Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「怖い絵」のキュクロプス

2017年09月30日 | 


中野京子著「怖い絵」の中で、私が一番打たれたのは
ルドンの「キュクロプス」でした。
花咲く野に、裸身の若い女性が眠っている。
背後の岩山から、それを単眼の巨人が覗き見る。
一体この絵の何処が怖いのか?

この本にはゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」といった、
目を見開いた半狂乱の男が、血まみれになって子供を頭から食べているような
おぞましいまでの怖い絵ばかり集められているのです。
こんな優しいパステル調の色合いの、マヌケなようにも見える一つ目の巨人の絵の
何処が怖いの?

本著によると、キュクロプスというのは単眼の醜い巨人たちの総称で
醜さゆえに父親に疎まれ、長く地底に閉じ込められたのだそうです。
この絵の主人公ポリュペモスは、美しい海のニンフ、ガラテアに恋をするが
彼女には恋人がいて、まるで相手にして貰えない。
結局ポリュペモスはその幼児性ゆえに、ガラテアの恋人を殺してしまう。
一体なぜルドンは、報われない愛の悲劇性を表現するのに
幼児的ポリュペモスというイメージを使ったのかと著者は問いかけている。

19世紀に生まれたルドンという人は、生後僅か2日で里子に出され、
古い屋敷で親に顧みられないまま、11歳までを過ごしたのだそうです。
どんな事情があったのか分からないが、両親の下で愛情深く育てられた兄と違って、
自分は母親に疎まれたのだと、彼は思っていたらしい。
ようやく自分の家に帰ることを許されたのちも、親に愛されているという確信を
持てないままに成長したのだそうです。

親に嫌われて地底に追放されたポリュペモスと同じように、母に流刑されたと
ルドンは感じていたのではないかと、著者は言っている。
そして、ポリュペモスへの優しい共感を持ったこの絵が描けたということが
ルドンに自己客観視ができた証であり、これを描くことでようやく辛い幼年時代を
克服したのではないかと。
そしてこれを描いたのが58歳の時であるということが、傷ついた心を癒すのに
いかに長い時間を要したかを表していると。

勿論これは中野氏の持論であり、この絵から違うメッセージを受け取る人もいるでしょう。
でも私は、このいびつな、なんとも悲し気な顔をした巨人の顔から
氏の意見に、大きく頷いてしまったのでした。
歪んだ巨大な一つ目が、親の愛情を求めて見開かれているようです。
子供の頃の記憶が一人の人間の人生を支配してしまうと思うと、本当に怖い…

「怖い絵」 http://tinyurl.com/ycllzjtn
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハイジ」

2017年09月29日 | 映画


私にはアニメよりも、ヨハンナ・スピリの児童文学の印象の方が強いのです。
子どもの頃、何度繰り返し読んだことか。
あの頃の、今よりもずっと豊かな感受性で、もう世界が出来上がってしまっているのに
今更、映像化を観るまでもないかとも思ったのですが。
それでも、童心に帰って楽しむことができました。



アルプスのダイナミックな山々の景観、岩々が飛び出す緑の斜面で草を食むヤギたち、
フランクフルトの灰色の空の下の、ゼーゼマンさんの豪壮なお屋敷、
そういったものはやはり、日本の子どもの想像力には届かないところがあります。



おんじの役は「ベルリン・天使の詩」「ヒトラー最期の12日間」などの名優ブルーノ・ガンツ。
グスポーナー監督が駄目元で台本を送ってみたところ、快諾してくれたのだとか。
子役たちは本当に愛らしい。
クルクル巻き毛にソバカス顔の、元気なハイジ、
流れるような金髪、色白に病的な赤い唇のクララ、
今時よくこんな顔立ちの子を見つけて来たと、ちょっと感動してしまうペーター。



これを作ったスイス人監督のアラン・グスポーナーは子供の頃、
日本のアニメ版を観て育ったのだそうです。
アニメへのリスペクトが感じられるシーンも多々あったような気がします。
今も世界中で愛されている物語なのだと実感。



