100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 コチューリヨ・アサード

2020年09月02日 07時54分44秒 | スペイン・ポルトガル

 スペインのセゴビアでいただいたこの地の名物料理です。生後15日~20日の子豚をオーブンで焼いたこの地の名物料理です。これを目の前で小皿に切り分けていただくのですが****。
 2009年5月6日から途中中断をはさみ今日までの「スペイン・ポルトガル」編を今回で終了します。次回からは?
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「スペイン・ポルトガル」編 イエマス・サンタ・テレサ

2020年09月02日 07時51分54秒 | スペイン・ポルトガル

 スペインのアヴィラの名物菓子です。卵の黄身を砂糖漬けです。名前はこの地の聖女の名前そのままですが、何の関係もないそうです。
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「スペイン・ポルトガル」編 リスボン4 モラエス

2020年08月30日 07時59分32秒 | スペイン・ポルトガル

 リスボンの午後は自由時間でした。一人でモラエスの生家を尋ねました。方向音痴に言葉もできない私がどうやってたどり着いたのか、今も謎です。モラエスについてはこの碑文以上のものは省略します。

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「スペイン・ポルトガル」編 リスボン3 ケーブルカー

2020年08月30日 07時56分10秒 | スペイン・ポルトガル

 リスボンは「7つの丘の都」と呼ばれる起伏の激しい街です。写真は電気軌道ですが鋼索によってけん引されているケーブルカーです。

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「スペイン・ポルトガル」編 リスボン2 ストリートミュージシャン

2020年08月30日 07時53分10秒 | スペイン・ポルトガル

 1541年に悩まされながら、市内をぶらぶらしました。ストリートミュージシャンに出会いました。コンドルの何とかというCDを購入しました。同行の一人がなぜポルトガルで南米の音楽を?関係がありますよね。
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「スペイン・ポルトガル」編 リスボン1 1541年とアリガトウの怪

2020年08月27日 07時52分03秒 | スペイン・ポルトガル

 2009年8月16日の再録です。
 日本がヨーロッパ人と最初に接触したのはポルトガル人であることは誰でも良く知っています。それは1543年種子島に漂着した船にポルトガル人がいてそれが鉄砲伝来にもなります。ところが、ポルトガルの首都リスボンにエンリケ航海王子(後記予定)の500年忌を記念して作られた発見のモニュメントの広場のモザイク世界地図にはポルトガル(にとっての)の日本「発見」年号が1541年になっています。写真をご覧ください。「地球の歩き方」には「これはポルトガル船が豊後に漂着した年だ」とありました。釈然としない私は大分県の教育委員会に電話をしてみました。電話に出ていただいた田中裕助さんはきっぱりとその「1541年豊後漂着説」を否定されました。1545年、46年には豊後に居住していたが、それ以前については何らそれを証明するものはないとのことでした。さて困りました。鹿児島県の教育委員会、種子島の「鉄砲伝来記念館」にも問い合わせても良く判りません。そこで「日本の歴史14鎖国」(岩生成一著)(p11~13)に以下のことが書かれているのを見つけました。「ヨーロッパ人の日本島発見の年代については***1543年と信じられているが、***じつは***これまでヨーロッパ人の日本島発見の年代については、まだ決め手になるような、決定的な明確な資料は発見されていないのである」として1541年~44年までの諸説が紹介されています。1541年説については「1536年から数年間、フィリッピン群島の南にあるモルッカ諸島の司令官であったアントイオ・ガルバノの『世界探検史』には1541年のこととしている」と書かれています。というわけで私はこのガルバノの1541年説を「発見のモニュメントの広場」は採用したのではないかと今は思っています。なおこのことについては「地球の歩き方」の編集部の小坂さんには伝えておきました。
 ところでガイドブック”lonely planet”ではどのようになっているかと調べてみると1543年となっていました。ところがその後に”Portuguese brought new words to the language , including pan (bread ) and arrigato(thank you)”(p31)とあるのにはビックリしました。パンのポルトガル語起源はこれまた良く知られていますが、アリガトウがポルトガル語起源とは全く初耳です。「地球の歩き方」編集部の小阪さんにこのことを話したところ彼はそのことをポルトガル人から聞いたことがありますと話してくれました。これまた困りました。 ところがウィキペディアの英語版のJapanese words of Portuguese origin の項目には以下のことが書かれていました。「ポルトガル語の“obrigado”が日本語の「アリガトウ」の語源だという説が良く言われているが、これは全くの間違いである。ポルトガルとの接触以前の万葉集にすでにアリガトウの言葉がある」 というわけでポルトガルではこの間違った「オブリガド→アリガトウ」説がかなり広まっているようです。
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「スペイン・ポルトガル」編 エヴォラ5 天正遣欧少年使節2

