Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

究極の選択「127時間」

2011年06月30日 | 映画

怖いもの見たさで観るのはもうやめようと思ったのに。
だって実話だっていうし。
監督は、あの「スラムドッグ$ミリオネア」を作ったダニー・ボイルだし。
そう思って行ったのが間違いだった…

ストーリーは非常にシンプルです。
ユタ州の広大なブルー・ジョン・キャ二オン。
27歳の冒険家アーロンは渓谷の間をクライミング中、
落下してきた巨大な岩に右腕を挟まれて身動きが取れない。
携帯電話もなし、誰にも行き先を言って来なかったので捜索隊が来る可能性もなし。
手元には僅かなスナックと400mlの水、SONYのビデオ・ムービーだけ。
3日目、4日目、生命のタイム・リミットが近づくにつれ、
回想や妄想、絶望、後悔、感謝の念が次々と…

「自分のことは何でも自分でできる。野心家で、少し横柄。
アーロンは米国が理想とする人物像のすべてさ」とボイル監督。(朝日新聞より)
しかし、その自信家の彼はつくづくと後悔することになる。
自然の脅威は彼の力量を遥かに上回っていたのです。


が、彼は自然に負けていなかった。
127時間後、ある決断を下すのです。
これはもうよく知られた事実だと思うので言ってしまいますが
挟まれた腕を自分で切り落とすのです。

しかし。
映画の後半、私は目を開けていられなかった。
頭に被っていた白い帽子を顔に被り、その下で目をぎゅっと閉じていました。
それでも叫び声が、苦痛の悲鳴が、耳から否応なく入ってきて…
あんな小さな、刃渡り5㎝くらいの安物の中国製のナイフで
一体どうやってそんなことができたのか?
しかも一緒に行った友人も目を瞑っていたというので
確かめることもできない。
どなたかご覧になったら教えてください。

あんな痛い映画はもう嫌だ。
最後に、本物のアーロンが出てくるのが救いか。
片手で器用に泳いで、弾けるような笑顔で。
彼はその後結婚し、子どもをもうけ、なんと今も
冒険家として活躍しているというのです。

「127時間」 http://127movie.jp/
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63年たっても…

2011年06月28日 | 社会
エリザベス女王とその夫フィリップ殿下のビフォー・アフターの写真。


63年経っても、驚くほど表情もポーズもそのままです。
なんとネックレスとブローチも同じ!
今更ながら失礼ですがこうしてみるとこのお二人、
若い頃は相当の美男美女だったのですねえ。
半世紀以上経っても、同じように寄り添っていられるなんていいなあ…

数年前に観た「クィーン」という英国映画を思い出しました。
スキャンダラスな事故で亡くなった破天荒な嫁(ダイアナ妃)をどう
取り扱うか迷う英国王室の苦悩、といったシリアスな内容。
「1997年8月31日、ダイアナ元王妃突然の死。
その時、王室に何が起こったか。
世界中が泣いたその日、たった一人涙を見せなかった人がいた。」
(映画のキャッチ・コピー)

そのたった一人というのがヘレン・ミレン扮するエリザベス女王。
離婚した彼女はもうロイヤルファミリーの一員ではないのだから、
女王としてコメントをするつもりも国葬にするつもりもない、と言っていた女王。
しかし、国民とマスコミはそれを許さなかった。
伝統と品格を守るか、国民の感情に迎合するかという悩み、
結局自分を殺して国民の要求を受け入れる潔さが描かれていました。
その映画の中で、女王夫妻の寝室も映されたこと、
その寝室で「(ダイアナは)生きてても死んでからも厄介者だった」というような言葉が
囁かれたことにも驚いたのでした。
勿論それはドキュメンタリーではなくフィクション映画なのですが、
日本で皇室をそんな風に撮るなんてあり得ないことでしょうから。

嫁は不倫を全世界の前で告白し、離婚し、恋人と事故死し、
息子はその後、不倫相手の女性と結婚し、
他の息子や娘も離婚しまくり。
激動の20世紀、第二次世界大戦、フォークランド紛争に始まる各地での紛争、
英国病と呼ばれた長い不景気、
そんな外憂内患を経て、お互いに大きな病気にも事故にも遭わず離婚もせず、
63年前とまったく同じ仲睦まじいポーズで写真に収まるなんて
奇跡のようなものだと思うのです。

