100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代6 コルドバ6 ユダヤ人2

2009年06月29日 08時24分08秒 | ユダヤ人

 ユダヤ教のシンボル「ダビデの十字」の付いた家屋もありました。 

 なお、このブログでは世界各地のユダヤ人のゆかりの地をかなりたくさん紹介しているので興味のある方はぜひこのブログの左下にある検索欄に「ユダヤ」と入れて検索してみてください。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代 5 コルドバ5 ユダヤ人1

2009年06月29日 08時20分05秒 | ユダヤ人

 AD1世紀頃からユダヤ人はイベリア半島(スペイン・ポルトガル)住み始めたとされ自由な生活をしていましたが、589年に西ゴート王国がカトリックに改宗して以後ひどい迫害を受けるようになりました。しかしイスラームの侵攻とともにユダヤ人は再び自由を取り戻しました。しかし1942年グラナダがキリスト教徒により征服されて以後、再びユダヤ教徒への迫害が始まりました。しかしイスラーム時代のユダヤ人たちの痕跡はスペイン各地に残されています。コルドバにはそれがたくさんあります。

 写真はコルドバにあったシナゴーグ(ユダヤ教教会)の跡の標示です。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代4 コルドバ4 アラブの井戸

2009年06月27日 08時20分09秒 | スペイン・ポルトガル

 町を歩いているとこのような掲示がありました。アラブ時代の井戸が残っているということです。そのとき思ったこと。アラブは今もスペインで生きている。ひょっとしてスペインがいち早くイラク戦争から撤退したのは、これか?

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代3 コルドバ3 メスキータ3

2009年06月27日 08時16分51秒 | スペイン・ポルトガル

 メスキータ内部にあるいつもの豪華絢爛コテコテ金ぴかのカトリック礼拝堂です。金ぴかの多くはコンキスタドール(2008年月1月13日をご覧ください)がアメリカ大陸から略奪してきたものです。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代2 コルドバ2 メスキータ2

2009年06月25日 08時30分01秒 | スペイン・ポルトガル

 最初の位置からはかなり移動してですがミフラーブが残されていました。写真の奥がメッカの方向にあるミフラーブです。ミフラーブについては2008年6月12日をご覧ください。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代1 コルドバ1 メスキータ1

2009年06月25日 08時21分00秒 | スペイン・ポルトガル

 ローマ帝国は5世紀には衰退しゲルマン人がこの地に侵入しその一派西ゴート人が419年に西ゴート王国を建国し560年トレドを首都にしました。ところが今回の旅行で勿論トレドにも行きましたが、全く西ゴート時代の痕跡には出会えませんでした。

 スペイン・ポルトガルで西ゴート時代のものを見る機会がありますか、と、添乗員の堤さんに聞いたところ、全く知りませんとの返事でした。「地球の歩き方」にもこの時代の文化遺産の紹介はありませんし、lonely planet にもごく少数の教会が北部に残されているだけとの記載でした。 

 というわけで、西ゴート時代はパスして、711年にジブラルタル海峡をわたってきたイスラーム時代の紹介になります。スペイン・ポルトガルに入ったイスラーム勢力はコルドバを首都にします。コルドバは1236年にキリスト教勢力に奪われるまでイスラーム文化の花を咲かせます。イスラーム時代の10世紀頃のコルドバの人口は45万人で当時では世界最大でした。ちなみに京都は18万人と推定されています。なお最終的にスペインからイスラーム勢力が追い出されるのは1492年のグラナダ陥落です。 

 イスラーム寺院といえばモスク(英語)ですが、スペインではメスキータといいます。本場アラビア語ではマスジドです。これについては2008年6月12日をご覧ください。コルドバには西イスラーム世界で最大といわれる奥行き178m、幅125mのメスキータが残されています。但しlonelyplanet がMezquita-Catedral と言うように後のキリスト勢力がこの中に大聖堂カテドラルCatedral を押し込んだものが現存のメスキータです。 

