犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

思うにまかせぬこと

2017-01-14 00:12:20 | 日記

人生は「苦」だという仏教の考え方は、ヨーロッパ人には受け入れがたく、最初に仏教がヨーロッパに入ってきた時には厭世的な恐怖主義だということで、大変に嫌われたそうです。
「苦」という言葉にはインパクトがありますが、その語の迫力のために本来意味するところを正確に伝えきれない面もあると思います。

もともと仏教の四苦の概念を「苦」という語に訳したのは中国人であって、サンスクリットの言葉では「思うにまかせぬこと」といった意味を含んでいるのだといいます。「生」も「老」も「病」も「死」もすべてが「思うにまかせない」のだという認識は、われわれの日常生活での実感でもあり、スッと腑に落ちるように理解できるような気がします。
思うままにならないのが人生だ、この世に生まれてくる条件からして不自由かつ不平等なのだ。これがブッダの認識の出発点であり、思うままにならない人生を黙って耐えて生きてゆく、その「生き続ける」ことに人生の最大の意味を感じるのが仏教の根本的な考え方だと思います。

五木寛之さんの『大河の一滴』などのエッセイにはこのあたりのことが丁寧に書かれています。
「ただ生き続ける」ことがどんなに偉大なことなのか、『大河の一滴』に印象的な記述があります。アメリカのアイオワ州立大学の生物学者ディットマー博士が行った、小さな木箱にライ麦の苗を植えて4か月の成長を見るというものです。以下、引用させて頂きます。

その貧弱なライ麦の苗を数カ月生かし、それをささえるために、いったいどれほどの長さの根が30センチ四方、深さ56センチの木箱の砂のなかに張りめぐらされていたか、ということを物理的に計測するのです。目に見える根の部分は全部ものさしで測って、足していきます。根の先には根毛とかいう目に見えないじつに細かなものがたくさん生えているのですが、そういうものは顕微鏡で細かく調べ、その長さもみんな調査して、それを足していく。(中略)
なんと、その根の長さの総計、総延長数は1万1千2百キロメートルに達したというのです。1万1千2百キロメートル、これはシベリア鉄道の1.5倍ぐらいになります。 一本の麦が数カ月、自分の命をかろうじてささえる。そのためびっしりと木箱の砂のなかに1万1千2百キロメートルの根を細かく張りめぐらし、そこから日々、水とかカリ分とか窒素とかリン酸その他の養分を休みなく努力して吸いあげながら、それによってようやく一本の貧弱なライ麦の苗がそこに命をながらえる。
命をささえるというのは、じつにそのような大変な営みなのです。そうだとすれば、そこに育った、たいした実もついていない、色つやもそんなによくないであろう貧弱なライ麦の苗に対して、おまえ、実が少ないじゃないかとか、背丈が低いじゃないかとか、色つやもよくないじゃないかとか、非難したり悪口を言ったりする気にはなれません。(『大河の一滴』幻冬舎文庫)

人間の値打ちというのは、とにかく生き続けて今日まで生きているということであって、その人間が何事かを成し遂げてきたかという「人生の収支決算」は二番目くらいに考えてよいのではないか、そう五木さんは語ります。
人生は「思うにまかせない」不自由なものかもしれない。しかし、その不自由にこだわる小さな心をはるかに凌駕する、大きなはたらきに「生」は支えられているのだということを、つくづくと感じさせる話です。

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心ひとつのおきどころ

2017-01-01 14:08:35 | 日記

人生は心ひとつのおきどころ

中村天風が講話のあいだによく挿入した名言です。さあ新年だとおもえば、腹の底から泉が湧き出るように、気力も満ちてくるように思えます。
物事の良き側面をひたすら見つめる、それを真似てみようと思う。そういう姿勢であれば、この世の中に学ぶべき師は限りなく存在し、みずからを向上させる機会は絶えることなく現れることでしょう。

中村天風の『真理のひびき―天風哲人新箴言注釈』(中村天風述 講談社)から、長くなりますが引用させていただきます。

明治維新の直後、王政復古となったとき、ある宵、山岡鉄舟が仲よしの高橋泥舟と銀座を散歩していた。今日と違って当時の銀座は、夜店といってさまざまな品物を売る露店が今の京橋から新橋までの両側に、今の名古屋の目抜き通りよりもにぎやかにずらりとばかりに宵の口から夜更けまでも店を張っていたものである。
そのとき泥舟が一軒の古道具屋に掛けてあった軸物を指して、
「おい山岡、貴様の筆だという掛軸が売りものに出ているぞ」
というので、「そうか」といって鉄舟がよく見ると全然自分の書いた覚えのない字だ。「おい、そのかけものは誰が書いたものかね」と古道具屋の主人に訊ねると、ニヤニヤしながら、「ここに添え書してあるとおり山岡大先生の書かれたものです」とさもさも得意げにいう。
「本ものかね?」というと「真筆に間違いありません」と答える。そこで鉄舟が「お前は山岡という人を知っているのか」というと、「ええ、よく存じ上げていますとも」と当の本人とも知らずに平然としていう。実はオレが山岡だといおうと思ったが、あまりにもそのかけものの字がみごとなので、「ずいぶんうまく書けているね」というと、店の主人がこういった。
「これは山岡大先生の傑作なのです。実は故あって私の手に入りましたものですが、いかがです。お求めになっては」。試みに「いくらだね?」と訊ねると、「ほんとは十両と申し上げたいのですが、今夜の初めてのお客さんですから思い切って五両にしておきます」という。
山岡は笑いながら、よし求めてつかわそうと即座にそれを買い取ったので、傍らにいた泥舟が、「よせよ、全然覚えのないにせものなんか買うなよ」というと、「にせものということは一目で分かる。が、とても美事な筆蹟だ。それに書いてある文章がとてもよい言葉だから、オレはこれを手本にしてみるつもりだ」といって常に床の間にかけて生涯大事にしていたというエピソードがある。

また、これに似た話が頭山恩師にもある。
頭山満翁の居室に西郷隆盛の書という額が掲げてあったのを、あるとき野田大塊が見て、「こりゃにせものたい」というと、ニコニコしながら「にせものでも文句が善かけん、おいどんはほんものだと思うて朝夕有りがたく心の鏡として見とるよ」とこともなげにいわれた。

それを傍らで耳にした私はなるほど模倣に対する結局は、その心の思い方、その人の考え方で、よくもわるくもなるんだと、つくづくその言葉から量り知れない尊いものを直感したものである。(前掲書 181頁)

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