Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「ミッドナイト・イン・パリ」

2012年05月30日 | 映画


先週末に公開したばかりのウッディ・アレンの最新作「ミッドナイト・イン・パリ」を
観てきました。
本年度アカデミー脚本賞、ゴールデングローブでも脚本賞受賞。
今まで数々の作品を世に送り出してきた御歳76歳のウッディ・アレン監督の
最大のヒット作と評判高いようなのです。

作家志望のアメリカ青年ギルが婚約者と訪れたパリ。
価値観の合わない彼女との軋轢に多少疲れて、真夜中に彷徨うギルを
黄色いクラシックカーが連れて行ってくれた先は
彼の憧れの1920年代のパリだった。
スコット・フィツジェラルド夫妻やアーネスト・ヘミングウェイ、コール・ポーターや
ピカソやダリ、マン・レイやルイス・ブニュエルなど世紀の芸術家が勢揃い。
ギルは夢見心地で彼らと会話を楽しみ、
魅惑的な美女と瞬く間に恋に落ちるのだが…



文化の香り漂うゴールデン・エイジのパリを背景に
ウィットに富んだ洒脱な会話で綴るラブ・ロマンスという評判らしいのですが。
残念ながら私は、それほど感動しませんでした。
「ジュリエットからの手紙」を観てトスカーナに行きたくなったように
今すぐにでもパリに行きたくなるかと思いましたが、それほどでもなかったし。
この作品に出てくるパリは、絵葉書で切り取ったような、いかにもというパリだったし。
会話がそれほど面白いとも思えなかったし。
フィツジェラルドやヘミングウェイがそれほど好きじゃないからかしら?
(「華麗なるギャツビー」は好きなのだけど)
主人公ギルのいい加減さにも感情移入できなかったし。
ウッディ・アレンの前作の「人生万歳!」の方が、私には余程面白かった。
ちょっと残念…

感動しなかった作品については、普段は書かないのですが
今回は評判がいいのに駄目だったのが不思議なので書いてみました。
それだけの素養がなかったということか?
是非忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。

「ミッドナイト・イン・パリ」 http://www.midnightinparis.jp/
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竜巻ワン太郎

2012年05月27日 | 社会


昨日の朝日の夕刊の「時事英語に挑戦」。
"Wantaro was found curled up and uninjured near the heavily damaged home of the Ozeki family."

"curl up"は「体を丸める」「ちぢこまる」等を意味し、
これはつくば市の大関さん方に、竜巻で行方不明になった雑種犬ワン太郎が戻ってきた
ことを報じた記事なのだそうです。
curl upって、文字通り犬が尻尾を丸めて縮こまっている様子を表しているようで
非常に分かりやすいではありませんか。

そして、ワン太郎。
我家のタロウも息子たちから、バカタロウ、デブタロウ、ビビりタロウなどと
好き放題呼ばれていますが、ワンタロウというのは気がつかなかった。
負けたかも。
この記事を検索してみたら出てきました。
ワン太郎は、紐で繋がれていた犬小屋ごと竜巻で飛ばされたのが、
二日後、家から100メートルほど離れた所で無事見つかったのだそうです。

つくば市の竜巻のニュースを聞いた時、日本でもアメリカみたいなことが起こるんだと
驚きましたが、そうしたら当然、こんなことも起こるものなのですね。
カンザス・シティのドロシーが、竜巻で家ごと吹き飛ばされたように。
でも子犬のトトは、ずっとドロシーと一緒だったものね。
ワン太郎、家に戻れてよかった、よかった。

竜巻で不明の飼い犬 「ワン太郎」 無事戻る
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-2355.html
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辛辣な大人の格差物語「家族の庭」

2012年05月24日 | 社会


観るのが非常につらい映画です。
マイク・リー監督の以前の話題作「秘密と嘘」でも私は、何か喉の奥につっかえるような
感じで後味が悪かったのですが、本作はそれを上回ったような。

この映画の宣伝コピーに「ここに集まると、喜びは倍に悲しみは半分になる」と
ありますが、それは大嘘。
そんな暖かい友情を描いたハート・ウォーミングな話ではまるでなく、
実に残酷でシニカルな話なのです。

