犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

「ないがまま」からの出発

2016-02-11 11:27:23 | 日記

松尾芭蕉は、松島の絶景を目の当たりにして「松島や、ああ松島や…」と詠んだと言われることがありますが、これは誤りで、狂歌師の田原坊が後に詠んだ句が、ねじ曲げられて伝わっているのだそうです。
芭蕉の弟子の服部土芳が『三冊子』に、芭蕉の様子を「絶景にむかふ時は、うばはれて叶わず」と記しているのみです。絶景を前にして、言葉が出なかった、と。
おそらく芭蕉は、込み上げる感動を前に、自らの限られた経験に基づいて「弁別」を行うことに耐えられなかったのだと思います。

中国の詩人、蘇軾は、自然に向き合ってそれに圧倒されつつも、「柳緑花紅(りゅうりょくかこう)」と詠みました。
「柳がみずみずしい緑の葉におおわれ、花は紅く咲いている」という、ただそれだけの事象を、そのままに受け入れるという決意表明と取ればよいのでしょうか。禅語としてよく用いられる言葉でもあります。
まずは「あるがまま」を受け入れよう、言葉によって弁別できない感動については、胸の内に湧き上がるに任せるのみである、蘇軾の詩はそう解することができます。政治に翻弄されて、役人としては不遇な生涯を送った蘇軾の境遇を鑑みると、その奥深さをしみじみと感じるところです。
しかし、これは「感動」に対する姿勢の表明ではあっても、その感動そのものについて、新たな情報を付け加えるものではありません。芭蕉が言葉にしようとして出来なかったことを、表現しているわけではないのです。

柳は緑、花は紅というそれだけの事実に、「ああっ」という気付きがあるのならば、それは「あるがまま」を受け入れる、ひとつの望ましい覚悟なのでしょうが、気付きに満足してその先に繋がらないおそれがあるように感じます。

ここで、要領を得ないことを書き付けるのも、玄侑宗久さんが「あるがまま」について面白い指摘をしているのを思い出したからです (『ないがままで生きる』SB新書)。

玄侑さんは、人生論には大きく分けて2種類あるのだと述べます。
「あるがまま派」と「ノウハウ派」です。
「あるがまま派」は怠惰に陥る可能性があるけれども、自己肯定感が強いから明るく、活発になりやすい。「ノウハウ派」は「まじめで立派だが、光がない」といった印象をもたれやすい。
前者の「あるがまま派」は蘇軾の「柳緑花紅」の姿勢と言えるでしょう。
しかし、これでは対象の認識の仕方を含めて、どの自己が肯定されるべき自己なのか、迷いが深まって自縄自縛に陥ってしまいます。そこで、勢い「ノウハウ派」に軸足を置こうとして、振り子のようにゆらゆらと腰の落ち着かないことになってしまう。こう玄侑さんは述べます。
それならば、いっそのこと「ないがまま」で開き直って、「裸一貫、その場で新たに自己を立ち上げるしかない。常にあらかじめの自己イメージを捨てたところから、まさしくその時その場の自己を立ち上げよう」。そういう境地にたどり着くことで、結局のところ怠惰にも陥らず、ノウハウにも逃げない、程よい立ち位置に収まるのではなかろうか、というのが玄侑さんの提案です。

さて、松尾芭蕉という人は、絶景を前にして、仮に「あるがまま」を受け入れようとしても、肯定すべき「あるがまま」が何なのか自縄自縛に陥ってしまうタイプではなかったかと思います。だからこそ「うばわれて叶わず」状態に陥ってしまった、こう考えるべきでしょう。

芭蕉の晩年の句に、次のようなものがあります。

よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな

「よく見る」ことによってようやく気づく密やかな美の境地です。そして芭蕉をして「よく見る」ことをさせたのは、なずなの花の醸し出す枯淡な風情、言い方を換えれば、盛りを過ぎた芭蕉自身の「喪失体験」を重ね合わせることができる対象だったからだと、玄侑さんは指摘します。
「ないがまま」から、なずなの美、なずなと自らの関係を立ち上げる姿をここで見ることができます。

「ないがまま」で腹を括って「裸一貫、その場で自己を立ち上げる」作業は、決して勇ましいだけのものではありません。かと言って「喪失体験」を通して得られる枯淡の境地は、取り澄まし悟りきったものでもないのだと思います。
喪失への恐れ、埋め合わせようとする強迫観念、諦観、そういった割り切れない様々な局面を乗り越えた先にほの見える、再起の決意として、ようやく辿り着ける境地なのではないかと考えます。


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