Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

幻のアングラス

2010年08月27日 | スペイン旅行2010
「スペインは味な国」(東理夫)という本には
スペイン料理が、豊富な写真とともに実に美味しそうに紹介されています。
事前にそれを読んで私は、非常に楽しみにしていたのでした。
例えば「アホ・デ・ソパ」(ニンニクのスープ)については
「耐熱の深皿にオリーブオイルを熱し、そこにニンニクを三かけか四かけ、
あるいは好みでもっと入れてじっくりと油煮する。
ちでタマネギや生ハムの角切りを入れ、香りを出し、スープを入れ、
そしてパンを入れる。しばらく煮てから最後、卵を割り落とし、
煮えたらフツフツとだぎるそれを供する。」という具合に作り方まで。
ほら、美味しそうでしょう?

スペイン料理で有名なものといえば、上記のスープ以外に
「タパス」(色々なアペタイザー、小皿料理)
「トルティーヤ」(ジャガイモのオムレツ)
「ガスパチョ」「パエリア」あたりか。
この辺は東京のスペイン料理店でも簡単に食べられるので知っていましたが
今回、向うに行って初めて食べたのは
「サルスエラ」(ブイヤベースをもっと田舎臭くしたような魚介の煮込み)
「フィデワ」(短い麺で作ったパエリア)
「ラボ・デ・トロ」(オックステール・シチュー)
魚介のア・ラ・ブランチャ(鉄板焼き)、ムール貝のマリネ、魚介の揚げ物など。

スペインには、飲み屋とカフェとレストランを兼ねたような「バル」というものが
そこらじゅうにあり、安くて美味しい。
しかも写真入りのメニューを置いている店も多いので
旅行者にも非常に分かりやすいのです。
このお店は生ハム専門店だったので、ハム料理が多いのですが
魚介料理が豊富な店も多く、鉄板焼きなど美味しく頂きました。

もうひとつ、友人からアングラス(ウナギの稚魚)料理が美味しいと聞き、
上記の本にも
「スペインの味として有名。ニンニクと赤唐辛子、オリーブオイルで炒めて
ぐつぐつと熱いうちに食べる。」と載っていたので楽しみにしていたのです。
でも、魚介料理が山ほどある色々なバルで訊いてみても、ない。
あるバルでは、ウエィターが首を振ってしきりに何か説明してくれたのですが
スペイン語なのでさーっぱり分からない。

今回、赤坂サカスに入っている「ビキニ」というスペイン料理店で訊いてみて
ようやくその理由が判明しました。
ウナギの稚魚、スペインでも禁漁になってしまったのだそうです。
そうだったのか…
このビキニ、タパス盛り合わせ、パエリアorフィデワ、デザートという
3品コースがランチで手軽に食べられます。
味はスペインでのそれと変わりませんが
日本人向けか量は少なく、本国よりお洒落に仕上がっていました。
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マドリード事件のその後

2010年08月25日 | スペイン旅行2010
そしてマドリードへ。
その最終日に私は、スリに遭ったのでした。
帰国した日にそれについて書いた時は怒りに燃えていましたが
今はもう、冷めました。
結局、隙があった私が悪かった訳ですし。
保険金も、物品ならとにかく、現金の保障は難しいと聞いていたので
ほぼあきらめていたのです。
今回、特に旅行保険には入っていなかったし。
一応クレジット・カード会社三社に聞いてみたのですが
携行品特約がついていなかったり、条件に合わなくて駄目。
そうしたら夫が、そうだ損保に入っていたのだったと言い出して…

面倒な書類を色々書いて。
保険金が下りました。
但し上限5万円。
それでもありがたい。
やれやれです。

こういった被害に遭っての保険金というものを初めて頂いたのですが
案外、簡単におりちゃうのですね。
世の中に保険金詐欺という悪事が横行するのも分かる気がする。
今回私が700ユーロを盗られたのは紛れもない事実ですが
何処にもその証拠はないわけだし。

ただ、保険金を申請する為には当然、警察の調書がいる。
スペインでのそれを手にする為に、どれだけの手間がかかったか。
散々たらい廻しにされ、長らく待たされ、いざ警察での聞き取りが始まっても
その時間のかかること、段取りの悪いこと、
結局半日ほどの時間を取られました。
私はもう二度とごめんです。

というわけでマドリードに関してはロクな思い出がないのですが
せっかく行ったのだから追記しておきます。
ここではプラド美術館、ソフィア王妃芸術センター、スペイン広場など。
パリのルーブル、ロンドンのナショナル・ギャラリーと並んで世界三大美術館
の一つと称されるプラドは、それは素晴らしいものでした。
しかも他の二館と違って、ここのは盗品(被植民地からの分捕り)はないのだと
現地の人は威張っているようですが…

それならスリを野放しにするなと私は言いたい!