Before & After 63 years
http://labaq.com/archives/51677138.html?__from=mixi
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スーパークールビズの評判

2011年06月27日 | 社会

日本のスーパークールビズが、海外で話題になっているのだそうです。

”環境省が提案したスーパークールビズが海外でちょっとした話題だ。
米公共ラジオNPRは今月初め、「日本で服装革命が起こるかもしれない」と東京発で報じた。
アロハシャツ姿の環境省職員らを取り上げ、
「日本でこんなにカジュアルな服装での出勤が認められたことはない。」

インド紙ヒンドゥスタン・タイムズは「Tシャツや短パンを日本の公務員が着るなんて」
と驚きの筆致。「炎暑のインドにこそ短パン出勤を導入してほしい」とうらやむ声を紹介した。

 英BBCラジオは懐疑的。「堅めの服装が主流の日本でこの格好は冒険。何ごとも上司
しだいの職場文化の国なので、普及するかどうか微妙」と論評した。
米紙ウォールストリート・ジャーナルも、「極端すぎるカジュアル路線には抵抗がある」
「旗振り役の環境省職員以外はだれも着ない」といった官僚たちの冷めた声を集めた。”


昔、日本は温帯に属すると習ったような気がするけど
個人的には、絶対亜熱帯だと思っていました。
長い雨季はあるし、只でさえ高温多湿の夏に最近は温暖化も加わって
凄いことになっている。
これで真夏もスーツにネクタイはひど過ぎる、と。

でも、スーパークールビズが始まった時の
ニュースの映像は凄かった。
環境庁の職員という人がテカテカの丸坊主で太った体に
真っ赤なアロハシャツ!
はっきり言って怖かった(小さな声)
霞が関の官庁よりは、お祭りの屋台の方がはるかに似合っていたような…

結局、暑かろうと何だろうと
スーツを着る方が楽なのかしら?
個人のセンスが求められて
人格まで疑われてしまう自由な服よりも
スーツという一種の鎧で守って貰う方が。

夫の会社は殆ど以前と変わりないようです。
相変わらず長袖のYシャツにスーツで毎日出かけていきます。
変わったのは、ネクタイをしなくてもよくなったことくらいか。
(でも大事な場面のために、ネクタイは毎日持って行っているようです)

しかし、「特に評判が悪いのはこのスタイル 」として記事に紹介されているこの写真、
こんなの私は見たことないんですけど。
ネクタイしてカーディガンまで着て全然涼しそうじゃないし。
何処が「スーパークールビズ」なんだか…


スーパークールビズ、世界が注目「画期的」「崩しすぎ」
http://www.asahi.com/fashion/article/TKY201106260189.html
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タロ知恵

2011年06月25日 | 家庭
中国で今度は「プラスチック米」が見つかったそうです。
「偽シラウオ」「偽麺」などに続き、遂に主食にまで。
段ボール餃子、ビニールワカメというのも以前ありました。
こういうのを作る人って
例えば自分の子どもに知られても恥ずかしくないのかしら?
儲かれば何でもよいのだろうか…?

そもそもプラスチックなんて食べるものではない。
そんなこと自明の理なのに。

タロウに新しい人形を与えると
狂喜して顔にかぶりつき、目鼻などのプラスチックの黒いボタンを
引きちぎりますが、口の中でコリコリした後、ちゃんと吐き出します。
以前は間違えて食べてしまったら、と外してから与えていたのですが
そうすると喜び方が全然違うので、今ではそのまま与えています。
モノによっては、コリコリすることで歯磨き代わりにもなるようです。
そう、タロウは「歯磨き」が大嫌いなのです。

歯ブラシを口に突っ込むとあまりにも暴れるので
以前はどうにもできなかったのですが
今は「指はめシリコン歯ブラシ」という便利なものが出てきました。
これなら暴れるタロウにもなんとかできる。
という訳で、遅くに帰宅した夫がくつろぎながら、
唯一のタロウの世話として時々やってくれているのです。



