Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

誕生日ディナー@メゾン・ポール・ボキューズ

2014年03月29日 | グルメ


代官山のメゾン・ポール・ボキューズ。
螺旋階段を降りて行くと、アール・ヌーボーとモダンが調和したという
シックかつゴージャスな店内が広がります。
昼間にここに来たことは何度かありますが、夜の訪問は初めて。
夜はどんな顔を見せてくれるのかとおのずと期待が…



赤と黒を基調色としたメイン・ダイニング。
大輪のカサブランカが華やかに飾られ、優雅な香りを放っています。
一見して昼と違うのは、お客の数が少ないこと。
昼間は女性客でいっぱいでとても賑やかなのに
そこここに男女のカップルが見られるくらいで静かなものです。



アミューズ
グリーン・アスパラガスのムース ウニを添えて
リー・ド・ヴォーとフォアグラのポワレとホワイトアスパラガス
真鯛のソテー エモギ茸を載せて アサリとバジルの香りのソース
小鴨のロースト 黒胡椒風味の赤ワインソース 季節野菜のジャルディニエール風
苺とマスカルポーネのガトー ピスタチオの香り



1975年にエリゼ宮でVGEに捧げたトリュフのスープ

このパイで包まれたトリュフのスープというのは、こちらのスぺシャリテです。
VGEというのは、時の大統領ジスカール・デスタン氏。
エリゼ宮で捧げただなんて、昨秋観た映画「大統領の料理人」の世界のよう。
”サイコロ状にカットした牛ほほ肉、フォアグラのテリーヌ、黒トリュフのスライスが
ふんだんに入っており、香りが逃げないようにパイ生地で蓋をしたもの”ということ。
香ばしいパイ生地をつつくと、得も言われぬ香りのスープが現れる。
うーん、美味しい…
そしてバースディ・プレートとデセール。



今回「シェフのお任せコース」というのを選んだのですが
そのメニューの詳細はお店のHPに出ていないのです。
”その日の入荷状況により厳選し、食材に合わせて考えた季節限定のシェフお薦めの特別コース”
と書いてあるのみ。
なので、料理の名前など細かい所は違っているかもしれません。
小食の私は、お昼を抜いてこの時に臨んだのでした。
それでも完食はできませんでしたが。

メゾン・ポール・ボキューズ http://www.paulbocuse.jp/maison/
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院展とバター茶

2014年03月27日 | お出かけ


義姉(兄のお嫁さん)が院展に入選したといって招待状を送ってくれたので
日本橋の三越に観に行って来ました。
「春の院展」は三越の中に第一会場から第三会場まであり、
中々の賑わいでした。



日本橋の三越は全館が桜祭り。
あちこちに桜がしつらえてある中、
相変わらず年齢層が高いなあなんて思いながら歩いていると
一階の正面の天女像の前で「ブータン祭り」をいうイベントをやっていました。
ブータンの観光名所や音楽などを紹介しながら
かの地のお茶、バター茶や伝統的なお菓子を楽しめるというのです。



バター茶!
映画「セブン・イヤ―ズ・イン・チベット」の中に登場してきたお茶。
ブラッド・ピットがチベット人に勧められて
これはどうにも好きになれないと言いながら飲んでいたような。
私は映画で感動して、その原作も読んだのでした。
そして何度も出てくるバター茶というものがずっと気になっていたのです。



ブータンの素朴なお菓子と、バター茶を注文。
しょっぱい!そしてバター臭い!
表面に油膜がギラギラと。
確かにお茶というよりはスープです。
同行の友人はタン茶というものを頼み、
これは薄い烏龍茶のような味わいでした。
お菓子は、そば粉で作ったというクッキーや、リンゴと生姜と山椒で作った
という不思議な、しかし何処か懐かしいような味のもの。

日本で本場のバター茶を飲めるとは。
こちらに留学しているというブータンの案内人から色々な話を聞くこともできたし。
国民の幸福度が世界一高いという秘境ブータン、いつか行ってみたいものです。
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キリンのキス

