Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

災い転じて

2012年08月31日 | 社会
スペインの小さな町の教会の、聖画修復に関するニュースを聞いたのは
数日前であったか。

スペイン19世紀のフレスコ画「修復」のなれの果て
http://www.cnn.co.jp/fringe/35020830.html

騒ぎを起こした本人セシリアおばあちゃんの自己弁護を聞いて唖然としたのも束の間、
FaceBookで彼女のフアンクラブができたと聞いて
もっと驚いたのでした。
そうこうしているうちにネットでは、そのパロディ画が氾濫。

 
こんなのや

  
こんなのや

  
こんなのまで。

小さな教会には終日観光客が押し寄せ、
町起こしにもなったのだそうです。
今やこの絵をモチーフにしたTシャツやグッズまで
ネット上で売られているのだとか。
なんというか…
世の中、退屈している人が多いのか!?


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モンマルトルの丘

2012年08月28日 | パリ旅行2012
モンマルトルは、ピカソやルノワールなど数多くの芸術家が愛した街。
丘の上に白亜のサクレ・クール寺院が建ち、そこに至るまでの石畳の道は
何処を取っても絵になるような、そして何処でも人々が集まって陽気に騒いでいるような
そんな街です。



ここを舞台にした映画はいくつもあります。
10年ほど前の「ムーラン・ルージュ」「アメリ」は有名ですが
私にとってもっと印象的だったのは、98年の仏映画「ロートレック 葡萄酒色の人生」。
伯爵家の長男として生まれたロートレックは、子どもの時に成長が止まってしまい、
150㎝ほどの身長しかなかった(近親結婚によるという説もある)。
名門貴族の家に生まれた男として、どんなに屈辱であったことかと思います。
結局酒と賭け事に溺れ、ムーラン街の娼婦館に入り浸り、
アルコール中毒と梅毒に身体も心も蝕まれて、36歳で短い生涯を終えています。
その彼が愛したのが、当時モンマルトルの女神としてもてはやされたモデルのシュザンヌ。
映画の中で彼らが出逢った時、揺り籠の中に入っていた赤ん坊がユトリロです。



ユトリロもまた、酒に溺れた人生を送ったのですね。
ものの本によれば、シュザンヌの私生児として生まれ、母親の愛も十分に受けずに育ち、
学校に馴染めず、8歳で精神薄弱と診断されたらしい。
17歳でアルコール中毒となり、20歳で初めて精神病院へと。
その後も暴力事件を起こしたりして、精神病院への入退院を繰り返したらしい。
初めはなんとかアルコールから気を逸らせようとして
母親が絵筆を握らせたのだそうですが
彼の絵が売れるようになってからは、息子を金ヅルとして利用したという説も。
彼の描く静謐な美しい街の絵からは、とてもそんな醜い背景は見えないのですが…



この街の路上では、結婚式を挙げて記念撮影をしているカップルに
3組ほど出逢いました。
写真はその一つです。
撮影をしている間、只でさえ狭い道は通行止めになるのですが
暖かい声援が送られているようでした。


(絵葉書から)
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美の競演

2012年08月26日 | パリ旅行2012
今回はパリをのんびりぶらつこうと思っていたのですが
行けば貧乏症が出て、これでもかと歩いてしまう。
私のスマホについている歩数計を見てみたら
一日3万歩ほど(20Km強)歩いていました。
パリは何処も絵ハガキのように美しく、その石畳を歩きたくなるし(実はゴミだらけだったりもするけど)、
例えば美術館に行けば又歩いてしまう。
そしてパリにはなんと多くの美術館があることか!

 オルセー美術館(Wikipediaより)

オルセー美術館は、以前駅舎であったという大きな建物をそのまま美術館にした所で
大きな時計が残っています。
ここも教科書で一度は見たようなお宝だらけ。 
コロー、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、ロートレック。
3階から順番に観て行って、1階のミレーの「落ち穂拾い」を観る頃にはもう、
ありがたみがなくなってしまう…