映画の前のランチ。
恵比寿ガーデンプレイスの38階、リニューアルされて綺麗になりました。
「鮨たか」の季節限定スペシャルランチ、秋の御膳。

「ハイジ」 http://heidimovie.jp/
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里の秋

2017年09月25日 | 家庭
父の十三回忌で帰省しました。



2年前に母が倒れ、その後なんとか回復したものの、町なかの小さな家に移ったので、
こちらの田舎の家は長らく無人状態。
久しぶりに親族が集まって、生き返ったようでした。



人が住まないと家は荒れる。
なんとか庭の体面を保っているのは、庭師さんのお陰です。
しかしお金ばかりかかり、殆ど負の遺産。
日本中にこうした廃屋問題が溢れているのでしょうね。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ベルギー奇想の系譜」展

2017年09月22日 | お出かけ
今週末まで開催の、Bunkamuraザ・ミュージアム「ベルギー奇想の系譜」展。
”15、6世紀を代表するボスやブリューゲルの流れをくむ作品から、象徴主義、シュルレアリスムの
作家を経て、500年にわたる「奇想」の系譜の存在を探る”展覧会なのだそうです(HPから)。



この「トゥヌグダルクの幻視」(ボス工房)は、日本初公開であるらしい。
”主人公の騎士トゥヌグダルスは、3日間の仮死状態に陥っている間に天使によって
天国と地獄に導かれ、そこで恐ろしい懲罰を目にし、目覚めた後に悔悛します。
本作は、左下に主人公と天使、さらには大罪とそれに関連づけられた懲罰が各所に描かれています。”(HP)

見れば見るほどグロテスクな絵です。
真ん中の大きな顔の目は、木の節穴のようで、ネズミがふちから覗いている。
耳を突き抜けて木が生え、鼻からこぼれ出ているのはコイン?
あちこちで、剣で突き刺されたり、毒を飲まされたりしている人間の姿が。
魑魅魍魎が跋扈しています。



このユーモラスなモンスターは一体何?
ブリューゲルやルーベンスの、こうした系列の奇想天外な絵も並べてあり、
この人たちもこんな絵を描いていたのかと、浅学な私は驚きました。



訳の分からない、しかも残酷な絵を次々に見て、見知ったマルグリットの「大家族」に
到達した時は、なんだかホッとしました。
この絵には、少なくとも奇天烈なモンスターは出て来ない。
白い雲が浮かぶ青空の、なんとすがすがしいこと。



あまりにも奇妙奇天烈なものに囲まれると、人間は疲れるようです。
Bunkamuraのドゥ・マゴは、もう秋の装い。
キッシュとサンジェルマン・フィズを頂いて、友人とお喋りに花を咲かせて
無事日常の生活に戻れました。

(会場は撮影禁止だったので、写真はネットから頂きました)

ベルギー奇想の系譜展 http://fantastic-art-belgium2017.jp/
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サーミの血」

2017年09月21日 | 映画


北欧の少数民族サーミ人の少女が、差別に抗って生き抜く姿を描いた作品です。
1930年代、スゥエーデン北部のラップランドで暮らす先住民族サーミ人の少女エレ・マリャ。
彼女は成績も良く進学を望んだが、教師に「あなたたちの脳は文明に適応できない」と
拒否される。
それでもあきらめない彼女は寄宿舎を抜け出し、野外パーティで一度会っただけの
男の子ニクラスを頼って、ウプサラの街に行くのです。
頭がよく知識欲旺盛な彼女は、民族衣装を着ることを強いられ、
テントで暮らしているのを見世物のように眺められる生活に耐えられなかったようなのです。



少々不親切なストーリー展開です。
エレ・マリャはウプサラの高校にどうやって入ったのだろうとか、
ニクラスの家を追い出されて何処に寝泊まりしたのだろうとか、
描かれなかった細部についての不満はあります。
しかし、人権大国のようなイメージのあの国で、そんな差別が行われていたとはという
驚きが、その不満に大きく打ち勝つ。
寄宿舎ではサーミ語を禁じられ、教室で全裸にされて身体検査を受けたりするのです。
思春期の少女にとってどれだけ恥ずかしく、屈辱的なものであったことか。
サーミ人は臭いと心無い男たちにバカにされたエレが
冷たい湖に入って自分の身体を洗うシーンには胸を打たれました。



