犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

死の人称

2018-03-31 12:04:23 | 日記

満開の桜を楽しむ時間もそこそこに、早くも桜吹雪の舞い散る時期になりました。
散る桜は世の無常を象徴するものとして捉えられますが、その無常そのものを消し去る願いが託されることもあります。

さくら花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに 『古今和歌集』

華麗な人生を歩んだ在原業平の、みずからの老いに対する態度です。老いがやってくる道が分からなくなるほどに、桜の花よ散らしておくれと詠みます。
その業平も病に倒れ、死の直前には次のように、静かに受け入れようとします。

つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを 『古今和歌集』

昨日今日と差し迫ったものとは思ってもみなかったけれども、ついにその時が来たのだと諦観とともに受容する様子です。
「わたし」の死は、それを拒絶するにせよ受容するにせよ、その人の心持ちの表出にとどまります。その表出にシンクロしうるかどうかは、そのとき置かれたそのひとの状況によるのでしょう。

人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる  永田和宏『後の日々』

わたしの死はわたしが死ぬことによって、ついには経験されないものだから、つまるところそれは「人の死」としてとらえることしかできないものなのだ。わたしが葬式の席で人の死を迎えるように、わたしの死も親しい人に対してすら「人の死」として出現するのだ。
それは悟りすました認識というよりも、死というものに対して人が等しく据え置かれることへの覚悟の表出かもしれません。

死顔に觸るるばかりに頰よすれば触っては駄目といひて子は泣く  森岡貞香『白蛾』

妻が夫の死顔に頬を寄せる。そうすると不意に幼い子が「触っては駄目」と泣いたというのです。子どもなりに父の死を厳粛に受け入れようという気持ちと死を拒否する思いとがないまぜになっていたのでしょう。大事な母までが死の側に近づくのが耐えられなかったのかもしれない。死者によって妻として子として生かされていた者がその生き場所を失って、身悶えするように生き場所を探り合う、そういう光景です。

「死の人称」について語ったのはジャンケレヴィッチでした。「わたしの死」は一人称の死。それは他者にとってどうすることもできない、みずからの中で整理をつけるしかないものです。上記の歌でいえば、在原業平のそれが当たります。
第三者の死は三人称の死です。先に見た永田和宏の歌がこれに当たるかもしれません。この死がもたらす認識はひとに新たな覚悟をもたらす力を持ちます。
しかし、わたしたちにとって最も切実に、人生の態度を変えうる力を持つのが、その人によってみずからの立ち位置を与えられていたひと、話しかけるべき相手の死、二人称の死です。

最近読んだ養老孟司さんの本『半分生きて、半分死んでいる』(PHP新書)に、次のようなことが書いてありました。
ナチの収容所をいくつか生き延びたヴィクトール・フランクルは『夜と霧』を書きましたが、この本の中にはユダヤ人という言葉はひとつも出てきません。ナチもないと思う。国連事務総長だったワルトハイムは、若いころヒットラー・ユーゲントだったと非難されたけれど、そのときフランクルはワルトハイムを擁護して、多くのユダヤ人に非難されました。フランクルにとって『夜と霧』に描かれた死は「二人称の死」であったし、ワルトハイムに対しても二人称で接したのだ、と。

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三千歳の桃

2018-03-03 22:14:14 | 日記

 

今日のお茶席の掛軸には、可愛らしい蛤のお雛様の画に、讃として大徳寺大綱和尚の「雛の宵」という遺詠が添えられていました。和尚は表千家吸江斎や裏千家玄々斎とも親しく、和歌や茶道の嗜みも豊かであったと伝えられます。

三千歳の桃の盃とりどりに いずこも今日は仙人の宿

歌の大意は次のようなものです。
雛祭りの宵、家々で雛の宴が始まっている。三千年の長寿を与えると伝えられる桃を模った盃が酌み交わされ、いずれの家でも仙人になったような心持ちだろう。

「三千歳の桃(みちとせのもも)」とは漢の武帝が西王母という仙女からもらったという、三千年に一度花が咲き実を結ぶ不老長寿の桃を指します。めずらしく、そしてめでたいもののたとえとして使われます。

拾遺和歌集には次のような歌もあります。

みちとせに なるてふももの ことしより 花咲く春に あひにけるかな

三千年に一度花が咲いて実を結ぶという不老長寿の桃が、まさに花咲こうとする春にめぐりあったのだ、と詠っています。長く厳しい冬をようやく乗り越えた喜びをあらわすのみならず、どこか異世界へいざなう道具立てとして「桃」が使われています。
冒頭の大綱和尚の歌も、雛の宴の浮き立つような気分と同時に、あたり一面に魔法をかけられたような不思議な雰囲気を醸しだしています。

イザナギが鬼となって追いかけてくるイザナミに桃の実を三個投げつけて追い返す話や、桃太郎が鬼退治をする話など、古来より桃には「邪気」を追い払う絶大な力があると伝えられています。
玄侑宗久さんは、この邪気を払う力は、桃の「無邪気」にこそあるのだと語ります。
たとえば道元禅師は、悟りの世界を次のように詠みました。

春風にほころびにけり桃の花 枝葉に残る疑いもなし

玄侑さんによると、ここには疑うことを知らない桃の無邪気さが表れています。
春風にさらされたならば、吹き飛ばされてしまう、などと考えることもなく桃の花は無邪気にそこに咲いて、ひたすらに匂い立っています。邪気に対して邪気で対抗するのではなく、無邪気こそが強い春風に対しても揺るがない姿勢なのです。

いままで張りつめていた緊張をにわかに和ませ、魔法のように雰囲気を変える力が、桃にはあって、その不思議な力を寿ぐのが「桃の節句」である。そう考えると、冒頭の大綱禅師の遺詠は、茶席に限らず、人の世はかくあれという祈りの言葉にも聞こえてきます。

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