写真 アルハンブラ宮殿の庭
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世界一醜悪なメスキータ

2010年08月24日 | スペイン旅行2010
コルドバのメスキータ(スペイン語でモスクという意味、
固有名詞としてコルドバの聖堂を指す)を観るに当たっては、
少々覚悟していました。

「おそらく外観だけのところでは、かくも醜い大寺院というのは、
イスラム教の寺院にしろ、キリスト教のそれにしろ、他にはあるまいと思われる。」
(堀田善衛「スペイン断章」より)
「ここから眺めるメスキータは、恐ろしく醜怪だ。
譬えていえば、人三化七の百貫デブといった容姿だ。」
(中丸明「スペイン五つの旅」より)

その理由として、分かりやすい中丸氏の言葉を紹介します。
「まずローマの神殿が築かれ、次に侵入してきた西ゴート族が、
これを破壊してその礎石の上にキリスト教の教会を建て、
さらにこれをイスラム教徒が壊してモスクを築き、
最後に国土を回復したキリスト教徒が…といったことで、
世界でも類を見ない人三化七になってしまったのだ。」

そこまで言われる大聖堂ってどんなんよ!?と思っていましたが
幸い(?)大きすぎて全貌がよく分からない。
ローマ橋のこちらから遠く見る分(写真)には、そこまで酷いとは思いませんでした。
洗練された外観とは確かに言いがたいが。
しかし中は素晴らしい。
薄暗く巨大な空間に、数百本の大理石の円柱の森が浮かび上がって見えるのです。
「円柱の森」現存は854本、最大時では1000本以上あったのだとか。

このメスキータを囲むように位置するコルドバの旧市街には、ユダヤ人街があります。
かつてイスラム教徒は国土を持たないユダヤの人たちを受け入れていたのだが
レコンキスタによってキリスト教徒の天下となると、
ユダヤ人たちはこの街から追放されたと。
ここもセルビアと同じであったか。
そして有名な「花の小路」があります。
細い路地の両側に建て並ぶ白い漆喰の家々、
その壁にはこぼれんばかりの花が飾ってある。
確かに綺麗なのですが…
これだけ?これが世界的に有名なの?と思わずにはいられない、
ちょっとした小路ではあります。
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血なまぐさいセビリアの大聖堂

2010年08月23日 | スペイン旅行2010
セビリアの大聖堂は、1402年に建設が始まり、16世紀に完成したのだそうです。
バチカンのサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール大聖堂に次ぐ、
世界で3番目の大きさなのだとか。
しかしここも、元はイスラム教のモスクがあったところに建て直したのだそうです。
右側に見える全長90mのヒラルダの塔も、かつてはモスクのミナレットだったと。

イスラム教徒とキリスト教徒との争いの跡が、スペインでは到る所に見られましたが
その裏に、どれほどの血なまぐさい争いがあったことかと思うと
胸打たれるものがあります。
しかもここでは、14世紀にポグロム(ユダヤ人虐殺)が起こったと。
ポグロムという言葉はロシア語から来ていることから
私はなんとなく、近代のロシア・東欧でのユダヤ人虐殺を指すのかと思っていたのですが
Wikiによれば
”加害者の如何を問わず、ユダヤ人に対し行なわれる
集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を言う。”のだそうです。
知らなかった…
”(セビリアでは)当初はキリスト教徒とユダヤ教徒の共存がみられたが、
14世紀半ばのペスト(黒死病)大流行の原因がユダヤ人に帰されるなど反ユダヤ主義
の風潮が強まり、14世紀末にはポグロムが起こった。”(Wikiより)
ほんのちょっと齧っただけでも、どこまでも血なまぐさいスペインの歴史。

堀田善衛の「スペイン断章」の中に
「モーロ人部隊は、掠奪とともに死体から生殖器を切除するという戦場儀式の
持ち主であった。」
という記述があります。
私はこれ、中世以前の話かと思ったのですが、よく読めば
「つい40年前の内戦では、フランコ将軍指揮下のアフリカ人のモーロ人殖民地部隊1万5百人が、ドイツの飛行機で地中海を越えてセビーリアへ輸送され(中略) 言うに言われぬことをやらかした」のだと。
つい最近のことではないですか…

