100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「忘れられない」編 トレヴィア 57 エチオピアの物貰い

2024年02月28日 07時55分06秒 | 忘れられない

エチオピアのセミエン公園で宿泊したコテージの部屋にこのような文章がありました。子供に物をあげないようにという趣旨のようです。エチオピアではむやみに物・お金をせがむ人が多かったように思います。前回のブータンではそのような人が一人もいなかったせいか特に印象深く感じました。大学生が授業料をくれと言ったのには驚きでした。普通の女性が胸を押さえ病気なのでお金をくれという状況は複数回ありました。教会を出たところで「ソック・ソック」という子がいました。何かというと教会では靴を脱いで入るので汚れた靴下をくれというこのようでした。私の旅行では物ねだりが最も多かった国です。 
 しかし、ここセミエン公園では物を売ろうとする子はいましたが、お金をねだる子はいませんでした。
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「忘れられない」編 トレヴィア 56 ブータンの王

2024年02月25日 07時53分41秒 | 忘れられない

前回ブータンの王様について触れたのでついでにもうひとつ。 
写真はブータンの首都ティンプーにある伝統技芸院の教室にあった張り紙です。この英文を英語に堪能な同行者に訳してもらい、その後私がこの文章の下にあるメッセージの作者の名前を音読した時、この室内にいた生徒たちが一斉に立ち上がり何か叫びました。私は一瞬何が起きたのか分かりませんでした。どうやら私が音読した名前は王で、彼らは「王様だ、この壁にある王様の写真を撮れ」と言っているようでした。ブータン人の国王に対する敬愛の念については事前に書物では知っていましたが、ここで初めて肌で実感しました。
写真下は生徒たち。
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「忘れられない」編 トレヴィア55 ブータンの交通

2024年02月22日 07時54分37秒 | 忘れられない

 一見トレヴィアの様で深い意味のあるもの5つ目
ブータンでは1960年までは車が通れる道路はありませんでした。したがって勿論車も一台もありませんでした。
現在は車も通行しています。写真は首都ティンプのメインストリートです。車も見えますね。御堂のような建物がありますが、ここに警察官がいて交通整理をします。以前ここに信号機がありましたが国王の「景観上似合わない」との一言で廃止になり、現在ブータン国内には信号機はありません。ブータンの国民感情を象徴しているようです。
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「忘れられない」編 トレヴィア54 奴隷交易

2024年02月19日 07時54分16秒 | 忘れられない

一見トレヴィアの様で深い意味のあるもの4つ目
この写真はアフリカのベナン共和国(以前ダメホー王国)のギガ要塞博物館で見たものです。
この文章の意味は「アフリカの王たちは奴隷交易を初めから積極的に行ったのではないが、結果的には莫大な利益を上げた」ということのようです。この弁解は事実と異なるものです。実際は当時のアフリカ諸国の王たちが積極的に奴隷狩りをしてヨーロッパ諸国の商人に売り鉄砲などの武器を手に入れていたのです。しかしこのような言いわけが書かれているところをみると一定の説得力を持っているのでしょうかね。そのためこの地のダホメー王の末裔が現在も一定の権力を持っているのかも。
 奴隷狩りの跡をベナンの人口2万人の湖上村ガンヴィエ(写真下)に見ることができます。
このような湖上の不便なところに2万もの人が生活している理由は、この地の奴隷交易国家ダホメー王国の奴隷狩りから逃れるためでした。それではなぜ湖上なら安全だったのでしょうか。それはダホメー王国の宗教(ヴードゥー教?)には戦士が水の上で闘うことを禁止するというタブーがあったからでした。
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「忘れられない」編 トレヴィア53 オストラコン

