100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「イスラエル」予告編

2010年03月15日 08時08分55秒 | イスラエル・パレスチナ

 3月17日より26日までイスラエルを旅行します。その間休載します。

 再開はこの間PCの修理をするので4月4日ごろを予定しています。今後ともよろしく。

 またも「東南アフリカ7カ国」は中断ですが、いずれ「西アフリカ」「東・南アフリカ」「中国シルクロード」「パキスタン」「イラン」「ポルトガル・スペイン」の未完の部分を含めて再開の予定です。 画像は「㈱トラベル世界」のホームページからの転載の旅程図です。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク33 モザンビーク島24 弁当箱

2010年03月13日 08時09分56秒 | モザンビーク

モザンビーク島のホテルを出立する時の弁当箱です。中身より立派だったかな。期せずして思い出のお土産になりました

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク33 モザンビーク島23 燃料?

2010年03月13日 08時07分01秒 | モザンビーク

 朝散歩していた時、女性二人が斧を担いで海岸の方向に歩いていました。何だろうと思い後をつけて行きました。すると流木を斧で削り始めました。写真を撮ろうとすると拒否されたので遠くから盗撮しました。ごめんなさい。というわけで写真は不鮮明です。後で他の人に何か薬効でもあるかと思い聞いてみると単なる燃料用だとのことでした。この地域での日常生活を垣間見たような気がしました。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク32 モザンビーク島22 踊り3

2010年03月11日 15時07分16秒 | モザンビーク

 女性の踊りですね。 なお、2010年1月28日~2月3日にマラウィのグイリゼ村、2007年9月28日にマリのドゴン人の踊りを紹介しています。ここの踊りが一番つまらなかったです。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク31 モザンビーク島21 踊り2

2010年03月11日 15時03分59秒 | モザンビーク

 お囃子の楽器ですね。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク30 モザンビーク島20 踊り1

2010年03月11日 14時58分52秒 | モザンビーク

夜ホテルの中庭で歓迎の踊りがありました。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク29 モザンビーク島19 選挙3

2010年03月09日 08時12分35秒 | モザンビーク

 選挙結果はFRELIMOの現大統領の再選で国民議会もFRELIMOが191議席を獲得しRenamo-UEの51議席を大きく引き離しました。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク28 モザンビーク島18 選挙2

2010年03月09日 08時09分39秒 | モザンビーク

 対立政党はRenamo-UEモザンビーク民族抵抗運動ですが、見かけませんでした

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク27 モザンビーク島17 選挙1

2010年03月09日 08時06分38秒 | モザンビーク

 我々がモザンビークを訪れた時は5年に一度の大統領・国民議会の選挙戦真っただ中でした。モザンビーク島でその選挙運動に出会いました。FRELIMOに投票とスローガンを掲げています。FRELIMOモザンビーク解放戦線はポルトガルからの独立を掲げ1964年から独立戦争を戦い1975年独立を勝ち取った政党です。独立以後の政権与党で今回も勝利しました。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク26 モザンビーク島16 サンパウロ宮殿3

2010年03月07日 08時21分49秒 | モザンビーク

 2階部分も博物館ですがそこで見かけたものを一つだけ。左から3枚目の写真の人です。ちょっと見にくいのですが顔に白いペースト状のものを塗っています。この地方の一部の女性の風俗でMUSIROといいます。美容と健康のためだそうです。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク25 モザンビーク島15 サンパウロ宮殿2

2010年03月07日 08時17分16秒 | モザンビーク

 海洋博物館にはダウ船がありました。ダウ船とはイスラームの伝統的な木造帆船でアラビア半島、インド、東アフリカ沿岸で今でも使用されています。

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「東南アフリカ7カ国」編モザンビーク24 モザンビーク島14 サンパウロ宮殿1

2010年03月07日 08時13分27秒 | モザンビーク

 1610年に建設されたポルトガルの現地の支配者、総督の住居でサンパウロ宮殿と呼ばれていましたが、今は博物館になっています。1階部分が海洋博物館です。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク23 モザンビーク島13 サン・セバスチャン要塞

2010年03月07日 08時08分08秒 | モザンビーク

 モザンビーク島は世界遺産に指定されています。この標識のところはポルトガルの支配のために造られたサン・セバスチャン要塞です。なぜか中に入りませんでした。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク22 モザンビーク島12 奴隷交易2

2010年03月05日 08時17分34秒 | モザンビーク

 奴隷の輸出先としては南北アメリカだけと思いがちですが、ここモザンビーク島では世界各地に送り出されています。ここの標識(The Garden of Memory)の説明によれば南北アメリカ以外にもインド洋沿岸、ペルシャ湾沿岸地方にここから輸出されたとありました。

 余談ですが、アフリカからの奴隷が一番多く行った先はどこだと思いますか。その答えは2005年11月13日にあります。ご覧ください。

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「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク21 モザンビーク島11 奴隷交易1

2010年03月05日 08時05分31秒 | モザンビーク

 モザンビーク島は19世紀まで続いた奴隷輸出港としても有名です。西のセネガル、奴隷海岸とかつて呼ばれた地方(現在のガーナ、ベナン、ナイジェリア)と並んで多数の奴隷を世界各地に送り出した港です。

 なおガーナ、ベナンでの奴隷問題についてはオバマ大統領が就任早々訪問したガーナで見学した”SLAVE EXIT TO WAITING BOAT”(待機中の船への奴隷出口)を2005年11月13日に紹介していますが、詳細は後日、未完の「西アフリカ」編で触れる予定です。

 事前に旅行社に旧奴隷市場の跡を見ることが可能かどうかを問い合わせたところそれは現在残っていないとの返答でした。Lonely planet にも記載がないのであきらめていました。ところが時間の余裕があるということで希望者だけの参加のツアーが組まれました。そこで前々回紹介した共同墓地とこの奴隷交易市場がありました。2010年2月11にマンゴチが奴隷収集地であったことを紹介しましたが、このように東部アフリカ大陸内部で集められた奴隷がこの島に集められました。鉄格子の向こうに海が見えますがここから奴隷が船に積まれたのでしょう

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