20年ほど前にスゥエーデンを旅して、スゥエーデン人の友人の車で
あの美しい森と湖の国の、結構田舎まで廻りました。
しかしこんな少数民族問題があるとは、つゆ知りませんでした。
日本でアイヌ問題が知られていないのと同じなのでしょうか。
この作品、シェーネル監督も主演女優も、その他サーミ人の登場人物はすべて
本物のサーミ人なのだそうです。
監督のインタビューの”いろんな国で上映後に必ず、観た人から「これは私自身についての映画です」
と話しかけられました”という言葉が印象的でした。
あのサーミの民族歌「ヨイク」は、御詠歌によく似ていたなあ…

原題「Sami Blood」
シェーネル監督の来日インタビュー
http://www.webdice.jp/dice/detail/5477/?utm_source=mailmag&utm_medium=email&utm_campaign=20170915
公式HP http://www.uplink.co.jp/sami/
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風の前に

2017年09月16日 | お出かけ
台風が近づいているというこの週末、雨が降らないうちに
タロウを連れて代々木公園へ。
面白いものに遭遇しました。
ブタ??



近くにいた外国人の飼い主に写真の許可を取って、ついでに色々話したら
表参道に住んでいて、室内飼いしているのですって。
なんでブタなの?と訊いたら、どうしても!(Because!)と。
可愛いし、言うこと聞くし、犬と一緒だよ、と。
清潔好きだし、今朝もお風呂に入れたばかりなんだと。
触らせて貰ったら、毛が固くてゴワゴワしている。
その名もPiggyだそうです。
そのまんまやん…



代々木公園は広々していて、開放感があります。
ドッグランもあって、沢山の犬たちが楽しそうに走り回っているのですが
犬嫌いのタロウには無理。
何度か試してみましたが、その度に私の膝の上で震えているだけなので断念。



公園を散々歩いて、ランチを食べに外へ。
犬連れ可のカフェを探して公園通りを歩いていたら、Luke'sを発見。
アメリカ発のロブスター・ロールの店で、表参道にできた時は
連日、随分と並んでいたのです。
渋谷店は並んでもいないし、外に小さな机とイスもあるのでタロウも大丈夫。
ロブスター・ロールとクラブ・ロール。
たっぷりのロブスターやカニの身に、レモンバターとマヨネーズ、スパイス。
たかがロールサンドに1580円と1380円はちょっと高い気もしますが
ニューヨーク、プラザホテルの地下の店では、18ドルほどもしたのです。
まあ仕方ないか…

Luke's http://lukeslobster.jp/
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダンケルク」

2017年09月14日 | 映画


息苦しい映画です。
観終わった時には肩で息する、疲労困憊状態。

第二次大戦中、フランス北部ダンケルクの浜の、ドイツ軍に追い詰められた英仏軍40万人の救出作戦。
駆逐艦が救出に向かうも、空と海から次々と爆撃を受け、
ようやく乗り込んだ兵士たちも、再び戦局の海へ放り出される。



防波堤で救出を待つ兵士トミー、その兵士たちを救出に向かう民間船の船長ドーソン、
その救出を無事成功させるために空で戦う空軍パイロット、ファリア。
その3人が主な登場人物で、彼らの目線で物語は進むのですが
3人の性格も背景も、ろくに語られない。
特にトミーは、浜で悄然と救いを待つ、膨大な数の兵士のうちの一人に過ぎず、
ようやく船に乗れたと思ったら爆撃されて沈められ、
海に漂う重油で顔も真っ黒になり、他の兵士と殆ど見分けがつかなくなる。



まあでも、実際はそんなものなのだろうとも思います。
戦争において、歴史に残る、キャラの際立つ有名兵士はほんの一握りで、
殆どの兵士がトミーのように「その他大勢のうちの一人」で、
あのような状況においては訳も分からず、逃げ惑うしかないのだろう。
そして視聴者も、トミーと一緒に何度も海に沈められることになる。
ハンス・ジマーの、神経を逆撫でするような不協和音の音楽から逃げることもできず、
何度も溺れさせられ、息苦しいことこの上ない。