オランジュリーは、元々はテュイルリー宮殿のオレンジ温室だったところを
1927年、モネの「睡蓮」の連作を収めるために美術館として整備されたのだそうです。
円形の二つの部屋に、細長い「睡蓮」の連作が4枚ずつぐるりと取り囲んでいる。
天井から優しい自然光が降り注ぎ、まるで睡蓮が咲き乱れる公園にいるかのよう。
これに相当感動するのに階下にはまた、セザンヌ、マティス、モディリアーニ、ピカソ、ルノワールなど。
オルセーもオランジュリーも撮影禁止であったので
時計以外はネットから拾った画像です。

 (「睡蓮」Wikiより)
 (こんな感じ)

小さいけれど私が好きだったのが、カルチェラタンにある中世美術館。
ここには15世紀の作の「貴夫人とユニコーン」というタペストリーの6連作があり、
中東の香りも漂うような、摩訶不思議な赤い色調が素晴らしい。
これは1枚が縦も横も3~4mと非常に大きいのです。
中世の重厚な建物の中の薄暗い部屋で、この6枚の連作に囲まれていると
自分が何処にいるのか一瞬分からなくなります。


( 絵葉書から)

他にもシャイヨー宮内の建築文化財博物館、
カルナヴァレ博物館、ドロクロワ記念館など観て歩きました。
パリの、美や芸術に対する貪欲さには舌を巻くばかりです。

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海の底の寝室

2012年08月25日 | 社会


FaceBookでこんな美しい写真を見つけました。
合成写真?
こんな素敵なベッドルームが本当にあるの?
例によってソースはよく分からないのですが
珍しく、Underwater Bedroom @ Conrad Maldives Rangali Island Hotelという
言葉がついている。
このホテルの名前で検索してみたら
こんなサイトが見つかりました。

Sleeping in an Underwater Bedroom Would Be Amazing
http://gizmodo.com/5820721/sleeping-in-an-underwater-bedroom-would-be-amazing

これによると
ここはコンラッド・モルディヴ・ランガリ・アイランド・ホテルの中にある
有名な海底レストラン。
ホテルの5周年を記念して、特別ベッドルームにするという企画があったらしい。
シャンパン・ディナーとベッドでの朝食つ​きの宿泊プラン。
インド洋の魚を180度ビューで楽しみながら、青い海の底で眠る。
いいなあああ…



このホテル一体幾らくらいなのだろう?と更に検索したら
このサイトが。
http://tinyurl.com/9tovwqz

試しに9月1日土曜の一泊、大人2名で入れてみると
6万6千円~18万7千円。
更に税金・サービス料プラス。
あの特別プランの値段は分かりませんでしたが
いずれ庶民には中々手が出ない料金なのでしょう。
まあ夢は夢として…
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「真夏の夜の夢」

2012年08月23日 | 劇、オペラ、コンサート
渋谷文化村のオーチャード・ホールで
熊川哲也Kバレエカンパニーの「真夏の夜の夢」を観てきました。



深い緑の森の中を、熊川哲也扮するいたずら妖精パックが
縦横無尽に飛び廻る様には、ただ見とれてしまいます。
人間の身体一つでここまで美を表現できるバレエっていいなあと
今更ながらに思います。
他の妖精や姫たちのまとう薄衣や花冠は夢のように美しいし、
色々な諍いや駆け引きの後、男が女を軽々と抱いて踊り上げる
グラン・パ・ド・ドゥにはうっとりとするし。
バレエって本当に、少女の夢が凝縮された世界のようです。



文化村のオーチャード・ホールは音響もよく、座席もよく、
トイレも清潔かつ機能的で言うことなし。
ミラノ、ウィーン、そしてパリと色々なオペラ座を観て来ました。
そりゃ建物の豪華さにおいては、欧州のオペラ座とは比べ物にならないし、
煌めくシャンデリアや華やかな天井画もありませんが
そして栄華に満ちた歴史もありませんが
機能美という点では、日本のホールも決して引けを取らないと思うのです。
文化村のドゥ・マゴ・カフェには無礼なギャルソンもおらず、
ウエイトレスは笑顔でてきぱきと働き、店のセンスもよく、
水も無料で素晴らしい。
ただ一つの問題は…

パリのオペラ座、シャガールの天井画

バレエのチケット、高すぎ。
S席18000円、A席14000円。
もっとも私は、ヨーロッパのオペラ座は中を見学しただけで(それも有料)
実際に演目を観たのは、ロンドンのハー・マジェスティズ・シアターだけなのですが
それでもパンフレットやHPを見る限りでは、日本よりずっと安いようです。
やはり完璧ということはあり得ないのか…