地質学者トムと心理カウンセラー・ジェリーは幸せな初老の夫婦で
仕事を愛し、週末には家庭菜園に精を出し、人を招いては手料理でもてなしている。
ここに集まるのは、弁護士の息子を除けば、どこかしら問題を持った孤独な人々。
中でもメアリーは酷い(上の写真の真ん中の女性)。

その場の空気を読めず、いつも自分のくだらない話ばかり延々と続ける。
話すことと言ったら、自分がいかに不幸せか、過去にいかに男に捨てられたか、
あるいは他人の噂話。
およそ前向きではなく、友達にはなりたくない女性の代表格です。
例えば彼女が、自分は料理ができない、今日も朝から何も食べてないなどと
惨めったらしく言うシーンがある。
愚痴ってる前に、料理本を買うなり料理番組見るなりして
自分でなんとかせいよ、いい歳した女性が!と言いたくなる。



メアリーはトム&ジェリー夫妻を友達だと思って足繁く通っているけれど
実は夫妻にとって彼女は、友達でもなんでもないということが分かってくる。
そりゃあそうでしょう。
夫妻が彼女に与えるものはいくらでもあるけれど(美味しい食事とかベッドとか)
彼女から夫妻に与えるものなんて何もないのだもの。
終盤で、息子を迎えての家族水入らずの食事に乱入されたことに腹を立てたジェリーが
メアリーにはっきりと言うシーンがあります。
貴女は私に相談するのではなく、専門のカウンセラーに話すべきだわ、と。
そんなことを言われたら、私だったらその場で立ち去ると思うのですが
哀れなメアリーは気がつかない。
そして迎えた食事。
トム&ジェリー夫妻、その息子と恋人、という幸せな人々に挟まれたメアリー。
ウィットに富んだ楽しい会話に加わることもできず、どうしようもなく孤独なメアリーが
いたたまれずに目を泳がせるところでこの映画は終わるのです。



一体何処が「喜びは倍に悲しみは半分になる」というのか?
この中では「喜びは幸せな人のもの、悲しみは不幸な人のもの」なのです。
このコピーを書いた人は本当にこの作品観たのかしら?と思いたくなります。
幸せな人とそうでない人とはくっきりと区別され、どこまでも交わらない。
メアリーだって本当はいい所が何処かにある筈なのに
マイク・リー監督は徹頭徹尾彼女を、哀れで痛い中年女として描いている。

しかし、と思うのです。
自分はメアリーではなくジェリーだと胸を張って言える人がどれだけいるのか?
彼女ほどで極端ではなくても、例えば人との会話で
つい愚痴を押しつけたり、人の噂話をしたりしていることはないか?
その場の空気を読めず、自分だけ空回りしていることがまったくないと言えるか?
そして、友達と思ってもいないのに拒否せず受け入れるトム&ジェリー夫妻は
それは優しさではなく、富裕層(精神的にも経済的にも)の奢りではないのか。
そう思うと、冷徹なジェリーよりは、哀れなメアリーの方がはるかに愛おしくなる
ではありませんか。

観終わった後、何処までもモヤモヤ感が残る嫌な映画ですが
それこそがこの監督の狙いなのかもしれません。
原題は「Another Year」 といいます。

「家族の庭」 http://kazokunoniwa.com/
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子ども、この繊細でたくましきもの「冬の小鳥」

2012年05月23日 | 映画
2009年韓国・フランス合作映画。監督ウニー・ルコント。
東京国際映画祭に於いてアジアの風部門最優秀アジア映画賞。

1970年代の韓国。
9歳の少女ジニは、父親によそ行きの洋服を買って貰ってはしゃいでいる。
大喜びで連れられて行った先は、児童養護施設。
そこに彼女を置いて立ち去った父親は、二度と戻らなかった。



冒頭で愛くるしくはしゃいでいたジニは
笑うことを忘れたかのように心を閉ざす。
食事にも手をつけず、反抗的な態度を繰り返す。
私は他の子とは違う、
お父さんはいつかきっと自分を迎えに来てくれると信じている。
父親に連絡を取ってくれと院長に訴え、施設からの脱走まで試みる。



