犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

巨大な力に抗する知恵

2022-02-26 19:37:31 | 日記

多大な経済的損失をもたらしたコロナ禍も、同時にじっとしている時間を私たちにもたらしました。この間、多くの本を読むことができましたが、そのなかで、最も長い本がリチャード・パワーズ著『オーバーストーリー』(新潮社 790頁)でした。
前に当ブログで触れたことがありますが、今この時期に思うこともあって、少し詳しくご紹介したいと思います。

樹木とそれを守ろうとする人たちの物語なので、その手のイデオロギーにまみれた本のような印象を持たれてしまうかもしれませんが、内容は全く違います。
森林の空間や地中には、おびただしい数の菌類や小動物がいて、それぞれが情報網となり、化学物質の伝達を行いながら、森林全体を「巨大な知性のネットワーク」として活動させています。科学者、過激派、技術者、元空軍兵士などの登場人物たちは、そのネットワークの一部になろうとするかのように、物語は展開していきます。
彼らは木を伐ろうとする人たちとの戦いにおいて圧倒的に無力なのですが、やがて樹木に導かれるように、したたかになることを学んでゆきます。

本書のなかには、王維の詩『酬張少府』が何度も引用されていて、それが全体の通奏低音のように響いています。

 晩年唯好靜 萬事不關心 (晩年唯だ静を好みて 万事心に関せず)
 自顧無長策 空知返舊林 (自ら顧るに長策無く 空しく旧林に返るを知りぬ)
 松風吹解帶 山月照彈琴 (松風吹けば帯を解きて 山月照らせば琴を弾ずる)
 君問窮通理 漁歌入浦深 (君が窮通の理を問わば 漁歌は浦の深きに入ると)

まるで世捨て人の詩のようですが、結句の「漁歌」は屈原の『楚辞』のなかの歌であって、その歌に当たってみると印象が全く変わります。私も調べてみて初めて気が付きました。『楚辞』漁父にはこう記されています。

滄浪の水清らかなら冠の紐を濯うべし 水濁らば足を濯うべし
(滄浪の水の流れがきれいなときは冠のひもを洗おう、
濁っているならば足を洗おう)

状況に応じて、したたかに生きていこうと屈原は歌います。どんなに巨大な相手が、理不尽な行為に及んでも、したたかに生きていこう、と。
小説で引用される詩の結句は、屈原の「漁歌」を受けて説得力を持ちます。したたかに生きることを、著者は「うまくいく可能性を探る」とも表現しています。小説の主人公のひとりで、樹木のコミュニケーションを説く科学者は、講演のなかで次のように語っています。

少しでもうまくいく可能性がある戦術はすべて、いずれかの植物が過去4億年の間に試しています。私たちは今ようやく〝うまくいく〟というのがどれほど多様な意味を持つのか気付き始めたばかりです。生命というのは、未来へ語り掛ける方法なのです。それは記憶と呼ばれます。あるいは遺伝子と呼ばれます。未来という問題を解くには、過去を保存しなければなりません。

本書がエコロジー的な観点からの啓蒙書という枠組みにとどまらないのは、巨大な敵に対して敵と同じロジックに拠って戦うのではなく、状況に応じてしたたかに生きることを描いているからだと思います。

本書を読み終えたのは、ちょうど香港で学生たちが逮捕され弾圧を受けている時期だったので、本を閉じてしばらく彼らのことを考えていました。彼らが「うまくいく」ことについてです。そして今、ウクライナで起きている理不尽な事態を目の当たりにして、本書を改めて思い出しました。
私たちは、あまりにも早急に、分かりやすくものごとを理解しようとしてきたのではないか。そして、過去を振り返ることを、あまりにも、おろそかにしてきたのではないか。同時にそうも考えました。


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いまに活きる河合隼雄

2022-02-20 13:57:23 | 日記

河合隼雄の著作を読み返して思うのは、亡くなって15年経って、今日的な意味合いを強く帯びてくるということです。
河合は同一視すべき対象がいかに大切で、得難いものかについて繰り返し述べていますが、その得難いものがますます遠のいているのが、この時代ではないかと思います。
私が接する若い人たちは、おおむね従順で、欲の少ない人が多いように感じますが、それはひょっとすると、同一視すべき大人がいないので、がむしゃらに今を生きる力を育めないのかもしれない、などと思うことがあります。むろん激しい自責の念とともにそう思うのですが。