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憧れのモン・サン・ミシェルは…

2012年08月22日 | パリ旅行2012
今回の自由な旅行の中で
モン・サン・ミシェルだけオプショナル・ツアーで行って来ました。
朝7時オペラ座の近くに集合。
バスに乗って、途中のトイレ休憩を入れて4~5時間ほどパリから西へ。
11時半頃着き解散、4時半に帰りのバスに乗り込み、9時過ぎにパリ着というものです。
ノルマンディーの牧草地帯をひたすら走り、あの奇怪な古城のような姿が見えてきた時は
思わず息を呑みました。



Wikiによればここは、ヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られ、
潮の満ち引きの差は15メートル以上あるのだそうです。
このためはここは、かつては満ち潮の時には海に浮かび、
引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていたのだと。
昔は多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたのだそうです。
ここまでは私も、なんとなく知っていましたが…

 引き潮状態

1877年に対岸との間に陸続きの道路が作られ、いつでも島へ渡れるようになった。
しかしこれによって潮流がせき止められることになり、島の間際まで潮がくることは
滅多になくなってしまった。かつての姿を取り戻すべく、2009年には道路が取り壊され、
2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されているのだそうです。(Wikiより)



そうだったのか…
しかし2012年8月、私が行った時はまだ「新たな橋」はなく、
クレーン車がのんびりと動いて工事中、潮は引いたままでした。
日帰りだったせいかと思ったのですが、その頃ここに泊った友人の話でも
やはり干潮のままだったそうです。



モンサンミシェルの歴史をざっと辿ると
8世紀初めの小さな礼拝堂の建設に始まり、
10世紀にベネディクト派の修道院として完成。
14世紀の英仏百年戦争では軍事的要塞となり、フランス革命では牢獄に。
その後、世界遺産となって今に至っているようです。
内部には、礼拝堂のほか、屋上の庭園、独房やかつての死体置き場などがあり、
私にとって印象的だったのは、直径6mという巨大な木製の滑車です。
荷物の上げ下ろしに使われたというこれ、
まるでハムスターの滑車のようだと思いましたが
本当に数人の囚人がこの中に入れられ車輪を回したというのです。
囚人たちの汗の匂いが漂い、怨念の声が聞こえるようです…

巨大な滑車

中世の修道院というのは、所によっては絶大な富と権力を持っているので
その内部の装飾など楽しみにしていたのですが
ここは革命時に窃盗しつくされたということで
ものの見事に何もありませんでした。
そんなこと、ガイドブックにはまったく書いてないのですが。
ここは、外観だけを楽しむ方がよいかもしれません。
ちなみに名物のふわふわオムレツも味は非常に薄く、私は残してしまいました。

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パリで並ぶ

2012年08月19日 | パリ旅行2012
今回の旅行の直前になって
そういえば美術館のチケットを事前購入しないでいいのだろうか?と
不安になったのです。
海外の美術館は、国にもよりますが、団体予約は優先されてすんなり入れても
個人の客は長い列を作っていたりするのです。
そうしたら、特に8月などのハイ・シーズンはルーブルやオルセーなどの
人気の美術館は2時間待ちは当たり前、買えるものなら買っといた方がよい、と
パリに詳しい友人に教えられて。
あわててミュージアム・パスというものを購入したのでした。


(長い行列ができている)

これは、パリの主要な美術館と見どころに自由に入れるというもので
2日分、4日分、6日分とそれぞれ値段も違い、日本からもネットで購入できるほか、
パリの空港や美術館でも買えます。
これの4日分を50ユーロほどで購入。
美術館の入場料は10ユーロ前後なので、5つ以上の美術館に行かないと元は取れませんが
これは正解でした。
パリの美術館や凱旋門などの見どころでは、チケットを買う人の列と、
チケットを持って入場を待つ人の二つの列ができているのです。


(ピラミッドの真下のエントランス・ホール)

チケットを持っていても、美術館によっては手荷物審査があり、
これに時間がかかる。
しかしこれ、美術館によって、あるいは係員によって物凄く差があります。
ルーブルの審査は入念だと聞いて、あのお宝が30万点以上所蔵の宝庫じゃさもありなんと
覚悟していたのですが、私が行った時は係員の機嫌がよかったのか(あるいは疲れていて
どうでもよかったのか)殆どノーチェックでした。
かと思うと次の日行ったオルセーでは
びっくりするほど厳しい審査が。
ここまで違ってよいのか…?