リビングの椅子に腰かけた夫がタロウ!呼ぶと
普段なら勢いよく駆けてきてピョン!と膝に飛び乗るのです。
ところが、夫が歯ブラシを手にしていると見ると
名前を呼んでも聞こえないふりして
ソロソロとこっそり静かに離れて行く。
そしてリビングの端にあるソファの上に乗って
クッションの下に隠れたりする。

隠れるったって
写真の通り、バレバレ。
そういえば息子たちが小さい頃も
こんな風にバレバレに隠れていたなあ。
となるとタロウの知能は人間の2歳児並みか…


今度はプラスチック米、「水に浮く」「つまむと弾力」で発覚―江蘇省南京市
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=52317
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「5年で7人」の勝ち!

2011年06月23日 | 社会
今日の朝日新聞の特派員メモ。
「5年で6人の首相?」と題して
タイの総選挙のポスターについて書かれています。

”7月3日に総選挙を迎えるタイでは、候補者のポスターが林立している。
異彩を放つのが、2008年に空港や首相府を占拠するなど過激なデモで知られた
民主主義連合(PAD)のポスターだ。
スーツを着た猿、虎、犬などの写真をあしらい、
「獣どもを国会に送るな」と無投票を呼び掛けているのだ。”

記事には写真は出ていませんでしたが
検索してみたら出てきました。
これは凄い…



要するに、こんな過激な選挙ポスターを模倣した掲示物を貼り出して
大々的な選挙反対キャンペーンが行われるほど、
タイの国民は怒っている、ということらしい。
タクシン元首相を支持する野党と、
反タクシン派の与党との政権争いにうんざりして。
「すべての政治家が信用できない」としてPADは無投票運動を始めたのだと。

「今回の選挙で首相が代われば、5年で6人目。ひどい。」
そういってタイの人々は不安定な政治に憤っているのだそうです。


ええと…
日本は、今度変わったら5年で7人目なんですけど。
しかも今の首相は、「辞めろ」コールが鳴り響いているのに
きかん気の駄々っ子みたいに、やだったらやだ!って頑張ってるんですけど。
日本の政治家たちに幼稚園の制服を着せたポスター、
誰か作ってくれないかな…?
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夢を実現させた男

2011年06月19日 | 社会


昨日の朝日新聞の土曜特集で
指揮者佐渡裕氏の特集をしていました。

先月のベルリン・フィルでの東日本大震災復興祈念の演奏会が
大成功を納めて世界から注目された、あの長身の指揮者です。
その最終日の様子。
”ステージに戻ってきた燕尾服の佐渡裕さんは、男泣きに泣いていた。
(中略)「幸福感で、途中から涙が止まらなくて。
自分が指揮しているんじゃないような、不思議な感覚でした」”と。
”小学校の卒業文集に「ベルリン・フィルの正指揮者になる」と書いた夢の第一歩は
地元紙が、「ベルリン・フィルは、どのデビュー指揮者に対しても
これほど献身的に演奏するわけではない」と述べる「大勝利」となった。”

クラッシック音楽に疎い私は知らなかったのですが
佐渡氏が辿って来られた道は面白い。
地元・京都の公立校音楽科から京都市立芸大に進むが、専攻はフルート。
卒業後、本格的に指揮者を目指すが、ほぼ独学だったのだそうです。
音楽エリートとは違う道を歩いてきた「雑草」育ち。
25歳の時、タンブルウッド音楽祭に応募するが
”「雑草」の履歴書はゴミ箱に。だが、同封したビデオが
小澤征爾、バーンスタインの目にとまり、道が開けた”のだと。

それにしても
小学校の卒業文集に書いた夢を実現させてしまうとは凄い。
印象的だったのは、記事の中にあった彼の
”今回の成功は、僕が受けた日本の音楽教育の証明でもある”という言葉。
天才教育を受けた訳ではない彼の言葉だからこそ、重みがある。
私の音楽的才能が花開かなかったのは
決して画一的な日本の音楽教育のせいではなかったのですね…


写真は「佐渡の第九 兵庫熱狂ライヴ!」 [DVD]
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「ムッソリーニ 愛の勝利を」