 写真はイスラーム様式を残した内部です。フラッシュ禁止の写真なので見難いですが。現在850本の柱が立っていますが、大聖堂のため63本が犠牲になりました

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代14 コルドバ2

2009年06月23日 08時34分10秒 | スペイン・ポルトガル

 ローマ時代の橋です。 

 ローマ帝国が支配した広大な地域を今までたくさん旅行して来ました。そのときいつも同じことを思います。数千人から10万人を収容する劇場、少女の水くみの苦労を解決したセゴヴィアの水道橋などのように、大衆に「パンとサーカスを」と揶揄気味に言われるローマ帝国ですが、少数者のためのでっかい建物(文化遺産)を残した他の文明との違いは歴然としています。ヨーロッパ人はギリシア、ローマ文化を古典文化と名づけ自分たちの文化の源流としてきました。うらやましいかぎりです。という感想でローマ時代を終わります。

附録

 最近イランについてのマスコミ報道が多くなってきていますが、昨年当地を訪れ「イラン」編(未完)を書いています。今回のイラン報道を理解するに少しは役に立つことがあると思うのでご覧いただければ幸いです。特に200896日、2008531日~62日(ハメイニー)200855日~523日(男と女)の話は参考になると思います。左のカレンダーをクリックしてください。

 

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代13 コルドバ1 セネカ

2009年06月23日 08時23分30秒 | スペイン・ポルトガル

 コルドバはローマの属州の1つパエティカの州都でした。セネカ(AD4~AD65)はこの地に生まれた有名な哲学者であり皇帝ネロの家庭教師でした

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スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代12 ロムルスとレムス

2009年06月21日 08時24分25秒 | スペイン・ポルトガル

 ここにもロムルスとレムスに狼のオッパイの像がありました。

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代11 メリダ2 ローマ橋

2009年06月21日 08時21分22秒 | スペイン・ポルトガル

 BC25年頃建設された全長792mの橋です。現在も現役です。

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代10 メリダ1 円形劇場

2009年06月21日 08時17分20秒 | スペイン・ポルトガル

 ローマ帝国は現在のスペイン・ポルトガルを5つの属州に分けましたがその1つルシタニアの州都がメリダです。そこにはBC8年に建設され現在も使用されている6000人の観衆を収容できる円形劇場がありました。

 Fengdanさんいつもコメントありがとうございます

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代9 ア・コルーニア エルクレスの塔

2009年06月19日 08時34分59秒 | スペイン・ポルトガル

 同じくガルシア地方に「ア・コルーニア」(スペイン語=カスティリア語でラ・コルーニア)はあります。そこにローマ時代の2世紀に造られた灯台があります。今でも現役とのこと。

 神話によればこの地の人たちを恐怖に陥れていた残酷な巨人ゲリオンを殺すためにヘラクレス(エルクレス)が建てたとされています

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代8 ルーゴの城壁

2009年06月19日 08時30分57秒 | スペイン・ポルトガル

 6月5日の(注)で紹介したガルシア地方のルーゴにBC1世紀に造られ、きれいに保存された城壁があります

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代7 セゴヴィア4 ロムルスとレムス

2009年06月17日 08時29分07秒 | スペイン・ポルトガル

 この水道橋の近くにあったこの像はローマ建国伝説に基づくものです。スペイン各地で見かけました。ローマを建国したとされるロムルスとレムスの双子の兄弟が生まれてまもなく捨てられ、狼に育てられたという神話です。その後ロムルスはレムスを殺しロムルスはローマを建国し、彼の名にちなんで国の名がローマというわけです。

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「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代6 セゴヴィア3 水道橋3

2009年06月17日 08時23分46秒 | スペイン・ポルトガル

 この水道橋を見ていると写真の中央上部にある幼子キリストとマリアの像に気付きました。「アレー、紀元前にキリスト?」と思いましたが、後日作られたものでした。スペイン人はマリアさんが好きですね。

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