それでも迎えは来ない。
施設の中で友達ができ、ようやく心を開きかけるが
その友達にも裏切られ、絶望的になる。
一生懸命介抱したけど、助からなかった傷ついた小鳥。
信じていた友達と作った小さなお墓。
その小鳥の亡きがらを掘り起こし、
深い穴を掘り、自分を葬ろうとするのだ。
息ができなくなって土を払いのけた彼女は
そこでひとつふっ切ることができたのか、
新しい運命を受け入れて行く。
音楽も殆ど入れず、カメラはただひたすら少女の白い顔を追い続けることで
少女の悲しみや絶望がダイレクトにこちらに伝わってくるのです。

子を持つ親として、見ていて非常につらいものがあります。
親に捨てられた子ども。
その傷の深さは、いかばかりのものか。
毎日毎日、どんな思いで来ない父親を待っていたことか。
この監督ウニー・ルコントは、実際に韓国で児童養護施設に預けられ、
9歳で養子としてフランスに渡ったという経歴の持ち主であるといいます。
監督自身が、過去に捨てられたことは確かに大きな傷跡になっている、
この映画を作ることでトラウマからの解放になったと語っています。
30年経った今となって。

 ルコント監督

子どもはたくましい。
ボロボロに傷ついても、ちゃんと立ち上がることができる。
しかし同時に、これほど繊細なものもないとも思うのです。
捨てられて傷ついて、その傷を拭えないまま一生を過ごす子どももいるでしょう。
虐待を受けた子どもが、自分の子どもにやはり虐待をしてしまうように。
”施設の大人たちがどんなに優しく親切にしてくれても、そこにいる限り
『私は捨てられたのだ』という想いをぬぐい去ることはできません”という監督の言葉が
胸を打ちます。
フランス語の原題は「une vie toute neuve」(新しい人生)といいます。

『冬の小鳥』ウニー・ルコント監督のインタビュー
http://www.nhk.or.jp/kodomo-blog/interview/62737.html
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次は300年後

2012年05月21日 | 社会


凄かったですねえ、金環日食。
6時頃起きた時はどんより曇っていたのですが
7時半前後には雲が切れて
奇跡のように見えました。
雲間から見るのも中々味わいのあるものでした。

これは友人が撮った写真。
「古いコンデジに390円の日食メガネくっつけて撮った」のだそうです。
こんなに綺麗に撮れるのですね。

今回の日食に関するニュースでは、決して直に見てはいけない、
サングラスや黒い下敷き越しももっての外と散々警告していました。
昨日の朝日新聞でも、ちらとも見てはいけない、日食網膜症になる恐れがあると
言っています。
でも…
子どものころからよく太陽を仰ぎ見ていたのに
目が潰れたりはしていない。
なのに何故!?
どなたか無知な私に教えて下さい。

何はともあれ、次回の東京での観測機会は300年後になるという金環日食。
見られてよかったー!
ついでに、今日のGoogleのトップ画像は金環日食仕様です。
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「大腸全てが異物で埋まっていた」

2012年05月19日 | 社会
千葉県柏市で、2歳の長男を餓死させた罪に問われた母親の初公判が15日に開かれました。
2011年5月、当時2歳10カ月だった長男を餓死させた疑い。
長男の死亡時の体重は5.8キロで、2歳10カ月の平均体重13.1キロの半分以下だったと。
紙おむつや段ボール、毛髪などを食べて腸閉塞を起こしていたのだそうです。
17日に開かれた裁判では、遺体を解剖した医師が
「大腸全てが異物で埋まっていた」と証言したと。

なんという…
2歳児といえば、母親に甘えたい盛り。
そんな幼児が食べ物を与えられず、
紙おむつや段ボールを食べてただなんて。
体重5.8キロだなんて。
我家の愛犬ミニチュア・ダックスが丁度5.8キロなのです。
絶句です。



FBで見かけたこの写真。
引き取られる前と後の犬の写真。
詳細は分かりませんが、ボロボロで見るのも痛ましい犬が
食料と愛情を与えられて、元気いっぱいに輝いていることが一目瞭然です。
柏の事件では、正にこの左の写真のようなことが、人間に、行われていたのです…