2011年06月17日 | 映画

この映画、批評家が軒並み絶賛していたのです。
日経、朝日新聞ともに星5ツ、日経に至っては本年度No.1の傑作だと。
全米批評家協会賞主演女優賞を獲得したほか、世界中の映画祭で絶賛されたとも。
そこまで言うなら、と観に行ったのですが…

独裁者ムッソリーニに尽くした愛人イーダの悲惨な生涯。
妻子ある身のムッソリーニはイーダと恋に落ち、イーダは全財産を投げ打って彼を支え、
一人息子も授かる。
しかし国家統帥となったムッソリーニは、彼女の存在を消そうと書類を改ざんし、
精神病院に送り込む。
彼女は愛の真実を訴え、一人立ち向かうが…

この映画、とことん不親切にできています。
歴史背景、状況についての説明はまったくなく、時間系列も錯綜する。
不安を覚える観客を置き去りにしたまま、これでもかと緊張と慟哭のシーンの数々。
情欲の赴くまま、といった感じの恋愛が始まったかと思うと
あっという間にイーダは精神病院に入れられ、血みどろの孤独な闘いが始まる。
画面の美しさには所々息を呑みます。
真っ赤な血、暗い石畳の道、白い粉雪、白黒の歴史的実写映像。
精神病院の高い鉄格子を深夜イーダが登り、降りしきる粉雪の中を息子への手紙をばら撒く
シーンは圧巻としか言いようがない。
母親に教え込まれた息子は、自分はムソリーニの嫡子であるという主張を曲げず、
最後には母親と同じように悲惨な末路を辿ります。

事実に基づいた物語ということですが
これが真実だとしたら、なんという痛ましいことなのか。
人間を不当に拘束し、自由を奪うことで狂気に追い込む精神病院の恐ろしさ。
現代のイタリアの精神病院は非常にオープンで人間性が尊重されているということを
何かで読んだことがあるのですが
まだ近代まで、こんな恐ろしい歴史があったのですね。
ファシズムの光と影、人間の愛と憎、欲と業。
ムッソリーニという男は、独裁者として国家を破滅に追い込もうとしただけでなく、
自分の身内(愛人)をも、その手で葬ろうとしたのか。
自分の息子にも、あんなにもむごいことをしたのか。
この映画のタイトルは「ムッソリーニ 愛の勝利を」というのです。
だから私は、最後には愛が打ち勝ったようなヒューマン・ドラマを期待していたのですが
「愛の勝利を求めたが叶わなかった」という意味だったのですね…

「救いのない映画」の救いは、現実の世界がどんなにひどくてもその映画の世界よりまし、
ということを気付かせてくれることなのでしょうが
あの監督の力量はあまりにも凄くて(そういう意味では確かに凄い作品だった)
なんだか打ちのめされてしまいました。
映画館から出たら平和な日本で、明るい初夏の日であることが
信じられないような気持でした。


「ムッソリーニ 愛の勝利を」http://www.ainoshouri.com/
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猫カフェ初体験

2011年06月16日 | お出かけ
約30匹15種類の猫がいるという新宿の猫カフェ「キャットマジック」。
普通のカフェに猫がただいるのかと思ったら
そうではなくて、プレイルームに猫がうじゃうじゃいるのですね。
それをお茶しながらガラス越しに眺めてもよし、
プレイルームに入って一緒に遊んでもよし。

勿論私は入って遊びましたとも。
白、黒、黄色、茶トラ、シルバー、ふわふわモフモフの猫だらけ!
特に目を奪われたのは、短足耳折れのまんまるマンチカン(上の写真の右端)。
近頃YouTubeなどで話題になっているようですが
私の近くにはいないので、実物を見たことがなかったのでした。
可愛い…

私は子供の頃シャム猫を3匹飼っていたので
猫の可愛さもよく知っているのです。
ただ、猫はやはり気まぐれ。
写真を撮ろうとしても寄って来ないわ、知らん顔するわ、
手を出すと引っ掻くわ、ひたすら寝ているわ。
こんなあられもない格好をするわ。

という訳でろくな写真がない。
タロウならもういい!というくらい寄って来るのに…

この珍しい猫は、コーニッシュレックスという種であるようです。


「キャットマジック」 http://www.catmagic.jp/
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変わりざまそれぞれ