(ノートルダム寺院)

ルーブルはとにかく並ぶと聞いていたので、開館30分前には現地に到着。
おかげで30分待っただけで入れましたが、我々が出てきた午後過ぎには
あのピラミッドの周りに、端が見えないほどの長い列ができていました。
あそこは強い陽射しを遮るものもなく、長時間待っている間に日射病で倒れる人が
後を絶たないので、救急車が常時待機しているのだそうです。


(ノートルダム寺院の横。無数のガーゴイルが突き出している)

ノートルダム寺院も、8時の開館時に行ったおかげで難なく入れました。
中のステンドグラス、バラ窓やマリア像などじっくり観賞した後で外に出ると
建物の横に10人ほどの行列ができている(この時9時20分)。
先頭の人に何を待ってるの?と訊くと、10時開場の塔に登るためだというのです。
ベルギーから来たというお兄ちゃん、自分はこの寺院の塔から
パリの街並みを眺めるのを楽しみにしていたのだと。
しかし、この時は薄ら曇りで風も強く、結構寒かったのです。
(この日の午後は暑くなりましたが、朝夕のパリは結構冷える)
こんな寒い中ただ待つのはごめんだと、我々は近くのセイント・チャペルなど見学。
2時間ほどして帰ってきたら、ずらりと果てしない行列が。
最後尾を目指して歩き出したのですが、中々辿りつけない。
こりゃ2時間以上かかる、あの時待ってりゃよかったねとあきらめたのでした。

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美の殿堂は巨大な迷路だった

2012年08月18日 | パリ旅行2012
地方から東京の大学に入って初めての夏休みを迎える頃、
その過ごし方について級友の一人が言った言葉に驚いたものです。
「パリのアパルトマンをひと月借りて、ルーブルに通うわ」
1ドルが240円で、格安航空券なんてまだまだなかったあの頃。
尋常じゃない金持ちの子弟がたまにいる学校だということは知っていましたが
この発言は、地方出の18歳を驚かせるに十分なものだったのでした。

 

それから季節は巡って幾歳月。
海外旅行は庶民のものとなり、私もようやく美の殿堂に。
近年「ダ・ヴィンチ・コード」(私は映画よりも本の方が面白かった)に
ルーブル美術館が出てきたのは記憶に新しいところです。
しかし、でかい…
ロンドンの大英博物館も、NYのメトロポリタン美術館も大きいと思ったけど
ここはその比じゃないなあ。
さすが元々はパリの街を守護するための要塞であり、その後はフランス王家の宮殿で
あっただけのことはあります。
方向音痴の人間にとっては、あちこち回っているうちに現在位置が分からなくなり、
一生抜け出せないのじゃないかと危惧させる巨大な迷路の様でもありますが…

 

美術の教科書に載っていたような名作が右にも左にもごろごろあり、
あまりにもお宝が多すぎて、ありがたみが薄れるような。
サモトラケのニケ、ミロのヴィーナス、ナポレオンの戴冠、モナリザ、民衆を導く自由の女神…
じっくり観ようと思ったら、確かにひと月くらい要るかもしれません。
写真撮影も自由なので、最初のうちは喜んで撮っておりましたが
途中でやめました。
だってきりがないんだもの。

 

そして、ここのトイレがお粗末なことは前にも書いたとおり。
私が入った個室の一つは鍵が壊れており、一つは便座がありませんでした。
質が悪いだけでなく、数も少ないので
たまたま見つけた時に入っておかないと大変なことになります。



うっとりするほど美しい芸術品の数々と
質も量も不満足なトイレの実態。
何やらパリの街を象徴するようだと言ったら言い過ぎでしょうか…
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ノートルダムのせむし男