更に氏の言葉を付け加えておきたいと思います。
「人間のすることだけは実に人間自体の理解を超える。
いかに”すべて人間的なるもの、われに無縁ならず”とはいうものの…。」
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ミハスの白い家並み

2010年08月22日 | スペイン旅行2010
イベリア半島の南部、アンダルシア地方。
眩しいばかりの青い空、対岸のアフリカから吹きつける熱風、石畳に白壁の家々。

そんな白い村のひとつ、ミハスに寄りました。
一時間も歩けば一回りできてしまうような小さな町です。
あの白い壁は、本によると、石灰を塗ることによって壁に虫が湧くのを
防ぐ効果があるのだそうです。
そして、強烈な日差しを反射する意味もあるらしい。
なんにしても本当に綺麗。
白い家々の壁には色とりどりの花と絵タイルが飾られ、石畳の上を
観光用のロバの馬車がのんびり歩いている。
ここのセバスチャン通り(写真)を舞台に数年前、キャノンのテレビCMが
つくられたのだとか。
ここには又、小さな闘牛場もあります。

アンダルシアの風に吹かれるのを今回楽しみにしていたのですが…
この可愛い小さな町、観光タクシーのロバがあちこちにいて
その落し物もあちこちに。
従って、ロバの糞の匂いが風に乗ってフンプンと…
しかしここに限らず、私が行った限りスペインの都市の路上は
犬の糞だらけ。
大聖堂など綺麗な建物に見とれて歩いていると
酷い目に遭うことになります。
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ラ・マンチャからアルハンブラ宮殿へ

2010年08月19日 | スペイン旅行2010
バルセロナから南下し、ラ・マンチャ地方へ。
私が持っているガイド本には「最低3日はかけて回りたいドン・キホーテの道」とありますが
一体ここで3日も何するのか!?と思うくらい
荒涼とした赤い大地と青い空が何処までも拡がり、
白い風車があちこちに散在するというだけの風景です。
牧歌的といえばこの上なくそうなのですが…



大体、バルセロナを出て30分もバスで走ると
窓の外はもうひたすら赤い大地、或いはオリーブ畑、或いはオレンジ畑。
スペインって広大なる田舎だなあとしみじみ。
バレンシアの世界遺産、ローマ遺跡群やラ・ロンハ(絹の交易所)などにも
寄りましたが、それほど印象的ではなかったのでさっくりパス。

あちこちの世界遺産に寄りながらひたすら南下、
旅行4日目の夜、グラナダ着。
ここにはイスラムのスペイン支配最後の牙城、アルハンブラ宮殿があります。
ここは本当に素晴らしかった。
「アルハンブラ」というのは、アラビア語で「赤い城」という意味だそうで
グラナダを見下ろす丘の上に築かれた、城塞・宮殿・離宮から成っています。
1238年にナスル朝ララマール王が宮殿の建設に着手、
以後21人の王達の手によって増改築が重ねられたのだそうです。

イスラム建築の粋を尽くしたという宮殿の素晴らしさもさることながら、
私が特に惹かれたのは、離宮のあるヘネラリーフェ庭園。
ヘネラリーフェとはアラビア語で「天の楽園」という意味で、
王の避暑のための離宮として使われていたのだそうです。
シエラネバダ山脈から引かれたという水で作られたという池や噴水が
庭園のいたる所にあり、バラ・ジャスミン・サルビア・スイレンなどの花が。
私が行った時はとっくに花の盛りは過ぎていましたが
それでもそこここで夢のように咲き乱れていました。
そして何より、ふんだんに使われている冷たい水のおかげで涼しいのです。
スペインでは連日38℃くらいの猛暑が続き、毎日暑くて死にそうだったのに。
降水量の少ないアンダルシア地方で、しかも丘の上で、
こんなに贅沢に水で潤すことができるなんて…
イスラムの土木技術水準の高さに敬服しないではいられません。
砂漠の民の、水への憧憬が結実したのでしょうね。

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浮かぶ男

2010年08月18日 | スペイン旅行2010
バルセロナであと印象的だったのはピカソ美術館。
旧市街地の、中世の貴族の館を改造して作られたもの。
ピカソって、何度も結婚して何人もの愛人がいた、訳の分からない絵を描く天才と
いう程度の認識しか私にはなかったのですが
この美術館は、そんな人間にも楽しめるような造りになっています。
ピカソの幼年時代から、年代順に作品が並べてあるのですから。
美術教師を父に持った彼は、幼い頃からもう卓越した才能を持っていたのですねえ。
多感な十代の後半をこのバルセロナの地で過ごし、
制作に1ヶ月はかかるという美術学校の入学試験の作品を1日で仕上げ、
周囲を驚かせたのだそうです。
その後の青の時代、バラ色の時代、キュビズムの時代と
変遷ぶりが分かりやすく並べてあります。