2014年03月25日 | 社会


マリオさんは54歳、オランダのロッテルダム動物園で
25年間飼育係を勤めたのだそうです。
末期癌となり、最後に動物園を再訪したいと願った彼は
ベッドに横たわったまま動物園に。
すると1頭のキリンが彼に近寄り、キスをしたのですって。
ああ、いい写真…
Giraffe Kisses Dying Zoo Keeper Good-Bye
http://www.buzzfeed.com/richardhjames/giraffe-kisses-dying-zoo-keeper-goodbye



もうひとつ、訃報を。
イラストレ-ターの安西水丸さんが亡くなられたのですってね。
亨年71歳。
明るいポップなイラストも、淡々としたエッセイも好きでした。
彼が描く、トボンとした顔で短足の村上春樹の似顔絵ももう見られないと思うと
何とも寂しい。
御冥福をお祈り致します。



安西水丸さん死去
http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/24/mizumaru-anzai_n_5019467.html
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Zooeyという名は…

2014年03月23日 | 


昨日のいつもの高校時代の飲み会で
その中の一人から今「フラ二―とズ―イ―」を読んでいると聞いて驚きました。
私の同級生なのですから、当然もういい歳をしたオジサンなのです。
何故に今頃サリンジャー!?
若い頃読み損なったから、というのが彼の返事でしたが。
Zooeyってどういう意味ですか?と聞かれることが今もありますので
久しぶりに書いてみます。

私のハンドル・ネームZooeyはこの小説から取りました。
もう長いこと読んでいませんが、実に青臭い、理屈っぽくて鼻持ちならない小説です。
”名門女子大で演劇や詩を学ぶグラース家の末娘フラニーは、過剰な自意識に
さいなまれ、エゴの蔓延する世の中に吐き気をもよおし、デートの最中に失神する。
心身のバランスをくずした彼女を兄ゾーイーはなんとか力づけようとして…(中略)
服装や言動の緻密な描写が暗示する登場人物たちの内面、すれ違っていく男女の心、
フラニーが神経衰弱に陥っていくまでの心の動き、妹を救うためのズーイーの奮闘、
そして、死してなお絶大な影響力を持つシーモアの思想…(野崎孝訳 amazonより)”

ほら、つまらなさそうでしょう?
今では手に取る気もしません。
しかし、いまだに覚えているということは、それだけ印象的だったのでしょうね。
多感な十代の頃、こんな冗長でつまらない小説を読んで、慰められたことが確かに
あったのだと。そのことを忘れたくなくて。
それにズーイーという、トボケタ語感が好きなのです。

最近、村上春樹がこの小説の新訳本を出したと新聞に出ていました。
そうしたら2~3日前、やはり高校時代の友人(男性)が
ヘルシンキ空港でトランジットの間、この新訳本を読んでいるという記事をFBに。
私が気になってはいるけれど、今更あまり読む気がしないとコメントすると
”「今となってはあまり読む気しない」同感です。サリンジャーは、子供でも大人でも
無い時期にのみ感情移入できる。ズ―イ―さんも面倒な時期を通り過ぎ、
無事大人になってよかったね。”という返事。
そうなんですよね…
大人になり過ぎた気がしないでもありませんが。

しかし正確に言えば、私は十代の頃もサリンジャーはちっとも好きではなかった。
それなのに、トールペイントを中心としたHPに「Banana Fish's Room」という名前を
やはりサリンジャーの小説から取ったというヘソ曲がりです。

「フラニーとズーイ」


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「それでも夜は明ける」

2014年03月20日 | 映画


今年度のアカデミー賞作品賞となった作品。
1853年発表のソロモン・ノーサップの自己の経験談“12 Years a Slave”の映画化。



物語は1840年代のニューヨークから始まります。
自由黒人であるバイオリニストのソロモンは、妻と二人の娘たちと幸せな生活を
送っていた。しかしある日騙されて、南部に売り飛ばされてしまう。
酔いつぶされた彼が目覚めると手足を縛られており、
そこにはもう彼の名前も尊厳もなかった。
ニューオーリンズの奴隷市場では男も女も全裸で並べられ、家畜のように売買される。
大農園主に買われ、違う名前をつけられ、
読み書きできることも隠さなければならない奴隷としての
ひたすら忍従の日々が始まる。
口答えしたといって殴られ、作業が気に入らないといって殴られ、
摘み取った綿が少ないといって鞭打たれ、女奴隷をかばったといって殴られる。
彼が聡明なアイデアを出したことに嫉妬した無能な白人によって
首吊りの刑にさえ遭うのです。
あのシーンは見ていて本当に息苦しかった…