2012年08月17日 | パリ旅行2012
ノートルダム寺院正面

子どもの頃愛読した世界児童名作全集の中に、ヴィクトル・ユーゴーの
「ノートルダムのせむし男」が入っていました。
ノートルダム寺院の鐘楼守は、世にも醜い容貌で寺院の中に隠れ住んでいたが
美しい踊り子エスメラルダだけは優しくしてくれた。
男は彼女を愛し、危機に見舞われた彼女を救おうとするのだが…
寺院の石の螺旋階段を、小さな醜いせむし男が綺麗な娘を背負って
必死に登っていく挿絵が印象的でした。
近年、ディズニー映画から「ノートルダムの鐘」と名を変えてアニメができたようですが
男の顔は全然醜くなく、しかもハッピーエンドと聞いて見る気も失くしたのでした。
「せむし」という言葉も今はもう差別用語になってしまったのでしょうか。
人間は外面の美醜に捉われがちであるということはどうしようもない事実で
そこから生まれた悲劇が文学となっているのに…


セーヌ川から見たノートルダム寺院

この作品といい、「オペラ座の怪人」といい、
古い大きな建物に人間がこっそり住み着くという話が
子どもの私には、どうにも想像できなかったのでした。
何日間かならともかく、何年も何十年間も、どうやって人間が隠れ住むことができるのか?
しかし今回ノートルダム寺院の実物を見て、その疑問は払拭されました。

 巨大なバラ窓

何しろでかい!
でかい上に複雑怪奇な造り。
これなら人間一人くらい隠れ住んだって誰も気がつかないかも…
ここには有名なステンドグラスのバラ窓があります。
巨大で荘厳な美しさです。
ここの塔に登り、ガーゴイル(魔物)越しにパリの街を眺めるのを楽しみにしていたのですが
長蛇の列であきらめたのでした。



この近くにサント・シャぺルという小さな教会があり、
ここにはパリ最古というステンドグラスがあります。
小さいながらも、礼拝堂は全面ステンドグラスに囲まれた幻想的な世界。
ガイドブックによると、15の窓に1134景の場面が描かれているのだそうです。

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ドゥ・マゴ本店のタルト・タタン

2012年08月16日 | パリ旅行2012
東京渋谷に映画や演劇の総合施設、文化村ができて
そこに「ドゥ・マゴ・パリ」というお洒落なカフェがオープンした時には
小躍りして喜んだものです。
半地下なのに明るい、ビルの中の吹き抜けのオープンカフェ。
小ぶりのガラスの丸テーブルに細いスツール。
ああこれがパリの香りかと。

「ドゥ・マゴ」というのは
”1884年、サンジェルマン・デ・プレの中心に創業して以来、古くはヴェルレーヌ、
ランボー、マラルメに始まり、ピカソ、ヘミングウェイなど多くの芸術家に愛され、
1世紀以上にわたってパリの人々に親しまれ続けてきた老舗カフェ”なのです。(HPより)
だからパリの古い学生街サンジェルマン・デ・プレに行った時は
迷わずこのカフェに入ったのでした。
パリ最古の鐘楼を持つというサン・ジェルマン・デ・プレ教会の目の前ですし。

サン・ジェルマン・デ・プレ教会

私は渋谷のドゥ・マゴのタルト・タタンが好きなのです。
タルト・タタンというのは素朴なリンゴのお菓子で
そう難しいものとも思えないのに、日本のケーキ店では中々お目にかかれない。
息子たちが小さい頃は手作りしたこともありますが。
で、本場ドゥ・マゴのタルト・タタンを食べるのを楽しみにしていたのでした。

ドゥ・マゴ本店

出てきたのは、バニラ・アイスを添えた、
直径15㎝ほどもありそうな煮リンゴの丸い塊。
タルト生地は底にわずかにありますが、薄すぎて味も分からないほど。
煮リンゴは甘すぎ、第一多すぎて途中で嫌になってしまう。
いくら素朴がウリのお菓子ったって、これじゃ素朴すぎるんじゃないの…?
結局私は、半分以上残してしまいました。
これが本場の味だと言われたらそれまでですが…
他の所で食べたパリのデザートは、こんなに甘すぎなくて美味しかったのに。

どう見ても煮リンゴのオバケ

しかもこのお店、地下のトイレに行ったら有料。
それ自体は微々たる金額ですが
タルト・タタンとコーヒーだけ(+チップ)で20ユーロほども払っているのに。
サービスもそれほど良くなかったし。
なんだかちょっとがっかりしたドゥ・マゴ本店だったのでした。

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