旧市街地にはまた、ランプラス大通りという
プラタナスが立ち並んだ長い遊歩道があります。
色々な屋台、オープンカフェが軒を並べ、そして様々な大道芸人が。
この写真の金粉まぶしの男、一本の杖を支えに空中に浮かんでいるのです。
何故!?
何十人もの見物客が周りを囲み、覗いたり触ったり。
私もかがみこんで覗き、前に置いてある壺に小銭を入れて
一緒に写真も撮りましたが
カラクリはどうしても分かりませんでした。

ここにはボケリア市場という新鮮素材の市場もあります。
生ハム(ハモン)となる巨大な豚足が所狭しとぶら下がっていました。
これを特殊な器具で、薄くスライスするのだそうです。
日本では高価な生ハムが、スペインでは朝食に始まって
前菜、サラダやサンドイッチなど多様な料理に、本当によく使われていました。
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バルセロナの奇怪な建築物

2010年08月17日 | スペイン旅行2010


バルセロナといったら、やはりサグラダ・ファミリア! 
今年、朝日新聞の、ここをバックにした外尾悦郎氏の写真が入った全面広告を見て、
異国の地のこんな有名な建築物のその現場に、主任彫刻家として関わってるなんて
凄いなあと驚嘆していたのでした。
そして勿論、こんなキッカイなモノを考え出したアントニ・ガウディという人にも。

近くで見れば見るほど奇々怪々な建築物です。
完成までには、あと100年かかるとも200年かかるとも言われているようです。
日本にいる時はなんでそんなにかかるの?と不思議に思っていましたが
近くで見て、分かったような気がする。
何しろ、大き過ぎる、そして細か過ぎる。
そして内部は、通行止めのテープをベタベタ張ってまさに工事中なのですが
まあノンビリやっていること…
何処が働いてるの!?という感じ。
たまたま休み時間だったのかもしれませんが。



魔法使いの家のようなカサ・バトリョ、お伽の国のようなグエル公園、
ぐにゃりと押しつぶされたようなカサ・ミラ、
バルセロナのあちこちにあるガウディの建築物を見るほどに
奇抜なものを考え出す才能に感動しましたが
この人、晩年は乞食も顔負けのボロに身をやつしていたのだそうです。
中丸明の「スペイン5つの旅」という本によると
”1926年6月7日、ガウディは市電にはねられて死んだ。(中略)
が、死後二日間も、この男がかのガウディであると気がついた者はいなかった。”
のだそうです。
Wikipediaにも
”ガウディはミサに向かう途中、路面電車に轢かれた。
晩年身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、
事故の3日後に73歳で息を引き取った。”
と出ています。
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マドリードでやられた!②

2010年08月12日 | スペイン旅行2010
散々待たされてようやく現れたのは
英語と日本語ができるという、ヘルプの女性。
やっと話が通じる!
デスクに通され、事情を説明し、警察の電話からカード会社に連絡し、使用中止に。
その時点でカードがまだ使われていないことを確認。
よかった…
この時点で、スリに遭った(正確にはそれに気がついた)時から
もう2時間ほどが経過していましたが。
被害に遭った場所、時間、金額、その時の状況を事細かに訊かれ、
国際なんとかの係りから電話で同じことを確認され、
向うの人がそれをPCに打ち込み、できた書類にサインをしておしまい。

後から考えると
王宮を出た直後、隣の大聖堂を入口から覗いた、その時が怪しいと
夫は言うのです。
王宮の見学は有料なせいか、そうそう怪しい奴はいなかったように思える。
隣の大聖堂全体は壮大なのに、その入口はやたら小さくて
どんなものかと私が覗き込んだ時、2,3人の男が取り囲んでいた、
それ以外は他人と私が接触する機会はなかった、と。
(夫は、無防備な私をそれとなく見ていてくれたらしい)

仮にそうだとしても、ほんの2,3秒の話です。
私はまったく気がつかなかった、本当に手品のような技です。
(バッグは小ぶりのショルダーバッグ、ファスナー付きのポケットがいくつもあり、
財布はそのメインの部分に入れていた)

