Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

虚栄の果ては…「ブルー・ジャスミン」

2014年05月28日 | 映画


このところのウッディ・アレンの作品はコメディ調のものが続いていて
私には些か物足りなかったのですが、久しぶりにやられました。
主演のケイト・ブランシェット、アカデミー主演女優賞受賞。

ニューヨークで実業家ハル(アレック・ボールドウィン)と結婚し、
何不自由ないセレブ生活を謳歌していたジャスミン(ケイト・ブランシェット)。
夫が詐欺罪で逮捕されたことで無一文になり、すべてを無くして
サンフランシスコの妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)の安アパートに転がり込みます。
ところがその飛行機はファーストクラス、荷物は数々のヴィトンのバッグ。
ここで観客は呆気にとられます。
何だ、この勘違い女は!?



NYの豪邸での華やかな生活の回想シーンと、サンフランシスコの安アパートでの生活が
交互に現れ、その対比ぶりが際立ちます。
かつての栄光の思い出にしがみつくだけの日々を送るジャスミンはある時、
金持ちの外交官に出会い、最後のチャンスとばかり彼に賭けようとしますが…

ブランド品に全身を包み、プライドばかり高い姉ジャスミンと
安っぽい服でレジを打ち、ブルーカラーの男とばかり付き合う妹ジンジャーとの対比も面白い。
二人は養子として同じ家に育つのですが
容姿のいい姉ばかり可愛がられ、妹は早くに家出してしまったという経緯があります。
妹ジンジャーはシングルマザーとして二人の息子を育てながら逞しく生きていますが
ちょっと言い寄ってくる男にすぐ気を許して失敗するという、だらしない面も持っている。
ジャスミンは妹の男たちをクズ呼ばわりし、
「あなたは自分を卑下してるから、ダメな男ばかり選ぶのよ」と言い放つ。



つまり姉妹のどちらにも、とても共感することはできない。
そういえばこの作品に出てくる男も女も、およそ好きになれない連中ばかりです。
金持ち男に最後の賭けを挑んだジャスミンは、彼の気を引くために嘘に嘘を重ねて
その結果は当然…
自暴自棄になったジャスミンが思わずつぶやいた言葉。
「一体誰と寝たらウオッカティーニを飲めるの?」
その場にいた妹やその男たち、思わずシーンとなりましたが
この言葉こそジャスミンの本質を表しているような気がします。
偉そうなこと言ったって、つまりそれだけの女なのだと。
酒と薬漬けになったジャスミンは次第に精神の均衡を崩してゆく。

こんなにも救いのない話であるのに
見終わった後、それほど重い気分にならないのは
ウッディ・アレンのシニカルな風刺精神が全編に通低しているからか。
面白がって舌を出しているアレンの顔が見えるようです。

「ブルー・ジャスミン」 http://blue-jasmine.jp/
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コードレス掃除機のモニター・テスト

2014年05月23日 | 社会
この春引越した新しい住まいは、高台にあり、尚かつやたら窓が多いせいか
何処もかしこも妙に明るいのです。
それはありがたいのですが、埃が目立って仕方ない。
朝掃除機をかけても、夕方、白い人造大理石の廊下に埃が見えたりする。
その度にわざわざ重い掃除機を持ち出すのは面倒なので
コードレスタイプの軽い掃除機が欲しいなあと思っていた今日この頃、
最新コードレス掃除機のモニター・テストにお呼びがかかりました。

モデルハウスのリビング・ルームのような綺麗な実験会場。
4種類のメーカーのコードレス掃除機が、名前を隠して置いてある。
それぞれを手に取り、フローリングの床、絨毯、階段、テーブルの下、ソファの上などで
実際に使ってみて、多項目に渡って評価を書き込むというものです。
今回使ったのは、以下の4種類。
(会場では分からなかったが、帰宅後ネットで調べて判明。
もっともエは特殊な形でバレバレでしたが)
 日立
イ  エレクトロラックス
ウ  東芝
エ  ダイソン