子どもの頃に「アンクル・トムの小屋」を読んで涙した時から
奴隷問題は常に意識の奥にはありました。
あれから「ルーツ」「アミスタッド」「カラー・パープル」「ミシシッピー・バーニング」など
色々な作品を観て来ました。
最近では「ヘルプ」もそのひとつか。
しかし、ここまで奴隷の生活を生々しく描いた作品も珍しい。



134分観続けることが拷問のような作品です。
鞭打ち、首吊り、レイプ、残虐な場面が次々と。
映画館で目を閉じることはできても、耳をふさぐことはできない。
人間はここまで残虐になれるものなのか?というシーンの連続。

しかもこの映画、観終わった後もちっともスッキリしないのです。
タイトルが表す通り、ソロモンは12年の後、救われた。
しかし一緒の農園にいた、或いはその頃アメリカ南部にいた、
その他の夥しい奴隷たちは、更なる悲惨な生活を続けたのですから。
エンドロールに、その後ソロモンが奴隷解放運動に関わったというテロップが出たのが
せめてもの救いか…
黒人監督(スティーヴ・マックィーン)作初のアカデミー賞作品になったということも
大きな意味があるのでしょう。

「それでも夜は明ける」 http://yo-akeru.gaga.ne.jp/
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世にも新鮮なピーナッツバター

2014年03月15日 | お出かけ


まだまだ引越しの片づけが終わりませんが…
できたてほやほやのピーナッツバターが手に入ると友人から聞いて
ナショナル麻布マーケットに行って来ました。

お店の一角に「Peanuts Butter Container」という赤い機械があります。
その下にピーナッツとアーモンドの袋が山積になっており、
ピーナッツの袋を一つ取って破り、赤い機械の上部に流し込むと
下から、ニョロニョロとできたてのピーナッツバターが出て来ます。
なるほど、世にも新鮮だ!
ピーナッツバターってこうやってできるんだ…
防腐剤も乳化剤も調味料も一切なし。
しかも、透明なプラスチックのカップにとぐろを巻いて入って行く姿といい、
横に積んである薄茶色の四角い紙といい、
いやこれ、一つ間違えるとまるで違う場所の光景のような…
(台の上の左端にあるカップが私の分)



アメリカ人の友人から、彼らがいかにピーナッツバターを愛好しているかは
日々聞き及んでいます。
「ピーナッツバター&ジェリーサンド」は彼らのお弁当の定番だし、
チャーリー・ブラウンもランチにこればっかり食べていたような。
(私の友人は学生時代のホームスティ先で、一年間この弁当だったと怒っていた)
生のリンゴにピーナッツバターを付けて食べる友人を目撃したことも。

焼き立てのトーストに早速これを塗ってみました。
香ばしいけれど味がないので、蜂蜜をトロリ。
それでも何か物足りない。
そういえば塩気がないんだと気がついて塩をパラパラ。
ようやくこってりと美味しくなりました。
「塩梅」とはよく言ったものです。
これをベースに、ホウレンソウや菜の花を和えても美味しそうです。

このスーパーに、学生時代初めて行った時は感激しました。
その頃はまだまだ珍しかった輸入製品が所狭しと並べてあり、
店内を行き交うのは外国人ばかり、交わされる言葉も異国のそれで
地方から出てきた若者には、何と新鮮に映ったことか。
随分と久しぶりに行くと、小さな店内は明るくお洒落になっていました。



ついでに、その近くにあったツリーハウスのあるカフェ、
Cafe Les Grands Arbres(カフェ・レ・グラン・サルブル)。
下が花屋さんで、その上がオーガニック・カフェであるらしい。
広尾の細い裏通りにツリーハウスが本当にあるなんてびっくり。
時間がなくて寄れなかったのが残念でした。