2024年02月16日 07時53分27秒 | 忘れられない

写真はギリシアのアテネの柱廊博物館で見たオストラキスモスに使われたオストラコンです。オストラコンとはギリシア語で陶片を意味します。オストラキスモスとは古代ギリシアの政治制度です。一般に古代ギリシアの各ポリスは王政→貴族制→民主制と進みました。その典型的な都市がアテネ(古代名はアテナイ)でした。その貴族制→民主制の過渡期に非合法の独裁支配者が現れます。これをギリシア語でtyrannos といい日本語で僭主と訳しています。このtyrannos は英語のtyrant(暴君、独裁者)の語源になっています。しかしギリシアでは暴君的な意味はなくむしろ以後の民主制の発展に寄与している側面があります。しかし、民主制下ではこのtyrannosの出現 を警戒して市民は写真のようなオストラコンに危険と思われる人物名を書きアゴラ(市民広場)で投票し、アテネでは6000の票が出たときアテネ市から10年間追放されました。これをオストラキスモス陶片追放といいます。 このオストラキスモス制度で追放された人物で最も有名なのはペルシア戦争の時アテネ海軍を率いてギリシア連合軍を勝利に導いたテミストクレスです。したがってこのテミストクレスの名前が書かれたオストラコンを見ること多いのですが、この写真のオストラコンにはアテネの民主制の最高指導者とされているペリクレスの名前が書かれています。(注)これにはちょっと私もびっくりしました。
 もっともペリクレスは追放には遭いませんでしたが。しかし古代アテネ市民は後世、民主主義の元祖と言われる人にも批判の目を持っていたのでしょうね。
 ここでオストラコンを見て始めて気がついたのですが、名前が2つ書かれています。どうやら姓・名でなく二人の名前のようです。単記でなく連記でもよかったのでかね。詳しい人がいらっしゃいましたら教えてください。
 2500年も以前に文字で政治的態度を表明し政治を動かしていたとは、なんと古代ギリシア人はすばらしい人たちだったのでしょうか。識字率も当時の時代では群を抜いていたのでしょう。
 もう一つ、多数の人々を対象とした劇場、競技場を古代ローマ、ギリシアの遺跡に見ることができます。一人の専制君主、少数の支配者のためのものではない建造物です。非ヨーロッパ人の私はこの地域を旅行するたびにいつもコンプレックスと、うらやましさを感じます。
(注) 上のほうの文字ですが、最初の文字「π」はラテン文字で「P」で、三つ目の「P」はラテン文字で「R」にあたります。そこでperikles ペリククレスと読めます
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「忘れられない」編 トレヴィア52 トルコとギリシア

2024年02月13日 07時57分16秒 | 忘れられない

 一見トレヴィアの様で深い意味のある2つ目。
ギリシア旅行時トルコ領内にあるギリシア古代遺跡エフェソスに船で向かいました。到着した港町はクシャダスです。港に下り立ったとき面白い物を見つけました。(写真)そうなんです”、When in Turkey ***Do what most Turkish people do.”  と書いてありました。直訳すれば「トルコに居るときは、多くのトルコ人がするようにしなさい」日本語では「郷に入ればば郷に従え」となるのでしょうか。普通ならば” Welcome to Turkey”「トルコへようこそ」だと思うのですが。
 そこで私流にこの謎解きをして見ます。この謎解きのキーワードは「ギリシアとトルコは犬猿の仲」と思います。添乗員の稲葉さんが面白い話しをしてくれました。煮出しのトルココーヒーは有名ですが、全く同じものがギリシアのもあります。そこでギリシアでトルココーヒーをくださいというと突然不機嫌になりそんなものはありませんというそうです。
 不和の原因はどこかの国と同じように歴史問題があります。その問題は長くなるので省略します。
ここクシャダスは古代ギリシャ遺跡のエフェソスの入り口なので、わたくしたちのようにギリシア旅行の時に立ち寄る人が多いのでここはトルコだと強調したいのだと思いました。皆さんはどう思われますか?
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「忘れられない」編 トレヴィア51 アレクサンダーちゃん

2024年02月10日 07時53分40秒 | 忘れられない

 一見、トレヴィアですが意外に深い意味のあることに出会うことがあります。2010年にマケドニアを訪れた時住宅街をぶらぶらしていた時、アレクサンダー!と呼ぶ声が聞こえました。その先には女の子がいました。(写真上)どうやらこの女の子の名前がアレクサンダーのようです。びっくりしました。女の子の名前がかの歴史的なアレクサンダー大王の名前と同じだとは。
 どうやらこれには深い意味があるようです。
  マケドニアは隣国ギリシアとの間に国名をめぐってトラブルがあります。ギリシアの言い分は、「マケドニア」という国名は、かの有名なアレクサンダー大王の古代マケドニアの名称の僭称というわけです。そして自分たちギリシアがマケドニアの正当な継承者と主張しています。そこで1991年にユーゴスラビア連邦より独立した時の国連加盟時の呼称は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」でした。
 しかし「マケドニア」は自分たちがアレクサンダー大王古代マケドニアの正当な継承者と本気で思っています。首都スコピエの中心部にあるアレクサンダー大王広場建設予定地がありました。(写真下)アレクサンダー大王像もここに作られる予定とのことです。
現地ガイド・ミランさんにあなたはアレクサンダー大王の後裔だと信じていますかと聞いてみました。もちろんとの返事でした。
ワインの名前もアレクサンダーでした。マケドニアで飲んだワインはすべてこの銘柄でした。(写真下)
 というわけで「マケドニア」と「ギリシア」とはいずれがアレクサンダー大王の正当な継承者めぐっての対立があります。
 国名に関しては2018年に両国が「北マケドニア」とすることで合意しました。