うっすらと対岸(イギリス)が見えるほどに近い所にいるのに帰国できないとは
どんなに悔しかったことだろう。
軍艦が次々に爆撃され絶望感漂う浜に、ユニオン・ジャックの小旗をはためかせた
無数の民間の小舟が近づいて来た時は、どんなに嬉しかったことだろう。
実際に、貨物船や遊覧船、漁船などの900隻もの民間船がこの時、救出に駆け付け、
この救出作戦は成功したのだそうです。
一般市民と兵士が協力して仲間を救おうという精神を「ダンケルク・スピリット」といい、
英国人の誇りとして、今も語り継がれているといいます。

あまりにも英国礼賛の作品で、多少鼻に付くこともあったのですが…
ようやくのことで救出されて、帰国した兵士たち。
勝つこともできず、民間人に助けられて帰るなんてと恥じ入る兵士たちを
生還できてよかったと、歓声や毛布や紅茶で暖かく迎える市民たち。
これが日本だったらどうだろう?とつい考えてしまいました。
お国の為に散ることが美とされ、あれだけの数の特攻兵を送り出した日本だったら…?



しかしあの、自分を犠牲にして敵機を攻撃し続け、ダンケルクの浜に不時着した
空軍パイロットのファリア。
戦闘機スピットファイアが燃え上がり、ドイツ兵に囲まれるところで
画面は終わってしまいましたが、あの後どうなったのだろう?
捕虜になったのならいいけれど、蜂の巣にされたりしなかったのかしらん?

クリストファー・ノーラン監督。
公式HP http://wwws.warnerbros.co.jp/dunkirk/
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おろしや国酔夢譚

2017年09月12日 | ロシア旅行2017
今回のロシア旅行に際して、20冊ほどのロシア関連の本を読んだのですが
その中で何といっても面白かったのは「おろしや国酔夢譚」(井上靖)でした。



天明2年(1782年)、伊勢から江戸に向かった光太夫ら17人を乗せた船「神昌丸」は、台風に襲われ、8カ月の漂流の後、ロシア帝国領アムチトカ島に漂着。
厳寒の地のそこでは現地人がロシア人に支配され、苦しい生活を送っていた。
漂流中に1人、この島に4年間滞在するうちに、7人の仲間が死亡。
飢えと寒さに苦しめられながら、光太夫はロシア語を習得し、帰国の途を模索。
広大なロシアの、一番右端のアムチトカ島に漂着した光太夫たちは、日本に帰ることを夢見て、10年かけて一番左のサンクトペテルブルクまで行くのです。

(エカテリーナ宮殿)

「俺たちはどんな苦労をしても、帰らなければならぬ」
リーダーの光太夫は仲間を叱咤激励し、異国の文化と言語を習得し、その土地の要人と親交を深め、何度も何度も官庁に帰国願を届け出る。
「いいか、みんな、自分のものは、自分で守れ。自分の鼻も、自分の耳も、自分の手も、自分の足も、みんな自分で守れ。自分の生命も、自分で守るんだ」
これは飢えや凍傷で、命や体の一部を次々に失っていく仲間に言った言葉。
カムチャッカ半島で更に3人が亡くなり、1人は凍傷で片足を切断。

驚いたのは、こんな時代にもロシア帝国は東の果てまで支配し、圧政を敷いていたこと。
こんな時代にも、膨大な数の人たちがシベリア送りになっていたこと。
鉄道も何もない時代、橇や馬や徒歩でシベリアを横断することがどんなに過酷であったことか。
それでも遂に光太夫は、ロシア帝国の首都に辿り着き、時の女帝エカテリーナ2世との謁見が叶うのです。

(光太夫が謁見した鏡の間)