それにしても、誰かを同一視するということは、任意の誰かを選ぶようなお手軽なものではなく、もっと命懸けの何かです。さなぎが脱皮して蝶になるために、蝶になろうとする生命のひたむきな力が、その体内に渦巻いています。生物学者の福岡伸一がよく指摘することですが、さなぎの殻の中は蝶の姿に変わるべく、ドロドロに溶解しているのだそうです。人間の他の存在への同一視の過程も、さなぎの成長の過程に似たところがあります。人間はそのうえ、成長と脱皮を生涯に何度も繰り返さなければなりません。
河合隼雄は、そのような命懸けの脱皮を、母親との同一視とその離脱、父親からの分離、そしてより高みに昇るための更なる同一視の過程としてとらえています。
少し長くなりますが、河合の文章を引用します。

読者の皆さんも、子供だったころを思い出していただくと、先輩や教師、タレントなど、あるいは親戚の誰かなどを同一視の対象として選び、一生懸命になったことを思い出されるのに違いない。この経験をもたないと、人生に対して傍観者的になり、何となくシラーッとしてくる。
同一視の最初は、自分の母親、父親、あるいはその役割をしてくれる人、ということになる。男も女も、まず母親(あるいは、母親役の人)を同一視の対象とする。それとまったく一体である限り大丈夫という経験をする。しかし、いつまでも母親と一体であるわけにはいかない。そこで、そこから分離しようと努めることによって「自分」がわかってくる。このことを父親に対しても行うことによって成長してくる。幼少のときに、半意識的にこのような経験をしていると、思春期,青年期になって、それを乗り越えていくときに同一視の対象をうまく選択することができる。ところが、不幸にも幼少期にそのような体験をしていない子どもは、なかなかそれが難しい。
思い切って身をまかせる経験をもっていないと、いざというときに不安が先立ってしまう。あるいは、まったく途方もない存在でないと身を任せられなくなる(中略)。このような同一視がどれほど危険であるかは、オウム真理教の事件を見てもわかるであろう。同一視をして、その後に、そこから離れる、という体験を幼少のときからしてこないと、そのあたりの感じがわからなくなるのである。(『こころとお話のゆくえ』河出文庫 45-46頁)

ここで重要なのは、母親や父親との一体化と分離、そのほかの人たちへの一体化と分離という脱皮、変態を続けて、人間が単線的な成長を遂げることを河合は語っているのではない、ということです。
母親との一体化は「大丈夫」という安心感をもたらし、それが父親との同一視とその離脱という危険を冒しても「大丈夫」というサインを出します。これが幼少期に同一視の対象を見出しては没入し、そこから離れるという冒険を可能にするプラットフォームのような役割を果たすのだと思います。同一視する経験が増えるほど、そのプラットフォームは強固になって、没入することと離脱することを容易にする、複数の視座の移転が可能になるのだと私は理解しています。(拙著『ほかならぬあのひと』で記した視座の移転は、このことを指しています。)

河合が懸念していたのは「のめり込んでも大丈夫」と受け止めてもらえる経験が、子どもたちに十分に与えられていないということでした。(『しあわせ眼鏡』海鳴社 参照)
しかし同一視すべき「誰か」がいないという事情が若者の生きる力を削いでいるのだとすると、それは河合が懸念していたものとは違う、深刻な事態のように思います。


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アスリートたちはなぜ

2022-02-15 23:06:47 | 日記

オリンピックの時期になるとつくづく思うことは、アスリート達はなぜあれほどの重圧を、敢えて背負うのだろうということです。競技の一瞬にたった一人で夥しい数の注目を集め、自分の体も心もそれに応えるように強いられます。期待に応えられなかったときの悔しさや失望感も、一人で引き受けなければなりません。
その道の第一人者として認められる栄光はあるとしても、あまりにも過酷な重荷ではないかと思います。普通の人の人生では、おそらく一度も背負うこともない重圧でしょう。
だからと言って、それが不当な圧力だなどというつもりはありません。応援することしかできない人間として、彼らが重荷を背負ってでも何事かを成し遂げようとすることで、自分が何を受け取ることができるか、ということに思いを致したいのです。
これほど多くの人が、まるで自分のことのように、たった一瞬のパフォーマンスを見守る機会はないと思います。ちょうど、自分自身が檜舞台に立っているようにのめり込んでしまいます。

たとえば、こんな話があります。

河合隼雄のエッセイに、子ども劇場の主催者の話として、子ども達がクライマックスに達するのを妨げるように、ヤジを飛ばしたり騒いだりするのを嘆いているものがありました。我を忘れてものごとに没入することは実は恐ろしいことで、「自分を投げ出しても大丈夫」と受け止めてもらえる経験がないと、難しいことなのだと河合は述べます。とりわけ最近の子どもたちは、それでも大丈夫と受け止めてもらう機会が少ないために、ますます難しくなっているのではないかと。

オリンピックは、この得難い「我を忘れて」アスリートに見入る機会だと思います。そして、我を忘れて競技に没入する経験は、アスリートと自分を「同一視」する経験でもあります。競技への期待に始まり、成功や失敗の瞬間を目撃し、結果を受け止めるまでの、どうしようもなく重たい時間を共有しているために、我を忘れて同一視することになるのだと思います。

河合隼雄は別の本のなかで次のように述べています。

読者の皆さんも、子供だったころを思い出していただくと、先輩や教師、タレントなど、あるいは親戚の誰かなどを同一視の対象として選び、一生懸命になったことを思い出されるのに違いない。この経験をもたないと、人生に対して傍観者的になり、何となくシラーッとしてくる。(『こころとお話のゆくえ』河出文庫 45頁)

誰かに同一視し没入することの大切さと、それを体験できないことのさびしさを河合はここで強調するのです。

スキージャンプ混合団体の高梨沙羅選手の、2回目のジャンプに感動した人は沢山いたことと思います。誰の心のなかにも嵐が吹きすさんでいるのだと私は思っていますが、あれほど大きな暴風雨に心がさらされることは、本当にまれなことだと思います。それをものともせず心身を整えて結果を出すことは、誰にも想像ができなかったに違いありません。
少なくとも私にとっては、まったく新しいロールモデルであり、今後どれほど力づけられるか、計り知れないパフォーマンスでした。

困難に直面しても投げ出さず、持てる力をすべて出し切る。言うは易く行うは難しい道も「あの姿」をなぞることで実現される。普通の人生では背負うことのない重荷を選手たちが背負うことで、私たちは同一視すべきものを手に入れることができるのだと思います。


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こころが収まること

2022-02-11 10:00:33 | 日記

河合隼雄の昔の本を集中的に読み返すなかで、新たな発見がいくつかありました。
そのひとつが、この話を英語にするとどうなるのだろう、と自問している箇所が目立つことです。海外で講演や研究発表を頻繁に行なっていたので、とっさにそう考えるのでしょうが、どうしてもきちんと英語に訳すことができない話が日本にはたくさんあるのだそうです。

たとえば、外国人に日本の隠れキリシタンの末裔の話をしたときのこと。
その人は「我々は、隠れキリシタンなんてやっていませんよ。神も仏もありません」と言い切ります。ところが室内には立派な神棚があり、灯明も杯も飾ってあります。「失礼ですけど、あれなんですか?」と尋ねると、こともなげに「あれあったら落ち着きまっしゃろ」と、その人は答えたのだそうです。
この話を英語にするとき、「落ち着く」ことの「主語」を何にするのか悩んだと言います。「我々」なのか、家族なのか、宇宙なのか、そのあたりのことを全部込みにして、あえて不問のままに「落ち着きまっしゃろ」と言ってしまうところが日本語にはある、と河合は述べています。(『なるほどの対話』新潮文庫参照)

そして、こんな話もありました。
子どもの頃に読んだ「水戸黄門」の講談に幽霊が出てきて、人々を困らせる話です。その幽霊は「今宵の月は中天にあり、ハテナハテナ」と問い、納得いく答えができなければ、命を奪ってしまいます。「月が中天に浮かんでいるのはなぜか」という問いに答えよと言うのです。
この幽霊に出会った水戸黄門は、少しもあわてず次のように答えました。

「宿るべき水も氷に閉ざされて」

これを聞いた幽霊は大喜びし、三拝九拝して消えてしまったという話です。黄門の言葉を上の句とし、幽霊の言葉を下の句とすると三十一文字の短歌として収まっており、幽霊も心が収まって消えていったのです。