2020年08月24日 07時56分02秒 | スペイン・ポルトガル

 このカテドラルで少年使節団はこのパイプオルガンを演奏しました。この程度は普通のガイドブックに記載されていますが、若桑みどりはその大作・名著「クアトロ・ラガッツイ 天正少年使節と世界帝国」(p291)でそれについて記述しているので一部紹介します。
「一行はまた大学都市エヴォラに寄って大司教ドン・テオトニオ・デ・プラガンサに礼を尽くさなければならなかった。****大司教はまた彼らの和服姿を喜び『****そのすこぶる美麗優雅なる衣服を見、また彼らがたがいに慇懃に敬意を示しあうようすを知りて大いなる満足を得たり』とグァルチェーリは書いている。****大司教に、日本の書物数冊、それに信長からオルガンティーノにあてた書状を見せた。これらの日本文字を見て彼は大いに喜んだ。ついで大司教は少年たちが書いたラテン語の文章を読んで、短期間によく練習したことに感嘆**」
 なぜかパイプオルガン演奏についての記載はありません。
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「スペイン・ポルトガル」編 エヴォラ4 天正遣欧少年使節1

2020年08月24日 07時53分05秒 | スペイン・ポルトガル

 エヴォラは日本と関係のあるところでもあります。それは12〰13世紀にかけて建てられたカテドラルです(写真正面)。1584年9月に天正遣欧少年使節(注)がここを訪れています。
 (注)天正年間に九州のキリシタン大名の名代として、イエズス会の企画によって南ヨーロッパに派遣された4人の使節
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「スペイン・ポルトガル」編 エヴォラ3

2020年08月12日 07時50分36秒 | スペイン・ポルトガル

 これは何だと思いますか? 人骨です。16世紀に建てられたサン・フラシスコ教会にある人骨堂です。5000体の人骨がこのように壁や柱に埋め尽くされています。感想の述べようがありません。修道士たちの黙想する場として造られたそうです。16世紀ヨーロッパを席巻したペストの死亡者のものとの説があるようです。

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「スペイン・ポルトガル」編 エヴォラ2

2020年08月12日 07時47分32秒 | スペイン・ポルトガル

 2~3世紀にかけてローマ人によって建設されたコリント様式の神殿です。月の女神ディアナにささげらと推測されています。

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「スペイン・ポルトガル」編 エヴォラ1

2020年08月12日 07時44分38秒 | スペイン・ポルトガル

 エヴォラはポルトガル南東部にありスペインとの国境近くの町でローマ帝国時代から繁栄し旧市街地は世界遺産委に指定されています。写真はその旧市街地です。
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「スペイン・ポルトガル」編 ナザレ6

2020年08月09日 07時54分10秒 | スペイン・ポルトガル

 土産物の屋台の女性が鳩にえさを与えていますね。服装に注目ください。女性の服装について「地球の歩き方」(p160)ではナザレの伝統衣装として「既婚の女性は7枚重ねの短いスカートにエプロン、頭に巻いたスカーフとスリッパ****」と紹介されています。写真のこの女性の服装は?

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「スペイン・ポルトガル」編 ナザレ5

2020年08月09日 07時51分07秒 | スペイン・ポルトガル

魚網の手入れですね。ナザレで宿泊しましたが、夕食にはイワシの炭火焼きが出ました。写真のないのが残念。イワシはわたくしの海外旅行では今回のポルトガル以外ではアルジェリアで頂いたことがあります。
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「スペイン・ポルトガル」編 ナザレ4

2020年08月09日 07時48分04秒 | スペイン・ポルトガル
      
 ナザレは本来漁師村です。
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「スペイン・ポルトガル」編 ナザレ3

2020年08月06日 07時53分57秒 | スペイン・ポルトガル

 独り占めではありませんでした。幸せなカップルがいました。

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