餓死2歳児、紙おむつ・段ボール・髪食べ腸閉塞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120515-00000330-yom-soci

医師が証言「大腸全てが異物で」2歳児餓死
http://news.livedoor.com/social_stream/list/6569523/
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盗人猛々しい話

2012年05月17日 | 社会
海外のニュースを読んでいると時々、瞬時に意味が理解できないことがあります。
このニュースもそのうちの一つ。
「泥棒に入られた被害者が、泥棒の遺族から提訴されるー中国」

うん?どういうこと?
中国紙寧波日報などによると、2010年、浙江省寧波市江北区のマンションで暮らす
李さん宅に、陳という名の泥棒が侵入。
陳は盗みを働いた後、現場から逃走を図るも、足を踏み外してマンションから落下し死亡。
陳の遺族は「息子は李さんの家に入った。李さんには息子の安全を保障する義務があるが、
その義務を怠った」という理由で李さんを訴え、
葬儀費などを含む慰謝料約67万元(約850万円)を請求したというのです。

なんのこっちゃ…?
泥棒の親が、泥棒息子が死んだのはそっちのせいだと被害者を訴えたって?
盗人猛々しいという言葉はあるが、盗人の身内猛々しいというのは知らなかった。
信じられない。
この事件、裁判所は結局、”事故当時の陳は成人年齢に達しており、明け方にマンションを
よじ登って部屋に侵入することが危険な行為であると十分理解していたと判断。事故当時、
警察が立件しなかったことからも李さんに責任はないとし、陳の遺族の請求を却下した”
とのことです。
当り前でしょう!?

しかし…
尖閣列島の事件などの詳細を読むほどに
国家レベルで、という言葉が脳裏に散らついたりもするのです。

「泥棒被害者を泥棒遺族が提訴、逃走時に足を踏み外して死亡したため」
http://www.narinari.com/Nd/20120517923.html


FBから

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食育の結果は…

2012年05月16日 | 社会
先ほどご飯を作りながら見ていたテレビ番組「ナニコレ珍百景」で
愛媛県の海辺の小学校の、豪華な給食を紹介していました。
地元の豊かな海の幸を取り入れているというその給食は
なんと伊勢海老の味噌汁やアワビの蒸しものを出していました。
それを見て思い出したのが、ネットで見たイギリスの給食の写真。



英国で今、学校の給食を紹介する少女のブログが注目を集めているそうなのです。
英紙デイリー・メールやサンなどによると、スコットランド地方西部にある
学校に通う9歳の少女が、給食に不満を持ってその写真を掲載したブログを開始。
多くの人がそれに驚き、Twitterなどを通じて話題を呼んでいるのだと。



こ、この写真は…
私が子どもの頃の給食は、伊勢海老やアワビとはいかないし、
先割れスプーンやアルマイトのお皿など食器もひどいものでしたが、
中身はそれなりに工夫されていたと思います。
もっともその頃の私は、今では考えられないほどの偏食で
給食というのは日によっては、悩みの種だったのですが
少なくともこの写真よりは、はるかにバラエティに富んだメニューでした。
今から10年ほど前の息子たちの給食は、もっとずっと進化していたし
テレビ番組を見る限り、今はもっと良くなっている。



たった写真三枚から断罪するというのも気の毒な気もしますが
しかし、これはひどすぎるでしょう。
茶色や黄色いものばかりで、緑黄色野菜というものが殆どない。
スナックのようなものばかりで、煮込むなどして手間をかけて作ったものが見られない。
ピザやコロッケやキュウリ三枚では…
こんな食事を子どものころから与えていたら、食に鈍感な国民ができて
ひいてはイギリスの食事がまずいと言われるのも仕方がないよいうな気がします。

もっとも今はジェイミー・オリヴァーやゴードン・ラムゼイ(コンラッド東京ホテルで確認済み)といった
世界的に有名なイギリス人のシェフもいることだし、
実際に英国に旅行に行った時、私は結構美味しいものを堪能したことも付け加えておきます。