江戸時代の伊勢の船頭だった光太夫がここまで来たのかと、絢爛豪華なエカテリーナ宮殿で、感慨深いものがありました。
光太夫は「白灰色のラシャで仕立てられた礼服を着て、つばの広い毛織の帽子を抱え」大階段を登り、幾つもの大理石の間、琥珀の間を通り、豪壮な大広間で女帝に謁見。
帰国嘆願書を差し出し、女帝に訊かれるままに、自分で漂流以降の来し方を
説明したのだそうです。
女帝は「可哀想なこと」そうつぶやき、彼らの帰国船を用意すると約束。
しかしその時に残っていたのは5人、そのうち2人はロシアに帰化していたので、帰国の途につけたのは3人。
又シベリアを横断し、オホーツクから帰国船に乗るのですが、北海道根室の地でもう1人が死亡。
江戸まで帰って来られたのは、17人中、実に2人。
ところが…

(女帝の衣装)

2人を待ち受けていたのは、もっと残酷な現実だった。
いやもう、下手なスリラーよりも怖い結末です。
ネタバレになるので詳細は書きませんが
帰国だけを夢見て頑張った光太夫、無念であっただろうなあ…

おろしや国酔夢譚 http://tinyurl.com/yb2gd8ef
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ボブという名の猫」

2017年09月10日 | 映画


ホームレスのストリートミュージシャン、ジェームス(ルーク・トレッダウェイ)は
ドラッグから手を切れず、親にも見捨てられ、その日の食べ物にも事欠く毎日。
ある日一匹の猫と出逢い、なけなしのお金をはたいて怪我を治療してやる。
ボブと名付けたその猫と一緒に路上に立つと、たちまち人気者となり…



路上のジェームスとボブの姿ががYouTubeで有名になり、本が出版され、
そしてこの映画となったのは、周知のとおりです。
どうやって映画一本に引き延ばすのだろう?と興味があったのですが
ジェームズと父親との関係、彼女との淡い交流、そして薬物依存との闘い、、
その辺りが淡々と描かれていました。
なんといってもボブ本人(猫)が出演というのがいい。
茶トラってジンジャー・キャットと言うのですね。
最初はおなかをすかせた野良猫である筈なのに、丸々太っているのは御愛嬌。



ボブが犬に追いかけられて走っていなくなってしまい、
どんなに探しても見つからず、彼女からも見捨てられ、また一人になってしまったジェームズが
つい薬の売人に近寄って行くシーンがあります。
「Are you looking for paradise(drug)?」と声をかけられ、
「No,I am looking for a cat!」と答える。
あのシーン、よかったな。
ジェームズはボブのために、クスリを振り切ることができたのね。



人は一人で生きて行くのは難しいけれど
誰かのためであれば、誰かに必要とされていると思えれば、生きて行けるのだと
つくづく思います。
コヴェント・ガーデン、トラファルガー・スクエア、ビッグ・ベン、
ロンドンの街は、映画の画面には本当によく似合う。
猫とロンドンが好きな人にはお勧めの作品です。

公式HP http://bobthecat.jp/
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叫べない私

2017年09月09日 | お出かけ


渋谷ヒカリエの8階で「ムンク×斎藤清展」という小さな展覧会をやっていました。
そこでの解説によると、会津に生まれた斎藤清は30代の時にムンクに出逢って
「北欧的な幻想や夢に、同じ北国生まれの自分が同質感を覚え、自然に引き寄せられていった」
のだそうです。
今回は、ムンクに影響を受けたとされる作品を中心に展示されているようです。



私はこの人の、猫の作品が好きでした。
シンプルな線で描かれた、しなやかでツンとした魅惑的な猫。
ことにその目が、なんとも言えず蠱惑的です。



猫の作品はいくつか知っていたのですが
犬の絵(版画)はないかと思って探してみたら、出て来ました。
なんだかマヌケな感じ…



展覧会の片隅にあった「アイ・アム・ムンク」というコーナー。
ムンクの「叫び」のポーズを取ってくださいというものなのだけど
見慣れたはずのあの絵が、正確には思い出せない。
私はなんとなく、叫ぶ人は絵の右隅にいたような覚えだったのだけど
本当は真ん中にいたのね。
両手は頬ではなく、耳に当てていたのね。
そんないい加減な記憶を元に、しかも羞恥心に邪魔されて絵の人物になりきれなかった結果が
下の写真でございます。



「ムンク×斎藤清」展 http://www.hikarie8.com/cube/2017/08/post-51.shtml
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする