犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

世界が現れるということ

2012-09-13 20:58:04 | 日記

 シュバイツァーとアブラハムの「召命」を通して、あたかも前者が誰にも分かりやすい自然な姿、後者がやや思考実験めいた「循環の環」であるかのごとき対比を行いました。しかし、これとて誤解を生みやすい便宜的な説明に過ぎません。

コンゴ行きを決意した時、すでにシュトラスブルグ大学の神学科教授の地位にあったシュバイツァーは、当然のことながら、アブラハムの置かれた世界 (みずからに宛てられた言葉を聞く世界)の住人であったのです。彼自身、前掲書『わが生活と思想より』で、みずからをアブラハムになぞらえて、次のように語っています。

はじめて私がアフリカに行ったとき、私は三つの犠牲を覚悟していた。すなわち、パイプオルガンの音楽をあきらめ、執着の深かった大学の教職をすて、物理的独立をもうしなって、以後の生計は友人らの庇護に待つ覚悟であった。
この三つの犠牲を払う決心をつけたのであったが、それがどんなにつらい事であったか、親友のみが知っていた。
しかるにいまや、その子を犠牲にせんとしたときのアブラハムの運命が、私にも恵まれたのである。アブラハムのごとくに、私にも犠牲は恕(ゆる)された。(前掲著 231頁)

神学研究者として大学教授の職にあり、そのうえバッハ研究者やパイプオルガン奏者としての名声がとどろいていたシュバイツァーという人物は、30歳という年齢で初めて医学を学び医療の訓練を積むには、客観的に見て適任とは言い難いものでした。コンゴ行きが、いかに気高い行為であるとしてでもです。
「誰も彼もが、私の内心の扉も窓もことごとくこじ開ける権利を振るわんとしたので、この頃、どれほど私は苦しんだろう」と後に述懐するように、親戚や知人は強烈な抵抗を試みます。教授職にある彼を医学部の学生として受け入れるに当たって、大学は規則を変更するなど相当の便宜を図ったようですが、実際に指導に当たる教授としては面食らうばかりだったでしょう。
 
つまり、我々にも腑に落ちるような動機でもって召命に応えた、ととらえるにはシュバイツァーの場合、いかにも無理のある選択だったのです。
いやむしろ、彼の選択が「腑に落ちるように分かる」と考えること自体が、「他ならぬシュバイツァー宛」の召命を勝手に自分の文脈に置き換えることに他なりません。
シュバイツァーのことは結局、当人にしかわからないのだー
そう考えてゆくと、あたかも無限の循環の中に閉じ込められているかのように見えていた、アブラハムの説話のほうが、われわれに「開かれたもの」として現れるようです。そこには勝手な恣意的な解釈を許さない、厳然たる他者の命令があります。そのような言葉を聞くものとしてのアブラハムがいます。
 
突然、他者の出現とともに世界が現れることについて、そこにおいて覚悟を強いられることについて、禅僧の南直哉さんの作品のなかのエピソードを思い出しました。シュバイツァーの場合とはだいぶ毛色が異なりますが、紹介させていただきます。

まだ幼い子供が川辺を歩いていると老人がたたずんでいて、よく見ると老人は捕まえたネズミを殺そうと竹籠ごと川の水に浸けています。子供の気配に気づいた老人は少年に向かってニヤッと笑いました。その瞬間、子供は次に語るように「世界が現れる」ことを経験しました。

そのとき、私の中で何かが裂けた。それまで、どうということもなかった世界の何かが、突然欠けた。もうネズミもこの老人もどうでもよかった。いや、いなかった。というよりも、そのとき初めて私に『私』が、そして『世界』が現れた。その『世界』には、大人という『他人』がいた。(『老師と少年』新潮文庫 43頁)

卵の殻の中に「安らかに」閉じ込められていた子供は、世界に開かれるという経験をします。そこには大人がいて、私の予期し得ない、理解し得ない行動をとって私を苦しめます。
ここでは、シュバイツァーの場合のように、なにごとかをなせ、という召命がもたらされる訳ではありませんが、世界との関わり方を、ただひとりゼロから決めなければなりません。「召命」についての経験は、なかなか共有しにくいものだと思いますが、こうやって、突然世界が開ける経験は、大なり小なり心当たりがあるのではないかと思います。
そのような「世界」で、人が頼りにするに足る原初の積極性とは、「しょうがないなあ」という感慨に他ならないと南さんは、別のところで語っています。
 
