犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

銀杏の木

2019-11-27 19:08:03 | 日記

出張先の帰り道に、みごとな銀杏林があると聞いて、早速立ち寄ってみました。平日の昼下がりで、小さなお子さんを連れたお母さんたちで賑わっています。

傾きかけた陽射しを浴びた銀杏の林は、まさに黄金色に輝いていて、ときおり吹く風に葉が舞い散ると子供たちが歓声を上げます。金色の絨毯の上を子どもたちが駆け回る様子をながめていると、異世界に誘われるような心持がしてきます。

金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(与謝野晶子『恋衣』)

晶子も同じように小さな子どもたちを連れて、銀杏の木の下で舞い散る葉を眺めていたのでしょうか。

銀杏の木は近・現代の歌や詩に多く現れますが、古代にはまったく登場しません。漢籍にも姿を現すのは希です。
銀杏の木は、約2億年前の中生代ジュラ紀に栄えましたが、170万年前の氷河期に恐竜とともに姿を消しました。100万年ほど前には化石の記録も途絶えているのだそうです。このため銀杏は、メタセコイアとともに「生きた化石」と呼ばれています。今残っている銀杏は、絶滅を免れた、たった1種類が10世紀ごろに中国南部で再発見されて、人間の手で移植させられたものなのだそうです。諸説ありますが、わが国に伝来したのは13世紀鎌倉時代あたりではないかと言われています。

なお「いちょう」の名は、葉の形が鴨の足に似ていることから「鴨脚(イーチャオ)」と名付けられた中国名が訛って伝えられたものだそうです。杏によく似た銀色の実をつけることから「銀杏」と表記されたり、孫の代にならないと実の収穫ができないことから「公孫樹」と表記されるようになりました。面白いのは、銀杏の英語名の“ginkgo”(ギンコーと読みます)は、「銀杏」の音読みの“ginkyo”を書き誤ったものらしいということです。
中国から渡り日本を経由して18世紀に世界に広がった銀杏も、その名前は「伝言ゲーム」のように変化しています。

うつしみの吾が目のまへに黄いろなる公孫樹の落葉かぎり知られず(斎藤茂吉)

「うつしみの吾」の目の前には、限りない異世界が広がっています。それは数億年前に栄えて絶滅したはずの生物の、時間を超えた再生の姿にほかなりません。

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開門落葉多

2019-11-04 13:54:25 | 日記

11月に入ると、茶人のお正月と言われる「炉開き」で、稽古が始まります。

畳の上に置いていた「風炉」をしまって、畳に切られた「炉」に炭をくべ、そこでお点前をするようになるのです。正装した社中がそろって「炉開きおめでとうございます」と師匠に挨拶し、師匠はぜんざいを振る舞って華やかな雰囲気に包まれます。

床には「開門落葉多(門を開けば落葉多し)」の掛け軸が掛けられています。

唐代の詩僧・無可上人の詩の一節で、次のような対句の後半です。

聴雨寒更盡  雨を聴いて寒更尽き
開門落葉多  門を開けば落葉多し

軒端をたたく音が草庵で夜更を過ごす侘しさを増し、夜具を通しても冷えびえとした空気が身に染みます。雨はつい先日までの暑さの名残を洗い流して、これから長く続く深い静寂の世界に連れて行くようです。
ところが、夜が明けて庭の潜り戸を開けてみると、一面に落葉が敷き詰められている様子が目に飛び込んできます。雨音とばかり思い込んでいた夜更の音は、実は秋風に吹かれて舞い落ちる落ち葉の音だったのです。
目の前の一面の落葉は、まぎれもなく現実の姿なのですが、昨夜寒さのなかで侘しく聞いた雨音のほうが現実で、色鮮やかな落葉の景色はまるで幻のように眼前に広がっています。気紛れで大きな災をもたらす自然は、いっぽうでどこまでも慈悲深く、驚きとともに私たちに贈り物を届けてくれるのです。

紀貫之はこの詩をもとにして、次の歌を詠みました。

秋の夜に雨ときこえて降るものは風にしたがふ紅葉なりけり(拾遺集)

不遇の晩年を送った紀貫之には、秋雨はいっそう侘しさを誘ったことでしょう。みずからを励ますように「風にしたがふ紅葉」の華やかさを対比したのではないでしょうか。

草木が逞しく生茂る季節が終わりましたが、それは新しい季節の始まりでもあります。新しい季節に向かう私たちに、自然は相応しい装いで迎えてくれます。

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