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「忘れられない」編 トレヴィア50 ツアツア

2024年02月07日 07時55分00秒 | 忘れられない

 
 ブータンでは死後遺体は僧侶によって魂が抜かれ(ポアといいます。オーム真理教を思い出しますね)故人の魂は休む間もなく次の生を受けて転生します。(輪廻転生)したがって、遺体はただの物体になり火葬されます。火葬後遺灰は川に流されます。(ヒンドゥー教とここまでは同じ) ただ遺骨の一部が遺され粉々に砕かれ粘土と混ぜあわされ、それを円錐形の鋳型で固めます。数十個から百個くらい作ります。これをツァツァといいます。これを天日干しにして21日目にチョルテン。寺の屋根や壁、または道端に奉納し、その後はそのまま放擲し数年で風化しあとかたもなくなります。
 お寺に置かれたり(写真上)、なにもない道端(写真下)にもありました。
 本林靖久氏はこのことについて以下のように述べています。
 「ブータンでは遺体や遺骨に対する執着はなく、遺骨を保存し、長く供養する考えをもたないといえよう。しかしながらツァツァの儀礼が行われて以上、ブータン人も遺骨に何らかの意味を与えているようにも思われる。この点については今後の課題としたい」(「ブータンと幸福論」p145)
 ついでに余談話を2つ。
 最近フィリッピンでの遺骨収集のことが話題になったので遺骨に対する日本人の考えについての本林氏の考えをついでに紹介しておきます。
 「(日本人は)葬送儀礼においても骨に対する執着が強すぎ、死者の儀礼の行きつくところが、遺骨の処理や保存に囚われすぎではないかと思う」(同上p135)
 ついでにも一つ。
 「お墓があるのは、仏教国では日本だけである。日本人は仏教と言えば、お墓を連想するほど、仏教にとっては不可欠なもの、仏教の一部だと思い込んで、お墓のない仏教など夢想だにしない。しかし、現在仏教が信奉されているアジアの各地を訪れれば明らかのようにお墓はどこにもない」(今枝由郎著『ブータンから見た日本仏教』p115
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「忘れられない」編 トレヴィア 49 イランの結婚式

2024年02月04日 07時54分31秒 | 忘れられない

イランのホテルで結婚式(披露宴?)に出会いました。写真は男性席、仕切りの向こう側は女性席というわけです。男性席の前には果物だけ、勿論アルコールはありません。お互いに談笑している風もありません。この状態は最後まで続くそうで、現地ガイドのサラビさんはこれが普通でまるで葬式のようだと話してくれました。そういえば皆さん、さえない顔をしていますね。 
 ついでにもう一つ彼らの胸元を見てください、ネクタイをしていませんね。以前ネクタイは禁止でしたが、今は自由にはなっていますがやはり、何故ですかね。日本のクールビズの元祖ですか。 
 下の写真は女性席です。勿論男の私は入れないので、同行の女性に写してもらったものです。男性側と違ってなんとなく華やいで見えます。まだ会は始まっていないのですが、宴たけなわとなるとヴェールを脱ぎドンちゃん騒ぎになるそうです。(ヴェテラン女性添乗員瀬川さんの話)そして我々他人の男性が見ることのできない「金」のネックレス、腕輪などを見せ合うのだそうです。現地ガイドのサラビさんの話では、イランの女性は大変「金」が好きで男性は結婚の時の贈り物に大変苦労するそうです。そこで?サラビさんは日本人女性と結婚したそうです。 
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「忘れられない」編 トレヴィア48 エイズ

2024年02月01日 07時55分33秒 | 忘れられない

 最近では伝染病として「コロナ」の話題も少し少なくなりましたが、それ以前は「エイズ」が最大の話題でした。2011年にブータンを訪れた時、写真のような掲示板に出会いました。ブータンではエイズの患者が沢山いるとは聞いていませんが、エイズ予防の掲示板です。なかなか面白いので紹介します。インド国境に近いサムドゥプ・ジョンカン(2011年8月23日地図)で見ました。国境の町ということに何か意味があると感じました。ゾンカ語と準公用語の英語で書かれていました。私の下手な日本語訳を付けておきます。
 「私はコンドームです。あなたの友達です。決してあなたを裏切りません。あなたは私を常に信頼できます。あなたをエイズから守ります。あなたの人生に幸せをもたらすことができます。あなたに役立ちます。セックスの時に私を使用することで後悔することのないことを請け負います」
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