わびしい給食を英少女が嘆くブログに驚きの声
http://www.narinari.com/Nd/20120517952.html
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おとなしかった「タテルヨシノ」@芝パークホテル

2012年05月14日 | グルメ
母の日に私は毎年、義母と母とに贈り物をしていますが
息子たちからは何もして貰えない。
「肩たたき券」や一輪のカーネーションのプレゼントは、小学校のときで終わってしまいました。
その代わりにという訳でもないのですが、芝パークホテルの「タテルヨシノ」でランチ。
ミシュラン二つ星。

季節毎のスペシャル・コース
 ①チーズ・シュー 

 ②温製白アスパラガスのムースリーヌソース

 ③季節野菜のエチュベ カダイフをまとった​手長海老を添えて

 ④的鯛のポワレ フヌイユのブールブランと​共に

 ⑤緑のフレジェ

 ⑥小菓子とコーヒー

こちらの看板メニューの「野菜のエチュべ」がみずみずしくて美味しかった。
デザートの「フレジェ」というのは、苺のショートケーキのことらしい。
外見はとてもそうは見えませんが、確かにその味でした。

以前、タテルヨシノの銀座店で頂いたことがありますが
あちらの方がタテルヨシノ色が強かったような気がする。
「豚の頭部肉のすっぽんスープ煮」というメイン・ディッシュにも驚きましたが
「ハーブの香りをバランス良くまとめた一皿」という名前のデザートに
目を見張ったのでした。

だって見た目は、「カエルの卵が藻に絡む古池」のようだったんだもの…
これを出されたお客はみな、取りすました顔をして食べたのかと思うと
私はつい笑ってしまったのでした。
お味は、野菜の甘味を生かしたジュレとクリームのフルーツポンチ、と
いったところで決して悪くはなかったのですが。
中々衝撃的な経験でした。

それに比べると、芝店の方がずっと常識的というか、普通の感じがしました。
店の雰囲気のゴージャス感は圧倒的に銀座店の方に軍配があがりますが
これは料金にも反映されているようです。
同じ名前の違う店を食べ比べてみるのも面白いものです。

「レストラン・タテルヨシノ」http://www.tateruyoshino.com/

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ウィーンの猫カフェ

2012年05月12日 | 社会
ウィーンに初の猫カフェが今月、オープンしたのだそうです。



”日本人の女性店主と5匹の猫がお出迎えのウィーン中心部のカフェ「NEKO」。
気ままに店内を動き回る猫の写真を撮ったり、なでたりして喜ぶ客で開店初日から
にぎわった。コーヒーと猫の組み合わせが新鮮に映ったようだ。”

「ウィーンに猫カフェ」 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120505/erp12050508220003-n1.htm



猫カフェというと、とても日本的なものだと思っていました。
コタツにミカンに猫、というイメージをそのままカフェに持ち込んだような。
ウィーンのカフェというと、例えば昨夏行った「カフェ・ザッハー」のような、古くて重厚な建物の中の
高い天井にシャンデリア煌めく、ちょっと冷たい感じのカフェを思い出すので
(無論この店は、ウィーンでも高級なお店の部類に入るのですが)
「猫カフェ」というのは非常に意外な気がするのです…
まあ猫好きは万国にいるのでしょうから、需要はあるのでしょう。

ウィーンのカフェというと、もうひとつ思い出すのが映画「ビフォア・サンライズ」。
ユーロ・トレインの中で偶然出会ったフランス人女性とアメリカ人男性。
会話を始めてすっかり意気投合した二人は列車を途中下車して
ウィーンの街なかをあてどもなく歩きながら、翌日の朝までを一緒に過ごすのです。
その間、二人が喋ること喋ること。
石畳の歩道で、カフェの中で、ウィーンの森の中で。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、やがてお互いの持ち場に帰る朝がやってきてしまう。
もどかしくて、切なくて、その故美しい、小さな佳作でした。
この作品、9年後に二人が出逢うという続編(ビフォア・サンセット)もあるのですが
そっちはもっとやるせなくて、もっともどかしい。
私は、一作目の方が好きでした。


「ビフォア・サンライズ」から

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