今の最新掃除機の素晴らしいことといったら。
軽いしスマートだし、ヘッドの角度は自由自在に動くし、
ア・イはヘッドの先にLED照明がついているし、どれもサイクロン式でパワーは強力だし、
ゴミは殆どワンタッチで捨てられるし。
4種とも、元々コードレスタイプで小さいのに、更に小型になるように設計されている。
ア・イは、おなかに小判ザメのように小さなハンディタイプがついており、
写真のように取り外して使えるのです。

ウ・エも長い筒を取り外してごく小型にすることができる。
車の中など掃除するのに便利だろうなあ。
エだけは音がうるさすぎるのと、スィッチを押し続けなければならないのが
私には気に入りませんでしたが、後はどれもこれもすばらしい。
こんなのを使ったら、嫌いな掃除も楽しくできそうではありませんか。
ア・イ・ウのうちどれを買おう?と考えていたのですが…

評価項目を書き込んだ後、5人のモニターと司会者が円卓に座って
感想・批評・質問などをあれこれと。
その時、バッテリーはどれくらい持つのですか?と聞くと
メーカーによって微妙に異なるが、毎日使って1~2年かと。
バッテリーの値段は一万円前後だそうです。
ううむ。

今使っている原始的な掃除機は、十年以上前に買ってから
一度もお金がかかったことないのです。
使う度にバッテリーが劣化していき、買い換えなければならないというのは
ちょっと悲しいかも。
どうしようかな…
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「花子とアン」②

2014年05月20日 | 社会
ここ数日、このブログの閲覧数が妙に多かったのです。
日にもよりますが、多い日は1500件を超えました。
最近の日記といえば、杉原千畝の一人芝居、そして「アンのゆりかご」について。
ドラマ「花子とアン」の原作について書いたというと、普段私のブログを見ないリアル友人も
その日記を覗いてくれたりしたようです。
今日のドラマの内容って原作通りなの?と訊かれたり。
テレビの力って凄いですね。
という訳で、もう少々、ネタバレしない程度に書いてみます。

ドラマでは今、花が卒業して甲府の尋常小学校の先生として赴任したところですが
これは原作と少し異なります。
実際は、花は東洋英和女学校高等科を卒業した後、一年間寄宿舎に残り、
婦人宣教師に日本語を教えながら、婦人嬌風会の書記としての仕事を続けます。
しかし実家の生計を背負うにはそれでは苦しく、
東洋英和の姉妹校である山梨英和女学校に、カナダ人の校長の秘書を兼ねた
英語教師として赴くのです。
そこは甲府の、裕福な商家や豪農、名士の家の少女たちが集まった学校で
東洋英和と非常に似通った雰囲気であり、今放送している貧しい尋常小学校とは
随分様子が違うことになります。
花はそこで教師としての仕事をしながら、少女向けの文芸雑誌に小説を寄稿したりします。
さらに、一時絶縁状態になっていた柳原子(白蓮)と文通を再開し、
友情が復活します。

白蓮は大正三美人の一人と言われたくらいの美人です。
父は柳原前光伯爵。母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘。

(Wikipediaより)

なお先週放映された、女学校の卒業式のブラックバーン校長のスピーチは
原作にも出ていました。
「我と共に老いよ 最上のものはなお後に来たる」
(Grow old along with me, the best is yet to be.)
という、ブラウニングの詩の一節から始まったスピーチ。
「今から何十年後かに、あなた方がこの学校生活を思い出して、
あの時代が一番幸せだった、楽しかったと心の底から感じるのなら、
わたしはこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。
人生は進歩です。若い時代は準備のときであり、
最上のものは過去にあるのではなく将来にあります。
旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、進んでいく者でありますように。」
(「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」より)
このスピーチは感動的でしたね。


(村岡花子)

この小説をドラマがどう脚色していくのか、今後の展開が楽しみです。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉原千畝物語「決断・命のビザ」

2014年05月18日 | 劇、オペラ、コンサート


昨夜、内幸町ホールで杉原千畝物語「決断・命のビザ」を観て来ました。
水澤心吾氏の一人芝居。
日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝の偉業を、たった一人の2時間弱の舞台で
どのように表現するのかと思っていたのですが
中々どうして見応えがありました。

