犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

サヨナラだけが人生だ

2022-03-31 23:01:07 | 日記

去年の庭の剪定の時期が悪かったのか、今年は白木蓮を愛でる間も短く、早々に花が散ってしまいました。可哀想なことをしたと思います。
道を挟んだ神社の咲き誇る桜を傍目に、ようやく若芽を吹いたばかりの木蓮が立ちすくんでいます。

ここに立つ樹が木蓮といふことをまた一年は忘れるだらう
(荻原祐幸『甘藍派宣言』)

春の訪れをいち早く告げた木蓮は、主役の座をあっさりと譲り渡して、清々しい気配さえ漂わせています。いま満開の桜もやがて散り、主役の座をまた別に譲るのです。

于武陵の詩「勧酒」は、井伏鱒二の訳詞で、新しい命を吹き込まれました。

花発多風雨 花ひらけば風雨多し
人生足別離 人生別離足る

(井伏鱒二訳)
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二が林芙美子とともに講演のため尾道に行き、因島に寄った帰りのこと。港で船を見送る人との別れを惜しんだ林が「人生は左様ならだけね」と言ったのが、この訳詞の元なのだと「因島半歳記」のなかで井伏が語っています。もっとも、井伏自身はその時の大仰なセリフが照れくさくて嫌だと思ったそうなので、いつのまにか訳者のなかで言葉が熟成していったのでしょう。
訳詞の出どころが因島港の別れだとすると、この詩の奥には無常だとか虚無だとかいった取り澄ましたものではなく、あたたかくもてなしてくれた人たちへの懐かしい思いが込められているのがわかります。

木蓮の花は散ってしまって、また翌年花が咲くまでに、木蓮であることすら忘れてしまいます。それでも、翌年の木蓮はきっと今年の色を宿して、深みを増しているはずです。「サヨナラ」を井伏に倣って「左様なら」と書き表してみると、楽しい思い出を胸に一歩を踏み出す様子が浮かんできます。


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立ち尽くす歌

2022-03-24 23:11:35 | 日記

生命の横溢する桜花に対峙して、みずからの生命を奮い立たせる歌がありました。
しかし、咲き誇る桜を前にして励まされるでもなく、ただ立ち尽くすしかない時もあります。
この歌は、終戦後間もなく詠まれたものです。

すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり
(岡野弘彦『天の鶴群』)

岡野弘彦は東京大空襲で、満開の桜が咲いたまま、炎に包まれる様子を目の当たりにしています。
米軍が上陸した際の特攻作戦に備えるため、茨城県の鉾田に向かう途中、岡野の乗った列車がB29 の爆撃にさらされました。東京の地理が分かるということもあり、いったん隊を離れて、東京で累々たる死屍を処理するという作業を6日間続けます。空襲のなか移動するとき、線路沿いの桜並木が満開で、懸命に炎に耐えていたものが「ある瞬間に、ふわっと火に包まれ、咲いたまま燃え上がっていく」姿を目撃しています。

鉾田の本隊に改めて配属され、宿営する中学校では校庭の桜も満開でした。その桜がふぶくのを見たとき、岡野は「ひえびえと」立ち尽くすことしかできませんでした。このとき、もう一生桜を美しいなど思うまいと感じたのだそうです。羅紗の軍服に染みついた死体を焼いたにおいが、むっと立ちあがってきて、そう感じざるを得なかったと自ら記しています。(「明日への言葉」三十一文字にいのちを吹き込む

ウクライナの惨状を毎日テレビで目にすると、こんなことを許してはならないと思うと同時に、このような戦争が引き起こされる日常に、いま暮らしていることを改めて思います。岡野弘彦の「ひえびえと」した思いは、決して遠い昔の歴史の一断片ではないのだと、つくづく感じます。

2017年、日本・ウクライナ外交関係樹立25周年を記念して、桜の植樹事業が行われました。(在ウクライナ日本国大使館 Sakura 2500 Campaign)ウクライナ全土の30近くの都市で、1,600本の桜が植えられたのだそうです。このときの桜の花が咲いているならば、咲いたまま焼かれているかもしれません。

桜の花とライラックの花が咲き誇り、再生の歌が歌われる日が、一日も早く来ることを祈ります。


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再生の桜花

2022-03-18 22:06:55 | 日記

先日、福岡市では全国で最も早い桜の開花を観測しました。例年よりも5日も早い開花なのだそうです。勢いよく咲き出す花は、無常を感じさせる桜の風情とは違って、真っ直ぐな生命の輝きを帯びています。

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり
(岡本かの子『浴身』)

今年咲く、ただ一度きりの花、そして、それを見る私の人生もただ一度しかない。生命を燃やし尽くした、かの子らしい歌です。
関東大震災に被災して島根での避難生活を終えたのち、新田亀三と新しい恋に落ちたころの歌なので、愛人堀切茂雄の病死、長女、次男の相次ぐ早世から、ようやく立ち直りかけた時期の心情をも表していると思います。その意味では、生命の再生の歌でもあると言えるでしょう。
命の横溢に圧倒されながら、ただ圧倒されるだけではなく、堂々と対峙して生命を奮い立たせる、かの子の息吹が聞こえるようです。

桜の花を詠んだ歌で忘れられない、もう一首。

夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん
(馬場あき子『雪鬼華麗』)

三十年近く勤めた教師の職を辞して、京都に旅したときの歌です。そのときの様子をあき子は次のように語っています。

宿泊した宿の中庭の桜を、夜半に起き出して眺めていた。灯火のほのかな明りの中に浮かび出た桜は、人々の寝しずまった静かな闇に佇んで、誰の目にも見られないまま、自ずからなる摂理に従って、白い花びらをはらはら、はらはらと惜しみなくこぼしつづけていた。四十九歳で職を捨てた私の感じている、惜しまずにはいられない時間の、刻々の消滅のようにも、私という存在を残して過ぎてゆく非情な時間のようにも感じられた。(歌林の会「さくやこの花」)

職を辞した直後の不安の中にあって、詠み手は「自ずからなる摂理に従って」花を散らす生命と対峙します。それは「私という存在を残して過ぎてゆく非常な時間」のようにも感じられるのですが、同時にその幽玄な姿に出会うことで、ただひとり歩みを始めるものの決意が秘められているようにも思います。かの子が歌ったように「生命をかけて」向き合おうと、奮い立たされたのではないでしょうか。
この歌もまた、人生の大きな転機で満開の桜と出会い、再生の灯火をあげる一首だと思うのです。


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絶対なくしてはならないもの

2022-03-12 13:55:44 | 日記

東日本大震災の時期になると必ず思い出すスピーチがあります。震災の2週間後に催された大阪大学卒業式での総長式辞です。私は書物のなかで接しただけなのですが、何度も読み返すようにしています。

当時総長だった鷲田清一は、阪神淡路大震災のときに、いち早く現地に医療チーム を派遣した、神戸大学附属病院医師(当時)中井久夫のことに触れながら、危機におけるリーダーのあり方について語っています。
危機において大切なものは、卓越したリーダーシップはもちろんのことながら、それを支えるフォロワーの在り方であると強調します。危機の最前線で指揮を振るうリーダーを、静かにバックアップするフォロワーの存在がどれほど最前線に力を与えるかと。
以下、式辞を引用します。

市民社会、その公共的な生活においては、リーダーは固定していません。市民それぞれが社会のそれぞれの持ち場で全力投球しているのですから、だれもいつもリーダー役を引き受けられるとはかぎりません。だとすれば、それぞれが日頃の本務を果たしつつ、公共的な課題については、それぞれが前面に出たり背後に退いたりしながら、しかしいつも全体に目配りしている、そういうメンバーからなる集団こそ、真に強い集団だということになるでしょう。

そして、集団を強くするフォロワーには欠かせない要素があると、次のように続けるのです。

良きフォロワー、リーダーを真にケアできる人物であるためには、フォロワー自身のまなざしが 確かな「価値の遠近法」を備えていなければなりません。「価値の遠近法」とは、どんな状況にあっても、次の四つ、つまり絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬものと、あってもいいけどなくてもいいものと、端的になくていいものと、絶対にあってはならないものとを見分けられる眼力のことです。