カードが使われなかったのはよかったのですが
私の今回の全財産700ユーロの現金は戻って来ない。
第一盗られたことにも気がつかなかったなんて
なんてマヌケなんだろう…!?
消沈する私に、警察でヘルプの女性が言った言葉が忘れられません。
"Don't blame yourself.They're completely professional.It's not your fault."
そして、どうかこの国を嫌いにならないで下さいと、これは日本語で。
(彼女と私は英語と日本語ちゃんぽんで話していた)

それにしても、海外旅行十数回目にして初めての経験です。
何処の国にも悪い奴はいるし(日本にも)、
それに隙だらけの私がマンマとやられたというだけの話なのでしょう。
パスポートも盗られず(これはバッグの中の二重ポケットに入れていた)、
身体に危害も加えられなかっただけまだマシだったのかもしれない。
去年イギリスに行った時は個人旅行だったのでもっと用心して
少ない全財産を小分けして持っていたのですが
今回は夫も一緒だというので、すっかり油断していたのでした。

それでも私は言いたい。
スペインなんかもう二度と行くものかと。
大体、最初の時点であんなに盥回しにせず、もっと親身になってくれていたら
同じ盗まれたにしても、こんなに腹は立たなかったかもしれない。
スペイン人の英語の通じなさ、仕事の遅さは
事前に読んだ本、それまでの一週間ほどの滞在で少しは心得ていたつもりですが…
前半の旅行の楽しい思い出が帳消しにされてしまった。
私をこんな目に遭わせてどうなるか。
友人知人に喋りまくり、ブログに書きまくり、
この悪行を世界中に知らしめてやる!と。
…はい、負け犬の無駄吠えです。

写真 大聖堂
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マドリードでやられた!

2010年08月11日 | スペイン旅行2010
スペイン旅行から戻って来ました。

イベリア半島の東側のバルセロナから入り、そこから南下してバレンシア、
アンダルシア、そしてマドリードという行程でしたが
その最終地でとんでもないことが起きてしまいました。
日程通りに、楽しかった旅日記の最初から書こうかとも思いましたが
やはり、一番強烈だった出来事から書かないと。
この怒りの納まらないうちに。

それは最終日近く、マドリード市内を夫と二人でうろついていた時のこと。
2800もの部屋があるという豪華絢爛な王宮を見学し、
外に出てしばらくすると、肩にかけていた私のバッグの
ファスナーが開いていることに気がついたのです。
いつもしっかりと閉めているのに何故!?と慌てて中を見ると…
財布がない!
700ユーロほどの現金とキャッシュカードが入った財布が。

すぐに警察に行かなくちゃ!と思っても
その辺りにいるのは観光客らしき人ばかりで、警察の場所など誰も知らない。
すぐ近くの土産物店に飛び込んで
"My wallet was stolen!Where is police?help me!"と叫ぶと
私の必死の形相に驚いたのか、店主英語が通じないなりにも、
近くにpolicia(スペイン語でpolice)の何とかがあるからそこに行けと、建物を指差す。
そこに駆け込んで、確かに警察の制服を着た人がいたので同じことを叫ぶと
スペイン語でまくしたてたのは、どうやらそれは自分たちの仕事ではないから
あっちの広場にいる警察に行ってくれ、と。

仕方なく歩いて10分ほどのお祭り騒ぎのマヨール広場に急ぎ、
とんでもない人混みの中からようやく小さなパトカーを見つけ出し、
同じことを叫ぶ。
と、やはり自分たちの管轄ではないから、らしきことをスペイン語で言い、
地図を開いてここの警察署に行ってくれと。
1キロほども離れているので、せめてこのパトカーで送ってくれないかと
頼んでも、ノーノーと首を振るばかり。

警察なんか当てにするより、とにかくカードをストップさせなきゃと
その間に夫が携帯からカード会社に何度か電話したのですが
何故かつながらなかったのでした。
第一、炎天下の街頭で夫のカードやらガイドブックやらを取り出して
電話なんかしてたら、危なくって仕方ない。
向うにいる男もこちらをずっと窺がっている…
こうなると誰もが悪人に見えてくる。
この瞬間にも、カードからお金が引き出されていたらどうしよう!?と
気は焦るばかり。
ようやく路地裏の建物の中の、指定された警察署に到着したのでした。
そこでまた同じことを訴えると
やはりスペイン語でまくしたてられ、少し待っていてくれと待合室に通される。
そこからまた30分ほども待たされたのでした。

写真 王宮
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