しかし、と河合は考えます。
短歌として収まっているとか、心が収まるとかの「収まる」を英語で説明するとどうなるのだろうか、と。(『こころとお話のゆくえ』河出文庫参照)

エッセイの多くは、問いにとどまっていて、河合自身が解説を加えることはないのですが、次のようなことを考えました。
どちらの話も問いに対する答えという構えをとっています。
最初の話だと「神も仏も無いあなたにとって、あれは何ですか」を含意する問いかけです。2番目の話は「今宵の月は、なぜ浮かんでいるのか」という問いから始まります。
ところが、回答からは「神も仏も無い私」や「今宵の月」が、主語の座から抜け落ちてしまいます。そして「その場の雰囲気」のようなものが、「落ち着いて」いたり「収まって」いたりすることに重きが置かれるのです。
つまり、どちらの回答も、問われている主語の性質を追究するのではなく、主語のいる「場」を俯瞰して、その見え方が納得いくものかどうかの判断にずらしています。

言い方を変えると、主語を問い詰めるような息苦しさから、その瞬間は楽になれる。日本語にはそのようなおおらかさがあります。
質問をはぐらかして、その場を収めてばかりいるのは問題だけれども、ある美的判断に基づいて「収まっている」と感じるのは大切なことではないか、と河合は述べています。
心理療法家にとって、分析による解決法だけではなく、心を収める道も大切に思えるのだと。


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ふたつよいことさてないものよ

2022-02-03 19:51:05 | 日記

「ふたつよいことさてないものよ」

河合隼雄が吉本ばななとの対談(『なるほどの対話』新潮文庫)で、「自分の人生を支えてきた言葉」として挙げていました。
河合の本はたいがい読んでいるつもりだったので、この言葉が印象に残っていないのが不思議な気がして、昔の本を引っ張り出してきました。そうすると、何度も読み返しているはずの『こころの処方箋』(新潮文庫)の最初の方にちゃんと載っています。

「ふたつよいことさてないものよ」というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ。 抜擢されたときは同僚の妬みを買うだろう。宝くじに当るとたかりにくるのが居るはずだ。世の中なかなかうまくできていて、よいことずくめにならないように仕組まれている。このことを知らないために、愚痴を言ったり、文句を言ったりばかりして生きている人も居る。

良いことと悪いことは、ほぼ同じ頻度で起こる、禍福は糾える縄の如しというではないか。河合隼雄は確かにそういうことを言っています。この言葉の印象が薄かったのは、そう理解して読んでいたからだと思います。けれども、ここで言い表したかったことは、そんなありきたりな認識ではなく、もっと別のところにあるのだと思います。
「良いことがふたつ重なる頻度はかなり低い」ー冒頭の言葉を言い換えるとこうなります。そして「頻度の低いこと」に出会ったときにこそ、人生への心構えが試されるのだ、そう河合は語りたかったのだと思います。
先ほどの文章は、次のように続きます。

この法則の素晴らしいのは、「さてないものよ」と言って、「ふたつよいことは絶対にない」などとは言っていないところである。そんなに固い絶対的真理を述べているのではないのだ。ふたつよいことも、けっこうあるときはあるものだ。ふたつよいことは、よほどの努力かよほどの好運か、あるいは両者が重なったときに訪れてくるが、一般には努力も必要とはいうものの好運によることが多いように思われる。好運によって、ふたつよいことがあったときも、うぬぼれで自分の努力によって生じたと思う人は、次に同じくらいの努力で、ふたつよいことをせしめようとするが、そうはゆかず、今度はふたつわるいことを背負いこんで、こんなはずではなかったのに、と嘆いたりすることにもなる。

頻度の低いことが起こるのは、例外的な何かに起因するのであって、それは自分の力の及ばない「幸運」や「不運」なのだと割り切るのです。そうすれば、過度な期待を抱いたり、いらぬ落ち込みに留まることもなくなるはずです。河合が「人生を支えてきた言葉」というのは、そのあたりの妙を指しているのだと思います。

冒頭の言葉はもともと都々逸の一節で、「二つ良いことさて無いものよ 月が漏るなら雨も漏る」と続きます。月の光が差し込むあばら家からは、雨も漏れ出ることだろう、と鼻歌のように呟くのです。きっと雨漏りの夜にそう口ずさむのでしょう。
人生を支える言葉とは、案外そういう脱力した気配を漂わせているように思います。


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