2011年06月14日 | お出かけ
高校の同窓会のために週末帰省していて、昨夜帰って来ました。
同窓会といっても卒業年度を問わない全大会で
毎年行われているというそれに私はまったく興味なかったのですが
今年は当番学年だし、近年同窓生の絡みもできて断り切れず、
卒業以来初めて参加したのでした。

岐阜で一番大きなホテルに参加人数600人。
あんなに大掛かりのものだなんて知りませんでした。
出席名簿を見ると、最年長は昭和9年卒。
ということは、ええと、御歳95歳!
昭和十年代卒なんてごろごろいる。
あんな歳になってもあんなに元気でいられたらいいなあ…

卒業以来初めて会う同級生も多く、
横に伸びたり(恰幅がよくなった)、髪の色が変わったり(つまり白髪)、
ヘアスタイルが変わったり(ツルッパゲもいた!)、
名札を見ないと分からない人が多数。
一学年460人もいては、元々知らない人も多いし。
私はといえば、少なくとも体型はあの頃と変わっていないので
変わってねえなあ!と言われてニンマリしたのでした。

元旧制中学、創立140年を迎えるという権威主義の母校を
在学中には私はちっとも好きになれなかったのですが
(3年間の記憶を長らく封印していたくらいです)
それでも久しぶりに旧友に再会するのは楽しいものです。
ケンカ相手だった男性諸君は立派に出世して、めでたいことだし。
帰りに乗ったタクシーの運転手の話だと
その日は市内中のタクシーがあのホテルに集結するのだとか。

もとより私は愛郷心というものは持ち合わせていないのですが
たまに帰省する度、郷里の寂れ様には寂しさを感じていました。
子供の頃から親しんでいたデパートがなくなり、
華やかだったショッピングプラザがつぶれ、
十代の頃通い詰めていた大きな本屋がなくなり、
歌謡曲にも謳われた繁華街は年々暗くなり…という具合。
仮に一日だけでも活性化するのであれば、派手な同窓会も
意味があるのかもしれません。

しかしあの駅前の、金ピカの信長像は
何度見ても見慣れないなあ…


(写真はネットから頂きました)
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禁断と背徳の匂い

2011年06月08日 | 
婦人画報7月号の連載記事「安井かずみがいた時代」で
安井かずみと金子國義氏との親交について述べられています。
二人が出会ったのは60年代の終わり頃、
”その瞬間に美意識の火花を散らした二人は、ソウルメイトと出会ったことを確信した”
のだそうです。
すぐに”週一度はお互いの家を訪ねたり、六本木の「キャンティ」で食事をする仲”となり、
挙句は安井の夫、加藤和彦を交えて昵懇の仲となったのだと。

知りませんでした。
安井かずみの小説「エイプリル組曲」には金子氏をモデルにした人物が登場するというし、
その本の表紙を描いたのも、「ニューヨーク・レストラン狂時代」など
レストラン三部作の表紙を描いたのも彼なのだから
考えてみれば驚くことではないのかもしれませんが。



”ZUZU(安井のこと)とはグレードの高い話しかしなかった。
高級で耽美的な話。(中略)知的な会話を好んで、ツーと言えばカーと通じる相手が
好きでした。彼女がこうと言うと、僕はどうだと言い返す。
二人で喋ると、競い合って内容がエッフェル塔のように高くなっていく。”
と金子氏の談(婦人画報より)。
これだけを聞いたら、なんという鼻持ちならない…と思わないでもないのですが
安井かずみと金子氏ならそれもありかなとも。



金子國義氏の「O嬢の物語」の挿絵。
それはまだ十代の頃の私にとってあまりにも背徳の匂いがする、禁断の絵でした。
見てはいけないものを見てしまった衝撃、
世の中には自分の知らない世界があることを知ってしまった後悔、
それでももっと知りたいと思ってしまう好奇心、
そんなものが、羞恥と後ろめたさの感情とあいまってある種の腐敗臭となって
私を包み込んだのでした。
今でも金子氏の絵を見ると、そうした青臭い感情が思い起こされて
なんとも居心地の悪い気分になります。
ただあの頃の胸が痛いほどのドキドキは、今となってはもう蘇らないのですが…

コメント (2)
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