーアリーナでの
圧巻の舞台で、すべてが払拭されました。
エンドロールの、フレディの葬儀がゾロアスター教の流儀に乗っ取って
行われたという記述にも驚きましたが。

公式HP http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/

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エジプト旅行⑪ツタンカーメン

2018年11月13日 | エジプト旅行2018
第18王朝のファラオ、ツタンカーメンのミイラはルクソールの王家の墓に、
そしてその黄金のマスクは、カイロ博物館内の特別室にありました。
どちらも撮影禁止だったのが残念です。
歴代のファラオ達の墓の財宝は、墓泥棒によって根こそぎ盗られてしまったようですが
ツタンカーメンの墓は分かりにくい所にあって、盗掘を受けなかった唯一の墓だったのだそうです。


(これはネットから頂きました)

その遺体の頭部を覆うように置かれていたのが黄金のマスクで、重さは11kg。
三千年経っても、混雑する特別室の中で眩いばかりに輝いていました。
1965年にこの黄金のマスクが来日した際には、日本美術展史上最大の動員数295万人が訪れたのだそうです。
1964年のミロのビーナス展が172万人、1974年のモナリザ展が150万人といいますから、
その人気のほどが伺えます。

19歳の若さで亡くなったこの王については、色々な暗殺説が飛び交ったようですが
今のところは、近親結婚による虚弱体質、そこから来る病死というのが有力なようです。
そして今は、ミイラのCTスキャンデータから、顔も復元できるのだそうです。
凄いですねえ…



カイロ博物館には、こうした豪華絢爛なお宝ばかりでなく、
アラバスター(大理石に似た白い半透明の石材)で作った、こんなお茶目な小物も沢山。
ちょっとホッとしました。



ツタンカーメンの生前の顔を復元
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20050511_1.shtml

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エジプト旅行⑩子どものミイラ

2018年11月12日 | エジプト旅行2018


カイロ考古学博物館は、1858年創設、所蔵品は20万点。
ピンクの建物の中庭は世界中からの観光客で溢れています。



入ってすぐ、巨大なラムセス2世像が出迎えてくれます。
あちこちの神殿で像を見て来た、あの有名な第19王朝のファラオです。



一階の正面奥には、高さ7メートルの大きな夫婦像が。
ルクソール神殿の礎を建設したという、第18王朝の王アメンホテプ3世とその妻ティイ像です。



この数㎝の小さな像は、あの一番大きなピラミッドを造ったクフ王の像。
巨大ピラミッドを造った人の像がこんな吹けば飛ぶような極小サイズしかないとは、なんとも皮肉。



そして別料金の「ミイラ室」もあります。
ここにはラムセス二世のミイラもありましたが、やはり撮影禁止。
長身でイケメン、この人が7人の王妃、数十人の愛人、200人以上の子供をもうけたのか。
3千年以上も前のものなのに、なんと毛髪や爪まで残っているのです。



お宝だらけで、とても紹介しきれないのですが
私の心に一番残ったのは、実はこの子どものミイラ。
これはミイラ室ではなく、一般展示室にあったので撮影できました。
つまり、それだけ歴史的には値打ちがないのかもしれません。
説明部分を写さなかったので、どういうものなのか今となってはさっぱり分からない。
素性も死因も経緯も分からない、小さな子どものミイラ。
でもその子の親は嘆き悲しみ、祈りを込めて、この小さなミイラを作ったのでしょう。
その気持ちは、三千年前も今も変わらないのだなあと。

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