他ならぬ私宛の召命に応える、とは「しょうがない、私がやるしかない」という感慨に近いのかもしれません。

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呼びかけに応えよ

2012-09-09 00:20:58 | 日記

シュバイツァーは青年時代、コンゴの布教で次々と倒れてゆく伝道者を助ける医者募集書を見て、アフリカ行きを決意しました。彼はその時のことをこう書いています。

「主のよびかけに対して『主よ、私がまいります』と単純に答えられる男女を教会は必要としている。」これがコンゴ伝道に関する説明書の結語であった。これをよみおえたとき、私は静かに私の仕事をはじめた。私の模索はおわったのであった。(『わが生活と思想より』白水社)

シュバイツァーの「召命」として知られるエピソードです。神に呼ばれて、ある責務を与えられることを、キリスト教では「召命」(vocation)と言いますが、ここではシュバイツァーの篤信と誠実な人柄を物語るものとして一般的に理解されます。
 
一方、『創世記』のイサク奉献のエピソードでは、アブラハムは「なんじのひとり子イサクを燔祭に捧げよ」と命じられ、イサクを「いけにえ」に捧げる寸前まで追い込まれます。アブラハムが神を畏れる人であることはよく分かっても、このエピソード自体はシュバイツァーの召命ほどには理解しやすいものではありません。逆に、イサク奉献が神の召命を端的に示すものであるのならば、われわれはシュバイツァーの神の召命について何も分かっていないことになります。
 
召命を「メッセージ」に対する、「メタ・メッセージ」であると考えると話は少し分かりやすくなります。内田樹さんの秀逸な喩えを使えば、ここにある「絵」がメッセージであるとすると、それを「鑑賞すべき絵」であることを伝える「額縁」がメタ・メッセージです。メッセージの解釈の仕方を指示するのがメタ・メッセージというわけです(『街場の文体論』ミシマ社 参照)。
メッセージの解釈の仕方を「指示する」には、指示された行為を受け取って、そのとおりに実行する人を想定しないといけません。「その言葉のあて先は他の誰でもない自分である」と聞き手に理解されてはじめて、メタ・メッセージたりうるのです。
 
シュバイツァーにとって「呼びかけに応えよ」という召命は、すでに手中にしていた社会的名声を投げうつことを意味します。そのことを引き受けることを含めて、召命はほかならぬシュバイツァーに届いたのです。実際この出来事の前から、彼は三十歳までは学問と芸術のために身をささげ、その後の生涯は人類への直接奉仕のために費やすのだと心に決めていました。召命は、まさにそのような準備をしていた人にこそ「ほかならぬあなたへ」と届いたのでしょう。

さて、自伝を通じて推測することのできるシュバイツァーの場合は以上のように解することができても、「なんじのひとり子イサクを燔祭に捧げよ」という命令がメタ・メッセージであることは、腑に落ちるように分かるものではありません。言葉のあて先が他ならぬ自分であることを理解したのはアブラハムであって、われわれではないからです。われわれにできることは、言葉がみずからに宛てられたものと想像することくらいです。
 
「アブラハムへの言葉を、あたかも自分に宛てられたものであるかのごとく考えてみよ」そのようなメタ・メッセージが『創世記』に込められており、これによってわれわれ自身が指示されているのだ、と考えると話の辻褄は合います。もちろん、そのようなメタ・メッセージを「私が」受け取る場合にのみ、このような機制は発動しうるのですが。
 
われわれは、もともと今述べたような循環の中に閉じ込められていることに対して自覚的でなければなりません。われわれは、「生まれてきてしまった」という頼りない事実から始めるよりしかたない存在だからです。
そして、この堂々巡りの循環の中において、「ほかならぬ自分宛て」の召命に出会うとき、人間は覚醒します。それはみずからすすんで選びとることのできないものであるがゆえに「召命」たりうるものだと思います。

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