セットは書斎机と椅子、トランク一つ。
杉原千畝の青年時代、外務省留学生からハルビン時代を経てロシア通の外交官になり、
そしてリトアニア大使となって戦乱の時代をくぐり抜けた様子を
彼の独白という形で表していました。
日本がナチスドイツと同盟を組んでいる状況下での外交官という立場にあり、
しかも三人の子供の父でもあった杉原氏。
国家の命令と人道的見地に挟まれた彼の、迷いと葛藤。
結局彼は散々悩んだ末、「目の前にいる人たちを救いたい」という心の声に従うのです。



水澤氏の熱演も見応えがありましたが
お芝居の後に紹介された実録ビデオがまた、よかった。
1999年にイスラエルで行われた記念式典の映像なのですが
黒服のユダヤ式正装、白く長い顎鬚のユダヤ人の老人が、
杉原氏の奥方に感謝の言葉を捧げる場面。
体中がブルブル震えて言葉にならないのです。
絞り出すように彼が口にした言葉は
自分が(杉原氏のおかげで)アメリカに逃げた時はたった一人だった、
それから結婚し5人の子供に恵まれ、子供たちが結婚して今は20人以上の子孫ができたと。
杉原氏が救った6千人の人々はそのようにして
2014年現在では25万人となったのだそうです。

外務省が杉原氏の名誉回復をしたのは2000年、
本人はもうとうに亡くなった後であり、戦後55年のことであったと。
杉原氏は私の出身地、岐阜の出身なのですが
私が岐阜にいた頃は当然、知られていませんでした。
「ユダヤ人大富豪の教え」を書いた本田健氏であったか、
日本人のくせに杉原のことを知らないのかとアメリカのユダヤ人に驚かれたというようなことを
書かれていたのを以前、読んだ覚えがあります。
イスラエル政府は「正義の人」として、 杉原千畝氏の記念碑を自国に建立しているそうです。
これだけの偉業を成し遂げた日本人のことを、社会の授業などでもっと教えてもいいと思うのですが
今はどうなっているのでしょうか?
少なくとも我家の息子たちは、学校では何も習わなかったようです。

杉原千畝物語「決断・命のビザ」 http://www.misawashingo.org/index.html
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アンのゆりかご」村岡花子の生涯

2014年05月16日 | 


NHKの連続テレビ小説というものにまるで無縁であった私が
今「花子とアン」を見ているのは、小学生の頃「赤毛のアン」に夢中になったからです。
「アンの青春」「炉辺荘のアン」など、アン・シリーズはすべて読みましたが
その翻訳者の村岡花子という人のことはまるで知りませんでした。
昭和初期に英語が堪能であったことや、小説に出てくるお嬢さんらしい話し言葉などから
いずれ恵まれた家の出身の女性だったのだろうくらいに思っていたのですが
山梨の貧しい農家の出で、東洋英和に給費生として入ったとは。
ドラマの展開が面白いので、花子の孫が書いたという、その原作を読んでみました。

村岡花子、明治26年甲府生まれ。
父、安中逸平は貧しい茶商であったが、熱心なクリスチャンであり、社会主義者でもあった。
花子が小さい頃にその才能を認め、なんとかその才能を伸ばしてやろうと教会を通じて
東洋英和への花子の編入を画策する。
(それは長女の花子一人で、他の7人の子供たちには高等教育の機会は与えられなかった。)

花子は貧しい農家から突然、麻布のカナダ系ミッションスクール東洋英和の寄宿舎に入れられ、
華族のお嬢様たちに囲まれて困惑するが、持ち前の負けん気と才気で勉強に没頭する。
そこで8歳年上の柳原白蓮と出会い、「腹心の友」となる。
「白蓮事件」ー華族出身の美貌の歌人として名高い柳原白蓮が、九州の炭坑王伊藤伝右衛門との
結婚生活を捨てて、七歳年下の帝大生宮崎龍介の許へと走ったというものです。
姦通罪というものがあった時代、これは正に命懸けの恋であったといえるでしょう。
その白蓮と親友であったとは知りませんでした。

