犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

ご先祖様のこと

2017-03-17 22:26:30 | 日記

心理学者の河合隼雄さんがよく用いた言葉に「アイデンティティ」があります。河合さんはこの言葉を便利なツールとして使うのではなく、この言葉をとば口として思考を触発するため、あるいは、この言葉ではどうしてもとらえきれない余白のようなものに感覚を研ぎ澄ますために、敢えてこのあいまいな言葉を使っていたように思います。

個人としての私を生かすということと、社会のなかで承認されるということの二つがうまく折り合いがついてアイデンティティが確立するのだとすると、「老人のアイデンティティ」はどうなるのか。河合さんが問題にしたことのひとつです。
歳をとって仕事をリタイアし、それほど社会と関係しなくなり、友人も死んでいって、子や孫たちとも疎遠に過ごしているお年寄りにとって、アイデンティティを語るきっかけさえなくなってしまいます。
アイデンティティを職業や、家族や、地域社会との支えあいのなかで考えることは大事なことだけれども、それらは全てなくなってしまう可能性があるものです。これはお年寄りだけに言えることではないでしょう。
東日本大震災ではまさにそのようなことが現実に起こりました。震災後6年たって地域社会が復活する見込みすらない集落の様子も報道でとりあげられています。
要するに、アイデンティティといって納得しているようでも、それは宙に浮いているのと同じなのです。

私を「私」たらしめているのは何なのか、何が私を支えていると考えれば、腑に落ちるように納得できるのか。河合さんは安易に答えを出してはくれませんが、考えるためのヒントを与えてくれます。
講演やインタヴューをまとめた『私が語り伝えたかったこと』(河出文庫)で、河合さんは柳田国男の著作のなかの面白い話を紹介しています。
柳田国男の『先祖の話』のなかに、「自分はそのうちにご先祖様になるんだ」と語っている老人が登場します。そのひとはすでにご先祖様とつながっていて、自分もそのうちご先祖様になると言いながら生きているその様子を、柳田国男は感動して見ているのです。
その老人にとって、職業などはアイデンティを支えておらず、いずれご先祖様の一員になるという一念がアイデンティティになっています。
河合さんは、柳田国男が研究の対象とした古い話や古い民具が、実のところわれわれのアイデンティティを支えていて、その収斂していったものが「ご先祖様」なのではないかと考えます。そうすると日本人はご先祖様とどうやってつながってきたのだろうかという問いにつながっていきます。

河合さんの語るところを離れて、柳田国男の著作に注目してみます。
『先祖の話』が書かれたのは、昭和20年の4月から5月にかけてで、ちょうど東京大空襲の時期と重なります。死者を祀る人々もまた、累々と続く死者の列に加わることを、柳田自身が痛烈に感じていた時期であり、その経験が『先祖の話』を書かせたとも言えます。
抽象的な「ご先祖様像」を思いえがいて、ご先祖様とのつながりを頭の中で組み立てたのではなく、生きているこちらの方が死者の列にリアルにつながる経験のすえに、「ご先祖様」という言葉に結晶していったと考えるべきではないでしょうか。

現在のわれわれにとって、死者につながる身近な経験として、東日本大震災があります。
岩手県大槌町の「風の電話」には、震災で死に別れたひとと話をするために、今でも多くの人々が訪れているのだそうです。亡くなったひととのつながりで、ようやく支えられるアイデンティティというとき、思い浮かべるすがたのうちのひとつです。
周期的な大規模災害にさらされるということは、そのつど死者の列がわれわれの前に具体的に立ち現れるということでもあります。死者とリアルにつながる経験があって、はじめてそれによって支えられている感覚も息づくのだと思います。
河合隼雄さんが今日生きていて、東日本大震災後のアイデンティティをどう語っただろうか、『私が語り伝えたかったこと』を読んで、そう考えました。

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足らざるに足るを感じる

2017-03-05 13:18:21 | 日記

石庭で有名な京都「龍安寺」の茶室「蔵六庵」の露地に「知足のつくばい」と呼ばれているつくばいが置かれています。
徳川光圀から寄進されたとも伝えられるこのつくばいには、中央に四角く水を溜める穴があり、それを「口」に見立て、周囲に4文字、口の上に「五」右に「隹」下に「疋」左に「矢」と刻まれています。これを上から時計回りに読んでみると「吾唯足知」(われ唯だ足るを知る)となります。

「足るを知る」という言葉は、消費活動とは縁遠い「さとり世代」を揶揄するときに、用いられることが多くなってしまったように思います。
「足るを知る者は富む」と語った老子は、満足することを知っている者は、心ゆたかに生きることができると説きました。「このあたりでよいか」と諦めるのではなく、まさに「これがよいのだ」と考えることができれば、現状に満足するだけではなく、人生を前向きに生きる心構えにもなると思います。

蔵六庵の露地ではまた、秀吉が賞賛し、千利休が愛でたと言われる侘助椿を見ることができます。
樹齢400年を超えており日本最古とも言われるこの椿は、赤と白のまだら模様が特徴的な一重の花を咲かせます。八重先の椿に比べると地味な印象ですが、むしろこの地味さが茶人の趣向をくすぐるのです。

石庭がある方丈庭園の反対、方丈北側にある露地は比較的観光客も少なく、ここに佇んでいると、不思議な気持ちの高揚を覚えます。露地とは、そこを通ることによって、客人が世俗の塵埃を落とし、心を整えて茶の湯の世界へと導かれる場所だからでしょうか。
先ほどつくばいで見た「足るを知る」こころを突き抜けるような、どこまでも気持ちが開けて行く伸びやかさが、露地には満ちているように感じます。

露地を散策するうちに、鷲田清一さんが柳宗悦の『茶道論集』について述べているのを思い出しました。
柳宗悦は茶の本質を「わび、さび」ではなく「渋さ」という民衆の言葉で語っています。そして、その真髄は「貧の心」にあるというのです。そしてその「貧」を茶器の「簡素な形、静な膚、くすめる色、飾りなき姿」に見ます。
以下、鷲田さんの説明を引用します。

この欠如、この不完全、この疵、この「貧」、つまりは意味の凹みのなかに、柳は充足以上の価値を見ようとする。そして、「足らざるに足るを感じるのが茶境なのである」という。「足るを知る」というより、「足らざるに足るを感じる」。この語り方はなかなか爽やかである。そこには、足りているときには見えないさまざまの余韻や暗示がたっぷりと含まれている。柳にいわせれば、「無限なるもの」の暗示である。
「足るを知る」というふうに じぶんをまとめる、囲うのではなく、「無限なるもの」に向かってじぶんを開くために「足らざる」場所にじぶんを置く。
「発展」という言葉はそういうことをあらわすためにこそ使いたいものだ。より多くの満足をめがける「貪り」の地平においてではなく。
(『大事なものは見えにくい』鷲田清一著)

利休の茶は、取り澄ました思弁的なものではなく、いまあること・ものから無限にイメージをふくらませて行く、そういう能動的な美の世界でした。
無限なるものに向かってじぶんを開くため「足らざる」場所にじぶんを置く ー 書で読み、頭で考えていてもなかなか辿り着けないことに、「露地」という場所が気付かせてくれます。

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