犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

無規範状態を生き延びる規範

2010-12-12 17:45:10 | 日記

みずからの手持ちの価値観が通じなくなったときにどのようにふるまうか。それは非常時の心構え、というよりも常時の倫理の礎であるのかもしれません。
私の共感を拒む者を想念するだけではなく、その拒否する者を前にしていかなる準拠枠もないままに、身を投じる実践の中にわれわれの最終的に依るべきところが垣間見える、とでも言えばよいでしょうか。
命懸けの実践を通して掴み取る、原理でも条理でもない規矩について、内田樹さんは『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋、2008年)で次の様に述べています。

(山岡)鐵舟のもっとも有名な逸話に、勝海舟に依頼されて、江戸開城の談判のために益満休之助ただひとりを同行して東海道を下った話がある。
鐵舟が六郷川をわたると篠原國幹が率いる薩摩藩の鉄砲隊に遭遇した。鐵舟はそのまま単身ずかずかと本陣に入り、「朝敵徳川慶喜家来山岡鐵太郎総督府へ通る」と一喝した。
篠原は山岡の剣幕に圧倒されて手も出せず、口もきけなかったという。
そうやって鐵舟は紅海を渡るモーセのように官軍のまっただなかを突っ切って、神奈川駅の西郷のもとにたどり着いたのである。
江戸は「徳川幕府」の世界である。多摩川の西は「官軍」の世界である。
この二つの世界は別のロジック、別の原理で機能している。その「あわい」で適切にふるまうためには、幕臣としての忠誠を貫いても通らないし、官軍の威勢に屈しても通らない。
そのとき、鐵舟はそのどちらでもない条理に基づいて行動してみせた。
「朝敵家来」という鐵舟の名乗りは、彼が幕臣としての自分の立場に固執している限り、決して出てくるはずのない言葉である。
これは官軍から鐵舟を見たときの彼の立ち位置である。
その「朝敵家来」という官軍からの規定を引き受け、かつそれを論理によってではなく「朝敵家来が現にここに存在して、官軍将兵を圧倒している」という事実によって否定するという大技を鐵舟はここで繰り出してみせた。

内田さんは「無規範状態を生き延びる規範」の探求を人間的成熟の目標にかかげる習慣が、かつてあったけれども、それが今は失われてしまったと述べています。別の論理、別の原理の「あわい」に立って、そこで適切にふるまうことは、その場かぎりの判断のようでいて、われわれが従うべき論理や原理を下支えする不動の礎なのです。


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