ネタバレになるので詳細は書きませんが、花子はやがて福音印刷の村岡敬三と結婚して
幸せな生活を送るのです。
この二人のやり取りした手紙がいくつか紹介されています。
敬三から花子への昭和7年に出された手紙。
”可愛い花子を抱寝する夜も日一日と近くなる。
腕は一杯も抱きたく、唇は軽いキス…あとは文にするを憚る。”
これが45歳の夫から39歳の妻に宛てられた手紙だというのですから…
その後、様々な苦難に襲われるのですが、二人は終生仲がよかったようです。

村岡花子の生涯のみならず、日本近代の女子教育史、女性文学史、児童文学史などが織り込まれ、
中々読み応えがある本でした。
驚いたのは、花子が活躍した場所として婦人嬌風会の名前が何度も出てきたこと。
日本基督教婦人嬌風会というのは、明治19年に設立され、一夫一婦制の適用、
公娼制度廃止、婦人参政権取得などを訴えた日本で最初に設立された婦人団体です。
そしてこの婦人嬌風会が運営する女子学生会館で、私は学生時代暮らしていたのです。
私はクリスチャンではないのですが、そこが信用できる団体のものであるということ、
評判もよかったこと、礼拝はあるがキリスト教は強制されないということで
大学時代そこに入っていたのでした。
その嬌風会で半世紀以上も前に、花子が活躍していたとは。

新宿の一角の嬌風会の敷地の中に、鉄筋コンクリートの4階建ての建物が二つあり、
一つが女子大生向けの有料の学生会館、
もう一つはDVなどから逃げ出してきた女性たちの一時的なシェルターだと聞いていました。
その建物はいつもひっそりとしていて、私がいた学生会館の華やかさと対照的でした。
今思うと、あちらの建物の女性たちは、週末など着飾って出かけ、ボーイフレンドに
送ってもらって門限ぎりぎりに帰って来る女子学生たちを、どんな思いで見ていたのか。
その頃は、考えてもみなかったのですが。

この本の中で久しぶりに出会った言葉があります。
「いま曲り角にきたのよ。曲り角を曲がった先になにがあるのかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものに違いないと思うの。」
「赤毛のアン」の中にあった言葉。
どんな状況でも、先を信じて歩いていくアンの言葉です。
そして花子の言葉のようでもあります。

「アンのゆりかご」村岡花子の生涯 http://tinyurl.com/nqy42qg
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロブション@恵比寿ガーデンプレイス

2014年05月14日 | グルメ


恵比寿ガーデンプレイスは、かつて映画館がそこにあった頃、
よく行っていました。
「セントラル・ステーション」「パンズ・ラビリンス」「モーターサイクル・ダイアリーズ」など
そこでしか観られないという映画があったのです。
そしてその感動は、未だに私の頭の中にしっかりと刻まれています。
映画を観る前後にランチしたりお茶をしたり、咲き乱れる花々を見ながら石畳を散歩したりと
私のお気に入りの場所であったのに。
3~4年前にウッディ・アレンの「人生万歳!」を最後に映画館が閉鎖してから、
ぱったり行かなくなってしまいました。




その恵比寿ガーデンプレイスの奥にそびえたつシャトー・レストラン、ロブション。
2階がミシュラン三ツ星の「ガストロノミー ジョエル・ロブション」、
一階が二ツ星の「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション」。
二階はもう随分先までいっぱいで予約できなかったので、一階でのランチ。




緑のアーチをくぐりエントランスに入ると、華やかな生け花が迎えてくれます。
室内は、絨毯もカーテンもラベンダー色に統一。
テーブルには紫の蘭の花が。




生雲丹甲殻類のジュレになめらかなフヌイユのクレーム
ズワイ蟹とクスクスのルーロー アボガドのクーリー
帆立貝柱のポワレと、そのムースと香り高いシャトーシャロンのソース
アニバーサリー・ガトー
コーヒー