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引越しました②

2014年03月10日 | 家庭


次男が先週の日曜日の夜、九州旅行から帰って来るなり、
目が廻る、もう駄目だと言って寝込んだのです。
計ると38.7℃。
翌朝3日、一番に内科で診て貰うと、インフルエンザ。
次男はそのまま、新しいベッドだけ買ってあった転居先で休むことに。
その日は引越会社の女性が3人我家に来て、荷物を梱包して貰うことになっていたのです。
さすがプロ、早い早い。
膨大な荷物があっという間に綺麗に包まれ、段ボール箱に収まっていきます。
朝から始めて夕方には我家はがらんどうとなり、180個の箱が山と積まれました。

私はその日、昼間は元気だったのですが夕方頃からどうもゾクゾクしてきて…
翌日4日の朝、休みを取っていた夫と共に、次男が診て貰った内科へ。
息子が昨日からインフルエンザ、今日引っ越しなんですけどというと、
イナビルという薬を出してくれました。
小さなプラスチックのケースに口を当て、その場で数回、強く吸引する。
それだけで数日効くのだそうです。
その医師によればタミフルよりも強力で、高熱が出るのを抑えてくれるのだとか。
助かった…

内科から帰るなり、引越会社の若者たちが続々と来て、トラックへの搬入がスタート。
我家の息子たちと変わらないような年齢の若者たち、
額に汗してクルクルと、まあ気持ちよく働くこと。
午後にはトラックに積まれた荷物は転居先へ。
最大時には9人の若者が作業したのだそうです。
私はマスクをして、聞かれたことに答えたり、何を何処へと指示するのが精一杯。
どうにも体調悪く、本当は寝ていたいところでしたが。

特効薬イナビルも、人によって効き方が違うようです。
次男はすぐに熱が下がって、楽になったようでした。
夫にも非常に効果的であったようで、結局発熱もなく終わりましたが
私はずっと微熱が続き、咳と鼻水と喉痛、関節痛に悩まされました。
あれから1週間経った今でも、酷い鼻声と鼻水が続いています。
それでも数年前にインフルエンザに罹った時、39℃以上出して唸っていたことを思えば
この程度で済んでありがたいと言うべきか。
次男もようやく出勤停止が解け、今日から出社しました。
で、私は段ボール箱の山を片付けなくっちゃ…



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引越しました

2014年03月09日 | 家庭


暫くの御無沙汰でした。
今週の火曜日、マンションの買い替えで引越をしました。
以前の住いと同じ最寄り駅。
夫は、今度は都心に移ろうかとも言ったのですが
今の生活圏を捨てることに未練が残る、私が反対したのでした。
転勤なら仕方ないとしても、せっかく作った人間関係や馴染んだ生活を
自ら進んで捨てる気にはとてもなれません。

本当はもっと前に買い替えしたかったのですが
前のマンションをまだ高い頃に買ってしまったため、
あまりにもの値崩れの為に売るに売れないでいたのでした。
今も値下がりは酷いのですが、新築分譲だった建物もどんどん古くなってしまうし、
ここらが潮時かと。

今度の住まいは、以前のよりも少し広く、駅に少し近く、
そして新しくなりました。
と書くといいことづくめのようですが、
私は以前の部屋にとても愛着を持っていたのです。
なんといっても18年も住んだのですから。
小学生だった息子たちは、中高大学と進み、そして社会人に。
長男が独立し、タロウがやってきました。
色々なことがあったなあ…
という訳で、今も未練たらたら。
思い出に、以前の部屋の写真をアップします。
16畳のリビングに、テーブルとサイドボードと50インチのテレビとソファ、
後はトールペイントの作品。
高価な家具は何もありませんが、東南の三ヶ所に窓がある部屋は明るく、
割と広々として気に入っていました。

同じ町内と言っても、引越は引越。
段ボール箱がほんの180箱。
まだまだうず高く積み上げられています。
しかも引越のその日、私はインフルエンザに罹ってしまったのでした(続く)。
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