鷲田総長は、その眼力を「教養」と呼び、教養あるフォロワーを目指すことを、梅棹忠夫の表現を借りてこう言い表します。「請われれば一差し舞える人物になれ」と。

消費者、受益者であることに慣れきってしまうと、危機にあっては他責的な言動を繰り返すばかりで、自らがリーダーになって「一差し舞う」ことなど考えもしません。日ごろの消費活動において「あってもいいけどなくてもいいもの」と「端的になくてもいいもの」の間にある無数の小さな区別を、消費者は絶えず気にしています。商品の差異化こそが消費社会の原動力なので、この区別にのみ敏感になり、それ以外のもっと大切な区別に目が向かなくなっているのが「消費者」ではないでしょうか。
つまり「絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬもの」そして「絶対にあってはならないもの」についての区別、判断は、驚くべきほどにないがしろにされています。しかしリーダーにとって、これほど大切な判断はありません。

鷲田総長の式辞は、大震災直後のものですが、「絶対にあってはならないこと」が公然と行われている現在、それでは「絶対なくしてはならないもの」は何かが、明確に問われているように思います。

なお、鷲田清一の式辞は、大阪大学のサイトから読むことができます。ご一読をお勧めします。 大阪大学平成22年度卒業式総長式辞


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筥崎宮の敵國降伏

2022-03-05 16:19:46 | 日記

福岡市東区の筥崎宮の楼門に「敵國降伏」の扁額が掲げられています。
蒙古襲来に際し、亀山上皇が祈念した宸翰(しんかん 天皇の直筆の書)を、拡大して書き写したものです。
文政元年、頼山陽が筥崎宮を訪れた折、楼門に掲げられた扁額を見て、「これは『敵國降伏』ではなく『降伏敵國』でなければ文の意味が通じない」と言ったのだそうです。敵國を降伏させるという意味ならば、漢文の語法によると「降伏敵國」とすべきだと。
葉室麟のエッセイ集『河のほとりで』(文春文庫)に載っています。

明治に入って、福岡出身のジャーナリスト福本日南が、頼山陽の指摘に応えてこう述べています。

「敵國降伏」と「降伏敵國」とは自他の別あり。敵國の降伏するは徳に由る、王者の業なり。敵國を降伏するは力に由る、覇者の事なり。「敵國降伏」而る後ち、始めて神威の赫々(かっかく)、王道の蕩々(とうとう)を看る。

優れた徳の力による「王道」と、武力で敵を従える「覇道」の違いがあって、楼門の扁額は、まさに前者を表しているのだ、という反論です。
筥崎宮の楼門造営が豊臣秀吉の文禄の役の最中なので、楼門の扁額の文字を「徳治による王道」を指すと言うにはやや無理があるのではないか、と普通そう思います。
しかし、葉室が注目するのは、福本日南が敵國降伏の扁額について触れている『筑前志』を敢行したのが、日露戦争の前年であったという点です。日清戦争後の三国干渉で、国中にロシアや欧米列強への反発が渦巻いており、その勢いのまま戦争に突入しようとしていた時期の言葉だとすると、日南の切々たる思いが伝わるではないか、そう葉室は指摘します。

ここ数日のロシアのウクライナにおける乱暴狼藉は「覇道」の最たるものに違いありません。しかし、覇道に抗するに覇道をもってするのではなく、いかにして王道を築くか国際社会構築はいかにあるべきか、についての議論がほとんど行われないように見えるのも気になります。

もうひとつ、亀山上皇が「敵国降伏」を祈念したころのエピソードがあります。
元寇の危機にさらされた執権、北条時宗は無学祖元禅師に教えを乞いました。そのとき禅師は「莫妄想(まくもうぞう)」と言って諭したといいます。妄想するなかれという教えですが、誇大妄想にふけるなという意味よりも、今取り組んでいることに全力を傾けよ、といった意味に近いのだそうです。不安のなかにあってあれこれと思いを巡らせることは、かえって地に足のつかない行動を誘発してしまいます。

相手が「妄想」のなかで行動しているときには、なおのこと妄想から遠くあることが大事になってくるのだと思います。ちょうど覇道に対するに、覇道をもってすることを避けるべきであるように。


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