味もサービスも雰囲気も、さすがにロブション。
オードブルで期待した割には、メインはやや平凡という印象でしたが。

久しぶりの恵比寿ガーデンは、相変わらず花が咲き乱れていて綺麗でした。
こちら、もう二十周年になるのですね。
恵比寿駅からガーデンプレイスに続く動く歩道のところに飾ってある沢山の花の鉢は
今もありました。
歩道の脇の出窓のような所に、色とりどりのゼラニウムの50cmほどの鉢が
20個以上も置いてあるのです。
以前、アメリカ人の友人がそれを見て、誰も持って行かないのか、
他の国じゃ考えられないと言ったことを思い出したのでした。



ロブション http://www.robuchon.jp/
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海旅行④

2014年05月11日 | 上海旅行2014


「中国人の99.99%は日本が嫌い」(若宮清著)http://tinyurl.com/mhggl33という本があります。
amazonによれば
「日中台の平和を築くため台湾に留学し、毛沢東に憧れ、あの文化大革命にも参加し、
現在中国・台湾の政財界トップのみならずアジアに太い人脈を持っている男が語る、
興味深い中国と中国人論」ということです。
この本を読んだ感想を一言で言うなら「ムカつく」。
”ウソを100回言い続ければ真実になる。どんなに自分が悪くても絶対に謝らない。それが中国のDNAだ! ”
”戦後の日本の平和憲法下における諸政策や世界平和への希求など一顧だにせず、
六兆円というODAに感謝を示さないのも当然といえば当然”
というようなことを延々と言い続けているのですから。
反日デモのからくりや、反日教育の具体的な内容について。
「南京虐殺」についての中国の教科書の記述の具体例なども。
これを読んで、普通の日本人であれば腹が立たない人はいないでしょう。



他にも似たような趣旨の本を何冊か読んで
そんなにこちらを嫌っている国へ行くということに
最初は少々身構えていたのですが…
ほんの4日間の印象としては、ちょっと拍子抜けでした。
真意はともかく、観光客の我々は結局、いい鴨に見られていたように思います。
確かにちょっとした買い物にもボラれまくって(夫婦そろって値切りが下手)
まさしく葱背負った鴨。
そんな鴨に、そうそう酷い態度は取れないでしょうから。



といって、態度がよかったといえば決してそんなことはなく、
飲食店の店員、空港の係員、銀行の窓口、そういった人々の態度は
総じて「感じ悪い」。
つっけんどんでにこりともしない。
別に日本人に対してだからという訳ではなく、全般にそうらしい。
銀行で両替をしたときも、散々時間かけて「替えてやってる」という感じ
(少しばかりの両替にパスポート提示は勿論、3度も署名させられた)だったし
地下鉄のセキュリティ係には、顎で指示されたことも。
共産圏というのはそういうものなのか。



ワイタンの森ビル、パークハイアット・ホテルの97階のラウンジバーでは
さすがに従業員の躾は行き届いているのか、良いサービスが受けられましたが
今度は「慇懃無礼」な感じ。
一番精力的なサービス(強引な呼び込みとも言いますが)をしてきたのは、
あの丸ごとバッタ屋ビルの店員だったかもしれません。

写真は豫園です。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海旅行③

2014年05月08日 | 上海旅行2014


上海博物館は人民広場の南側に位置する、不思議な円形の建物です。
パンフレットによれば、これは中国古代の宇宙観
「天円地方」(天は円く地は方形)を示しているのだそうです。
中国が世界に誇るというこの博物館、所蔵品は百万点、そのうち重要文化財は13万点。
青銅や彫刻、陶磁器、印鑑、書画、絵画、玉、少数民族工芸品など多岐に渡り、
我々は半日をここに費やしました。
入場無料、嬉しいことに撮影も自由なのです。





有名な青銅コレクションは言うまでもありませんが
少数民族工芸品というのもカラフルですばらしい。
中国って56もの民族からなる多民族国家なんですね。



巨大な建物は吹き抜けになっており、
そこここに観葉植物が飾られている。
一番上の階からポトスが大胆に垂れ下がり、
大きなシュロの木やベンジャミンなどの緑が
膨大な美術品を見過ぎて疲れた目を癒してくれる。



ところが私は気がついてしまったのでした。
館内で飾られている観葉植物が
すべてフェイクであることに…

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海旅行②

2014年05月07日 | 上海旅行2014


今回の上海行きを夫が決めたとき、思い浮かんだのは
上海在住のM女史のことでした。
もう何年も前から某SNSで親しくして頂いているのですが
5ヶ国語を自在に操り、ドイツとイタリアと日本の国家資格を持ち、
イタリア生活についての本も書いていらっしゃるというスーパー・レディです。
以前はイタリア人の御夫君とミラノにお住まいでしたが
2年ほど前から上海で仕事をなさっているのです。
お忙しくて無理かなと思いつつ連絡してみたところ、
快く2日間も付き合ってくださったのでした。

このM女史、170㎝超の長身で足も長い。
素敵な衣装に身を包み、その足で颯爽と歩かれるのですが、その速いこと。
自慢じゃないが、私はかなり健脚の方なのです。
普段から地下鉄2~3駅歩くのは当たり前だし、旅に出れば一日3万歩くらい歩く。
その私が顎を出すくらい…いや、凄かった。
しかも建築が趣味という彼女、上海の古い洋館の建築様式について
楽し気に解説してくれながら街を縦横無尽に歩き廻り、
夫と私、ついて行くのが精一杯。
よい勉強になりましたが
後から考えると何処をどう歩いたのやら…



 5cmほどの籠に虫が一匹ずつ入っている

しかし、おかげで旅行者の立場では気がつかないような裏町のアパートメントや、
虫(コオロギやバッタやキリギリス、或いは5mmほどの極小の虫、あれ何に使うのだろう?)や
鳥や亀や金魚や小動物(すべて愛玩用だと思いたい)を売っている市場や
かつて栄華を極めたというユダヤ人の豪壮なお屋敷など
面白いものを盛り沢山に見ることができたのでした。

 5mmほどの虫



中でも面白かったのは、丸ごとバッタ屋というビル。
バンコクやソウルなど色々な都市で、エセブランド物を売る屋台や市場を見てきましたが
そこは屋台でも青空市でもなく、大きく立派なビルなのです。
その中に何百という小さな店があり、エセブランド品を売っている。
店の中に入っていくと何が欲しい?と聞かれ、グッチのバッグなどと適当に答えると
奥の棚を押して隠し倉庫を見せてくれるのです。
そこにはありとあらゆるエセブランド品が。
手にとって見た限りでは、本物とどこが違うのか分からない。
値段は十分の一以下。
しかしビル丸ごとバッタ屋って…
これって摘発のしようがないじゃないの?
不法もここまで堂々とすると、不法じゃないように思えてくる。
恐るべし中国人!





コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海旅行①

2014年05月06日 | 上海旅行2014


高樹のぶ子の「甘苦上海」を読んだのはもう3~4年前のことか。
”欲望を肯定する街、上海を舞台に女実業家の最後の激しい恋”(amazonより)
というキャッチコピーの、日経に連載された小説。
51歳の女が39歳の男に出逢い、悶え苦しむほどの欲情と悦楽と嫉妬に苛まれるというので
期待して読んだのですが、女主人公に今ひとつ共感できず、たいして面白いとも思いませんでした。
しかしその中に描かれた上海という街のバブリーな豪華さ、そして裏街の猥雑さが
妙に印象に残ったのでした。



「欲望を肯定する街」ってどういうことよ?
つまりやりたい放題、何でもありということか。
それって東京でもNYでもパリでも一緒じゃないの、と思っていたのですが…



連休に訪れた上海から昨夜帰って来ました。
百階超の高層ビルが建ち並び、華やかなブランドショップが軒を並べ、
しかしその裏には貧民窟がびっしりと寄り添い、洗濯物が万国旗よろしくはためいている。
行き交う人々はブランドに身を包んだ人あり、破れた綿入れを着た人あり、
そしてそこら中で痰吐きまくり。
私はこの4日間で何度、路上での人の排泄行為を目撃してしまったことか。
幼児は未だにお尻の割れた服を着ているし。
美しく建ち並ぶ高層ビルを見上げる路上には、ゴミあり痰あり糞あり使用済みティッシュあり。
確かに何でもありだ…
しかし全体的に感じたのは、物凄くたくましいエネルギーでした。
ほんの4日間の印象を書いてみます。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする